携挙

  • 伝道者:ウィリアム・ブランハム
  • ユマ アリゾナ州、アメリカ合衆国
  • 録音番号:65-1204
  • 年:1965
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ユマにいます、ここに再び戻ってくると言うこの招待は素晴らしい特権です。前回ここで素晴らしい時を過ごしました、そしてそれからここに再び戻る事を知った時、本当に良い気分となりました。その証を聞くため、その人達からの素晴らしい言葉、それはある種少し心が高鳴るものですね。
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ビリーがラスベガスから来ている兄弟がその場所でミーティングをしたいと言っていると言いました、彼にここでの礼拝が終わったら即座に会いたいと。我々には時間があり、彼は言うのです、フェニックスでのミーティングの前に1月に入れられると、そしてラスベガスに来るようにと言うのです。そして我々はいつもそこに行きたかったのです。アートウィルソン兄弟は昔そこにいたという事を信じています、あるいは彼は今もそこにいるかもしれません。彼は来るようにと言ってくれていました、彼とウィルソン姉妹もでした。私はその機会がありませんでした、そしてだから今回は行く事が出来る機会になります。
ビリーポールあるいはロイボーダース兄弟を見ますねー彼がここのどこかにいると思います。誰かがロイ兄弟が居たと言っていました、ペアリー兄弟、リーあるいは彼らのどちらか、彼等はあなたに言う事が出来るでしょう、そして来る日を決めてくれるでしょう。
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さて、しばらく前から知っている沢山の聖職者達がここにいるのを見ました、兄弟達に会えてとてもうれしいです。時間があって一緒に家に帰りたいです、というのは最高の料理人を持っているのを知っているから。素晴らしいですね。
ペアリー兄弟は本当に二人今晩彼の所に得ました。彼は彼に対して2つの印を得ています、それの一つは、そこにマイクがあってそれがカットされているのです。あなたは罪がありますよね素の事で、ペアリー兄弟。あなたは本当に罪があるとは思いませんが、「誰かが話すことになっている」それは良い物でした。
そしてそれには、再び、彼はそこに出かけて行って、そして話していました:彼は「言うように」と言いました。彼はコリンズ兄弟あるいは彼らの誰かに言いました、「その食事は良かったけれど」と言っていました、「あなたに言っているんです」と、彼は言いました「その人はスペイン人か何かあるいはメキシコ人に違いない。今まで食べ中で一番辛い唐辛子だった」と。その様に続いていましたそしてそのシェフに離していました。
彼は言いました「私がシェフです」
それがテキサスなのです。彼が長い間いるならば、アリゾナに連れて来て彼を変えますよね?
ここにいるのは素敵です。そして冗談のようには聞こえないでしょうけれども、ユーモアのセンスです。主ご自身はユーモアのセンスをお持ちです、分かりますよね。神様は言われましたヘロデ「狐に言いに行きなさい。。。?今日悪霊を追い出し明日完璧にします」さてもし彼にユーモアのセンスがあったら、我々は傷つかないでしょう、時々そんなことは考えたりします。
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さて今、少し遅くなってきました。そして普通4時間くらい説教します。そしてこのチャプターの兄弟や姉妹のご好意によって、今晩は短くすることになります。
肺、テリーに言いました、彼は「2時間のテープに収めるのですね?」と言いました。
私は「そうじゃないんですよ、テリー、これはバンケットだから」私は「30分か40分人々に話す予定です、毎回そうしようとしているのです、、、」
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僕が子供のころ、人々は出かけて来て僕が話すのを聞こうとしていましたと言うのは僕は子供の説教師だったのです、小さな子供でした。そして彼等は「さて、ビリーブランハム、、、」あなたは分かっている様にただの子供で、学校にも行かず教育もない。彼等は出かけて来て私のケンタッキーなまりの教育のない英語を聞きに来ていたのです。そして、私の打ちどころ、それはしっかりと続けられていました。ここでのそれほど前ではない会合の一つのようでした、彼等は「我々は皆立ち上がって、国歌を歌います」
私は立ち上がって言いました、「私の古いケンタッキーの遠い家の為に」それ以外の国については全く知りませんでした、それが国歌として私が見做している物です。
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そして、今、年を取った後あなたが入ってきたけれどもあなたはそれ以上の何かを持っていたに違いない。わかりますね、パウロは「幼子だった時、幼子らしくかたり、幼子らしく考えていた」子供として行動したが成長したので、初めの数歩を取り始めて、よちよち歩きの子が転んで、又立ち上がって再び試した。
そしてそれから、あなたはまっすぐ歩く事が出来るようになるのです。そして我々は十字架の戦士達としてしなければならない事なのです、今は、まっすぐに歩く時なのです、栄光へのハイウェイへとです。
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私はこの世の歴史の最後の時にいきていると信じています。私は本当に私達が考えているよりも多分主の再来はちかいと信じています。だから今、ここでもっとテキストとして使う聖句に関心を下さい。家に先日座っている時にこの考えが来たのです。そして思いました、「さて、わたしはこれらの聖句全てから話すかは分かりません、私はその場所を取ることになるでしょう、そしてただ、これらの小さな短い礼拝を今晩、持っているのです。皆さんが詩篇1と27章を開けている間、1つ言いたいことがあります、が最初の5節を読みたいのです。
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このビジネスマン全福音ビジネスマンチャプターについて言いたいのです。私のペアリー兄弟がその書そしてその他について話していました、また彼等がえた新しい本についてもでした。フェニックスで「先生、それはいつなのですか?」というコンベンションのひとつで私が語ってテープを取っていた物ですが何人が覚えていますか?さて、それはその本のはじまりでした、(分かりますね?)それが起こった時の事でした。
我々にアプローチしていなかったとしたら、この時代の神の書かれた超自然の指示されたものがあるのです。我々は、ただそれは本物であり過ぎるのです。分かりますね。その事はあなたなのです、、、それはお知らせしますが驚かせることになるでしょう、本当に起こっていることに関してです。あなた方訪問者の多くは多分これらの人々が立ち上がって、これらのこの時代のメッセージなどについて起こしているのです。彼等はそれを得ているのです、それを神のこの時代の約束です、彼はなさることについて約束したのです、そして我々は神が霊的に支持して同じやり方で彼が言われたのと同じなのです。先に言われていて、毎回神が言われたから完璧にその通りになったのです。
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もしある人が、彼が誰であろうが気にしませんが、何かを予測しようとするならば、、、100万分の⒈の確率であると規定の事が起こる可能性はあります、ある特定の時に、1000万分の1の確率でです。そしてそれがそれが起こったら1億万分の一の機会になりえるのです。そしてその時、それが起こるのです、何度もの何度もです。そしてその様にして、それは起こるのですそしてそれが起こるならばそしてその続きがそれは考えを超える物なのです。我々が完璧に毎回そして各界起こるならばそれは神なのです。そして我々はその聖句に戻るのですーそれは我々には分からない事のようですが、我々はどこに見えるかを知らなかったとしても聖句に戻れるのです、そして聖書の節は世界を共に合わせ、ある状況をその時代今我々が生きている時代の状態を見せてくれるのです。我々は時代を変えているのです。
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我々は曲がり角にいるのです。誰かが曲がり角を回る時それは簡単ですー煉瓦の家ー曲がり角を回って始めるのです。誰も同じ列にちょうどその煉瓦を積んでいるのです、まるで特定の宗派が初めてその列を回り降り始めている様にです、それは大丈夫ですが、あなたが別の方法で戻らなければならない場所に戻る時には大丈夫なのです。さて、神は壁を作ってはおられません、神は家を建てておられるのです。分かりますね?そして多くの切断や曲がり角について神は聖書の中でここで預言されていました。そしてそれは曲がり角なのです。誰でも、曲がろうとすることが出来ますが、計画書(青写真)の通りでなければならないのです。もしそうじゃないとそれは再び崩れてしまうのです。
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さて我々は神の慈しみとあなたの人々の交わりと主が我々に与えて下さった開けられた扉を賛美します。そしてこのビジネスマンを通して、、私はいつも、、、宗派にいる人々を信じていますが宗派を引き立てる時間はないのです、彼等自身に各々壁を建てようとするから信じていない事で満足していました。
そしてそれはちょうど、、、デービッド兄弟の言った事、彼が育てた数羽のアヒルそしてそれが川を上ってきて全てのアヒルが昇ってきたという話を信じています、彼等はお互いに交わりたかったけれども、壁が周りに立っていたために出来なかったという話をです。しかし、水が高くなりすぎた時、アヒルはその囲いを出て浮いたのでした。そして思うrにその方法しかなにのです。水が上がってきてそしてその囲いから出る事が出来てお互いに交わる事が出来るのです、我々の心の中に在る本物のキリストの愛を持つことによってのみ可能なのです。
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そしてこの全福音ビジネスマンは私にとってオアシスにいるようなものですと言うのは何度も私は兄弟が居て素晴らしい兄弟達が居ました、思うに私が今まで会ったすべての宗派、長老派、ルター派、バプテスト派、ペンテコステ派、すべての種類のペンテコステ派、チャーチオブゴッド、ナザレ派、ピリグラムホーリネス派、素晴らしい兄弟達は至る所に居られるのです、、、しかし多くの場合、彼等は彼らのコミュニティーに私を呼ぶことは出来ませんというのは?彼らがそれを信じないからではないのですが、彼らの宗派から出ることにになるからです。そしてそれをする時、もちろんそれはそうなるのです。
ここでそれほど前ではなにのですが、あるメソジスト派の兄弟が私の所に来ました。彼の名前を呼びはしません、良い人でした。彼は神の癒しに関しての論文を書いていました、そして話をする為に私の所に来ました。我々は一緒に座ってしばらく話しました。そして彼は言いました、「あなたに反対する唯一の事は、いつもペンテコステ派に人達と交わりを持っている事。
私は、「そしたらメソジスト教会にスポンサーになってもらえれば、私は来ますよ」と言いました。それは血が売っていたのですね?彼は言いました、「さて、もちろん、私はメソジスト教会ではないのです、ただ私はそこに所属しているのです」
私は「それだけの事です!」分かりますね?「彼等はがそのペンテコステ派の人達が鳥場を開けてくれているのです」分かりますよね・「そこに私は入る事が出来るのです」そして開けてくれる限り、我々はそこに入ります。ちょうど黙示録の3章で「私は戸の外に立って叩いている、誰でもとを開けるならば私はその中に入り彼等と食事をするであろう」とあるようにです。そしてそれはイエス様が言われているのです。我々は皆それがキリストだったと知っています。そして彼は御言葉なのです。その通りです。彼こそが御言葉なのです。
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だからこそ全福音ビジネスマンの集まりは行く事が可能なオアシスになり続けているのです。どの教会もそれをスポンサーしていません。彼等は皆いっしょにあつまっているのです、それぞれの教会から男性達が来て、そして世界中でどこでも交わりをする為に我々は集まるのです。
そして私は多くのチャプターを全福音ビジネスマンの為に世界中で設立する助けをしました。その機会が与えられたことを感謝しています。ビジネスマンたちがそれをスポンサーしてくれるのですそしてその時全ての教会は、とにかくそこに来たいのです。しかしその時、彼らの教会から誰かを引っ張り出そうとはしたくないのです。彼らの教会に居続けてその光を輝かせてほしいのです。本物のクリスチャンとなり、牧師があなたを感謝するでしょう。本物の忠実な純粋な聖徒、誰でも神を信じているならばそのような人を感謝するでしょう。その通りです!
さて、ここにいる兄弟と彼の妻そしてこの危機愛の為にこのチャプターを感謝しています。そしてこのチャプターが成長しますように。神の祝福がその上に注がれ神の手の内で道具となり主の来られる前に何百人もの人々が救われる助けになる様にーそのチャプターからの代表の人達の上にも。
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詩篇の中で、、、、さて、今晩本当におかしな議題についてしばらくの間話したいのです。ここに幾つかの聖句を書き出してあります、そして考えていたのです、多分、、、今晩何か違う事を話すことになるだろうしかし時間が経ったら、というのは、それほど長い時間にしたくないのです、そしてそこを開けたらもう少し聖句を開きたいのです。そして私が話したい議題というのは「携挙」です。分かりますね?
さて、われわれは携挙があると信じています。全てのクリスチャンがそれを信じています。聖書を読む人は携挙が来ることを信じています。
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そして今、その背景について読みましょう、我々は詩篇の25編を読みます、失礼しました、詩篇27の1-5節でした。
主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。
わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、彼らはつまずき倒れるであろう。
たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。
わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。
それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。
神の御言葉を読むことのゆえに主が祝福を加えて下さいますように。
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さて、今日、この議題について話します。。そして今、あなた方の数人は私が取ろうとしている方向性と違う考えを持っているかもしれませんが、ここにいる何人が聖書が教会の携挙があると教えていると信じていますか?はい先生!その通りです!教会を迎えに来る。メソジスト派であれ、バプテスト派であれ、長老派であれ、何であろうとも、ペンテコステ派、迎えに来る日があるのです。
そしてここに来て私は誰か人々を喜ばせるようなことを言おうとすることはありません。それに関しては罪は犯していません。ここに来たら言うように神に導かれている何かを話します、そしてそれがあなたを助けると信じています、何かもしあなたがクリスチャンであるならば経験を深める物でありもしクリスチャンでないならば、はずかしくさせ、クリスチャンになる様にさせることをです。そしてそれが目的でいつも主が私を導かれる考えと並ぶようにしているのです。
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さて、我々はこの教義の中で終わりの時に我々は叱責を受けることを警告されています。さて、それをしばらく読みましょう。第2ペテロ3章に在ります。
これをしばらく読みましょう。3章の3節と4節。これで正しいかどうか見てみましょう。
まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、
「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。
すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、
その時の世界は、水でおおわれて滅んでしまった。
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さて、我々はこの議題にとても光が当てられている理由がわかるのです、というのはこの時代にここでその預言者が終わりの時には、あざける者達が来ると言っているのです。分かりますね?それは預言されていたのです。それが理由で人々は今日その様に行動しているのです。。。だか聖書がそう言っているから「終わりの日には人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、
裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。(第2ペテロ3章2-5参照)間違いなくそうですね!
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モーゼがエジプトに赴きイスラエルの子らを解放しようとしたとき、彼の手には指示された杖しかありませんでしたが天の神が彼の後ろ盾をしていたのです、彼は奇跡を行いました。彼の背後に同じことを行うなりすましが居ましたね?さて、彼等はモーゼが初めに行って次に来たのです。そして彼等はその周りに来ましたと言うのは彼等はオリジナルをまねようとしていたのです。それが分かります。そして今、あなた方は「それはモーゼの時代の事だ」と言います。しかし同じ聖句が「終わりの時に彼等は再び来る」と言っています。「ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、こうした人々も真理に逆らうのである。彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。」(第2ペテロ3:8)分かりますね?なりすまし、全ての事を行って人々を真理から背けようとするのです。
そしてその遠き、もしこの携挙が起こるならば、、、そして何でも神が彼の言葉に並ぶものを持っているならば、常に彼等が出来るならば出て来てそれをひっ来る返そうとするのです。サタンの目的はそれをする事に在ります。
ラスベガスでのミーティングからここの兄弟が言いました、「サタン」が言ったのです、「世が彼の住む場所であり、彼の本部はそこに置かれている」サタンがこの世の神(小文字の神)であることを知っています。天ヶ下にある全ての国はサタンのコントロールされています。それはその通りなのです!この世はサタンに属しています。しかしイエス様がそれを取りに来られるのです。サタンはイエス様にある日それを提示されましたがイエス様は拒まれました、しかし彼は言ったのです、彼は彼が来るときには彼の相続人たちが居ることを知っていたからです。
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先に行く前に、欺くものという言葉について話していきましょう。
欺くもの達ーツーソンでイギリス出身のイギリス人が声明を作ったことに関して2週間ほど前に新聞で読んでいました。それは新聞のヘッドラインにありました、それはピラトとイエスの間に置かれた主イエスキリストの十字架はただの偽物だと、彼は何かを作ってただ彼自身が何かにする為だと。そして我々は彼にそれを嘘だと言う事は出来ないとなぜならば、すべて神の事は信仰によって受け取られているから。我々はそれを信じなければならないのです。さて、彼はとりあえずど尿になされたかに関して説明を書いたのでした。
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さてここで、それほど前ではないのですが、偉大な国、ロンドン、どちらかと言えばイギリスでジョンウェズリーとチャールズと多くの教会初期の時代の説教師たちが居ました、スパージョンそして他にもスーパーやどこでもかしこでも、彼等は彼らの時代のメッセージをひっくり返したのです。今日彼等がどうなっているかを見て下さい。ウィリアム兄弟や彼らが今晩いる場所があります。それは世界で最低に落ちた国々の一つです。その世界に行った事がありますが、イギリス程非合法な国は知りません。ビリーグラハムも同じことをいっていました。公園内で男女がしている行動のゆえに妻を公園から連れ出す必要が生じたのです。以前は改革に導いたことがあった機会のあった国でありながらイギリスに居た時、見たこと以上に心を砕かれる経験をしたことがありません。どれ程落ちぶれたかが分かるからです。
しかし、それがどうなのかが分かりますね、メッセージは伝わり、そのイギリス人は今日その同じメッセージを持とうとしています。今日それは上手く行かないのです。それは上手く行かないのです。
どの様にしても。。。
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もしモーゼがノアのメッセージを携えてきたら、「箱舟を作ってナイル川を下ろう?」それは上手く行かなかったはずです。そして又、イエス様のメッセージはモーゼによっては上手く行きません。そしてウェズリーのメッセージもルターの時代には、ルターの時代に反対にウェズリーのメッセージも上手くは行かないかったはずなのです。そして今日、我々は最後の最大の改革はペンテコステ派でした。そして今日、我々はそこから動きそしてペンテコステ派のメッセージをこれと混ぜ合わせる事は無いのです、それは別の時代の為だからです。それは全て神の御言葉ですがそれは建物なのです。足、腕、と言うように上がってくるように、それは携挙の為に花嫁を形作っているのです。分かりますね?だから彼らがかつて生きていた彼らのメッセージに戻すことがないように。それらすべては花嫁の中に出てくるのです。麦の茎を通してくるのと同様です。それは麦を離れるのです、殻ですが麦はそれ自身で形作り、麦の実となって地に落ちるのです。
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さて、しばらく前に、あるドイツ人が書いた批判的な本を読んでいました、彼は、「世の中に全ての狂信者、ウィリアムブラハムが彼らのトップだ」と書いていました。彼は「彼は何者でもないのだが、神はマジシャンのようだから。彼はこの様な事をすべてする、、、」というのです、分かりますね。その人は何も分かっていません。。。
そしてその時、その人は批判家だったのです。彼は神を信じてさえいませんでした。彼は言ったのです「神が暗黒時代を設営する事が出来た、彼は手を胃の中に入れて、沢山のクリスチャンが母親に成ったり彼自身の弟子たちが、、、小さな子供の母親といてそしてライオンに彼らが食べられるのを見て何も手を差し伸べないで笑っていた」というのです。肉的な見方というのが分かりますね、教育は決して幻を理解する事が出来ないのです。
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麦の実が地に落ちなければなりません。
イエス様が蘇るために死ななければならなかったのと同様です、ペンテコステ教会も落ちなければならなかったのです。暗黒時代に落ちる必要がありました。そして麦、すべての実が地に行くようになり暗い時代を通って実を齎すようになるのです。しかしそれはマルチンルターの時に芽を出し始めたのです。それが続き、ウェズリーそしてペンテコステ派にいたり、今は実になろうとしているのです。そして今、宗派の体制は置き去りにされているのです。彼等は茎の様なものです。それだけなのです。それは焼かれるのです、それが宗派の体制で巣。しかし本当の麦の実はこれらの改革の一つ一つから出て花嫁として主に合うようになるのです。彼等が皆一緒になって花嫁となるのです。
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さて、私達はイギリスで彼らが十字架の真似をしていたのがしばらく前に見つけたのです、それらの人達は、彼らの子供達と一緒にいました、長髪でイエス様を「パパオー」と呼び叫んでいる様な人々です。何という偽物。
さて、あなたは「それがイギリス、ロンドン」と言います。先週の新聞に書かれていたここアメリカでのものを見て下さい。ある有名な神学校の博士が十字架は偽物だと言い出したのです、イエス様はただ自分自身で創ろうとしただけだと、又イエス様はこの恋なすびを飲んだのだとそして、、それは聖書の創世記にその事が語られているのを見つけました。それはマリワナの様な草です。それはその東洋で見つけられるものです。そしてもしそれを飲むと眠くなるのです、多分あなたの、、死の状態、スランプ状態の様な一度に二日間か三日間眠らされるようになります。
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彼は言いました、彼らが彼に酢と胆汁を与えた時、それはきっと恋なすびに違いなかったと。そして彼らがそうした時彼等はそれを彼に与え彼は死んだかのように寝ていたのだと。彼等は彼を墓に入れてそこに寝かせたのだと。そして2-3日後にもちろんそこ得戻ったら彼は再び浮き上がって元気になっていたのだと。行ったのです、彼はインドに行きそしてどこかで普通の死を遂げたのだと。偽の宗教を作ろうとしたのだと。その初めに場所、それは批判的で、、、その人々の問題は何でしょうか?それはただ今日我々が生きている時代である事、つまりあざけるものに日々になるという事、そのことによって預言が成就されているのです。
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神様は各時代に彼の言葉を指し示しました。そして各時代においてそれぞれそれを表さなければならなかったのです。そして又その御言葉を成就するためにその時代に先見者達も定められたのです。毎回神が彼の御言葉を示した時、その為に人を支持されました。モーゼの時代に神が示されたとき、モーゼをそのために選ばれ示されたのでした。全ての時代で神は神の人を選ばれたのです、あらかじめ定められていました。聖書に書かれているのです、何も、もし神の無限な全知全能の偏在の方、神は初めから全ての事をご存知なのです。そして彼はご存知でした、何も決められていなかったのです、それはただそれを考えていなかったのです。それで全てが動いているのです、、、
神の言葉を振り返って又神がされていることを理解し、また我々は悟りを持つようになるのです。
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さて、ただ考えて下さい。初めに、もしその聖職者が考えたのです彼等が神の口の中に酢と胆汁を入れた時、彼は口から吐き出されました。イエス様は初めの場所にそれを取れなかったのです。分かりますね?それはただあざけるものが上がってきたのです。他の事を言えば、このナザレのイエスがどのようになったのでしょう、彼の人生は旧約聖書の全ての預言にあっていますよね?どうしてそうなるのでしょうか?神の指定以外にその様になることはあり得ませんでした。彼の人生は旧約聖書の全ての預言に会っているのです。外の事と言えば、もしそれらの弟子たちが彼をその様に誤魔化していたとしたら、彼等全員が殉教死に至ったのでしょうか?そして使徒ペテロでさえも「私のあまたをひっくり返してください、私は彼のように死ぬにはふさわしくない」と言ったのです。彼等は皆、彼等自身の血によって彼らの証を封印していました。彼等はイエス様を信じ愛して彼に人生を捧げていたのです。もし彼が偽物だったら、どうして彼等がそのような事をしたのでしょうか?霊的な適応を見て下さい、人々はそれを理解できないのです。
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ここにしばらく前に偉大な人が居ました、ラビでモーゼが紅海を渡っていた時の事を書いたのです、「それは実際水ではなかった、水は壁の様にはならない」と言ったのです。「それが何であれ、死海の最後まで会ってそこには沢山の葦があったから、そして彼は水の上を、、葦の水を渡った。そこには水がなくて、葦があって、葦の海を彼等は渡った」そして沢山の宗派の聖職者たちがそれを信じて受け入れたのです。
ここにしばらく前に、この最初の宇宙飛行士が上がって行って戻ってきて、彼は神をまったく見た事は無かったのです。それが又聖職者達を振り返られさえしました。彼等は神はそこに住んでいると150マイルの高さの所にいると思っていたのです。
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つまり、教育やこの世の知恵がその教会をブタクサの集まりのようにしてしまうのです。
教育または教育体制、科学、そして文明は悪魔の者です。それは悪魔の文明なのです。聖書がそう語っています。そして我々の文明はこの文明社会とは全く関係がないのです。それは異なる文明なのです。この世の文明と科学的世界、我々が得たもの、、、より科学的になれば、シカに入っていき、死や殺しに嵌る様な全ての事に入ってしまうのです。その新しい文明には、死も病も悲しみも痛みもないのです。分かりますね?
そこにはその様な物はないのです。だからこの今の文明は破壊されるのですと言うのはそれは悪魔の物だからです。
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創世記4章で我々はカインの人々が文明をつくり始める事を見つけられます、町づくり、街づくりなどなどそして楽器そして、科学などです。そして人々はより神から離れて行くのです、宗教はありますが、しかしセツの人々は神に近づき続け彼等は主の名を呼び始めるのです。欺きの物について話しています。
私は人々の感情を傷つけるためや何か教会について言うために来たわけではありません。そしてもしあなたがここにいてこの教会に属しているならば、あなたの感情を傷つけるために話しているわけではないのですと言うのは、他の教会に属している人と同じくらい沢山の良い人々が居る事も分かっているからです。しかし私は先週シェリーブポートでカトリック教会が作った声明文を作ったものを読んでいました。そして私達は大きなエキュメニカル協会において聖書が彼らについて言っていることをまさに成就しているのです。ちょうどまさになのです。
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さて、
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そして我々は今日この有名なあざける物そして聖書を馬鹿にするそしてそれを押そうとするときに見出すのです、、神は教会を何かによって裁かなければならないのです。彼等はこの道を降りて私を逮捕する事は出来ません又私が20マイルゾーンでは時速30マイル以上出すことは出来ません、何かが言わない限り20マイル以上出すことは出来ないのです。そこにいなければならないのです。そして神はその教会を裁かれます、、いつかその人々を裁かれることになります。我々はそれを知っています。裁きが来ることをです。そしてもし彼がカトリック教会によって鯖開くならば、どのカトリック教会ですか?もし彼がメソジストによって裁くならばバプテストは失われますね。もし彼がワンネスに胃よって裁かれるならばツーネスは失われていますね?彼はそれを何によって裁くのでしょうか?彼はキリストによってそれは裁かれると言いました、そしてキリストは御言葉なのです。そしてそれは神の御言葉、神が裁判官になるのです。「初めにことばがあった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった。そして言葉は肉体を取って我々の中に住まわれた。、、、そしてイエスキリストは昨日も今日もいつまでも変わる事は無いのです。」分かりますね?彼は御言葉によってそれを裁かれるからです。
そして今、我々はこの時代において彼等が聖書を押し出して教会を受け入れようとするとき、、、見出したのです。聖書はそれは欲しくないのです。教会ーそれは彼等は色々な種類の信条あるいは何でもそしてそれによって歩んでいたのです。
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シェリーブポートで先日の夜、犠牲の子羊を殺した時に関する聖餐式について話していたのです、7日間の間を通して膨らみはありませんでした。ふくらみのあるパンはなかったのです。全てが膨らまない者でなければならなかったのです。それが7つの教会時代、ここの本の中で得たものをを示していました。そして膨らまない者がありました。何かとそれを混ぜられていたのです。そして我々は信条と宗派と全てその御言葉とそしてまだそれを御言葉とよるものを混ぜ合わせていたのです。膨らまないパンは7日間ずっとそうなるのです。
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そして、たとえそれが今日食べる物、明日の為にそれを保とうとしないのです、日が昇る前に火で焼くのです、新しいメッセージがそして新しい事が出るのです。
そして、それを持ち続けようとする。しかしそれは教会の態度なのです。リバイバルは続いているのですそして初めにあなたが知ることは3年位いないに、彼等は組織を始めるのです。宗派は組織を始めるのです。そして気が付いていたはずです、これは20年間にわたって今掃かれているのです、そして組織はないのです。そしてそうはならないのです。これは終わりの時なのです。麦が又戻ってきているのです。麦は戻ってきてそれは粒になったのです。その殻はそれから取り去られるのです。そしてその麦は太陽の下に照らされて熟れたのです。
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東海岸でしばらく前に大きな停電がありましたそれって変ですよね。彼等はそれを理解できませんでした。先週テキサスで停電がありました。彼等には理解できませんでした。それが印であることを認識していますか?国々が分かれて行く事を知っていませんか?イスラエルはもともとの地に戻りました、そしてこれらは我々が終わりの時にいる事を指し示している印なのです!同時期に預言者が言った様に停電も印であることを知っていますか?「しかし夕暮れの時期に光があるであろう」それは夕暮れの時間に停電の時に物事が分かるようになるそれは今なのです。
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どの様にその停電が起きているかを見て下さい。
強硬派ただここに来ました。覚えておいてください、彼らが、-もしテープを持っているならばーあなた方全員が取っていると思いますがー主がこれらの教会時代において彼等がどのようにするかをタバナクルでその時代に示したことです。そして私はそこで彼らを役員として引いたのです、彼等は教会時代にあって、その書の中で引かれたのでした。そしてもし聖霊が大きな火の柱の中に降りてこなければ、そして壁に直接戻っていたら彼自身が彼らを3百あるいは4百人の人々が座ってみている間から引き出されたでしょう。そして教皇がここで始めたのでした、その月がどうにかして暗くなり、そして彼らが写真を撮って、同じ方法でそれはその演壇の上でそこで選ばれたのでした。さて、彼は13番目だったのでここで13歩進み13への聖餐式をそれはある国の番号が13番でそして停電は至る所で起こったのです。我々が今どこに居るか分かりませんか?我々は終わりの時に生きているのです。
「終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、
「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。」しかしこれらの事が起こり始めたら頭を上げて準備をし始めるのです、常に何かが起こる可能性があります。キリストは彼の教会の為に来るのです。
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さて、彼等はそれを信じませんというのは、、、彼等は彼らが聖句の成就の一つだと認識しないからです。人々は本当にこれらの事が起こっている事やこれらの事を言う事が聖句を彼らが成就させていることを認識していないのです。どれ程、大祭司カイパや他のその時代の祭司達がイエス様をあざけり馬鹿にしていたのがそれほど大した事は無かったのか、彼等自身が歌っていた「我が神なぜあなたは私をお捨てになるのですか?」(詩篇22章)と歌っていたまさにその神だと知らなかったのです。私の手と私の足に、、彼等はくぎを刺し、、、」宮でそれを歌いながらそして彼はそこで十字架上で死に絶えたのです、彼らがしていることを彼等はほとんど分かっていなかったのです。イエス様はこの様に祈られさえしました、「父よ彼等をお許しください、彼等は彼らのしていることが分かっていないのです」というのは彼等は盲目になると聖句によって先に告げられていたのが事実だからです。
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プロテスタントとカトリック教会は終わりの日に盲目になると先に告げられていたことを知っていましたか?外側から入ろうとするキリストになろうと聖句に同じことが書かれていますね?「7 あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」黙示録3章。ほらご覧なさい、再び目の見えないもの、神を馬鹿にすること、もしそれらは何の意味もないという事、あざける者と馬鹿にするものなので、それが聖書が言っている事なのです。
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しかし教会に、その花嫁に、携挙は彼女への黙示です。それは彼女に顕かにされた、その啓示、本物のキリストの花嫁は携挙の啓示を待っているのです。
さてそれは啓示なのです、その啓示は信仰なのです。信仰なしに啓示を持つことは出来ません。信仰は啓示なのですと言うのは、それは何かあなたに顕かにされた何かなのです。信仰は啓示なのです。信仰は何かあなたに顕かにされたもので、それはアブラハムのように、それは何かそれに反対する彼に顕かにされたのだった。さて信仰、、、それは信仰で、神の啓示なのです。教会は啓示の上に立っているのです、教会全体の身体です。
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さて、数週間前素晴らしいバプテストの牧師と話してました。彼は私と話しあうためにやってきました。彼は言いました。「私は人としてあなたの事を好きですが」「全て混乱している」と
私は言いました、「それでは私がまっすぐになる様に助けて下さるように祈ってください」さて、彼は言いました、「聖句と共に」
彼は言いました、「我々にはそれは不可能です、ブラナム兄弟、ギリシャ語など物事を一緒に我々は全ての言葉と言葉により、」
私は言いました、「オー先生、あなたはもっとよく知っています」私は「ニカエア会議でさえそれよりも遠い物でした、キリストの死から300年後でした、彼等はまだギリシャの学者が正しいのかどうかについて口論していました。あなたには出来ません、それは啓示なのです。その全ての事は、、
彼は言いました、「私は啓示を受け入れられない」
私は言いました、「それではどのようにしてキリストを受け入れられるのですか?」
彼は言いました、「その理由は、聖書が「イエスキリストを信じる者は永遠の命を持つ」と言っているからです。
私は言いました、「それは真実です。それも又、イエスキリストを聖霊がそれを彼にそのキリストが誰かという事を掲示しない限りそう呼ぶことは出来ないのです」分かりますね?そうなんです、又もとに戻りました、啓示に落ち着くのです。それは顕かにされなければならないのです。
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聖書の中で、、、カインとアベルは読むための聖書は持っていません弟子アが、信仰によってアベルには明らかにされたのです、それが啓示なのです。アベルはカインよりも勝ったいけにえを神にささげたので、神は彼を義とした。イエス様がマタイ16:17と18で尋ねられた時の事です、それを読む十分な時間がありませんがもし書き出したければ。彼は言いました、「誰が私を人の子と言っているのか?」
彼らの内の一人は「あなたはモーゼ、エリアあるいは他の人」と言っている
彼は言った「あなたは私を誰というのか?」
彼は言いました「あなたは生きる神の子キリストです」
彼は言った、「さいわいなるかな、ヨナの子シモン、肉や血はこれを顕かにしなかったが天にいる私の父がこれをあなたに現したのである、肉の内に創られた神、そしてその世に対してそれが明らかにされたのです。神ご自身は世に終われました。神はキリストで彼自身が世との間の和解を去れに来られ、肉の内に宿った神が顕されたのでした。
あなたはキリスト、油注がれたもの、人の子であられます」
彼は言われました「肉や血はこれをあなたに示すことはあり得なかったが、天に居られる私の父がこれをあなたに顕かにしたのです。この岩の上に、、、私の教会を当てよう(その時代の中での御言葉の啓示)の上に私の教会を建てるであろうそして地獄の門さえもそれに敵対して耐えることは出来ないであろう。
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黙示録は聖書。黙示録の22章に「19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」我々はそれは皆、信者に与えられていることを認識しています。そしてそれは黙示録の書が開かれて又この本すべての著者が誰かを明らかにされたのです(イエス様は創世記から黙示録迄アルパとオメガとしてみたのです、イエスキリストはちょうどまっすぐ同じように)そして彼は彼自身の奥義そして今後来る教会時代の為に彼の計画が顕かで又7つの封印によってそこに封印されているのです。
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さて、その書は書かれていましたがそして覚えられています、それは7つの封印で封印されていました。そしてこれらの7つの封印は解かれていませんでした、黙示録10章において、「 第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。(黙示録10:7)分かりますね?そしてそれは我々が生きている時代なのです。
我々は皆ラオデキア時代に生きていることを知っています。他の時代はもうありません;それはそうはなりません。そして我々はラオデキア時代に生きています、そしてこれらの7つの封印の本は人々には奥義なのです、その時代に開かれるべきです。それを神が約束しています。さて、それは御言葉からは絶対に外れません、御言葉から取るか御言葉を足すことは出来ないからです。それは常に御言葉に維持されなければならないのです。しかしその啓示はその真理が明らかにされたのです、聖句の残りに合わせたのです。そしてその時、神様はその真理を指定されています。
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分かりますよね、神様には解き明かしをする人は必要としません。彼は彼自身の解き明かしなのです。彼が言った事が起こるのは間違いなく彼自身の解き明かしなのです。初めと同じように、彼は言われました「光あれ」そして光がありました。それには解き明かしの必要はないのです。それは指定されていたのです。
さて、彼は聖句の中にこれは終わりの時に起こる特定の事としての約束だったのです。その通りなのです。つまりそれこそがイエスが神の御子であるという事なのです。神は彼を送ると約束されていました。地上で彼の時代に彼は居た時でした、そしてその人々は彼を信じていませんでした、彼は言いました、「聖句を探しなさい、あなたがは永遠の命を持っていると思っています、そして彼等は私について証言していたのです。もし私が父のわざをしなかったならば私を信じなくてもよい。しかしもし私を信じられないならば私のするその技を信じて下さいなぜならば彼等は私が誰かを証言していたからです。
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さてその時、ウェズリーの時代に彼が証言していた技がありました。ルターの時代の改革の時もその理由は彼はそれを証言したのです。ペンテコステの時代に、賜物を取り戻したのです、賜物の回復です、異言を語る事、悪霊を追い出す事、そしてそれを証言した賜物。それは冗談ではありませんでした。
人々は言いました、それは初めに立ち上げた時、、、私はペンテコステ派の歴史の本を読みました。彼等は言いました、「それは長くは続きませんでした、それは焼かれたのです」それはまだ燃えていますか?それはあなたが消したからです。神は言いました、そこに在ると。それは御言葉の部分です、そしてあなたがそれを取り出すことは出来ないのです。そしてその時、花嫁は呼び出されたとき、どのようにして出ることになりますか?それが御言葉が真実としてあらわれると五啓示なのです。そして我々はその時代に生きているのです。神に賛美!彼獅子のの奥義の啓示です。
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さてその携挙はただ、花嫁の為だけのこの携挙について話しているのです。
覚えていますよね、聖書は言いました、「5 (それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)」この素晴らしい携挙、、、もし携挙がないなら友よ、我々はどこに居るのでしょうか?我々は何をするのでしょうか?どの時代に我々は生きているのでしょうか?どのような約束があるのでしょうか?必ず携挙があるのです。聖書は行っています、それがあると、それは唯一選ばれたものだけ、選ばれた女性達、この時代の花嫁、教会だけを引き上げるのです。
まさに御言葉教会の意味は「呼び出されたもの」モーゼは国から国へ呼び出されたものでした、聖霊は教会から花嫁を呼び出したのです。教会から教会を、すべての宗派からメンバーを取り出して花嫁となるのです、花嫁の木です、それはテープにはいあっています、花嫁の木。花嫁は呼び出された者達、、、そしてそれは花嫁の木はある意味花嫁なのです、携挙の中に唯一入ったのですしかしながら、花嫁、初めから神によって選ばれたのです、天の父の霊的な遺伝子によるのです。
ここで1分泊りましょう、、、もし、、、私は神経質な思いを持ち続けていました、長い時間がかかります。
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しかし、気が付いて下さい;見て下さい!あなたの人々の一人一人に、遺伝子としてあなたの父の中に生まれてくる前に何年も知っているのですね?その通りですね!あなたの父の中で種の中の胚芽が男性から来たのです、女性からではありません。分かりますね?女性は卵を作りそこに寝かせることになりますが、種は父から来るのです。
さて、私の父あるいは息子はここに座っています。私が16歳の時、私の息子は私の中にいました。彼の事は知りませんでしたが、彼はそこにいたのです。さて、寝床をを通して、聖的な、彼は私に似ている物とあります。私は彼を知っています、私は彼と交わる事が出来ます。そして彼はそれは正しい時に来たのです。
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さて、その通りですよね、、、もし永遠の命を得たら、世にいる前に神の中にあなたはいたのでした。あなたはその一部です、神の子、神の属性なのです。彼はそのまさにその時代が来ることが分かっていました。彼はあなたをその時代に向けて起こる事があらかじめ定められていたそして他の人はその場所を取る事は出来ないのです。私はどれ程なりすましやそういった事をする人が居ようと気にしない、あなたはそこにいなければならないのである、神がそこにあなたがいる事を知っていたからです。さて、あなたは顕されたのです、今あなたは神と交わる事が出来るのです、それを神が欲しがっている事なのです。神は交わりを心から求めているのです、礼拝されることを求めておられるのです。しかしもしあなたの人生が、、いつも神の属性の中にいるのです、あなたはキリスト教のものまねなのです。分かりますね?何百も何千万物彼等はただキリスト教の物まねになっているのです。
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ある声明を最近したのです。デモシャカリアン兄弟がそこにいて彼らがハイブリッドの牛を持っている事や試験管で物事を起こしている医者達やこれらの事を見ているのを見ていました。
雄が実際に精子を出す時百万位毎回出るのです。そして雌からも100万物卵がある意味同時に創られるのです。しかし小さな精子が動き回って何百マン物物ですが、唯一一つだけが命になる様に決められるのです、そして唯一一つの卵子だけが子供を作れるのですご存知でしたか?そしてその小さな精子は他の全ての小さな精子とともに動き津辺の小さな精子はちょうど彼と同じように見えるのです、ここに上がってきて、その子供になる卵子を見つけてその中に入っていくのです。そしてそれから残りの全ては死ぬのです。さて、我々は処女の懐妊について話しています、それは実際の肉体的な誕生の半分くらいしか不思議ではないのです、それは初めから神によってあらかじめ定められていたからです。
さて初めに、ずっと昔に戻って、何年も前に時が始まる前に、もしあなたが新生したクリスチャンであるならば、今晩、その時既にあなたは神の中つまり天の父の中に居たのです。そしてそれが理由で、この地上での人生に入った時に、クリスチャンであることを宣言したのです、すべてがおかしくなるのです、あなたはなぜこれやあれや全ての事について悩んでいました。それをどうなっているのかと思っていました。しかしある時何かがあなたの心を打ったのでした。それは何でしたか?その人生は初めからそこに置かれていた物だったのです。
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鷲を見つける小さな話のように、その母親はその鷲を探していました。私がその説教をしたのを聞いたことがありますね、小さなわしが雌鶏の下で孵って生まれた話です。しかし彼女の習慣として鶏として彼等に餌をやろうとしたのですが、その小さなわしはそれに耐えられなかったのですと言うのは彼は初めから鶏ではなかったのですが、彼はその小屋の中に鶏たちと一緒にいて鶏に従っていました。しかし彼女は農家の前庭にあるものを探っていましたそして小さなわしはそれに我慢が出来なかったのです。しかし毎回雌鶏が泣いたり色々して全て他の小さな鶏たちが行くので彼もいっしょに行きました。
しかしある日、彼女の母親が彼女が二つ卵を産んだことを知っていたのです。もう一つがどこかにあるはずなのでした。彼女はそれを探しに行きました。飛び回って、終に彼女はその農家の前に丹羽の上に辺りまで来て彼女の赤ちゃんを見つけたのでした。彼女は彼に向って叫びました。そして彼はその声が自便の物だという事を認識したのでした。彼が探していた物だったのです。分かりますね?そして彼は彼は鶏ではなかったと認識したのです、彼は鷲でした。そしてそれが全ての申請したクリスチャンも同じなのです。あなた方が来るとき、どれ程多くの宗派に加わっていようがどれ程多くの名前を本や何かにかかれていたとしても、気にしません、本物の神の御言葉が指定されたものがあなたの前に本物となるのです、その様にそしてあなたがそこで自分自身が鷲であったことを自覚するのです。なぜならば、すべてのこれらのあわ脚の泣き声やあなたが加わったあれやこれやあちらこちらに言った事はナンセンスだったのです。それは純粋な御言葉に加えられた言葉に過ぎない物だったのです。
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精子が雌の子宮に入る時、迄すぐに嫡嗣はしません、、、あなたのお父さんからの人間の精子にあなたはならないのですそして、その時次にあなたは犬殻とか次は猫とか次は鶏とかにはならないのです、それは全て人間からの遺伝子精子なのです。そしてイエスキリストの身体、花嫁は彼の身体の一部になるのです、、彼は御言葉でしたそして花嫁は御言葉にならなければならないのです、御言葉が御言葉を加えると御言葉になるのです。ルターの義化、ウェズリーの聖くなること、ペンテコステ派の聖霊によるバプテスマ、賜物の回復そしてすべての物が一緒に動くのです。それは御言葉に御言葉を重ねなければならなかったのです、精子の上に精子、命の上に命、が主イエスキリストの花嫁の完全な身の丈となるのです。
さて、覚えていますね、あなたはその属性だったのです。
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そして今、その物事は、我々がこれらの事を見出したのち、キリストは彼の花嫁の為に来られるのです、今、どのようにその花嫁になるのでしょうか?さて、それが質問です。多くの人々は言います、「我々の会衆に加わりなさい」彼等の内の一つは特定の形式の洗礼をしたがります。他の所はこれやあれやをしたがるのです。ある人は、異言を語らなければ聖霊を持っていないとか、ある人は、異言は語らなくてよいという。ある人は御霊の中で踊らなければならない。そしてある人は叫ばなければならない。あるものはセンセーションを得なければならない。それは全て大丈夫ですそしてまだそれは全て間違っていいるのです。一人の人或いは一人の女性がどのようにして神の子として神の御霊によって生まれて神の御言葉を神自身がそれを解釈している時に言われている「これはそれで私がそう約束した、これなのだ」という物を否定する事が出来るのでしょうか。それほど簡単にその方法を神は示されています。というのは彼等はそれを見る枠がないのです。キリストが彼自身の御言葉を否定する事が出来るわけがありません、もしキリストがあなたの中に居られるならば、彼は彼自身の言葉を否定する事は出来ないのです。
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そして我々はどの様にしてこの身体に入ったのでしょうか?第1コリント12章、「一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。」もしあなたが下ろすならば、それは第1コリント12:13です「一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。」その御霊はキリストの命です(そうですね?)キリストの命。そしてすべての種の命ー彼は御言葉の種ーその種は命を齎すのです。分かりますよね?もしその命は種の中に在り又これは聖霊のバプテスマがそこに来て種の命を齎すのです。
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ここフェニックスで私が話したことはしばらく前です、私はジョン舎利っと兄弟に離したのでした。そして私はそこに出かけて気を見せたのです、柑橘系の木でした。彼は沢山柑橘系の果物を育て上げました。そして彼は私に一本木を見せたのです、それには8日9種類の果物がそれに実っていました。そして私は言ったのです。「シャリっと兄弟、それはどんな種類の木ですか?」
彼は「オレンジの木です」と言いました。
そして言ったのです、「なぜ、レモン、そしてみかん、タンゲロとグレープフルーツ?があるんですか?」彼は言った、「それは全て柑橘系の果物です:彼等は繋がっていたのです」オー私は言いました。「分かりますね、今、来年それは皆オレンジになりますね」しかし「オー違いますよ、それぞれの木はそれ自身のみを、すべての枝がそれ自身の果物をうむのです」
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あなた方の多くがここでこの柑橘系の谷で果物を育てておられるのでご存知ですね、それはそれ自身を見のさせるという事。あなた方がレモンの枝をオレンジの木につなぐとそれはレモンを実らせますと言うのはそれが柑橘系の果物の性質だからです。しかしそれは元々の果物を実らせる事は無いのです。そしてそれを我々はしたのです。我々は繋いで、信条や何かを一緒にしてそれぞれをここに繋がらせたのです。メソジストが他の何かをメソジストの子供達から齎せるのでしょうか?すべての宗派はそれぞれの宗派の子供達をどのように齎すことが出来るのでしょうか?
しかしもしその木がオレンジの枝をつければオレンジの実をならせるのです。そして又もし神が教会の中で何かをするならば、それは御言葉に再び間違いなく戻るのです。そうならなければならないのです、というのはその命はその木の中に在るからですそしてそれはそれ自身の実を鳴らすのです。
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さて、私達が見つける時、 大きな教会がその時代を通して動き、その実が生み出されたとしたら、その枝はやめて彼等はそれを切り取ることになります。ヨハネ15章に在ります、今その枝をとりのぞいているのです、彼は実を結ばないものを切るのです何故なら彼等はどんな実も産まないからなのです。そして我々は、、、
イエス様は彼自身の為の実を欲しがっています。彼の妻は彼の種類の子供を齎さなければならないのです。そしてもし彼らが子供達、花嫁の子供達、御言葉の子供達を齎さないならば、それは宗派の子供なのです。そして彼女の初恋は世であり宗派なのです、彼女はそちらに戻ったのです。そして彼等は本物の純粋なる新生したクリスチャンを齎すことは出来ないのですと言うのは、齎すことが出来る物が何もないからです。
もしあなたがレモンの枝を取ったようにそれは、レモンを齎すのですが、それはオレンジは産まないのです、それは初めからそうならないのですから。でもそれは初めから定められているのです、神があらかじめ定められた先知した物があり生まれるのです、それはオレンジを実らせなければならないのです、他の物にはなりえないのです。
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それが生きる神の教会のある道なのです。その時代が来るとき、皆が、、、あなたは神に何かをはじめっせるのです、すべての人達がボールを得てそして行くのです。
分かりますね?それはいつもそのような形なのです。私はマルチンスターの歴史をここでしばらく前に読んでいました。それはマルチンルターがカトリック教会をプロテストする事はそれほど難しくはなかったのですそしてそれと銅に動くのがしかしおかしなことを言いました、彼は彼の義化の上にまっすぐに進む事と狂信的で彼のリバイバルに従っていくのです。分かりますね。ただ全ての事が、なりすましと全ての事を彼に従っていたのです。
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エイミー・センプル・マクファーソン女史を見て下さいここにこのテンプルを持っていました。全ての女性説教師は翼を持って又聖書を同じように詰めていましたがただ肉的な物真似なのです。彼等はオリジナルには慣れないのです。そのようにしては教会は上手く行かないのです。一つの教会に何かあるいはある町に持たせたとしたら、他の教会は彼らがそれを得るまで我慢できないのです。分かりますね?彼等はもう何もオリジナルではないのです。神の御言葉はオリジナルなのです。それは言葉であり、そしてそれは時が来たら父なる神により選ばれあらかじめ定められたものに実を齎さなければならないのです。
さて、この教会にどの様に入ったのですか?この一つの身体、キリストの身体、花嫁になるべく皆一つの御霊によってバプテスマを受けたのです、それが御言葉です。聖霊によるバプテスマがあるのです。
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さて、我々の終わりの時かいなかどちらかに気が付いたのです。さて、我々もし創世記に戻ってみてわかるのですが、約5章です、あなたは又ルカ書を開くこともできます、そしてそこでもエノクがノアから7番目の世代だと分かります。エノク、。。そのサーパントの子孫を得るとして、もしカインがアベルの子だとしたら、彼は8番目になるわけです。分かりますね?しかし、聖書の中にどこにも、カインがアベルの事は書かれていません。あるいはカインがアダムの事も書かれていません、なぜならば、聖書はカインは悪しき者と書かれていました。そしてアダムは悪しき者ではありませんでした。分かりますね?カインは悪しき者でした。
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さて、ここで我々はエノクがノアから7番目の世代だと分かりました、それは教会時代を表していますね。さて、彼の前の6人は全員死にましたしかしエノクは動かされたのでした。エノクは携挙されたのです、7番目です、それが教会時代の7番目の教会が携挙する事を表しています。さて、疑う事もなく我々が7番目の教会時代にいるのです。我々は皆そのことを知っています。
さて、それは7番目の教会時代が携挙するのです。他の6人目までは全部死んだのです。しかしエノクはうごかされたのです彼は見つけられなかったからです。神は彼を連れていかれました。しかしエノクは景況しました、7番目の教会時代として呼び刺されるために、終わりの時の花嫁として呼ばれるのです、それがその時代の記録されているのです。何てことでしょう。今本当に深く掘り下げましょう。分かりますね?
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さて、ここに又7つの教会時代のタイプがあります、それは黙示録10:7で7番目の御使いのメッセージによって開かれるその書の偉大なる奥義デス。
さて、これら全ての上にメッセンジャーが居ます、そしてそのメッセンジャーは地上にいます。英語の御使いの意味は「メッセンジャー」を意味するのです。そして7番目の御使いのメッセージの中で、彼は彼のミニストリーを公表したのですそして、彼はミニストリーを始めた時は、、イエス様が始めた時、彼は病や苦労している人達を癒す事から始めました。「そしてオーその素晴らしいラビ、彼は預言者!です」そして皆彼の教会で彼を欲しがっていますが、彼はある日座って居た時に、言いました、「私と父は一つである」と、それは違っていました。それは違っていました。「 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。」「なぜ、彼は吸血鬼なのか」そうそう?それは違うのです。彼はそれを説明しませんでした。彼等は既にその表れが分かりました、それは彼の時代に対する御言葉の指定だったのです、彼らに証明しているのです、彼はその時代のメッセンジャーだったのです。そして彼は何も説明されていませんでした。
その弟子たちは説明を去れなかったかもしれませんが彼等はそれを信じたのです、説明が出来るかできないかに関わりなくでした。彼等はまだそこに座っていてそれを信じていました。彼等がもし彼の肉を食べて血を飲むならば彼等がどのように言う事が出来たのでしょうか?それが彼らが出来なかったことが彼らが信じていないならば彼等はあらかじめ定めるから、イエス様は言われました、彼は世の始まる前から選ばれたのです。分かりますね?彼等は信じました。彼等はそれを説明するかしない、彼等はまだ信じていました。
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さて注意して下さい!今、7番目の教会時代に、その7番目の御使いが正しいメッセージを始めるのです、神の奥義がそこで知らされたのでした。封印は改革者達の為には時間がありませんでした、ルターは十分長く生きなかったのです、ウェズリーもその時代に十分長く行きませんでした。つまり彼等改革者たち、彼等はその時代のメッセージを持っていました、そしてその人々を受け入れたのですそれはその後宗派かされてしまいました。そしてそれは何でしょうか?
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あなたは自然を打つことは出来ません。自然が常に宣言しています。神は自然と共に継続しているのです。そうでなければならないのです。太陽のように、太陽は朝登り、小さな赤ちゃんは生まれます。それは弱く、あまり暑い所には行けません。10時にそれは高校を卒業するのです。日の真ん中あたりには、人生に入っていくのです、午後3時になると年を取っていくことになります。午後5時に死ぬことになります、年を取って弱くなっていくのです、墓に行くのです。それで終わりでしょうか?次の朝再び太陽が上がるのです。分かりますね?
彼らの葉がどのように出るかが木を見ると分かりますね、彼らがする全ての事です。さて、我々はその木から葉が落ちるのです。何がですか?その命が木の根から来るのです。それで終わりなのですか?新しい命が次の春に戻ってくるのです。
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さて、改革と同じ事がどのように行われたかは教会を見て下さい。それははっきりします。暗黒時代の迫害の下で麦の実が地に落ちて死にました。それは地に入って行きました。それは死ななければならなかったのです。誰でも霊的な人ならばそれが分かるのです。その種が死んで腐らなければ、それはそのまま残るのです。そして暗黒時代下で地の中に入らなければなりませんでした。それはそこに置かれ、腐り、小さな双葉がルターの教会で芽が出たのです。ルター派の教会はもっと葉を出していきました、ツヴィングリそしてその他の人達もいました。それから、房の中に入って切って、それがジョンウェズリーになりました、素晴らしい宣教師を出した時代です。それは落ちて戻って来たのです。そこから欺きの時代、ペンテコステ派の時代に入って行きました。その麦の実は、、、
誰でもここで麦を育てたことのある人は?その麦を見ますね。それを見る時、そこに出て、言うわけです「麦がなった」麦がなったように見える時は、それが開いて閉じてみるのです、麦を得たことが全くないのです。あなたは殻だけを得たのです。マタイ24:24でイエス様は終わりの日には二つの霊が非常に近く選ばれた麦でさえも可能であれば近く共にあって欺こうとするのです。分かりますね?しっかり見て下さい、
それは運ぶものなのです。
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さて、その命はルターを通してウェズリーに来たのです。その命は、ウェズリーを出てペンテコステ派となったのです。その命は、ペンテコステを通って麦となされたのです。しかし彼等は運ぶものです。分かりますね?実際の人生でもそこを通るのです。メッセージも麦に向っているからなのです。その理由は麦は携挙を通ってこの上に上がるために全ての事を齎すのです。花嫁の命自身は各々の時代を通ってくるのですが、宗派の束は死に渇きって死んでいるのです。
この終わりの時にどの様にして今引かれているか気が付いていましたか?麦が成長し始める時、その殻はそこから離れて行き始めるのです。
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あなたがそれを見た時、振り返って見るとそれは小さな麦でした。この様に引っ張って開けてそれを見たらそして分かりましたよね、あなたは小さな麦の新芽を得たのです。30パワースコープをそこに小さな麦の新芽で見ています。ね?それはそのずっと前で死が、それは成長し始めているのです。さて、その殻はそこに隠れるためにいる必要がありチャンスを与えるのです。しかしそして、それが成長し始めてメッセージが広がり始めたのです、そして殻はそれからなくなったのです。そして命は麦に殻が入ってくるのです。続けましょう。その様に各々の時代があるのです。それはただ自然のやり方なのです、その様にして神の継続のやり方で神のされる方法なのです。
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そして今、今我々がまさに生きているその時代こそが、第7の教会時代なのです。
さて、それは全て麦の実の中で終わりの時にあらわされているのです。他の物が戻ってきます、さて、もしルカ17章の30節を見てみましょう、彼は言いました、「ちょうど人の子が現れる時も、ソドムの時と同じようであろう、彼自身がひとの子が顕かにし始める時」何が明らかにされるのですか?彼の啓示がこの時代に彼が何なのかをその人々に顕かにされるのです、その御言葉がその時代の為に知らされ、聖霊の現われによってその人々に顕かにされるのです、イエス様が我々のうちに住んでおられるようにはっきりされるのです。
そして覚えておいてください、彼は人の中に人を表されたのです。彼は言われました「その時と同じように」今、彼は我々が読んでいる同じ聖書を読まれました、創世記。さて、我々は創世記の章をイエス様がそれについて話しておられたときの事に気が付いています。
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さて、彼の背中がテントに向いていたことが分かります、サラはテントにいました、彼は言いましたーある質問をしたのでした。そして彼女は何が起こるかについて起こる可能性がある事を信じませんでした。彼は言いました、「さて、アブラハム、人生の時によって私はあなたを尋ねるであろう。そしてサラは、テントの中でそれについて笑ったのです。彼は言いました、「サラはなぜテントの中で笑っているのか」「そんなことがどうして起こり得よう?」と彼女は言っているのだ。イエス様は約束されそしてそれは彼自身でした、アブラハムは、彼をーエロヒム、全能の神と呼んでいました。それはイエス様だったのです。
さて、聖書はそれが終わりの時に戻ってくることを予言しています。イエスさがそういわれたのです。そしてこれらの事が起こるのを見始めた時、覚えていなさい、これらの事が起こり始める時そして、その時はその扉が近くなっている時と知るのです。
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今の時代の世界を見て下さい。この世を見てみるのです、もしソドム画素の様であれば、ソドムのようです。人々を見て下さい、この倒錯されたひどく狂った時代。彼らの心が倒錯されているのです。彼等は常識的な事さえ知らないのです。ならず者たちやホモセクシャルの者達そしてその他全ての事を見て下さい。我々の時代の女性達を見て下さい、不品行な荒くれた女性達、が見られます、それだけでなく、、あなたは言います、「それはメソジストだと」それはペンテコステも同じです。それは世界中がそうなのです。
男性達を見て下さい、彼等は、、、神の御言葉の代りに、神ご自身が完全にわかる時に出てくる代りに宗派の伝統にだけ少ししがみついているのです。その理由は、彼等は目が見えないのです。分からないのです。彼等が分かるようになることは決してないのです。
さて、我々が急いでいる間に何がここで起こっているかを見て下さい。その女性は我々に出て行って欲しいのだと思います、彼女の手の動きで分かります、何か他の事彼女は我々に出て行かせたいのですさて、急いだほうが良いですね。
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さて、今、エノクを見て行きましょう、その教会のタイプについて。さて、彼は又7つ目の教会時代の形式なのです。それについて考えられますか?第7の教会時代。 それがどう聞こえるか考えてみて下さい。
何院が7つ目の教会に7人のメッセンジャーが居ると信じていますか?オー聖書を信じているならば皆信じているはずです。もし聖書を信じないなら、もちろん、我々はそれを信じないのです。しかしそれは、、
さて、我々は7つ目の教会時代に生きています。そして聖書がこの7つ目の教会時代だという時、7つ目の教会時代のメッセンジャーは彼のメッセージを出し始めるのです、全ての事に対する奥義が今までの時代を通して曲げられたものがその時代において明らかにされるのです。そして今我々はそれを見ています、人の子が彼の人々の間に来られて何か間違いなく彼のメッセージを彼が言った事を確証させるのです。彼はそうされると。さて今ここで我々はこの最後の時代にいる事が分かるのです。
さて、、、そしてその7つが7つの時計のように見えます。彼は最初の時計、2番目、3番目、4番目、には来られなかったのですが、7番目の時計の時に来られるのです。それはエノクで7番目で、写されたのです、そしてノアは残されたユダヤ人のタイプで呼び出し続けられるのです。
さて、聖書の時代に、その時計については話されていますー聖書の時代では、夜は時間によって分けられてはいませんでした。
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(今、しっかりと聴いて下さい、これから急ぎますと言うのは彼らが部屋を使いたいからです)いいえ、聖書は別れていませんでした。あるいは夜は聖書の時代には時間によって分かれていたのではなく、見張り〔時計)によって分かれていました。
3つの見張り、時計がありました。さて、初めは9時から12時まで、二人目は12時から3時まで、3人目は夜として3時から6時まで、我々は3を取りました、そして3×3は9です、完ぺきでない数字です。
そして我々は7に携挙の為に戻ってくるのです、6時と7時の間あるいは6時と9時の同じ朝に起こると信じています。主のラッパが鳴り響くことによって、
明るく雲のない朝
キリストに会って死んだ物が蘇り
彼の贖いを分け合う栄光を
彼の選ばれたものが空を越えた
家に集まる時
太鼓が鳴り響く時
私はそこにいる。
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その「携挙」という言葉は聖書に全く使われてさえいません。我々がその言葉を置いたのです。聖書では「空中で会う、引き上げられる」と言っています。第2テサロニケか第1テサロニケに、この大いなる携挙が終わりの時に起こる順序がを読み事が出来ます。さてここでそれを聴いて下さい。13節から始める予定です 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。
わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。
わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。
すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
74
さて、ここで今素晴らしい事が起こっていることに気が付いてほしいのです。見逃さないでください。分かりますね。今気が付いて下さい、その御言葉はここで、第2テサロニケで3つの事、13節から16節まで、3つの事が主があらわれる前に起こらなければならないのです。(急ぎますね、さて、閉める事が出来ますね?)初めに起こるのは、叫びと声とラッパ、それを今読んでいきましょう、もしそれで正しいかみますね?
(16節)すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり。。。
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三つの事が起こります:天使の頭の声、合図の声、ラッパ、がイエス様があらわれる前に起こる必要があるのです。さて、頭の声、イエス様は下って来られるときイエス様は3つの事全てをなさいました。(叫び声?叫び声とは何ですか?初めてメッセンジャーが差し出す時、生きる命のパンが花嫁に齎されるのです、
さて、買い様がやる方法は一つで、そして彼はその理念を変える事はありませんでした。彼はポリシーを変えたことは決してありませんでした。彼は決して変えませんでした。彼は、、、彼は河原ない神でしあ。アモス3;7節で、神は何も彼の僕である預言者にあらわさないで地上でされることはないのです。そして神の約束と同意される異常、彼はそれをなさいまます。
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今、我々は教会時代を通ってきましたが、マラキ4章によると終わりの日には預言者がその地に再び戻ってくると約束されているのです。その通りです!気が付いて下さい、彼の性質そして彼がどのような人となるのか。神様はその霊を5回使われます、一度目にエリヤ、エリシャ、そして洗礼者ヨハネ、呼び出された教会、残された(ラムネント)ユダヤ人、5回、恵み(GRACE) イエス様(JESUS)、信仰 (FAITH)恵みの数字なんです。分かりますね?大丈夫ですね。
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さて、覚えて下さい、そのメッセージは約束されていました。そしてすべてのこれらの奥義は伝道の書の範疇に巻物として書かれています、それは神からの直接の預言者がそれを顕かにするしかないのです。そしてそれは神がそうすると約束されたものそのものなのです。分かりますよね?
さて、覚えて下さい、主の言葉は預言者に来るのです、神学者ではなく預言者です。預言者というのは神の御言葉の反射帯の様なものです。彼は何もいう事は出来ないのです、彼は彼自身の思いを話すことは出来ないのです、彼は神が明らかにされた事しか話すことは出来ません。預言者バラムでさえ彼が彼の権利を売ろうとしたときに、言いました、「預言者は誰でも神が彼の口に何かを告げられない限りどの様にして何かを言う事が出来ようか?」それが神があなたが他に何も言えない様にされることなのです。そしてあなたはそのような形で生まれるのです。
あなたに出来ることそれ以上何もないのです。
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もしあなたが目を開ける事が出来ない」と言えたとします、あなたが見ている時にです。分かりますね。あなたには出来るのです。出来る時にも手を叔母すことが出来ないのです。分かりますね?人間である時にいぬになる事は出来ません。ね?その様に創られたのですそして神は常に、、、イザヤ、エレミヤ、そして、、そのエリヤそして時代を通して、その伝道の書のグループが全てをごちゃごちゃにしたら、預言者を送り、どこからともなく彼を立ち上げるのです。彼らの状況には属していないのです、そして神の言葉を語るのです、その舞台の別の所に行き、いなくなるのです、神の真理をの為の強い男たちです。
そしてそれはいつも、彼に話すことが出来る様に、彼は言われました、「あなた方の中に一人の霊的な物が預言者がいるならば、、、と」
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さて、預言者、教会の中に預言の賜物としてそのような人がいましたがその時代の為のあらかじめ定められて、その時代の為にあらかじめ選ばれていた者が、、分かりますね。
さて、もし預言が進んだらそこにいる二人か三人で座ってそれが正しいか否かを受け取った教会の前で裁かなければならないのです。しかし誰も預言者の前に設定はされませんというのは彼は神の御言葉そのものであるからです。彼はその時代の御言葉なのです。神は神がその中に反映されていることが分かります。
さて、もし神が再び終わりの時に、花嫁から伝道者的な集まりを送ると我々に約束されたならば、それがなされる唯一の方法なのです。
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それはなされることはないのです。。その教会はキリストを受け入れることは出来ないのです。ペンテコステ派、今日の状態の教会にこのメッセージを持っていく事は出来ないのです。どのようにして今の状態に皆がお互いに反対していて伝道の書に反している物に終わりの時の物を持っていけばいいのでしょうか?憐れみを下さい。それは滅茶苦茶なのです。それは皆宗派に入って行ってしまったのです。そしていつでも、私が違いを言ってくれと歴史家に尋ねると。毎回メッセージが地に来てそして彼らがそれを組織化してその御霊がそこで即座に死んでしまったのです。そしてペンテコステ派も彼等全てがしたのと同じことをしてしまったのですーそこから出てきたペンテコステ派でさえも。
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あなた方アッセンブリーズオブゴッド、あなたの先人である母や父たちは組織を出てきたのに古い通常の理事会の様な主を賛美したり叫ぶことに敵対して居た人達の下に戻ってまるで犬が吐いたへどに戻る様に、豚が泥に戻るかの用意彼等がしたのと同じことをしたのです、そして愛の思いや伝道の書の厚さを締め切ってしまい、フェローシップカードなしでは仲間になる事さえもできないのです。
そしてあなたがワンネス、神はそのようなメッセージを与えました、あなたが先に進んで謙虚で居続け前に行く代りに弱くなってグループを組織しました。そして今皆さんはどこに居るのでしょうか?同じ穴のムジナの様なものです!その通りなのです。そして神の御霊は動きつづけるのです。「我主は、植え、水を日も夜も与えるようになる。。。」
神はこれらの事を定められていたのです、そしてこれを送らなければならないのです。
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初めに彼が天から下られる時に起こる事は、叫び声です!それは何でしょうか?それは人々が集まる様にというメッセージなのです。あるメッセージが初めに来るのです。さて、「灯りを整える時間です。立ち上がって、灯りを整るのです」それは何時ですか?7番目、6番目ではなく、7番目なのです。「さあ、花婿だ、迎えに出なさい。起きてあなたの灯りを整えなさい」そして彼等はそうしたのです、彼らの内の何人かは彼等の灯りに油がない事に気が付きました。分かりますね?しかしそれはもう灯りを整える時だったのです。それはマラキ4章の時です、彼は、それはルカ17章、それはイザヤ、、すべての預言は皆完全にこの時代の為に聖句の中に順番に整えられているのです、我々はその時代に生きているのです、
それにはもう、、
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分かりますね、これらの事は起っているのです、愛する兄弟姉妹、天に居られる神は私がこの演壇上で今すぐ死ぬ可能性があること牡ご存知です、あなた方はしばらく歩かなければならないのです。それはただ、それは神が天から来られあるグループの人々の前に立たれ、彼自身が何をされたかを宣言される時素晴らしい時になります。そしてそれこそが真理で、この聖書が開いているのです。分かりますね。我々はここにいるのです。
そしてその宗派体制は死んでいるのです。それには力はないのです。再び立ち上がる事もないのです。焼かれてしまうのです。畑にあるからと一緒に、、、そこから離れなさい。キリストの内に入るのです。「メソジストに所属している!」「バプテストに所属している」「ペンテコストに所属している」などと言ってはいけません。キリストの内に入るのです。そしてあなたがキリストの内になるならば、あなたが信じている事で書かれていない者はありません。他の人が何を言おうと気にしません。そしてそれから神がその事を表されているからですと言うのは、神は御言葉の上に御霊を注がれるのです、何が起こりますか?ちょうど種に水を撒くのと同様です。それは生きてその種類の芽を出して育つのです。
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あなたは「私は聖霊のバプテスマを受けている」と言ってもあなたが長い帰還において救われているという意味ではないのです。
ここを見て下さい、あなたは三位一体の生き物なのです。あなたはこの小さな人の中に魂があり、次に霊、そして肉体があります。さて、あなたはこの身体に地上とつながるために五感を得ています。彼等は他の物とは繋がらないのです。あなたは霊の5巻をここに得ているのです、愛や意識などなど。、しかしここがあなたが住んでいる場所です。それがあなたが何なのかを示すのです。
イエス様は、正しい者にも間違っている者の上にも雨を降らすと言われませんでしたか?ここにオナモミを植えて、そして麦をそこにそして彼らに水をあげて土に肥料をし続けも同じ水によって育たないのでしょうか?その通りですね!さてそれは何ですか?片方はオナモミになります、というのはそれは元々そうだからです。オナモミは手をあげていて麦と同じように叫ぶのです。
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さて最初に終わりの日には偽キリストが起こると書かれていませんでしたか、偽イエスではなく偽キリスト、油注がれたもの、偽の形で御言葉に油注ぐのです。宗派的な油注ぎは御言葉ではないのです、御言葉威信がそれを記録しているのです。それ以外に何も必要はないのです、それ自身が記録しているからです。そして偽の油注がれたものが来るのです。それについてのテープを持っていますね。それは油注がれたもの、オーもしあなたがある人を読んで、「あなたはイエスですか?」と言うと、「いいえもちろん違います」彼等はそれに我慢する事は出来ません。しかし、それが来ると「栄光、私は油注がれている、、、」そしてそれは純粋な油注ぎなのです。
覚えていますね、カヤパもその油注ぎがありそして預言しました。又バラムも同様で預言しましがしかし彼らの中には何もなかったのです。神の種は神の細胞が初めからありあらかじめ定められているのです。どれ程あなたが叫び、異言を語り、走り又叫んだとしてもそれは何の関係もないのです。あるオナモミはは残りの物と同様に叫ぶことが出来るのです。異教徒が立ち上がって叫び、異言を語り、人の骸骨から血を飲み、悪魔を呼び出すのを見たことがあります。分かりますね?あなたは彼らのをの様なセンセーションなどはいらないのです、忘れたいのです。あなたの心が御言葉に在りそれがキリストであるならば。そこにいるべきです、他の種のように開いてその生きている時代について宣言をし知らせる様になるのです。
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ルターは小枝を齎すこと以外出来ませんでした。これらの他の物たちは他の物を齎すことが出来なのです。我々は麦の時代にいるのです。ルターの人達、純粋はルターの人達は純粋なルターの教えを齎さなければなりませんでした。純粋なペンテコステ派純粋なペンテコステの教えを齎さなければなりませんでした。それだけの事です。しかし我々はその時代を超えて続けているのです。
あなた方はご存知のように、カトリックは五旬祭(ペンテコステ)から出て始まったことを知っていますか?そしてもしペンテコステ派の教会が2千年間立っていたら、今のカトリックよりもひどい状態になっているでしょう。その通りです!今私が言っているのは、私が愛している私の兄弟姉妹に対してです、神様はそのことをご存知です。しかし覚えておいてください、その裁きの時あなた方に会う事になるのです。そしてそれはそれほど先絵ではないのです。何が真理であるかを持っている必要があるのです。
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あなた方と病人の為に祈る集会に入って言った時、それは素晴らしかったですが、メッセージと共に来た時、、もし全てのメッセージがもしそれが真のメッセージならば、それが出ると、神の純粋なる奇跡が起きて、その組織の中にぶら下がる事は無いのです、それは神の物ではなくなるのです、というのは既に宣言されている事だからです。イエス様は人々から関心を得るために病人を癒すために進んでいきました、そして彼のメッセージを出したのです。その通りです。神のされる何か紹介すべきものがなければならないのです。神の癒しは、、奇跡の様なもので人々の目を引くのです。そのメッセージこそが主流の事なのです。その為にあるのです。それはここに来なければならないのです。彼は人々のひいきを得ようとしていますそして彼等は座って彼の言う事を聞きます。分かりますね?そこの中に何人かの定められた命があるのです。そして麦が地に落ちて鳥がそれを拾うのです。そしてあるものは茨に落ちて、あるものは準備された地に落ちて実を生むのです。
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さて、初めの事はその音について、、あるいは、初めはラッパあるいは声、あるいは叫び声、そして彼らの声そしてラッパ、叫び声、メッセージが準備されている人々に行くのです。二つ目は復活の声なのです。同じ声で、ヨハネ11:38と44で墓からラザロが呼び出されている大きな声で巣。花嫁が集まりまず死んだ者達が蘇り、空中で会うのです。さて、3つ目に起こる事が何か見て下さい。
次は何でしょうか?それはラッパなのです。声ー叫び、声、 ラッパです。
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さて、3つ目の事はラッパなのです、常にラッパを吹き鳴らす祭日が人々をその集まりに呼ぶのです、それは子羊の婚宴(花嫁の婚宴)となります。花嫁と共に空の中で行われます。
分かりますね、初めに来るのは花嫁を集めるための彼のメッセージです。次に寝ている花嫁たちが復活して他の時代の人達もです。そして共に空中である尾です、そしてラッパがなり天でその祭典、婚宴が行われるのです。つまりそれが行われるようになるのです。皆さん。
我々は今そこを準備しているのです。唯一の事、教会は太陽の前に横たわって出て来て成熟しなければならないのです。最も重要な集まりはその後起こるのです。麦は焼かれ、その茎しかしその実は倉庫に集められるのです。分かりますね?
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あなた方は目の見えない者達ではありません。あなた方は賢明な人たちですそしてもし私がここに立って偏見の為にこれらの事を言ったならば、、、私はそれを命の為に行っているのです、なぜならばそれを言う事が神への私の責任だからなのです。そして私はそれを言わなければならないのです。そして私のメッセージ、、すべての時に癒しの下にある事そしてそのような事で、人々の関心を集めるならばそのメッセ―ジが来ることを知っているのです。そしてこの様に。
そして7つの封印は解かれました、その奥義は解かれ何が起こるのかを見せられています。私はそれを知りませんでしたが、ここにいる人々が居て今私と一緒に立っていて、あなたが私がその説教「主よ、今何時なのですか?」という説教をしたとき聞いて居た方達がここに立っています。そしてその朝、ちょうどそこで言われたときに7人の御使いがそこに天から来て立っていました。そして彼等は上がって行き、つむじ風がそこから彼らを引き上げたのです、我々はそこに立って彼等が行くのを見ていました、科学はその写真を撮って国中そしてメキシコ迄の物を取ったのです。
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そしてそこで私が見て居た時、、
ある日、これらの7つの教会時代について話し始めた時、そして偉大な神学者であるジャックムーアを呼んで言いました、「ジャック、そこに立っているこの人は誰ですか、人の子の様なものが白い羊毛の様な髪の毛を持ってそこに立っている」私は言いました、「彼は若い人でした、どうして彼の髪が羊毛のように白く成りえますか?」
彼は言いました、「ブラナム兄弟、それは彼の栄光を受けた体なのです」その事ははっきり分かりませんでした。しかし私が部屋に入って祈り始めた時、神はそのことを知らせてくれました。
分かりますね、私はいつも彼は神だったただの人ではなかったと話してきていますね。彼は肉体を持った神だったのです、神の属性は会いです、神の地上にここに来てその偉大なる属性を示しに来られたのです。イエスは神お会いだったのです、エホバご自身が肉体を建ててその中に住まわれていたのです。彼は神の頭が肉体を取った全ての成就だったのです。神がその物だったのです、神ご自身が肉体を通して洗われていたのです。その体は彼の血によって花嫁が洗われることが出来るために死ななければならなかったのです。
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そして気が付いて下さい、花嫁は洗われ、許されただけでなく、義化されたのです。分かりますね?「義になる」という言葉の意味を理解しようとしたことがありますか?さて、例えば、もしグリーン兄弟が、私がお酒を飲んでいたり、悪い事をしていたことを聞きそしてそれを見つけたとして、そして私はそれはしていなかったとして、彼は来て言うのです。「ブラナム兄弟、私はあなたを許します」
「あなたが私を許すのですか?私はそんなことをした事は無いのです。何について私を許すのですか?」分かりますね?しかしもし私に罪があり、許されるのであればしかし私はまだ義ではないのです、何故なら私はそれをしたからです。しかしその「義になる」という言葉は「それをまったくしたことがなくても」-義化される。そしてイエキリストの血が我々を清め、神が忘れて下さった書にかかれるのです。彼だけがそれをすることが出来る方です。我々は許せますが忘れられないのです。
私はあなたを許すことは出来ますが常にあなたがしたこれらの悪い事を覚えています。そしてあなたは義ではないのです、許されているのです。しかし神の目において花嫁は義とされているのです。彼女は初めからそれを行っていないのです。アーメン。そこに立って、初めから罪をまったく犯したことの無い神の尊結婚するのです。なぜですか?彼女は初めから定められていたのです、彼女はこの中に入ったのです。そして今、彼女が真理を聞いて進んで、その地によって清められたのです。そして彼女はその聖さの中に立っているのです。彼女には全く罪はないのです。
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それゆえに、メッセージが花嫁を集める為に呼んだのです。分かりますね?その叫び声とラッパ。大きな声と共に同じ人が、彼は叫び声でラザロを起こすために叫んだのです。彼は大きな声で「ラゾロ前に来なさい」と泣いたのです。分かりますね?そしてその声が眠っている花嫁、眠っている死んだ者達を起こすのです。
そしてそのラッパの音と共にそしてそれが出る時、、、常にラッパの音はイスラエルがラッパの音での聖祭の為に呼び出すのです、それは五旬祭のお祭り、空中での素晴らしいお祭り、ラッパの音の聖祭、、、そして今、ラッパが共に来るように呼び出すので、聖祭に呼ぶために、、そして今子羊の婚宴は空中で(さて、見て下さい)花嫁たちが共に集まるのです、ラッパの聖祭、婚宴なのです。
我々は、そのタイプの中でそれが分かったのです。さて、我々が閉める前の瞬間を見ていました。
我々はそのタイプが分かったのに気が付いたのです。
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さて、もしマタイ18:16を読みたいのです、それは3人の証人がいるのです。
分かりますね?第1ヨハネ5:7そしてその続き、3人は常に証人なのです。それで大丈夫ですか?それは検証なのです、何かそれは正しいのです。3人の証人が、「二人、三人の証人の言葉によってなる」
さて、気が付いて下さい、我々には3人の証人が居ます。3人は証人です。さて、我々は既に旧約聖書の中に3回の携挙があります。(ご存知でしたか?)証としてです。さて、見て下さい。エノクがまず一つ目、エリヤがもう一つ、そしてイエスがもう一つでした。イエスは今、くさび石になっているのです、彼が示しているのです。わかりますね、彼は旧約聖書と新約聖書のくさび石なのですと言うのは、彼は初めに死にそして携挙しなければなりませんでした。彼は死にましたそして命が来てそして我々と共に歩き回り、そしてその時携挙して上がられたのでしたと言うのは彼はその二つと共にシッカリつながっているくさび石だったからです。彼が蘇られ引き上げられた後、(見て下さい)彼がそこで旧約聖書を証明したのでした、我々は皆エノクが写されたことを知っています。我々はエリヤはつむじ風によって連れていかれましたよね?火の馬車の中で、そしてイエス様は死なれ、埋葬され、蘇られ、再び地上で暮らしてそして天に引き上げられたのです、そのくさび石。それは3人の証人なのです。そうでしたよね?
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さて、既に過去に携挙はありました。知っていましたか?もし我々がすぐに読めないならば、見てみましょう。マタイ27章を見ましょう、そしてマタイ27章45節にいます。もしすぐにできないならば阻止t得もし27章と25を急いで見てみましょう。ここに書いたと思います。では読みましょう。
さて、6時間目から地上に9番目まで闇があるのです。
そして9時間目にイエス様は大きな声でエリ、エリ、ラマ、サバチャニ?それは、我が神我が神なぜ私をお捨てになるのですか?
彼らの何人かは立っていたのです、それを聞いたのです、そして言いました、この人は、エリヤ。。
そして彼らの内の一人がまっすぐに走って、スポンジを取って、そして酢で満たして、それを持っていき、彼に飲むように渡したのでした。
他の人が言いました、エリヤが来て彼を救う事になるのを見せて下さい。
イエス様、彼が泣かれたとき、大きな声で譲渡する(大きな声、大きな声、時計、イエス様は大きな声をあげて叫んだ時)死んでいったのです。
そして聖所の幕が上から下まで真ん中で裂けたのです。そして地が揺れて岩も割れた。
そして墓が開けて、沢山の身体が、、、、眠っていた聖徒が蘇った、
そして彼の復活の後墓から出て、天の市に行きそして多くの人の所にあらわれた。
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一つの携挙が起こった。3つの携挙が旧約聖書の中で巣の御言葉で準備されていた物が起こったのだった。分かりますね?主の言葉はエノクに来ました。主の言葉はエリヤに来ました。彼は預言者でした。分かりますね?主の言葉はイエス様でした。そうですよね?
旧約聖書の中で、旧約聖書の聖徒達がさて、この携挙が初めて起こった時に、、、さて、50節を見て下さい、彼の大きな声が旧約聖書の聖徒達を起こして、ちょうど、イエス様がラザロを起こしたのと同じ大きな声でした。分かりますね?その大きな声が彼を起こしたのです。そして2つ目は第2テサロニケ4章で成就されました。それでは読みましょう、我々は数分で読みましょう。分かりますね。12 そうすれば、外部の人々に対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。
兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。
わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。第1テサロニケ4:12-18 それが第2の携挙になるでしょう。その第2の携挙で花嫁たちを迎えに来るのです。
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旧約聖書の聖徒達は、彼の臨在の中に行き、パラダイスは終わったのです。そして旧約聖書の聖徒達は彼の大きな声で彼が死に耐える時に叫んだ声によって上がって行ったのです。なぜでしょう?それが、捧げものだったのです、彼らが待っていた罪の贖罪なのです。完璧な子羊が来ると信じています、彼等は子羊の捧げものを捧げました。そして彼が死んだときそして、霊になりました、彼は大きな声で叫びましたそして、旧約聖書の聖徒が目覚めたのです。叫び声と声がここに、彼が来るのと同じことを見て下さい。分かりますね。息を引き取ってそして彼の捧げものは完璧だったのです、そしてパラダイスが空になったのです、そして旧約聖書の聖徒達は、地に再び来て地を歩き回り、彼と共に携挙に入って行ったのです。
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ダビデはそこでこう言ったのです、「 門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。」(詩篇24:7参照)
彼はとらわれていたとらわれ人を導き人々に賜物を与えます。旧約聖書の聖徒達は彼と共に行きました、彼等は言いました、「8 栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。
門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
この栄光の王とはだれか。万軍の主、これこそ栄光の王である。」
その声は内側から来るのです、「栄光の王とは誰か?」
「 栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。」
その門は開かれました。そしてイエス様、克服者であられる方がとらわれた人々で彼を信じていた者を導きその御言葉が彼らに来たのです。
旧約聖書の聖徒達はそこで横たわり待っています。彼等はとらわれ人を導き旧約聖書の聖徒達を連れて高く上がって行かれたのです。その一つの携挙は既に終わっているのです。
次の携挙が行われるのは第2テサロニケに在りその教会、花嫁の為で、復活されて栄光の内に引き上げ有れるのです。
「生きている者と残っている我々は(地上に残っている身体)寝ている者達に妨げられる事は無い、神のラッパがなり、キリストに会って死んだ物が初めに蘇り、そして我々生きている者は空中で彼等に会う事になるであろう」
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先日、私は通りの角に立っていました。私は通りの角に立って、その第一次世界大戦休戦記念日のパレードを見ていました。そしてそれが上がってきて、その通りに出てきました、私はそこで小さな息子であるヨセフと一緒に立っていました。彼等は来て、初めに古い第一世界大戦のタンクが来ました、小さな古いタンクです。その後大きなM4中戦車が来たのです、新しい戦車で大きな銃口で爆発を伴う大砲があるものです、そして銃口で爆発が伴うのです。そして兵士がその後やってきたのです、そのゴールドスターである母親もです。そしてその時、その様に浮かんでいました。そして浮かんできたのです、知らない兵士たちへの墓の前にそしてその墓を守るために兵士たちがそこに立っていました。反対側に海兵が立ちそして若い妻が彼女の頭の上で又反対側にも海兵が立っていました。分け目が引かれていて反対側にゴールドスターの母親が座っていました。彼女は彼女の息子を失ったのでした。若い妻が彼女の頭でテーブルの上で泣いていました、小さな感情な男の子が反対側に座っていました、そして彼の顔に涙が流れていたのです、彼は父親を亡くしました。私は思ったのです、「ここに立っていて何て悲しいのでしょうか、そして見たのです、分かりますね、そして数人の兵士が残っていただけで、そこに行進していて、足をくじきそして年を取ったのです、彼らの制服でしかし誇り高く彼等は見せていたのです、何故なら彼等はアメリカ人だったからです。
私は思ったのです、「オー我が神」と
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ある日、天から爆音が来て、キリストに会って死んだ者達が初めに蘇るのです。彼等旧約聖書の聖徒達は初めの爆音が来るのを待って居た人達でそして復活したのです。我々は空に行く為にちょうどそこにドロップをしたのです、これらの古い死すべき体が彼自身の栄光を受けた体に帰られたのです。彼らが生きていたその時代の為に神のメッセージは彼らの胸の上にイエスキリストの血を誇りをもって見せるためにその携挙の時に天に向かってパレードが始まるのです。それを我々が楽しみにしている時間なのです。兄弟。
さて、(閉める時を)見て下さい、2回目の復活、最初のは終わったのです。二つ目のは、今現在来ようとしているのです、まもなく来るのです。
さて、3番目は黙示録11:11と12の二人の証人の物です、これらはユダヤ人たちへのキリストの御霊による証人となるのです、ヨセフが彼の兄弟にした様にです。そしてあなたは覚えていますね、彼らの真だ体はその通りに3日間と半日横たわり、命の御霊が彼らに入ったのです、そして彼等は携挙されていたのです、天に連れていかれるのです。新約聖書の3つの携挙がありませ板。旧約聖書の3つの携挙は皆起こったのです。
さて、我々は聖徒達の携挙を待つために準備したのです。それは語られていて又そうなるのです。
神が
天地は滅びても神の言葉は滅びる事がないと神は言われました。
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神が創世記の1章に戻って「光あれ」と言われたとき、光がある前に何百年も時があったかもしれません。「椰子の木よそこにあれ、松の木よそこに在れ、砂漠よそこに在れ、山をそこに在れ、これがそこに在る様に」とも言われました。彼はそれを言われたのです。分かりますよね?そして彼の位置に言葉がある限り、それは洗われなければなりませんでした。それはそうならなければならないのです。
そしてある日、彼は彼の人々を呼びだされたのでした、そして彼はある人に火の柱によってモーゼの名によってかたっていたのです、光、聖い者、聖い火。そしてモーゼは、、、人々はモーゼを信じていませんでした、そして神は言われたのです、「彼らをこの山から連れ出すのです」
その朝、その山は全て火でいっぱいだったのです、雷鳴やら雷など、そしてその人々は言いました、
「神に話させるのはやめよ、モーゼに語らせよ、そうでなければ我々は死ぬであろう」
神は言われました「我々はこの様にはもう話さないが彼等の中から預言者を建てる。そして彼を通して語る、もし彼が語ったことであなた方が聞いたことは起こるようになるのですと言うのは私が彼と共にいるからです。さて、彼はその様に話されました、彼は「それは起こるようになる」と言ったのでした。
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そこに立っているこの預言者イザヤを見て下さい、知的な人で、王によってとても良く思われていました、というのは彼はウジヤ王につかえたのです、ウジヤ王は素晴らしい人でした。説教師の場所を得ようと試していました、そしてライ病にされました。そしてそれをビジネスマン達に話したのです。説教師の場所を取ろうとしてはいけません。絶対にです。あなたのいる場所に留まるべきなのです。分かりますね。あなたの神があなたにする様にという仕事をしてください。もしあなたが指ならば耳になる事は出来ないのです。耳ならば花にはならないのです、鼻にも目にもなりませんね?あなたの立ち位置に居続けて下さい。
あなたは放送上で先日そのメッセージを聞きましたね、「神に奉仕をしようとする」ダビデは油注がれた王です、すべての人々が叫び声をあげたのです、それは正しかったのです、しかし彼は神の預言者に決して相談しませんでした。そしてある人が死にました、全ての事が苦みになったのです。神のひいきになる事をしようとしないでください。神の時に成るまで待つのです。神がされる方法で来るようにするのです。「この大きな事を始めるのです、これをする様になるのです。」兄弟、気を付けて下さい。
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さてダビデはそれ以上に良い事を知っていました、な単はその地にその時代にいました。彼は全く相談をしていませんでした。分かりますね?彼は千人総長と相談していました。全ての人々は叫び声をあげて踊っていましたそして(はっきりしない言葉)彼等は全ての宗教の動きをしていましたが、それは正しい位置にいなかったのですそして神の言葉の順序だったのですそして、それは失敗していました。そのラインに繋がっていなかったから神の言葉が失敗するのです。唯一神の御言葉は永遠に立つのです。「天地を滅びても私の言葉は滅びる事は無い」
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気が付いて下さい、イザヤはそこにいた知性的な若い人でした。即座に御霊が彼に来たのです。彼は何も他の事を言う事は出来ませんでした、彼は預言者だったのです。彼は言いました、「おとめが身ごもってひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。永遠にその肩にあるのです。」その知性的な人が人がおとめが身ごもるなどと言えるのでしょうか?皆がそれを探していました、、、それは話されていたのです、それは「主がこういわれる」だったのです。それは起こるしかないのです、それは神の御言葉で同じものが創世記の中に在ります、彼は海の下に種を蒔いたのです、そこには形もなく、水の深みの中に在ったのです。分かりますね、それは起こらなければならなかったのです。
そしてある日800年後、おとめの子宮の中で神の種が身ごもったのです、創られた種です。彼女は御子を産んだのでした。そしてある人が4日間死んで腐っていたのです、彼の鼻は落ちて、臭くなっていました、彼は前に出てきたのです。そして言ったのです、「これを驚いてはならない、その時は来るのです(アーメン!)全ての者は墓の中にいて神の御子の声を聞いたのです。」そし手それは語られていたので、起こらなければならなかったのです。だから携挙は起る事なのです。
間違いのない事です!
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私のカリフォルニアでの最後のメッセージを覚えているのです、そこでロサンゼルスが海に落ちることを予言した時以来戻っていません。そして「主がこう仰せになられる」それはかならずなされるのです。彼女は洗われ、終わるのです。いつにでしょうか?私はいつだかは知りませんがそれは沈みます。それはちょうど自身がかなり大きく始まる直後です。
多くのあなた方がそこに立っていたのを覚えていますね、その岩はその日天使がそこに降りてきたときに、光と火が天からその岩の周りに降りてきたのです、そこに彼等は立っていたのです、岩は山の中で見つけられてそこに落ちて行くのです。又彼女は3回強い爆音を出しました、私は言いました、「裁きが西海岸に下るであろう」二日後アラスカがほとんど沈みそうになりました。
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覚えておいてください、その同じ神様が、ロサンゼルスは呪われていると言われたのです。その街は終わったと。いつだかは私には分かりません、その時を告げる事は現在は出来ません。
それを言ったかどうかは分かりません。しかしここにいるこの兄弟はそれを信じています。いいえそれはモーズリーの一人だったと信じています、私をその通りに出て行かせました。振り返るまでそれが何だか知りませんでした。そして聖句を見直してイエス様が言われたのです、「カペナウム、カペナウム、お前は自分自身を天よりも高くすることによって地獄に自分を齎しているそれは自分自身でソドムでしたのと同じ力強い仕事で今日それは未だに立っている」そして150年位そこにいて、ソドムは地上にいるが、カペナウムは今日水の中にいるのです。
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そして同じ神の御霊がこれら全ての事を語りなさいましたそれはそこで「オーカペナウムの街よ、あなた方自身でエンゼルという名を呼んでいる、ロサンゼルス。自分自身を天よりもどのように引き上げるつもりなのだ(まさにその根はサタンの足元にあるのに)あなたはあなた自身を引き上げた」
説教師たちよ、それらは彼等にとって墓になった。良い人達はそこに行って鼠のように死んでいるのです。何という大混乱でしょうか。
「あなた方自身は天使(エンゼル)の名で自信を呼んでいる、もしその力強い技がソドムにでなされていたならばこんにちはで保たれていたであろう。しかしあなたの時が来る」しっかり見て行いなさい。もしそうでなければ私は偽預言者になります。分かりますね。彼女はそこにいてそこに横たわっていたのです。
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その晩のことを覚えています、、それを見る前に、花嫁のプリビューを見る前でした。私はそこに立って、美しい小さな女性が正しく服装をし足り物事を行いつつこの方法で更新をしているのを見ていました。幻の中で数人が立っているビジョンを見たのでした、そして、私は見たのですそして彼等は言いました、「花嫁の予見」私は行きつつ彼女を見ていました。彼等はこちら側に来て行ってしまいました。
そしてそれが出てくると言うのを聞きました、教会はこの反対側に来ていました。そこにアジアの教会がありました。オーあなた方は汚れについて話しています。欧州の教会が来ました。オー何という事!そしてその後私はロックンロールが来ることを聞きましたそしてミスアメリカ、教会などもです。そして彼女は洋服さえも持っていなかったのです。彼女は神の様なもの、新聞、灰色で、彼女の前を、、ロックンロールで踊っていましたーミスアメリカは教会だったのです。
私は神のご臨在の中で立っていました。私は思っていました、「オー神様、神に仕える者として、もし我々が出来る最善をしているならば」あなたはどの様に感じるかを知っています。そして私は思ったのです「もしここから逃げられたら神様私を隠してください。もし我々がしたこと全てが私がつくったものでした。もしそれが、、
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そしてその時、女性達は全てのロックなどそして短髪そして化粧などなどをやっていました。そして、彼女達はキリストのおとめとされているのに彼等はそのような事をしていたのです。そして彼女はその様にして居た時、、私は頭を回して、彼等はそれらを持っていたのです、それは本当に不名誉な事でした。それでも彼等はそのような事をしていたわけです。
私はそのようなことをしていたのを見て泣かされていました。私は、そこに立っている事は出来ない、彼はそこに立っていました、私は教会の聖職者として、私は神の為につくっていたのです。私は言いました、「オー神様、私はそれを見ることが出来ませんでした。死なせてください。静かに消える様にしてください」そしてその様になったのです。
そしてそれらがなくなったらすぐに、毎回彼等の一人が出てきたのです、彼等は特定の場所に出かけてそれを捨てて、私は出てくるその音を聞いたのです。そしてその時私は「オンワードクリスチャンソルジャー、(進めクリスチャン兵士たち)」の様なものを聞きました。そして私は見てみてそしてここに来て、福音の進みに行進の様なものをスムーズで綺麗にして彼らの頭が伸びていて全て正しい服装をしていたのです。彼女は御言葉だったのでした。全ての国の一つのようでした。私は彼らが過ぎて行くのを見ていたのですそして彼らを理解していました。降りて行く代りに彼等は上がり始めたのでした。そして私は、彼らの一人に気が付いたのです、二人か三人は正しいラインから出ようとしていました。私は叫んだのです。「ラインに留まれ!」そしてその幻は私を離れましたそして私はこの部屋に立って叫んでいました。「ラインに留まれ」ライン、、それは。。。
110
考えて下さい、既にそうなっていたのでしょうか?花嫁は既に呼ばれたのでしょうか?こんにち我々は、何を経験しているのでしょうか?彼女は作り変えられキリストのイメージに作り変えられなければならないのです、そしてキリストは御言葉なのです。それだけの事なのです。分かりますね。それはそこに御言葉の中に在るのです。分かりますね。何か一つ足すことは出来ないのです。男性の様なものを持って反対側の手には犬の手の様な、それは女性にはなれないのです、それ神の御言葉道理でなければならないのです。イエスは御言葉です。花嫁は花婿の一部なのです。その女性は彼女の夫の一部ですと言うのは彼女は夫から創られたものだからです。エバはアダムの脇から取られて創られたのです。そしてそれは花嫁も同じです、宗派から取られたのではなく、この時代の為の神の御言葉の懐から取られたものなのです。
111
携挙:
主のラッパがなり
キリストにあって死んでいた者達が蘇り
彼の復活の栄光を分け合う
選ばれたものが集められたとき
彼らの住まいは空を超える
その呼び声がなり始める時
(友よ全員そこにいられるようにしましょう)
神の祝福がありますように。それは語られた言葉でそれは起こらなければならないのです。それはかならず起こります!そして小さな人々、誰も死にたくないのです、誰も失われたくありません。話をさせて下さい。あなたが何をしていても私は気にしません、教会にどれ程良く行き、どれ程教会に忠実であろうと、それはいいでしょう。それに反対はする事は何もありません。教会に行くべきです。行き続けて下さい。しかし何であれ伝統や人の言い伝えは捨て去るのです、キリストの正しい道に行きましょう、なぜならばこの時代の物になるからです、あなたはそのまま行くと獣の刻印を得ることになります、それが遅すぎる時には分からない可能性が出るのです。
その通りなのです。
112
神があなた方を祝福しますように。長時間留まらせてごめんなさい。そして覚えていてください、彼らをここに長すぎる程留まらせている事を、それは正しい事です。そして私の為に献金を集めてくれていますがそれは私が尋ねたことではありません。兄弟。。。それは、、、それは行為です。それを頂き、このモテルの長か時間の為に支払ってください、なぜならばその時間を使ったからです。ここに幾つかの物しか持っていませんでした。8か10ページほど携挙について書いていましたがそれを全て与える時間はありませんでした。
神の祝福が皆さんに在りますように! 主イエスを愛していますか?一分だけ今ここに静かに立ちましょう。敬虔に。。そして私が言った事を覚えて下さい。覚えていてください、我々は終わりの時に生きているのです。
これらの、、、
国々は破壊されている:
イスラエルは目を覚ましている
聖書が預言した印
異邦人の時は数えられている
恐怖が起こる事と共に
散らされた民よ、あなた方自身の所に戻りなさい
贖いの日は近い。
人の心は怖れで苦しんでいる
聖霊に満たされ
灯りを整えて清められ。
見上げよ、あなたの贖いの日は近い
(それを分っていますか?)
偽預言者は嘘をついている。
神の真理は彼らを否定している(我々は
それが全て真理だと知っていますよね?)
————
イエス様 愛しています
彼が私をはじめに愛してくれたから
そしてカルバリーの木の上で
私の救いの為に支払ってくださった
何人が本当に彼を愛していますか手をあげて下さい。さて、これを一緒に歌っている間近くの人と握手をして欲しいです。そして、「寄留者、神があなたを祝福しますように」と言ってください。我々は寄留者ではありませんか?旅人であり寄留者ですよね?
イエス様愛しています(その通り、テーブルのちょうど反対側)
愛しています。
彼が私をはじめに愛してくれたから。
そしてカルバリーの木の上で
私の救いの為に支払ってくださった。
113
携挙をしたいですか?何人が携挙する事が出来ることに興味がありますか?それならば「神様、心から携挙できるようになりたいです」と言ってください。
「神の変わらぬ手を握る」その曲を知っていますか?姉妹紙って言いますか?「神の変わらぬ手を握る」何に入っていたかは分かりません。 何でしたっけ?
神の変わらぬ手を握ろう!
神の変わらぬ手を握ろう!
永遠の上に希望を建てよう。
神の変わらぬ手を握ろう!
それが好きですか?
我々の旅が終わる時、
もし神に真実であったならば、
栄光の内に公平であなたの家を輝かしていたら
あなたの魂は引き上げられる
神の変わらぬ手を握ろう!
神の変わらぬ手を握ろう!
永遠の上に希望を建てよう
神の変わらぬ手を握ろう!
少しの間だけ今頭を垂れてほしいのです
この世のむなしい富をむさぼらないで
それは即座に消え去るのです、
天的な宝を増やすことを見出しましょう
それらは決して消える事はありません。
神の変わらぬ手を握ろう!
神の変わらぬ手を握ろう!
永遠の上に希望を建てよう
変わらぬ手を握ろう!
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この事を心に留めて我々はいつの日か戻る神に答えなければならいその魂を持っていることを知りながら頭を垂れてほしいのです。そしてもしあなたが携挙にまだ準備されていないと感じているならば、もしそれが今晩来たとしたら、祈りの中で覚えられて欲しいならばただ手をあげて下さい。今日は祭壇に呼び出す祈りをする場所はありません。あなたの祭壇はあなたの心なのです。手をあげて下さい。神があなたを祝福しますように、あなたを、、、何という事、「私はまだ準備ではないですブラナム兄弟。クリスチャンに本当になりたいです。一生懸命試してきましたが何かが常にかけているのです。いるべき場所にただいないのが分かっています。神様憐れみを下さい。手挙げています、憐れみを下さい」さて、20か30の手が今この小さなグループの中で既に挙がってています。もっと挙がってきています。
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親愛なる神様、手が下がっている人々の心の中に何があるかをご存知です。祈ります。親愛なる神様、、、私にある責任、1つだけなのです、それは真理を語る事です。そして親愛なる神様、彼等は救われたいのです。彼等は本当に、彼等はただの感情だけが欲しいわけではないのです、上手くやる事でもなければ宗派体制でも、信条でも、加えられた教義でもないのです。彼等は分かっているのです、父よ。それは聖い純粋な神の御言葉が必要なのです。他の物は全て滅びます、天や血でさえもですが御言葉は滅びる事は無いのです。そしてもし我々が御言葉であるならば、その地は下からなくなるでしょうが我々は滅びる事がないのですと言うのは我々は花婿の花嫁である御言葉だからです。
お互いの為に祈ります、彼らを受け入れて下さい、父よ、それは私の誠実な祈りです。そして父よ、今晩非常に緊張していたことを許してください、ここに居側に来たので、言葉を言う時グラグラしていて上手く言えなかったのです。何とかして、もう一つの偉大なる聖霊が来て下さりあなたの聖なる神の方法だけでなんとか動けたのです。そして彼等を私の動機や私の心があなたに向っているという議題へと解放してください。主よお願いします。そして救われるべき人々を救いあなたに近く導いて下さい。主よ。そして間もなく来ようとする携挙の時に備えられますように。イエスの聖名によってお祈りします。アーメン。
神の祝福がありますように。さて、コンベンションの議長さん。