CAB-05 七つの教会時代の解説 第五章 ペルガモ教会時代

  • 伝道者:ウィリアム・ブランハム
  • 録音番号:CAB-05
  • 年:CAB

An Exposition of the

Seven Church Ages

Chapter Five

七つの教会時代の解説 第五章

ペルガモ教会時代

黙示録 2:12-17
また、ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。 『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンチパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。 しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神に捧げた物を食べさせ、また不品行を行わせた。
それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。 だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。』
ペルガモ
ペルガモはミュシア地方に位置する古代都市で、三つの川が流れており、そのうちの一つは、海との行き来が盛んでした。ペルガモは都市としてアジア州で最も栄えており、その図書館はアレキサンドラの次に有名なほどで、文化的にも優れていました。水のほとりの木立、歩道、公園のあるこの美しい街は、しかし大罪の町でした。アスクレーピオスを祀る寺院では御神体として蛇が崇められ、淫らな儀式が行われていました。そんな町ではありましたが、キリストに献身した信者たちの小さなグループが住んでいました。彼らは表面的な美しさに惑わされることなく、町をとり囲んでいるサタン礼拝を嫌っていました。
時代
ペルガモの時代は紀元 312 年から 606 年まで、約 300 年間続きました。
使者
この時代の使者を見つけるにあたり、神から与えられた法則にのっとって、つまり、最初の使者であるパウロの働きに誰が一番近い働きをしたかを調べた結果、それがマルティンだとわかりました。マルティンは 315 年にハンガリーで生まれました。フランスが彼の活躍の場で、ツールの主教として働き、399 年に亡くなりました。アイルランドの聖パトリックはこの大聖人の甥(おい)でした。
マルティンは職業軍人でしたが、ある日驚くような奇跡がおこって、キリストに改心しました。記録によると、彼が任務についていた町で、ひとりの乞食が病んで横たわっていました。彼のみすぼらしい衣服では到底冬の寒さをしのぐことはできませんでした。誰もが無関心に行きすぎましたが、そこにマルティンが通りかかりました。彼はこの哀れな男の窮地を察しましたが、余分な衣服を持っていません。そこで自分の外套を剣で真っ二つに切り、半分を凍えている男にかけてやりました。彼はそのとき自分にできる最善を尽くし、去って行きました。その夜、主イエス・キリストがまぼろしの中で彼に現れました。イエスは乞食のようにマルティンの外套の半分を身につけて立っていました。そして言いました、「マルティン、あなたはまだ求道者の身であるのに、私にこの外套を着せてくれた。」と。そのことがあってから、マルティンは心から主に仕える者となりました。そして彼の人生に、神の力の現れである奇跡がついてまわりました。
彼は軍隊を退き、やがて教会の指導者になってからは、異教に対して軍隊的な厳しい態度をとりました。木立を切り倒し、偶像を破壊し、祭壇を引き倒しました。異教徒たちから抗議を受けたマルティンは、エリヤがバアルの預言者たちを相手にしたときと同様、彼らに挑戦して、木が倒れる方向に自分を縛り付けさせました。それは神が介入されない限り、倒れてきた木に押しつぶされてしまう状況です。そそのかされた異教徒たちは彼を木に縛り付けました。自然の重力の法則に従えば明らかに倒れる側に、彼を縛りましたが、木が倒れ始めたとき、神が木をくるりと回されたので、自然の法則に逆らって木が倒れました。逃げ惑う異教徒の何人かは倒木の犠牲になりました。
少なくとも三度、マルティンがイエス・キリストの信仰によって死者を生き返らせたと、歴史家は認めています。そのひとつは、死んだ赤子です。エリシャがしたように、赤子の上に身を投げかけて祈りました。その子は生命と健康を取り戻しました。また別のケースでは、ひどい迫害が起こっていたとき、処刑場に引いていかれた教会の仲間を助けて欲しいと頼まれました。マルティンが処刑場に着くと、木に吊るされた兄弟はすでに死んでいて、目玉が眼孔から飛び出していました。マルティンは彼を木から降ろし、祈りました。すると兄弟の体に生命が戻ってきて、彼は泣き喜ぶ家族のもとに帰って行きました。
マルティンは、誰であれ敵を恐れない人でした。聖霊に満たされた多くの聖徒たちを死に追いやった悪皇帝に、彼は臆せず立ち向かいました。皇帝は謁見を許しませんでしたので、マルティンは皇帝の友人である冷血なローマ主教のいるダマスカスへ、とりなしを頼みに行きました。しかし、名ばかりのクリスチャン、偽のぶどうの木である主教はマルティンの願いを聞き入れず、仕方なく宮殿に戻ったところ、門に錠がかけられていて彼は中に入ることができませんでした。マルティンはうつ伏せになって主の前で祈り、宮殿の中に入れるよう願ったところ、起き上がれと命令する声を聞きました。彼が起き上がると、門が自然に開き、中に入ることができました。しかし傲慢な皇帝は彼に背を向けて、声をかけませんでした。それでマルティンはまた祈りました。すると突然皇帝の玉座から火が生じたので、彼はあわてて立ち上がらずを得なくなりました。確かに主はおごれる者を低くし、へりくだる者を高く上げるお方です。
主に仕える情熱がこのように激しかったため、悪魔からの妨害も激しいものがありました。真理の敵対者たちは,刺客を送ってマルティンを殺そうと図り、複数の刺客が彼の家に忍び込みました。マルティンは殺されるすんでのところで、ぱっと起き上がって喉元を剣の前に差し出したので、彼らが剣で彼の喉元を切ろうとしたところ、神の力によってあっという間に部屋の向こう側の壁に吹き飛ばされてしまいました。部屋に満ちた聖らかで畏れ多い雰囲気に圧倒されながらも、刺客たちは這いずってマルティンに近づき、彼の手や膝に手を置いて、彼の生命を狙った罪の許しを乞いました。
人が主に用いられて際立った働きをすると、プライドが高くなってしまうことがよくありますが、マルティンには、そういうことは起こりませんでした。彼は常に神の小さな僕でいました。教壇に上る準備をしていたある夜、乞食が着る物を求めて彼の書斎を訪ねました。マルティンが、執事のところに行って頼むよう促したので、乞食が執事のところに行くと、横柄な態度の執事から追い出されてしまいました。そこでまたマルティンのところに戻って来ると、マルティンは自分が着ていた上等の衣装を彼に与え、執事を呼んで別の衣装を用意させました。そういうわけでその晩、上等でない衣装を身につけてマルティンは教壇に立ちましたが、神のことばを語る彼の周りを白い光が包んでいるのを、聴衆は目にしました。
彼がこの時代の真理を伝える使者、偉大な人物であったことは確かです。神を喜ばせることだけに心を尽くし、清貧の生活を送りました。彼はまず祈って、天から送られた聖霊によって、神の指導をじゅうぶんに受けたと確信できるまでは、説教をする気になれませんでした。したがって、祈って確かな答えをいただくまで、人々を待たせておくことが多々ありました。
マルティンという人物と彼の働きを知っていくと、その時代には聖徒への迫害が緩和したと思ってしまいそうですが、事実は違いました。依然として、彼らは悪魔の邪悪な手段によって殺されていきました。あるものは火あぶりにされ、あるものは逆さに磔られ、野犬に襲われて肉が食いちぎられ、腸が飛び出し、じわじわと殺されていきました。妊婦から赤子が引き出され、豚のえさとして投げ出されたこともあります。乳房を切り取られたまま直立を強制され、心臓が打つたびに血が噴き出しながら、くしゃっと倒れ込んで死んでいった女性もいます。このような行為を実行したのが異教徒だけでなく、クリスチャンと称する者たちであるいう事実が、その痛々しさを増長します。そのような者たちは、みことばと聖霊の導きに従う忠実な十字架の戦士たちを根こそぎにすることが、神に喜ばれる行為であると信じて実行していていたのです。
「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思うときが来ます。」(ヨハネ 16:2)
「そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。」(マタイ 24:9)
しるしと不思議と聖霊の力が彼に伴っていたことを証拠として、マルティンがこの時代の使徒であったと言えます。しかし、彼の著しい働きに霊の賜物が伴っていたことだけに注目してはいけません。何よりも彼はずっと、神のことばに忠実であり続けたのです。彼は言葉と行いにおいて真理にとどまり、勝利のキリスト者の生き方を貫きました。
伝記によると、「誰も、マルティンが怒ったり、不安定になったり、嘆いたり、笑ったりするのを見たことがない。彼は常に安定しており、どこか死を超越した感じがあり、天上の喜びのようなものを顔にたたえていた。キリストのこと以外は口にせず、心の中には信心と平和と憐れみだけを抱いていた。度々、彼を中傷する人たち、彼のいないところで、毒の唇と毒の舌で中傷していた人たちの犯している罪を悲しんでいた。多くの者たちにはなく、真似もできない徳をマルティンが持っていたために、憎しみをかうことがあった。そして、なんとしたことであろう。最大の加害者は主教たちであった。」
挨拶
「鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。」(黙示録 2:12)
三番目の教会時代へのことばが語られようとしています。教会の中を歩かれるお方、キリストのドラマの第三幕が今開こうとして、霊がラッパのような声で、比べるもののないお方をこう紹介します、「鋭い、両刃の剣を持つお方」と。ピラトが大衆を前に紹介した神の子羊のときとなんという違いでしょう。あのときは、紫の衣を着せられ、嘲られ、打たれ、棘のかんむりをかぶされ、言われました、「見よ、あなたたちの王だ!」 ところが今や、威厳に満ちた着物をまとい、栄光のかんむりをかぶり、よみがえった主が堂々とこう叫びます、「キリスト、神の力」と。
「鋭い、両刃の剣を持つお方」という言葉によって、また新たなイエスキリストの神性が明らかにされました。エフェソの時代には「神は不変のお方」であることが、スミルナの時代には「真実なる神はおひとりであり、他にいない」ということがはっきりしましたが、このペルガモン時代で、「キリストは神のことばである鋭い両刃の剣を持っておられる」ことがわかりました。
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル 4:12)
「御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(エペソ 6:17)
「その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。」(黙示録 19:13)
「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。」(黙示録 19:15)
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」
(ヨハネ 1:1-3)
「天において証しをするのは三者です。それは御父、みことば、御霊です。この三者は一致しています。」(1ヨハネ 5:7)(訳注:KJV の訳)
キリストが、神のことばと切っても切れない関係にあることが、これでわかりました。神はことばです。御名にはことばが含まれています。
ヨハネ 1:1 で、「初めにことばがあった」とありますが、「ことば」という訳の語源は「ロゴス」で、それは「思考」とか「観念」という意味です。これには、「思考」と「発言」という二重の意味があります。思考が言い表わされると「ことば」になります。なんだか素敵ではありませんか。ヨハネは、神の観念がイエスによって写し出されて現れていたと言っています。パウロもこれと同じことを言っています、
「神は、昔父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子(ロゴス)によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」
(ヘブル 1:1-3)
神はイエスキリストによって的確に表わされました。イエスは神の写しの現れなのです。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ 1:14)
神の実体が肉の人となって、私たちの間に住まわれました。近づくことも見ることもできない偉大な霊なる神が、肉体に宿って人とともに住み、神のすべてを人に明らかにされたのです。
「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を解き明かされたのである。」 (ヨハネ 1:18)
神はある時は雲の柱や火の柱になってご自身を現し、人びとの心に恐れを与えました。この神のみ心は、(旧約時代は)預言者の語ることばによってのみ明らかにされていましたが、今やイマヌエル(神がともにおられる)となってご自身を言明されました。この「言明する」という言葉の語源は、ギリシャ語で「釈義、講釈」を意味し、つまり、徹底的に説明して、明白にするということです。生きたみことばであるイエスがそれをなさいました。イエスは私たちに完璧に神を解き明かしてくださいました。イエスが神だからです。
「初めからあったもの、私たちが聞いたもの ( ロゴスとは発言という意味です)、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、ーこのいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。ー私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および神子イエス・キリストとの交わりです。」(1ヨハネ 1:1-3)
神が余すところなくご自分を明らかにされたのは、神が肉体のうちに宿っておられた時でした。
「わたしを見た者は、父を見たのです。」(ヨハネ 14:9)
ヘブル 1:1-3 で、イエスが神の完全な現れであること、人々に神を現すために、ひととなってくださった神であることがわかりました。もう少し注意して、この聖書箇所を読んでみましょう。
「神は、昔父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子(ロゴス)によって、私たちに語られました。」
この『預言者たちを通して』という箇所を原語から詳細に訳すと、『預言者たちがみことばを発言することによって』となります。
「主のことばによって、主がご自身をシロでサムエルに現されたからである。」(1サムエル 3:21b)
とあるとおりです。1ヨハネ 5:7 とも完全に一致しています。御霊とみことばはひとつです。イエスは父を現し、みことばも父を明らかにしました。イエスは生きたみことばでした。神を称えます!イエスは今も生きているみことばです。
「わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。」(ヨハネ 14:10)
イエスはそう言われました。どのようにして御子が神を余すところなく完全に現されたのでしょうか。それはイエスに宿っておられた御霊がことばを発語され、そのことばが現実のものとなったことによってです。もし花嫁が、みことばの花嫁に立ち返るなら、イエスが地上でおこなわれたわざをことごとくおこなうでしょう。ことばは神です。御霊は神です。両者はひとつです。ひとつであるので、片方だけでは働けません。もし神の霊が宿っているなら、その人には神のことばもあるのです。それが預言者に備わっていました。彼らに神の霊が宿っており、ことばが入ってきました。イエスも同じでした。イエスのうちに余すところない完全は霊が宿っており、ことばが入ってきました。
「イエスが行い、また教え始めてから」(使徒言行録 1:1)「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである」(ヨハネ 7:16)
洗礼者ヨハネは預言者であり、その時代の使者でもありました。母親の胎内ですでに聖霊に満たされていました。彼がヨルダン川で洗礼を授けていたとき、神のことば(イエス)がやってきました。ことばは常に、聖霊に満たされた者のところに来ます。これが聖霊に満たされている証拠です。それをイエスが裏付けしています、
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。その方は真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。」(ヨハネ 14:16-17)
さて御霊が真理であることがわかりました。
「あなたのみことばは真理です。」(ヨハネ 17:17b)
「あなたがたは、なぜわたしの話して入ることがわからないのでしょう。それはあなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。」(ヨハネ 8:43)
この世は聖霊を受けることができないとイエスが言われました。43 節では、ことばを受けることもできないと言っておられます。なぜでしょう。それは聖霊とみことばがひとつだからです。もしあなたが預言者のように聖霊に満たされているなら、ことばがやって来ます。そしてあなたは、それを受け取ります。
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ 14:26)
ここでも、ことばが来るのは、神の霊がおられるからだということがわかります。
「しかし、その方、すなわち真理の御霊(ことば)が来ると、あなたがたをすべての真理(神のことばは真理です)に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くまま(神のことば)を話し(ことば)、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。(御霊は預言のことばをもたらします)」(ヨハネ 16:13)
注意してほしいのは、聖霊のバプテスマを受けた証拠が異言、解釈、預言、叫び、踊りだとは、イエスは言っておられないことです。そうではなくて、真理にとどまることがその証なのです。もしあなたが聖霊に満たされているのなら、あなたの時代の預言者が明らかにしたことばを受け入れます。それこそが聖霊のバプテスマを受けた証拠なのです。
「自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。」(1コリント 14:37)
神の遣わした預言者のことばを受け入れて従うことで、聖霊が宿っていると証明できるのです。彼は教会の秩序を正す役割を神から授かっているのですから。パウロは、別の啓示を主張する人たちに向かってこう言いました、
「神の言葉は、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいはまた、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。」(1コリント 14:36)
このとおり、真理(みことば)を作り出す人ではなくて、真理(みことば)を受け、信じて従う人こそが、聖霊に満たされたキリスト者の証拠です。
「御霊と花嫁も言う。『来てください。』これを聞く者は、『来てください』と言いなさい。」(黙示録 22:17)
お気づきになりましたか、花嫁は御霊と同じことばを語るのです。霊に満たされているということが、みことばの花嫁であることを裏付けます。すべての教会時代で、「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」と言われています。御霊はことばを与えます。もしあなたに御霊が宿っているなら、回復され、解き明かされた真理のみことばを聞くでしょう。真のクリスチャンは時世のみことばを受けることができるのです。
繰り返しますが、すべての教会時代への挨拶文は「耳のある者(個々人)は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」で終わります。御霊はことばを与えます。各時代に分与される真理があるからです。各時代には選ばれた者がいました。選ばれた者たちは必ず「ことばを聞き、」受け取り、それによって彼らが神の正統な子孫であることを証明しました。
「神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」(ヨハネ 8:47)
彼らはみことば自体(イエス)と当時のイエスのことばを拒みましたが、正統な子孫はみことばを受けました。彼らが神から出た者であったからです。
「あなたの子どもたちはみな、主の教えを受け、あなたの子どもたちには、豊かな平安がある。」(イザヤ 54:13)
イエスも同じことを言われました。
「預言者の書に、そして、彼らはみな神によって教えられる」と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところにきます。」(ヨハネ 6:45)
みことばと一致していることが、あなたが神のものであり、聖霊に満たされている証明になります。他の基準はありません。
それなら異言や異言の解釈や、他の賜物は何でしょう? それらは御霊の現れであるとみことばは教えています。
「しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。」(1コリント 12:7)
そしてパウロは、御霊の現れの種類をあげています。
これから話すことは、きっとみなさんも知りたいと思っていることでしょう。真に聖霊に満たされていない限り、聖霊の現れがあるはずもないと考えるのは当然です。ではなぜ、霊の現れが聖霊のバプテスマを受けた証拠とならないのでしょうか。わたしは誰をも傷つけたくないので、そのとおりだと言うことができたらどんなに楽でしょう。しかし神から受けたことを話さないなら、わたしは忠実な神の僕ではありえなくなってしまいます。
バラムの例を見てみましょう。彼は敬虔な人で神を崇拝していました。正しいやり方で犠牲を捧げ、正しい方法で神に近づきましたが、神の正統な子孫の預言者ではありませんでした。だから彼は不義な者から金を受け取り、最悪なことに、神の民を姦淫と偶像崇拝の罪におとしいれました。しかし彼の預言が、世界中でかつてないほど美しい表現で、かつ正確であり、それが神の霊に促されて語られたことを誰も否定できないでしょう。それでも、バラムは聖霊を受けたことがありませんでした。
では大祭司カヤパの場合はどうでしょう。聖書は、イエスがどのような死に方をするか、カヤパが預言したと記しています。しかし彼が、老いたシメオンやアンナと呼ばれた優しい聖人のように霊に満たされ、霊に導かれていたという記録はありません。それなのにカヤパに聖霊の現れがあったことを否定できません。 では、どうして霊の現れを証拠とできるでしょう。無理です。もしあなたが本当に神の霊に満たされているなら、あなたはみことばに従った生き方をします。それが証拠です。
神が与えてくださった啓示によってどれだけ深くこの真理をつかんだか、お知らせしようと思いますが、その前に言っておきたいことがあります。多くの人がわたしを預言者であると信じています。わたしはそうは言いません。そう言っているのはあなたがたです。しかし神がわたしに与えてくださった幻が、一度も間違っていなかったことを、わたしたちは皆知っています。もし誰か、一つでも違っていたと証明できるなら教えてください。さて、ここからわたしのお話をします。
もう何年も前になりますが、初めてわたしがペンテコステの人たちに会ったのは、彼らのキャンプミーティングに参加した時でした。集会では異言や異言の解釈や預言が盛んに行われていました。特に二人の説教師が異言と解釈をしているのが際立っていました。わたしはその集会をすっかり楽しみ、霊のいろいろな現れに本当に夢中になりました。それらが真実のものに聞こえたからです。それら霊の賜物をもっとよく知りたいと心から願い、先の二人から話を聞くことにしました。わたしに与えられている神の賜物を通して、初めに話しかけた優しく謙虚そうな人の霊が、神からのものかそうでないかを確かめました。簡単な会話をするうちに、彼が正真正銘のクリスチャンであることがわかりました。次に話しかけた若い人は、まったく違いました。彼は自慢げで自惚れていましたが、彼と話しているうちに幻が目の中に飛び込んできて、彼が金髪の女性と結婚していながら、肌の黒い女性と暮らしていて、その女性との間に二人の子供をもうけていることがわかりました。偽善者の最たるものでした。
わたしはとてもショックをうけました。それも当然です。二人の人がいて、一人は正真正銘のクリスチャンでもう一人は偽装した罪人だったのに、両人とも霊の賜物を使っていたのですから。わたしは混乱して思い悩んでしまいましたので、そっと集会を離れて、ひとりで神を求めるため秘密の場所に行きました。答えを得るため聖書を置いて祈りました。何気なく聖書を開いてマタイの箇所を読み、聖書を置くと、風が部屋に吹き込んで聖書のページをめくってヘブル人への手紙6章が開きました。開かれたページを読んでいくと、特に 4 節から 9 節の風変わりな文章が心にとまりました。
「一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福に預かります。しかし、いばらやアザミなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。だが、愛する人たち、私たちはこのように言いますが、あなたがたについては、もっと良いことを確信しています。それは救いにつながることです。」(ヘブル 6:4-9)
聖書を閉じて、しばらく目を閉じて集中し、それからまた少し祈りましたが、まだ答えはわかりませんでした。もう一度何気なく聖書を開いてみましたが、読みはしませんでした。すると突然風がまた部屋に吹き込み、ページをめくりだし、風がやんだときにはヘブル書6章が開いていました。もう一度同じ箇所を読んでいると、神の霊が部屋に降ったので、わたしは幻をみました。幻の中に、純白の衣を着たひとりの人が耕された畑に入っていき、穀物の種を蒔くのを見ました。晴れた日の朝方にその作業は終わりました。しかし白い衣の人が去った夜、黒い衣を着た人が忍び込んで来て、種が蒔かれていたいたところに別の種を蒔きました。大地は太陽と雨の祝福を受け、何日かたったある日、麦の芽が出ました。立派な芽でした。ところが一日経って毒草の芽も出ました。
麦と毒草は一緒に育ちました。同じ大地から栄養をとり、同じ太陽の恵みを受け、同じ雨を飲みました。
ある日、空がなまりのようになり、植物はしおれたり枯れたりし始めました。雨を求めて頭を上げ、麦が叫んでいるのが聞こえました。毒草も声をあげて雨を乞い求めました。すると空が暗くなって雨が降ってきました。麦は力いっぱい熱烈な声をあげて叫びました、「主をたたえます!」すると驚いたことに、生を取り戻した毒草も上を見て言いました、「ハレルヤ!」
それでキャンプミーティングと幻の真理がわかりました。種をまく人と種のたとえ話と、ヘブル書6章に書かれていることと、雑多な聴衆の中で現れた霊的賜物、すべてがはっきりと解明しました。白い衣を着た種蒔き人は主で、黒い衣の種蒔き人は悪魔で、畑は世界で、種は選ばれた人たちと破滅者たちです。どちらのグループの人たちも同じ栄養と水と太陽を享受し、どちらも祈り、どちらも神に助けられました。神は太陽と雨の創造主ですから、善い者にも悪い者にも分け隔てされません。どちらのグループも神から同じ祝福を受け、同じ現れを体験しましたが、ひとつ大きな違いがありました。彼らは別種の子孫だったのです。
もうひとつ、真理を裏付ける聖書箇所があります。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行う者が入るのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども、わたしから離れて行け。』」(マタイ 7:21-23)
イエスは彼らの力づよい働きが聖霊によるものであることを否定しません。しかし彼らを知らないとはっきり言われました。彼らは教会につまずいた人たちではなく、もともと邪悪で、もともと改心しておらず、破滅者でした。彼らはサタンの子孫たちです。
ですから、霊の現れがあるからといって聖霊に満たされているとか、聖霊によって生まれ変わったとかいうことはできないのです。まことの霊の現れなら、それは聖霊が働いている証拠であることは認めます。しかし、個人がどれほど霊の現れを用いようとも、それがその人が聖霊に満たされている証拠であるとは認められません。
こんにち聖霊を受けている証しは、主が地上でみことばを語っておられたときの証しと同じです。あなたの時世に語られた真理のみことばを受け入れることです。イエスはみことばを聞く重要性を強調されましたが、行いについてはそれほど強調されませんでした。それは、みことばを受け入れた人には行いが伴うことを知っておられたからです。これは聖書的ですね。
ペルガモ時代に教会がみことばから離れてしまうことを、その 200 年前にイエスはパトモス島でヨハネに告げられました。イエスは、みことばから離れた後に暗黒時代が来ることを知っておられました。原始から、人が神から離れてしまう原因は、みことばからはずれることだともわかっていました。もしみことばから離れるなら、神から離れてしまうのです。 ですからイエスはペルガモの教会に、そしてすべての時代の教会に、ご自身のことを、「わたしはことばである。もしあなたが神を受け入れたいのなら、ことばを喜んで受け入れなさい。あなたとみことばの間に、何ものも介入させてはいけない。わたしがあなたに与えるもの(ことば)は、わたし自身の啓示である。わたしはことばです。忘れないように。」と言っておられるのです。
みことばの影響は、じゅうぶんわたしたちのうちに浸透しているでしょうか。わたしたちはどのように祈っているでしょう、イエスの名によって祈りますよね。イエスの名によって祈らないと答えが与えられません。しかし、
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いていくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(1ヨハネ 5:14)
とあります。では、何が神のみこころなのでしょう。それを知る方法はただひとつ、それは神のことばによります。
「主が命じたのでなければ、誰がこのようなことを語り、このようなことを起こしえようか。」(哀歌 3:37)
つまり、主が命じられたとおり言えば、そのことばどおりになるということです。みことばからはずれていれば、祈りはかなえられません。みことばにかなっていなければ、願い求めることはできませんし、主の名によって願わなければ、かなえられません。イエス(み名)はことば(みこころ)なのです。神とことばを切り離すことはできません。神とことばは一致しています。
聖書に書かれたことばはイエスの一部なのです。もしあなたが信仰によってそれを受け入れて、聖霊に満ちた生活を送るなら、そのことがわかります。
「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ 6:63b)
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ 14:6)
「キリスの霊を持たない人は、キリストのものではありません。」(ローマ 8:9b)
このとおり、イエスは霊であり、いのちなのです。これがみことばであり、これがイエスです。イエスはことばです。ですから、聖霊によって生まれ変わり、聖霊に満たされた生活をしている人が信仰によってみことばを心に収めてから口に出すなら、それはまさに神が語っているのと同じことなのです。どのような山をも揺りうごかすことができますし、サタンはそのような人に歯が立ちません。
もしペルガモの教会が、教会の中を歩かれる生きたみことばの啓示をしっかり掴んでさえいたら、神の力を失っていって暗黒時代に突入することもなかったでしょう。そしてこんにち、もし教会が信仰を働かせてみことばに立ち返るなら、間違いなく神の栄光と神の素晴らしいみわざを体験することでしょう。
ある晩、わたしが主を祈り求めていたところ、聖霊からペンを持って書くように促されました。ペンを持って書こうとすると、聖霊から教会へのメッセージを示されました。そのことを話したいと思います・・・・みことばと花嫁に関する内容です。
これがわたしが伝えようとしていることです。再生の法則とは、それぞれの種が同じ種を再生するということで、創世記に記されています。
「神は仰せられた。『地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類に従って、地の上に芽ばえさせよ。』そのようになった。」(創世記 1:11)
種の中にある生命が草を生えさせ、実を結びます。同じ法則がこんにちの教会にも当てはまります。教会の種が蒔かれると、その種のとおりの教会になるのです。 この終わりの時代に、真の花嫁の教会(キリストの子孫)は、かしら石を迎えることになります。すると教会はキリストに似たものとなり、超教会、超人類になります。花嫁なる人たちはキリストにとても似通ってきて、しまいにはキリストのイメージそのものになるでしょう。それはキリストと一致するからです。花嫁とキリストはひとつになります。彼らは生ける神のことばそのものの現れになります。 教会組織はそうはなりません。彼らから生ずるものはみことばの教えに教条、教義を混ぜ合わせたものです。雑種は雑種を産みます。
初めの人(アダム)は神の仰せのことばから生まれました。そして彼には、彼と同じ子をもうけるために花嫁が与えられました。しかし、花嫁は誘惑に負けてしまいました。そのために雑種が入り込み、人が死を経験しなければならない結果に陥ったのです。
第二の人(イエス)も神の仰せのことばで、アダムと同様、花嫁が与えられました。しかしイエスと結婚する前に花嫁は堕落してしまいました。アダムの妻と同様、神のことばを信じて生きるか、ことばを疑って死ぬかの選択を迫られた時、疑う方を選んだのです。それで彼女はみことばから離れて、死んでしまいました。
みことばにとどまる真の子孫たちは少数ですが、その中の愛する花嫁を用いて、神はキリストを現されます。この花嫁は神のことばに対して無垢です。というのは、人の作った教条や教義を受け入れていないからです。神の約束は、定められた処女のうちに現れ、花嫁たちをとおして成就することになります。
約束のことばはマリアに訪れました。その約束のことばはイエスご自身でした。ことばをとおして神ご自身が現れるためです。その時イエスご自身をとおして、ご自身の約束のことばが処女マリアのうちに成就したのです。実際にマリアを訪れたのは天使でしたが、天使が伝えたことばは神のことばでした。(イザヤ 9:6)その時、イエスについて書かれた預言が成就しました。マリアがおことばのとおりになりますようにと言って受諾したからです。
おとめなる花嫁たちはイエスを愛し、彼の持っている力を持つことになるでしょう。イエスが彼女らのかしらであり、すべての力は彼のものだからです。体が頭からの司令を受けて動くように、花嫁たちもイエスに従います。
イエスが父と調和していて、父から示されないことは何も行わなかったように(ヨハネ 5:19)、花婿と花嫁の間にも今や同じ調和が存在します。花婿がいのちのことばを示すと、花嫁は疑うことなくそれを受けます。ですから彼女に害を加えるものは何もありません。死でさえも害をなしません。 種が蒔かれると、水が芽をださせます。ここに秘密があります。みことばは、マリアの内にあったように、花嫁の内にもあります。花嫁はキリストの思いを抱いているので、彼がしたいと願っていることをことばに現すことができます。彼女はイエスの名によって、みことばの命令を出します。彼女が「主がこう言われる」と言って、ことばを発すると、霊が働いてことばのとおりになるのです。種が蒔かれて水が与えられると、豊かな収穫となり、 目的が果たされるのと同じです。
花嫁なる人たちはキリストの御心だけを行います。誰も別のことを強要することはできません。彼らは「主がこう言われる」というみことばの権威を持っていますが、主から何も示されなければ黙っています。彼らのうちにおられる神がみわざを行い、みことばを成就されていることを彼らは知っています。イエスは地上でのミニストリーでやり残していたことを、今、花嫁をとおして行なわれます。時が満ちて、今やるべきことを、イエスが花嫁をとおして行なっているということを彼女は知っています。そしてイエスはこの時節のために残しておいた働きを、花嫁をとおして完成させようとしておられます。
さあ、ヨシュアとカレブのようにしっかり立ちましょう。彼らの約束の地が間近であったように、わたしたちの約束の地も姿を現しはじめています。 ヨシュアとは、神は救い主という意味で、終わりの時代の指導者を代表しています。教会時代の初めの指導者はパウロでした。そしてカレブはヨシュアとともに真理に忠実な人たちを代表します。 神は最初イスラエルをみことばを純粋に受け入れる処女として造りました。しかし彼らはみことば以外のものを欲しがりました。終わりの時代の教会も同様です。神は、ときが満ちるまでイスラエルを約束の地に導き入れませんでした。 今、人々はヨシュアなる指導者を急かして、こう言っているようです、「その土地はわたしたちのものだ。さあ、行って占領しよう。ヨシュアよ、あなたは役に立たなくなってしまった。任務を忘れたのか、あなたがかつて持っていた力はどこに行ってしまったのか。かつては神から聞いて、神の御心を知って、すぐに行動したではないか。どうかしてしまったのか。」 しかしヨシュアは神から遣わされた預言者なので、神の約束を知っていました。だから待ったのです。彼は神からはっきりと決定が下るまで待ちました。そして行動する時がくると、神はヨシュアの手に全主導権を与えました。彼がみことばにとどまっていたからです。 神はヨシュアを信頼することができましたが、他の人たちを信頼しませんでした。この終わりの時代も同じことが繰り返されるでしょう。同じ問題がおき、同じ圧力がかかっています。
モーゼの例をみてみましょう。モーゼという強烈な油注ぎを受けた預言者は、変わった生まれの人でした。彼はエジプトからアブラハムの子孫を解放するために、定められた時に生まれました。彼はエジプトで聖書論争をせず、祭司たちに苦情を言い立てたりもしませんでした。神がモーゼを荒れ野に呼びましたので、彼は下っていき、人々が彼を受け容れることができるようになるまでそこにとどまっていました。 荒れ野で待たされたのはモーゼのせいではなく、人々が彼を受け容れる準備が整っていなかったからです。モーゼは人々の理解を得ることができると思っていたのですが、そうではなかったからです。
それから、主のことばがエリヤに臨み、アメリカ版イザベルの先駆者、つまり元祖イザベルのグループに真理を説きましたが、拒絶されてしまいました。神はエリヤを荒野に導く一方、神から遣わされた預言者とメッセージを拒絶した世代に災いを下しました。 エリヤは神に言われたとおり荒野にとどまり、王が呼びに来ても応じませんでした。彼を呼び出そうと試みた人たちは死にました。しかし神が幻によって忠実な預言者に語られたので、彼は隠れ場から出てきてイスラエルにみことばをもたらしました。
それから、キリストの忠実な先駆者、時世の強烈な預言者である洗礼者ヨハネが登場しました。ヨハネは父親の(祭司の)学校に行かず、ファリサイ派の学校にも行かず、そればかりか宗教組織に属さずに、荒野に行きました。神に呼ばれたからです。ずっとそこにとどまっていましたが、主からことばを託されたので出てきて叫びました、「待望のメシアが来る」と。
今度は聖書から警告を読んでみましょう。 神から遣わされた正真正銘の預言者モーゼの時代に、コラが蜂起してモーゼに反抗しました。彼はモーゼと言い争い、自分もモーゼと同じくらい神から受けているのだから人々を指導しできるし、他の人たちもモーゼと同じく神の啓示を受けているのだから、それをモーゼが独占しているのは不当であると主張しました。コラはモーセに与えられている権威を否定したのです。 さて、その他の人たちですが、真のみことばを聞き、モーゼが神に立証された真の預言者であるという事実に慣れているにも関わらず、彼らはコラの側に立ち、彼の反論を支持したのです。コラは聖書的預言者ではありませんでしたが、指導者たちも含めて大勢の人たちが、コラに加担しました。 黄金の牛政策を掲げる現代の宣教師たちは、何とコラに似ているのでしょう。コラ同様、彼らも人々に好感を持たれています。額に血をつけ、手に油をのせ、壇上から火の玉を出します。女性が説教することを許し、女性が髪を切り、ズボンやショートパンツをはくのを許し、神のことばを回避して自分たちの教条や教義を押し出す、それが彼らのしていることです。それらの行為から、彼らが誰の子孫かわかります。 しかし、皆がモーゼから離れ、みことばを置き去りにしたわけではありませんでした。選ばれた人たちはモーゼのもとに踏みとどまりました。こんにちも同じことがおきています。大勢がみことばから離れていきますが、みことばにとどまる人たちもいます。 麦と毒草のたとえを思い出してください。毒草は束ねられて焼かれました。これら背教者らの集う教会は互いにますます結束を強めていき、烈火による神の裁きを受ける準備をしています。しかし麦は主のもとに集められます。
さて、このことはみなさんに注意を払っていただきたいのですが、神は終わりのときにマラキ4章を成就すると約束されたました。霊力を持つ神のことばが預言者マラキの口から発せられたのですから、必ずそうなります。キリストが再臨される前にそのことは起こります。イエスが来られるときには、すべての聖書が成就するのです。 マラキ4章の語る使者は、異邦人のときが終わる最後の教会時代に現れます。彼はみことばに忠実で、聖書の創世記から黙示録まですべてにわたって、同意し受けとめます。彼は蛇の子孫の問題に着手し、後の雨の時期のメッセージを続けます。しかし彼は教団組織から拒絶されるでしょう。
彼が拒絶されるのは、歴史が繰り返されるからで、アハブの時代も同じでした。アハブ統治時代のイスラエルの歴史が、マラキが預言した使者(預言者)がアメリカに登場している今、重なって見えます。 イスラエルは自由に礼拝するためにエジプトを脱出し、原住民を追い出し、ダビデのような偉大な指導者を立てて、国家を設立しました。しかし王の座にアハブが着くと、イザベルが背後の権力者になりました。アメリカも同じように、先祖たちが自由な礼拝と自由の生活を求めてこの土地にやってきて、原住民を奥地に追いやり、土地を自分たちのものにしました。最初はワシントンやリンカーンのような立派な人物が登場しましたが、次第に大統領としての能力に劣る者が後に続くようになり、とうとうアハブが大統領の座につき、彼の背後でイザベラが指揮をとるようになりました。 そのようなときに、マラキの使者は現れることになるのです。それから後の雨の時期に、カルメル山での決着が起こることになります。 ことばを注意してみてみましょう。洗礼者ヨハネはマラキ3章に記された、イエスの先駆者でした。彼は初めの雨の時期にみことばを蒔き、当時の教団組織から拒絶されました。それからイエスが登場し、高い山でみ姿の変容が行われました。二番目のキリストの先駆者(再臨前の)は後の雨の時期にみことばを蒔き、それからイエスが教団組織と信条に対決を挑みます。キリストは来て、みことばの正しさを裏付け、花嫁を天に引き上げます。初めの決着場はカルメル山で、次は変容の山でした。そして最後、三番目はシオンの山になります。
モーゼやエリヤや洗礼者ヨハネは変わっていて、世間との関わりを避け、人々と距離を置いていました。そのことに多くの人が戸惑いましたが、それが彼らの発したメッセージが拒絶されたためであることに気づきませんでした。しかし拒絶されようがされまいがとにかく種は撒かれたのです。種まきの次にやって来たのは裁きでした。彼らは人々へのしるしとして、与えられた使命を達成し、それから裁きがやって来ました。
黙示録 13:16 を根拠に、獣が、宣教の許可を得るため手か額に刻印を要求するようになると、花嫁はみことばを宣べ伝えることができなくなると、私は信じています。教団組織は刻印を受けるでしょう。そうしないと宣教活動が禁止されるからです。それから神の子羊が来て花嫁を擁護し、大淫婦を裁くでしょう。
モーゼは使命を受けてこの世に誕生しましたが、使命を果たすために必要な賜物を受けるまでは活動をおこすことができませんでした。彼は荒れ野に退き、神の定めの時が来るまで待っていました。定めのファラオが王座につき、民が糧を得るために嘆きの声をあげるまで、神はモーゼをエジプトに送ることができませんでした。こんにちも、同じです。
こんにちどのようなことが起こっているかというと、多くの人たちがしるしを行なっています。それによってしるしを求める世代が起こっていますが、彼らはみことばに頓着せず、真の神の霊の働きを知りません。血や油や火のしるしを見て喜びますが、それがみことばとなんの関係があるのか、深く考えません。あらゆるしるしを、反聖書的なものまでも受け入れてしまうことになるでしょう。しかしこのことに関して、神はずっと警告を与えてこられました。キリストもマタイ24章でこう指摘しています。終わりのときには、ふたつの霊が似通ってきて、選ばれた者たちだけにようやく見分けがつくほどになるでしょう。彼らだけは偽の霊に騙されることはありません。
どうやってふたつの霊を見分けるのでしょう。それはみことばで試すのです。みことばを伴わない霊は悪霊です。悪霊は最初の二人の花嫁を騙しましたが、終わりのときの花嫁をも、信条を信じさせて雑種の種を植え付けるか、あるいは適当なしるしを与えておいてみことばから引き離すことによって騙そうと試みるでしょう。 しかし、神は決して、みことばに先立ってしるしを与えることがありません。エリヤが女性に、主のことばに従ってまず先にパンを焼くように言いつけたように、しるしはみことばの後に続くのです。その女性がみことばどおりにすると、然るべきしるしがやって来ました。 まずみことばの元に来なさい、そうすれば奇跡を見ることができます。みことばの種は霊によって活力を得ます。
どうして神から遣わされた使者が、みことばの一部だけ信じて、部分的に疑ったりすることができるでしょう。終わりのとき神から遣わされる預言者は、みことばを余さず宣言します。 教団組織は彼を嫌うことでしょう。洗礼者ヨハネにマムシ呼ばわりされた人たちのように、彼の言葉は教団の人たちには不快に響くのです。 しかし神に定められた人たちは、聞いて、携挙の準備をすることとなるでしょう。アブラハムの高貴な子孫は、アブラハムが神の約束を信じて疑わなかったように、しっかりみ言葉に繋がっているでしょう。アブラハムも子孫もともに、神によって前もって定められていた人たちですから。
神に定められたときが来ると、終わりのときの使者が現れます。今は終わりのときです。イスラエルが祖国に帰り、建国しましたから。マラキによれば、いつ彼が現れてもおかしくありません。 その使者はみことばを奉じる者として現れ、みことばに注意を向ける働きをし、その働きは神によって立証されるでしょう。(「第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」黙示録 10:7)彼はエリヤと同じく真理を説き、それからシオンの山での対決の用意が整うことでしょう。
多くの人は、彼を理解しないでしょう。というのは、彼らは別の聖書解釈を真理として教え込まれているので、それに反して彼が訴える真理を信じることができないのです。真の働き人の中にさえ、あまりにも多くの嘘を神の真理として聞いていたために、理解を示すことができない人がいるでしょう。
しかしこの預言者は必ず現れます。初めの先駆者が「見よ、世の罪を除くための神の子羊」と叫んだように、彼も間違いなく叫ぶでしょう、「見よ、栄光のうちに来られる神の子羊」と。洗礼者ヨハネは選ばれた民に真理を告げるための使者でしたが、彼は、選ばれたみことばの花嫁を真理に立ち帰らせるため最後の使者となることでしょう。
キリストから教会への賛辞
「わたしは、あなたの住んでいるところを知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。」(黙示録 2:13)
『わたしはあなたの行いを知っている」 七つの教会の七人の使者宛に、各時代の神の民に関して語られたことばです。同じことばが二つのぶどうの木(真と偽)に語られましたが、一方は心から喜び、もう片方は恐怖に打たれます。というのは、救いは各自の行いによらず、ただ神の恵みによって与えられますが、真に救われている人は神の喜ぶ働きや行いをもたらすのです。
「子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行う者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。」(1ヨハネ 3:7)
つまり、義を行う人は正しい人、行いと人は等しいのです。
「泉が甘い水と苦い水を同じ穴から湧き上がらせるというようなことがあるでしょうか。」(ヤコブ 3:11)
「絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。」(ローマ 6:2)
「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」(マタイ 12:33-35)
もし人がみことばから生まれるなら、(「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神の言葉によるのです。」1ペテロ 1:23)
その人はみことばの実を結ぶでしょう。人の内側にあるものがその人の生き方に表れ出ますから、その働きは聖書にかなっていることでしょう。
ペルガモ時代へ宛てられた真理の告訴状はなんと厳しいことでしょう。比べることのできないお方が、手には鋭い両刃の剣、神のことばを持って立っておられます。終わりの日にそのことばによってわたしたちは裁かれます。実際のところ、わたしたちは今すでにみことばによって裁かれているのです。神のことばは人の心の思いと意図とを見分け、霊的なものと肉的なものとを真っ二つに切り離し、わたしたちを生きた手紙として誰にでも読めるようにし、神の栄光を知らせるものとされています。
「わたしはあなたの行いを知っている。」 もし神に喜ばれるようなことをしていないと思うなら、みことばに従うようになさい。「よくやった。忠実な良いしもべよ。」と、声をかけられる自信がないのなら、神のことばにかなった生き方をするようにしなさい。そうすれば必ず、このお褒めの言葉をいただくことができます。 真理のことばが当時の基準でした。そして今も同じ基準です。別の基準も別の尺度もありません。世界はひとりのキリスト・イエスによって裁かれます。つまりみことばによって裁かれるのです。どのようにすれば基準に達することができるか知りたいなら、ヤコブが奨めるように、「神のことばの鏡に自分を写してみなさい。」
「わたしはあなたの行いを知っている。」 神のことばキリストは、そこに立っていました。彼が描いた青写真に照らして、彼らの歩みを見つめながら。キリストはとても嬉しく思っていたに違いありません。彼らが、先代の人たちと同じく、不正による迫害に耐えながらも、喜んで主に忠実に従っていたからです。主に従うのが困難な時代でありながら彼らは主に仕え、霊と真理によって主を礼拝していました。しかし偽のぶどうの方はそうはいきませんでした。悲しいことに彼らはみことばを基盤とする生活と縁を切り、真理からどんどん離れていきました。彼らの行いが、どれほど深く彼らが堕ちていったかを証明しました。
あなたはわたしの名をしっかり守った
「あなたをおいて、誰のところに行けましょう。あなただけが永遠のいのちのことばを持っておられます。」その頃のみならず、現在も彼らはイエスにしっかりと踏みとどまっています。その様は不毛の人生を送り宿命に怯える人々とは対照的なものです。 彼らは罪を許された確信を持ち、その証しとして「クリスチャン」という名を掲げていました。彼らは御名を知っており、世界中のどんな名前よりも愛して、御名にひざまずき、口を用いて御名を告白しました。何をするにも、主イエスの御名によっておこないました。彼らは御名を名乗り、悪から遠ざかりました。 そして今や、復活を信じて、御名のために死に臨もうとしていました。
さあ、イエスの御名を受け取りなさい。
悲しみと嘆きの子よ、
喜びと慰めが与えられる。
どこに行くにも御名を掲げよう。
貴い御名のなんとすばらしいことか。
イエスの御名、
それは地上の希望、天上の喜び。
すでに2世紀から「父と子と聖霊」という言葉が「三位一体」という意味で唱えられており、多神教的考えの三神が偽の教会で教義として確立していました。間もなく御名は取り去られ、まさにこの時代において、主イエス・キリストの御名の代わりに唯一の神の三つの称号が唱えられるようになりました。多くの者が御名を捨てて三位一体を奉じ、神の三つの称号を使って洗礼を授けるようになりましたが、神の小さな群は、イエスキリストの御名によって洗礼を授け、真理にとどまっていました。
神を三つに分け、恵み深い御名を称号と取り替え、神を敬わないことはなはだしいこの時代でも、偉大な御名に伴うしるしと不思議がまだ現れていたのか不思議ではありませんか。確かにしるしや不思議はおびただしく現れていましたが、それは偽のぶどうの木にではありません。マルティンのような忠実なしもべたちがよく神に使え、神はしるしや不思議や聖霊の賜物で彼らの働きを後押ししたのです。御名はこれまでそうであったように力がありますし、これから先も、みことばと信仰を守って主を敬う聖徒らをとおして力を発揮し続けることでしょう。
あなたはわたしへの信仰を捨てなかった
「美しの門」に座っていた、生まれつき足の萎えた男に起こった奇跡の説明を求められたペトロは、
「このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」(使徒 3:19)
と、言いました。そうです。イエスの御名とイエスの信仰が奇跡を起こしたのです。ペトロは自分の信仰が奇跡を起こしたとは言いませんでしたし、ましてや自分の名前によってとも言いませんでした。ペトロの説明によれば、イエスから出る信仰によってイエスの御名を使うことで大きな力が働くのです。この信仰こそが、主が黙示録 2:13 で語られたものであり、イエスの信仰なのです。ここでいう信仰とは、イエスを信じることではなく、イエスご自身の信仰が信者たちに与えられたものなのです。
「( 兄弟たちよ、)だれでも、思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」(ローマ 12:3)
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それ(信仰)は、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ 2:8)
「私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエスキリストを信じる信仰(英語では Faith of our Lord つまり信仰の与え主は主)をもっているのですから、人をえこひいきしてはいけません。」(ヤコブ 2:1)
このペルガモの時代に、救いに人間的解釈が取り込まれ、人々は「救いは主のもの」という真理に背を向けたのです。そして神の選びという教えは退けられ、教会の扉は広く開かれて誰でも教義に同意するなら兄弟として迎え入れられました。みことばは置き去りにされました。 しかし、このような急激な退化の時代にあっても、主イエスキリストの信仰を守り、その信仰によって力の証しをする少数の信者がいました。彼らは、教会に属しているから救われていると口にする人々に反対していました。なぜなら、永遠のいのちと神の義を本当に信じるためには、主イエス・キリストご自身の信仰が与えられなければならないことを彼らが知っていたからです。 さて、こんにちの教会は、自分を信者と思い込んでいる人たちで満ちています。彼らは処女懐胎、流された血、教会に通うこと、聖餐にあずかることなどは認めていますが、霊によって生まれ変わる体験をしていません。同じ問題がペルガモの教会にもありました。 当時も今も、人間の信仰だけでは十分ではないのです。御子の信仰が人の心に入ることによって、人は栄光の主を迎える神殿となり得るのです。神殿はもはや建物のことではありません。
これが生きた信仰です。
「わたしは御子の信仰によって生かされています。」これはパウロの言葉です。彼は御子を信じることによって生きているとは言いませんでした。パウロにがいのちを得て勝利するキリスト者として生き続けることができたのは御子の信仰のおかげでした。
彼らは救いが、初めから終わりまで、超自然の出来事であることを否定しませんでした。彼らはイエスのみ名と信仰の真理を守り続け、主から祝福を受けました。そして主のものであると認められました。
わたしの忠実な殉教者アンティパス
アンティパスに関しては、聖書にも通俗の歴史にも何も記録が残っていません。しかしその必要はないでしょう。彼が生まれるより前に主に知られていたこと、彼の主への忠実さが生きたことばの中に記憶されていること、それだけでじゅうぶんなのです。 彼はキリスト者で、イエスの御名を守っていました。主イエスキリストの信仰を持ち、その信仰によって生きた人たちのひとりでした。ヤコブが言った「主イエス・キリストの信仰が与えられているのですから、人をえこひいきしてはいけません。」という言葉に、応じていました。ステパノのように聖霊と信仰に満ちていたので、人を分け隔てしたり、恐れたりしませんでした。 ですから、イエスの御名を信じイエス・キリストの信仰によって生活する者に死の宣告が下されたとき、彼は挫折しない人たちと共にいました。彼は死にましたが、アベルのように名前が聖書に記されましたし、死んだ後も語り続ける彼の声は神の記録に残されています。忠実な殉教者が永眠についたのです。 しかし、平和の君を殺したときと同様、サタンに勝利はありませんでした。彼は十字架によって地位を奪われ、今度はアンティパスの血が、自分の十字架を背負ってキリストに従う何百人もの兄弟たちに叫んでいます。
サタンの王座があるところ
サタンの王座がなぜ賛辞なのか、それは、サタンの居座るまさにその場所で、サタンに打ち勝った十字架の戦士たちの勇敢さに賛辞が送られるべきだからです。 彼らは御名とイエスの信仰によって、闇の指導者たちのふところで、戦いに勝ちぬきました。ダビデの喉を潤すために敵の陣地に侵入して水を汲んできた勇士たちのように、この信仰の偉人たちもサタンの地上の要塞を侵して、死の陰に覆われている人々に伝道し熱心に教えながら救いの水を運びました。まさに幾多の賞賛に値します。
サタンの王座とサタンの領域に関する言葉が、神からの、選ばれた者たちへの賛辞になるのは、教会において絶対的権力を増しつつある悪に対して、彼らが公然と非難する舞台を敷いたからです。
181-3「ペルガモ:サタンの王座と居城」 この言葉は歴史的事実というより単なる絵画的表現にきこえます。しかし、このことは事実であり、歴史が証明しています。ペルガモには実際にサタンの王座があり、居城があったのです。
ペルガモは、もともとはサタンの住むところではありませんでした。バビロンこそが文字通りにも比喩的にも昔からずっとサタンの本営でした。サタン礼拝の起源はバビロンの都市です。
「クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、『主のおかげで、力あるニムロデのようだ』と言われるようになった。彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。」(創世記 10;8-10)
「さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。
その頃、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。
彼らは互いに言った。『さあ、れんがを作ってよく焼こう。』彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。
そのうちに彼らは言うようになった。『さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。』
そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。
主は仰せになった。『彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことを、とどめられることはない。
さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。』
こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばを混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。」(創世記 11:1-9)
バベルはバビロンの本来の名です。その意味は混乱です。この町はハムの子クシュによって始まりましたが、それを屈強で壮麗な王国に仕上げたのは息子のニムロデです。彼は勇敢な狩人でした。創世記 11 章の記述、また異教の歴史によれば、ニムロデは三つのことを達成しました。彼は強力な国を造りたかったので、そうしました。自分独自の宗教を普及させたかったので、そうしました。自分の名を上げたかったので、そうしました。彼が成し遂げたことは、途方もなく大きなことだったので、バビロン王国は世界中の王国の中で金の頭と呼ばれました。そして彼が作り出した宗教は卓越していました。聖書はイザヤ14章と黙示録 17-18 章で、この宗教の正体をサタンのものと指摘しています。そして歴史から、この宗教が世界中を駆け巡って、あらゆる偶像礼拝の素となり、神話のテーマとなったことがわかります。言語の違いから神々の名前は国によって異なりますが、素はこの宗教から出ています。 ニムロデは自分の名を有名にし、彼の弟子たちは言うまでもなく、現在に至ってまでも彼は崇拝され栄誉を受けています。(イエスがご自分を兄弟に明らかにされる時までは、彼への崇拝は続くでしょう。)それもニムロドとは別の名前で崇拝され、最初に彼が崇拝された場所とは違う神殿で崇められています。
聖書から他国の歴史を詳しく知ることはできないので、どうしてペルガモがバビロンのサタン信仰の座となったのか、異教の古文書から調べなくてはなりません。主な資料はエジプトと古代ギリシャの記録です。エジプトが科学と数学をカルデア人から習得し、ギリシャはエジプトからその学問を学んだからです。
科学を教えたのは祭司でしたから、その科学には宗教的なものが含まれていました。 バビロンの宗教が、その二大国に入り込んでいった様子が少し見えてきたでしょう。ある国が別の国に戦争で勝つと、征服者の宗教が次第に被征服者の宗教にもなっていくものです。ギリシャの星座の知識は、バビロンのものと全く同じですし、エジプトがギリシャに多神教の知識をもたらしたと記された古代エジプトの記録が発見されています。 このようにしてバビロンの秘義は国から国へと伝わっていき、やがてローマ、中国、インド、そして南北アメリカ大陸においてまでも、基本的に同じ秘密の儀式が行なわるようになりました。
地上の最初の人々が信じていたのはバビロンの宗教ではないことを、聖書も他の古代史も指摘しています。バビロンの宗教は起源の信仰から最初に逸脱して出来上がったものであって、それ自体は起源ではありません。 ウィルキンソンやマレットら歴史家が、古代の文書から最終的に達した結論は、太古には地上すべての人々が、唯一の神を信じていたということです。その神は至高で永遠で不可視で、その口から発することばによってすべてのものが存在して、その性質は愛と善と義でした。 しかしサタンは可能な限りすべてを堕落させようと試みます。人の心も思考も堕落させて真理から離れるようにさせます。サタンは神の使いとか被造物としてではなく、神として自分が崇拝されるようになるために、人々の礼拝を神から引き離し、その対象を自分に向け、自分が高く崇められるよう試みてきました。確かにサタンは世界中に彼の宗教を広めることによって、その欲望を満たすことができました。 そのことを神も認めており、ローマ書に記されています。「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、その思いは虚しくなり、その無知な心は暗くなり、堕落した宗教を信じるようになり、果ては造り主の代わりに造られた物を拝むようになりました。」
サタンは神の被造物(朝の子)であることを留意してください。ですから、かつては絶対的真理が人類に普及しており、みなその真理を大切にしていたのが、のちのある日ひとつの巨大なグループが神に背を向け、邪悪な儀式を世界中に広めたと結論できます。セム族は不変の真理を守っていたたため、悪魔の嘘を信じて真理に背を向けたハム族の激しい攻撃のまととなったことを歴史が伝えています。 これに関して議論する時間はありませんが、世界には二つの宗教しかなかったこと、二つのうち邪悪な宗教の方が世界中に広まったことを簡単に説明しました。
一神教はバビロンで多神教に変化しました。悪魔の嘘と秘義が、この町で神の真理と神秘に敵対した結果、サタンは事実上この世の神となり、騙された人々は彼を真の主であると信じ込んで礼拝するようになりました。
サタンが広めた多神教は、三位一体の教えから始まりました。「三つの神格をもつ一人の神」という観念は、太古の昔からが存在していたのです。現代の神学者がなぜこのことを問題視しないのか不思議でなりません。結局彼らも先祖と同様、サタンによって真実が覆われていて、神は三つの神格から成っていると信じ込んでいるからでしょう。 いったい聖書のどこに三位一体を裏付けることが書かれているか教えてほしいものです。ハムの子孫たちがサタン礼拝に陥って、三体神の基本概念に巻き込まれていったのと対照的に、セムの子孫がそのような教えに騙されたり、そのような儀式に関わったりした形跡がまったくないのは不思議ではありませんか。 もし神に三つの神格があるなら、ヘブライ人が「聞け。イスラエルよ、あなたの神、主は唯一の神」を信じていることが不思議ではないでしょうか。セムの子孫であるアブラハムは、ひとりの神(主)と二人の御使いを見ました。(創世記 18)
では、三位一体はどのようにして表されていたでしょうか。それは正三角形として表現されていましたし、こんにちのローマでもそのように表現しています。 不思議なことにヘブライ人にはそのような概念がありません。では誰が正しいのでしょう、ヘブライ人ですか、バビロン人ですか? アジアにおいては、三神が一つであるという多神教の考えは、三つの頭と一つの体をもつ神としてイメージされています。三つの知的頭脳をもつ神です。インドでは、ひとりの神に三つの形があると心の中で表現していました。それは現代の神学になっています。日本では、三つの頭を持つ仏陀がいるそうです。
しかし最も一般的な三位一体神の概念は、1. 老人の頭が父なる神を表す。2. 一つの円が種の謎を意味し、そこから発展して御子を意味する。3. 羽と尾を持つ鳥(はと)。これが父と子と聖霊の教義、三つの神格からなる神、本当の三位一体ということでした。同じことをローマで見ることができます。 さて、悪魔と悪魔の崇拝者の方が、信仰の父アブラハムとその子孫よりもよく真理を理解しているというのは不思議ではないでしょうか。サタン崇拝者の方が、神の子よりも神を知っているというのは不思議ではないでしょうか。しかし、これが現代の神学者が三位一体について語るときに使う手法です。今からずっと、このひとつのことを覚えていてください。 これらの記録は事実であり、事実とは、サタンが嘘つきであり、嘘の生みの親であり、彼が光を装って現れても、それが嘘でしかないことです。サタンは殺人者です。サタンによる三位一体の教義がこれまで何百万もの人を殺してきたし、これからも殺していくことでしょう、イエスが再臨されるまでは。
歴史をふり返ると、父と子と聖霊の概念が変わって現在の形になるまでにそう時間がかからなかったようです。サタンは慎重に、少しずつ信者を真理から引き離していきました。そして現在はこのような形に発展しました。1. 永遠の父。2. 神の化身である人間の母。(考えさせられませんか?)3. 神の子、託身の結実。(女の子孫)
しかし悪魔はまだ満足しません。まだ間接的にしか、自分が崇拝されていないからです。そこで彼はまた少し、人々を真理から引き離します。秘義を通して人々に、偉大な不可視の父なる神は人間に関心を示してはおらず、人間のすることに沈黙していると囁きます。そうすることによって、沈黙のうちに悪魔も崇拝の恩恵にあずかることができるようになるからです。実際それは、悪魔の存在に目をつむることを意味します。この教えも世界中に広まり、今インドでは、偉大な創造主なる神、沈黙の神に捧げられた寺院はほとんどありません。
創造主である父をあがめる必要がないのなら、崇拝の対象は当然ながら「母と子」に向かいました。エジプトでの母と子はイシスとオシリスでした。インドでは、イシとイスワラ(なんと似通った名前でしょう)。アジアではシベレとデオイウス。ローマとギリシャはエジプトの神話を継承し、中国も同様。 ローマ・カトリックの宣教師が中国に入って、聖母子像を発見したとき、どんなにびっくりしたことでしょう。赤子の像の頭からは光線が発していました。顔の形の違いさえなければ、その像とバチカンの像を取り替えても構わなかったことでしょう。
それでは、母子像の起源をたどることにしましょう。起源であるバビロンの神の母はセミラミスで、東方ではレアと呼ばれていました。彼女の腕に抱かれた子は、赤子であるのに背が高く力持ちでハンサムで、特に女性の心を魅いたと記されています。彼はタンムズと呼ばれていたと、エゼキエル 8:14 は記しており、古典文学にはバッカスという名で登場します。バビロンでは彼はニヌスでした。 なぜ、彼は母に抱かれた赤子であるのに、偉大な勇士として記されていのでしょう。その理由は、彼が「夫、兼息子」として知られていたからです。彼の称号の一つは、「母の夫」でした。インドでこの二人は、イスワラとイシとして知られ、イシ(夫)は赤子として自分の妻の胸に抱かれています。
このニヌスが聖書のニムロデと同一人物であることは、歴史と創世記の記述を比較することでわかります。ポンペイウスは、「アッシリアの王、ニヌスは、自らの征服欲で、古代の平穏な生活を変えてしまった。彼は近隣に戦いを仕掛けた最初の人であった。彼はアッシリアからリビアまですべての国を征服した。これらの国は戦い方を知らなかったからである。」と記し、ディオドルスは、「ニヌスは歴史上最も古いアッシリアの王であった。好戦的な気質で、多くの若者に厳しい訓練をさせて戦いの仕方を教えた。バビロンという都市ができる前から、彼はバビロン地域を支配していた。」と記しています。ニヌスがバビロンで強大になり、バベルの塔を建て、アッシリアを占領し、その王に君臨し、それから広大な領地をむさぼっていったことがわかります。ポンペイウスが言うように、彼は、平穏な生活を送り、戦い方を知らない人々を次々と倒していったのです。
創世記 10 章でニムロドの王国について記しています。「彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデ、カルネであって、シンアルの地にあった。その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ、イル、ケラフ、・・・・」ここでアシュルという言葉を名詞に訳していますが、本当は動詞で、カルデア語で「強くする」という意味です。ですから、強くなったニムロデが、(過酷な狩猟や訓練を通して鍛え上げた世界初の軍隊を持つ王国を、彼は築いた。)強力な軍隊を率いてシンアルの地を越え、国々を征服して町を築いていったのです。その町の一つにニネベがあります。彼の名にちなんで名付けられた都市です。この町の廃墟は、今でもニムラウドと呼ばれています。
ニヌスが判明したので、今度は彼の父が誰であったかを調べましょう。歴史によれば、それはバビロンの創始者ベルです。(ベルが町の基礎を築き、この活動すべてのきっかけを作ったと言えるでしょう。しかしその息子ニヌスが町を完成し、最初の王になりました。) ところが聖書によるとニムロデの父はクシュです。「クシュはニムロデを生んだ。」(創世記 10:8) それだけでなく、クシュを生んだのはハムです。エジプトの世界では、ベルはヘルメスと呼ばれました。意味は「ハムの子」です。歴史によれば、ヘルメスは偶像礼拝の大預言者で、異神たちの通訳をしました。彼はマーキュリーとも呼ばれていました。
(使徒言行録 14:11-12 参照)
ベルとも、ヘルメスとも、マーキュリーとも呼ばれる異神について、ハイジヌスは、「長い年月人々は神(ローマ以前のことなので、ここでいう神は、ジュピターではなく、ヘブライのイェホヴァ神)の支配のもとに暮らしていて、都市もなく、法もなく、一つの言語を話していた。しかしマーキュリー(ベル、クシュ)が、人間の様々な言語を解釈したので、(それ故、英語で解釈のことをヘルメニューテスといいます)それからは同じひとつの個体が分裂して国々ができ、争いが起こり始めた。」と言っています。 このことから、ニムロデの父、ベルまたはクシュがしたことを知ることができます。彼は人々を真の神から引き離し、解釈をして人々に異なる神々を吹き込み、別の形式の宗教へと追いやった首謀者なのです。彼は塔を建てるようそそのかし、実際に塔を建てたのは息子でした。彼が塔を建てるように仕向けた結果、人々の間に混乱が起こったことから、彼は「解釈者であり錯乱者」であったと言えます。
クシュは多神宗教の生みの親ですから、人々が人間を神格化し始めた時、当然のごとく彼は神々の父となりました。そしてクシュはベルと呼ばれるようになりました。ローマ神話ではベルはヤヌスと呼ばれていました。ヤヌスには二つの顔があり、棒を使って人々を動揺させ、散り散りにしました。ヤヌスは自分のことを「古代人は私をカオスと呼ぶ。」と言ったと、オヴィッドは記しています。 ですから、聖書ではクシュと呼び、古代の人々からはベル、ベラス、ヘルメス、ヤヌス等と呼ばれたのが、唯一神に反旗を翻した元祖でした。彼は神々から啓示を受け、それを人々に解釈して伝えていたと言われています。このことによって、神の怒りを買い、人々は散り散りになり、分裂と混乱が起こったのです。
さて、ここまで多神教あるいは神々への信仰がどこから起こったか、見てきました。クシュという名に「神々の父」という称号がつけられたことに、何か気づきませんか。神々を人間と同一視する古代神話の古くからのテーマをここに見ることができます。 これが先祖崇拝の始まりでした。では歴史から先祖崇拝について少し調べてみましょう。クシュが父と子と聖霊の三神礼拝をもたらしたことが明らかにされています。この三神はどれも平等でした。しかし彼は、女の子孫がやがて現れることを知っていましたので、女とその子孫を(礼拝の対象に)登場させなければなりませんでした。 そのきっかけはニムロドが死んだときにやってきました。ニムロドの妻、セミラミスが彼を神格化したのです。そして彼女は息子の母となり、神々の母となりました。(ローマの教会がマリアを神格化したのと同じです。無原罪のマリア、神の母マリアが登場しました)。セミラミスはニムロドを「ゾロアスタ」と呼びました。その意味は、「女の約束の子孫」です。
しかし、子の存在より母である女の方に注目が向くのにそう時間はかかりませんでしが。やがて女が蛇を足の下に踏んでいる様子が描かれるようになりました。人々は女を「天の女王」と呼び、神聖なものとしました。なんと現在と似通っていることでしょう。イエスの母マリアは不滅の存在に格上げされています。それだけでなく、1964 年9月現在、ヴァチカンは不当に高い位をマリアに与えようと試みています。彼らはマリアを「仲介者マリア」
「すべての信者の母マリア」「教会の母」と呼ぼうとしているのです。 もしバビロンの先祖崇拝が宗教として存在するなら、それはローマ教会の宗教です。
バビロンで始まったのは、先祖崇拝だけでなく、自然崇拝もありました。太陽や月などが神として崇められたのはバビロンが最初でした。自然の中でも最たるものが、光と熱を発する天における火の玉のような存在の太陽でした。ですから神々の中で最たる存在が太陽神でバアルと呼ばれました。太陽は炎の円として描かれることが多く、まもなくその炎のまわりに蛇が現れました。そして瞬く間に蛇が太陽の象徴となって、崇拝の対象となっていきました。 サタンの欲望はじゅうぶんに叶い、神として崇められるようになりました。彼の玉座も造られ、奴隷たちがひざまづきました。彼はペルガモにおいて、生きた蛇のかたちで、崇拝されました。善悪を知る木は、今や生きた蛇のかたちをとって、イヴだけでなく人類の大多数を惑わしているのです。
バビロンからサタンの玉座がどのようにしてペルガモに移ったか、歴史から調べてみましょう。バビロンがメディアとペルシャに敗れたとき、バビロンの祭司王アタラスは、祭司らと秘密の儀式を携えてペルガモに逃げ、ローマ帝国の圏外にあるその地で、悪魔の助けを借りながら彼は王国を成長させました。
以上、ごく簡単にバビロン宗教の歴史とペルガモ時代の到来までを話しました。もちろん多くの疑問が、解答されないまま残っているでしょうが、この書の目的は歴史の勉強ではなく、みことばを究める助けをすることなので、先に進みます。
非難のことば
「しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神に捧げた物を食べさせ、また不品行を行わせた。
それと同じように、あなたのところにも、わたしが憎むニコライ派の教えを奉じている人々がいる。」(黙示録 2:14-15)
ペルガモ時代に主は、ふたつの憎むべき教えを挙げて非難しています。ひとつはバラムの教えです。バアル・ペオルにおいてイスラエルの人々を偶像礼拝に導き、不品行を行わせました。もうひとつはニコライ派の教義です。エフェソ時代には、まだ行為の段階でした。 この非難のことばと、主が強調するペルガモがサタンの玉座である事実とを統合して考えると、この時代にバビロンの宗教とキリスト教が混ざり合ってしまったと結論できます。
さて、これは単なる推測ではなく歴史的事実なのですが、証明するために紀元約 36 年からニケア会議の325 年までの歴史をふりかえってみましょう。 クリスチャン(主に生まれつきのユダヤ人)たちがエルサレムから世界中に散らされたとき、彼らはどこにいっても福音を、主にシナゴグで宣べ伝えました。それで 3 年以内には(紀元約 36 年)ユニアスとアンドロニコによって、福音はローマまで届きました。ローマ書 16:7 によると、彼らは使徒たちによく知られていて、パウロより先にクリスチャンになっていました。福音宣教はローマにおいて成功をおさめていましたが、度重なるユダヤ人同士の論争を理由に、ある時クラウディアス帝はユダヤ人をローマから追放しました。 ユダヤ人がいなくなったローマでは、多分長老たちもユダヤ人で追放の憂き目にあったのでしょう、小さな教会の気骨は折られてしまいました。その当時はまだ新約聖書もありませんでしたから、指導者を無くした小さな群れは、簡単に真理から離れていったか、あるいは哲学や異教の教えに流されていったことでしょう。嘆かわしい狼がうろつき、反キリストの霊が解き放たれ、そして歴史が示すように、ローマにおける小さな教会は、絶望的に退廃していき、ついにはクリスチャンと名乗りながら、異教の儀式を取り入れ始めました。
ユダヤ人追放の期間は 13 年に及びました。教会創始者のユニアスとアンドロニコが 54 年頃ローマに戻ってきたとき、嘆かわしいほど異教に成り果てた教会の姿をみて狼狽したことでしょう。そこには祭壇が置かれ、その上で香が炊かれ、異教の儀式が執り行われていました。 教会創始者たちは祭壇に近づくことができなかったので、真理にとどまる少数の信者と一緒に新しい教会を始めました。ローマの第二教会とも言えます。神は彼らのはたらきをしるしと不思議をとおして祝福されましたので、さらにひとつ教会が増えました。 第一教会は、キリストではなく異教の礼拝をしていることで非難を受けましたが、教会の呼び名を変えることを拒みました。そしていまだに、ローマの第一教会として存続しています。ローマカトリック教会です。
当時クリスチャンは皆、悪魔の標的となり、その挙句、暴君政府の矢面に立たされたと思っている人が多いでしょうが、事実はそうではありませんでした。 ローマ第一教会は人数が増えて大きくなっていったので、皇帝や政治家の政治的関心を引き寄せるようになりました。
そこで第一教会の指導者たちは、政府のひいきに預かっていることを利用して、真の信者が自分たちの一門に加わらない限り迫害するよう、政府にけしかけました。そのようなことをした一人に、アニケトゥスがいました。彼は2世紀ローマ第一教会の司教で、ポリュカルポスとは同期でした。
ローマの第一教会で異教の儀式が行われていることと、福音の真理から堕落している状況を聞いた尊者ポリュカルポスは、そのような行為を悔い改めるよう嘆願するためアニケトゥスに会いに行きました。ポリュカルポスが第一教会で見たのは、使徒像や聖人像の前に身をかがめている人たち、祭壇に蠟燭を灯し、香を焚いている光景でした。また、過越の祭りをイースターという名に変えて、太陽神を崇めるために円形のパンを高く掲げ、神々への捧げものとしてぶどう酒を注いで祝っているのを目撃しました。高齢の身ながら、2,400 キロも旅をして来たのに、徒労に終わったのです。彼らが堕ちていくのを止めることはできませんでした。彼が帰っていくとき、神が語られました、
「エフライムは偶像に、くみしている。そのなすにまかせよ。」(ホセア 4:15)
ポリュカルポスはそれからもう戻りませんでした。
アニケトゥスのあとを継いだローマの司教はヴィクトルといい、邪心を抱いていました。彼は第一教会に、さらに異教の祭りと儀式を取り込み、それを真のキリスト教会にも強要して回りました。真のキリスト教会が彼の望み通りに異教の習慣を取り入れなかったことに憤慨して、彼は今度は政府役人を説得して、信者たちを迫害させました。信者たちは法廷に出頭させられ、牢屋に入れられ、多くには死が宣告されました。ウィクトルの邪悪な業績は歴史に残されています。その一例は、セプティミウス・セウェルス皇帝がカリスタス(ウィクトルの友人)に説得されてテサロニケで 7,000 人の信者を殺害したことです。 殺害理由は、第一教会の方針に従ってアシュタルテをおがまず、主イエスに従って過越の祭りを祝ったからでした。
偽のぶどうの木は、生ける神に対する怒りを、選ばれた者たちを殺すことで発散していました。彼らの祖先、カインがアベルを殺したのと同じです。
真の教会は、第一教会に対して悔い改めを勧め続けましたが、無駄でした。第一教会はますます大きくなり、その影響力は増加していきました。そして彼らは、真の子孫を中傷する運動を展開し始めたのです。彼ら第一教会だけが主イエスキリストの真の代表者であると主張し、自分たちがローマ教会の起源であること、唯一の第一教会であることを自慢しました。 確かに彼らは第一教会でしたし、今でもそうです。
こうしてこの時代に、相克するふたつの教会が同じ名前で存在するようになりました。片方は真理から離れて偶像と結婚し、いのちを失いました。みずから進んで雑種となったので、死のしるし(いのちではない)があとに続きました。この教会は多くの教会員を得て力が増し、世界から好意的に迎えられました。 もう片方は、迫害を受けた小さな群れです。みことばに従ったので、病気の癒し、死者の生き返りなど、しるしがあとに続きました。こちらの教会は神のいのちとことばを受けて生き生きしていました。しかし自分のいのちに固執せず、死を超えて(殉教)主の御名と主の信仰を守りました。
ローマ帝国の残虐な公的迫害は、コンスタンティヌス皇帝が宗教の自由を認めるまで続きました。宗教の自由が発令された背景には、二つの理由があったようです。 まず、歴代皇帝の中には迫害を許さない皇帝が何人もいました。しかし、彼らの後を継いだ皇帝たちはクリスチャンを殺害しましたから、クリスチャンに手を下さないという公的配慮が浸透したと考えるのは軽率でした。 もうひとつの理由は、帝国の運命を決める厳しい戦争がコンスタンティヌス帝に迫っていた頃のある夜、白い十字架が目前に立っているのを彼が夢に見たことです。彼はその夢を、もしクリスチャンが彼のために祈るならば、戦争に勝てると解釈しました。コンスタンティヌス帝は、クリスチャンに、戦争に勝った暁には宗教の自由を約束するといいました。戦争で勝利を治めたので、彼は勅令を出して(312 年)、クリスチャンが自由に礼拝できるようになりました。
しかし迫害と死から解放されたとはいえ、始めに思ったほどには寛大な措置でないことがわかってきました。コンスタンティヌス帝は今や後援者です。後援者である彼は、教会に興味を持ち、教会内の様々な問題に干渉し始めました。その一例に、アレクサンドルの司教アリウスに関わる問題がありました。アリウスは支持者らに、イエスは神に造られたので神と対等ではないという説を教えていました。一方、西方教会は反対の見解を持っていて、イエスは神の性質を持っていて父と対等であると信じていました。 このようにイエスの神性に関する対立や、異教の儀式の混入などの問題が起こっていたことから、皇帝は 325 年にニケアで宗教会議を開くことにし、すべてのグループを召集して互いの考えの違いについて忌憚なく話し合いをさせました。皇帝はニケア会議で意見の集約をして共通の理解を引き出し、教会をひとつにしようと試みたのです。 コンスタンティヌス帝をとおして始まったこの運動が、「世界宗教会議」という名で今日も生き続けているのは奇妙ではないでしょうか。当時コンスタンティヌス帝が、真の意味で達成できなかった試みが、こんにちエキュメニカル運動(教会一致運動)をとおして達成されようとしています。
国家が教会に干渉するのは愚かな行為です。この世はみことばに基づく真理を理解しませんし、教会のあり方もわかっていないからです。会議では、アリウス説の誤謬が決定されましたが、その 2 年後に皇帝が決定を覆したので、何年もの間、人々は間違った教えを信じさせられていました。
ところで教会と国家の結合は、主によって前もって知られていました。ペルガモという名前は、「密接に融合する(結婚する)」という意味です。そのとおり、国家と教会は結婚しました。政治と宗教が結合したのです。この結合から生まれてきた子たちは、類い稀なほど手に負えない雑種ばかりでした。彼らのうちに真理はありません。その代わりにカインの(雑種の元祖)あらゆる悪を持ち合わせています。
この時代に、国家と教会が結びついただけでなく、バビロン宗教が正式に第一教会とつながりました。これによりサタンはキリストの御名の利用権を手に入れ、神として崇められる地位を手に入れました。連邦の援助を受けて、教会は美しい建物を手に入れることができました。そこには白い大理石の祭壇があり、天国に行った聖人たちの像が並んでいました。
まさにこの時代、黙示録 13:3 で記された、傷を負って死んだ(異教ローマ帝国)と思われた「獣」が息を吹き返し「神聖ローマ帝国」となったのです。物質国家としてのローマは枯渇していき、間も無く完全に消滅するに至りましたが、ここではそれは問題になりません。なぜなら、今度は宗教帝国としてローマは世界の頂点に立っているからです。外部からはその様子をうかがい知ることができませんが、内部で世界を牛耳っているのです。
このことを自分勝手に解釈したと思われないために、的確に聖書真理を示している箇所があるので、ここに記します。
「王さま、あなたは寝床で、この後、何が起こるのかと思い巡らされましたが、秘密をあらわされる方が、のちに起こることをあなたにお示しになったのです。この秘密が私にあらわされたのは、ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き証しが王に知らされることによって、あなたの心の思いをあなたがお知りになるためです。
王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。その像は、頭が純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。
あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。
これがその夢でした。私たちはその解き明かしを王さまの前に申し上げましょう。
王の王である王さま。天の神はあなたに国と権威と力と光栄とを賜い、また人の子ら、野の獣、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとく治めるようにあなたの手に与えられました。
あなたはあの金の頭です。あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります。
次に青銅の第三の国が起こって、全土を治めるようになります。
第四の国は鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを打ち砕いて粉々にするからです。その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。
あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているです。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、この国は一部が強く、一部はもろいでしょう。
鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。
この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の国に渡されず、帰ってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」(ダニエル 2:31-45)
ダニエルの時代から、イエスがダビデの子として来て統治するに至るまでに、地上に必ず起こる未来の出来事の的確な報告、未成就の歴史が預言され、それが解き明かされました。「異邦人の時代」と呼ばれるものです。四つに歴史的区分され、それぞれの帝国支配は、バビロン、メディア・ペルシャ、ギリシャ、ローマです。最も巨大で専制支配をしたのがバビロンで金の頭として象徴されました。次に栄光に輝くのがメディア・ペルシャでしたが、歴史が示すようにバビロンほどの輝きはなく、従って銀の胸と腕に象徴されました。続くギリシャ時代の王は世界の軍事指導者たちの中で最も賢く、従って青銅の腹とももに象徴されたのは適切でした。先代の二つの帝国ほどの栄華がなかったからです。最後に起こるのがローマ帝国で、すねと足に象徴されています。これまでの王国が単体の鉱物に象徴されていたのに対し(金、銀、青銅)、最後の帝国は、すねは鉄のみですが、足は鉄と粘土の混じったものでした。鉱物と土とでは異質同士ですから、不安定で強度的に問題がある状態でした。しかし驚くことに、このように奇妙な「混合状態」にある最後の帝国(ローマ)が、イエスの再臨まで存続することになるのです。
鉄のローマ帝国(鉄は力と、敵に対する強大な破壊力を象徴する)は二つの部分に別れることになっていました。そして文字通りその国は東と西に別れました。そしてどちらも強大な力を誇り、行く手を阻むものを押しつぶしていく国でした。
すべての帝国の栄華と権力は衰退していくものですが、この帝国も例外ではありませんでした。かくしてローマは滅びました。異教徒のローマ帝国はもはや鉄ではなくなり、砕け落ちました。ローマは致命傷を負い、もはや支配者ではありませんでした。ローマは終わったと、世界中がそう思ったのです。しかし違っていたのです。確かに頭(ローマ)は傷を負いましたが、死にはしなかったのです。(ウエスト訳の黙示録 13:3「首に一撃をくらい、彼の頭の一つが致命傷を負ったようにみえた。その後致命的一撃の傷が治った。すると世界中が驚愕して野生の獣に従った。」)
普通、ローマというと、イタリアという国を思い浮かべます。しかしローマの中では、はっきりと境界線が敷かれていて、教皇が支配する地域が存在します。そこは文字どおり国の中の国で、大使もいれば、各国の大使も受け入れています。偽りのキリスト教ローマ法王庁(神への冒涜甚だしいことに、永遠の都と呼ばれています)。かつて鉄の力だけで治めていた異教徒のローマ帝国時代よりさらに力を増して、宗教によって世界を支配しています。コンスタンティヌス帝が、権力によって教会と国家を結びつけ、統合を後押ししたとき、ローマは新しいいのちを引き受けました。異教徒のローマを奮い立たせた同じ霊が、今、偽のキリスト教ローマを鼓舞しています。それは第四の帝国が消滅していない(ただ外面的に変わっただけで)ことからおわかりいただけると思います。
ニケア会議において、ローマの政治力が教会に影響を及ぼして以来、第一教会の勢いは止まらなくなったようです。クリスチャンという呼び名が最初は迫害をもたらしましたが、今や迫害者の呼び名に変わりました。 まさにこの時代、ヒッポの司教アウグスティヌス(354-430) が登場しました。教会は、必要なら強制的にでも、子どもたちを囲いの中に戻さなければいけないと彼は教え、また、異教徒や背教者を殺すことは神のことばと一致すると教えました。彼はドナトゥス派(カトリックから異端とされた派)と論争し、以下の書簡を残しました。 「教えを受けて神を拝むようになる方が、刑罰や痛みの恐れから神を拝むようになりより良い。しかし、前者の方が良い人間を作り出すからといって、屈しない者を放っておくことはできない。最初に恐怖や痛みによって服従させる方が、有利な点が多くある(このことを実証できるし、毎日実行して確信している)。服従させた後で、教えれば、感化できるかもしれないし、すでに教えられたことに最後まで従うかもしれないし、口先だけで・・・・愛によって正しく指導された者の方が良いには違いないが、畏れによって矯正された者の方が圧倒的に数が多い。
ペトロや他の使徒たちは、主のことばだけで召命されたが、パウロの場面は、主の声かけだけでなく力づくで地面に押し倒されたのではなかったか。主は召し出すために強制手段も用いられるであろう。異教の闇の中で激怒している者が心の光を求めるようになるために、主はまず彼を打って目が見えなくさせた。それならば強制的にでも、失われた子たちを教会に戻すことが何で悪いことがあろう。主ご自身が、「大通りにも脇道にも行って、彼らを連れて来なさい」と言われたではないか。もし教会が、神の約束によって受けた力を用いて、大通りや脇道で見つけ出した人々を(異教徒や異端信仰者)強制的に教会に来させるなら、強制されたと彼らに非難をさせないようにしよう。」
流血への飢え渇きがたちまち広まっていきました。スペインの偽のぶどうは、マクシミアヌス帝を味方につけて、みことばを守り、しるしと不思議が伴う活動をしていた真の信者に攻撃を仕掛けました。 プリスキリア派の人たちはイタカス司教(385)によってトレヴェス (Treves) に連れて行かれました。彼は彼らを魔術と不道徳を行う者と断定して責め、多くのものが処刑されました。これに対してツールのマルティンやミラノのアンブローズ (Ambrose) が迫害をやめるように嘆願しましたが、徒労に終わりました。迫害が長引くに連れ、この二人の司教はヒダトゥス (Hydatus) 司教やその仲間との交際を一切断ちました。 おかしなことに、トレヴェスの教会会議は殺人を承認しました。
この時からずっと、特に暗黒時代をとおして、肉の子が霊の子を迫害して殺害するのを見ることになるのです。どちらの子も、イシュマエルとイサクのように、神が父だと主張しました。 霊的堕落の暗闇が深くなっていき、神の真の光が薄らいでいって、ほんのかすかに輝く程度になってしまいました。しかし神の約束は真理を秘めています、「光は闇の中で輝いている。闇はどうすることもできない。」
さて、ここに至ってやっと、ニムロドの宗教とキリスト教の混合を歴史的に説明できるところまで来ました。アッタロスがバビロンから逃げてペルガモに行き、ローマ帝国の影響が及ばない領域で王国を築いたことは先に触れました。この世の神に育まれてアッタロス朝は繁栄を極めましましたが、アッタロス3世の治世に、神のみが知る理由で、王国をローマに遺贈しました。これを受け継いだユリウス・カエサルは、霊的な王国をも受け継ぐこととなり、バビロン宗教の最高神祇官となりました。つまり祭司兼王です。代々皇帝がこの官職を受け継ぎましたが、マクシマス3世(Maximus III)は辞退しました。スティーブンスの歴史書によれば、ローマ皇帝が辞退したこの官職を、教皇が引き継ぎました。今日の世界でもまだ継続しています。教皇こそはまさに最高神祇官なのです。彼は三重冠をかぶり、ローマに座しています。
黙示録 17 章によれば、神はもはやペルガモを、サタンの王座のあるところ、サタンの住むところとは言っていません。今、王座があるのはペルガモではなく、神秘のバビロンです。バビロンではなく神秘のバビロンです。七つの丘の上に建っている町です。頂点に立つ者は反キリストです。なぜなら、彼は唯一の仲介者、唯一罪を許すことのできる方であるキリストの地位を、権利もないのに用いているからです。そうです、最高神祇官は今もいます。
ニコライ派の教義
「それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。わたしはニコライ派を憎んでいる。」(黙示録 2:15)
エフェゾ時代のところでお伝えしましたが、ニコライという言葉は、二つのギリシャ語の単語からできています。「ニカオ」は、征服を意味し、「ラオ」は普通の人、平民を意味します。だからニコライは、「平信徒を支配する」という意味です。 それがなぜそんなに恐ろしいことなのでしょうか? とても恐ろしいのです。なぜなら、神がご自分の教会を、選出された政治的指導者の手に委ねることは決してありえないからです。神がご自分の教会を委ねておられるのは、神に呼ばれ、聖霊で満たされ、みことばによって生きている人たちです。彼らを通して、人々がみことばの糧を得て養われるというのが神のみ旨なのです。神は、聖別された祭司職が大衆を導くようにするため、階級で人を分けることをされません。もちろん指導者は聖別されていなければなりませんが、会衆全体も聖別されなければなりません。さらに言うなら、聖書のどこにも、司祭や聖職者らが神と人との間の仲介人になることは書かれていませんし、彼らと会衆を、主の礼拝において区別すると記された箇所もありません。神はすべての人に愛され、すべての人が一緒に神に仕えることを願っておられます。 ニコライ主義は神のこの指針を破り、代わりに聖職者を会衆と区別し、奉仕するためではなく、君臨するために指導者をたてたのです。
エフェソ時代に、この教えは行為として始まりました。 問題は、「長老」(presbyters)と「監督」(bishops)と言う二つの言葉にあるようです。それぞれの教会に長老たちが存在していることを聖書は示していますが、ある者たちが(イグナティウスはその一人)新たな考えを教え始めました。それによると、司教(監督)というのは優秀な者、あるいは権威を持つ者、かつ長老を監督する者ということです。
つまり、「長老」が人間を指すのに対し、「司教」は同じ人物の役職を指すのです。長老は人です。司教は人の役職です。「長老」はこれまでも、これからも、主にあっての年配者をさします。選出されたわけでも命じられたわけでもなく、ただ人より年をとっているから長老なのです。長老は初心者ではなく、ベテランで訓練された者で、キリスト者としての長い体験に培われた信頼性があります。
しかし司教たちはパウロの書簡にとらわれることなく、むしろ、パウロが長老たちをエペソからミレトに呼び寄せて語った言葉(使徒の働き 12 章)に着目しました。
「パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。」(使徒 20:17)
「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」(使徒 20:28)
節で長老と呼ばれている人たちが、28 節では監督(司教)と呼ばれています。司教たちはこれらの聖書箇所を(政治的思考と権力欲から)誇大解釈して、パウロが言った「監督」に、所属教会を監督する長老の資格以上の意味を与えました。彼らによって、司教は多くの地方指導者を統括する権限を持つ者となったのです。これは聖書的ではありませんし、歴史上も例を見たことがありません。それなのに、徳の人ポリュカルポスでさえ、そのような組織に心を寄せてしまいました。
こうして、エペソ時代に行為から始まったものが、堂々たる教義となり、こんにちに至っています。司教は人を支配下におき、彼らを意のままに取り扱い、人事を操ることを当然の権利と思っています。これは、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた、聖霊の主導権を真っ向から否定する行為です。これは反聖書、反キリストです。
「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。『あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼ら@@を支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたの僕になりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためでなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。』」(マタイ 20:25-28)
「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。」(マタイ 23:8-9)
ニコライ主義について、もっとはっきり説明しましょう。聖書は、「その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従った」(黙示録 13:3)と記しています。傷を負った頭が異教徒のローマ帝国であることはすでにお知らせしました。その世界的に強大な政治的頭が、今度は「ローマ・カトリック霊的帝国」として復活したのです。 ここに注意してください。異教徒の政治的ローマが勢力を拡大させた鍵は何でしょう。それは、「分裂させ、征服した」ことです。ローマの政策の種は分離と征服です。ローマは鉄の歯で噛み砕きました。彼女に食いちぎられたものは、カルタゴが彼女によって破壊されたときのように、二度と立ち上がることができなくなりました。同じ鉄の種が、彼女が偽の教会として復活したときに残っていて、同じ政策「分離と征服」も残っていました。それがニコライ主義で、神はそれを憎んでおられます。
さて、これはよく知られた歴史的事実ですが、教会に誤りが入り込んだあと、人々は司教の職を得ようと競い合いました。その結果、司教の地位には、教育が高く、物質的に向上心があり、政治的関心の強い人物が選ばれるようになりました。人の知識や企画が、神の知恵の座を乗っ取り、聖霊の押さえはきかなくなりました。これは本当に悲惨な悪の行為です。司教はずっとその地位を維持し続けるようになりました。彼らはもはや、教会でみことばを教えたり儀式を行うために必須である、キリスト者としての率直な資質を必要としなくなりました。パンとぶどう酒と式典だけが重視されるようになったからです。悪者(誘惑する者)が羊の群れを引き裂く土壌ができました。
司教の地位を昇進させることは人が作り出した考えであって、聖書とは一致しません。しかし彼らが次にしたのは、階級的称号の授与で、それによりキリスト教に階層制度ができました。まもなく、司教の上位には大司教が、大司教の上には枢機卿が置かれるようになしました。そしてボニファティウス 3 世の時代から、教皇がすべての聖職の頂点に立つようになりました。ローマの神官、ローマ教皇です。
ニコライ派の教義と、キリスト教とバビロン信仰の融合によって得られた最終結果は、エゼキエルが目撃したものです。
「私が入って行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。」(エゼキエル 8:10)
「彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。それは、すべての国々の民が、彼女の不品行に対する御怒りのぶどう酒を飲んだからだ。」(黙示録 18:2)
このニコライ派の教え、彼らが教会に制定した規則は、きちんと適用されていたとは言えませんでした。多くの人は、当時残っていた、神の人が書いた手紙や随筆を読むことができたからです。 では次に教会は何をしたでしょうか? 正しい教えをする教師を追放し、聖書を焼き、そして言いました、「聖書を読んで理解するためには特別な教育が必要だ。パウロが書いた多くのものを理解するのは難しいと、ペトロが言ったのが証拠だ。」 それから人々は、司祭が語ることだけを聞き、司祭が指示することだけをするようになりました。司祭たちはそれを神と呼び、神の神聖なことばと呼びました。彼らは人々の精神と生活をとりあげ、人々を横暴な聖職者の召使いにしてしまいました。
カトリック教会が人民の生活や精神に干渉した証拠に、以下のテオドシウスの勅令があります。
この勅令は、テオドシウス帝がローマ第一教会で洗礼を受けて間も無く、発令されました。「私たち(テオドシウスとグラティアヌス、ウァレンティアヌスの3人の東西ローマ皇帝)は、使徒ペトロがローマ人にもたらし、ローマ教皇ダマスス 1 世とアレクサンドリア総主教ペトロス 2 世が支持する、父と子と聖霊の三位一体性を信仰することを強く勧める。私たちは、この信仰を支持する者を普遍的(カトリック)クリスチャンと呼ぶことを命じる。これ以外の宗教を信じる愚かな者たちには、異端者という不名誉な名前を与え、教会という名前で秘密の礼拝集会を持つことを禁じる。彼らには神の裁きが下ることになるが、その前に、天からの知恵を授かっている我々の権威で重罰を彼らに与えなければならない。・・・・・」
この皇帝が発令した 15 の刑法は長年効力を持ち、福音を宣教するためのあらゆる権利を剥奪しました。福音を宣教する者を公の場から締め出し、彼らに罰金、没収、追放を科すると脅し、死を宣告することもありました。こんにち私たちにも、同じ運命がやって来ようとしているのに気づいていますか?
ローマ・カトリック教会は、母なる教会、最初の教会と称しています。そのとおり。彼女はローマに最初にできた第一教会で、堕落して罪に陥った教会です。初めに組織化した教会です。ニコライ主義の行為がなされ、のちにはそれが教義となって培われている教会です。彼女が母であることを疑う余地はないでしょう。 この教会は母であり、娘たちを産みました。女から娘が生まれたのです。女は緋の衣をまとい、ローマの七つの丘の上に座しています。彼女は売春婦で、娘たちを産みました。その娘たちとは、プロテスタント教会のことで、カトリックから出ましたが、組織化してニコライ主義に戻りました。娘教会を産んだ母は大淫婦と呼ばれています。結婚の誓いに不誠実な女で、神と結婚したのに、悪魔と不貞を犯し、その結果彼女に似た娘たちを産みました。 この母と娘を合わせて、みことばに反するもの、御霊に反するもの、つまり反キリストといいます。そうです。彼女たちは反キリストです。
さて、初期の司祭たちは、自分たちをみことばの権威の上に置いていました。彼らは、人々が罪を告白すれば、司祭はその罪を許すことができると教えていました。それはまったくの誤りです。2世紀から、彼らは赤子に洗礼を授け始めました。また、再生のための洗礼の秘蹟というものを行いました。こんにち、人々が混乱しているのは無理もありません。聖霊降臨からそう時間が経っていなかった時代にすでにこのように混乱していたのですから。そしてそれから 2000 年間も、本物の真理から離れてきたのですから、当然のごとく絶望的な状態にあるのです。 教会よ、神の教会よ、一つだけ希望があります。それはみことばに戻って、みことばを守ることです。
バラムの教え
「あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、躓きの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。」(黙示録 2:14)
さて、ニコライ派の仕組みを教会に取り込んでしまったら、もう一つの教えを取り込まないわけにはいきません。もし、神のことばと霊の働きを取り除いて礼拝するとしたら、(わたしを礼拝する者は、霊と真をもって礼拝するのだ)その代わりとなるものを礼拝に取り入れる必要があります。その代替物がバラムのまじないです。
新約時代の教会におけるバラムの教えを理解するためには、まず旧約時代の教会に戻って調べる必要があります。そしてそれをペルガモ時代に当てはめ、そして現代に当てはめます。
バラムの話は、民数記 22-25 章に出てきます。イスラエルは選ばれた神の民で、旧約時代の聖霊降臨体験者たちでした。血をかかげることで難を避け、全員が紅海を渡る洗礼を受けました。水から上がった彼らは、女預言者ミリアムの太鼓のリズムで、霊に満たされて歌い、聖霊の力のもとに踊りました。しばらく旅したのち、イスラエルの子らはモアブの地に来ました。モアブはロトの子で、ロトと実の娘との間にできた子でした。ロトはアブラハムのいとこでしたから、イスラエルとモアブは親類でした。 このことを知っておいてください。モアブ人は真理を知っていました。真理に従って生きていたかどうかは別として。
イスラエルはモアブの境界に差し掛かった時に、使いを出し、王に言いました、「わたしたちは兄弟です。どうかあなたの土地を通らせてください。もし私たちや私たちの家畜が何か食べたり飲んだりしましたら、その代価を払います。」しかしバラク王は憤慨しました。ニコライ軍団の首長は、しるしと不思議と聖霊のあらゆる現れを伴う教会、神の栄光を受けて顔を輝かせている人たちを通らせるつもりはありませんでした。それは危険が多すぎます。もしかしたら自分の会衆の一部を失ってしまうかもしれませんから。それでバラクはイスラエルの申し出を拒否しました。 それだけでなく、彼はあまりにも彼らを恐れたため、 バラムという雇われ預言者のところに行き、神への仲介者となって全能の神がイスラエルを呪って無力にするように取り計らってほしいと頼みました。バラムは政治的な事に関わるのが好きでしたし、有名になりたいと望んでいましたから、残念なことに喜んで引き受けました。しかし呪いをかけるのは彼の力ではできません。神に近づき、神から意見を聞かなければなりません。それで彼は神に、バラクのところに行ってよいか許しを請いました。 ニコライ派に似ていないでしょうか。彼らは自分に賛同しないものを誰でも呪うのです。
バラムが神に、行くことを願いでると、神は行くなとクギを刺しました。しかしバラクはあきらめず、バラムに報酬と名誉の上増しを申し出ました。それでバラクはもう一度神のもとに許可を求めに行きました。今度は立って行けという言葉を神から受けたので、すぐにロバの背に鞍を置いて出かけました。これが神からの単なる許容であることと、何度行っても何度試みても彼には呪いをかけることができないとを彼は気付くべきでした。 こんにちも、バラムのような人がどれほどいることでしょう。彼らは三神を信じ、御名の代わりに三つの称号で洗礼を授けています。それでも神はバラムにしたように、彼らの上にも聖霊を注がれるので、彼らは自分たちが正しいことをしていると信じています。彼らは完全なバラム人です。バラムの教えというのは、なんでもいいからやってしまえ、自分のしたいようにせよ、というものです。彼らは、「神が祝福してくださったのだから、正しいに違いない。」と言います。確かに神は祝福されました。それは否定の余地がありません。しかしそれが、バラムがとった策と同じ、組織化への道なのです。誤った教えです。
バラムがやみくもに道を下って行ったところ、途中で神の使いが道の真ん中に立っていました。しかしこの預言者(司教、枢機卿、監督、総裁、総督)は、名声や栄誉や金に心を奪われていたので霊的なことに目が効かず、そのため、抜き身の剣を持って立ちふさがっている天使が見えませんでした。天使は狂った預言者を行かせまいとして立っていたのです。小さなロバは天使を見て、避けようとしてよろけ、バラムの足を石壁にぶつけてしまいました。ロバは一歩も動こうとせず、実際、動くことができませんでした。それでバラムは飛び降りてロバを打ちました。するとロバが口をききました。神はロバに異言を語らせたのです。ロバは雑種ではありません。原種です。彼は盲目になっている預言者に言いました。「私はあなたのロバではありませんか。今までずっと忠実に仕えてきたではありませんか。」バラムは答えました、「そうだ、お前は私のロバだ。今まで忠実に私を乗せてくれた。もし行かないなら、殺してしまうぞ・・・・あれ? なんだ、私はロバと話しているぞ。おかしいな、ロバが私に話しかけ、私が応答した気がする。」
神はいつも異言で語られます。ベルシャツァル王の宴会の時も、聖霊降臨の時も異言で語られました。こんにちでもまた、そうされます。それは、まもなくやって来る裁きへの警告です。
バラムにもやっと天使が見えました。天使はバラムに、神を試みたのだから、もしロバがいなかったら、おまえは死んでいたと告げました。バラムは引き返すと言いましたが、天使は、神が告げることだけを告げるよう忠告して、彼を行かせました。
バラムは下っていって、きよい家畜をささげるための七つの祭壇を築き、来たる救い主を意味する子羊を殺しました。神に近づくために何をするかを、彼はよく知っていました。しかし彼は、技術的なことはきちんとわきまえていましたが、原動力を知りませんでした。こんにちでも同じです。ニコライ派の原理が見えませんか? 谷のキャンプ地でイスラエルも同様のいけにえをささげ、同様のことをしていましたが、彼らにはしるしが伴っていました。こちらには神がともにおられたからです。形式だけでは何にもなりません。霊の現れに取って代わることはできません。 これがニケア会議で起こったことです。彼らは神の教えではなく、バラムの教えでごまかしたのです。彼らはつまずいて倒れました。そして死んだ人になりました。
いけにえをささげたあと、バラムは預言状態に入りました。しかし神が彼の舌を制したので、呪うどころか、かえって祝福しました。
バラクは怒りを発しましたが、バラム自らの力で預言することはできませんでした。預言は神が語られるからです。バラクは、今度は谷を下りたところに行って、裏側からイスラエルを観察して、何か呪うことができる要素を見つけるようバラムに命じました。 バラクが用いたこの策は、こんにち使われているものと同じです。大きな教団は小さな群れを見おろして、何かスキャンダルになりそうなことを探し出し、それを騒ぎ立てます。モダンな人が罪に生きても、誰も何も言いませんが、選ばれた者が何か問題を起こすと、新聞が一斉に取り上げて国中が騒ぎ出します。 そうです、イスラエルにも裏(肉欲)の面があり、それは決して褒められることではありませんでした。しかし、欠点があるにもかかわらず、神の選びによって、行いではなく恵みによって、彼らには昼には雲の柱、夜には火の柱がともにおり、打つと水がほとばしり出る岩、炎の蛇やしるしや不思議が伴っていました。彼らは己れによってではなく、神によって正当性を得ていたのです。
神は、ニコライ派が学術博士号だの法学博士号だの要求支払い為替手形(言葉のあや)だのを持っていることや、立派な組織や自慢できる最高のものを持っていることを尊重されませんでした。しかしイスラエルには、みことばがともにあり、それが実証されていたので、神はそのことを尊重されました。 確かにイスラエルは、エジプトから絶体絶命の脱出をしてきたばかりでしたので、洗練されたとは言いがたい状態にありました。しかし祝福された民には違いありませんでした。家畜を飼い、牧草地の手入れをし、それからエジプト人の支配下で死の恐怖にさらされながら奴隷として働いて 300 年経ち、やっと自由の身になれました。イスラエルは神の主権のもとで、祝福された民でした。 当然のようにモアブはイスラエルを見下し、他の国々も同様にしました。組織団体は、常に組織化されていないものを見くだします。それから、躍起になって彼らを組織に組み込もうとするか、あるいは拒否された場合彼らを潰しにかかります。
「ブラナム兄弟、どうして、モアブが組織化されていてイスラエルがそうでないと思うのか。どこからそんな考えが出てきたのか?」と、尋ねる人がいるかもしれません。その根拠は聖書で、典型として記されています。旧約聖書に物語形式で記されているのは、そこから私たちが教訓を得るために書かれているのです。
「岩山の頂から私はこれを見、丘の上から私はこれを見つめる。見よ。この民は一人離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。」(民数記 23:9)
神は岩山の上からイスラエルを見おろしています。谷からの目線で短所を見つけて非難しようとしているのではありません。愛と哀れみの高みから、神はご自分が望まれるように彼らを見ておられます。イスラエルは孤立して住み、組織化されていませんでした。彼らには王がいませんでした。しかし預言者がいました。霊によって神と深く結びついている預言者がいて、みことばが彼をとおして与えられ、民は彼をとおしてみことばを聞きました。彼らは国連にも、世界教会協議会にも、バプテスト教会にも、長老教会にも、アッセンブリーオブゴッド教会にも、いかなる団体にも属していませんでした。団体に属する必要がなかったからです。 彼らは神とつながっていました。宗教会議から忠告を受ける必要はありませんでした。彼らの真っただ中に、「主はこう言われる」と叫ぶ声があったからです。ハレルヤ!
さて、バラムは特別な力を授かっていたおかげで、神に近づいて、主から啓示を受け取る方法を知っていましたが、それでもやはり偽の団体に属する司教でした。バラクの歓心を買うために彼は何をしたでしょう。彼は、神がイスラエルを死に追いやるように計らったのです。それは、イヴを欺く(肉体的に罪を犯させる)ことができるれば、神は罰として死を宣告することをサタンが知っていたのと同じです。バラムも、イスラエルに罪を犯させることができれば、神は彼らを死に追いやらなければならないことを知っていました。 それで彼は、イスラエルを誘いよせて、罪の仲間入りをさせようと考えました。彼はバアル・ペオルの祭りに参加するように誘いました。イスラエルはエジプト人の祭りを数多く見てきましたし、別に行って、祭りを見てモアブの人たちと食べたりするのもまんざら悪いことではないと思っていたに違いありません。(交流することはいけないことであろうか?彼らは愛すべきではないか、さもなければどうして彼らを勝ち取ることができるであろう?) 親しくすることは誰の害にもならない・・彼らはそう思いました。しかし、魅惑的なモアブ女たちが踊り始め、腰をふりふり服を脱ぎ始めたとき、イスラエル人に欲望が目覚め、姦淫を犯してしまいました。そのとき神の怒りが下って、42,000 人のイスラエル人が殺害されました。
これはコンスタンティヌス帝と継承者がニケア会議やニケア会議後に行ったことと同じです。彼らは神の人たちを会議に招待しました。教会が同席して飲み食いし、立って言われたとおり行動すると、(教会の形式や儀式や、キリスト教の儀式の名が付けられた異教の祭典に参加して)罠にかかってしまいました。教会は偶像崇拝の罪を犯してしまったのです。神は立ち去られました。
誰でも神のことばに背を向けて、聖霊を受ける代わりに教会組織に属するなら、その人は死にます。死んだ人になってしまいます。教会に属してはいけません。組織に入って教条や伝統や、みことばや御霊に取って代わる何かを受け入れるなら、死にます。死んで永遠に神から切り離されます。
以来、どの時代にも同じことが起こりました。神は人々を解放されます。彼らは血によって解放され、みことばによって清められ、水の洗礼を受け、御霊に満たされます。しかし、しばらくすると最初の愛が冷めてしまいます。すると、誰かが、自らを守り名を残すために、組織化することを提案します。そして二代先には、あるいはその前に、自分たちを組織の一部にしてしまいます。組織の中には神の霊はおられません。単なる形式的礼拝があるのみです。彼らは死んでいます。自らすすんで教条や形式を取り入れて雑種となり、いのちを持たない者になってしまいました。
バラムはイスラエルに姦淫の罪を犯させました。肉体的姦淫と組織的宗教には同じ霊が作用していることをご存知ですか? 偶像礼拝(姦淫)の霊は、組織の霊なのです。すべての偶像礼拝には火の池という場所が用意されています。神は組織を偶像礼拝と考えておられます。大淫婦とその娘たちの行き先は火の池となります。
教団は神に由来するものではありません。過去においても未来もずっと、神とは関係ありません。神とは違う霊が、神の人々を区別して、支配層と俗人に分けているのです。つまり、悪い霊が人と人を分け隔てしているのです。そして、教会組織や教団教派がそうさせています。組織化するということは、神のことばから自らを引き離し、霊的姦淫を行なうことなのです。
コンスタンティヌス帝は特別な祭りをもたらしました。それらの祭りは、異教の祭りに教会から名前をとってつけたものです。あるいはキリスト教の祭礼に異教の儀式の要素を取り入れたものもあります。彼は太陽神の崇拝を神の子に変えてしまいました。太陽神の祭りを祝う 12 月 21 日を、12 月 25 日に変えて、神の子の誕生日としました。しかしイエスは、12 月ではなく、生命が誕生する 4 月に生まれました(訳注:今では、秋に生まれたというのが定説)。それからアスタロト神の祭りを、本来ならばクリスチャンは主の死と復活を祝うべきなのに、イースターと呼び変えて祝っています。実際それはアスタロトに捧げる異教の祭りなのです。
教会には祭壇が設けられ、様々な像がおいてあります。また、聖書に書かれていない使徒信条というものを人々に教えています。さらに、先祖礼拝を取り込むことによって、ローマカトリック教会は世界最大の霊媒教会となりました。あらゆる汚れた鳥がその檻の中に入りました。プロテスタント教会も、組織化することで同じことをしています。
彼らは偶像に供えたものを食べました。もちろん文字どおり偶像に捧げた犠牲の肉を食べたという意味ではありません。エルサレムの会議は偶像に供えた肉について触れましたが、パウロは、偶像はつまらないものと言って、あまり重視しませんでした。それは単に意識の問題なのですが、弱い兄弟をつまずかせるような場合は、してはいけないこととされました。それにこの啓示は異邦人教会のことなので、異邦人に向けられたものであり、ユダヤ人には当てはまりません。 主の語られたことから、ヒントを見いだすと、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲まなければ、あなたがたのうちにいのちはない。人はパンのみにて生きるのではない。神の口から出るひとつひとつのことばによって生きるのである。」このように、食べるということは霊的意味を含んでいるのです。 ですから、人々が像にお辞儀したり、蠟燭をつけたり、異教徒の祝日を利用したり、人間に罪を告白したり(これらの行為はすべて悪魔の宗教に帰属します)することによって、彼らは主ではなく、悪魔の儀式に参加していることになるのです。認めようが認めまいが、彼らは偶像崇拝を行なっていました。祭壇や香は主の祈りを想起させるためとも何とも理由をつけることができるでしょう。また、像の前で祈るのは、集中するためであるし、また、司祭に告白をするのは、実際は神に対して心を開いているのであって、司祭が許しを宣言するのは、主の名によって司祭が代理で行っている等、彼らは何とでもいうことができます。 しかし彼らは名高いバビロンの宗教、つまりサタン礼拝をして偶像と結びつき、霊的姦淫をおこなっているのです。その意味するところは死です。彼らは死んでいます。
教会と国家が婚姻関係を結びました。教会は偶像とつながりました。彼らは国家権力を背後に控えて、「御国は到来した。神のみ旨は地に行われている。」と思ったことでしょう。ローマ・カトリック教会が主イエスの再臨を待ち望んでいないのも無理はありません。彼らは千年紀を待望していません。彼らにとって、千年紀は今地上で実現しているのです。教皇が統治し、神は教皇のうちに統治しているのです。彼らにしてみれば、主が来られるのは新しい天と地が用意できてからです。 しかしそれは間違いです。教皇は偽の教会の頭領であるし、千年紀はやって来ます。しかし千年紀が訪れるとき、教皇はそこにはいません。彼はどこか別の場所にいることでしょう。
警告
「だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。」(黙示録 2:16)
厳しい言葉ですが、他になんと言えたでしょう。神に、御名をむやみに口にする者の罪を見過ごすことができるでしょうか。罪の時代に恵みを受けるには、ただひとつ、悔い改めるしかありません。間違いを告白して、神のもとに許しと神の霊を求めて近づくことです。これが神の命令です。従わないなら、死が待っています。「わたしの口の剣をもって彼らと戦おう」と、主がそう言っておられるからです。 獣は聖徒たちに戦いを仕掛けましたが、神は獣と戦われます。みことばに戦いを挑んだ者は、やがてみことばと戦う羽目におちいります。神のことばから削ったり、付け加えたりする行為は大変危険です。みことばを変えたり、自分に都合よいように解釈したりした者の行く末は、死と破滅にほかなりません。 しかしそれでも恵みの神は叫びます「悔い改めよ」と。 ああ、悔い改めの思いはなんと甘くやさしいことか、 なにも持たずにあなたの十字架にすがりつく、 悲しみだけがあなたへのささげもの わたしのすべてを、犯した罪を悔い改めます それは血、イエスの血にほかならない 悔い改めるか、死の劔にかかるか、決めるのはあなた次第です。
報酬
「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」(黙示録 2:17)
各時代に、勝利者となるように信者をはげますことばと、主からのご褒美 が用意されています。この時代には隠れたマナと新しい名前の書かれた白い石が約束されています。
各時代の手紙は、御使い(人間の御使い)宛になっています。御使いにはとても大きな責任と素晴らしい特権が与えられています。これらの人たちに、神は特別な約束を与えました。例えば十二使徒には、十二の御座に座ってイスラエルの十二部族を裁くことが約束されています。パウロには特別な約束が与えられました。それは、彼の時代の花嫁をイエスに引き合わせることです。
「というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。」(2コリント 11:2)
このように、各時代のみことばに忠実だったすべての御使いに約束が用意されています。最後の時代でも、パウロに与えられたのと同じ特別なご褒美があることでしょう。 私はずっと、主に会わないで死ぬことを恐れていました。多くの過ちを犯してしまったので、主は喜んではおられないと思っていたからです。ある朝、そんなことを考えていると、突然とても奇妙な幻にとらわれました。奇妙なと言ったのは、今まで何千回も幻を見てきましたが、一度も自分の体を離れたことがなかったからです。しかしこのとき、私は体を離れて上っていき自分の妻を見下ろし、また自分の体が彼女の側で横たわっているのを見ました。それから自分が今まで見たことのない最も美しい場所にいるのに気付きました。
そこは天国でした。大勢の美しくて幸せに満ちた人々を見ました。だれもが 18 歳から 21 歳くらいに見えました。白髪やしわがなく、完全な姿をしていました。若い女性は腰まで髪を伸ばし、若い男性はハンサムで力強そうでした。彼らからなんという歓迎を受けたことか。私に抱きついて、愛しい兄弟と呼び、絶えず「どんなに会えて嬉しいことか」と言ってくれました。この人たちがだれなのか不思議に思っていると、横にいた人が「彼らはあなたのものだよ。」と言いました。
私は驚いて尋ねました、「みんなブランハムの一族ですか?」 彼「そうではなくて、彼らはあなたが回心に導いた人たちです」
と答え、ひとりの女性を指して言いました、「さっきあなたが見とれていたあの若い女性を御覧なさい。彼女は、あなたが主に導いたとき、90 歳だったのですよ。」
私「ああ、なんてことでしょう。これが、ずっと恐れていたことの答えなのでしょうか。」彼「私たちはここで主が来られるまで安息しています。」
私「私は主にお会いしたい。」彼「今はまだ主に会うことはできません。しかし主はすぐに来られます。主が来られるとき、まずあなたが最初に主に会うことになります。そしてあなたが説いた福音の内容によって裁定がくだるでしょう。私たちはあなたの産物です。」
私「それでは私はこれらの人たちに責任があると言うのですか?」彼「みんなにです。あなたは生まれつきの指導者でした。」私「全員に責任があると言うなら、聖パウロはどうなのでしょう?」彼「彼は彼の時代に責任があります。」私「それなら、私はパウロがしたのと同じ福音を説教しました。」すると、大衆が答えました、「私たちはそれに希望をかけています。」
そうです、神は忠実に任務を果たした使者に、特別なご褒美をくださいます。使者たちが当世のみことばの啓示を受け、そのとおり説教し、説教したとおり生きるならば、彼らは大きな報酬を受けるでしょう。
さて、このことを念頭において、もう一度聖書箇所を読んでみましょう。「わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。」
マナは天使の食べ物で、イスラエルが放浪しているとき、神が草の上にそれを降らせて、イスラエルを養われました。それは完全食と言えるでしょう。小さな粒のような食べ物が、イスラエルを病気知らずの健康体にしたのですから。彼らが契約の箱を造ったとき、マナがその中に収められました。それから契約の箱は至聖所の幕の奥に設置され、大祭司のみが、いけにえの血をたずさえて、近づくことを許されました。 マナとして象徴される天からのパンは、あるとき天から降りてきました。そして彼を信じるすべての人のいのちとなりました。「わたしはいのちのパンである。わたしは天から降った生きたパンである。誰でもこのパンを食べるなら、そのものは永遠に生きる。」主が去ったとき、みことばを残されました。「人はパンのみにて生きるのではない。神の口から出るひとつひとつのことばによって生きるのである。」
主のことばはパンでした。完璧なマナで、もし人がそれによって生きるならば、その人は死にません。しかし先祖が亡くなったあとは、真理を知る者がいなくなりました。そしてまもなく、このマナは人々から隠されてしまいました。
しかしどの時代にも、神は徐々に啓示を与え、真理を取り戻すことができるようにされました。 そしてこの終わりの日に、黙示録 10:7 によれば、預言者が現れてすべての神秘が明らかにされ、それから主が来られます。それぞれの時代に、使者は隠されていた真理を受け取りました。しかし彼らのためだけに受け取ったのではありませんでした。主が弟子たちに、パンと魚で大衆に食事を与えるように言われたときと同じです。イエスはパンを割いて弟子たちに与え、弟子たちはそれを人々に与えました。神は隠されたマナを勝利を得る者に与えられます。すでに明らかになった真理を足蹴にする人に、神は宝物を開放されません。
本来与えられた聖霊降臨の真理が、神から徐々に各時代の使者に明らかにされたきたということを、旧約聖書に前例として見ることができます。モーゼが正味1オメルのマナを金の壺に収め、至聖所の奥に置くよう命令を受けたというところです。代々の大祭司は犠牲の血を携えて至聖所に入ることができました。そこで大祭司は壺の中の決して腐ることのないマナを少し削り取り食べることができました。 さて、主の使者は神から啓示を与えられました。真理に照らされた使者は、その真理を人々に伝えました。聖霊によって聞く耳が与えられている人々はその真理を聞き、信じ、その真理に従って生きていきます。
ところで、隠されているマナの食事に、将来あずかるという考え方があります。私は、それはイエス・キリストの神秘が永遠に解き明かされていくことだと思います。それ以外に、主ご自身の及びもつかない豊かさについて、どのようにして知り始めることができるでしょう。ずっと知りたいと願っていたこと、未解決の疑問が、すべてはっきりとわかるようになるでしょう。私たちのいのちであるキリストが、解き明かしてくださるのです。今でもときどき、少しでもキリストがわかったり、みことばを飲みこめたりしたとき、心が晴れやかになり、嬉しくなります。でもいつの日か、私たちの肉体が変化するときには、みことばと主は、夢にも思わなかった現実となります。
イエスは、勝利を得る者に白い石を与えるとも約束されました。その石の内には(表面でなく)、本人以外は知らない新しい名前が記されています。 新しい名前というのは、古くからあるものです。アブラムはアブラハムになりましたし、サライはサラになりました。ヤコブはイスラエルに、シモンはペトロに、サウロはパウロになりました。新しい名前がつけられて変化が起こるか、変化が起こったから新しい名前がつけられたか、どちらかです。アブラムとサライは主によって名前を変えられてから、約束の子を受ける用意ができました。ヤコブの場合は、戦いに勝ってから王子と呼ばれました。シモンとサウロの場合は、主を受け入れてから名前が変えられました。 そしてこんにち、真の信者の名前は変えられています。私たちはクリスチャンです。それは私たちに共通の名前です。 しかしいつの日か、私たちには必ずまた新しい名前が与えられます。それは、大地が造られる前から子羊の書に記された、私たち本来の名前です。今はその名を知りませんが、いつか、主の喜びのために私たちにも明かされることでしょう。
白い石、なんと美しいことでしょう。聖徒が地上での試練の償いとして、神の手から受け取るものです。 コンスタンティヌス帝以来、偽の教会は国家の宝庫に手を入れることができるようになり、美しい像で飾られた立派な建物を建てました。白い大理石で造られた像は、実際はローマの偶像に聖人の名前をつけ替えたものでした。教会の建物と装飾は、こんにち見てもわかるとおり、非常な美しさをたたえていました。 しかし神はそこにおられませんでした。ではどこにおられたのでしょう。神は、小さな家や、洞穴や険しい山岳地方に、偽の教会から隠れて住んでいる聖徒たちと共におられました。彼らには美しい建物も、衣装を着た聖歌隊も、綺麗な服も、この世的楽しみもありませんでした。でも、この特別な約束によって神は、すべての時代の真の信者に、極めて美しく永遠に朽ち果てないご褒美を与えると宣言されました。 富んでいる者は貧しい者をさげすむがよい。教会に多額の献金をして、見返りとして大理石のプレートや記念碑に名誉を刻んでもらい、世間から賞賛を受けるがいい。いつか、すべてを見てご存知の神がもう一度、やもめがレプタ銅貨二つを献金するのを見て、彼女は全財産をささげたと評価されることでしょう。そして神ご自身が天の宝のご褒美を与えてくださいます。
そうです、それは隠されていたマナと新しい名前が記された白い石です。主はなんと私たちによくしてくださることでしょう。驚くような報いを、それに値しない私たちに与えてくださるとは。主のみ旨に応えることができるよう、私はいつでも用意していたいです。そして天に宝を積むのです。