行い(技)は信仰が表現されたもの!

  • 伝道者:ウィリアム・ブランハム
  • シェリーブポート ルイジアナ州 アメリカ合衆国
  • 録音番号:65-1126
  • 年:1965
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ありがとう。今晩ここに再びいられてうれしいです。どのように彼等が今日私が病人の為に祈ることを見つけたかは知りませんでした。皆さん祈ってもらうために来られました。ご存知のように、私はあなた方が御霊の導きに従うならば、全て正しいと信じています。それが最善なのです。決して失敗することの無いメッセージです。
さて、今日、部屋で座っていて、その後、、、ある奉仕者(聖職者)私の心に近く愛する方達、3人が、私の本当に良い3人の友たち、彼等がお昼を一緒にする予定だと言ってきたのです。そして「それは素晴らしい」と思いました。分かりますよね。
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朝ごはんを少し食べましたと言うのは彼等がその為に払ってくれるのが分かっていたからです、そしてしっかりとしたディナーを食べたいからです。そして12時になり、1時になり、2時になり誰もいません。そして庭で罪人を警察が追っかけていました、そしてその状況を見に行きました。ジャック兄弟をまったく見つけられませんでした。だからここに来て見つけたのです、そのホテルの人は彼に間違った番号を教えて彼は間違ったドアに電話をずっとしていたのですが、私はそこにいませんでした。彼に私の為に払ってもらう予定です、もう一度、でも時々。。彼とトレーシー兄弟、彼等に会うのは間違いなく素晴らしいことです、又今晩ブラウン兄弟にも。それはちょうど、アリゾナに戻るべきだという事がわかります。
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先日、砂漠を越えてきたときの事を覚えているのです。私はそこにいる妻に言いました、「ジャック兄弟がこの小さなシボレーの後ろに座っている」ブラン兄弟と彼はもともとの創造物が6日目にされたかそれは6百万だったかについて喧噪しています、それは良い事でした。
彼等はそれについて口論をして、外に出て、手一杯の石を得て、そしてポールの後ろに一人が立ち、もう一人は、別にそしてお互いに出来るかぎり強く意志を投げていました。それに関して落ち着かせることが出来なかったのです、そして「私はあなたに勝てる」彼等が行ったその道を降りて行った。ジャック兄弟、小さな背の低い人が、ツイストする事が出来る程強く、そしてヤング兄弟は長い脚だったそれほど笑った事は今までなかったのです。
そしてジャック兄弟は車に戻りそして彼の靴を引きました。シャリット兄弟は我々に大きな袋のオレンジをくれました、そして彼はシェリーブポートに着く前にそれらを半分洗っていました。
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ご存知のように、ゴールデンディーズを通ったのです。そうなのです。それはゴールデンディーズなのです。それがおかしくて狂っている様に聞こえることは分かっていますが、それは真実なのです。しかし我々はそこに何かがある事をあなたが年を取り、そして思いの中にそれは残り始めます。その日々を思うのです、再度生き始める事が出来等と思う事は正しいのです、我々の若い日々。そして年を取って、それらは皆写真になります。私はそれは聖く純粋で兄弟との愛による交わりなのです、愛により、年を取らず、死なない場所に行く事を知っています。
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我々の尊い兄弟の一人がその地に渡って行きました。毎回この演壇に来るとき、ライリ兄弟の事を考えることになると思います。昨晩小さなジュディがそこに座っているのを見て、私の心は彼女がどのように考えているかを考えて鼓動が強くなりました。私はお父さんがどのように死んだかを知った時、、、しかし我々はただ、苦悩の学校を通り過ぎる必要があるのです、他の人々がどのように感じるかを知る為にです。
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ここに古くからの奉仕者の友人が座っているのを見ていると信じています。彼を呼ぶ古語は出来ません。そうですよね?ここでいつもあなたは数年前病人の為に祈りましたよね?ゲルホルツァー。ドイツ語の名前。何度やっても正しくできません。トレーシー兄弟が彼にそこで会ったのです、そして約10年間彼の事を知っています。そして言いました、「この10年に6か月分も年を取ったように見えない」世に生きているいつか終わらない日が来るはず。
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さて今晩、私は、、、昨晩は非常に遅くなりましたので、今晩はそうならないようにします。ストーリーを終わらせるために、今晩考えていた題目は教会の携挙について話そうと考えていました。その状況がどんなものか、聖句の中で読む限り、教会の状況は携挙に準備していなければいけないのですそして携挙が起こる前に何かが起こるのですそしてそれがどのように起こるか。皆携挙については信じていますよね?我々はそれを信じています。そしてそれならば皆一度言っていました、「病気の人々の為にこんばんは祈る」そしてそこで小さなメキシコ人の兄弟と食事をしたところで、通りからそこへ行って彼を連れてきました。彼はここにいると信じています彼と彼の妻がです。
そしてそれから、誰かが来て私に証を話しました。教会のグラウンドで話してました、彼女は言いました、「そこに在る人が居て、、それは1年前くらいだったと信じています、彼は識別の列に来ていました。そして私は昔ながらの祈りのラインをしようと考えていました、ジャック兄弟と、、、の様な。
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ヤングブラウン兄弟は私の為にプレイヤーカードをあげてくれていました。そして私は本当に正直でカードを売ったり何か間違った事をするのを見つけたことはありません。彼は本当にまっすぐです。そして我々はご存知のように彼等がそのような事をしようとしているのを捕まえたことがありました。だから我々は、ヤング兄弟は彼はいつもしっかりと忠実に仕事をしていました。覚えているのは彼は立ってカードを取ってそしてラインを通してそれらを齎しています。私は彼等の為に祈り、そして我々は向っていました。混ぜ物のない信仰を持った人々が、もし彼等は癒されるのに近くなっているのです。私は20の癒しがありました、我々は今それを持っている事だと思います。
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そしてこのストーリーはこの午後ある人についての話から来るのです、(彼はここに今いると思います)彼はプレイヤーラインにどこかで1年前に居たのです。そして彼は言いました、識別力で彼はおたふくかぜがあると言われたと。そしてその医者が彼に、そのおたふくかぜが終わったと、女の子を持つことは出来ないといつも欲しかったのにと。彼は息子はいると思います。しかし幻で主が彼に「女の子の赤ちゃんを持つことになる」と言われたのです。
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そして言いました、彼は小さな女の子と一緒にここに今晩います。その人が今晩会衆の中にいるかどうかは子どこにいるかは?分からないのです。誰かが外でそのことについて話してくれたのです。オーここの後ろにその赤ちゃんがいます。それは良い事です。とても素晴らしい。何て小さなかわいらしい赤ちゃん。もし皆からそれほど遠くなければ、(本当にかわいい小さな赤ちゃんです)ここに彼女を連れてきてほしいのです、証を話してほしいのです。多分明日まで、あるいはいつか我々が礼拝があるときに。
さて、明日の朝は、ビジネスマンの朝食です。それについて通知されましたか?それは良かった。
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さて、小さな神のいやしについての学びをしましょう。それについて何人が信じていますか?オー素晴らしい、それに信仰がある時、素晴らしい夜になります。人々がそれを信じるならばそれが起こるのです。それは信仰者の為なのです。
さて、そして鉛筆を下さいそして幾つかのテキストなどを書いて下さい。そしてビリーがドアをノックして言いました。「パパ?」
私は、「ちょっと待っててくださいね。まだ終わっていないんだよ」と言いました。
彼は「ジャック兄弟があなたのことを待っています」というのです。私は行かなければなりませんでした。ちょっとつまってしまいました。ペーパークリップは持っていませんでしたそして、メダの「ジョニーのピン」の一つを取ったかここに在ったある種のピンそれは「待ち針」と呼ばれている物。それにしたのです、それは「待ち針でした」それはある種のピンでした。それらの事についてはあまりよく知りません、そしてそこに置いてあるのを見たのです。そしてここでペーパークリップを作るために、朝の為に幾つかのノートがありました、それらを一つと他の物と分けたのです。
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そして年を取ってくると、、、若い時は聖句とかその他の事を凄く簡単に覚えていられたのです。しかし今はは難しくなっています。ジャック兄弟そういう問題はまだありませんか?その通りですよね、ジャック兄弟にちょっと前に話したのです。「ジャック兄弟分かりますよね」と言い「それを受け取っているんだけど覚えていない」「何かを言い始めたら待たなければならない」
彼は言いました「それってずっと前からですか?」
そして私は「さて、それは十分前ではないですか?」
彼は「いいえ」と言いました。「誰かに電話して、「何が欲しいの」と冗談を言っていると思っていた、そしてジャック兄弟は、それは本当なんだと気が付いたようです
そうなんです、忘れてしまうんです!しかし皆正しい行動を取りましょう、というのは彼等は書の中に在り記録が裁きの日に見せられるからです。
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さて、我々は一つの大きな家族のようです。そして国全体に今晩はつながっていないと思います、昨夜の様には。ここの地元の会衆だけだと思います。さて昨晩は、立ってくださっていた方々皆さんに感謝しています、、、ジャック兄弟を利用しようとかはしていません、しかし彼はいつも「何でも言いたい事を言ってください」と言ってくれます。そしてそれで演壇に来て小さな教義を伝えたのです。しかし、、、、確か何人かのそれらの宗派に属する兄弟達が、、、
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先日の朝、夢を見ました。それほど良く夢を見る方ではないのです。私は夢を見る人ではありません。しかし私はある若い人が足かせをはめられている状態の夢を見ました。彼はそこから出ようとしてもがいていましたそして私は言いました、誰かが私に、「これらの人間はひどい奴らだ。何も彼等と一緒にしてはいけない」と
そして私はこの若い人が彼の足かせから出られたのを見たのですそしてひとりにしておきました。「ただ彼が何をするかを見よう」と考えていましたそして彼が足かせが取れた時、彼は良い人でした。そして他の人達も逃れようとしているのを見ました。
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さて、これは夢にすぎません。そしてこちらの方向に歩いたらある兄弟を見たのです、ロイボーダース兄弟、私のとても良い友人でカルフォルニアに住んでいます。何か問題がある様にみえました。彼の眼は半分綴じられていて、何か大きな物多分癌か何かが彼の両眼を覆っていました。そして誰かが私を彼から引っ張ろうとしていました。私は「ボーダース兄弟!主イエスの名によってそこからでよ」と叫んでいました。
そして彼は何とかしゃべることが出来たのです、「ブラナム兄弟、これよりも何かが必要です。私にはそれが見えません、ブラナム兄弟、それを見る事が出来ません」
私は「オーボーダース兄弟」私は彼を愛しています。
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そして誰かが私の事を誰かが引っ張りました。
そして私は見ましたそしてその女性がここに立っていました。私が小さな少年だった時、以前は食料品店から人々に食料品を届けたりしていました。そして彼女の名前はフェントン夫人でした。彼女は今もジェファソンビルに住んでいて、妻と私の個人的な友人です。
そして彼女は言いました。「ブラナム兄弟、これを私達の為に届けて下さい」「これは地獄の家」だと言いましたそして「あなたは誤解され続けていた」言いましたそして、「これはあなたがこれらの人々を誤解していたのもある」と言いました。「これらの人々は素晴らしい人々ですが、、、」そして私はそこを見て、大きな大きな洞窟の下にある壁化何かみたいなそして大きな鉄のバーがあり、8—10インチくらいの太さでした。そして人々は頭が狂った様で腕を曲げ浅井も彼等の頭をその様に叩いていました。そして彼女は泣いて言いました。「ブラナム工大彼等を解放してください」彼女は言いました。「助けて下さい我々は問題に陥っています」彼女自身が、彼女の事は知っています、彼女は、キリストの教会(あるクリスチャンの教会、、兄弟達の教会?に属していました。そして彼女は、、
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見回して言いました、「出来たらいいのですが」そして続けました、私の小さな、小さな殻dと彼等の大きな鉄の場^そしてこれらの可哀そうな人々がそこにいました。そして彼等に触れることは出来ませんでした、彼等は鉄のバーで閉められた中に一緒に居たのです。そして私が見て、彼等はこんな感じで頭が狂ったかのように頭を叩いていたのです。
そこに幾つかの光がキラキラしているのを見ました。上を見てそこには主イエスが虹の光を彼の周りにして立っていたのを見たのです。彼は私をまっすぐに見ていましたそして言いました、「これらの人々を解放しなさい」そして彼はいなくなりました。
私が思ったのは、「さて彼等をどのように解放できるのであろうか?腕にはそのバーを壊すような力は残っていませんでした。
そして言いました、「地獄の家、イエスキリストの御名に与えられる」
そしてすべてのポップやクリークやロックンロールそしてバーが落ちて人々は走り、叫び、「解放された」そして彼等の一番高い声で叫んでいて全員が解放されました。
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そして私はそこで叫んでいました、「ロイボーダース兄弟、どこに居ますか?あなたはどこに居ますか?神は彼の人々を解放しています。ボーダーズ兄弟どこに居ますか?そのことを考えていました。
ボーダース兄弟はとても怖がっていました。その預言について知っていますね、ここにいる多くの人々が知っています、あなたはテープで聞いたり色々しています、西海岸についてです。
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今晩ちょうどここに座っている方がいますそれが起こった時におられた方です。(狩猟の旅中にそこに立って居た人達)昨日の夜聞いて居た奉仕者。目が見えない方で、彼はそこになんとかしてきて言いました、彼自身を紹介して、色のついた眼鏡をかけておられ山に上がられました。彼は言いました。「ブラナム兄弟、私はマックヒュー兄弟です。彼曰く、カリフォルニアのミーティングの一つのサポーターを助けました。」と彼は言いました。「私はカリフォルニアでのミーティングの一つを助けていた」と彼(Mr. Hugees)は言いました。
私は「ハックヒュー兄弟について知らせてください。私は言った。
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そこにちょうど20人位の男性が立っていました。我々はヘソイノシシの狩猟に出かけていました。その日の前に山に行く前に言いました。バンクスウッド兄弟に行ったのです。(皆さん彼のをご存知ですね、個人的な友人です)私は言いました。「ウッド兄弟、」一つ意志を拾って、空中に投げて下さいそしてそれは落ちてきました。そして言いました。「主がこう逢瀬になる、何かが起こる様に決められている」
そして彼は言いました、「それは何ですか、ブラナム兄弟?」
私は、「私には分かりませんが、24時間以内にあなたが知ることになります。何かが起こる様に定められています。それは大いなる印です」と言いました。
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そしてその翌日、-それは遅めの午後でしたーその翌日10時に我々は出かける様に決まっていました。
全員が彼等のヘソイノシシを持っていましたそして我々はそこに立っていました。そしてマッカナリー兄弟ね、そして彼等全員が、それを味付けて、そしてボーダース兄弟と私が言いましたそしてロイボーダース兄弟、足の悪いベテラン、とても親愛なる尊い兄弟で彼はそこに立っていました。そして私は上を見上げてマックヒュー兄弟が言いました。「ブラナム兄弟、このハンティングの旅の間に主の御使いがあらわれたことは一度でもありますか?」
私は言いました。「マックヒュー兄弟、はい。その通りです。しかし私はここに休むために出てきました
彼は言いました。「分かりましたブラウン兄弟」そして「あなたを邪魔しようという事ではない」と言いました。私は「あなたは邪魔何てしていない」と言いました。
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そして周りを見渡すと、ある医者が彼の目を見ているを見ました。さて、私は彼を知りませんでした。彼は暗い眼鏡をかけていました、非常に眩しい太陽がアリゾナには輝いていました。そしてそれを見ていたら、医者が彼に言いました、「2年かそのくらいこの目を診察してきています」「アレルギーがあなたの目に侵食していて、視力を失う事になります。それは視力を後ろから侵食していて、それを止める方法はないのです」と言っていました。
そして私は言いました。「あなたが尋ねたことはあなたの目の為ですね。そのサングラスは目が悪いからですね」
彼は「その通りです」と言いました。
私は「あなたの医師(彼に説明しました)彼はあなたに数日前、あなたは視力を失うなぜならばアレルギーが視力を侵食しているから。彼は2年ほどあなたの目を診察していて、彼には止められない」
彼は言いました。「ブラナム兄弟、それが真実です」と
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そして周りを見回し始めて、ある女性でかなり彼よりも年上の人を見ましたある意味、若干肌が濃い色をしている方です。彼等はここアーカンソー州のどこかの出身です。そして彼女はスカートをあげて加温所の脚を息子に見せて、言っていました。「息子よ、もしブラナム兄弟に合うならば、彼に私の足の為に祈ってくれるように言ってください」そして彼女のつま先から腿の間に長い腫瘍がぶら下がっています。
私は言いました、「あなたのお母さんは白髪交じりの女性です、そして彼女はスカートをあげてストッキングを引っ張って彼女の脚をあなた見偽ましたそしてもしあなたが私に合うならば、彼女の為に祈ってくれるように言ってくれと」言いました。
そして彼は「オー憐れみを!」と言いました。
私は振り返って、彼が眼鏡をかけないでそこに立ちー視力が。。。私は言いました。「主が仰せになる、神はあなたの目を癒し又、あなたの母も癒すと」
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そのあたりの時に、後ろを向いて(さて、ここに座っていた人がそこに立っていました)私はロイボーダース兄弟に言いましたあるいはロイロバーソン兄弟、私の手を彼の肩に起き、彼はベテランです、私は言いました、「ロイ兄弟、何かの下にすぐに、何かが起こる事が決められている」と
彼は「どういう意味ですか、ブラナム兄弟?」と言いました。
私は「話さないで!急いで何かの下に入って」そして私は後ろを向きそしてショベルを取って、その場所の再度にそして彼等からある言って去りましたと言うのは、私が居た場所にそれが来るのが分かっていたからです。
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グレートキャニオンのちょうどそばでこの建物の8か10倍位の高さで(それは箱型のキャニオンです)天から火が降りてくるような感じした、竜巻の様な、私が立っていたところのわずか数フィート上でした。そして山の岩々が引き裂かれて、100ヤード離れたメスキートの木の上に着られて落ちて行きました。皆がはしいてトラックの下とか何か他の物の下に入ろうとしていました。それは再び上がって行って、大きな嵐のように大きな音を建てました。空の上に上がって行き又降りてきました。そしてそれが3回繰り返されました。そしてそれが全て終わった時、彼等は来てそして尋ねたのです。「その意味は何だったのですか?」
私は言いました、「あなたに言いたいのは、それは裁きの印だった。数日以内に大きな地震が西側にあることになる。そしてそれは止まらない。カリフォルニア州、ロサンゼルスは沈むことになる。それは落ちて行くだろう。海にスライドして落ちることになるでしょう。そして二日後にアラスカ自身が起こってアラスカを揺らすことになる。
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そしてその後、カリフォルニアでした最後の集会の間に離していましたそして何もカリフォルニアで話した時に通りに出るまで何が起こっていたのか知りませんでした。「カペナウム、カペナウム、天使の町と呼ばれる街。あなた方は天よりも自分引き上げたが、地獄に連れていかれるであろう。もしその大いなる技がソドムでなされている様にあなた方にもなされる、それは今日まで立っているから。
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さて、ここ数日、大きな叫びと跳びがありました。そしてここには科学誌が出版されてそれには、「全てハニーコムになっていて、それは下に行かざるを得なかった」彼等はそれが分かっています。
そして見て下さい、その水はサルトン海に戻っているのです。ロサンゼルスは裁きの為に消える運目になるのです。それが起こる前に離しています。そうすればそれア岐津起こるかを知るかもしれない。私自身が話しているわけではありません。そして彼が言われた事で起こらなかったことは一つもありません。その記録を確かめられます。その通りです。それについて時ですか?私は知りません。
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私は出かけて、そして彼等は私が言った事を言いました。私は聞いて戻って行って、聖句を探りました。ご存知のように、イエス様は、カペナウムそしてソドムとゴモラが死海の下に落ちることについてほとんど同じ言葉を使って仰っていました、そうだったのです。そしてそののち、100年後くらいに、カペナウムは運に落ちましたそしてそれは海に落ちたのです。その同じ神がソドムを罪のゆえに海に落とされました、その同じ神がカペナウムを罪のゆえに海に落とされました、その同じ神はロサンゼルスそのカペナウムの町と同様に罪のゆえに海の中に置かれるようになるでしょう。
ロイボーダース兄弟は死ぬほど怖がっていました。その意味が何だったのかは分かりません。
祈りましょう。
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主よ、本当に聞いて居る方々に話すのはとても素晴らしいです。主よ我々はあなたを信じています。どうか不信仰にならない様に助けて下さい。そして我々は終末への道を今歩いている事に気が付いています。その時間に我々がいるのかは分かりません。しかしその秘密がその花嫁を捕まえてくれているのですーこれらの日々の内の一日、主よ我々は携挙します彼と共に。そして我々はその日を待っているのです。心を準備してください。主よ。
ベッドやストレッチャーに横たわっている男性や女性が敵に縛られているのを沢山見ます。人々はそこに座っていました、多分もしあなたが彼等に触れないならば、心臓発作で死ぬことでしょう。多分彼等の内の何人かはガンに侵食されています。
そして父よ、あなたは全ての人々の心をご存知です。真実であるか不実であるかをご存知です。そして我々はこれらの事を言いますと言うのは、我々はあなたがされたことを知っているからです。あなたの偉大なる力が多くの人々を解放しました。我々はその証人です、たとえ彼等がそのような事は怒っていないと言ってもです。しかし主よあなたはなさっています。我々はその証人なのです。
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今晩祈ります、主よ、どうにかして、これらの人々の心にあなたが信仰を立ち上げて下さいます、彼等全員があなたによって解放され、すべてのこれらの病気や苦しんでいる人々が解放されます。それを単純にしてください主よ、我々に、、、御言葉を教えようとしている時に、聖霊が私の間違いを取り除いて、ただ悪しく人々の心を正してください。そして本物として今晩あなたが彼等の各々の信仰者の心に居られるようにしてください。我々は今晩その目的でここに座っているのです。主よ。救われていない人々にも全て準備し今準備させてください、まだ憐れみの扉が開いているうちにです。これをイエスの聖名によっておたずねします。アーメン。
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さて、聖書を開いていきます。まず、、、そして
誰かがここの机の上にノートを置いて行きましたそれには私に今晩献金を取ると書かれています。それは必要ありません。そういう事はしないでください。それを持っていく事は出来ないからです。一度カナダのカルガリーで彼等が献金を集めて持ってきました。ジャック兄弟が私に言おうとしていました。妻がそこの後ろに座っていて、彼女と子供達は古い小さな部屋に住んでいました。彼女は毛布をドアにかけて子供達が肺炎にかからない様にドアを閉めていました。そして彼女は言いました、彼は私に言ったのです。「ブラナム兄弟、そんな風に彼女を扱うのは公平ではない」そしてその状況を覚えていますね。彼等は何千ドルだったかは忘れましたが彼等は献金を集めました。
そして私は言いました。「オー戻してください、ジャック兄弟!」
彼は言いました。「さて、我々はどうやってそれをすればいいのですか?」さて、私はその場所を買いましたそしてそれはそこに在ります。だから栄光と栄誉は神の物です。我々はそれを数年持っていて、妻と私は教会からの贈り物をです。それは人々なのです。
そしてそれから、思ったのです。「それは正しくない、この世には何も持って来なかっただから何も取ってはいけない」そしてそれを測り、働いて、タバナクルに戻しました。その時終わったのです、というのは、他の神の僕たちが、そこに在肢体たとしたら、それを使う事でしょうね?ありがとうございます。本当に友よ。神があなた方をそれゆえに祝福しますように。
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さて、ヤコブ、ヤコブ書の2章、我々は21節から読み始めたいのです。
そして今、しばらくの間教えて、それから病気の人達の為に出来る限り速く祈り始めます。このプレイヤーラインにいる出来る限り多くの人々の為に祈りたいのです。そして又覚えてほしいのです。アナジェーン姉妹とドン兄弟の事もわすれてほしくありません。タイかどこかに今いると思います違いましたか?どこですか?バンコックの宣教の畑にいます。昼間に沢山の事を考えなければいけません、人々の前に離してほしいのです。そしてここに来るとき、それを考えられないのです、その学びをちょうど読むことになります。
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そし21節から読みます。ヤコブ書2章の21節からです。
わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。
あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、
こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
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さて私の今晩の議題は、そしてあなた方の聖書を持ってくださいと言うのは、ここに幾つかの聖句を得て行きたいからです。それほど長くならなければ、沢山の聖句を見て行きます。私の議題は:技は信仰の表現されたものです。さて、覚えておいてください。技は信仰が表現されたものなのです。技が信仰が既にある事を示しているのです。分かりますね?さて、我々はこれを選びますと言うのは我々は、、、私はそれが理解する事を助けるのではないかと信じているからです。さて、しっかり聞いて下さい。そして日曜学校の学びの様な形になっていきます。
ここヤコブは創世記22:1-9で人がアブラハムの内に何を見たかについての教えの表現なのです。
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さて、ただ戻りましょう。ここにある意味聖句に印をつけました。創世記22章。そして1-9節
これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。
神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。
アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また§祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。
三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。
そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。
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さて、彼の思いの中に彼は息子を殺す事を思っていたのです何故なら神がそうせよと言われたからです。しかしここの聖句を見て下さい。
。。。
わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。
アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。
やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。
アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。
彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。
そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、
主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。
み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。
(「何という行いでしょう!)
さて、このヤコブ書にアブラハムは彼の行いによって義とされたとあります。
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しかし、今、パウロは、ローマ書で、露0間所の8、、、4章の1節から8節。それ全部は読みませんが、その一部だけを読みます。
それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。
もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。
なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。
いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。
しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。
ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、
「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、/さいわいである。
罪を主に認められない人は、さいわいである」。
ここでパウロが言っているのは神がアブラハムの中に見られたことです。
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もし我々が聖書を開きすぎていないならば、創世記に戻ります、15章そして6節、15:6それで正しいと信じています。5節から始めましょう。
そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。
アブラハムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。
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さて、その二人の男たちの信仰について話していました。パウロは神がアブラハムの中に見たことによって義と認められたとしかしヤコブは人がアブラハムの中に見たことによって、
つまりヤコブは彼の行いによって義と認められたと
パウロは信仰によって信じることによって義と認められたと言っています。
しかしアブラハムは神を信じていました。それが神が彼の中に見たもので、彼はそれを信じていました。しかしそして彼がその事を行動に移したのです、それが人が彼の中に見たことでした。
そしてそれは我々にも同じ事なのです、というのは我々の行いは我々が持っている信仰の表現だからです。しかしもし我あwれが信じることを行動に移すことを恐れていると、それを信じていない事になるのです。分かりますね。信じなければならないのです。
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アブラハムの行いは神の約束の内に彼が持っていた信仰の表現だったのです。さて、アブラハム、彼は90歳でした覚えていますね、多分100歳。。そしてサラは90歳でした。そして今彼等はもう子供を産める年齢ではないのです、それ以来何年も経っていました。そして彼等は夫と妻として若い時から子供なしで暮らしていました。しかしまだ、神が彼に75歳の時に、そしてサラが65歳の時に、「あなた方に子供が出来る」と言った神の約束を信じていました。彼はそれを信じていました。さて、彼はこの赤ちゃんの為に全ての事を準備していたのです。それを神がご覧になっていました、彼が神を信じた時に、そして人々が彼が彼の信じたことを表現しているのを見たのです。(そしてそれは同じ事なのです、今晩の行い、その我あれの内にあるものと同じ事なのです)それは彼に顕かにされた事でした。分かりますね、それは彼に顕かにされたのです、そして彼はそれを信じたのです、だから彼はまるで既にそれが起こったかのように行動していたのです。
さて、一分だけ休みましょう。時々我々はそれを誤解します。人々は感情を持ちますそして彼等は感情によって行いを使用とするのです。それでは上手く行かないのです。
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さて、私はここにいるゲルホルツァー兄弟のようです。我々は年長の者達で長い間これをやってきていて、全ての事に良い点と悪い点を見てきました。そして世界中の病気の人の為に祈ってきていますそして人々の絶望を見たり、すべての側からの「ハレルヤ」も見てきました。そしてこのすべてをとおs知恵そのことを学んだのです。さて、子供の時我々はこれを分け合い始めました。ゲルホルツァー兄弟、我々が水泳を始めたかのようにです。初めに、ご存知のように、我々は、出かけました、そして、ジャック兄弟、、、ブラウン兄弟が私と一緒に通りに歩いたり毎晩毎晩ソ尿にして自分自身でも試していました。そこに立ってまるで小さな子供のように、水をかけたり、幻を見たりしました。そしてそこにブラウン兄弟が来るまでいました。
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覚えているのは、ある晩、そのことは忘れられないのです、サンノゼかどこか出の事でした。彼は私を起こしに来ました。数晩眠れないでいたのですそしてその人に話していたことをそりません弟子が彼は私が言ったというのです、泣き始めました。「家に帰る」と分かりますか?
「なぜ」と彼は言いました。「あなたは家に帰る事は出来ない。そこでミーティングをする予定だから」
私は言いました。「家に帰るのに数分の準備がかかるだけです」そして私を越えていたのです。分かりますね。その時は私は子供だったのです。
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水泳を学ぶ時のようです。水をかけて、プールを行ったり来たりして、そして(ブラナム兄弟のパンツ)「出来たやった」さて、泳ぐのを学んだあと、もっときれいにストロークをしてそれほど疲れないようになりますね。そうなのです。そのやり方を学ぶのですそしてすべてのコーナーを超えるのも上手くなり簡単にできるようになるんですね。
小さな子供が一度も歩いたことがなくて、ここの通路を歩こうとすると、転んだり何回も転んでそこに着く前に疲れてしまいます。しかし誰か歩き方を知っていたり、アスリートは気がつかないでその通路をある行くのです。さて、彼はそこから始める必要があり、彼は今そこにいるのです。
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さて、それは神の御霊による癒しあるいは他の物も同じ方法なのです。それをする事によって学び始めるのです。学ばないとしたら何かおかしいのです。学ばなければなりません。そしてどのように神様から受け入れるのかそしてそれの本当に意味する事を学ばなければなりません。
我々は時々そうする事が出来るのですこの様に言う事「さて、この人はまだ十分な信仰がなかった。この人はこれとこれはしていなかった」それにはこの理由が、あの理由がある。時々それは告白していない罪だったりします。4リットル分の油を注ぎ、声がかすれるまで叫ぶことが出来ますがそれでも悪魔が動かないのです。いいえ、それを告白しなければなりません。それが識別力のなせる業なのです。「正しく成りなさい」それによって悪魔を追い出せるのです。
しかしそれをするのが遅くなります。そして彼等は時々忍耐がなくなり言うのです。「祈られなかった」と
しかし我々は今ある方法を見つけたいのです。。。何が起こるか、本当の基本の神の癒しが起こるためにです。
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さて、賜物、昨日の夜話したように、その賜物は素晴らしいのですが、その賜物にあなたの永遠の目的地の基礎を置くことは出来ません。小さい事に重要な事を決められないのです、賜物は小さい事なのです。そしてサタンは神の与えた賜物を成り済ますことが出来るのです、何かそれとちょうど同じものを創る事が出来るのです。ですから、気を付ける必要があるのです。
時々、叫ぶことについて表現します。悪鬼が叫ぶのを見たことがあります。異言を語る事:悪鬼が異言を語るのを私は見たことがあります。間違いなく。彼は成り済ませるのです。それは純粋な物ではありませんが、それはそれを成り済ますのです分かりますね、それが本物のように見せるのです。そして人々は時々その違いが分からず、それが本物でない時に本物だと宣言してしまうのです。
そしてそれと同じ事が神の癒しについても起こりうるのです。彼等は、「それは多分まじないみたいなもんだと」と思うのです。そうではないのです。それは純粋な物であり、神が真理だと告げている混ぜ物のない信仰によるものなのです。そしてそれは錨が繋がれているのです!そしてそれが繋がれている時には何もそれを動かすものはありません。そこに居続けるのです。そして、これらの邪魔なものを切るのです。
46
さて、信仰は神からの啓示なのです。さて、信仰は啓示です。そこに留まって話したいのです。それは啓示です。彼はあなたに彼の恵みによって明らかにされました。それはあなたがしたことは何も関係なにのです。あなた自身がその信仰の為に行いはしていませ。もしその信仰があったとしたらそれは神の恵みによるものです。そして神がそれをあなたに明らかにされたのですから、信仰は啓示なのです。そして神の教会の全体がその啓示の上に建てられているのです。
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あるバプテスト派の聖職者がしばらく前に言いました「私は啓示を受け入れられない」
私は言いました。「そしたらあなたは聖書を受け入れることが出来ない。キリストを受け入れることもできない何故なら彼は神の啓示だから。彼は神が肉体を取って顕れた方だから」それ故その聖なる啓示の上に教会全体が建てられているのです。
イエス様は言われました、「それを信じなさい、ペテロは言いました、彼は、「人は人の子の事を誰だと言っているのか?」と弟子たちにはなしていました。
そして「ある人は、エリヤだと又モーゼ多と、またある預言者であり、又エレミヤだと言っています」
彼は言いました。「ではあなたは誰だと言うのか?」
彼は言いました。「あなたは生きる神の子キリストです」
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さて、ローマカトリック教会は言います、彼はペテロに話していたと、「この岩の上に私の教会を建てよう」
プロテスタントは言っています、彼は彼自身お上に建てると。
さて、彼等は正しい可能性があります。しかし私にとっては両方とも間違っているのです。それは彼(イエスキリスト)が霊的啓示によって誰なのかという事の上なのです。「肉や血はこれをあなたには顕なにしなかった、ペテロしかし私の天に居られる父がこれをあなたに現したのである。そしてこの岩(彼が誰であるかという啓示、つまりは彼が御言葉でありそのすべてであるという啓示の上)にこの岩の上に私の強化を建てよう、地獄の門もそれに敵対する事は出来ない。」それは地獄の門は敵対しない事を示しています。
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信仰によって(啓示なのです、聖書はまだその時代には書かれていませんでした)、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。(へブル11:4参照)どのように信仰によって?どのようにして?啓示によってなのです。啓示によってアベルは神により勝ったいけにえを捧げましたと言うのは彼にそれが畑の血ではなく、血であることが顕かにされていたからでした。
それが理由で、ある人々は信じられるのですそしてある人々はそれを信じられないのです、ある人たちは信じようとします。
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ある人々の会衆の中に、プレイヤーラインが来ると、ある人達は皆良い人達だと、我々は言うのです、それを一生懸命信じようとする人がいます、自分自身でその技を行いによってなそうとするのです。ある人は全く何もしないのです、そして他の人はそれはただ恵みによってなされるのです。さて、そこには違いがありますね?そうなのです。それは本物の刑事なのです、信仰は神からの啓示だからです。それは初めに顕かにされなければなりません。
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イエス様ははっきりと彼がこれを言った時に表現されました。「誰も私に神が最初に彼に顕された者以外私に来ることは出来ない。(あるいは彼に私の事を初めに顕した)あなたはそれを読むべきです。それはヤコブあるいはヨハネの6:44から46に在ります。彼等は彼が誰だかは知りませんでした。彼等は彼は普通の人だと思っていました。彼等は彼はそうだと思っていたのです、今日の人々がそうであるように預言者であるとか。彼は預言者でした。彼は普通の人でしたが、それにはそれ以上の事がありました。
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ちょうど昨日の夜話したように、書を得た時、私が言った事で小さな混乱があるかもしれません。「二つの命の書」それは同じ書ですが、その一つは、あなたの自然な出生で、もう一つは霊的な生まれなのです。一つがもう一つを導いているのです、ちょうど麦の茎の様なものです。あなたが私に話している時がいつでも、あなたは生きている人間として私に話してくれています。しかしここに私の一部ありその人は死ぬべきなのです。その名前はその書から消されるのです。しかし永遠の者、あらかじめ定められたもの、選ばれたもの、その名前はそこから消されることはありません、それはいつもそこに在るのですから。それは決して消されることはありません。その書の中に在るのに気が付くでしょう、そして我々はあなたの混乱を保つのです。それはその方法であるのが分かる様になります、私はバイル兄弟正しい文法にしてくださったと信じています、今日そのことを教えて下さいました。私は、「その通りです」と言いました。
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バプテスト派は二つの違う書があると信じています。そして一つは二つの書と他は二つの本はないのです。私は二つの別々の人間です。私は体と魂と霊、3つに分かれているのですしかしたった一つが私を人間として生きた毛としてくれるのです。
本当の一つの命の書は一つしかありません。茎からくる小麦の細胞が一つしかないのと同じなのです、それは房を通り、殻を通って麦に行くのです、しかしあなたは言うのです、「さて、それはそこに在る麦です」それは麦ではなくそれは茎ですが共にあって麦なのです。分かりますね、それは麦ですと言うのはそれは皆一つの茎ですがその麦があなたの話してくること、最終的にその粒になるわけです。他の物は運ぶために在りそれは死ぬのです。そして子羊の命の書から名前を取り出すことが出来るような感じですそしてもう一つの場所からは出来ないのです。さて、その場所は皆偉大なる啓示がそこに在るのです、それは7つの封印の時の間に知らせれているのです。どうして、それをある人々は信じられないのでしょうか?
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イエス様は言われました「誰も私を通らずに父の御許に行く事は出来ない」そして「「父が私に与えた者は皆私に来る」誰も神がどのような方であり誰であるかを神の啓示なしに理解する事は出来ない。そしてその信仰があるならばそれに従って行動する。分かりますね?神がイエス様の中で顕されていることを単純に見ることが出来ますそして唯一あらかじめ定められた人だけがそれおw見る事が可能なのです。この聖句を間違いなく読んでください。それが抜けていました。そしてヨハネ6:44-46のぞいていたようですもう読んだかあるいはそれを読むのに十分時間がないと思っていたのですと言うのは時計がどんどん動いているからです。
そして我々は、ご存知のように、「誰も誰も父が初めに定めた者しか、来ることは出来ない。そしてすべて父が私に与えた者は来る」彼等はそれを認識する。他の人はそれが出来ない、他の人達には。どれ程良い人間であろうが、それがあなたに顕かにされていなければ意味がないのです。そしてイエスキリストが誰何かが分かるのです。
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さて、ここで分かる様にあらかじめ定められたものというのは単純なのです。他の種と同様です、神の御言葉は種で事前にその土地は準備されていなければならないのです。もし種を蒔くならば、土地にそれを投げるだけではよくありません。鳥が着て取ってしまいます。あざみや棘のあるところに投げれば、すぐにダメになってしまいます。イエス様のたとえ話がその事を言っています。そしてその地は初めに準備される必要があるのです。そして神、唯一の聖い恵みが、心を初めに準備するのです。彼は世の始まる前にあなたを準備していました、この時代に彼を受け入れる様にです。彼はあらかじめあなたが永遠の命を持つようにご存知だったのです。彼はあなたを準備しておられたのですからあなたを知っていたのです。
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それが理由でこれらの事に驚いたのです、あなたが今持っていることに対してもです。それは神があなたがいるべき場所に導かれたのです。あるいはもしこの地が事前に準備されていなkレば成長は出来ません。それが理由で信仰の為があり、信仰を話す時、主の識別力が分かりそして何が起こるかが分かりそしげ全ての聖書の技の賜物、人の働き自身で、「オーハレルヤ、それを信じる」そして彼等自身が着てがっかり進野です。その地は初めから定められていなければならないのです。そしてそれがいつ打たれるかがわかるのです。
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昨日の夜の小さな鷲のように。彼は彼が母鷲の叫び声が他の沢山の色々な声そして雌鶏の鳴き声の間の違いを聞き分けて湿地得たのですと言うのは彼は卵から彼は鷲だったからです。彼はそこでわしになったわけではないのです、彼は常に鷲だったのです。そしてあるクリスチャンは常にそうだったのです。それが理由で離婚そるのですあなたが離婚するとき何故なら初めの両親に騙されていたからです、アダムとエバです。あなたは肉体的な自然が理由で罪びとになったのです。なりたかったわけではないのです。しかし今あなたは福音を聞きました、信仰は聞く事から来るのです。啓示は聞く事から来るのです。小さな何かがあなたの中に在るのです。
あなたの隣に他の人が座っていて言います。「アー僕はそんなの信じない。ナンセンスだ。それは信じない、何も」
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彼等はちょうど五旬節(ペンテコステの日)の日にいた人のようです、彼等は笑って言いました。「この人達は新しいワインに酔っぱらっている」と言いました。「オー」それは素晴らしい事が起こっていたのです。というのは?それは神が個人的に彼自身をあらわされていたのです。他の人々が笑っている間に彼等は喜んでいたのです。それは個人的な啓示でした、それが信仰なのです、信仰それは顕かにされたのです。もしそれが信仰でなければ、そこにはなかったのです。それは信仰だったのです。
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ただ種は良い土地を初めに準備されていなければなりません。「それゆえ全てあらかじめ知っていた者達、彼が読んだもの。全て彼が読んだもの、彼はあらかじめ定めていた」もしそれを読みたいならば、ローマ8:28-34、そして又エペソ1:1-5を読んでください、分かりますね。「3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、
みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」何も決められていない事は無いのです。我々はそう思っていますが聖句を見て下さい。それはちょうど神の御言葉そういっています。そのメッセージは今の時代拒否されているのを知っています。聖句はそうなると言っていませんか?間違いなく、全ての事は神があらかじめ定めておられていたのです。
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オーそれはあなたに幸せに歩くようにするはずです。それは今日の私の問題なのです、古のクリスチャンとあまりにも違うのです。本当のイエスキリストの啓示、インマヌエルが人の心に住んでいるという時、彼等は強い人々になるのです。しかし今日われわれは宗派に肩を叩かれて、「オー彼等は啓示を得ていないと言おう、あなたはここに来た」あなたは彼等の啓示による。もし彼等の啓示が神の御言葉によらなないならばそれは間違っているのですー私のデモ他の誰のでもです。それが見せられる場所になっているのです。神の御言葉はそれは正しいか間違っているかを告げているのです。
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全ての種がその地を持っていなければなりません、もちろん、「それゆえ、すべての物があらかじめ定められていた」分かりますね、彼は既に何が起こるかをご存知だったのです。気が付いて下さい、イエス様は再び種について言われています。「あるものは石の上に落ち、他の物はまざった地の上に(そしてそこにはあざみや棘やその他も呪者がありそこで成長する事は出来ないのです)そして他は良い地に(良い地、良い土は準備されていたのです、既に準備されていたのです。)
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ここにいる全ての人達は、彼は鶏のようです。彼は周りを見て何かを探そうとしています、彼はこれによって撃たれてあれによって撃たれますがしばらくすると天国から突然叫び声が来た後で、彼はそれをすぐに認識するのです。「それが神の御言葉だ!」分かりますね、彼はそれを知っていますと言うのは、彼の心には語り掛けれていてそれについて明らかにされているのです。
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気が付いて下さい、預言者イザヤは言っています。「処女が身ごもる」なんという奇妙な事でしょう。どのようにしてまともな人がそんなことを言えるのでしょうか?それまで処女が身ごもったkと尾はありませんでした、「処女が身ごもる」さて、彼はそれを言う事について何も心配していませんでした彼はただそれを言ったのです。彼女はどの様にするのであろうか?それは彼には関係ないのです。それはただ神がそうされると言ったのを言ったのです。神が彼に明らかにされたのです。彼に幻を見せそれを顕名kにしたのですそしてそれは正しかったのです。
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ちょうど神が私に小さな赤ちゃんが子供を持つことが出来なかった人によって生まれると言われたようです。他の事もそうです。それがいかに奇妙化事に聞こえて医者が「そんなことは起こりえない」と言ったとしてもです。
しかし神が「それは起こる」と言われたとき、どんな言葉が北かによります。覚えておいてください。預言者はそこに立って、そして神の言葉は行われていったのです。
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ちょうど神が、創世記1章で、「神は、光あれと言われてそこに光があり、それこれがある様に、人は神自身に似せて作られたのです。男性と女性がです」そして地上には何もなかったのです。そして創世記2章で、彼は人を神に似せて創られたのです。それまで他の創造物の後、土があるだけで人はいませんでした。それは何だったのですか?それは神の言葉でした、彼はそれを語られたのでした。そして彼が語った時、彼は「光あれと言われたのです」そしてそれから800年間は光がなかったかもしれません。何も光はなかったかもしれませんが、神がそれを言われたのです。そしてそれがそれを言われた限り、「パームツリーがあるように、樫の木がある様に、これがある様に、そして種がその水の下に創られていたのです。その通りです。そして季節に、その時に、それ自身の季節に、それが出てきたのです。それは神の言葉なので失敗する事は出来ないのです。それはただ失われる事は無く表現されたのです。
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さて、ある日、神は面と向かって人と話されました。しかしモーゼの時には、火が降りて来て、彼等は言ったのです、「神はモーゼに語らせたのです、神ではなく、我々はは死ぬかもしれない」と
それ故神は言われました、「そのようにはもう彼等に語る事は無い。私は預言者を起こす」その様にして神の体制は常にそれ以来その様になりました。
さてここに預言者が立っています今、彼は霊感の下にいます。彼は彼自身の知性について考えていません。
「さて、ちょっと待ってください、もし私がそういったら、あなたはその人たちは、私は狂っていると思うでしょう」さて、それは人間の知性なのです。彼はサタンから聞いて居るのですエバがそうだったように。
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医者があなたは生きることが出来ないよくならない、これやあれはは出来ないという事を聞いて居る限り、その種はそのような種類の血に落ちる事は無く落ちても何も良い事は出来ません。それは不可能なのです。しかし何かがそれを破れば、それがその地に落ちたらそれを破る事が出来る物は何もないのです。
さて、どれだけ長くそれを取っていたとしてもそれは起こるのです。さて、彼は言いました「処女が身ごもる」それが起こるまでに800年かかったことを知っていましたか?神はその女性が誰になるかを彼女の名前もその種がどこに落ちるかも前以てご存知だったのです。それを信じますか?彼は間違いなくされていました。そして実際の子宮に来たのはまさに大いなる奇跡だったわkです。神はそれをご存知でした。神は彼の預言者忠実に神の御言葉を語るものにそれを顕かにされていたのです。それがなんであるかを考える事すらしないのです彼はただそれを告げていただけでした。それに理由付けをしようなどとは一切しませんでした。
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もし理由付けをしようとしたら、もしこの人、この女性あるいはここに座っているこの人或いは誰かが理由付けをしようとして、「今迄ずっと私は芦名家だった。医者がそれが治る事はあり得ないと言ったら?さて、彼が知っている限りそれが事実だと知っている限り起こらないのです。
しかしもし何かがその毒麦を破る音が出来たならば、もし神が彼の恵みによって、説教師でもなく誰かほかの人でもなく神のみが、、、あなたの心に啓示が置かれるのですそれによって、私は良くなる」そうすれば何もあなたをここに座らせておける物は無くなるのです。そこに置き続ける物は何もなくなります。あなたは良くなるのです!しかしそれが起こるまで、医者があなたは座っていなければならないという場所にそれが起こるまで座っていることになります。それは顕かにされなければなりません。それは神の恵みがそれを顕かにされるのです。
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さて、神はその女性が来ることをご存知でした。イザヤを見て下さい。疑問もありませんでした。イザヤは「主よ、ちょっと待ってください!ちょっと待って、今なんて言われましたか?処女が身ごもる?オー待ってください父よ。そんなことが起こったことはありません」とは言いませんでした。
彼はためらう事もなくただ「処女が身ごもる」と言ったのです。そうです!
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気が付いて下さい。マリア:「さてさて、すよ、ちょっと待ってください。あなたは私が男性を知らない事をご存知です。これは不可能です。こんなこと起こったことがありません。オーノー、こんなこと未だかつて起こったことがありません。どのようにしてこの赤ちゃんを私が持てるのでしょうか?男性を知らないのに、それは起こりえません!御使い、あなたはただ間違っている。私は何かイリュージョンにいるみたい。あなたは知っているでしょう。私の皇居界はこの様な時代は終わったと言っています」そのようなことが起こるわけがないと。。マリアは決して疑問を持ちませんでした。
彼女は言いました。「どのようにして、私は男を知りません」
彼は言いました「聖霊があなたに来て、それが起こる」
彼女は「私は主のはしためです言葉通りになりますように」もう何も疑問はなかったのです。
71
イザヤ、神がその言葉を思いで創られたときー啓示ーがイザヤの心に入ったのです、それは正しい地に落ちたのです。それは預言者だったのです。預言者は人の知恵に関して気にしていませんでした。彼は誰の知性も気にしていませんでした。誰についても気にしていませんでした。彼は神への献身したチャンネルで神が語ると彼は語ったのです。それだけの事です。それが傷つける者であるかそうでなかろうがあるいは狂っている様であろうがなかろうが、違いは彼にはなかったのです。それは神の物で人の物ではなかったのです。
72
そして御言葉が来るとき、それは種になるのです。それがどこかに落ちなければなりません。もし神がそう言われれば、ある子宮に落ちなければならないのです。神が言われたのと同じように「信じる者には全ての事が出来る。もしこの山に動けと信じて疑わないならばあなたの言った事を持つことが出来るのです。分かりますね、それはどこかになければならなかったのです。その通りです。
気が付いて下さい!さて、我々はそれをイザヤがそれについてここで語っていることを見つけられます。
73
処女マリア、その地が既に開いたらすぐに、彼は処女でした。彼女は「走り回っていません」でした。その地は既に準備されていたか神の先見によってあらかじめ定められていました。
彼女が処女であったとさえ言われていました。彼女の名前さえも神はご存知でした。
彼女の名前は天の命の書に在ったのです。
そしてそれは指定されていました。人はその行いによってその表現を見ることになります。それが既になされたときにです。さて、我々は振り返って、「それはまさになされた」と言いますと言うのは我々はその行いや技を見る事が出来るからです。
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ノアの行いが人に表現されたのは神の約束への彼の信仰によるものでした。さて神はノアに会い言われました、「ノア雨が降るようになる。私は全地を水によって滅ぼすつもりだ」さて、それまで雨が降ったことはありませんでした。それは不可能な事です。さて、ノアは神に言われたのです「その寸法を話すから箱舟を準備するように」そして彼は大工になりそして働き寸法やら全てを取り始めて働いたのですそして、ゴフェルの木とそれにタールを塗って神が言われたように作りました。そして人々がその人についてどのように考えたかを想像していますか?
彼等は言いました「その人は全く狂っているというのは彼は天から水が来るそしてそこには水がなかったのです」しかし分かりますね、のははそのことを考えていませんでした。彼の行いが人々に彼の信仰を表していたのです、神が言われたことが起こるという信仰です。
それが理由で、純粋なクリスチャンは神の御言葉以外の全ての事から分かれるのです。どのように人々が考えようが誰かほかの人が何と言おうが彼は離れるのですと言うのは彼がそれを言っているからではないからです。もし人間だったら、それは行いになるまで知られるのにそれほどかからないのです。彼は後ろに下がるかこっちやあっちに行ったりこれに加わったり始めたりするのです、彼は彼が誰なのかを見せることになります。しかしもし彼が純粋でもしそれが神の御言葉が彼の上に在るのであればその時その種類が出てくるのです。その人が準備された偉大な時を見ることになります。それがノアがしたことでした
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モーゼは杖を手に持ってパロから人々を連れて行くために来ました。さて、モーゼいついて想像できますか。。聖書は、彼はエジプト人の全ての知恵を教えられていたと言っています。彼は賢かったのです。彼等に彼の知性的な事を教えることが出来ました。彼は全ての彼等の知恵を教えられていました。彼には教育として何かをする必要はなかったのです。さて、荒野に全ての教育のある人の事を考えて下さいそして神が彼にあらわれて言うのです。「モーゼこの杖を手に持ってエジプトに行きなさいそして私の子供達をこの杖を手に持つことで連れ出しなさい。このスウィッチで全ての事がなされるから」
さて、モーゼがもしこの様に言ったら「はい、ちょっと待ってください。私は知性に話していると思っていましたこれは凄い。私はとあなたは言いました、あなた。。さて、ヨガこの古い小さな曲がった杖を取ってこの手に、そして何百万もの人々の軍を、、、戦士たちで武器を持っているんですよ?そして私は戦時ではなく私は羊飼いです。どうやってやるのですか?と言っていたら。。。
質問なしに。。なぜ?彼の心にその地があったからです。彼はあらかじめ定められた人だったのです。「賜物と召命は悔い改めによらない」神はアブラハムにそれを言いましたそしてその地は準備されていたのでした。
76
そしてモーゼがこの杖をひろってそこに行きました、そしてある国を取ったのです。彼がパロに杖を持って「私の民を去らせよ」と言いに来たのです。
パロはモーゼのその行いを見たのです、彼は彼がする事そしてしようとしていたことに信仰を持っていたのです。彼は神の約束の内信仰がありその約束を作ったのでした。彼はそこへ行ってそれを取りました。誰もそれをやった人はいませんでした、他の誰にもそれは出来なかったのです。彼がそれをする様に指定されていました。神は、その前にアブラハムにそれが起こる事を告げていました。そして約束の時が近くなった時に、その小さな子が生まれたのです、美しい子供でした。そしてその漁師である、アムラムとジョチェベッドは王の命令を恐れていませんでした。分かりますね。そこには何かがあったのです、その地は既に準備されていました。
オー神様、地が準備されるように話していることを今晩望んでいます。もしその種が正しい場所に落ちたならば、そしてそれがそうあるのです。もしそうでなければそれは起こらないのです。そうなのです。
同じ事が、彼等は言います、「ブラナム兄弟、その種類の下のは私達から取り去られました」もしそうならばそれはキリスト教自身から取り去られているのです。分かりますね。あなたは何でも成り済ますことが出来ます。しかしもしそれが本当にソならないならば、神の御言葉は正しい種類の地に落ちるのです、それがその種類の物が実を結ぶようになるのです。そうならなければならないのですなぜならばそれが種だからです。
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ノア、 モーゼ、彼等のわざ(行い)が信仰を神の約束の内に表現してきました彼が信じていたからです。パロ、その人は物は見えましたが彼がモーゼがどのようにそれをするかが理解できませんでしたしかし彼はモーゼが話していることについて信じていたことを知っていましたあるいは彼はその宮殿に彼の手に杖を持って立つことはなかったのです。そして「この杖にによって、私は彼等をあなたから連れて行く」と言ったのです。「ある年寄りの8-歳の男が。アスリートではありません:年寄りが、肩の上に立ち、そのひげが下がっていたのです多分彼の腰辺りまで、神は灰色になっていたでしょう、もし彼に髪があったら那波です。そして彼の手に杖を持っていましたそして言ったのです。「私が彼等を連れて行く、その民を去らせよと、と主が仰せ委なられる。そしてもしそうしないならば、神があなたを裁くことになる!」アーメン。どうしてですか?彼は怖れていましたか?なぜ、一つの矢と一つの槍だけで他には何も持っていませんでした。彼は恐れがありませんでした!彼はどこに立っているか真にその場所をそっていたのです。「神があなたを打つことになる。パロ!」その通りです。
神が彼に言ったのは「この山に又来ることになるであろう」でした。そして彼は彼がそこに行く事になる事を知っていたのです。
ハレルヤ!我々も我々が行く場所をこの旅の終わりに行く場所を知っています。神がその川を越えた地を約束されているからです。証しの内に恐れがないように。アーメン。もしそれが課されたならば、あなたに恐れはないのです。もし全世界が恐れていても関係ないのです。彼等が何と言おうとあなたは怖れないのです。それがあなたに明らかにされたならばこれは神から来た真理なのです、そうすればあなたは恐れがなくなる様になれるのです。もしそうでなければ、あなたはそうはなれません。
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ダビデは羊飼いの石投げで全イスラエル軍に彼が彼等の神に対して持っている信仰を表現した。さて、ゴリアテが反対側に居て彼はあざけりをして立ち上がっていた。何倍もダビデよりも大きくて彼の指は14インチもあった。そして彼はマンモス程の大きな人だった、ペレシテ人の巨人だったのです。そしてダビデがそこにいました、最も小さな少年で彼はまだその軍に入る事さえできませんでした、あまりに小さかったので彼を使う事は出来なかったのです。さて彼の兄弟達はその軍の中にいました。そしてゴリアテはあざけったのです。しかしダビデは(さて、それはダビデと関連していたことを覚えておいてください)思ったのです、「ここに生きる神の軍隊が居て彼等の領土に立っているそして割礼を受けていないユダヤ人ではないぺレステ人が偉ぶっている」我々は彼を今晩「ガン」と呼ぼう、彼を「麻痺している奴」と呼ぶことになる。
何故、ダビデは見合うような人でもなく武器も持っていませんでした。合わない者でした。その人は多分10か12フィートくらいの肩幅だったのです。そして多分14日15フィートくらいの身長だったでしょう。槍もといだは理の様で多分12フィートくらいの長さでその刃は多分4フィート幅くらいだったでしょう。
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そして小さなダビデはそこに革をつけて山羊の革か羊の革で作ったものと2本の石投げを持って立っていました。しかしそれが彼に顕かにされて物だったのです。啓示が彼に見せられたのです!アーメン!彼は言いました。「その神は熊の手から私を守り、シシからも守った、彼は間違いなく私の手に割礼を受けていないパレスチナ人を渡してくれるのは間違いがない」
彼の兄弟達は、もっとそれをする事が出来たはずです。サウルは彼の軍でも頭と肩が飛びぬけていました。しかし、分かる様に、それは彼には顕かにされていなかったのです。アーメン。そうなのです。彼等は神には出来ると信じてはいました、しかしそれは彼等に顕かにされてはいなかったのです、しかしそれはダビデに顕かにされていたのです。つまりそこに違いが明らかにあるのです。もしそれがあなたに神があなたを癒すと絶対的に顕かにされているならばあなたはそれを得るのです。(テープにブランクがある)あなたは癒されるのです。どんな病気であろうとどんな問題であろうと、ダビデとゴリアテよりもひどいかもしれません。しかしそれがあなたに顕かにされるならば、
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そして気が付いて下さい。それが顕かにされたとき、ダビデは恐れがありませんでした。彼は言いました。「今日あなたの頭を着ろ鳥栖!我々の神は」恵みにより、その必須の瞬間にその事が決められていたのです、それは同じ神がその時代に恵みを創られてそして小さな背中が曲がっているような少年に信仰の種を落とされたのです、彼の心の中でそれが分かり、同じ神でありこの大切な瞬間に、その女性が車椅子から立ち上がる事が出来るのです、その人(言葉がはっきりしない)。その小さな信仰の種があなたに顕かにされたとき。そしてそれがどれ程時間がかかろうが気にしません。
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さて、気が付いて下さい、反対側にいたその巨人はそれを信じませんでした。ガンに対してもです。彼は笑って言いました。「私は犬か?」こんな小さな子供私と戦うために送った、そして私は槍で刺して、鳥に生のお前を食べさせる」つまり彼は全ての面で必要なものを持っていたのです。
しかし分かりますね、ダビデはそのことで全く揺れませんでした。なぜでしょう?それが彼に顕かにされていたから。彼には彼のしていることについての信仰があったのです。彼はどうなるかが分かっていました。そして彼はそれをやったのです。それは彼にそれが示されていて、彼が立っている場所が分かっていたからです。
そしてもし、神があなたの心に今晩語られているならば、「もうベッドに寝ているのではない。椅子に座り続ける事は無くなる。あなたは健康になる」あなたの思いを変えることはなににも出来ないのです。
しかし、それが起こるまで、世の全ての説教師たちは祈ることが出来ます。。。それが助けにならないとは言いません。それは励ましになります。しかし信仰が、、癒しの力があなたの中で見えるまで。その説教師からは来ないのです。それは啓示によって来るのです。信仰によってです。「主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」私の御霊が恵みによりあなたにこれを顕なにするのです。そしてそれを取り去ることが出来る物は何もありません。信仰による、啓示!その時ダビデが彼の行い(技)を証明するのです。
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さて、彼等の何人かは言いました。「お前はいたずらっ子だと知っている」彼の兄弟達は言いました。「お前は戦いを見にここに来た。さて今羊のいるところに戻るんだ」
彼は言いました。「その将軍であるサウルと話をさせて下さい」
そしてサウルは言いました。「さて息子よ、お前の勇気は見上げた者であるしかし、まだ子供でしかないしかし彼は若い時から戦士であった。彼に勝つことはあり得ない。彼は言いました。「私は父の羊の世話をしている時に、、」彼はそれを基本に何かを! アーメン。オー兄弟!そして神があなたの魂を救われました、彼はあなたの体を癒すことが出来ますか?それはちょうどあなたに彼があなたの救い主であるのと同様癒し主であるという事を顕かにされたのですよね・しかしそれは初めに顕かにされていなければなりません。それが違いなのです。彼は何かを彼の信仰の基礎に持っていたのです。
言いました。「このような事は今まで起こったことがない」
しかし「同じ神が獅子の手から救い出してくださったのだから未割礼のペレシテ人の手からも救い出してくださる」
「どうしてそれが分かるのかダビデ?」
「私はそれを信じています」
「どうして?」
「それが顕かにされたからです」
そして彼は何を話しているかを知っていましたと言うのはその巨人が「お前を鳥の餌にする」と言った時に彼は「私がお前の頭を打ち砕く」と言ったのです。その違いです、分かりますね。そして彼はそれをやりました。
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サムソンはある日油断していて平原に居てそこで1000人ものペレシテ人につかまったのです。そして彼はその地を見下げていて、そこでラバが死んでいました。あれはその顎の骨を拾って、それは乾いていました、そのぺレステ人達はこの古い渇いたラバのあごの骨を頭の上にそして私が知っている限り歯はそこから落ちなかったのです。そしてペレシテ人のヘルメットは多分1インチくらいの厚さだったのです(彼等はお互いにその時代に戦争クラブとして打ち合っていました)頭を叩くのを守るためにそのヘルメットがあったのです。
しかし彼はそのラバのあごの骨を取ったのです。そして1000人のぺレステ人を打ち破りましたそしてその顎の骨は壊れませんでした。彼は引き続き彼等を叩き続けました、彼等が来るたびにでした。彼等の残りの人達は石をと足り、、、
彼等は彼から逃げて行きました。どうしてでしょう?彼はそれを信じたのです。
時々、、何か他の事をいいたいとおもいます。その瞬間での突然働きかける事、例えばヨシュアがした様に、マグダラのマリアがした様に。その瞬間に何か神が顕かにされたならばそれを掴みなさい。しっかり握りしめるのです。その瞬間にです。
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はい、それは彼に顕かにされた事でした。彼はこれらの1000人のぺレステ人に会いに行ったのです。さてどう思いますか、それらのぺレステ人が「小さなエビのような奴がやってきた。4フィート半くらいの背の高さで、お母さんの小さな甘えんぼのように小さなカールが7つあって、ラバのあごの骨をもってやってきている。見て見ろ俺たちはでっかい軍ではないか。気狂いではないのか?」しかし彼は何をしたのでしたか?彼はそのぺレステ人達に神が彼に明らかにしたことを表現したのです。彼はその顎の骨を取ってそして取り出したのです、それが彼の手に在った物だったからです。彼はその手にそれを置いたのですと言うのは彼が出来ると信じていたからでした。そしてそうする事で、ぺレステ人達に神が彼の心にするべきことを置いたことを表現していたのでした。
85
バプテスマのヨハネは彼の行い(わざ)によって表現しました。そして彼が「あなた方の中に一人の人が立っている」そのことを考えて下さい、ヨハネ書の、1章26節です。彼は言っています。
彼等はいました。「あなたは救い主が来られると言います?なぜ」彼は言いました。「どうしたのだ?我々は彼を4000年間探し続けてきた」
「26 ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。ハレルヤ。今晩もそうなのです彼は居られます。
彼は彼の信仰を啓示によって表現されるのです。それは彼に明らかにされ、彼は救い主にバプテスマをする事を知っていたのです。彼は30歳の男性でした。彼はその場所にいなければならない事を知っていました。彼は彼が誰なのかを知りませんでしたそして彼は彼等の中に立っておられたのです。彼は言いました。「その方はあなた方の中に立っておられる。そして私は彼の靴の紐を解く値打ちすらないが彼はあなた方に聖霊によってバプテスマを授ける。そして今あなた方の中に立っておられる」彼はそれを表現したのです、彼の信仰をです、彼は彼の時代で彼が神の救い主にバプテスマを授けることを知っていたからです。だから分かる様に人々は彼の内に表現を見ることが出来るのです。そしてその様にして彼は説教をしたのです、そしてその方法で彼は行動して、神からの本物の啓示を得ていることを表現していたのです。
86
さて、それが真実であることを証明するために、人の群れの中からちょうど救い主が来られたのです、それは普通の若い人が他の人と同じような服装をして歩いて降りてきたのです。ヨハネは言いました。「見よ神の子羊が世の罪を取り去るために来られる」
「どのようにして彼を知っているのですか?」
彼は言いました。「彼が私に荒野で言われたのです、御霊が降りてくるのを見る時、それが聖霊によってバプテスマをするであろう」
彼は彼の事を知っていました、その時代の印がある事を知っていたからです。(分かりますか?)ヨハネはその時を知っていたのですと言うのは彼は預言者だったからです。それは彼に明らかにされていたのです、それで彼はその時を知っていたのです、彼はその印を見たのです。そしてある印を見た時に、彼は言いました。「彼はあなた方の中に立っておられる」彼はその場所を知っていたのです。
オー、終わりの時の印がここにあるのが分かります。この終わりの時のメッセージが成就されるものを見ているのです、ちょうどその聖句が言っていたのとまさに同じように開かれているのです。そして私はその時が近い事を知っています。だから躊躇することなく、それを言うのです。私はそれが近い事を信じています、彼がその時の前に起こると言われた印を見ています。それは今起ころうとしているのです。
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ヨハネは神が彼に顕かにしたことに対する信仰を表現しました。それゆえにその技は信仰の証になりました。彼等があなたが癒されたというような鼓動を見る時、その時彼等はあなたが癒されるという信仰を得たことを知る様になります。
証しは何というのですか?この様に言います。「いア持っていますと言うのは神の約束を受けたからです。それは今私の中で働いています。それが起こるのに今準備しているのです」分かりますね、それがあなたの行いなのです。間違いないですね。
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さてしばらく前の事、私のアフリカへの前回の旅の前に(この春にちょうど行ってきたところですがこれはその旅の前の事です)、そこには小さな赤ちゃんが居ました湾曲足があり、そして一本の脚がもう一本より短いのです。だから靴を履いたことはありませんでした。オーそれは最悪の奇形状態でした。そして私はその赤ちゃんの為にその夜祈りました。彼等はそれらの事が起こったのを見ていました。彼等はその赤ちゃんの為に祈っていました。そして翌朝、出かけて行くと、靴屋の側を歩きました。そしてそこに入って行って、その赤ちゃんの為に靴を買っている人が居ました。彼はそれを信じたのです。
この人のようにここで、神が彼にその赤ちゃんを与えられたと信じていたのです。間違いなく彼はそれが起こると信じていました、そのために準備をしていたのです。「私は準備をしている」まだ肉体的な結果はなかったのですが、それには大きな違いはありませんでした。彼はそれをアブラハムのように信じたのです。「それがそうではなかったようにまるで反対であるかのように呼ばれた」分かりますね。
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しかしながら、もしあなたの知性が言うとして、、オーここにその刺すような痛みが今あります。もしあなたの知性がこれが真実だと言うならば、神は病の癒し主です、あなたの思いはそれが真理だと証しすることが出来ます。しかしもしあなたの心にそれがないならば(信仰として支える物)それを表現するものが、それは起こりません。この外側に居る人が聖句と共に理由を持っていたとしても、そしてそれが正しいと言っても、それが正しくはならないのです。
何人がテープを取りますか?私の説教を聞きましたか、それほど前ではないのです、終わりの時の油注がれた者達?それを信じましたか?分かりますね。それはそこには反キリストがいるようになると言っています。反キリストはほぼ選民さえも欺こうとするのです、もし出来るならばデス。それは出来ません、それは不可能なのです。彼等は選ばれているからです。分かりますね?大丈夫です。
しかし彼は言いました。「その油注がれた者達」それはキリストというのは「油注がれた」という意味ですしかし、これは反でした。彼等は油注がれていましたが、キリストに反対する、反キリストだったのです。彼等の教えの中ででした。さて、彼等は他の人達がするどんなことでも出来ました。
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さて覚えておいてください。あなたの中には3つの周があるのですがあなたは一人の人です。父、子、聖霊の様にです。3つの周ですが一人の人です。3つの属性が同じ神の中に在るのです、父であり、3つのオフィス、父である事、子である事そして聖霊。しかしあなたは体、霊、魂なのです。
さて、肉体は5つの入口があります、あなたの地上の家に繋がるためです、いわゆる五感、視覚、味覚、感覚、嗅覚、聴覚。その内側には霊があり5つの感覚があります。意識、そして愛などなどです。しかしその中には魂で一つの者を持っています。そこにあなたは生きているのです。
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その霊はここに出て来て特定の事をする為に油注がれているのですがそれがあなたが救われているという意味ではないのです。考えてみて下さい。カヤパは預言していました。ユダは悪霊を追い出していました。分かりますね。御霊は彼に油注いていました。雨は正しい者にも間違っている者にも降ります。その毒麦(雑草)は麦と共に喜ぶのですがそれは核にあるものではないのです。あなたに出来るところがあり、知性的な者達も受け入れて言う事が出来るのです。「オーそうですね。それはよさそうだ、私もそれを信じる」それはまだそうはならないのです。そして例は実際そのことを証する事が出来ますそしてそれは又そうではないのです。何故ならその魂は神から来たものではないからです、それはここに全てのなりすましによって現れているからそれは本物にはなれなかったのです。癒しを得たふりをすることが出来、持っているかのように行動する事が出来ます。受け入れたかのように行動する事も出来ます。クリスチャンは彼らがクリスチャンであるかのように行動できますそして凄く上手にそういう行動をしますがそれが彼等が救われているという意味ではないのです。その通りです、分かります得。霊はそこにいられれます、純粋な御霊です。聖霊派あなたに油注ぐくことが出来ますだからと言ってあなたが救われているわけではないのです。その内側にいる魂は決して死ぬことはありません、それは永遠の命を持っているからです。それは常に永遠の命だったのです。分かりますね>神から来たものでそれは神に行くのです。それがその魂なのです。
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さて、そのことに気が付いて下さい。それは5つなのです。5信仰 FAITH 外側:霊ーJESUS (イエス) 内側 YOU (あなた)分かりますか?ここに立っているのがその方法です、見て下さい。あなた方の内の一人は知りません。その御霊は私を油注ぐくとが出来ますしかし、私は一人も知らないのです。しかしその内側の内側が解ける時、それこそが神様なのです。
それは外側は理由付けする事が可能です。人を取って「さて、分かりますね、姦淫をしてはいけない事は分かっています。しかしそしてその霊が私に姦淫はすべきでないと言います。しかし、、その奥で、その物があるわけです」分かりますね。ある意味お手玉のようにぐるぐるしているのです。気を付けたほうが良いです。
しかしそれは内側から来るとき、すべての物を一緒に捨てるのです。それがガイドポストなのです。それが制御塔で、内側の内の内側です。その魂が霊を制御し、霊が身体を制御するのです。
そしてその外側を白く洗っても変りは齎しません。さて宗教的な人々がその時代に、パウロは言いました。「白壁などなど」と彼等は外側は全て信仰者の様なのです。そして彼等は彼等の中で預言をして全ての事もしかし内側の中の内側、魂は信じていないのです。
だから、私は人々は跳んだり跳ねたり、異言で語ったり、叫んだり、病気の人に手を置いて病気の人が信仰によって癒されたりすることが出来、これら全ての事は霊によるものですが、まだ失われているのです。油注がれた者達。
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気を付けて下さい、イエス様は言われました、「信じなさい、信じるならば全ての事が可能になる」信仰と行いは夫と妻なのです。彼等は共に働くのです。夫は妻と共に働き、妻は夫と重荷います。彼等はお互いを認識するのです。
ある人が、彼は結婚していると言ってしかし彼は子供もできず、彼には妻がいると言うのに見せてくれないとしたら、彼の言っていることを疑いますよね。ある人が「結婚している」と言いました。
「奥さんはどこに居るんですか?」
「オーそれは知らない」分かりますね?それはある意味彼を信じるのが難しくなります。
私が、「あなたの奥さんはどこに居るのですか?と言います。
「えー、分からない」私はそれを信じられなくなります。
さて、分かりますね、もしあなたが持っているという物を持っているならばー「信仰を持っている」あなたが持っている信仰をどのようにして見せるのでしょうか?あなたの行いによって。分かりますね?
「私は結婚している」
「どうやってあなたが結婚していると知ればいいのか?」
「これが私の妻です」分かりますね。そうなんです。
「私は結婚しています、これが私の夫です」
「私は癒されました。」
「どうやってわかるのですか?」
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「私の行いが信仰を表すのです」分かりますね。さて、あなたが話している様に信仰が神があなたの中に見る事です、あなたの働きが他の人々があなたの中に在るものを見るものなのです。
それはヤコブとパウロの間にアブラハムについての説明の違いがあります。それらはお互いに反発はしていません、彼等は両方とも同じです―結婚していた。
そして信仰で行いを生み出さないならば誰でもあなたの証を疑う権利を持ちます。我々のプレイヤーラインを始める前にそれを聞いて居ます。もし信仰があるならば、それについての行い(わざ)が生み出さないならば、誰もあなたが癒されたことを信じさせることは出来ません。こう言ったとします「さて、私は知らない。」分かりますね?「はい間違いなく、世にある信仰の全てがあります」あなたは分かりませんというのは、もしあなたに信仰があるならば、行いは信仰との結婚なのです。彼等は夫と妻なのです、お互いが認識しあうのです。
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アブラハムについて数分考えてみましょう。アブラハムは聖い完全なつながりを得ていました。彼は全ての事を得ていました。彼は彼の信仰とは反発する事をそうではない様にして、呼ばれて同じ理念で行動しました。20年位の後、誰かが来て「国々の父?」と言われて、アブラム、あなたはアブラハム、全世界の者の父という意味の名前だと言った。今何人の子供を持っているんだい。アブラハム?分かりますね。
それは彼を若干もつまづかせませんでした。聖書には、「 彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、」彼はちょうど準備を刺せるようになった、すべてのブーツを保ちそして鳥の目と全てを保っていました。彼は赤ちゃんを持つことになりました。それだけなのです。
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サラでさえ言いました「何が起こっているか知っていますか?あなたは赤ちゃんを産みます。しかしあなたに我々がやる方法を話します。私の召使のハガルがいるから。彼女をあなたに上げましょう。(その頃は一夫多妻は合法でした)そして彼女は赤ちゃんを産みます、そして自分自身の赤ちゃんとなります。しかし、アブラハムはそれを信じませんでした。いいえ、彼はそれは信じていませんでしたがサラがそうさせるようにしたのです。
さて、神がアブラハムに行ったのです。「そうしなさい、彼女に聞きなさい」しかし彼は言ったのです。「しかしこれは私が約束した方法は、私があなたに約束した物とは違う」と
97
さて、「彼は何か反対に呼ばれていたのです、、そして彼の体は死んでいました。そしてサラの子宮も同じだったのです」さて、彼は年寄で100歳になっていました。サラは90歳でした。さて、気がついて下さい。
サラの子宮が死んでいたか彼の体が死んでいた事さえも考えられていませんでした。
これを聴いて下さい:
いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。
このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、
これを聴いて下さい、さて「誰が希望を反対するのか、、」希望に反対するものー全ての希望はなくなったのです!オー全ての時、私は少し「寂しい」気分になりました。ここに章があります。ローマ書の4章を見て下さい。分かりますね?
(書かれている様に、私はあなたを全てのものの父にさせる)彼の前で彼は信じたのです、神がその死をそして彼等がそうなったのです。(神がそういったのです。分かりますね?)
希望を信じた者が希望に反した、彼は全ての者の父に語られたことによるとそうなる事となっていて、それがあなたの種がそうある。
さて、聴いて下さい。19節:
すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。20 彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、
98
百歳で?見て下さい、彼自身のからだは死んだ状態(彼の男性としての機能)そしてサラの胎も不妊になっていました。それは考慮に入れられていませんでした。彼にその事が明らかにされたとき、死は考慮されていませんでした。あなたは麻痺しているか何であれそれは考慮に入っていません。その車椅子(私は知りません)それは関係ないのです。その事は関係ないのです。
しかし医者は言いました「彼はここに来ることはあり得ない」その医者言いました、「彼女は決して、、
その事は関係ないのです。
「さて、見て下さい、私は年を取ってきました、中年になっています」そんなことは考えてさえいません。
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そして我々はアブラハムの子供たちなのです。ハレルヤ!イサクの様ではなく、しかし彼の忠実な種(子孫)(イエスキリストを通して)信仰によって彼は持っていたのです。アブラハムの種は終わりの日に星のように輝き前に出てくるのです。アブラハムの子孫です。「彼自身のからだが死んでいたことは考えの中にはなかったのです」そんなことは考えていませんでした!神がそうあるか否か神がそうなると言われた事により質問にすらならなかったのです。その理由は?それは彼に明らかにされていたからです。そうですよね?
それが明らかにされたとき、本当に何かが、それをあなたが起こす事は出来ません、それは顕かにされていなければならないのです。その時、それ以外の事を考慮する事さえないのです、それがいかに不可能であるか、医者がそう言ったか、お母さんやお父さんがどういったか説教師が言った事も、他の誰が言った事も。あなたが見做すべきことは神が何を言われたかだけなのです。
100
「すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。」「すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。」それは考えにも入っていなかったのです。何てことでしょう、それはただ私をゆすりました。身体が死んでいたかあるいはサラの胎は不妊になっていたでもそれさえも考えの内に入っていなかったのです。
どんな環境でも信仰が飢えられている時関係ないのです。その種の細胞から人から女性にある卵を見つける時両方が実を生むようになっているのです何かが起こるのです。ハレルヤ!その医者は「赤ちゃんを産む事は無い。その事を証明できる、あなたの細胞は体内で死んでいて、彼女の卵子は死んでいる」しかしそれを見の有無卵にする事どんな状態であってもそれが起こるのを見ることが出来るのです。その小さな男の子か女の子は生まれてくるのです。なぜかと言うと。信仰がその地を見出したのです。技は技に行くのです、細胞の上に細胞がそしてここに小さな子が生まれてくるのです。アーメン。神は我々に憐れみを持っています。オー神様、頑強なクリスチャンに我々がなるべきもの足るために!我々は神の言葉を神を取る男性と女性なのです。あなたには顕かにされるまでは出来ないのです。(急がないといけません)
101
気が付いて下さい、神の聖い信仰が彼の預言者の聖いわざとつながっていたのです。覚えておいてください、神の聖い信仰がアブラハムに顕かにされていました。彼はそれを受け取ったのですそしてそこによって彼は彼の聖い技で始めていたのです。信じることによって、約束の種には育つ場所がありました。もし彼が、言った事、アブラハムが、「サラ、あなたは知っていたのだ、最終的にそれは神が約束をして以来25年経っていましたよね?(はっきりない言葉)何が起こっていたのでしたね。しかしそれはそうではなかったのです。神はそうならない事を知っていたのです。
もしバージンマリアが言った事、「さて、今、ちょっと待ってください。処女が懐妊した?さて、彼等は私の教会から追い出したのですもし、私がその様になることを言って入って行ったのですね?さて、彼女はもしその場所が準備されていなければという考えがあったはずです。
預言者が「処女が身ごもる」と言った時、それで落ち着いたのです分かりますね?
「これらの印が信じる者に従う」もしその場所が準備されておかれたならば、そこに御言葉が落ちた時、それはしっかり持っていました。何もそれを止められるものはありません。
102
今、我々が終わっている間に急ぎます。さて、その種は隠れる場所が必要でした。神はそれを知っていましたあるいは、彼はアブラハムにその約束を与えなかったことになります。さて、今しっかり聞いて下さい。神はその約束がどうするかその場所を知っていました。彼は決してアブラハムを75歳になるまで呼び出しませんでしたしかし彼は彼のあらかじめ定めた僕をはじめからいたのです。さて、それはサラだったのです。
気が付いて下さい、覚えていてください、彼には読める聖書はありませんでした。我々今日のように簡単に聖書を持つ区音は出来ませんでした、彼の言葉を読むためにそして他の物がそれを取ったのです。覚えて下さい、彼は唯一それを啓示によって持っていたのですそれは真実なのです。それはヨセフによっても同じでした、創世記に在ります。聖書はなかったのです。覚えて下さい、モーゼは創世記、出エジプト記、レビ記と申命記を書きました。モーゼの後迄それらの人々は聖書は持っていませんでした。そうですよね?彼等は我々のまがった状況を助ける様に持っている聖書もありませんでした。彼等は頑強な人々で神は彼等に顕かにしていたのです。そして彼等は正しい場所に立っていました。何も彼等を動かすものはありませんでした。さて、もしあなたにそれが顕かにされれば、我々もその頑強な信仰をまだ持つことが出来ると思いますか?
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その表現あるいは証をこの時間に分け合う事ちょうど閉める前に分け合った事を許してください。ここの「ツインシティ」に居た時の事を覚えています、ブラウン兄弟と彼等が私といっそに居て、聖書の中のヨセフの人生について話していたのです。そして私は聖書を読み、それに敵対した人はいませんでした。アブラハム、イサク、ヤコブ、彼等全ては何か彼等に敵対した人がいましたがヨセフにはいませんでした。何という人、完ぺきな人、キリストの完璧な形です!
それを読んでいた時、泣くしかありませんでした、小さな古いホテルの部屋ででした。そして服をかけていたクローゼットに行き、ドアを引いてそして私は、「神様、ヨセフの様な人を感謝します、彼がこの地上に一度私と同じように生きていた事そしてあなたを信じあなたの御言葉を取ったことを感謝します」と言いました。彼は彼の兄弟達に憎まれていました。彼は霊的になるしかなかったのです。彼は幻を見ていました。彼は夢を解き明かすことが出来たのです。それゆえに彼等は皆彼を憎んでいました。それをしないわけにはいなかったのです、それが彼の存在理由だったからです。
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分かりますね、それは他の人に対してではなかったのです。彼等は彼を愛すべきでしたが、その代わりに、彼が彼等に告げた時、時々、物事が彼等に反していたのです。「オー」彼等は言います。「夢見る人がやってきた」分かりますか?そして彼等は理由もなしに彼を憎んだのです。
私は「彼等はどうしてそんなことをしたんでしょう?」と言いました。そしてまだその人は動いていません、彼はそこに居続けました。分かりますね。私は言いました。「主よ感謝します。神様、このような人を感謝します。」
そして聖霊たその時、顕かにされて、言ったのです。「あなたは息子を持つであろうそして彼をヨセフとなずける」私はそこで立ち上がり、主に感謝しました。
105
ベッキーはそこに座っていました、ちょうど生まれたばかりで大体1歳ぐらいでした。彼女は帝王切開で生まれました。私の妻の家族は帝王切開になる性質を持っている様です、彼等のからだが女性があるべく様な骨になっていなくて男性のように固いからです。そして彼女は母親から切られなければなりませんでした。そして医者が私に言ったのです、「ブラナム兄弟、この女性ではもう他に子供を持つ事は無いのです」と「彼女の子宮は風船のように細くなっています」「私に子宮菅を閉じさせた方が良いです」と言いました。
私は言いました。「そんなことは許可しない。そんなことは考えないでください、先生」
彼は言いました、「それじゃ、彼女はもう子供を持つべきではない」と言いました。「そうしないと彼女がダメになる」と言い「彼女は死ぬでしょう」と言いました。「我々は非常につらい時になります」と言い、「彼女はそれを通ったところです」と言いました。
そしてその時主は私に言われたのです、私を息子を持つことになる、彼の名前はヨセフとなずけられると。それについて怖れたことはありませんでした。その事を覚えている人達が多くここにいますね。
106
私は皆さんに伝えました。「私は赤ちゃんを持つことになります。彼の名前はヨセフになります」何人がその事を覚えていますか?そうですよね。国中でいろいろなところで人々に告げたのです。「赤ちゃんを持つことになる、彼の名前はヨセフになる」
ちょうど小さな少年がフィンランドで死から蘇ったのと同じようデス。ジャック兄弟はそれが起こった時にちょうどその場所にいました。あなた方に2年か3年前にそれが起こる前に小さな少年が居てどのような服装をしていて彼がどこに寝ていたか。神がそういわれたのです。
「それはどの様になるのか?」
「私は知りません!」しかしそれは起こる事を顕かにされていたのです!
107
アリゾナ州に言った時に7人の御使いにそこで会う事が顕かにされていました、そして私が告げることになるメッセージを彼等が私に告げると。そしてそれが7つの封印でした。
それは起こったのです!その話を私がしたことを何人が覚えていますか、そのテープなど、それが起こる前の事でしたね?そしてそれは起こったのです。雑誌や他の事で写真も撮られました。空中に在ったに狩り、彼等はそれを未だに理解できていません。そこに在ったのです。
私はジャック兄弟が電話をしてきて、彼にその事について尋ねていたことを覚えています、キリストはそこに立っていました。ジャック兄弟は言いました。「それは彼の栄光を受けた状態だった」分かりますね?ジャック兄弟を愛しています。彼は最高の神学者の一人です、しかしそれをどうもうまくあてられませんでした。
そこに私は立っていました、「主よ、どのようにしてこの若い人がここにいるのですか?羊毛のように白い髪を持っている人ですが」と言いました。
そして彼は言いました、「彼はかつらを被っている」その本を見て下さい、それが起こる前に、そのことを私は言いました。そしてその日そのことが起こった時、それは上がって行きました。そしてその時あなたはその絵を横に起き、もしルック誌かライフ誌を見たならば、、、それを横向きにしてみて下さい。主が完全にホフマンのキリストの頭の状況です、私が立っていたちょうど真上にいました。それは雑誌に在ります!何人がそれを見たことがありますか?もちろん、そこで見て下さい、まさにその啓示が正しい事が証明されたのです。
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どうしてかつら?その理由?昔のイギリスの裁判官、ユダヤ人の裁判官たちはかつらを被っていました。今でのイギリスではそうしています、彼等が最高裁にいる時です。彼はかつらを被っています。そして彼がそこに立っていて、天使の羽によって彼はかつらを被っている状態に見えたのです。彼はアルファでありオメガであり、彼は最高裁判官です、彼のような方は他にはいないのです。アルファとオメガとして彼は見ています。そしてそこで彼は若い人でした、30歳以上ではありませんでした、白いかつらを被っていて、彼は最高の神であることをあらわしていました。「父は全ての裁きをこの手に委ねている」ハレルヤ、その啓示は、決して間違う事はありません。どのように語られ、どのように聞こえたとしても、御言葉に在っているからです。
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さて、覚えていますね、4年後私の妻が、私達は赤ちゃんを持つことを知っていました。皆が「ヨセフはまだ来ないの?」と言っていました。
私は「来るはずだが、分からないが私はヨセフが来るのを知っている」
その赤ちゃんが生まれた時、それはサラでした。そしてある人は私に電話をしてきて、笑ったのです。彼は言いました。「どう思っているんだい?ジョセフィーンだったのか!」その人は死にました。その人は死にました。
私は言いました、「神は私が息子を持つと言われました、そして彼の名前はヨセフだと」
3人の特定の宗派の教会から離れて我々の教会に来た人たちが、それを言うのを聞いて居たのです。サラが生まれた時に、彼等は言いました。「どうして、彼は偽預言者だ」と
私は言いました。「ちょっと待ってください、私は一度もいつ神もその時を言っていませんでした。彼は私は子を持ち、、アブラハムに彼等がイサクが生まれることを言いましたが、イシュマエルがその間に生まれましたがそのことが消えたわけではありませんでした。」私は言いました。「神様は私はこの息子を持つそして我々が彼にヨセフと名付けることになる」と。
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その医者が、上がって来た時に行ったのです、「牧師先生、今、彼女の子宮菅を閉じるつもりです。」と言いました。「私、、、」
私は「それはしてはいけない!」と言いました。
彼は言いました。「さて、あなたはもう一度結婚してその男の子が生まれるかもしれない」と
私は「彼女から生まれると神が言われた」と言ったのです。聖書からそれを読むことは出来ませんでしたが、信仰により目視により私の心にかかれたものでした。神がされたのです。不信仰によって神の約束をたがえたくなかったのです。
彼等の内の何人かは、「それはジョセフィーンを意味しているんだ」と
私は「ヨセフの事です」と言いました。
医者は言いました。「彼女はもう赤ちゃんを持つことは出来ない」と
私は言いました。「彼女はもう一人赤ちゃんを持つことになる」
4年が経ち、終に彼女は再び赤ちゃんのお母さんになったのです。
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そしてある女性、偽預言者がその国全体に送られました、その言葉を櫂て言ったのです、「さて、メダはこの時に死ぬことになっているというのは、私はビルを導くように送られていたから」そしてそれには、「彼は私の言う事は聞かない何故なら私は女性だからそして神は彼の妻を殺すことによってそれを得ることになる。」
私は言いました、「神はイエスキリストを私を導くために送られました」分かりますね?そして私は言いました。「私は御霊によって導かれています」
可哀そうな小さなメダ。我々にはある看護婦でそのミーティング中に癒された人が居ました、皆さんご存知のモーガン夫人、メイヨ―の看護師の一人です。最悪の自体の、彼女は20年前に「死亡」したという記録がありましあ、ガンで、肉腫として、ルイスビルでです、バプテスト病院の記録にあるのです。彼女は今ジェファーソンビルの病院で看護師として働いています。神は彼女は生きると言ったkらそれからずっとそこで働いているのです。
そして、メダは彼女を愛していました、そして言ったのです、「マギーに来てほしい伸びる。病院に行く気分じゃないから」と
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私は、「マギーの事は愛しているが、マギーは私達の神様ではない。マギーは私達の姉妹だ」と言いました。そしてグリーンミルに行ったのです。彼女は私を苦しめました、何故なら彼女の事を愛していたのです私はグリーンミルに行ったのです。
彼女は言いました。「ビル、私は死ぬと思いますか?」
そして私は言いました。「私は知らないが、赤ちゃんはどうしても生まれるのです。あなたはジョセフを産むことになっている」
彼女は言いました。「これは彼なの?」
私は言いました。「分からないよ、ハニー。私には言えないが、神様は我々はヨセフを得ることになると言われたんだからヨセフを持つことになる。何が何と言おうと気にしない、我々はヨセフを持つことになる!同じ神様が私にこれら全ての啓示を言われた方が言われたのでした。彼は今まで一つも間違った事はありませんので、それも間違いはないのです。
ミルに上がって行って祈りました。そしてそこで始めたのです、そこで2本の木の間に光が降りてきたのです、「あなたの言葉に戻りなさい、あなたの本に」聖書に戻りました。
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そして、、私は車で横になっていました。
そしてそうした時、風が強く吹いて、それはネイサンが座っている場所そしてダビデもいました。そして言いました「行って私の僕ダビデに告げなさい、彼の父親の数匹の羊を養っている羊の囲いから取り出して素晴らしい人としました。」(す素晴らしい名前の全てが素晴らしいわけではないのです。彼をビリーグラハムにはしません弟子が、彼にその名前を与えました、分かりますね)そして言ったのです。「えー、私がそれをしましたが、」言いました。「彼には神殿を建てさせることは出来ないが、彼の息子に、、、」そしてそういわるや否や、「彼の息子」オー何という素晴らしい。そこには、、、
私は言いました。「ヨセフ?」
「その通りだ。」
私が意向としていた家のちょうど下に。そしてそこには小さな子がいましたそしげ大きな彼女、、、大きな少年。彼女はほとんど歩けませんでした、ここを出ようとしていたのです。私は走って、彼女に腕を回しましたそして言ったのです。「ハニー、ヨセフは生まれてくる。ヨセフはもうすぐ生まれる」
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誰でも知っているのですが、帝王切開では、赤ちゃんを落とすことは出来ないのです。その夜その赤ちゃんは生まれました。(テープにブランク)全て他の物が壊れました。
翌朝、7時に病院に行きました。その医者は言ったのです。「オー主の憐れみを、素晴らしい神様!」
彼女にキスをして別れて言いました。「ハニー、ヨセフは間もなくここに来る」彼女が手術台に上がって行ったのです
数分後に看護師が着て言いました。「ブラナム牧師?」
私は、「はいそうです」
彼女は言いました。「素晴らしい7ポンド3オンスの男の子が生まれました」
私は、「ヨセフ、我が息子、ようこそ」そうなのです。なぜ?なぜ?それは何ですか?それが起こる事は聖書には書かれていませんでしたが、同じ聖書の神がアブラハムに明らかにされたのです。我々は、彼女の胎は不妊になっていた事もその不可能な状態も考えなかったのです。神の約束が不信仰によって起こらない様にすることはしないのです、しかし神に賛美を捧げるのです、それが起こらなければならないという事を知ってです!医者が何と言おうが気にしません。全て他の事は色々な方法で来るでしょうが、それを信じてはいけません。それは悪魔の嘘です。そうなんです。それは事実です。信仰は行い(技)と共に起こり、約束を作り上げるのです。(急ぎましょう)
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ただ(はっきり聞こえない)。「遊女ラハブ」ヤコブは言いました。「行いによって義とされた」しかしなぜでしょうか?彼女の信仰です。
彼女は言いました。「私は神があなた方といると聞きました」彼女はヨシュアがどのような髪形をしているかとかどんな服装をしているかを見たくはなかったのです。彼女は言いました。「神があなた方と一緒にいるのが分かっています」それだけが必要な事です。彼女は準備されたのでした。
今日の本当の幻として、(後しばらくで閉める予定です)神からの今日の本物の間殺し、それはその時代に約束された言葉です。「これらの幻、ブラナム兄弟、それをどこから得たのですか?」人々はそれによって戸惑うのです。使徒行伝2:17に書いてありませんでしたか?「17 『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。」そうではなかったですか?それが聖書に書かれてあることです。
116
大丈夫ですね。
さてもしそうだとしたら、マラキ書の4章を見て下さいそしてもしこれが今日の為に約束されているのでないならば、どのようにしてそれに対して信仰を持つことが出来ますか?聖書がそう言っているのです。
「ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。」さて、今日の世界情勢を見てみて下さい。ソドム人。ビリーグラハムやオーラルロバートを見て下さい、降りて来て、その宗派の教会に証をしています。片方はメソジスト、パプテスト、長老派、もう一人は、ペンテコステ派、これやあれやそして他の物。
117
しかし覚えていますね、アブラハムはソドムにはいませんでした。彼は既に呼び出されていたのです。そしてそこに残って彼に話していたのです。そしてそこに残って話していた者が彼にある印を見せたのです。彼は背中を向けていました、彼はサラは赤ちゃんを産むであろうそして彼は待っていたのです。アーメン。彼は背中を向けていました。そしてアブラハムは彼を、「神なるエロヒム」と呼んでいたのです。
さて、今日そのことは起こるのです、というのは我々には信仰があるからです。そしてこれは神の物であることを知っているのですと言うのはこれと他の聖句はこの時代の事を指し示しているからです。黙示録10章では、「第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。癒しの礼拝の中でなく、癒しの礼拝に続くメッセージでです。
118
イエス様は前に進まれて、伝道されました。彼は言いました。彼は病人や全ての事を癒されました。「オーその若いラビ、(教師)そして預言者。彼は素晴らしい人だった。我々は彼に我々の教会の中にいてほしい。」
しかしある日、彼は立ち上がって行ったのです。「私と私の父は一つである」オー何と素晴らしい。彼等はそれ以降彼の事を欲しがらなくなったのです。「人の子の肉を食べ、人の子の血を飲まないならば」彼はそれについて説明しませんでした。言っただけでした、「人の子の肉を食べ、人の子の血を飲まないならば、あなたには命はない」
何故、私は医者や看護師が言う事を想像します。「この人は人食い人種だ。彼は自分の血を飲ませようとしている」さて、彼等は分からなかったのです。イエス様はそのことを知っておられました。
しかし、弟子たちは、彼等は説明は出来なかったかもしれませんが、彼等はそこにいて、とにかく信じたのです。彼等に開かされたことをでした(アーメン)そうです。彼等はそのことを知っていました。聖句がその事を宣言していたからです。
119
これを私に尋ねる事も出来たのです、あなた方は、「どうしてこれらの幻を信じる信仰があるのです、こんなにも沢山の偽のなりすましが居るのに?」
私は今しばらくの間に少し強い事を話します。「そんなにも沢山の偽のなりすましがいる時?」覚えていますね、私の兄弟、彼等は又彼等がこの同時にここにいるべきだと話していました。それはまさに、モーゼの時のようです。モーゼは神のわざを人々の前で顕してそこにヤンブレとやネスが立っていました。しかし誰が初めにしていたのですか?そしてこれらの他の人はなりすましだったのですと言うのは、初めに元の人が居て、そしてなりすましがいるわけです。もし彼等が元の者だったら、我々は失われていません、我々がいる場所を知っています。聖句により又神の啓示によってです。だからまだあなたは立ち上がっているのです。
120
「さて、この人、彼は幻を見たり、彼はこれをしたりそして彼はこの人の妻と一緒に走り回って、彼は3人の神を信じています、そしてこれら全て」それは少しも戸惑っていません。そしてここで一つの事、彼等はなりすましは出来ないのですー御言葉。いいえ。彼等はこれら全ての事を持つことは出来ます、彼等は異言を語り、叫んだり御霊の内に踊ったのですそれでもまだ悪魔です。それは事実です。その通りです。しかしこの御言葉はそれを測るのです。分かりますね?それはその通りです。これはそれが来る場所でした。モーゼとヤンブレとして、
そして覚えていますね、彼は言いました、「ヤンネとヤンブレはモーゼと共に立ち、終わりの日にはこれらの再び地球に上がる様にこれらの成り済ましていくのです」
彼はそれを言いましたか?(会衆は「アーメン」と返答します」さて、我々は彼等を得たのです。
121
しかしそれはモーゼを戸惑わせませんでした。モーゼが主の名によって奇跡をしたのですそしてここに立って、これらの偽のなりすましたちが同じことをしたのです。それは彼をとめる事はありませんでした「さて、私はやめてフィールドから出たほうが良いと」言う事は無かったのです。彼はそこに留まっていました。何のためにでしょうか?それは彼に顕かにされていました。ハレルヤ!彼は神の言葉によって知っていたのです。彼は彼等を御言葉が終に届いたことを知っていました。彼は御言葉自身が顕される時が来ること、彼等がそれ以上いけない事を知っていたのです。
さて、私はこのすべてをこれらの時代に、(その通りです)その時来るのです、本当の奇跡をいくつかの奇跡を神が送ったのです、そのすべての体制を常に変えたのでした。もし神様がその教会に何かを送ったのです、そしてその古い体制は変わりませんでした、彼は無駄になる様に送ったのです。印と奇跡の中に出てきたとき、メッセージがその後に続いたのです。イエス様が病の人を癒しに出てそして彼のメッセージが後に続きました。「私と父は一つである。私がその者である」分かりますね?彼等はそれを信じませんでした。彼等は彼の奇跡を信じました。だから言ったのです。「押し私を信じられないならば、その奇跡を信じなさい」こう言いました。「それらがあなた方に私が誰だかを宣言する」オー何という素晴らしい。栄光!誰が初めでしたか?モーゼ!そして彼等は彼のなりすましをしたのです。しかし偉大なる真実は正しいか間違っているかの間に同じようにまだ維持されているのです、彼等はそのメッセージを受け取ることが出来ません!彼等はそのメッセージを受け入れられないのです。それは神の御言葉からの直接の混ぜ物のない言葉なのです。
122
私はユダが色々な種類の奇跡や印を行うことが出来ようが気にしません、彼が五旬節の時に聖霊を受け取った時、彼の本性を現したのでした。それは悪魔がそのまさにその通りに成り済ませるのです。この御言葉に来るまで、しかし彼は全てを受け取ることが出来ませんでした。彼はそれを挙げる事が出来ましたが、一言、まるでエバがした様に、悪魔がエバにした様にしかし彼はそれを全て消してしまう事は出来ませんでした。しかし全ての事はキリストのからだだったのです。御言葉がです。誰にも彼等にも出来ませんでした、そのメッセージを取る事は出来なかったのです、ヤンブレとヤンネもモーゼのメッセージを取れませんでした。彼等はそれが不可能だったのです。彼のなりすましのわざは知られました何故なら彼はその油注がれた預言者による指定された神の御言葉に従えなかったからです。分かりますね?
123
彼等はイスラエルに従えなかったのです。その理由?彼等は宗派に属していました。エジプト人の赤ちゃんたち。彼等はその御言葉には従えなかったのです。もしそうしていたら彼等はエジプトを去らなければなりませんでした。そのナイル川は良くしてくれていたので彼等は去る事が出来ませんでした。彼等は御言葉のなりすましをすることは出来ましたがそしてモーゼがしたことをしましたが、彼等の愚行がそこを去ることになった時にはっきりと明らかになったのです。そして神は本当にそれを彼等に注がれたのです。
今も同じです!彼等は全ての偽のなりすましやその他の事をするかもしれません、それには何の意味もなく正しい事が拡大されるだけなのです。そして信じている子供達は皆真理を知るのです。ここでも単純にそれを見ることが出来るのです、そして彼等の愚行やなりすましの業も同じなのです。もしあなたの行いが本当の御言葉でそれによって指定されているならばそして信仰によるならば、書かれた元々の神の約束を表すようになります。
124
イエス様は言われました、「もし私がその技をしないならば、、、(しっかり聞いて下さい)「もし私がその技をしないならば」これを足させてください。その通りなのです、「もし私が私がすると言った聖句の業をしなければそして私の時代に私が来るときに、救い主が彼が来た時にする予定だったことをしないならば、、、もしそのことを私がするならば、もし神がその御言葉で指定していなくて、彼が起こると言っていたならば、もし私の人生がその御言葉を生きた者とさせないならば、沿い打った者がなければ、(これを見失わないでください!)イエス様は言われたのです。「あなた方は救い主がする事を知っている。そしてもしその書かれた御言葉をそれをそれ自身を私が顕さないならば、私は彼ではない。(アーメン)そしてその時代に、私が間違った事を言って、ヨハネが私について言った事は真実ではなかった。そしてその時もし私が救い主でないならば、もし救い主がするべき技をするならば、彼は、あなたの神である主であり、又私の内に預言者を立ち上げるであろう、そして何百年も預言者が居なかった。そしてもしその技を神が八子測したことを私がするならば、もし彼等が私の生きている人生で顕されないならば、私は彼ではない。しかしもしその約束された言葉この時代に私の内に指定されたものが、されるならば、私は彼であり、その約束はあなたに来るのです。」(南東素晴らしい。どれ程それが単純になりえるか分かりますね。「もしその約束が、、、オー!
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「そして、もしその時代の約束が私のミニストリーの中で顕されていたら」イエス様は言われました。「それならば私は彼である、そしてもしあなたが私が誰であるかを信じることが出来ないのであれば、この時代の為の約束のわざを見るがよい。(アーメン)約束された技を見なさい。もしそのわざが成就されていないなら、私の中に在る全てが、私を信じなくてもよい、なぜならば私があなたに言った事が間違っていることになるから。もし私を信じられないならば、ただこの時代に起こると聖書が言っていることを見なさい。もしそれが起こらなければそれは正しくない。もしこれらの偽の事がここにないならば、そしてこれらの他の事全てが起こることになっていることが、もしないならば、私は間違っている。しかしもしそれがあるならば、」イエス様は言われました。「それならば私がその者である。(アーメン)私が来ると約束されている者である」オー何という事。彼の時代に救い主となるために指定された技と同じ事が行われたのです。それを信じませんか?
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えーと、さて、兄弟、もしそのルカのわざ、17章の13節にイエスキリストが彼が来る前にした約束は世界が、ソドムのようになり、そのメッセンジャー達がちょうどその通りになされるように行われないならば、私が言った事を真理だと信じなくてもよい。しかし、もしそれが行われたならば、それが神であると信じなさい。「その時代に人の子が顕かにされる」アーメン。人の子は人間のからだの中で顕されるのです、あなた方教会の人々はちょうど今、ソドムの時代の前の様になっています、彼等全てから出た呼び出されたグループが作られ、神の約束を信じているのです。神に栄光!
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そしてその今日行われている技は聖霊の業でこれらの幻は間違いはないのです約束は決して敗れる事はありません、すべての使徒的な印と聖書に約束されたもの、マラキ書の4章そして。黙示録10:7節、全ての事は成就され又科学的に証明されて全て他の方法でも証明されています。そしてもし、私が真理を言わなかったのならば、これらの事は起らなかった。しかしもし私があなた方に真理を告げて、その記録を持つならば、私があなた方に言った事は真理である。彼は昨日も今日もいつまでも変わる事がなく、彼の御霊の現われが花嫁を捕まえに来るのです。信仰(啓示)に心を満たしてもらいましょう、そして「これがその時代なのです」
さて、祈りましょう。
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親愛なる神様、イエスキリストの人として肉体を取って顕れた方、死から3日目に聖句にもとづいて蘇られ、高くに引き上げられ、弟子たちを全世界に送り出された方が言われたています。「これらの印は信じる者に従う」
神様、この時代のペンテコステ派の教会、賜物の回復、主よこれらの人達、多分ここに数人がいる事と思われます、何院化が世界中でテープを聞いて居ます、彼等が花嫁の呼び出しを認識するかもしれません、それはペンテコステ派のメッセージではありません。ペンテコステ派のメッセージは教会に賜物を回復させる物でした。しかしこれは花嫁を先に進ませるもので、他のメッセージはソドムが焼かれる直前に来たものです。彼等がそれを理解しますように親愛なる神様。信仰、私はこれがあなたの御霊により神の御言葉を通して顕かにされたから信じているのです、そして全世界い顕され指定されたからです。間違いなく主よ、それは少数派です。
常にあなたのグループはそうなのです。しかしあなたは言われました。「恐れるな小さな群れよ、御国をあなたに下さるのは父の御旨なのである」と
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さて、祈ります、神様その人々は彼等の知性から離れ彼等が正しいと考えていた物から離れて聖句を見て行くように祈ります。そして昨晩話したのですが、ここにいる人々が、バビロン時代の大いなる破壊のように女王がしたことを考えられますように。彼女は言いました。「あなた方の中にあなたの父の王国の中にダニエルという名前の人がいた。そのペンテコステ派の父は彼の王国にいる。そして彼は全ての疑いを解き放つ者である」
そして今、主よ、聖霊がそのペンテコステの王国の中にいたようにし、その王国はマルチンルターの
ジョンウェズリーのそしてジョンスミスそしてアレクサンダーカンペるそしてその時代を通しておられますように。彼が解かすものです。彼(聖霊)がルターの時代の人々の思いを溶かし、その人、、義人は信仰によって生きると
そのメソジスト、彼は清められることによって全ての疑いを溶かしたのです。そしてペンテコステの時代、彼等は異言で語り、神の癒しなどによって御霊のあらわれを与え全てのペンテコステの心にある疑いを溶かしました。しかし神様、彼等は宗派を作ってしまいました。彼等は戻って人の考えを取ったのです。それ故今花嫁が呼ばれている時に、あなたはここで聖句の中で約束されたのです、世の前で毎晩毎晩それを読んでそして我々の目でそれを見ています。神様、人々の心の疑いを全て溶かしてくださいますように。太陽に開かれて自由になり成熟し茎の中で焼かれるために残されないで集められますように、今晩彼等が集められるように祈ります。イエスキリストの御名によって、アーメン。あなたの関心を感謝します。神様があなたの心を扱われますように。
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さて、プレイヤーカードを既に配りました。20分を度プレイヤーラインの為に時間を取ります。早く列を作って欲しいのですそして演壇に来てもらって阻止t得祈ります。そして今、私は何枚のカードが配られたのかを知りません。ビリーに何も尋ねませんでした。私が言ったのは「配りましたか?」そこに行ってプレイヤーカードを何枚か配りました」そして彼は戻ってきて彼の母親と私を連れに来たのがしばらく前の事でした。
(ブラナム兄弟が脇で話をしている)
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分かりました。プレイヤーカードの番号を取りましょう。1.もし持っているならばカードを持って私が見えるように手を挙げて下さい。もし出来なければ、、、もし立つことが出来ないならば、。。。プレイヤーカード番号1 すぐに来て下さい。誰が持っていますか?なんて言いました。1番。ごめんなさい。A、、、この女性がそのカードを持っているんですね?ここに来て下さい。出来ますか?2番。誰か持っていますか?急いで手を挙げて下さい。ここですね。夫人、来て下さい。3番。カードがありますか?カードは持っていない?分かりました。泣ければ大丈夫です。3、4、5A,1、2、3、4、5、さて見てみましょう。1,2,3,4,5 A..だいじょうぶです。ここに、彼等は、、5,6,7,8,9,10.さて、並んでください。並び始めましょう。
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さてもし来ることが出来ないならば、この様に手を振ってください、彼等があなたを迎えに行きます。ここにいる人達の中でカードを持っていない人にも尋ねています。持っていなくてもいいです。私はただ尋ねているのです。さて見て下さい、ここにいるあしなえの人達。あなた方は先に来る必要があると思いますと言うのは、、早くと彼に言ったのは、、、さて、カードがなくても大丈夫です。もしその信仰が私が話したような信仰があるならばです。もしあなたに顕かにされているのならば大丈夫です。もし明らかにされていないならば、もし顕かにされていないならばどれ程何回もプレイヤーラインに並んでも意味がないのです、助けになりません。それが分かりますね?それを信じますか?分かりますね。私は祈ります、私にできる事の全てを膝まづいて手を置いて、油を注いで、あなたがしたいように神様にイオンります、恵みによってあなたの心に明らかにされるようにそれによってなされるのです。ラインにいようがどこに居ても大丈夫です、それはなされるのです。
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大丈夫です。 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15。大丈夫です、16,17,18,19,20。他にカードを持って居る人で立ち上がれない人がいますか?カードを持って手を挙げて下さい。そして立ち上がれないならば。それは大丈夫です。
........ただ信じなさい。
小さなアナジーンがほとんど一晩中座って遊んでいるのが見えます。皆さんにここで本当に静かに敬虔になって欲しいのです。
.........ただ信じなさい。
さて、プレイヤーカード1から15私はそれが居たと信じています。
.........ただ信じなさい。
彼等は小さな集まりがここに出来ている様です、さて始めましょう。あなたは何て言いますか?
........可能です、
134
1,2,3,4,5,6,7,8,9....
さて今多すぎ正宇、私達が読んだ以上になっています。大丈夫です。静かに立っていてください。あなたがいる場所にデス。誰もただ、、、あなたは祈りを受けることになりますが、ただ。。。分かりますね。ただあなたの番号が呼ばれるまで待ってくださいそして、分かりますね。あなたはここにはそれほど沢山が立っていない事。もし主が何かをされるべきならば、人々から目を話してくださいそして彼等はそれがみえないのです、あなたは見えるのです。神があなたを祝福しています。
さて、彼等が準備をしている間にこれらのハンカチの為に祈りましょう。
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親愛なる神様、ここにハンカチをおいています、病気やケガをしている人達からの物です。我々が話していたこの信仰を主よ、私は覚えています、あなたはその聖書、ユダ書にかかれています。「3 愛する者たちよ。わたしたちが共にあずかっている救について、あなたがたに書きおくりたいと心から願っていたので、聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰のために戦うことを勧めるように、手紙をおくる必要を感じるに至った。」そして聖徒達のからだから、彼等はハンカチを取って彼等が特別な人々だったからではなく信じる人々だったからです。彼等は我々と同じように情熱を持つ人々でした。彼等はエリヤも同じ様だったと言いました。そして彼はしっかりと祈った、それは雨が降りません。神様は、彼は人々がくいあらためる様に祈っていたのです。あなたが彼等の為に祈る様に彼を顕かにされました、あなたの言葉が成就するようにマナーとして祈るようにしたのです。あなたがその預言者に幻を見せたのは疑いもない事です。そして、主よ。今晩これらの人々が癒されるように祈っています。私はエリヤではありません。彼は天国に連れていかれましたが彼の人生と御霊はまだ生き続けているのです。さて私達は祈っています、親愛なる神様、あなたはあなたの人々の為の祈りに栄誉を帰します。そして我々全員に栄誉を今これらのハンカチの為に祈っています、彼等の病気が治る様に祈っているのです。
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父よ、我々は死にかけた人々の世代にいる事を認識しています。我々は永遠になる時代に面と向かっているのです。この世は狂ってきています。殺人、小さな少女たちが切られ殺されている事。人々、男性は女性の様な髪型をしたり、女性が男性のようになったり、彼等はただ倒錯されているのです。その人種は死にかけています。世は死にかけているのです。全てが死にかけているのです。教会は死にかけています。
オー神様、命を齎してください。命を齎してください。神様、信仰の命を。これらの人々に顕かにしてください、主よ。私は彼等に手を置いて祈ることしかできません。しかしあなたが彼等を癒す事の出来る方であなただけが彼等を癒すことが出来る唯一の方です。あなたがそうされるように父よ祈ります。全ての人々の為に祈ります。受け入れて下さい。私の手を彼等の上に起き、心からイエスキリストの御名によってお祈りしますどうかこれらの人々を癒してください。アーメン。
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さて、このマイクは働いていますか、兄弟?さて、ちゃんと皆さん聞こえていますか?皆さん聞こえますか?手を挙げて下さい。さて、何か別の理由でここにいる子の人々に心が動かされています、この椅子、ベッドそして担架にいる人達です。彼等はプレイヤーカードさえ取れませんでした。分かりますね?しかし聴いて下さい、兄弟。分かりますね、これらの人々はプレイヤーカードを得ましたが彼等が癒されるという意味ではないのです。会衆の中に座っている人々が居正宇多分。。。彼等が癒されるという意味でもありません。それには彼等が癒されるか癒されないかという事を言っているのではないのです。それは全て彼等の神への信仰によるのです。何人がそれた真実だと知っていますか?それだけなのです、あなたの神への信仰だけなのです。さて、いま、何人がそれを真実だと知っていますか?どれ程宗教的であろうとどれ程良かろうが悪かろうが関係ないのです、あなたの心に神の恵みが落ちていないかぎりあなたが良く成る事は無いのです。さて、神は既にそれをされたことを知っている人達は何人いますか、大いなる奇跡、印や奇跡を?そして今あなたは今晩来てこのラインに立っているのです。神によって選ばれたからこのライン至っているのではなくて、それはそうではなく、プレイヤーカードを得たからです。ちょうど偶然に、、、
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まさに私の栄誉を持つ兄弟ゲルホルツァーのようです、彼は何年も前にミニストリーをはじめました、、神への信仰によって、神を信じて、信仰によって神が病をいやして下さ鵜と。そしてそれは変わりませんでしたが、神はこの終わりの時の賜物を加えられました賜物は、彼の約束です。神はそれをされました。それは彼がしなければならなかったからではなく、彼が約束されていたからでした。そしてもし彼がやくそくされたならば、彼はしなければならないのです、というのは彼は神の言葉を守らなければならないからです。
そして彼が同じことをあなたに約束されましたそれはもしあなたが信じるならばそれは起こるという事です。もし信じないならばそれは起こりません。さて、あなたを信じさせることは私には出来ませんしあなた自身が自分を信じさせることは出来ません。神がそれをあなたに与えていなければならないのです。それは信じるという神からの賜物なのです。あなたの信仰ではなく、神の信仰。あなたの知性的な信仰は良いと信じるかもしれませんが、神の信仰でない限り心には来ないのです。あなたの知性多岐な信仰はそれを受け入れることは出来ます。そうしてください。そしてただそれを神があなたに明らかにされるまで、全身全霊で信じ続けるだけです。分かりますね?神が明らかにされるまで信じ続けて下さい。しかし彼がそれを顕かにされるまで。
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あなたは、「ブラナム兄弟、あなたはそこで何を言われたのですか?」と言うでしょう。
はい!神はヘゼキアに預言者を送って彼に言ったのです。「ベッドから出てはいけない、と主が逢瀬になられる。そのベッドで死ぬことになる」そうでしたよね?
しかし預言者は戻って、あるいはその王が彼のかをを壁に向けて泣いたのです,苦い涙を流して言ったのです。「主よ、後15年いきさせてください。主よ、私の祈りを聴いて下さい」さてその王は世界で政治的に最高の人でしたが預言者は神の味方の中にいました。それは神の王だったのですしかし、それは神の預言者だったのです。神は預言者に幾つかの事を顕かにされました。。。腫物をいくつか取る事(テープにブランクがある)分かりますか?理解しましたか?
140
さて、あなた方は今理解したかもしれませんというのはここで聖句で話したからです。「人の子が現れる時もちょうどソドムの日のようになるであろう」その時代に教会には明らかにされていましたか?いいえ。「その日に人の子が現れる(顕かにされる)」顕かにされるというのは何ですか?知らされるという事です。そうですよね?
人の子が現れるその日に明らかにされる、それはちょうどソドムとゴモラの日のようだ。そうですね?
さて、何が起こっていたか見て下さい。彼等には二人の主要なメッセンジャー達がソドムとゴモラに送られていたのですと言うのは、そこには生温いクリスチャンが沢山いたからです。そうではないですか?そして彼等には二人の主要なメッセンジャーが居ました。(しっかり聞いて下さい)ソドムとゴモラで説教をしていました。しかし彼等の内の一人は、アブラハムのグループと共にここで立ち上がっていました。そうではなかったですか?
141
さて、よく見て下さい!教会の全ての歴史の中で、世界中でのメッセンジャーとして教会に対して彼の名前の終わりがHAM(ハム)の人は今までいませんでした、G-R-A-H-A-M(グラハム)6文字です。しかしアブラハムの名前はA-B-R-A-H-A-M7文字なのです。分かりますね?さてその世界的な教会、その文字の人、(6、人の作った組織を表す)しかし彼等のメッセンジャーを受け取ったのです。彼等は荷は、サンキー。ムーディー、フィネィー、ノックス、カルバンなどなどが居ましたが、HAM(ハム)で終わる人はいませんでした。そうですね?しかし彼等はそれを得たのです、彼は神から送られたメッセンジャーでそして彼は彼が出来る限り強く壁に打ち付けていました、「ここを出よ!悔い改めるか滅びるか!」
しかし覚えておいてください、選ばれたもの、あらかじめ定められたもの、アブラハムそして彼のグループもメッセンジャーが居ました。彼がしたことを見て下さい。彼は彼等に印を与えました、その時は火が落ちるところに近くなっていたのです。その日が今我々が探している物です、原子の火、神の怒りです。
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さて、そのメッセンャーは何かをしました。彼は女性について話しました、彼は彼の背中を向けてそして彼女に彼女が彼が逝っていることを疑っていることを言いました、彼女の状態についてそして何が起こるかについて話しました。そうですよね?彼は人の子が彼自身をその時代に同じように顕かにされると言われませんでしたか?それを信じrだと信じますか?さて、ここにある女性が立っています。
そしてその教会と花嫁とキリストとの目に見えない繋がり、そのメッセンジャーはここにいるのですそれはイエスキリストで昨日も今日もいつまでも変わる事がないのです。
さて、彼は彼の預言者達を通してのみ語られます。聖書にそう書かれています。彼は他の方法では何もされません、しかし彼が初めに預言者に知らせるのです。アモス3:7「まことに主なる神は/そのしもべである預言者にその隠れた事を/示さないでは、何事をもなされない。」彼は常にそうされたのです。決してそのパターンを変えられませんね?そしてその預言者だけがもし彼が真実で神が彼に語られたことを語る事が出来るのです。そうですね。それが事実です。
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さて神が私にこの女性が彼女を見る前でさえ何が問題であるかを告げられると信じますか?信じますか?さて、彼女はガンになっています。そうなのです。それは彼女は乳がんを持っています。彼女の心の中には精神的な問題でそれが複雑な状態である息子について考えています。そうですね。それを信じますか?それは事実ですよね?あなたの信仰があなたが持っている物をしっかりとさせていてそれを得ることになると信じますか?そうならば行ってください、主イエスがあなたを癒され元気にされます。信じますか?心から?
さて、この女性を見ることなしに主が私に彼女の問題がなんであるかを告げられると信じますか?何人がそれを信じていますか?さて、ご存知のように、私は何も見ていません、そのスカートを見ているだけです。私は女性なのか男性なのかさえいう事が出来ませんが、そこに立っています。私は彼女に信じてほしいのです。夫人よ、あなたは信じますか?ここにその患者がいます、あなたは信じますか?もし信じるならば手を挙げて下さい。心から信じるならば、あなたは神に尋ねている赤ちゃんを持つことになります。分かりますね?信じますか?あなたは神に信仰がありますか?さて、それは認識されただけでは癒されません。それは神のご臨在の中での信仰が認識された技なのです、神の御言葉が顕されました。
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この女性も素晴らしい事を求めています。それは赤ちゃんではありませんが、彼女は聖霊のバプテスマを求めています。何をしたらいいか話します。煙草を辞められるならば、神があなたに聖霊のバプテスマを下さいます。行ってそれを信じて見なさい。あなたは信じますか?神に信仰がありますか?
このここに立っている男性を私の人生で一度も見たことがありません。私は彼を知りませんが、彼は何か彼の胸の中に問題を持っています。彼はそれほど前ではないのですが落下したことがありました。彼はここの人ではないですね、アーカンソー州から来ました。彼は説教師です。家に帰って、福音を伝えなさい。彼の顔を今迄見たことはありません。
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ここに立っている女性がいます。私はその女性を知りません、人生で一度も見たことの無い方です。神は彼女をご存知です。
もし彼が彼女の問題あるいはそれに就いて何かを顕かにされたらあなたは信じますか?皆さん全員ですか?これはその信仰が認識されることによってのみ上手く行くのです、それは私が今晩話した信仰の事です。それは神が明らかにされることであり、これはその働きを証明するのです。さて、あなたは良くなるという信仰を持っていなければなりません。
ここにいるこの女性、私は彼女を知らないと思います。はい、私は彼女を知りませんが、誰か彼女の事を知っている人を知っていますと言うのは彼が彼女の前に立っているのを見たからです。彼女は頭痛で苦しんでいます。そうではないですか?神があなたを癒すと信じますか?パリ―グリーンの姉妹ですね。そうですねそして彼女に会った事は一度もありません。そうなのです。ここにパリ―グリーンが立って私を見ているのを見ました、そうです。パリ―グリーンがどこに居るかは分かりません。信じますか?どれ程信じていますか?もし信じるならば全ての事が可能なのです。もし信じないならば何も起こりません。
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白髪交じりの血さな女性がそこに座って私をここで見ています、あなたは神を信じますか?神があなたがそこで考えていることを私に顕かにすることが出来ると信じますか?あなたは胸に腫瘍があります。神がそれを取り去ることが出来ると信じますか?信仰を持って信じて下さい。今、彼女は何に触れましたか?
その女性は神の御衣のすそに触れたのです、聖書に書かれています。聖書が欲しい方、彼は言いました。「彼は大祭司でありながら我々の弱さを思いやることが出来ないような方ではない」そうですね?彼は大祭司であられ、ここにちょうど立っておられます。さて、人々は彼に触れているのです。
ここに小さなやせた女性が彼女の手を挙げてここに座っています。今まで私の人生で彼女に会った事はありませんが、彼女は何かにちょうど触れています。ここにそれがあります。彼女は神様に祈っています。彼女には胸に問題があり又、胃にも問題があります。もしあなたが信じるならば神が癒されました。あなたは信じなければならないのです。「信じる者にはどんなことでも出来る」
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ある人がその後ろの方に座っています、こちらの方を見ています。(こちら来て2列目くらい)喘息で苦しんでいます。神があなたのを聴いて下さると信じていますか?もしあなたがそれを信じるならば、神はあなたを元気にしてくださいます。もしそれを信じているならば、何でも尋ねたことを持つことが出来るのです。
ここにある女性が座っています、ちょうど私の安泰側から私を見ていますね、白髪交じりの方です。もし心から信じるならば、、あなたは信じますか?大丈夫です、その胆嚢の問題はあなたから去ります。
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ここでベッドで寝ている方あなたはどう思いますか?神があなたを癒すと信じますか?もし神が私にあなたの問題を告げるとしたら彼を信じますか?もしあなたが信じるならば、その癌はあなたが家に戻ったらなくなっています。なぜベッドから立ち上がって家に帰らないのですか?信じますか?皆さん全員が信じますか?さて今、今どうでしょうか?神はあなたの心に信仰を落とされましたか?ここにいる皆さん手を挙げて下さい。もしあなたの心に神が信仰を下さったならば、お互いに手を置いてここのラインから。お互いの手を置いて、今、急いで聖霊が動いているうちに、お互いに手を置きましょう。その男性の上からそのラインの方達お互いの為に祈ってください。
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さて、立ち上がって、神に全員で賛美を捧げましょう。遠くにもう行く必要はないのです。イエスキリストが昨日も今日もいつまでも変わる事がない事を認識しましょう。あなたの問題が何かを知り、それが何であれ、もし彼を信じるならば、今すぐ立ち上がって信じましょう。
全能なる神様、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、あなたの力を送りこのグループの人々を今癒してください。イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン。
神に栄光が帰されますように! 神が皆さんを祝福します。