キリストの花嫁の目に見えない繋がり

  • 伝道者:ウィリアム・ブランハム
  • シュリ―ブポート ルイジアナ州 アメリカ合衆国
  • 録音番号:65-1125
  • 年:1965
1
主への礼拝が 出来る様にハンティングに行くのを取りやめました。だからここに居られてうれしいです。前回ここに来た時に言った様に、毎回来るたび誰かが居ないのです。そしてもし来年もし帰ってきたら、そして主が望まれれば、誰かが居なくなっているでしょう。
ひとりとてもとても心に近く霊的にも近い人がいますーそれはライリ兄弟です。いつも歓迎してくれ、入ってくると、そこの後ろに立って、ジャック兄弟の学びを聞いて居るのです。カルテットの歌です。
「彼等は今晩栄光の内に歌う」さて、もうそこでその声の内の一人が居ます、他の3人を待っています。思うに、もう地上ではそれを聞く事は無いのでしょう。しかしもう一度聞くのを心から楽しみにしています。
モ―ア兄弟と姉妹、そして彼等のいる場所にいるなら、それは輝きが弱くなることはないでしょう。
2
パルマ―兄弟は素晴らしいキリストの僕でした。ジャック兄弟が彼の神への敬虔な人生について話してくれたのを覚えています。彼等は一緒に大工をしていました。そして彼はお昼を食べていて、サンドイッチが手に在って、食べてそして聖書を読んでいたと言っていました。分かりますね、彼は幾つかの力強い素晴らしい事をしました、パルマ―兄弟がです。彼は世委大工で、子供達にとって良い父親で素晴らしい家族でした。彼は主に仕える様に全員を育てました。知っている限り全員が救われていて聖霊に満たされています。そしてそれはこの時代において誰でも素晴らしい貢献なのですー少年達や少女たちに。しかし全て彼がしたことは神に仕えるまで、彼が神に仕えない限り、どうってことない事になります。そして今晩、この地上で彼がしたこと、彼の良き働き、彼が彼等と共にいて受ける報酬について。神は我々の教会の魂を休ませてくれます。
3
これがここのタバナクルである限り、あなたが、、、彼の声はここに残る事が分かります。それを聞くことが出来ます。
アナジェーン姉妹と彼女の妹はオルガンとピアノを弾いていて、待つ必要はなかったのです。パルマ―兄弟はここに立っていて曲を図具に選んでそれを続け、彼等はそれを得るのです。彼がその歌を導くのを楽しみにしていました、、彼の子供達から妻そしてジャック兄弟、彼の幼馴染、そしてこの長い間ずっと友人同士でした、そしてブラウン兄弟と姉妹、そして皆さん全員、タバナクルの皆、神の祝福がありますように。彼に会えなくなって寂しいです。神が彼の素晴らしい魂を平安の内彼に再び会うまで休ませてくださいます。頭を下げて祈りましょう。
4
栄光の天のお父様、この素晴らしい僕について話しています、今晩彼が恋しいです、握手をしてくれたり、いつも優しい笑顔を見せてくれて、「神の祝福がありますように、ブラナム兄弟」と言ってくれた時に、その扉から歩いて入ってきていました。あなたの家に今晩彼が来ることを知っています。だから祈ります、親愛なる神様、彼の働きとその実が大きくなり、引き続き彼の子供達と妻が引き継ぎますように。彼女を祝福して下さるように祈ります。主よ、あなたはやもめの妻になると言われました。我々の姉妹であるパルマ―兄弟と全ての彼の子供達の為に祈ります。パートナーと又父を失うという両方に同情する方法が分かっています。
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さて、父よ、今晩ここにいる間、我々の心をその時の為に準備して下さるように祈ります。彼が逝ってしまったように、突然来るかもしませんが我々は知りません。その時期がいつなのかは分かりませんが、その時が来ることは分っています。だから祈ります、神様、今晩ここにいる皆がの彼等の心を探ります、私自身から去らないでください。私を探ってください、そして試してください。主よ、もし我々の中にいかなる悪い物があったら取り去って下さい。私達はあなたに仕えたいのです。それが完全な目的なのです、あなたに仕えるためです。
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あなたの御霊を今晩そして今週ずっと我々に注ぎ込んでください。
ライフタバナクルの名のゆえにこのタバナクルを祝福してください。その名前の完全な祝福を受け取りそして今週完全な神の命となり、すべての失われた魂をすくい、すべての信仰者が聖霊に満たされ、我あれの中に在る希望を新たにしてください、主よ、再び。
我々と共に来る病人や怪我を完全に癒してくださるように祈ります。あなたの偉大な聖霊がここにありますように主よ、そしてただ癒し信じる様に各々一人一人に油を注いでください。これらの事を受け入れて下さい。父よ。
もしメッセージを齎す私の順番がもし来るならば、神様今助けて下さい。神様祈ります、あなたはただその人の一部になり片方に立たせて下さるように。背入れが入り、我々の中で動くのです、主よ、聖霊がその集会を取ってください。主よ。我々はとても不十分だと分かっています。我々にはそれは誰もできないのです。私達はそれが出来るという様に要求されていません。しかし主よ、我々はあなたがその方だと分かっています。そして我々はあなたを見ています。神の御霊で動いて下さいそして我々の上に肉体として、、イエスキリストの名によってお願いします。アーメン。
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さて、電話でつながっている教会の皆さんに挨拶を送りたいのです、今、アメリカ全土でつながっています。我々は電話でつながるために素敵な小さなシステムを持っていてそれはテキサス州のバーモントのパーリーグリーン兄弟を通して受け取りました。そしてその教会は完全にメッセージに従っていて、アメリカ全土で今晩電話でつながっています。
我々は西海岸に向けて挨拶を送ります。バンクーバーからメキシコのティファナ迄サンノセを通ってロさんゼ売る、そこの全てのグループに、シュリーブポートからご挨拶します。又アリゾナのプレスコット迄そこにいるグループが主を待ち望んでいます、我々は皆さんに挨拶を送りますそしてツーソン、又シエラヴィスタ、ニューヨーク迄ずっとそして行ったり来たり国を通して。主があなた皆さん一人一人を祝福してください。今晩ここに居られることを望みます。この美しく古いルイジアナ州は私にとって第2の故郷のように感じます。
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ニューヨークに居られる方々、ちょっとあなた方の話し方に笑ってしまうのをご存知ですね。
今晩は家にいます。皆がここにいて、ご存知のように、「ハロー 親愛なるブラナム兄弟、ブラナム姉妹と子供達を全員ここに連れて見せてください」とここの人達が言っています。何と素晴らしい、それはいい気分にさせ貰いました。それが私には本物の英語なのです。東や北や他の地域に居る人たちを尊重していないのではありませんが私は古い「田舎者」として生まれてその様であり続けるのです。自分自身はそれが好きな感じです。それが本当の言葉なのです。
私はビジネスマンの朝食にここでそれほど前ではない時にいました、そして彼等は「我々は立って国歌を歌ったりはしない」と言ったのです。
私は立ち上がって言いました、「古いケンタッキーの家は遠い」とさて、私にとってそれは国家だったんです。それしか知りませんでした。さて皆さんにご挨拶を送ります。
そしてこれからは、、、
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彼等が朝食を放送しようとしていると信じています。ビジネスマンの朝食は土曜日の朝。グリーン兄弟があなた方に伝えます、彼がそこで今マイクにいますので、さて彼は朝食は何時に始まるかそして毎晩何時から始まるかを言います。とても親切な事そして我々の為に祈ってくださるゆえに感謝しています。
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さて、ここの地元の会衆に向けて、そしてジャック兄弟のタバナクル:今晩あなた方にお願いがあります。今晩国全体で地元の教会へ感謝祭のメッセージをしたいのです、それは次のメッセージです。これは若干長めのメッセージになりますそして又、いくらかの競技をお話しする可能性があります。だからもし、それに合意しない場合、ちょうどいつも言っている様にチェリーパイを食べるかのように:ある種に走っていくとき、そのパイを投げる事はありません。その種を捨ててパイを食べ続けるだけです。だからもし今晩何かを言った時に、さて、それが一つの理由で今晩のこの招待を受けたのです、ここで国全体の幾つかのグループ日亜して私の感謝祭のメッセージを齎したかったからというのは、ジャック兄弟はいつも自由に家の扉を開けて、「心にある事を話してください」と言ってくれるからです。だから自由に感じられるのです。さて、ここにいる地元の会衆の中にジャック兄弟と一緒にいる日音たちにルここにいる人達や聖職者たちの中には教義に賛同しない方々がいる可能性があります。普通、彼の為に話しに来るために私を招待してその人の演壇に来るときは教義について話さないようにしています。だから今晩の後、普通の礼拝をするのと土曜に、病人の為に祈ることをするつもりです。しかし私が話すことが賛同されない可能性がある事を話すことがある事を事前に言っておこうと思ったのです、さて、私の無知に許可を与えて下さり、それ以上の事を知らないのです、そして私の為に祈ってください。
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さて、今、聖書を開いてここのある章を見てみましょう。今晩沢山の場所を参照したいのです、というのはタブレットに幾つかの聖句を頂き、小さなノートに書いておきました。
覚えているのは、初めて20年前にライフタバナクルで演壇に登った時、聖句やその参照事項は書いておかなくても大丈夫でした。今よりも20歳若かったのです。しかし今、25歳を超えたので、そして2回目になると以前の様には覚えておけないのです。だから聖句を書いておく必要があります、そして時々ある事を概略して書くことあるいは私が参照したい事かもしれないのです。そして今、主は我々が神の言葉をローマ書の7章を読むことで祝福されます。
さて、日曜学校の学びのように教えたいと思っています。
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立っている人々が居る事は分っています。そしてジェファーソンビルのタバナクルでは普通そうです、ここからそこにいる皆さん全員に挨拶したいです、そしてタバナクルでつながっている皆さん。今晩タバナクルにいる様にみえます、もしここにいるならば、人々は壁の周りから溢れています。さてあなたも同じ状態だと予測しています。全ての人々が国の内の一部がメッセージの為に入ってきているのが分かります。
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さて、我々はこれを日曜学校の学びのように使います。そして何かに導いていません、どの特定の人にもただキリストの体に教会に、主イエスの来られることを高く深く信じているのです。我々はそれを信じています。初めてシェリーブポートに来たのよりも20年以上近いのです。オーそれ以来あまりにも沢山の事が起きました。さて、我々は我々の世代に主がお帰りになる事を期待しています。私は我々の世代でのリバイバルは期待していません。主の再来を楽しみにしています。
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さて、ローマ7章、国中で聖書を開いていると信じています。近く読みたいのです。さて、ここにあるこのメッセージを開きたいのです、それは結婚と離婚の様に見えますが、それは本当にはそうではなかったのです。私にとっては、それは終わりの時の教会への預言なのです。読みましょう。
それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。(わたしは律法を知っている人々に語るのであるが)、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。
すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。
であるから、夫の生存中に他の男に行けば、その女は淫婦と呼ばれるが、もし夫が死ねば、その律法から解かれるので、他の男に行っても、淫婦とはならない。
わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。
というのは、わたしたちが肉にあった時には、律法による罪の欲情が、死のために実を結ばせようとして、わたしたちの肢体のうちに働いていた。
しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。
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さて、また祈りましょう。親愛なる神様、我々は神の聖なる言葉だと信じている物を読みました。そしてそれを我々は全てこれが成就されるまで何も消えるものはない事を信じています。
又、我々は黙示録22章で我々の主が言われたことを信じています、誰でも言葉を取り去ったり足したりするならば命の書からその人の名は無くなる。
そしてサタンがエバに間違えてこの言葉を伝えたのと同様にこの言葉が間違えた解釈となっているのを見るのです、彼女が一つの言葉を疑ったのが理由で、人間界全てをカオスに堕落させたのでした。たった一つの事です。そして我々はその書の真ん中で我々の主である救い主が来られたことを見ていて、そして彼は我々に「人はパンのみで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのである」というこの聖句を与えられました。そしてそのはっきりとしてイエスキリストの黙示録最後の書での警告で、「誰でも一つの言葉を足したり、取り去ったりするものは彼は命の書から抜きだされる」とあります。
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オー神様、我々がどれ程も壊れやすいかをご存知で分かっておられ、人生のもろい糸の上を歩いているのが分かっています、この死すべき命、飢えからいつ呼ばれるのかその時を知らないのです、主よ、答えて下さい。オー主よ、すべて我々の心にあるものを脇に置き、すべて我々の思いにあるものも、そして今晩あなたの御言葉をまっすぐに見てあなたが来て生きる神託によって解き明かしてくださるように求めます。受け入れて下さい。
あなたの御霊が我々に下り私達の心に来る言葉が油注がれ、この夜ここから去る時に今よりより良い人間たちになれますように、我々はよりイエスキリストのより近く成れるように祈ります。受け入れて下さい主よ、我々が今生きている時代をより理解でき、この時代においてあなたの人々が神様の準備をすることが出来る様に、この我々が今生きている途轍もなく暗い時代において。
神様、我々を油注いでくださいー話す者だけでなく、聞く者達にも、そしてあなたの御言葉に対して我々の心を畏れるようにしてください。-「神へのおそれは知恵の初めである」これらの事を受け入れて下さい。父よイエスの名前でおたずねします。アーメン。
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これらのここで私がする意見や所見にタイトルをつけたいのです、そして幾つかの聖句が御心ならばその感謝祭のメッセージに近く従ってくれますーキリストの花嫁の目に見えない繋がり。キリストの花嫁の目に見えない繋がり。
感謝祭のメッセージのようには聞こえません。しかし幾つかの聖句、、、我々は全てそれを感謝しています。私は神にこの時間にこの世界史の閉じる時代に生きていることを感謝しています。私には分かりません。もし私が世の始まる前からそういわれていたかは、そして神様は、すべてのプログラムを私の為に広げて言われたのです。「あなたに話してほしい。さて、地上にどの時代に行って説教をしたいと思うか?」私はこの時代を選んだのです、これは黄金時代だと思います。
もちろん神がこの地上におられた時代も大好きだったでしょうが、まだ私は今が素晴らしい時代だと思っています、というのは、神が彼の人々を贖うために来られるからです、そしてすべての贖われた人々の所に来る復活の日が近いからです。死にかけている人々に話す何という素晴らしい機会でしょうか!素晴らしい時代!
それについて熱情しているのです。
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そして歴史は終わろうとしているのを知っています。世界史は間もなく閉じるのです。そして我々は新しい時代に入るのです、素晴らしい至福千年。一人の信仰者として、至福千年を信じています。千年間キリストと共に地上を支配するのです、主イエスが肉体的に肉体的な彼の聖い血によって栄光を受けた人々に戻って来られるのです。
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パウロはここで、律法と恵みについて我々の聖句の中で画像をアが得てくれました、それはちょうど結婚と離婚のようにです。この聖句はあまり話されていませんというのは、結婚と離婚に似ていてそれとある程度関係するからです。しかし大きく結婚と離婚にまた関係しており、彼はここでその順序を正そうとしましあ、我々は神の教会として世と結婚しながら同時にキリストと結婚する事は出来ませんそして法的にもそうなんです、女性は一人の夫と夫が生きている限り共に住むことが出来ます。
それについて私自身の考えがあります、そしてそれは聖書が言っていることが真理だと信じているのです。しかし信じているのは又、それは私の信じる事で預言の大きな奥義の一つとして開かれているのです。そして主の御心ならば今晩、国中にいる人々に主に助けていただき分け合いたいと望んでいます。
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それは一度言われた事です、私がこの為にノートを書いて居た時に呼んでいたのです。それがどの本だったかははっきりとは覚えていないのですが、これが正しいと確信しています、それはドワイトエルムーディ氏の事に関する本の一つでした、(シカゴの)(今晩シカゴで聞いて居る素晴らしい教会があります)ムーディ氏はローマ書の7章を読んだ後、通りに走り出て、初めてあった人に、言いました、「恵みを知っていますか?」
その人は返答しました、「どの恵さん?」
ムーディ氏は「神の恵みの事です」
そして、どのように恵みが律法から我々を放してくれたかを見た時に彼はワクワクしたのです....そして恵みがどのように使われているかを、、、私がしたい事はすべていつも人々にその反対側に渡る時、そこに立って「アメージンググレース!何と優しい私の様なものをすくってくださるとは」恵み、尊い恵み、より恵みについて知ると、恵み寄って我々は救われた事。。我々にできる事ではなく、したことでもなく、我々のしたことは数えられてはいないのです、恵みが我々を救うのです。「恵みにより信仰によりあなた方は救われた」のです。
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この女性グレースを加えます。聖書の中に彼女を置きます「選ばれた女性」として呼ばれています、このグレースの事を話すのです。ご存知のように、聖書が「選ばれた女性に」と宣言しています。もし気が付いているならば、選民は選ばれた女性という言葉から来ています。ある女性が全ての他の選ばれた女性達の中の一人、地にある神の体を産むことになった処女のように。彼女は選ばれた女性でした。神はマリアを選んだのです。そして又、神は彼の花嫁としてある女性を選ばれたのです。彼女は選ばれていたのです。私は世界中どちらかと言えば国中のメンバーであることを希望しています。
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そのここにあるイメージとしてキリストと花嫁との関係を表しています-その選ばれた女性ーそして彼女を彼に齎されたのですその場所は彼が来たところです、又どのようにして彼の所に齎されたのです。イメージにあるここにある教会、我々は景色のある場所で、女性によって書かれたのです、女性はいつも教会を表しているのです、何故ならば教会は花嫁として見做されているのですー花嫁。彼女は主イエス 神の御子の花嫁です。
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いつも、もしあなたが女性達の状況とその振る舞いに気を付けていたら教会がどこに居るのかが分かります。さて、これらの意見はあなた方の内の何人かには変に思われるかもしれませんが、主が私に下さってメッセージに在っていて、人々に理解してもらおうとしている事なのです。分かりますね、自然体の中で全てを見ていればどのように起こっているか―肉的な状況―そしてそれを気を付けてみる事。それが霊的なことにも流れていることが分かるのです。
さて、もし今日の世的な女性達のふるまいを見て、今日の世的な教会の古い毎を見ると分かるのでしょう。もちろん、今霊定な花嫁のふるまいも、その教会もです。それも見て下さい、肉的ないわゆる花嫁と言っている者達がいるからです。
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さて、私にもう一度、地元の会衆に言わせてください、悪い気分にならないでください。国全体に向って話しているのです、選ばれた女性と信じている人達に。だから、もしここにいる聖職者たちの中で同意しない人がいたとしたら、しばらくの間、我慢してください。
気が付いて下さい、そしてただ聞いて下さい。この章に関して。女性が暴れ回り続け彼らたやりたい事を何でもしているのを見る時、教会が同じことをしているのを気を付けてみて下さい。気が付いて下さい。しかし霊的な花嫁がリバイバルを持ち始める時、彼女は神の御言葉と共にラインアップを彼女自身が始める時、もう一度見て下さい、その時に御言葉がどういっているか、花嫁を受けるのにメッセージをしているのです、女性は選ばれたものです。選ばれた物。その世の為に、サタンは欺くもので初めの花嫁に神の御言葉を信じさせない事で神に罪を犯させたのです。
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そしてさて、今日私達は自然な教会をあなた方の知的福音の中で社会的福音内のより遠くその御言葉から離れたのです、我々は道にいる世の女性達を見るとそのようなメンバー達によって同じ環境の中で彼等自身で運んでいる事なのです。彼等に言うことは出来ません。彼等は全ての一般常識の品行方正の感覚を失っているのです。そしてそれは教会がそうなっているのです。そしてエキュメニカル協会にまっすぐにされているのが分かります、世にあるすべての物が特定になっています、そしてローマ書に行く事によって分かります。何故ならそれは預言されているのですそして、彼女はそうなっているのです。それが彼女の態度なのです。
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しかしそして、霊的な教会を再び見て行く必要があります、どのように人々のグループが、毎リバイバルを通してその「呼び出された」選ばれた人々が居るのです。改革においてマルチンルターは同じ方法で起こりました、同じことがジョンウェズリーの時代にも起こったのです。同じことが初めにペンテコステ派が始まった時にも起こったのです。彼等は女性を御言葉で後ろのラインに落としたのですそして彼等は離反したのです。彼女はカオスに嵌って行ったのでした。しかしその時人々はラインナップする準備をして、あるメッセージを前に進んでいくものがあり彼等はそれと並んでいるのです。
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ルターは彼の時代のメッセンジャーで、義化そして教会はそれに共に並んでいるのです、彼等の内の何人かがそうでした。彼らの残りも続けたのでした。ウェズリーは聖く生きる事と共に来ました、教会はそれと並んでいたのです。ペンテコステ派は賜物の回復と共にありました;教会はそれと並んだのです。その時代に選ばれた者達ーそしてそれから消えて行ったのです。宗派教団になってしまったのですそして残り物も達と一緒に。全てがその様になったのでした。
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さて、しかし人々が御言葉と並ぼうとし始める時、新しい神の御言葉からの新鮮なメッセージが来るのですまっすぐにその人々にです。そしてそれがそのメッセージを捕まえ毎回並ぶのです。それはただ神の道に、我々はそれを持っています。
我々は家族があります。ここにいる全ての家族がそれに慣れています。時々全ての事が何年も上手く行っています。そして突然どこかで叩かれるのです、ここ南部で多くの時そのことを話してきました、「雨が降ると土砂降り」そしてすべてが間違ってしまうのです。夜の時を通っているのです。そして夜明けがあります。そして夜が着て、全ての事は引き続き起こっていくのです。
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その預言者パウロは、ここで女性は最初の夫が死ぬまで再婚する事は出来ないと言っています。彼女は最初の夫が生きている限り再婚することは出来ないのです。どんな状態であろうともです。彼女は最初の夫が生きている限り独身で居続けなければならないのです。そしてもしそのような罪を犯すのであれば彼女は、姦婦(不義の女)と呼ばれるのです。私は今肉体的な事を話しています、さて、それは霊的な事にあらわれるのです。もしこの女性がそのような罪を犯したならば彼女は姦婦とされ記されます、もし彼女が同時に二人の生きている夫が居たらです。つまり、彼女はこのことをしたことにより罪を犯していると見做されるのです、彼女の神への権利や天に対してもです。彼女は間違いなくそうしていました。彼女は神の経済から私が読んだ聖句によると追放されたものなのです。
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それは教会もなのです、彼女が神の御言葉と信条や宗派をまぜこぜにしようとする時。彼女は同時に宗派と結婚してキリストの花嫁になる事は出来ないのです。彼女は何方かに対して死ななければなりません。律法がここでそう言っています。神の御言葉の中には十分な律法がありますそしてそれは神の律法です。パウロはここで同じことを語っています。彼女は世的な信条と結婚してその上にキリストの花嫁になる事は出来ないのですと言うのは、彼女はその別の方と反しあっているからです。
さて、覚えておいてください、あなたは「これは信じるがあれは信じない」と言います。
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もしあなたがキリストと結婚しているならば、キリストは神の御言葉です。ヨハネ書1章で「初めに言葉があった言葉は神と共にあった言葉は神であった」とあります。「そして同じ様に言葉が肉体となり我々の中に宿った」キリストは生きた御言葉でした。彼は常に御言葉で、今も御言葉なのです、彼はいつも御言葉であり続けます。
彼は神の属性の唯一の顕れでした、彼は神の御子で又どんな息子も父親の属性を持っています。そしてあなたの父親の遺伝子の中にいるわkで、あなたの父親の肉体の中に彼が少年時代に、、、あなたは彼の中にいました、まだあなたと彼は交わりを持つことは出来ませんでしたと言うのは彼はあなたを知りませんでした。しかしあなたの母親との交わりを通してあなたは地上に生まれてきたのですそしてあなたの父親に似たものとなったのですそして彼はあなたと交わりを持つことが出来るようになったのです。そしてあなたも神の息子や無すべである事は月や星やあるいは分子が出来る前から神の息子、娘として存在していたのです。神が初めから作っていた属性の肉体的な顕れであるだけの事です。永遠の命には一つの形しかありません、そしてそれはあなたが何もそれについて知らなかったのです、地上の父親の中に居た時も知りませんでした。しかしあなたは神に似せて作られてラわれたのでした。神に似せてあなたは創られたのですそして栄光の内に顕れて神の交わりの中にいるのです。
だからあなたの遺伝子は肉体的な南条の前にはあなたの父親の中にいなければありませんでした、あなたの霊的な遺伝子は神の内になければなりませんでしたと言うのは、彼の思いの属性の表現があなたなのですそれは世の作られる前からの事です。その方法以外にありませんでした。 それは正しいのです。
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さて、我々は世の初めから神の命があなたの中にいるのですその命があなたの中に在る事を気が付いているのです。さて、神の御言葉と宗派の信条と混ぜ合わす事は出来ないのです、なぜならば彼等はお互いに相反しているからです。それは全くサタンは彼の知的な概念をエバへの物として試したことでした。彼は言いました、彼はー神がそれを言ったと認めましたが、彼は「間違いなくあなたは死なない」と言ったのです。そして彼等はそれを信じたのですそしてそれは今晩信条がしている事と同じです。宗派は人々を神の御言葉から引き離したのです。イエス様は彼が来られるときに言われませんでしたか?「こうしてあなたがたは、自分たちが受けついだ言伝えによって、神の言を無にしている。また、このような事をしばしばおこなっている」そして我々の信条を通して我々は神の御言葉への油注ぎをした聖霊との交わりとのかかわりを無くしてしまっているのです、それがこの世代と神の御言葉との糸を切っているのです。我々は人々と宗派によって離れてきました彼等はそれを理解する機会がありません。さて、神はー全ての世代において、彼は神の書の新しい部分を持っておられます。私の体創られている様に全てが一緒になっているのです。それは背骨から始まったと言われましたが、それは全て背骨ではありませんでした。それはあばら骨からそして肺からそして両手へそして腕へ脚へなどなど、そしてそれによって私という人間が出来上がっているのです。
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そしてその様に神は初めから顕されていたのです。そして終に彼は、エホバとして現れたのでした、父なる神として。そして彼は御子なる神としてイエスキリストの中に現れたのでした。さて、彼は神として聖霊として現れました。その同じ神はいつもおなじで、同じ神の3つの現われがあるのです。
さて、これは各々の世代で見つけています、神は初めから御言葉を割り当てておられました、ちょうど進化論が来たように、初めに神が作られたのは、、、例えば植物を創られたとしましょう。そして動物の命を次に、そして人間の命を次に、進化論のように、どんどん上がって行く。
さて、神は彼の教会の中にずっとおられました。ルターの義化の下に、(さて、彼は今彼の花嫁を引かれ、彼の花嫁を創られているのです)ルターの下の義化、ウェズリーの下の聖さそしてそれから、、分かりますね。神は霊の真かをもっともっと与えてこられたのです何故ならその体は建てられ頭に向っているからですそれがキリストなのです。キリストの体です。
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さて、彼女は女性として、もし彼女がキリストである御言葉と結婚していたら、彼女は教会宗派と同時に結婚する事は出来ません、何故ならそれに繋がれているからです。彼女は同時に二人の夫と生活する事は出来ません。彼等はお互いに相反しているからです。片方は神が送られた物、もう一つは人が作ったものです。だからそれらは相反しているのです。主は言われました「あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。」神は言われたのです、パウロがここで話している様に、律法と恵みのようにお互いが相反しているのです。
片方が相手に対して死ななければなりません。そしてもし彼女がそれらを混ぜるとなると、彼女は淫婦と呼ばれるようになるのです。オーそのことを考えて下さい!ニューヨークの皆さん、アリゾナの皆さん、注いて国中の皆さんそのことを考えて下さい!神様は、もし同時に二人と結婚しようとするならば淫婦(不義の女)と呼ばれるのです。淫婦(不義の女)が天国に入れるのでしょうか?神が淫婦(不義の女)と結婚するのでしょうか?間違いなくあり得ません。彼は我々にそうするなと言われたのですから。彼女は淫婦と呼ばれるであろうと。
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そして彼女の子供達、もし彼女が淫婦であれば彼女の子供達は私生児(不正の子)になります。私生児(不正の子)。何に対して不正であるのでしょうか?その教会に対してではなく御言葉に対してです。彼女は私生児なのです。
子の黙示録3章の終わりの時代のラオデキア教会時代の絵です!何という不正なグループ!宗派的な混ぜ合わせー生温い!自分自身をクリスチャンと呼び続け神の御言葉を否定している。預言者が言っている様に彼等は5 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。(第2テモテ3:5)
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結婚というのは最古の世で創られた決め事なのです。結婚は初めに創られてエデンの園で決め事とされました。
女性は特定の床を汚してはならない事において信じられています。女性はその事を信頼されているのです。女性の様な創造物は他にはいません。女性以外に雌犬も他の種類の雌の動物もその性質を信頼されて会が得られてはいないのです。女性は初めの創造物にいさえもしませんでしたと言うのは神は彼女が堕落する事を知っておられたからです。全ての雌は姦淫を犯すことは出来ません。人間の女性だけが姦淫を犯すことが出来るのです。もし彼女が元々創られたままであれば、神の偉大な知恵に補完しなくなってしまいます。分かりますね、彼女は男性の副産物として創られたのですしかし彼女はその側から端だしてしまったから、彼女は又、神が贖いの為に聖く定められた場所を与えられたのでした。彼女は汚してはならない性質をいくつかいただいたのです。もし彼女がそうするならば、人生を汚すことになります。どれだけ許されていても彼女は義化されることはありません。そのことをしっかりとしばらくしたら話していきます。週踏んで一つの聖句を話します。彼女の汚れは許されることが出来ますがこの人生で正義を受ける事は出来ないのです。それは常に彼女と共にあることになります。気が付いて下さい、今彼女はこれを与えられました。彼女は許されるかもしれませんが、義化はされていないのです。
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彼女(人間の女性)の体は神から聖い信頼を得て与えられました。雌の犬でも鳥でも、動物でもそのような創造物ではありません。彼女だけなのです。それゆえに彼女は、それほども聖いのです、彼女が地上に齎されるときにです。彼女の体は人生を始める為の物なのです。それゆえに、彼女は聖い信頼を与えられているのです。
さて、ここは同意しない場所かもしれません、多くの神学者の方達にとってです。それが人間全てを汚したのです、それは初めから姦淫だったのです。彼女の床は汚されたのです。彼女は双子を齎しました、カインとアベルです。一度の行為で二人の子供、聖句を探していきましょう。
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さて、今、彼女の体は寝台のようになっていることが分かりました。そしてそれゆえに聖い信頼は汚されるべきではないのです。
さて、今話しているのは、その教会が立っている場所を見せるためのイラストとしてこれを持ってきました。あなた方女性の事を話しているわけではありません。何でもそれはあなたと神と間の事あるいは男性もしかし私が話しているのはその教会とキリストの事です。
さて、この彼女が与えられた命は神ご自身以外誰も与える事が出来る物ではありません。彼女の夫は精子を持っていたかもしれませんが、神ご自身が命を作らなければならないのです。その通りなのです、その様にならなければ全ての命は神からくるものである必要があるのです。全ての命が神からくるものでなければならないのです。そうでなければそれは倒錯されていてそれは罪深くなってしまうのですが命は神からくるものでなければなりません。神のみが命を創られる方なのです。
さて、彼女は神聖を持っているのです。。。人として。
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ここで3つの彼女が離れてはならないものの名前をあげたいのです。さて、私が話している事は、、、教会の事であることを心に留めておいてください、これを人げの女性として話している間、パウロはローマ書の7章で言っている事なのです。彼女は彼女の主によって神聖なる信頼の力を約束されているのですー特定の徳。女性以外の何もそれを持つことはなにのです。そうなのです。彼女に神によって約束されているのです。その力(徳)を汚してはならないのです。もし彼女が何か間違った事をするならば、彼女が彼を取る前に夫にそれを告白しなければならないのですそれによって正しくするためです。教会も同じことが言えます、それはキリストの前で又律法によって結婚するならば、2度目の結婚の前にです。彼女はそれを告白する必要があります。もしそうしないで、10年間夫と暮らしてそれを告白するならば、彼は彼女を出して他の女性と結婚する権利があります。それは聖句にかなっています。姦淫はきたない生活なのです。
「ヨセフ、怖れないでマリアを妻として迎えなさい、彼女が身ごもっているのは聖霊によるものであるから」彼は隠れて彼女を出そうと考えていました、彼女と既に婚約していた後でした。あなたが彼女と婚約した時、神の考えでは結婚していることになるのです。
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気が付いて下さい。さて、彼女は聖い信頼された力を主によって彼女を信頼して与えられていました。神は彼女にその徳を与えていたのです。それはちょうどエデンの園であったように、彼女は「はい」あるいは「いいえ」と言う事が出来るのです。彼女は聖なる信頼された女性としての力を彼女に与えられておりそれを破ってはならないのです。ここでいう女性としての知かrというのは、彼女の男性の周りでの行い、性質を刺して言っています。誰に対してもという事ではないのです。
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これらの映画を見ると、映画のスター達はキスをしたりハグをしたり揺れあったりこれらの女性となんでもしています。女性がそういう事をするのは悪い性質なのです。彼女は徳の高い女性かもしれませんが、そうでなければそれは心に見られなければなりません。これらの事やセックスや、唇、男性が女性とキスしたり、それは実際彼は姦淫を行っている可能性があります。
セックスを感じるのは女性と男性の唇の中でもあります。彼は彼女の手にキスすることは出来ますが、それを混ぜてはいけないのです、唇はセックスの領域になります。これらのハリウッドの今日の全ての誰とでもいる女性とそういった事をするナンセンスを見ることになります、そして小さな少女たちがそれを見ているからモラルが腐り、きたなくなってしまっているのです!それが子供達の前に置かれているからです。そういう事です。それは終末に起こるべきことなのです。
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さてその教会の事を考えて下さい。彼女は御言葉以外の何とでも混ぜ合わせてキスしたり揺れあったり寝たりしています。悪魔そして教育、科学的研究などにそれをさせているのです、科学的教育や全ての物は、完ぺきに神と相反しています!
全てのぶっめいの体制は完全に今反キリストが持っているのです!教育体制は反キリストの物であり、文明も反キリストなのです。それは神に敵対しています。文明に敵対すると言いましたか?神はこれらの日々の内に、文明をもつことになりますそれはどんな死も関係しないものとなります。
現在文明はサタンからの物です。それを御心ならば聖書から証明します。これら全ての事はサタンの物なのです。我々の新しい文明にはこれらの物は何も入りません。
彼女はこの神聖なる女性の力を持っているのです。
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男性達が女性の周りで彼等のやり方をするのは疑いもないのです。女性達が男性の周りでするからです。彼女の性質は短パンをはいて、肌を見せ、男性の服装を着たり物をもって通りに出て、ツイストをしたりしているのです。彼女が何と言おうと、彼女の夫には高潔にしているかもしれませんが、神の目には彼女は姦淫して淫婦になっているのは疑いもありません。「しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」そして彼女が彼女自身をその様に顕しているのです。それがちょうど教会が世に対して行っているのと同じです。
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気が付いて下さい、それは彼女に約束されていたのです、聖い徳、聖い女性としての力、そして聖い母として、彼女の夫に栄誉を捧げる事。
今日の事を見て下さい。特定の街々、多くの街々で、彼等は大きな政党とか集まりを持っていますそれは社会と呼ばれるものですー教会メンバーもですー彼等の申しを床に起き、そして彼等は酒を飲み、鍵を入れて、各々の女性は、男性の為にその帽子から鍵を選んで、その週末に過ごすのです。そのような全てのパーティにお定、ここでは沢山いう事があります、もし御心ならば、ここで詳しく話す時間はありません。何という汚れ!
そしてその教会はただ悪いのです。その通りなのです。全ての事で姦淫を犯し何もする事は無いのです。彼女は御言葉を守るべきなのです。
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建物は良いでしょう、病院も良いでしょう、これら全ての事は大丈夫です。教育プログラムそれは大丈夫です。我々はここで生きる必要があります。読み、書く事が出来なければなりません、それはその経済の一つなのです。
我々は初めは何も着る事は無かったの同じ様にです。(それについては御心ならば今週の後半にお話しする予定です。)しかし我々は服を着なければなりません、というのは神が服を与えて下さったのですしかし初めは必要がありませんでしたー我々目が見えない様に覆われていました。さて、彼女は罪に対して覆われていました。彼女は彼女が罪を犯している事すら知らなかったのです。彼女はその時、、、、彼女は悪魔によって覆われているのです、その時は彼女は神によって覆われていましたーその違いは、、、
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さて、我々は彼女はこの聖い信頼を与えられていたのを知りました彼女はその女性としての力を破ってはいけないのです。彼女の行動として、その性格をもち、子供を育て、夫に栄誉を帰すこと。今日彼等は世にある何物よりも少しそれに関心を払っています。
私の働く場所に座り時々、そして男性が彼等の妻を連れてくるのを見るのです、彼等は神と正しくしようと試み、彼らた一緒に住んだ人の事を告白し全て彼等が結婚して以来。。オーあなたは、「それはペンテコステのやり方ではない」と言います。他の人々は来ないでしょう。だからそれは、、、私が話している事は、、、ソそれからどのように離れるかなのです。世、教会そしてすべてのファッションそして我あれの持っている者と混ぜ合わせる時。我々はもともとのペンテコステとはちがうようになります、まるで昼から夜のようにです。我々は暗いカオスの所に失われるような場所に寝付いてしまったようになったのです。
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聖い信頼とは何だったのでしょう!女性には何という大きな責任があったのでしょう!さて、彼女は教会のタイプではなかったのでしたか?同じ責任が女性として聖い責任が彼女の母親として、彼女の徳として彼女の夫に対してあったのです。その教会は祈りに対してそして御言葉にそしてキリストに女性が持っているのと同じように聖い責任があるのです。そして女性は他の男性に落ちて行ったのです、その教会がこれらの組織的プログラムや建物のプログラムと学校などに行ってしまった時。それに対して反対はしていません。それは大丈夫です。彼等が彼等の目的に仕えているのであれば。しかしそうではないのです、、、イエス様は、、、「行って学校を作りなさい」とは決して言われませんでした。彼は「御言葉を宣べ伝えなさい」と言いました。
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それが彼等が怠っている事なのです。
組織、病院などを創る事ではなく。それらは大丈夫ですが、それは教会の仕事ではないのです。彼等の仕事は福音を宣べ伝える事なのです!しかし我々は別の事はすべてしましたがサタンがしたの同様に外れて行って、福音を何か別の物と混ぜ合わせて、何にもならない者の寄せ集めになるところまで混ぜ合わせてしまったのです。
世界全体でさえ、この世の中の流行を見てみて下さい。
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最近の事ですがここでリーダーズダイジェストを読んでいたら、若い少女たちが更年期障害を経験して又男性も中年の問題を抱えていたのですその年齢は20歳から25歳の間で、彼等は中年の様な状態の敬虔をしていたのです。腐敗と堕落!なぜなのでしょうか?食物に関する科学研究のいぇに、それは自然なものを食べるべきなのから壊されてきているのです。我々は死にかけている腐敗ものになっているのです。
さて、教会は何なのでしょう、それは同じ状態にあります。教会はその形式を見せるのです。教会は御霊によって彼女に与えられた御霊と御言葉を守り同じ尊い力を持っているのです、そして世のいかなるものあるいは何でも姦淫を行わないで切れば、彼女の夫に対して忠誠をも父続ける女性と同様に御言葉に対して処女で居続けるのです。彼女の主の御言葉を全ての人が作った信条、知恵、宗派などの上に置くことによって栄誉を帰すのです。その教会はその信頼を与えられているのです。彼等は「さて、私の教会は、、、」と言います。あなたの教会を信じているかどうかは気にしません。それが実子t場と反しているならば離れて下さい!聖書は「イエスキリストは昨日も今日もいつまでも変わる事がない」と言っています。マルコ16章、「これらの印が信じる者には従う」もし教会がそれとは異なる事を伝えていたならば、その物に対しては死ぬのです。神の御言葉の中に生まれ変わってください。「全世界に出て行って、すべての創られたものに福音を宣べ伝えよ」その距離を行く必要があるのです。「これらの印が信じる者には従うそしてすべてその世と全ての信条は信じられているのでエス。それからどれ程離れなくてはならないかを見ましょうか?はい、しかし彼女はその事について責任があります。
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しかし今、ハリウッドは我々の女性達から純粋なところを取ったのです。私はここに座って愛する古い女性スチャラダー姉妹を見ています。ここの女性の多く、後ろの、、そしてモーア姉妹、年長の女性達、数年前の事を覚えています。もし彼等の母親あるいは彼等さえも、これらの今日の女性達と通りを歩いていました、教会メンバ達、彼等は気がおかしくなって女性であることを締め付けていました。彼女はスカートを穿くのさえ忘れていました。
さて、もしそれは狂っていたのです、それは今も狂っているのです。見て下さい、世界中が狂っていることを証明しています。殺人などについてみてみて下さい、今の世の中で起こっている事はー狂気です!その全ての事は啓示を成就するために起こっているのです、今週起こるかもしれませんし、その恐ろしい事。。。彼等は自然ではないのです、それは霊的な事で人々をその岩や山に叫ばせるようになっているのです。全て他の事は彼等に落ちて行くのです。
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その完全なこの世界の狂気はすぐに起こっていくのです。それはほとんど今そこに在るのです!さて、その足跡を見る事が出来ます。そこに在ります。それはその通りに出て行って行進していて教会の席の周りに。完全に狂気なのです。人間がそれを考えられない事をやるのです、文明的になる事です。
女性にハリウッドがしたことを見て下さい。女性から聖い徳を盗ませたこと。何もかも我々が行ける場所へ。見て下さい。これら全てを彼女は失ったのです。彼女はどの様にそれをしたのでしたか?教会と呼ばれるだましだましの組織があるからです、エデンの園に在ったように。あるだまそうとしている人、その悪魔が教会にちょうどエデンの園で彼がしたのと同じような事です、そして彼女を欺いたのですから。彼女は欺かれました。その女性も考えているのです、間違おうと考えていたわけではないのです。エバは間違おうとしてはいませんでした。それはわざとではありませんでした。しかし、彼女は、聖書の第1テモテ3章で「彼女は欺かれた」と書かれています。そしてわざと欺かれようとしている時ではなくそれをしている時に欺かれているのです。
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そしてそれがまさに今日起こっている事なのです。彼女はテレビによって雑誌によってこれらの人々によって全てのこれらの素敵に見える事によって街に出ている者によって欺かれてきたのです。今の女の子達、彼等は雑誌を見たり、そして写真を見たり、通りで見て、彼等はそのお店にある服装を見ているのです。サタン、地獄の大きな道具が人々の所にやってきてこの様な方法で彼等を欺いていたのです。そしてその女性は彼女が正しいと考えているのです。そして彼女は死んでいてそのことを知らないのです。彼女は神から遠く離れています。分かりますね、彼女がこのすべてをどのように失い、それがいかにだまし討ちであったかを?
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今日、皆さんに気が付いてほしいのは、イエス様がそれについても語っておられるのです、もしそれを読みたいのであれば。イエス様はこのことが起こる事を告げておられました。ご存知でしたか?彼の十字架にかかる前の時にでした。ルカ書23章を読んでみましょう、その後日曜学校の教えのように27節から始めます、ここにマークをつけていたと思います。イエス様がカルバリーの丘に行かれているのです。読むので聴いて下さい。
ルカ23章27節。。そこだったと思います、私のノートがそう言っています。そうでした。
大ぜいの民衆と、悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとが、イエスに従って行った。
イエスは女たちの方に振りむいて言われた、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。
『不妊の女と子を産まなかった胎と、ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』と言う日が、いまに来る。(考えてみて下さい;子供を持つことが不名誉となっている、分かりますね)
そのとき、人々は山にむかって、われわれの上に倒れかかれと言い、また丘にむかって、われわれにおおいかぶされと言い出すであろう。
もし、生木でさえもそうされるなら、枯木はどうされることであろうか?」。
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女性達が子供を持ちたがらなくなる時代について話しています。彼等は犬あるいはネコか他の物を欲しがるのですが、子供は欲しがらないのです。その理由は?もし彼女に子供がいたとしたら年寄のお母さんで腐っているのです。分かりますね?彼女はこどもがほしくないのです、それはハリウッドでの意見でもあります。彼の女性に腐ったお母さんになって欲しくないのです。
そして彼女がそうなるとー彼は自分自身で彼女にある手術をして、子供を持たないようにするのです。彼等は子供が欲しくないのです。
イエスさまがその事を言っています。そして彼は何と言いましたか「そのとき、人々は山にむかって、われわれの上に倒れかかれと泣き、また丘にむかって、われわれにおおいかぶされと言い出すであろう。」
彼女はパーティにい行く為に避妊を馴染めるようになるのです。赤ちゃんにおっぱいを上げる事に邪魔されることは出来ないのです。彼女の体のラインがおかしくなるのです。妊娠すると彼女の体のラインが崩れます。彼女はそのままで居たいのです。そして彼女の夫は無知なので彼女にそのままにさせます。彼女は子供を産む事は無くなるのです。
イエス様はその事をここで言っておられるのです。そして彼は彼等がその時この様な事をする。「彼等は岩が彼等に落ちる様に泣き始める」それは主が来られるのです。彼等は猫、犬の母親になるために大金を払います。それはいいのです。何かの母親にならないとならないのですそれが神様が女性に与えた性質だからです。
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気が付いたのですが、大きな狩りをしました。その年の秋に年寄の熊を、彼女が雄の熊と子作りをしていた時、彼女には子熊が生まれていたのです。かなり良いサイズの子熊たちでした多分、100ポンドくらいはあったでしょう。彼女は彼等を逃げさせて彼等自身を冬眠させようとしていました。というのは彼女はもう少し何匹化の子熊を産むつもりだったからです。彼等は2月に生まれました。その熊はその事について何も知りません。彼等は小さなところで生まれたのです。神様は彼等の為に小さな場所を開けて持ってくれるのです、セロファンのサックの様な感じです。彼等はそこにいる方法を見つけ、彼等の母親は寝ていました。彼女は10月以来何も食べていませんでしたそしてこれは2月です。彼等はそこに来て、5月の半ばまでおっぱいを貰っていました。そして彼女が子熊たちが良い大きさ多分10-15ポンドずつくらいになったのを見た時でした。彼等は彼女からおっぱいを貰っていました。彼女はどの様にミルクを持っていたのでしょう、それは神様の考えです。彼女は自分自身の為に生きながら子熊たちの為にミルクを生成しています。そしてその時もし彼女の命が取られたら、そして彼女が子熊が居なかったら、その年に狩られてしまうのです、昨年子熊と母は殴銃一緒にいましたそれは神が与えた本能があったからです。彼女は何かの母親でなければならないのです。
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そしてもし女性が夫の為に赤ちゃんを持とうとしなければ、彼女は犬あるいはネコか他の物を取ることになるでしょう!彼女はなにかの母親になるという事が必要なのです。それが女性としての生まれ持った性質なのです。しかし彼女の夫の子供を産んで育てたとしたらそれは神への奉仕となります。それが彼女の人生のすべッとなるのです。もしそれを避けるとしたら彼女は今の時代1965年の時の時代の社会的に罪のある愛を持つという事になります。
現在の教会の実際の図というのは。これらの叫びや嘆きが欲しいわけでもなく異言を語る事でもなく使徒行伝2章38の事を語りたくもないのです。彼女はそういったものは何も欲しくないのです。泣いたり声を上げあり、「アーメン、ハレルヤ」も欲しくないのです。だから子供は空く座に彼女の宗派を作り出す刷毛です。彼等の内の一つにそのような教会があるのは、そうするとすぐにそれを投げ捨てる事になります。なぜその様な物があるのか?という形です。
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さて、分かる様に、何かによって妊娠しているのです、常にメンバーを増やしているのです。しかし彼女は彼等が叫んだり神に賛美したり、使徒行伝2章38を信じる者たちは彼等は惨めな創造物だとしてほしくないのです。それは間違いなく彼女に恥をこうむらせるのです。それは彼女の教育、理念、科学的、社会的教会をだめにするのです。彼等は彼女から次の協会会議でそのようなものを投げ捨てるのです。彼女にはそれを持つことは出来ないのです。御言葉によって妊娠させられたくないからですと言うのは、御言葉だけがその実をちゃんと生むからです。
神の御霊によって生まれる者は、神の御霊を持っているのです。知性、教会に加わる事、信条、ボブスタイルの髪型、化粧した顔そのような者は一切ダメなのです。御言葉の中にその様な物を見つける事はありません。古臭い、聖い聖霊に満たされた神の御霊によって生まれた子供、叫び大きな声を上げ神を賛美する子供達だけが見出されます。
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それは彼女の為に手を差し伸べる全てなのでした。彼女はそれを欲しがっていません。オー何という事。全く欲しがらないのです。
そしたら彼女は何をするのですか?化粧、短パン、イザベル社会あるいはその様な物ご存知のそういったものを齎すのです。そうだと思います。彼等はそれをネコと呼ぶと思います。「ほらそのネコがそこに行くのを見なさい。彼等は或いはそのような事を言うのですね。彼女は産まれたか、結婚したか、繋がって、彼女の最初の夫です、その最初のアダム、姦淫した妻エバによって、アダムの最初の妻でした。あなたは、「姦淫?」と言うでしょう、彼女は間違いなくそうでした。しかし、彼女は、それはこのアダム、この初めのアダムは死んだというのです。「オー間違いなく、彼はずーっと昔に死んだ。私は再び生まれたのです」彼女は言います、「そして間違いなく二人目のアダムキリストである御言葉と結婚したのです」と
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さて、彼女が何を愛しているかに注意して下さい。彼女の愛人を見て下さい。彼女が恋をしている人がだれだか知りたいですよね?その御言葉は言っています。「これ」しかし彼女は、「私の教会がこういう」というのです、さてそうなると彼女は誰と恋しているのでしょうか?彼女の夫は誰ですか?彼女自身のみが彼女が何であるかを証明するのです。それは間違いなく正しいのです。彼女が何だか見せて行きましょう。
注意して下さい、彼女は初めにアダムから生まれました、それが彼女の自然な誕生だったからです、彼女はそこから離れていません。それは世の恋人なのです。彼女は2度目キリストに生まれたと言っています。しかし彼女の愛する人はまだアダムなのです何故なら彼女は世を愛しているからです。
そしてもう一つの事は、彼女が産んでいる子供達の種類に気が付いて下さい。それはパパが誰なのかそれが初めのアダムか二人目のアダムかを告げています。もし教会が二人目のアダムから生まれているならば、ペンテコステの日(五旬節の日)に彼等がしたのと同じような行動をするはずなのです。それが本来の本当の二人目のアダムの子供たちなのです。そうなのです。彼等の性質は彼と彼女の様なのです。はい、彼女の娘達は、化粧をしてボブスタイルの髪型で、男性の服装、ズボンをはいています。聖書は彼女にそのような事はするなと告げています。彼女は髪を切ったのですそれは恥を齎すものです。あなたは、「そんなことは言うな」と言います。それは聖書が言っている事です。自然にそれを指し示しているだけです。それが彼女がしている事です。
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彼女の息子達は彼女から生まれたのです、彼等は教育、学校、聖書学校(所謂)ある偉大な大学は保育器の様な形の様な感じで長期にわたって彼等を産むようにしていたのです。宗派の探索者、宗教的なカインの様な、御言葉に対して不正なちょうどカインの様な感じなのです。カインがそうであったように不正なのです。宗派の探索者達。何だか分かりますか?
神は決して宗派を組織化していません。彼はいつも敵対してきましたそして御言葉がそれに敵対しています。しかし彼等はその権利にしがみついています。だから彼等が生み出すものが何だか分かりますか?それは彼等の父親や母親が誰なのかを見せているのです。カインがそうであったよう不正なわけです。それはエバから生まれてきたタイプの子供達です。彼等は御言葉から名成れているのですそして彼女が何をもたらしたかを見ているのです?それが教会が今齎しているものそのものです。同じ事なのです。それを御言葉で証明できます。それが教育や文明から来ているのですそれはカインからなのです、学校教育などその他物全てです。その通りなのです。だまし、賢く見えるように、何とも! サーパントが彼等の父ですから。カインと同様に男子が強く科学的な説教師となるわけです。それは全く同じ事なのです。あなたは「ブラナム兄弟、それは本当ですか?」といいます。
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創世記4章16節を開いて下さい。すぐに創世記4章16に戻ります。そこで何がどのように起きていたかが分かります。
カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
カインはその妻を知った。彼女はみごもってエノクを産んだ。カインは町を建て、その町の名をその子の名にしたがって、エノクと名づけた。
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トバルに来て、彼等は来た、楽器の製作者、音楽などなど、
文明は改案によって創られた。そうです。街々、楽器、科学的な人たちはカイン、サーパントの種から来た。
さて、25節を見て下さい。
アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、彼女には二人子供が居ました。聖句を探ってください。彼女にはカインとアベルが居ました。一度の行為で二人の子供。
彼等はそれほど前ではない時に起こったことを離してくれました。ハリウッドである状態がありました、、ハリウッド、ツーソンでも今ちょうどそのような条件があったのです。ある女性が子供を産んで一人は黒人でもう一人は白人の子を同時に産んだというのです。彼等は彼女にはそれは出来ないと言います。彼女は二つの多産の種を持つこともできるのです。彼等は裁判所で権利を得ました。犬や動物もそれが出来るのは知っています。そして彼女はそこで会ったのです、その白人の人は「僕自身の子供のサポートはするが彼のは出来ないと言いました」そしてその女性は告白をしました。彼女は夫と朝一緒にいて午後その黒人の男性と。。。もしそれが、、、医者が言うには24時間以内であればそれは起こりうると、もしそこに多産の種がもう一つあるならばとのことでした。そして彼女はそうだったのです。
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それがまさにここで起こったことでした。カイン、、、サタン、、その朝、サーパントそしてアダムはその午後にそして彼女は二人の子供を持ったのです。
さて、アダムは又彼の妻を知った、2回:そして彼女は息子を産んだ」覚えておいて下さい、聖書のどこにもカインはアダムの息子だったと書かれているところはありません。「彼は悪しき者の子であった」アダムではなく、悪魔です。
「 アダムはまた(2回目)その妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました」。
セツにもまた男の子が生れた。彼はその名をエノスと名づけた。この時、人々は主の名を呼び始めた。
つまりカインは悪しき者の子なのです。そこにはサーパントが居たのです。
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さて、気が付いて下さい、聖書は譚儒に腔言っています、彼の最初の夫はかならず死んでいなければならない。ただ分かれただけではならない、死んでいなければならない。さて、結婚と離婚について説教をし終えたところですそしてそのことについて皆さんご存知です。ここでこの会衆にその話をする事は予定していませんが国全体に対してしました。分かりました。さて、結婚と離婚において何が起こったかをしていますね。7つの封印が開かれたとき、そこで本当の真理が齎されたのです。
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さて、二人目のアダム、キリストである御言葉と結婚するならば、自分自身を最初の宗派の夫から死によって別れなければならないのです、というのは全ての御言葉を取る事は両方には出来ないからです。どこの人が「オー」と言っているか見せて下さい、あなたは「私の物」という。他の人達は彼のという。それらを一緒にしたら、両方共が間違っている、宗派に入った途端間違いなのです。黙示録17章を読んでください。
だからそれらの事から離れて死ぬ必要があるのです。'さて、私は地元の会衆に話してはいません、国全体に話しているのです)最初の夫に対して死ぬ必要があります。もしキリストとつながってまだ宗派と結婚しているとしたら、あなたは姦淫をしている淫婦なのです!あなたはラオデキアなのです。
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その国全体にある一つの教会、我々はイエスキリストである御言葉に従っています!花嫁になるために神の御言葉とつまりはキリストと再婚しなければなりません。
「初めに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は髪であった。そしてその言葉が肉体を持って我々の内に住まわれた」宗派の人言い伝えを守っている限り神の言葉の中で淫婦とされるのです。宗派の信条を探すものである限り、宗派の教会に属していてそれは御言葉を否定してるのであなたは淫婦なのです。そう聖書が言っています。イエス様は言われました。「同時に二つの神に仕える事は出来ない。神に仕えながらマモンに仕える事は出来ない。マモンは世の事です。「世と世の物を愛する者の中には神の愛はない。」神の種は同時に世への愛を持つことは出来ないのです。神の種はあなたを通して働いている時それが神の言葉なのです。世の愛は同時にそこにはないのです。さて、短い髪と短パンそして化粧した顔はどこに在るのですか?それはどこに属しているのですか?
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キリストに神の御言葉に高潔になって、人の作った宗派に同時に仕える事は出来ないのです。
御言葉に反発しているからです。パウロはここで、言っています。どこでしたか?ローマ書の7章。
神の御子の言葉をこの不正な宗派のグループに持たせることもできません。それは不可能です。保育器の中で神の御子の言葉を前に持ち出すことは出来ないのです。教会に語っています。しかし教会はとても宗教的だと言っています。それはカインでした、売春婦エバの息子、とても主教的でしたー祭壇を作って、犠牲を捧げ、彼の10分の1税を払いそしてすべての他の宗教家もそうしています。しかし彼は御言葉を保つことが出来ませんでした。彼は啓示を持つのに失敗したのです。
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そして啓示が唯一の事なのです、その御言葉の黙示(啓示)です。
啓示とは何ですか?イエスは言われました「この岩の上に教会を建てよう。地獄の扉もそれに反する事は無い」信仰は啓示ですと言うのは信仰はあなたに明らかにされたものだからです。アベルは信仰によってカインよりも良い捧げものを捧げたそれは信仰によってその啓示を得ていたからである。
カインは彼等はリンゴを食べたと思っていました。彼等はまだその考えを得ていますがそれはそうではなかったのです。それはサーパントの種つまりは姦淫だったのです。そして7つの封印が開かれて宣言されそして証明されました。(私の本はちょうど出版されました。ここに1節あると思います)注意して下さい。それは創世記から黙示録迄の聖句にかなっています。
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終わりの時に両方の木が種に来てそれ等自身を証明します。
我々は今日そこにいるのです、ラオデキアそして花嫁。あなたの顔の真ん前ではっきりとかなりしっかりと聖句が示しています。神とマモンに仕えることは出来ません。高潔な聖書を信じるクリスチャンでありながら自分自身を宗派の感性と共に居る事は不可能なのです。同時にそれをする事は不可能なのです。片方が死に片方を生かさなければならないのです。
神の御言葉である御子たちを背負う事は出来ないのです。教会もという事は。彼等は子供達と共に叫んだり、異言を語ったりしたくないのです。宗派の教会ではそれは出来ないのです。彼等はあなたを持っていません。彼等はその様な事は齎さないのです。彼等は手を取って握手して言うでしょう、「それを信じるならばそれを取りなさい。その書類の中に名前を置いている限り、それだけをすればいい事なのです」分かりますね、御言葉に対する不正の子になります。そういいながら献身しているというのです。
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サタンの知恵や知識によってはらませられて教会になったのです。彼等は人々を学校へ送り「アーメン」という方法を学びただ正しいようにさせます。これらの事をどのように言うかを学びとても知性的です。それは何ですか?悪魔によって孕ませられているのです。
サタンはエバをどのように孕ませましたか?知性の為の言葉によって、すべての創造物をだめに捨て御言葉を信じないようにさせることによってでした。それがちょうど今日教会が御言葉に対してなしてきている事です。聖書大学や短大などの様な所でー読み、書きそして数学―そして彼等はより神についてそしてホッテントットからエジプトの騎士についても知っているのです。彼等は全ての信条、祈りの本そしてそれ以外の物も知っています。しかし神については何も知りません。彼等は御言葉が指定されたとき、神がそこで語られたとき、その時に神の言葉が各世代に和得与えられることを知っています。
ノアはどの様にして来たのでしょう、そして彼はその世代に説教をしました。さて、モーゼがやってきて、「箱舟を作ろう?」と言ったらどうなっていたでしょう牡。彼は色々な種類のスタイルになっていた事でしょう。しかし彼は預言者でした、神の啓示を持ち、そしてその指定された預言者を持っていました。そして彼が言う事をまさに言っていたのですそして神はそれをなされました。彼等は言っていました。「神に語らせないで、我々の死に関してはモーゼに語らせてください」
神は言われました、「私は彼等の語るそれ以上の事は無いが、預言者を彼等から建てるそして彼等が語るであろう」
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イザヤがそこに立って行っています「処女が身ごもる!」その時代において彼の様な人が、、、どのようにしてオトメが身ごもるのか?「6 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって/これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。(イザヤ書9:6-7)
どの様にそれはなされるのでしょうか?彼は知りませんでした。彼はただ神が言われたことを行っただけです。それは想像や知性を越えています。それは科学的研究を越えているのです。それが神の言葉なのです。
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今我々は全種類の聖書神学そしてそのような人の作った神学の中で神学校の学生を教えています。それは沢山の教会を持っているのです、神が言われたのとまさに同じラオデキア教会時代の様なのです。
なんということ!それは私を恐れで震えさせます。知的な概要によって孕ませられる。高学歴な学校を卒業していなければそこに入る事さえできないのです。叙階を受けるには精神科医の前に行く必要さえあるのです。ペテロ、ヤコブそしてヨハネが精神科医の前に行ったなんて想像できますか?名前が書けなかった120人がそこにいたのを覚えていますか?精神科医の前に彼等が立っていたとしたら、彼等全員も、彼等がそれが正しいとかどうなっていたのでしょうか?彼等は反射作用を持っていましたしかしそれは科学的研究や知的概要のそれとはちがいます、それは神の力を通しての事でした。それが彼等に入った時、彼等はなにも知らなかったので背入れがそれを言われたのでした。彼等は知性的な事には何も関心を払っていませんでした、教会が言ったり祭司が言った事そしてこれやあれが言った事には。。彼等は御霊によって動かされていて恐れがなかったのです。
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第1ヨハネ2:15で、「世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。」と言っています。だからどのようにして神の御言葉によってみたされるのでしょう、世を否定し、ハリウッドを否定し、すべてのファッションや全てのパーティをそしていわゆる宗教という名前によって続けるのですか?それはそれを否定しているのです。どのようにして御言葉が人を孕ませられるのでしょうか?
どの様にしてボブスタイルの髪型の女性、化粧をして短パンを掃く情勢?いかにして説教師がここを出て神学校を卒業して使徒行伝2章38節を見てそして誰も聖書の中でそのタイトルによって洗礼を受けた人が一人もいないのに、彼等はそれでも神の言葉によって妊娠させられていると言えるのでしょうか?彼は嘘をういています!彼は長子の権を撃ったのです。彼は彼の言ったまさにそのことに対して姦淫を犯しているのです。彼は別れて離婚しているのです。
神は高潔な教会を持つことになります、その通りです。花嫁! 聖書入っています、「御言葉はあなたの只中にいる」だからどのような子供達を産むのですか?宗派による妊娠。あなたの最初の恋人から死でさえも分かつことはないのです。
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田中さんや山田さんはもし私が異言で話し泣いたらどう思うでしょうか?私がもし再洗礼を受けるとしたら彼等はどう思うのでしょうか?何というナンセンス!あなたは田中さんや山田さんと毛子オンしているのですか、教会と結婚しているのですかそれとも御言葉であるキリストと結婚しているのですか?さて、だから彼女は彼の子供達を未だに産んでいるのです。
彼女の子供はどんな種類の子供達ですか?彼等の呼ぶ名前をいくつかあげます:猫、カブトムシ、モンスター、リッキーリケッタ、ネコ、カブトムシ。それは教会のメンバー達です、間違いなく、カインの子供達。訳の分からない獣の息子達、彼等はかなり滑らかな感じになれるのです。
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さて、しばらくよく見ていて下さい、あなたの霊的な内視で魂によって。周りを見渡して、私は国全体に話しています。数分だけ、、ブラハムタバナクルにいるあなた方、西海岸そしてアリゾナあらゆるところにいるあなた方、自分自身を数分見てみて下さい。あなたは「ブラナム兄弟あなたが話しているそのメッセージは間違っている」と言うでしょう。自分自身をしばらく見て下さい!聖霊に御言葉と共にあなたの心を探らせてください。メッセージに同意するでしょう。キリスト、油注がれた言葉にあなたの自意識を探らせましょう。彼に入ってもらうのです。もしそれが正しいかそうでないかを見るのです。そしてそこには何百もある時に一つか二つの事を話すのです。
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聖書は女性のボブスタイルの髪型に合意していますか?聖書が父と子と聖霊の名によって3回の洗礼をする事を同意していますか?そんなものはありません。聖書が女性が男性の服装をする事に合意していますか?それら3つの事だけでも見て下さい、そこには何百も他にあるのです。神の御言葉の光の中でそれを探ってください。
あなたは「私は教会の会員です」と言います。さてカインもそうでしたしエバもそうでした。聖書が終わりの時にラオデキア時代には同じになると予言しています。
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聖霊にあなたの自意識を探らせてくださいそしてダニエル5:12に合意するでしょう。ベルシャザルの前に女王が来た時、行ったのです。彼女は預言者ダニエルが彼等の中に居たことそして彼が疑いを溶かしたのでした。
聖霊にそれをさせて下さい、彼はその時代の預言者です又神はあなたの心に今入る様にしましょうそして神の御言葉によって調べて下さいそうすればそのメッセージへの疑いについては全て溶けるのです。彼が全ての疑いに対してk多恵を下さるのです。この時代の為のまさにその御言葉を見つけるのです。
今日ルターのメッセージを告げることは出来ません!それは合わないのですがそれは足です。ウェズリーの物を説教する事も出来ません!ペンテコステ派のメッセージを伝える事も出来ないのです!あなたはそれを越えてしまっているのです。彼等は組織を作り死んだのです。彼等は茎です。その茎ははと共に来ましたそれが教会の最初の状態です。さて、最初の粒は麦を産むために行ったものとは違っている様です。
二つ目は花粉としてきました。それは粒とは違って見えます。それのように見えます。本物の粒のイメージにより近くなっているのです。しかしその状態は土の中に入った粒とは違います。それは命を粒(種)の中に持っていたのです。それは何をしたのですか?すべての自然と同様にそれを組織化してそれに合うようにしました。そしてそれは死んだのでした。
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そしてそれから?その命は、房の中に入りました。それは小さなボールが垂れ下がっているような感じです。それは小さな粒のように見えました、本物の種(粒)のようにしかしそうではなかったのです。そしてそれは殻に落ちました、それは何かを産みましたか?殻。
さて、麦の種を取ってみましょう、麦が最初になる時、イエス様が言われました、「一粒の麦」そしてその麦を取って開いてみると、茎があり、それを見て「我々は一粒の麦を得た」というのです。気をつけましょう。麦の粒のように見えますが、それには種粒は全くないのです。それは殻です。ペンテコステはあります。マタイ24:24とよく似ていますそれにかかれているのは、終わりの時にはもし出来るならば選民おも惑わす。しかしあなたは葉っぱを葉っぱの後ろから引くのです。粒を得る事は無いのです。その後ろにその粒はあるのです。分かりますね。
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そしてそれからその命は宗派から出てくるのですそして粒に入ってくるのです。
そして何が起こりますか?粒が育ち始める時、それは大きくなり何かをカバーする事が出来るのです、宗派はそれを引くのです。我々が話している人生を齎すのです。
ここからなぜ我々は宗派を得ていないのですか?彼等は決してそうしません。それは粒だからです。それ以上に行く事は無いのです。我々は終わりの時に生きているのです。
今するべきことは何ですか?太陽のある場所において熟させる事。その通りです。御言葉があなたの心に入って熟させることによって私達が話している人生を齎すのです。そうです。もう疑う必要はありません、もし聖霊があなたに顕かにする様にさせるならば。ダニエルについて話した女王のように。
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あなたはこういうかもしれません「この感謝祭に何の関係があるの?何を話しているんですかブラナム兄弟?もう後15分で9時です。何も感謝祭に関して話していません。」私にとってそのためのメッセージなのです。そうです。
その寄留者の父たちは彼等の新しい人生をとても感謝していました、古いイギリスの宗派や信条から離れたのです。彼等は彼等の時代の油注がれた新しい御言葉と結婚する事が出来たのです。その通りです。その新しい油注がれた彼等の時代の為の御言葉。
さて、我々はアブラハムの様な寄留者に感謝しています、我々を世的な物から離してくれたのですそして我々は皆関係しているのです。アブラハムは気理由者でした。神は死んだ全ての宗教から我々を離してくれたのです。国全体に話しています、死んだ全ての信条。何に対して?我々は新しい地を開き新しいこの時代の為のメッセージを開いてくれたのですそのために離してくれたのです。
ペンテコステ派は乾き切って死にました。ルター、ウェズリーそして他の人達のように、それはただの沢山の教会と同様なのです。そこにもちろん良い人達はいましたそして彼等はそこから出てくるしかないのです。
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神は何をされたのですか?彼は最後のメッセージとして7つの封印を解かれたのです。そのことに気が付いていましたか?7つの封印。全ての7つの教会時代が7つの封印によって封印されていた奥義です。改革者には彼等の時代にはそれをする時ではなかったのです。彼等は十分に生きていませんでした。しかしこの祝福された7つの封印の啓示がアリゾナへのこの終わりの時のメッセージとして我々に解かれたのです。
さて、神に先日尋ねていました。「この砂漠であなたは私と何をなさる予定ですか?」モーゼが新約聖書か旧約聖書を書いたのは知っていますか?彼は間違いなくしました。最初の4つの本はリップやその他全てです:創世記、出エジプト記、レビ記、申命記。彼は旧約聖書を書きました。そうするには、すべての関係者や愛する人たちと離れて砂漠に行かなければならなかったのです。
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パウロは新約聖書を書きました。その通りです。彼はローマ書と全ての他の:へブル書、そしてテモテ書などを。。そしてそれをしている時、彼自身を3年間神の黙示となる様に砂漠に入っていくアラビアに行って離れる必要があったのです。「オー」あなたは言います「マタイ、アルコ、ルカとヨハネはどうですか?」彼等は律法学者でイエス様がされた事だけを書きました。パウロはそこから話されて御言葉を一緒にしたのです。それが正しい事です。
さて、そして見て下さい。もしそれが取られ彼等の愛する人々から離されて砂漠に行かなければならなければ、、覚えていてください。「それはいつの事ですか?何人がそれを聞いたことがありますか、「アーメン」と言ってください。その通りでしたか?そして我々は終わりの時に主のメッセージの為にその啓示を持つのです。彼の花嫁たちが集まる為です。他の時代にはその約束はありません。この時代の為の約束なのです。
マラキ4章、ルカ17:30 ヨハネ14:12 ヨエル2:38、これらの約束はちょうど洗礼者ヨハネが聖句の中で自分を認識したのと全く同じようです。
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イエス様は彼自身を認識していました。彼等は何と言ったのでしたか?「そのような人は離れていたのです。ヨハネは荒野の人です」教会はそれを受け入れませんでした。それがそのパターンなのです。今日の教会も受け入れないのです。
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しかし選民、神に呼び出された人たち。選民であることを彼等は知っています。高潔な花嫁を呼び出す、終わりの時の教会、御言葉に在ります、主イエスキリストつまりは御言葉の選ばれた女性。もしイエス様が御言葉ならば、それを何人が信じますか?分かりましたそれでは、花嫁は常に花婿との一部ですね。だから花嫁は宗派になれないのです、御言葉が顕されなければならないのです、キリストの花嫁となる為にです。彼はそう約束されました。主がどのようになさるかを言われていました。
彼はパターンを失う事は無いのです。常にそのパターンでされてきました。毎回そのパターンを使われます。再びそうされています。終わりの時の高潔な花嫁を呼び出すのです。美しいリベカは彼女のイサクを待っていました。何という美しい時!
7つの教会時代の本を読むとき、二つの書が奥義となる事を齎してくれているのです。ふたつの書です。命の書、いつか消えることの無いあなたの名前を置くことが出来るという。そしてもう一つは、命の書から名前を取るという事を言われているのです。これは完全な見方がここで齎されます。閉める前にここで数分とめて幾つかのここにあるノートで多分、分かる様にしていきたいのです。
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命は神にとって聖いものです、そしてある書に記録されているのです。神は命を創られる方です。それを信じますか?我々の肉的なここでの命は倒錯から来ているのです。初めから正しい命であるべきなのです本当にしかし自然な誕生によってそれは倒錯されているのです。
初めの命あるいはあなたの最初のつながりは、自然により生まれた時に繋がったのです。自然な行動、人間として繋がる女性と男性が繋がる事によって性的な行動によってあなたの最初の命がここに来たのです。そしてそれは罪と死に繋がっているのです。 サーパントの種を見逃すことがどうしてできましょうか?
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その女性を副産物としてみる時、彼女の様な他のメスはいないのです、そのやり方で、彼女はだから欺かれたのです。神は知っていました、、もし彼が初めから終わりまで知らなかったら彼は神ではないのです。もし彼が無限でなければ、もし彼が全知全能で永遠で偏在されることがなければ、そしてすべてを知っていたのです。そして彼は女性を創らなければなりませんでした。男性は妻を持っていませんでした。その妻と男は同じものでした。彼は彼自身の中に女性的な物と男性の筋肉的な霊を持っていたのです。彼は別れなければならなかったのです、すべての創造物を作ったとの副産物を取る為でした。神によって創られたメスはそのようなことは出来ませんでした。カモはそれを通して創られたのです。神は彼女がそうする事を知っていました。もしそうでなければ彼は神ではなかったのです。
しかし分かる様に、その属性は神の中に在り見せられなければならなかったのです。彼は救い主になる事になっていました。そして全ての事を完璧にすることその方法を彼は持っていて、そして何も失われることは出来なかったのです。子供にならないでください、男性と女性に。我々は道の最後にいるのです。
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今、気が付いて下さい。それは死による肉的な事と関連していました。あなたの最初夫が生まれによってあなたの性質に規則を与えていたのです。自然で、あなたは世を愛するようになっていますと言うのはあなたは世の物であり世の一部だからです。そうですよね?自然ではあなたの欲求は世を愛するようになっていますそれはあなたの一部なのです。あなたは自然の一部です。それを信じますか?そしてそれは自然な事なのです。それが理由であなたは生まれ変わる必要があるのです。別れる必要があるのです。最初の夫に対して死ななければなりません。それと共に生きる事は出来ないのです、「離婚しますそしてここにその時が来るまでひっかけておくわ」とは言えないのです。出来ません。離婚通知はありません。彼は死ぬのです。世の自然は死ななければなりません。彼の全てのスペックは死ななければなりません。もう一つの性質(自然)と再度繋がる必要があるのです。
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初めに売られた自然の名前は命の書に置かれました、そしてすべてのあなたのしたこともそれに書かれています。全てあなたが肉的にしたことは命の書にかかれているのです。
ダニエル書の中で気がついて下さい、彼が古代の時代から来た時、彼の髪の毛は羊毛のように白く、1万×1万回彼は彼に仕えていましたー花嫁。そしてその時その書が開かれて他の書も開かれましたそれは命の書でした。そこに既に聖徒達はいたのです、その教会、花嫁。他の書は開かれましたそれは命の書でした。
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さて見て下さい。あなたが霊的な死によってその繋がりから離れたとしたら、あなたの肉的な欲求はあなたの髪の毛を切る事。あなたは短パンを掃きたい、化粧をしたいと思うのです。自然の欲求は知性的に、賢い男になりたいのです、他の人たちより何か良い物を知りたい。それがエバが欲しかったことです。それこそがまさにエバが欲しかったものでした。
さて、あなたは「少しちょっと、あ2x4の説教したそこに立って言いました。「私はPh.,D。。L.L>...も得た」それこそが神から遠く話す者なのです、それらに何か一つを足すたびにです。その通りです。それが真実なんです。分かりますね。
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それがエバが取った事です。彼女はある種の妊娠によって妊娠したのです。それが教会がしている今日の状態です。聖書学校や知性という物です。そしてみて下さい、誰もが他の人達に反対しています、何という大きな醜さでしょう。聖書がバビロンについて言っているのとまさに同じなのです。
花嫁は彼女が立っている場所を知っています。彼女はとても少ないのです。沢山が救われません。とてもとても少ない数です。あなたは「彼等は数セント行った」はいしかし彼等は2千年も、すべての世代を通して。全ての、ルターの時代そしてそのグループそしてそれから死んだあと彼等は組織宗派を作ったのです。そしてウェズリーもです、そしてペンテコステ派などなど、そしてすべての知さなバプテスト派、長老派、メソジスト、ナザレ派、ピリグラムホーリネス、そしてその他諸々の小さな支部たちもですね。全てこれらの枝はある葉の様なものから出たのです。
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しかし覚えていますね、それが言った時、そしてその粒が熟れ始めるのです、すべてその茎は死ななければならないのです。ハレルヤ!あなたは我々が立っている場所が見れますか?命は粒の中に再びあります!それは何ですか?同じ粒の様な地に行くようにまさになっていたのです。その同じイエスが花嫁の形なのです。同じ力、同じ教会、同じ事、同じ御言葉です。
その同じ御言葉がこれを吸い上げてここに出て来て、ここ頭に来るのです。そしてすべてがその人々が選んだものを通してその命が来るのですそしてそれは携挙の為に頭をあげるのです!それについては明日の夜かその次の夜話します、御心であればデス。初めの繋がりと霊的死によって別れたのです。今あなたは申請したのですあるいは再婚したのです新しい霊的なつながりへのあなたの肉的な命は世の物とつながっていますが永遠の命ではないのです。その細胞が初めにあなたを見つけたのです。
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さて、あなたの古い本はあなたの古いつながりと共に去ったのです。さて、あなたの名前はあなたの古い方から動かされたのです。さてあなたは「あなたは私に言ったというのですそれが私の古い本?」と言います。神が彼の許しの海の中において下さったのです。あなたは完璧に神の御前に立っているのです。
さて、あなたの名前は新しい本の中に在るのです。命の書ではなく、子羊の命の書です、子羊が贖った者達。古い自然なつながりの古い本ではなく、あなたの新しい「花嫁」ハレルヤ!あなたの新しい命は、子羊の命の書に在ります、あなたの結婚証明書。。ハレルヤ!あなたの真実の永遠の種は初めからです。
さて、あなたはただ許されただけでなく、義化されているのです。栄光!義化。ローマ5:1は言いましたはい、ローマ5:1にかかれています。「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから」
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その御言葉を見てみて下さい。その御言葉の意味は許されたという意味ではないのです。その御言葉は義化するという意味です。あなたは許されたという意味ではないのです。例えば、あなたはそれを聞いて居ます、私はお酒を飲んで何か悪い事や全てをしたと聞くとします。そしてあなたは私に行こうとしたのです。あなたは私がそれをしていないのを見つける事は無いのですそして、あなたは来て言うのです「ブラナム兄弟、私はあなたを揺ります」私を許す?初めから何もしていません。
さて、もし私がそれをしたら、私は罪があります。しかしあなたは私を許すことが出来ますそして私は無罪になりますが私は義化されてはいないのですと言うのは私は実際にそれをしたからです。しかしその御言葉が義化したのです、「あなたがそれをしていなくとも」それは全く考えられてさえいませんでした。それはどの様になされたのですか?神の書は許しの膿の中に在ります、あなたの古い本と結婚と離婚と使徒そしてそれは神の記憶にさえないのです。アーメン!あなたは義化されているのです。「それゆえあなたは義とされているのです。」それは責められたのですあなたも責められたのです、初めにはあなたは何もしていません!古い神の許しの膿の中の繋がり。あなたは初めからそれとは結婚していませんでした。彼は、婿として彼自身があなたの場所であなたの罪を折ってくれたのです。あなたの場所を取って、彼の為に花嫁として世の始まる前からあなたはあらかじめ定められていたのです。聖書はそう言っています。あなたはあらかじめ定められた種なのです。
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どの様にしてこれに来るようになったのですか?初めの結婚によって欺かれて、あなたの淫婦である両親エバへ、あなた自身には何の欠点もないのです。あなたの肉的な誕生はエバによってきました、つまりは姦淫を犯した人です。それが理由で印譜として生まれたのです。だから罪びととして始まったのです。それは事実なのです。あなたはそれに欺かれてきたのです。何も最初は失敗はないのです。あなたが初めからした事では無いのです、その未だかつての中に居たからです、世の初めからあなたとしていたのです。神は子羊の命の書にあなたの名前を置いたのです。
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私の小さなわしの話のように、皆さん聞いたことがあります。ある雌鶏ーー年寄の農民がある時雌鶏に設定をしました。雌鶏の下に卵が十分になかったので、一つ鷲の卵を見つけてそれを雌鶏の下に置きました。鷲の子が生まれてそれはおかしな見た目の鶏で鶏としてはいまだか事がなかった見た目でした。小さな年寄の鷲がそこに来て、雌鶏が、「コケコケコッコ」とやっている時、ちいさなわしは「どうしたらあんな音が出せるのか分からないがとにかく彼女に従って行こう」と言いました。
そして彼は納屋の内庭に出て行き堆肥にスクラッチをしだして、そして彼女は「コケコケコッコこれはいい。これは良い」とあなたは我々の中に加わりました。そしてこれは、、「その小さなわし、彼はそれは食べられないのです。彼はただその鶏と一緒に行ったのです何故なら彼は知らなかったからです。彼は何をしたらいいか知らなかったのです。そしてその彼女はそこに出て行ったのですそして彼女はこれやあれやを得たのですそしてその小さなわし、彼はただそれはそれを食べるしかななかったのです。彼はどの様にしたらいいか知りませんでしたが彼は全ての鶏がする事を見ていたのです。しかしそれは何か違う事だったのです。彼はそれが好きではなかったのです。
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さてある日その母親は彼女は二つの卵を産んでいたことを知っていました。そして彼女はもう一つの卵を探し始めたのです。取りまわって探していたのです、偉大なる聖霊のようにです。ある日その納屋の庭の上つまりその宗派ですがそこを飛んでいました。彼女はそこを見てそして彼女の赤ちゃんを見たのでs。彼女は叫びました。彼の中でその声が何か繋がる様なものと感じられたのです。
「あの音は正しい」
オーだから本当にあらかじめ定められた生まれ、神の御言葉を聞くことによって定められたものとなりましょう。それは彼にとっては音楽なのです!彼はそれが真理だと知っています。彼はもうその宗派の物には疲れていました。例えば「加わりなさい、我々と一緒に行こう。パーティがある。これやあれやがある。。。」その小さなわしにはそれはどう考えても正しくない様に感じていました。
彼女は言いました。「息子よ、そのグループに属してはいない。私に属している、お前は私の物だよ」
彼は言いました。「ママ、それは本当だね。ここをどうやって出たらいいの?」
「ただ跳ぶんだよ。捕まえてあげる。」それだけをすればいいだけだから。
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油注がれた神の御言葉は神の御子として異なる様に選ばれ指定された人であらかじめこの時代の為に定められた種と十に生まれ、彼が天に居られる神が間違いなく神のメッセージを見せるようになるのです。マルチルターはそれを見ました。ウェズリーも彼の時代に。ペンテコステ派もそうです。さて、あなたはどうですか?彼等は結局宗派に行ってしまいました。ここに御言葉が否定され、今日我々が持とうとしているつまりまさにマラキ書4章そしてすべてのそのほかのその時代の為の約束を伝える事をとめているのです。何が分かりますか?あなたは何を見ているのですか?アーメン
我々はここにいるのです。本当の純粋な鷲は来ています。「私の羊は私の声を知っている、他の人にはついて行かない彼等の声を知らないから。なぜ。それはあらかじめの定めの為にそこに置かれているからです。あなた方は神の子として前から定められていたのです。世の始まる前から神の内に居たのです。あなたはこの時代に神の栄誉と栄光の内に顕されただけなのです。神の言葉そしてそのすべての言葉に立つことなしにどの様にそうされることが可能でしょうか?そうです、あなたはあらかじめの定めによって御言葉の一部なのです、というのは神は御言葉だからです。信じますか?
さて、そしてもし彼が常に御言葉ならば、「初めに言葉があった、そしてもしその言葉が神ならば、あなたは神の内に居たのです。その言葉、その一部をあなたは演じるのです、それは神が世の初めからあなたを神の内に置かれていたからです。神はあなたを見ていたのです。あなたを知っていました。あなたをそうなる様にあらかじめ定められていたのです。
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鷲がその声を認識したのと同様に、お知らせしたいのは、本当に生まれ変わったクリスチャンは、御言葉を通して語られる神の声を認識するのです彼等が油注がれて指定されているのを見る時にです。
見て下さい、彼はそこを見上げました。彼はこの年取った雌鶏が「コケコッコーとこの辺りで」言うの見なくなりました。「私達に加わりなさい、阻止t得ここに来るのです、これに行き、これとあれに行きなさい」鷲である彼は、彼が成りたかったものを見たのです、空中に跳び、自由に叫び、高いハゲタカやその他の地上の物よりもずっと高くに行く事をです。ハレルヤ!彼はそれがしたかったのです何故ならそれが彼の中に在ったからです。
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そして人が神の内で生まれたならば神の子であり、神の性質を持つことになります。神のようにならなければならないのです。彼は神に栄光を帰すのです。彼は神の御言葉の一部なのです。
そしてこの終わりの時に、花嫁が神が初めにこれらの組織から出たときに花酔えとなるのです。彼は他に何もすることは出来ません。
100
彼等はそれを見ているはずなのです、彼等の時代のユダヤ人として、彼等がそれが彼等の前に顕されたときに、預言者として、彼は言いました。「御言葉を探りなさい、その中に永遠の命があると、彼等は私について証言する」
「もし私が父の技を行わないならば私を信じなくてもよい。しかしあなたが私を信じないとしても私が行った技を信じることが出来る」
彼等は「我々の父祖は荒野で40年間マナを食べた我々はどこに居るかを知っている。」
彼は言いました。「そして彼等は全員死んだ」それは永遠の別れだった。全員が死んだ。たった3人、200万人のうちの二人。それは百万人に一人だった。
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挿入がされる時、男性からの精子そして女性が普通一つの繁殖力を持つ卵があるのです。それは一つで、一つの精子によって繁殖するのです。牛のハイブリッドをもし見たことがあるならば。
気が付いて下さい、そこには100万個の卵子があり、10万個の精子があります。そして彼等が一度出されて子宮の中に行き、卵管を通って子宮で出会うのです。それらの内の一つのランし。一万のライ氏、一万の精子。。。そこには唯一一つだけが繁殖力があり、一つの精子だけに繁殖力があるのです。彼等はみな活きています。孔子の中で見る事が出来ます。そこを叩きあっているのを、どのように出会うかも。デモスと彼等は今晩聞いて居ますそして彼は我々がテスト卵管でどのように働くかを見せてくれました。そして十分に最後に合うところまで、、、何千もの講師とその種がそこにいました。しかし一つだけが生きられるのです。そのうちの一つだけです。そしてここにそれらの大きなボールがありますそしてこの中の一つだけが出てくるのに気が付くでしょう。そして乱視もこれらの他の卵から出て来てそこで彼等は会い、残りは皆死ぬのです。彼等は生きていますが彼等は死んでいるのです!
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何かが居て誰かがこの一つを繁殖させるようにしてこれも選んだからです。それがあらかじめ定められたという事です兄弟。そうなのです。
神は男の子にするか女の子にするか、赤い髪の毛、栗髪の毛、何でもそれを決めなければならないのです。それは神によって決められたものです。それは処女懐妊よりも奥義になります。でも気が付いて下さい、残りは皆死んでいるのです。
2百万人の人達が出て来て歌い騒ぎ何でも話していました、異言は語ったことはありませんでしたが、神に栄光を帰するために叫んで踊って、海に降りて行ったのです、すべて他の人達がしたことをしたのです。しかし二人だけしか約束の地に行けませんでした、それはカレブとヨシュアでした。二人だけです。それは100万人に一人なのです。それは自然な誕生の百万人に一人なのです。彼等の聖名が、同じ祝福を得ていました。オーあなた方ペンテコステ派の人達、起きるのが遅くなりすぎないように望みます。100万人に一人。
今日いわゆるクリスチャンが世界に5億人のクリスチャンが居るとされています。もしイエス様が来られたとして、500人だけが彼と祖茂に行く事になります。(もしその計算が正しいとすれば)というのは、もっと世の中で毎日、失われているから。彼等はそれについて何も知りません。
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「私は分かります、と律法学者は言いました。。。なぜエリアが最初に来なければならないと?行ったのを知っていますか?彼等はイエス様にそういったのです。
彼は言いました。「エリアは既に来たけれどあなた方は知らなかった。彼は聖句が言っているまさにその通りの事をした。だから人の子は、、、」
彼等は彼を認識していませんでした。ただ、彼等は皆教会に居て、生きていると言っていました。本当の生まれ殻ったクリスチャンとして、本当の神の僕として、神の御言葉を聞く事、彼は全ての宗派から出て、御言葉の本当の生まれるべき場所に来ることになるのです。彼はそれをするのです。どのようにするかは分かりません。神はそうするように定めておられたのです。
104
初めの結婚であなたは初めから欺かれていたのです。さて、何が本当だかを知っています。ちょうど私が言った様に、その小さなわしで彼は婿の声を聞いたのです彼はそこに入ったのです。油注がれ終わりの時に神の御言葉として指定されていたのです。
ノアは彼の時代に指定された御言葉でした。それを信じていますか?さて、彼のメッセージは今日では上手く行きません。モーゼは彼の時代の指定された御言葉なのです。それを信じますか?今の時代には上手く行かないのです。
イエスさまは、、、ヨハネは指定された御言葉でした。それを信じますか?イエスの時代には上手く行きませんでした。間違いなくそうです。だめなのです。律法と預言者はヨハネまで、それ以来、、天の王国。
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その使徒達は彼等は聖書に置かれているのです。ルターは改革の中にいました。彼の言葉は、、、彼の教会は今の時代には上手く行きません。ウェズリーも、ペンテコステ派もです。それは彼等の時代では上手く行きましたがそれは別の時代なのです。これは7つの封印が開かれた事。私はそれはあなたにはおかしい風に聞こえる事は分かっていますが、神が完全に指定されたのです、それに対して疑問はありません、完ぺきにです。
私はここに集まる地元の人たちは散乱していません。国中にいる人々に話しているのです分かりますね。あなたがしたい事を。。
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さて、気が付いて下さい、その彼の時代の油注がれた御言葉は、荒梶江定められたものの一部なのです。あなたは即座に、それを聞いた時、すぐにわかったのですあなたは鷲だったのです。あなたも宗派の鶏でないことに初めから気が付いたのです。あなたはそこに何か間違いがある事を知っていました。何か間違いがあるのです。それが事実です、初めから、初めから閉じ込められたことを知っているのです。
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彼は、命の血と御言葉の水によって洗う事により花婿は許しの膿によってあなたの端を洗い清めてくれたのです。それは聖書が言っている事なのです。
あなたは最初に結婚していた夫、世ですね、あ某ら注がれた花嫁は、先見してくれています、水により現れたのです、「教会によって」それは正しくなさそうですね?あなたはその履歴の中で見つかるけど神の聖書にはないのです。「御言葉によって水の洗いによって」御言葉の中に、初めに自分でしてはいなくても完全に義化された位置に立っているのです。
これは私の教会への今メッセージなのです、さて、一分でその空気の中に。。あなたはもし神の御言葉の上にそして神の御言葉と、すべてのアーメン、すべての小さなこと立っているところはどこですか?あなた方にお話ししようとしているのは、太陽の前に熟する事が出来る場所その小麦の場所にここにでて殻なのです。私はその組み合わせの来るところに聞くようになりました。あなたは完全至っていて、義化されています。初めの場所にはそれはしなかったのです。ハレルヤ!感謝祭について話しています!私は本当によく感じます。私はその人に関してより私が知っていること以上に感謝しています。あなたは純粋で、高潔で生きる神の御子の罪のない花嫁なのです。神の御霊によって生まれた全ての男性と女性そしてイエスキリストの血によって洗われそして神の御言葉を全て初めの場所から罪を犯していないのです。あなたは完璧です。
イエスキリストの血によって、 もし人が、、どのようにできるようでしょうか。。。
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もし私がその朝に死ぬ予定だとしたら、ある人が私の場所を取って、私はその罪の為に死ぬことは出来ません。誰かが私の場所を取ったのです。そしてイエス様その御言葉が私の場所を取ってくれたのです。彼が私になったのですつまりは一人の罪びとにその事によって私を彼にならせ御言葉になる事が出来る様にしてくださったのです。アーメン。それを真実として持たせてください。教会ではなく、その御言葉です。アーメン。
キリストの霊的な彼の教会でのつながりは今、その肉体が御言葉になった時、そしてその御言葉が肉体を取って、現われ、指定されたとき。聖書がこの時代に起こる事として語っています。それは日々起こっているのです。それはその砂漠でのことから速く集められていて、そして物事が起こっているのです。私はそれを続けて行く事さえできません。我々は彼の教会と団結をしてイエスの再来が近くなっているから、御言葉が御言葉になっている彼の教会として団結するのです。聖霊の召命が心を探しているのです。
109
あなたは完全に立っているのです。初めから罪は犯していなかったのです。神は知らないのです。それは忘れる事の膿なのです。あなたはしたことがなかったのです。あなたは告発者によって告発されていつrのですしかし本当は初めからあなたは神の娘あるいは息子としてあらかじめ定められていたのです。あなたはそこに現れて立っているのですそして、あなたの古い離婚の書類は置かれて死んだのです間違いなく神の思いからさえその存在が出されたのです。あなたは高潔なキリストの花嫁でキリストの血によって洗われているのです。尊い高潔な罪のない神の御子として純粋で姦淫を行っていない花嫁の言葉それが彼が彼自身の血の水によって現れたのです、肉となり、彼は表してくださったのです、父の御旨の中であらかじめ定められたのです、始まる前からです、彼としても同じなのです。
彼は神の呼ばれた愛の偉大なる属性となっておられたのでした。
110
あなたが何であれ、あなたは神の僕なのですー神があなたに何をさせたくてもあなたの場所において、紙は教会に何人かの使徒、預言者、教師、牧師を置かれました。彼は彼自身のあらかじめ定められた徳によって置かれたのです。そしてあなたはそこから始められたのです。あなたの最初の結婚式は、腐ってしまっていました。あなたは初めからそれをしていませんでした。なぜならば、唯一出来ることがありました、神がここに来られたのです、神の子たちの形で起こったのです、イエスキリストによって現れあのです、御言葉によって水によって現れたのです。御言葉で宗派ではないのです。その御言葉はあなたを洗ったのです。しかしもしあなたが御言葉の水の中に立っていれば、どのように表れる事が出来るでしょうか?あなたはある意味エバがいるような感じを見つけられたのでしょうか。
「オー親愛なる死なれた子羊、あなたは尊い血は神の教会に全ての贖罪をの力を失う事は無いのです。罪をもう冒さないならば救われるのです。」
111
罪とは何ですか?罪は不信仰です。何に対する不信仰?御言葉。神への不信仰それは御言葉なのです。
純粋で、姦淫されていない。オーハレルヤ!それに間もなく去っていきます。アーメン。準備して立ちましょう。考えてみましょう。あなた方の衣は、神の御言葉の血と水によって現れているのです。御言葉は血になったのです。御言葉があなたの為に血を流しそして血を流された御言葉の中で顕れたのです。御言葉は血を流されたのです。御言葉の水によってこれらの汚い淫婦たちから洗われて浄められ聖くなったのです、そのことによってあなたの思いと心が神にそして彼の言葉に留まる様にさせて下さっているのです。
112
さて、それが真実だとどのように分かりますか?神が降りて来てそれを指定して証明するときにです。
あなたは「その方法は信じていなかった」という出h層。彼等はイエス様の道を信じていませんでしたが神様は証明したのです。彼等はノアの方法も信じていませんでした。彼等はモーゼの方法も信じていませんでした。彼等はバラムの言葉をよろこんで信じたのです。
「我々は皆同じだから関係しあいましょう」
「不信仰者から離れなさい」と聖書は言っています。
113
ハレルヤ!
さて、気が付いて下さい。それだけではなく、空中で結婚するのです、あらかじめ定められた不相応な恵みによって結婚するのです。恵みの結婚バンド、あなた自身に対する不相応な恵み。神がご自身でくださったのです。世の始まる前から神はあなたを知っていて、彼はあなたがそこにいる様に結婚式に入れてくれたのです、あなたの名前をその書において下さっていたのです。何という感謝祭。ハレルヤ! 我らの神を賛美しよう!
114
さて、閉めるにあたり、これを言おうと思います。我々は全員、現在のペンテコステ派の教会を知っています、そしてその現在の状態、すべての宗派の教会が一緒に、一つの束にして入れています何故なら彼等は皆一緒だからです。覚えていますね、神はその毒麦を一緒にして最初に彼等を焼かれるのです。全ての麦の茎と一緒に集めるのです、そして彼が着て彼の麦を連れて家に帰るのです。彼等は共に集められている束なのです。メソジスト、バプテスト、ペンテコステ派、そしてすべてのエキュメニカル協会の全ての束です。その通りです。彼等は皆焼かれるのです。
115
我々は皆その現在の教会の状態を知っています、神がこの時代に教会に与えた大いなる命令を終わらせる状況にはないのです。何人のペンテコステ派がそれに対して「アーメン」と言えますか?その通りですね。
我々はワンネス、ツーネス、スリーネス、これやあれやその他の馬鹿馬鹿しい戦いをしています。人はこれだ人はあれだその他諸々。そして彼等全てが御言葉の試練に面するのを恐れているのです。彼等は分かっているのです、、、彼等にそれインついて言う事が出来ると、彼等は言うでしょう。「それは助けられない。それは信じていない。彼がしている事なんか気にしていない」というのです。
あなたの父や母に持っている物を見せなさい。以前は長老派に居た時があるかもしれない、これやあれやその他かもしれない、ただ神の子である方が良いのです。
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さて、その教会には出来ない事が分かっています、ペンテコステ派の教会、もちろんその現在の状況で終わりの日のメッセージを持ち続ける事は出来ません出来ますか?なぜ彼等は聖書の一つ或いは二つの言葉さえ同意できないのでしょう。どのようにそれをするのでしょうか?それは出来ません。あなたは分かりますね、宗派は終わっています。その通りです。選ばれた民がいる様になります。そのために選ばれた人々です。
さて、書いておいてください。我々は皆、すべてのランクの宗派について知っています、ペンテコステ派そしてその他すべては死んだのです。それは生まれ変わったクリスチャンのメッセージなのです。あなたの最初の夫は死にました。彼が死んだことを知っています。神がそれを死なせたのです。それは終わったのです。科学的な、知性や、教育、科学の方法と呼ばれるいわゆる聖書学校などは崩壊したのです。それが何をしましたか?ここでワンネスから離れて、そして三位一体競技そしてツーネスがあり、、、そこにはこれやあれやがあるのです。滅茶苦茶になっていて、彼等自身は「ペンテコステ派」と読んでいます。
117
何故若い人の所に行ったか(彼は今ここで聞いて居ます)そして若い女性。彼女は特定の教会に属して居ましたそして彼女は彼等は別れていると言いました。私は「何が問題なんですか?」tぴいました。
「我々は異なる信仰を持っている」と言いました。
「オーごめんなさい。あなたはカトリックですか?」と私は言いました。
彼女は「いいえ違います」と言いました。彼女は彼女が属している宗派の教会を言いましたーペンテコステ派。
私は「あなたは何ですか?」彼はペンテコステ派ですが別の宗派だったのです。
オーローマカトリック教会がペンテコステ派を始めたのを知っていましたか?その真実について何人が知っていますか?2千年前に今の状態になる前に取られていました。ただ聖句以外の所からは何も見ないでください。 何も。なぜペンテコステ派が20年間後、今よりも悪く成るのです。もし今と同じような形で聞き続けるとしたらデス。どうでしょうか?それはどうしたの?それは何ですか?彼等の母親と父親を見てみて下さい。彼等の女性達に髪を切らせています。彼等ほとんど何でもしたい事をさせています。彼等がこの教会に属している限り。それだけが必要だと言うのです。
118
オー疑いもなく、疑いもなく、神の怒りの剣が上がってきているのです!神は我々の目の前に置かれたけどあなた方は目を閉じてそれを見られなかったのです。この7つの封印が指定されて開かれたときにそれが証れ、点で明かされ国全体のどこでも大いなる印や奇跡が起こっている時神が八子測されたの同様の時にそれを証明するのです、あなたの道場が締め出されたことをです。彼はそうされます。そしてあなたは目を閉じて、「私は知らない、そうせざるを得なかった、、私は、、、」というのです。
オー何という事!みじめで死んでいてそれを知らない。罪を犯すならば、あなたは死ぬのです。おー何という事!
119
我々は皆教会がその状況でいるならばこの終わりの時に終われない事は分かっているのです。それならいかにしてマラキ4章を齎すのですか?一緒にこの職場で働くならば、どのようにしてこの御言葉が真実でないと。。。分かるのでしょうか?彼等はその自体を信じていないのです。どのようにしてルカ書の17:30を信じるの持って来られるのでしょうか?これら全ての小鬼ある他の聖句がこの終わりの日々に八子測されるのは道営s手でしょうか?否定をしたからそれが出来ないのです。「人の子が来るときにもロトの時と同じようになるであろう」
その時代のソドムがどうだったかを見て下さい。そして今日の教会の状況を見てみて下さい。何が選民であったアブラハムに起こったか。何がソドムでロトと他の人達に起こったかを。ビリーグラハムとオーラルロバーツやそこにいる宗派の中にいる人達を見て下さい。選民であったアブラハムの教会がどのように引っ張り出されたかを見て下さい。
120
イエス様ご自身がどのような印であったかをーーー神ご自身が人の体の中に生まれ変わって来られたのです。
あなたは、「それは天使だった」と言うでしょう。聖書はそれは神であった、主である神、エロ費mが人の体の中に住まわれて、その神様は終わりの時の彼の教会に油を注がれることを見せておられるのです。神が再び人の中で動かれ働かれるのです。「それはソドムの時代の様であったように、人の子が来られるときにもその様になる」
それと同じなのです。聖書の中で見る事が出来るのです。「聖句を読み探しなさい、、、そこにあなたが永遠の命を持っていると思うならば、彼等はこれを宣言する」
121
だから我々は彼等が死んでいることを知っているのです。神はそれ自身の利己的な、科学的な、教育プログラムを死に至らせました。全ての前のペンテコステ派の皆さん、、、ここに昔のルート兄弟や彼等が居た時から子供達を聖書学校に送るとかを離していました。彼等は教会からあなた方を出したのです!しかし、それが否に素晴らしい事だったでしょう。「私の息子は聖書学校にはいない」彼は墓を掘っているのです。
さて、今日彼等がそれを出来ると思いますか?無知を私が助けようとしていると思っていますか?私は違います、私は、この知性的な時代我々が生きている時代、教会が科学やいわゆるこれらの物で分かろうと全てしている事の違いについて話しているのです。あなた方は神を見出そうとはしていません。というのは、彼等祭司は神を完全に見出そうとしました、彼等はメシアがどのように来るかを知っていました。しかし彼は彼等が見出していたのは全く異なる方法出来たのです、-それはk雅楽的ではないのです。「この人がどうして不正の子になるのか?彼はどおの学校に行ったのか?彼の教育はどこアから?彼はどこでこれを学んだのか?これをどうして我々に教えようとするのか?罪の内に生まれたのではないのか」オー何とかして下さい。
122
分かりますね、同じことが繰り返していますよね?又繰り返されていますね?彼等宗教的な科学によって。宗教的科学、彼等の聖書学校が行った事によって、それが彼等が欲しいやり方のです。それがそうあるべきであるとかそうでない。神は彼等を毎回馬鹿にされます。いつも違う方法でやって来るのです。ノアの時も、のーぜの時も、キリストの時も、ヨハネの時も弟子たちの時も、ウェズリーの時も、ルターの時も、ペンテコステ派の時代にも、又同じことをしていました。そのパターンを変える事は無いのです、いつも同じことをしてくるのです。6時台に渡って改革派は、黙示録1章の7つ目にいたるまで、この時代には、変わると言っています。そしてそうなりました。
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さて、我あれはこれを言う事で閉めて行きます:偉大なる命令を終わらせる?彼等はどの様にそれが出来るのでしょうか?彼等が死んでいる事は分かっています。神はその科学的な時代の全てを死なせようとしています、、さて、彼はどの様にそれをやるのでしょうか?7つの封印の奥義を解いて宗派から離れている花嫁に開くのです。その7つの封印を数はが受け入れる事が出来rでしょうか?それは全く反対の事なのです、サーパントの種そしてすべてそれらの事その7つの奥義の全体が彼等が教えられてきたことをは反対なのですなぜならば彼等は古い聖書学校から学んだからです。そして神の7つの封印は山の上で解かれたとき。神はもしそれが真理でないならば私はそこの演台の上で今すぐ死なせるでしょう。私はそれが起こる1年半前に話しました、彼が私にアリゾナに行くように言い、砂漠で何が起こるかについて語られたときです。そして今晩ここに座っている人達がその7人の御使いたちが降りてきたご臨在があったそこに立っていました。そして雑誌、ライフマガジン誌にさえその記事が載せられていました。それはちょうどそこの天文観測所に在り全てがあったのです、さて彼等はそれがなんであるのかさえ全く知りませんでした。そしてすべての事が語られたのです、カリフォルニアの滅亡が今来ようとしている事そして全てこれらの他の事。そしてどのように私が彼等に離したか何に近かったkこの大地震がどこで起こるかアラスカで起こるかそして時の印が始まる時そして何が起こるかそして何が言われているかの一言一言を。一度もそれが失敗した事は無いのです。それが起こらない事はあり得ないのです。それは神の御言葉だからそれが失敗する事は出来ないのです、天と地は滅びてもそれ(神の言葉)は滅びる事がないのです。
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神はこの7つの封印を解かなければなりませんでした。一つの宗派で半句。私は常にそれに敵対してきていました。しかしその宗派からでも神は花嫁を取られるかもしれないのです。宗派の花嫁ではなく。彼にそれは出来ないのです。それは彼自身の言葉に反対する事になります。彼は7つの奥義をそこでと彼見せられて齎されたのです、それは世の初めから隠されていた事でしたがそれは神の子供た落ちに終わりの時に開かれるものと書かれてきていたのです。彼等はそれを今人々の前に彼等が見たように齎されたのです。この宗派とはかかわりのない花嫁にです。
オーそこに2つの書があります。一つは子羊の命の書。あなたの名前はそこにあらかじめ定められて乗っているのです。それを取り去ることはないのですなぜならばそこに事前に置かれていて何もそれを取り去ることは出来ないのです。しかし一般の命の書、いつでもそこからは取り去ることが可能です。もし悔い改めていなければ、もうすでに消されています、裁きに立たなければならなくなるからです。花嫁は裁きに立つ事は無いのです。花嫁は携挙に行くからです。
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これは閉めだと言ってきました。遅くなってきています。もうすぐ9時半で9時半に御心ならば我々は去らなければなりません。敬虔に静かにしましょう。聞いて下さい。一度、、、これを今言うのですが、これは国全体に流れています。ニューヨークは今11時25分過ぎになっています。フィラデルフィアそしてそのあたりは皆今各教会に座ってそこで聞いて下さっています、親愛なる聖徒の皆さん。北の方そして南に降りてメキシコの近く、そして北の方カナダの近く全体で、、、北アメリカ大陸は200マイルずつお離れています。人々は今皆聞いてくれています。1000x1000でそれが私のあなた方へのメッセージです、教会の皆さん。御言葉によるその繋がり、あなた方の団結繋がり、霊的なつながりなのです、古い夫たちに対して死んだのです。あなた方は新しく生まれたのです、古いものを掘り起こそうとしないでください。もう死んでいます。あなた方が生まれ変わったクリスチャンであるならば、その小さな種があなた方の中であらかじめ定めれていて、それが御言葉で御言葉により御言葉により成長するのですそれが完全なキリストの身の丈に成るまで。その通りです。だから彼が来て彼の花嫁を連れて行く事が出来る様になるのです。 さて、我々は一つの事の為に準備をしているのです。それは主であるイエス様の再来の為です。
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あなたの名前は命の書にあるのです。
命の書は神の御言葉です、何故なら御言葉は神なのですそして、神のみが命なのです。だからあなたの名前は聖書の中に代表されていて、聖書が御言葉になる前に。そしてもしあなたはそれをここでするのです、それは御言葉として指定されているのでしょうか?その教会自身が指定されていたのでしょうか?マラキ書4章はそしてこれらの他の物が完全に完璧にそれ自身が指定している者でそれは何だったのか見てみませんか?
イエスさまが来た時、彼は言いました「もし私がすると言う約束をした業をしないならば、信じなくても良いのです。」
彼はそのうちの一つのグループに加わりましたか?彼は言いました。「お前たちは皆お前たちの父悪魔の物であるそしてお前は彼の技をしている」そうなんですね?我々は終わりの時にいるのです、教会の皆さん。それは私の皆さんへの感謝祭のメッセージなのです。
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さて、閉める前に一度私はグレイシャー国立公園にいました。我々は一日中氷河の火があったことについて聞いて居ました、夜に落ちる事になります。だからその人々は一日中忙しいので彼等は夜の間に彼等は注ぎだしていたから準備をしていたのです。彼等は水の大きな氷河に様に液体を起きたのです、虹のように見えたのですそれはその日がこの表がに落ちていたのです。その公園の周り全体で、妻と私と子供達はその日を通して歩き回りました、我々は花火を見たいのでそこにいました。そしてそれは私達に約束されていて我々はそれをみるのです、我々は再びそれを証しするのです。彼等曰くそれは夏の季節中ずっとあるそうです。「それを見る事が出来ますか?」と私は言いました。
彼等は、「今晩や約束します」と言いました。その約束を受けました。「彼等はそこで今準備をしています」と言いました。
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その後、私はそのイベントの為に準備をしましたーーそれが今起こっている事です。そのイベントの為に全てが準備されてきたのです。ある教会はイエスの名目の為に引き出されました。世の中の彼の花嫁を、これらの宗派から引き出したのです、世界の汚れからそして世の物からです。
皆さん、そのイベントは準備されていました。皆がそこに立っていて行ったのです、「その山の上に在るのを見続けて下さい」と言いました
それが来るのはいつもその様になっているのです。この時もその様に来られたのです。それがいつもくる方法なのです。宗派を通してではないのです。神様は宗派を使われた事は一度もありません。決してないのです。改革者たちも。神は主の言葉を受けてそして彼が死ぬとき彼等はそこから宗派を創るのです。それがペンテコステ派そしてその他皆がそうです。新しい問題や全てそれが常に全てが出てくる方法です。新しい言葉が加えられてそして彼等はそこから教会を建てるのです。宗派を作り彼等自身から離れるのです。それがその方法しかないのです。肉を叩き続ける事は出来ないのです。自然は同じようにいつもそのルーティンが起こるのです。茎、葉、房そして、殻そして小麦の粒。
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さて、気を付けて下さい。全てが準備されていました。全ての物に火がつけられて準備されていたのです。そして皆さんが立っていました。私の頭が外に出て腕は私の妻の周りにあり、我々は見ていました。子供達はそこに立っていました、皆がそんな感じで上を見ていました。それは何か素晴らしいものでした、我々がそれを期待していたからです。それは我々の為に約束されていたのです。アーメン。
御言葉はこのことを約束しています。「5 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。
彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。
「 その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。初めのものと後の雨が共に終わりの時に注がれる。」
「全てこれらの約束が聖句を通して与えられたのです。我々は上を見て本物の花嫁を見てその国を通してこの時代に来られたのです。上を見たのです。
教会、彼はこの時代のある日に来られるのです。彼は初めて来た時間違いなく、彼は又来られるのです。全ての事が準備されるのです。殻からあなた自身が離れるのです。太陽の前に。上を見続けるのです。期待の下にいなさい。
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ある時の全てが、我々は丘の上の一番上から何かを聞いたのです。大きなスピーカーを通した声が来たのですそれは、「全ての事が整った」と言ったのです。
そしてこの人は私の横に立ってそして言いました、「日が落ちる様に」
それが来るとき、山を越えて注ぎだされるのですー日の氷河、それを舐めているような景色を見ていました。
京大、これらの日の内のある日にその日が来るのは全て準備させてください、我々は上がって行くのです。さて、火が落ちる時の為に準備しましょう。
我々は終わりの時に生きているのです。そのことを我々全員が知っています。そして我々は主の再来の為に準備しているのです。その事は全ての罪からあなた自身を別れさせるためです。あなた自身と世と関係する全てから離れるのです。世と世の物を愛するのは読めるのです。彼の身上やあなたが欺くのは誰にも。。あなたは神の約束の中にまっすぐ行きなさい、神の御言葉。そしてその御言葉は、もしそれがこの時代の御言葉。神が指定したのです。もし彼がしなければ、それはこの時代の御言葉ではないのです。ペンテコステの為に来たその御言葉は今の時代には上手く行かないのです。分かりますね。それはペンテコステの為なのです、これは花嫁の為なのです、花嫁の為に帰る為なのです。我々は何か違うものがあったのです。ペンテコステ派は再びそれを代表するのです。我々は花嫁の時代にあるのです。ノアの時代の言葉以上でも、モーゼの時代の物もダメなのです。モーゼの律法はパウロの時代には上手く行かないのです。彼は彼等に告げようとしていました。「あなたはそれには死んだのだ。そしてそれを持つことは出来ない」と
131
教会の皆さん、私は国全体に向って今晩話しています、もしあなた自身がこの世の汚れの全てそして人の作った信条や決まりの様なものから宗派からあなた自身を離したならば、そして離したら、飢えを見上げて下さい!準備をして!その日はこれらの日の内のある日に降りてくるのです。神が来させるようにされます、そしてその絵が見えるのです。彼が来られるときの為に準備されていますか?神が来られたときに彼と共に行く準備がされていますか?超自然的な花嫁の秘密の携挙。「彼女は瞬間に死すものから死なない者に帰られるのです。我々は生きていて、寝ている物から守られるように生き続けるのです」
132
休戦の日において、私はそこツーソンに立っていました、私の小さな息子がそのパレードが見たいと。
私は勉強していましたそしてその時間はありませんでした、そして、沢山の病気があるのですそしてその物事がありました。そして彼は言ったのです、「お父さん、彼等は僕を連れて行かない」彼は言いました、「僕を連れて行って」と
僕は言いました。「分かったよ」
シンプソン兄弟(私は彼がここにいると思います)そして彼の小さな息子が行きたがったのです:そして彼は車を止めて降りてきたのです。
コーナーに立ってみていました。しばらくの間私は後ろの方で、離れてきていました。「とん とん」太鼓の叩く音。私はそこに立って、考えていました。「さて、これらの小さな人達が、彼等は本当に、、、この本にある全ての軍について読みます。彼等は本当にそういう感じになります。私は最初に上がってきて、その昔の世界戦争がありました。そこに彼等はいたのです、小さな人達が。次に来たのは大きな新しいだ2に世界大戦のタンクでした、大きなシャーマンタンクがそこに在ったのです。そして次に来て、そして次にもそしてすべてのアリゾナ州から第一次世界大戦ー12人のベテランたち。その後小さな白い十字架知らない兵士、、それが浮いていたのです。そこにセーラーが立っていて、マリーンと兵士がそこに立っていたのです。小さなパーテーションが浮かんでいたのです。反対側には、年寄の白髪交じりの母親が居て金色の星形のピンを髪の毛につけていました;素敵な優しい奥さんが泣いていましたー彼女の夫が死んだのです;小さな疲れ切った少年が彼の頭が反対側に回していましたー彼の父親は殺されたのです。そして、それはもっともっと新しい軍隊に来たのです。
そこに立っていてその景色を見ていたのです、しかしどれ程悲しかったのです。
133
私は思ったのです「オー神様、これらの内の一日、私は他の景色を見ることになるのです。」
復活の日に来るのです、初めの日が終わるのです、そして彼等は最後の者が初めになるのです。
その年寄の預言者が初めにそれを開くのですそして、彼等は空中で彼等はその持つ者が行進して行ったのです。そして「我々生きている者達は寝ている者達が髪のラップの音によって起きるのを邪魔しない、キリストに在って死んだ物が初めに生き返り、我々がその後に続く」ハレルヤ。ルター、ウェズリー、メソジスト、長老派など全ての時代を通して、、サイゴン時代迄、その時代の御言葉を受け取るものとして。
神の祝福がありますように。全てを準備してくださいそしてその日が落ちるのです。
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それでは頭を垂れましょう。今晩見える会衆の中で、ここまで9:30まで1ダースがありその一つだけ、ここにいる何人がこう言えるでしょう、「ブラナム兄弟、私は自分自身を恥じていて、自分の生きている方法についてです。私が宗派の人に対して今日は沢山あります。私は御言葉と共に居るのです分かりますね。皆さんに祈っていただけるようにお願いできますか、ブラナム兄弟?手を挙げて下さい、神の祝福がありますように。神の祝福がありますように。見て下さい。バルコニーの中で上がって行きその周りにいて。神の祝福がありますように。「私は知っています、、、」さて、恥ずかしく思わないでください。さて、恥ずかしく思わないで、、、
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そしてその国全体の裏でニューヨークからカリフォルニアまでカナダからメキシコ迄、皆さん、教会や忠実な小さなグループとして集まっているとこのメッセージが彼等全ての心に留まる事を信じます。彼等は出て来て、大患難からもうせがれ、これらの宗派からも出てきたのです。彼等は命の種なのです。今日の夜小さなわしたちが今日聞いた小さな何か今迄聞いたものと違うものが引っ張られると感じていますね?あなたの心ではそれは真理だと知っているのです。
そこにいる皆さん、どこかにいる牧師の方、あなたの頭を上げて。あなたの為に祈りたいのです。これらの事はコーナーや友人の中ではなかったのです。覚えて下さい。「13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」群衆と共に行かないで後ろに下がって動くのです、友よ、ラオデキア航海時代です。跳び上がったり下りたり、音楽に合わせて踊ったりするけど生温なのです。それは氷のように冷たいとは言っていませんでした。それは生温かったと言っているのです。それはペンテコステ派なのです。そして実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。何に対して目が見えなにのですか?その御言葉です、御言葉に対する現われ何故ならそれは彼等の組織には来ないからです。彼等はそれを受け取る事は出来ません。
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そしてツーソンで今晩ミニスターしているあなた方、それに関して責任を持ちません。神がそうしたのです。そこに3年間いました。私が教会を始めたわけではないと言いました、ペアリーグリーン兄弟が始めたのだとのです私ではないのです。私は3年間そこにいましたそして一度も私を演壇に招待したことがありませんでした。ツーソンに座って3年近くそこにいました。
神は砂漠からこれらの日のある日連れてくるでしょう。このメッセージは生きなければならないのです。最善を尽くして皆さんの手に入れようとしてきました。あなたがされた理由を知っています。あなたはなぜあなたがそれをしたその理由を聞いたのですか?あなたの宗派はあなたを追い出しました。
そしてご存知のように、あなた方の内の多くは、ファーレストランではなしていました、それが真理だと知っています。恥ずかしがっています。そこから出てきたのです。そこから出たのです、兄弟。もしあなたの命があるならば、小さなわしに様に私が話しているーあなたは神の御言葉を聞くのです。
覚えていてください、これらの日のある日終わりの時の為にこれを聞くことになるでしょう。我々は本当に近くなりました。今晩来ますか?
137
親愛なる神様、今静かに厳粛にして座っています。本当に感謝祭の日です、主よ。私は感謝しています、主よ、この時代に生きていることをデス。これは最高の時代です。使徒パウロがこの時代を見る事を待ち望んでいました。昔の偉大な人々がそれを見るのを待ち望んでいたのです。預言者達もです。彼等はこの時代を待ち望んでいました。
アブラハムはこの日を待っていました、彼は神の創られた街を待っていたのです。それは今晩私達の真上にあるのです。ヨハネは天から神の御霊が降りてくるのを見て、その記録をしてそれが神の御子であることを知っていました。そして考えて下さい。彼は花嫁を選んでいたのです。
親愛なる神様、国全体のあるゆる場所の彼等の心に話しかけて下さい。あなたが唯一彼等の心を変える事が出来る方です。もしそこに初めから種がなければ、それを見る事は無いのです。主よ。彼等はめくらが目蔵を導いているのです、そして彼等は溝に落ちるのです、そのような事が起こるのです、あなたの御言葉がそうなると言っているからです。
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さて、父よ。我々は国を通して世界中で、アフリカでも見ています、何ダースも何ダースもの人々が南アフリカ、モザンビーク、その国全体で、小さな集まりがこれらのテープを聞いて居ます。そしてそれによってこのテープが20幾つかの異なる国々に行くのです。彼等はそれを見始めて引いているのです、何百も何百もの人がいるのです。多くの人を取らないのですね、主よ。最後のメンバーが受け入れられるときに、キリストが来るのです。
主なる神様、私は今晩花嫁に尋ねます、引かれて待っていると感じているのです、彼等は世の全てから彼等自身と離れる様にしてください。彼等は神の御子の陽光の暖かさの中にあるのです。彼の御言葉と愛の内に疲らせて下さい。認めて下さい、愛する神様。
139
これらの人々はここで見えない人々が居ます、彼等の手は今晩握っておられるのです、彼等の何十人もの人々はこの素晴らしいタバナクルを通って行きました、私は祈ります、かみさま、彼等に新しい命に入ってくださいますように。私は国を通して世界中でこのテープを再生する場所においてこの感謝祭のメッセージが受け入れられますようにそしてそのヒントや物事が彼等がしなければならない事を知ることが出来ますように。祈ります、父よ、受け取ってください。
彼等を祝福してください。彼等はあなたの者です。私はそれが慣習的だと分かります、今、父よ、我々はその人々はその祭壇に来るように尋ねます。
そして祈ります、親愛なる神様、それは全ての任務において、すべての場所を通してそして世界を通して、そして彼等は祭壇に来るのです、黒、白、黄色、茶色、どこでも彼等のいる場所で。豊かでも貧しくても、異なる人も、乞食も何であれ、宗派的に:誰が自分自身のスタイルとスタイルセンターなのです。
オー神様、裸でみじめで、目蔵でそれを知らないのです。あなたがその様に言われましたそして、それがその道なのです。だから祈ります、父よ、あなたは今晩全ての種を呼んでおられます。そしてすべての場所で世界中で、これが落ちるのです、小さなわしが神の主の声として知ることになるのです。受け入れて下さい。神様。私は彼等をあなたの御手に委ねます、イエスの聖名によって、アーメン。
140
さて、頭を下げいる間に、ここにいる目に見える会衆、何人かは救われていません、まだ心を神に捧げていない人さえいます、イエス様があなたの為にしてくださったことを感謝すべきだと思いませんか?罪びとだと考えて神から離れた人として何かがあなたの心の中を叩いていることを。どのようにしてあなたが小さなわしの一人だと知ることが出来るのでしょう。あなたは惨めでそれに委ねるまで惨めになり続けるのです。この最高の感謝祭を未だかつて最高の日にしませんか。イエスキリストをあなたの救い主として受け入れることによってです。
ここに来て祭壇に立ちませんか?もし来るならばいっしょに祈ります。どんな罪びと、男性でも女性でも、少年でも少女でも、教会員であれなくても。教会員になったらそれがクリスチャンとなるわけではないのです。今、祭壇は開いています。来ますか?どんな罪びとでも来たければ主イエスキリストを受け入れて下さい、本当に、辞めたいですか、あなた方宗派に属する人たちの何人かは鶏のエサを食べ続けるのを辞めたいのです、これに属していると言っています、そしてそれは良い事です、本当に聖霊の本当のバプテスマが何なのかを知りたいですか?来て見つけて下さい。
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祭壇は空いています。我々は準備です。席を立ってここに来て下さい、上がってきて祭壇のここで膝まづいて下さい、この兄弟がここに来てされている様に。感謝祭。
オー神様、本当に感謝しています、私の全人生は何かが居るという事を主よ知っていました。試したけれども何も満足させてくれるものはありませんでした。来年、そうする、来週、次の会、、、いつか、、、伸ばし伸ばし伸ばしにしていました。しかし主よ、それは何か間違っていると知っています。何か違うものがあると常に信じていました。そして今、今晩、神の子によって準備をさせて下さっていることを感謝していますー私の罪ー実際、私の不信仰ーが私から洗われる事。
今晩来て、膝まづき、偉大なる感謝祭の祝福をキリストイエスが私の為にしてくださった事、カルバリーで私の為に死んでくださった事を受け入れます。
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あなたは来ますか?今人々がここの演壇の周りで跪いています。あなたも上がってきませんか?あなたは従っていました。試したことがありました。
ライルパルマ―兄弟の事を考え下さい、私達の尊い兄弟。彼はその庭で座っていましたそして分かっているのは、彼の小さな娘がクリケットをして遊んでいたか何あを見ていました、そして椅子から立ち上がってそして彼が動く前に死んでしまったのです。
ここをいつ去ることになるかをあなたは知らないのです。いつ行くのか知らないのです。今晩かもしれません。そしてなぜ来られなかったのかそして今そこに落ち着かなかったのでしょうか?皆さん来てください。あなた自身に何かが語っていると感じませんか?ここにいる多くの人達がここの祭壇にいるべきだと知っています。この6,7人だけではないのです。
さて、もし信じるならば、プラットフォームでここを見ていてそして物事が起こっているのです、今私を信じています。ある日私の声は静かになるのですそしてもうい越えなくなります。来ていたらと望むかもしれません。あなたは「しかしブラナム兄弟、私はずっと教会員でありました」それは何も違いを齎しません。今まで何であったかに関して。つまりニコデモも教会員でした。ヨハネ、ペテロ、ヤコブ、パウロ、すべての他の全員が教会員でした。
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パウロはある晩何かが起こるまであるいはそうなった日までは教会員でしたそして彼は来たのです。彼は今日カインから神の子になったのです。
あなたも来ませんか?オー彼は訓練を受けていて、知性があり、彼は彼が訓練されていたことを知っていました。ガマリエルという最高の訓練学校の一つがあったからです。その地の最高の先生の一人でしたが、彼は何かが必要なのを知っていました。
着ませんか?もう一度尋ねます、ここであれ国中であれ、どこに居てもこの感謝祭の時間に。覚えておいてください、これをここで録音しています。(ここだけでなく又天国でも)
あなたはそれが科学的に証明され全ての動きが録音されているのを知っています。彼等はそれを証明しました。覚えておいてください、テレビがそれを証明しました。テレビは写真を創るわけではないのです、あなたが写真なのです。それがそれを映し出すのです、あなたがしていることをチャンネルに。何とかしてそこにいるのです。分かりますね、指を動かす時、世界中に行くのです。毎回、どれを着るのです、世界中に見えるようになるのです。それは記録されています。
全ての思いあなたの頭の中に在るものが記録されていて、その記録が再生するのをいつか止めるのです。アルバムに収められるようになるのです。
144
そしてその時、その裁きは戻ってくるのです。ボブのヘアスタイルで立っているのです、クリスチャンだと言っているのです。その考えは御言葉に反しているのです。心の中でも。それを隠すことは出来ません。
覚えておいてください。テレビ、科学さえ、それは真実だという事を知っています。
あなたは今立っています、ここにいるべきだと知りながらです。覚えておいてください、これが記録されている時、裁きの日に同じ考えを再びもどってくるまで。それは記録されているのです、全正解がそれを再生する時見るのです。世はあなたを今見ています、裁きの日に、私はあなたを恥に思う、私の言葉はアブあら注がれていてあなたに送られたがあなたは信じなかった。あなたはご自身を何かに隠しているのです」
「オー」あなたは、「私は良い人です、これをしたし、御霊の内に踊り、異言も語りました」というのです。
それは異教徒でもします。「私は叫びました」異教徒もそれをします。その時ど尿に御言葉に背を向けられたのですか?
どうしてですか?今彼の元に来ないのですか?
何故そうしないのですか?なぜ今神のもとに来ないのですか?
何故待つのですか、愛する兄弟、
オーなぜそんなにも
イエス様はあなたに与えるのを待っているのです。
彼の聖い家に場所があるのです。
(しかしあなたは、彼の体のメンバーの一人です)
何故しないのですか(オー小さなわし来てください)
どうして来ないのですか、、、
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主よ、感謝します。とても感謝しています。あなたに感謝を捧げます主よ。にくてきなたべものだけでなく、すよ、今ここに終末が来ています。私はこの霊的な食物を感謝しています、主よー7つの封印の霊的な食べ物は開かれると約束されています。あなたは「それは何か違う物になるだろうか?」と言います。いいえ。一語も追加したり取り出すことは出来ないのです。それは既にそこに在るのです。それはただ隠されているだけです、封印されているのです。そのことを何人が理解しますか?「アーメン」
見て下さい、あなたは「さてそれは奥義で、後で来るものです」と言います。いいえ、それは既に書かれているのです。何も取り出すことも加える事もできません。分かりますね。それは既にその中に在るのです。終わりの日にただそれは顕かにされるのです。
146
着ませんか?今来て下さい、友よ。もし理解していないならば、ここに来て膝まづいてそのことを彼に離してください。もし簡単に言えないならば、彼は全ての疑いを解決する方なのです。
彼の聖い御座に、
どうして市内の?(何で来ないのですか?)何で?
どうして彼は今来ないの?
覚えておいてください、この事を記録しているのです。このテープだけではありませんが、神の大きな記録があります。あなた方全てが一人一人、すべての動きがです。あなた方が頭を下げている時、心も下げてあなたの心に来るものを。。。
覚えて下さい。今栄光の内に記録されていますそしてその記録は裁きの日に再生されるのです。あなたの決定は?オーその日にどれ程変わっていたらと思うことでしょう!
147
私はただ待っています。と言うのは沢山沢山祭壇の周りに今おられるからです。さて、たぶん彼等の内の一人、もし私はただ少し長めに続けます、もう一人が来るかもしれないのです。ニューヨークかフィラデルフィアかカリフォルニアか、アリゾナか他からくる可能性があるのです。牧師さん、あなたがどこに居ても、今祭壇を閉めないでください。もう二度と感謝祭で会う事は無いかもしれません。これは最後かもしれませんそしてその記録が今晩最後に上がる予定です。そのテープはこの日々の一日に流れるのです。その記録は切られそして神のアルバムになるのです。そしてそれは後程再生されるのですあなたの思いが今流れるのです。何も言わないで何も違いを知らななかったのですーはい。「父が導かれないなら誰も私の下に来ることは出来ない。父が私に与える者は全て私に来るのです」
148
私はもし今晩座っていた場所を信じていますそして少なくとも、ここで出来る限り。。。
なぜ来ないのですか?なぜ来ないのですか?
(終わりましたか?間違いなくあなたは今神の御霊を悲しませていませんか?)
頭を垂れて祈り続けましょう。間違いなく彼の御霊を悲しませていませんか?彼がしなさいと言った事を間違いなくしましたか?そのことを今肯定的に言えますか?覚えておいてください、もう二度と機会がないかもしれません。その記録は今晩終わるかもしえません。これは全てになるかもです。これは最後のテープになるかもしれません。今準備されていますか?もしそうならば、私はあなたの手の中にそれを置きます、主イエスの名によって。
149
ソフトにクワイヤーが歌っている間、ここにいる人達の為に祈ります。私はある意味とても違うタイプのクリスチャンなのです。網様が救うために全てをなさらなければならないと信じています、又神様が御言葉を植えられねばならないとも信じています。「主である私は」聖書のイザヤ書で書かれています。「主である私はそれ上、昼も夜も水をあげ、誰も私の手からそれを奪い去るものはいない」
私が尋ねる前に、誰かがこれらの人々と大に祭壇の周りに来ました、彼等の為に私自身が祈りたいのです。頭を垂れましょう。
150
親愛なるイエス様、あなたの言葉をただ引用しました、あなたの預言者が言ったのですそして預言者の言葉は真理だと知っています。そしてあなたは言われました、「私は主でありそれを植えた」と。その通りなのです。世の始まる前からあなたがそれを子羊の命の書にかかれていたのです。「私は主でありそれを植えたそして水を昼も夜も与えた、誰も私の手から奪い去るものはいない」これらは多分、主が多くの祭壇からの招きを読んだのでしたしかしあなたはそれでもそれに水を下さるのです、主よ。
ここに彼等はいます。父よ世の物から彼等を自由にさせて下さい、すべての罪、彼等の心にある問題から。ただ、分別を持ち、厳粛に彼等の心で、あなたの言葉に今自由にしてください。そして言ってください。「主イエス様、私の心に降りて来て下さい、私はいつも信じていました、そこには何か私の為にあるのだという事、私をまだそれを受け入れていません。しかし私は試しました、今晩そのことが表現されたように、雌鶏に従っていましたしかし何かおかしく感じていました。どうもそれは正しくない様に思っていました。そして今晩、生きる御言葉のみ腕の中に近く来たと感じています。ここに来て静かに厳粛私の正しい考え家で、ここで落ち着きこの祭壇に来ました。救いが欲しいです、凄く主よ。私は飢えています。あなたが欲しいのです。主よ。私を今晩あなたのみ腕の中に抱いて下さい。いかなる感情ではなく、愛の御霊を通してです。あなたの御腕で私を抱いて下さい、親愛なる神様。私はあなたの子供です。私は彼等が話していた鷲だと感じています。捕まえて下さい、主よ。私は富んでいます。席から立ち上がりここに来てひざまづいています。捕まえて下さい、主よ。私は跳んでいます。あなたの羽の上に私を連れて行ってください、主よ、これらの世の物から話してください。この世の汚れから私を飛ばせてください、私の悪い習慣から、すべての私の宗派的な伝統から。あなたにのみ来ることが出来ますように、主なる神様、聖霊が全ての私の疑いを忘れられますように。あなたの子供となり今晩、新しく生まれ、新しく創られたものに今晩してください。捕まえて下さい、雌鶏に鳴き声を越えて。鷲の巣に連れて行ってください、そこで神の御言葉によって力づけられる場所に、飛ぶことが出来るまで。
受け入れて下さい。親愛なる神様。彼等を連れて下さい。彼等はあなたの者です。これは私の誠実の祈りです、死にかけている人々の為に祈ります。受け入れて下さい父よ。この祈りを彼等の為に祈ります。栄光の神に。尋ねています。さて、頭を垂れて祈ります。
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今演壇の周りでここにひざまづいておられる多くの皆さんはクリスチャンだと言っているけれど何かをいつも持っていないと感じてきました。宗教的な行動を全てしてきたかもしれません。叫んだかもしれません。全ての事をしたのでしょう。御霊の中で踊ったり、異言を語ったりしたのです。そして誰もそれに敵対する事を言う人はいません。それは事実です。それは全て良い事です。しかし御霊なしでその霊の賜物が。。もし御霊がそこに在るならば、その様に感情的に罪の意識を感じたりはしないのです。この祭壇にここに今信じてあなた自身が自由になり、感情ではなく全く真実の汚されていない信仰の下に神がああんたを受け止めあなたが鷲に成るまで御言葉によって養って下さり飛ぶことが出来る様になると心から信じていますか?
もしそうならば、神にあなたはそうさせたいはずです、手を挙げて下さい。この祭壇の周りにいる方々。神が祝福されます。手を挙げた一人一人の方々。
152
さて本当に静かに、生別された男性と女性、本当に神を知っている方々に尋ねたいのです、、、ほとんどの人々はかなり不思議です。(それはある意味そのやり方がです)祭壇での呼び出しにおいて、すべての男性に対して。ご存知のように、普通は女性達ですがここでは全てが男性です。思うに、今晩女性は一人だけだったか多分二人でした。普通は女性が多いのですが、どういうわけかあるいは逆に、思うに、女性は彼等について私が反対して話していると思っているのではないかと思います。そんなことはありません。姉妹達。(3人、誰かがそういいました。祭壇の上から全ては見えません)分かりました。あなた方の内の何人かの生別されたクリスチャンがここに来て私と共に一分間祈ってください。祭壇の上でもどこでも、演壇のうえで、神の事を本当に知っている方、数分ここに立って彼等と共に祈りますそして解散をします。皆さんのん等に今厳粛にしてください。
去らないで、ただここに来て立ってください。あなた方の内で本当にこれが真理で我々は新しい時代に入っていると信じる方、我々は携挙の時代に入っているのです。ご存知のように、その教会はその状態では入る事は出来ません。そして良くなることもないのです、どんどん悪く成ることになっています。そのことを知っている方は皆「アーメン」と言ってください。どんどん悪く成り、この様にはならなくなるのです。分かりますね。友よ何かにならなければならずそれは今動いているのです。それは動いていて花嫁の為に動いているのです。それが真理なのです。それは「主が仰せになられる」ことです。今動いて上がっています、生別されたクリスチャンは、これらの誠実で祈りを兄弟姉妹として提供できる方に上がってきて記録してほしいのです、祭壇の周りに上がってきてください。祈る間ここにただ立っていてください。
他にも来たい方はいらっしゃいますか?ここに立っていてください。彼等の側でひざまづいてどこでもこれらの人々の周りにいる男性達、女性達、彼等に謙虚に優しく祈りを求めて下さい。
親愛なる神様、これらの事を助けて下さい。
153
全てを捧げます(手放します)、宗派も、最初の結婚も、最初の夫も、すべての物をあなたに捧げます主よ。
すべてを捧げます(手放します)、私の幸いなる救い主、
我すべてを捧げ手放します、 
我すべてを捨て捧げます
(自分自身の考えを捧げますか?神の御言葉に自分の
考えを捧げ捨てられますか?)
輪が幸いなる救い主、すべてを捧げます
我すべてを捨て捧げます。
154
会衆の中にいる全て信じる人達立ち上がってください。一緒に歌いましょう。
我捧ぐ、
皆手放しましたね、今歌えますか?
我、、
幸いなる救い主に
全てを手放します。
祭壇の周りにいる皆さん、もし本当に手放したならば、手を彼に向ってあげて下さい、そして我捧ぐ皆捧ぐ、を歌いましょう。宗派を手放します、宗派組織を手放します。教会を手放し捧げます。私自身を捧げます。自分の考えを手ばなし捧げます。全てをあなたに、私の幸いなる救い主、我すべてを捧げます。
あなたに 私の救い主、
我すべてを手放し捧げます。
我すべてを手放し捧げます。
全てあなたに私の幸いなる救い主、
我すべてを手放し捧げます。
本気ですか?
我すべてを手放し捧げます。
(テープの空白スペース)
155
祭壇の周りにいて祈った人達、教会はあなたの為に祈っていました:自分でも祈りました。
さて、唯一あなたが救われる方法があります。それは信仰により恵みによりあなた方は救われたのです。神の恵みがあなた方に語りあなた方を祭壇に連れてきたのです。あなたは神の祝福を求めています、彼の御言葉を探っています、聖霊を求めています、神のひいきを求めているのです。もしそうならば、心から完全に手放し捧げる事が出来ます。感情を求めないで真理を求めて下さい、それが信仰により心から来るのです。「主よ、あなたの御言葉が私に命令するいかなることも喜んでする準備があります。私の中に在る全てを捨て去ります」心からそれを信じるならば、あなたに足まで上げて、この教会の会衆の方を向いて手を挙げて、彼等と一緒に歌います。「全て私の中に在るものを捨て去り捧げます、神様。私の知る限りにおいて、すべてを捨て去り捧げます」
この演壇迄上がってきてください、今祭壇にいる方達。この演壇に上がってきてください兄弟。
ここです、兄弟姉妹の皆さんここに来て下さい。教会の皆さんここを見て下さい。
(ある姉妹が話す)
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あるここに知る姉妹は、宗派から出てきました、彼女は「かつて宗派に属していました」我々はそれを呼ぶ必要はありません。彼女はそこで働き人で死が、彼女は言いました。「ブラナム兄弟、真理の為にそこを出たいのです。私は何かが欲しい(いくつかの言葉がはっきり聞こえません)。神の言葉を引用させてください。「義に飢え乾いている者達は幸いである、彼等は飽き足りるようになるであろう」さて、この演壇にあなたはいて今来たところです、もし全てを捧げる準備があり、すべて神の御言葉に従うならば、我々は既にこの州何をするかを話しました。さて、もし今神に全てを捧げ捨てる準備があるならば、この様に会衆に向って手を挙げて下さい。さて、この演壇に今います、今一緒に歌いましょう。「我捧ぐ皆捧ぐ」皆さんご一緒に。
我捧ぐ皆捧ぐ
我捧ぐ皆捧ぐ
御前に主よ我皆捧ぐ(幸いなる救い主よ)
我捧ぐ皆捧ぐ
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本気ですか?そうならば、「アーメン」ともう一度言ってください。「主よ私を探ってください、試してください。そして機械を与えて下さい。これが今晩私の出来る全てです、それはあなたに私自身を捧げる事です。あなたが私の心の上をご存知です。私の思いもしたい事もご存知です。あなたはそれを満たすと約束されました。今それを期待していますそしてあなたに全てを捨てて捧げます。
皆さん一緒に:
我捧ぐ、皆捧ぐ、
御前に主よ我皆捧ぐ
我捧ぐ皆捧ぐ、
御前に主よ我皆捧ぐ