ウィリアム・ブランハム(WILLIAM BRANHAM) 兄弟

 ある歴史学者は、ウィリアム・ブランハム(William Branham)兄弟は「われわれの時代に遣わされた預言者」と言っております。あるペンテコステ派の歴史学者は「ブランハム兄弟は世界の最大のスタジアムや会議場を満員にした」と書きました。「全福音の人の声」(今の「国際全福音ビジネスマン協会」)の1961年2月号にはこのように書かれています:「聖書の時代には、預言者或は先見者である神のしもべが数多くいました。しかしキリスト教の歴史を通して誰一人神の預言者であり先見者であるウィリアム・ブランハム兄弟より偉大な伝道を行った者はおらず、『全福音の人の声』の表紙に彼の写真が載せられています。ブランハム兄弟は神に使われ、イエス様の御名によって死人をもよみがえらせました。」1947年から、神に召された1965年まで、ウィリアム・ブランハム兄弟の力強い伝道は有名で、そして福音大会の歴史の中では並ぶものがなく、この超自然的な伝道は北アメリカに限らず、世界中でも反響を受けました。

 

少年時代と改心

ウィリアム・ブランハム兄弟の家

 ウィリアム・ブランハム兄弟は1909年4月6日にチャールズ・ブランハムとエラ・ブランハムの9人の子どもの長男としてケンタッキー州のある丸太小屋に生まれました。彼はインディアナ州のジェファソンヴィルの近郊で成長しましたが、少年時代はひどい貧困と苦難に満ち、父親はアルコール中毒患者で読み書きもできず、彼は「神経質」な少年だと思われていました。なぜなら彼は幼い時から、「幻」(Vision)とか、ある風の中から彼に「決して酒を飲んだり、タバコを吸ったり、あるいは自分の体を汚すようなことは何一つしてはならない。あなたが大人になったとき、ある仕事があなたに与えられます。」と話しかける「声」について語ったからです。ウィリアム・ブランハム兄弟-若いころ

 ウィリアム・ブランハム兄弟は主のことを求め、1931年に聖霊に満たされました。その時以来、聖書は彼の人生の焦点となり、イエス・キリストはまさに彼の存在の中心となったのです!1932年12月、23歳の時に、彼はバプテスト教会で伝道を始めました。

 

天使の訪れ

洗礼 1933年6月11日、ウィリアム・ブランハム兄弟はインディアナ州ジェファソンヴィルの近くのオハイオ川で洗礼を施していました、その時、明るく火のような光が彼の頭上に現れ、ある声がこう言いました、「バプテスマのヨハネがイエス・キリストの第1回目の到来の先駆者として遣わされたように、あなたはイエス・キリストの第2回目の到来の先駆けとして遣わされます。」この出来事は翌日の「ジェファソンヴィルイブニングニュース(Jeffersonville Evening News)」に、「洗礼のとき牧師の上に現れた謎の星」という小見出しで報道されました。

 1946年5月に、ブランハム兄弟は、自分の風変わりな人生の意味を探るために神を求め始めました。ある夜遅く、彼が一人でお祈りをしていた時、一人の光り輝く天使が現れてこう言いました、「恐れるな。わたしはあなたに、あなたの特別な出生や誤解される人生は将来、あなたが神から与えられた神の癒しという贈り物を世界の人々に贈るためなのだということをあなたに伝えるために、全能の神に遣わされて来た。もしあなたが誠実にお祈りをし、相手にあなたのことを信じさせることができるなら、何事も、ガンでさえもあなたの祈りに勝ることはできないであろう。あなたは地球上の多くの場所を訪ね、国王や支配者、そして君主たちのために祈りをささげるであろう。あなたは世界の群衆に伝道をし、何千人もの人々が助言を求めるためにあなたのところにやって来るであろう。」これらのことは文字通り、この後何年もの間に実際に起こりました。彼は伝道で世界を七周回り、米国国会議員のアップシャウやイギリス国王のジョージ六世を含むたくさんの影響力を持つ人たちが、彼の祈りで病気を癒されたのです。

火の柱 1950年1月テキサス州ヒューストンで撮影されたものです。この光は彼が1909年の誕生以来、彼と共にあったのでした。ブランハム兄弟の一生に撮られた写真の中でもっとも驚くべきこの写真は、1950年1月24日夜、テキサス州のヒューストン市のサム・ヒューストン大競技場で撮影されたものです。ウィリアム・ブランハム兄弟が講壇に立ったとき、炎の円環が彼の頭上に現れました。この写真はすべてのフィルムのなかで現像できたたった一枚の写真だったのです!謎めいた書類の研究者であり、その能力のためによくFBIに仕事を頼まれるジョージ・J・ラシーは、その写真のネガを可能な限りすべての科学的分析で調べました。そしてある記者会見で彼はこう発表しました、「わたしの知っているかぎり、世界の歴史のなかで超自然な物体が撮影されて、そして科学的に証明されたのはこれが初めてです。」この写真の実物は今アメリカのワシントンD・Cにあるスミスソニアン研究所宗教部門の公文書保管所に保管されています。

 

世界規模の伝道事業

世界規模の伝道事業 奇跡的な癒しが報道されるにつれて、各地の教会がウィリアム・ブランハム兄弟に彼らの集会で伝道をし、そして病人のためにお祈りをして欲しいと依頼し始めました。人々の信仰を強めるために、彼にはある超自然のしるしが与えられました。まず、彼の手に現われるしるしは、病気もしくは癒しを示し、次のしるしは人々の心の中の秘密を明かし、その結果人々は解放されることによって信仰は高められました。真剣な聖書生徒には、ウィリアム・ブランハム兄弟が、この世代の預言を実現するために遣わされた預言者であることは明らかです。教会では群衆が入りきれないので、連合伝道会は北アメリカの大都市の大きな講堂やスタジアムに移動して開催されるようになりました。

 

死人が生き返った

死人が生き返った 1950年4月、ブランハム一行はフィンランドでヘルシンキからクオピオに向かっていました。そこで彼らは、ある悲惨な事故の現場に遭遇しました。ある少年が時速70マイル(時速115km以上)で走ってきた車に撥ねられて即死したのでした。その遺体はずたずたになっていましたが、神様は御自分のしもべに少年のためにお祈りをさせ、多くの実業家や市職員の前でその少年は生き返りました。近くに立っていた共産主義の守備員たちは、この奇跡的な光景に圧倒されました。彼らは涙を流しながら明言しました、「私たちはこのような事を成すことができる神ならお仕えすることができます。」

 また1960年のメキシコで行われたキャンペーンに、ある少女が、赤ん坊を連れてきました。その赤ん坊はその朝死亡したことが医者によって確認されていました。死後およそ13時間経ったにもかかわらず、その子は講壇の上で、そして何千人もの目の前で蘇ったのでした。死亡証明書はその医者によって取り消されました。

 これらは、亡くなった人が蘇たという出来事の内のたった二件です。

 以下は、1961年2月号フルゴスペル・メンズの声からの引用です。

 「聖書の時代には預言者や先見者である神の人がたくさんいた。しかしキリスト教の歴史の中で、神様の預言者であり先見者でもあるウィリアム・ブランハムの伝道がはるかに偉大なものであった。彼の写真はこの『フルゴスペル・メンズの声』の表紙に載せられている。彼は神に使われ、イエス様の御名によって死人をよみがえらせた!」

 

七人の天使の群

七人の天使の群 1963年2月28日、アメリカ、アリゾナ州の上空の雲ができるはずもない高度に大きな環状の雲が現れました。七人の天使は、ダニエル書と黙示録に隠された秘密を明かすため、神の御前からブランハム兄弟のところに来たのでした。これは、来たるべきイエス・キリストが地球に到来する至福千年の治世の準備のために、神の御心を人々に知らせるためだったのでした。この7人の天使がブランハム兄弟の元から去った際にこの神秘的な雲を形作り、それは、「ライフ」の1963年5月17日号と「サイエンス」(世界一の権威を持つ科学雑誌、各大学の図書館にあり)の1963年4月19日号にそれぞれ報道されました。右側の天使から見たとき、光沢紙に現像された原本写真ではイエス・キリストの顔が見えて、聖書には「人の子のような方が見えた。その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く」(黙示録1:13)と書かれました。

 

この伝道は預言の実現なのか?

「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」―アモス3:7

 神が御自分の民に対応なさるために、常に預言者を遣わされてきました。神は預言者なしでは「何事も」なさらない、と預言者アモスはわたしたちに教えました。このことは、聖書の歴史を浅く学ぶだけでも実に正しいことだとわかります。人々に疑われ、拒絶され、そして迫害されずに神の御言葉を伝えた預言者はほとんど存在しません!

 これらの聖書の言葉を考えてみましょう:「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」

 マラキ書4章5節と6節は2つの預言について語っています。その一部はバプテスマのヨハネが実現させたのです。彼はイエス・キリストの第一回目の到来に先立ちました。その時代は主の「大いなる」日と呼ばれ、バプテスマのヨハネは「律法」である父の心を新約聖書時代の「恩恵」である子に向けさせました。ジェイミーソンやフォセットとブラウンの聖書の解説に書かれているように、「…バプテスマのヨハネはエリヤの霊を持つが(ルカ1:16,17)、文字通りのエリヤではない(ヨハネ1:21)」。このことはヨハネがマラキ書4:5は自分のことを指し示していることを知っていて、黙示によって自分がこの預言に含まれるすべての部分を完全には実現させていない=まだ実現させていない部分があるということを知っていたということを意味しています。この聖書の二つ目の預言を実現させる預言者は、キリストの第二回目の到来に先駆けて現れ、「子の心をその父に向けさせる」のである。

 「主の恐ろしい日」、すなわちキリストの第二回目の到来の前に、不信仰な世代の心を神の御言葉へ、そして「初期」の教会の父たちが持っていた信仰に立ち返らせるということを指すのです。

ウィリアム・ブランハム兄弟 マタイ17:10-12もまた、二つの事柄について話しています。まず、「すると、律法学者たちが、まずエリヤが来るはずだと言っているのは、どうしてでしょうか。」「…しかし、わたしは言います。エリヤはもうすでに来たのです。ところが彼らはエリヤを認めようとせず…」のところは、バプテスマのヨハネのことを言っています。次に、「イエスは答えて言われた。『エリヤが来てすべてのことを立て直すのです。」の部分は、将来のキリストの第二回目の到来に先立つ先駆者のことを言っています。

 ウィリアム・ブランハム兄弟の伝道には、彼が「惹きつけ」と呼んだ3つの段階がありました。一番目の惹きつけは癒しです。二番目の惹きつけは預言です。三番目の惹きつけは神の御言葉を明らかにすることです。

 イエス・キリストの伝道も同じように構成されていました。一番目の惹きつけは群衆が彼の恵み深い言葉を聴き、奇跡的な癒しを受けたことです。二番目の惹きつけは心の中の秘密を明かすことです。三番目の惹きつけは彼の「メッセージ」、すなわち神の御言葉が力に満ちて、当時の宗教秩序に反対したため、群衆が彼から離れてしまったことです。「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。(ヨハネ6:66)」