65-0801M この邪悪な時代の神

  • 伝道者:ウィリアム・ブランハム
  • インディアナ州・ジェファーソンビル
  • 録音番号:65-0801M
  • 年:1965
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頭を垂れて祈りましょう。愛する天の父よ、我々は信じることができることで今朝も心から感謝いたします。なんじの子、イエスの流された血によって、我々は彼の恵みにあずかる者であり、また彼が従順に十字架の死を受け入れたことにより、神の娘・息子になることができます。彼とその復活を信じることによって義とされます。今、聖霊があまねく我々の心の中に流れています。
我々が今朝、歌や証言、詩篇や御言葉を読むことで思いを表わし、我々の思いや崇拝の気持ちを分ち合うためにここに来る機会を下さった事に大変感謝いたします。今、聖霊が、このときのために定められたメッセージを伝えて下さるように、真剣に祈っております。主よ、どうぞお与えください。我々が今日ここに来た事で良き事がありますように。我々がこの建物を出る時、みなさんがエマオという村へ行っていた弟子たちのように、「今朝お話しになった時、お互いの心が内に燃えたではないか」と言うように祈ります。永遠の神よ、主イエス・キリストの名によって、これらの事をお与えください。アーメン。(ご着席ください。
この礼拝堂にいる友人たち、そして西海岸から東海岸まで、北部から南部まで電話で接続している全国の友人たち、皆様お早うございます。
ここインディアナ州はすてきな日です。わずかに曇り涼しく感じられますが、非常にいい天気です。大会堂は構内には満員で、人々は外にあふれています。今日主が我々を訪れてくださることを期待します。また、あなたがどこにいるとしても、神が素晴らしい一日を与えられますことを祈ります。主が与えて下さったのですから、それは良い日です。どんな天候であっても、それは良い日です。我々はここに来る事ができて、とても幸せです。イエス・キリストを信じていると世間に表す機会があり、とてもうれしいです。我々はあらゆる機会に、主が我々にして下さった事と彼の愛を表わしていきたいのです。
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今日はまず、少し前に決定された事の報告があります。そして、次にお話したい事が多少あります。 まず、昨夜の執事会会議に関する報告があります。この教会の執事、我々の素晴らしいコリンズ(Collins) 兄弟は、アリゾナ州に引っ越したので、彼がいない間、彼の代わりに執事会はチャーリー・コックス(Charlie Cox) 兄弟を任命しました。
チャーリー・コックス兄弟はこの教会の執事会によってコリンズ兄弟のいない間、コリンズ兄弟の代わりに任命されました。
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次に、今晩の治癒礼拝式の前に帰られる方もいらっしゃるでしょうから、先にお礼を申し上げておきます。すてきな贈り物や記念品などをいただきました。皆さんに心から感謝いたします。我々がここに来てから、たくさんの食べ物をいただきました。妻と私と家族とは本当にありがたく思っています。私は多くの問題を抱えて忙しくしているため、時々お礼を言うことを忘れます。頭がいつも多くの問題で錯綜しているのです。この教会だけではなく、世界の人々の問題について少し考えてみれば、皆さんも分かりますよね。それで私はいつも混乱しているのです。
どなたかが赤ん坊の献児式や洗礼式について話していましたが、それは非常に良い事です。私ができれば良いと思いますが、ほかの事と重なり、それを行う時間がありません。私は今朝お話するメッセージに精神を集中しなければなりません。聖書によれば使徒たちがこのように言いました。「そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たちを捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせる」。息子のビリー (Billy) と話したことがあります。
彼が、「パパ、今回は赤ん坊を捧げるつもり?」と尋ねるので、
「どうしようかね」と答えました。神に捧げ祈る赤ん坊がたくさんいるなら、日を別途設定し戻って来ましょう。つまり私はそれをしたいのですが。
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ところで、妻と私と家族一同は、心からみなさんに感謝しております。缶詰類・新鮮なインゲンマメ・スイカ・メロン・イチゴなど考えられるあらゆるものをいただきました。
先日素晴らしい兄弟と姉妹が、我々に大きい七面鳥を持って来てくれました。 まだそれを食べています。 私がここを去るまでに全部平らげようと思います。そうしないと、彼女はそれを持って我々について来てしまうでしょうから。ともかく色々いただいたことに深く感謝しております。私が知っている人々も多いですが、知らない人々もいます。家に帰ると、贈り物がいつも玄関に置いてあります。本当にありがたく思います。たくさんの人にお会いしましたが、まだの人もいます。ご存知の通り、できるだけ多くの人にお会いしたいですが、私は1人しかいません。全員にお会いすることができませんが、できるだけのことはするつもりです。
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主があなたがたと共におられますように。あなたがたと共におられる方がお一人います。その方はイエス・キリストです。彼なら、あなたがたと共にいる事ができます。遍在することができるのは神だけです。また、全能でおられますので、どんなことにも応じられるのです。全知である主は、みなさんが必要としている事もご存知です。
今朝ここに出来るだけ早く来ました。出来るだけ多くの人にお会いするつもりです。そうする事ができない場合は、全能の神はご自身の栄光の富の中から、みなさんが必要としているいっさいの事を満たして下さるでしょう。
私は手元のメモをあまり読むことができません。特別な告知のようなものですが、・・ビリー・ポールがそれを書いたに違いありません。 彼は私に似ています。私は自分で書いたものが読めません。そのため独自の速記を作りました。あなたがたが私の書いたものを見たら、きっと読めないでしょう。橋を渡る星などが書いてあります。[ブランハム兄弟は告知を読み上げる。(編集者注)] 「アラスカから来たアデイア兄弟は直ちに礼拝堂の後ろに行ってペリー・グリーン牧師に会ってください。」はい、分かりました。
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お知らせしたいもう1つの事は、今晩の治癒礼拝式についてです。今晩、病気の人たちのために祈るつもりです。ご出席ください。
主イエスの名によって、全国の人々にあいさつを送ります。 今朝、神があなたがたを祝福して下さいますように。ある所では正午になる所です。ニューヨークではもうお昼になっていますが、西海岸のアリゾナ州ではまだ朝の7時です。ここはちょうどその中間です。この話を聞いているみなさんを、神が祝福しますように。
ここに来て、心に刻んだ事がありました、ホールの使用が許されなかった時に…
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最終的に許可は下りましたが、条件がついていました。礼拝は良いが、病人たちのために祈ることは駄目だというのです。残念ながらそれは私の聖職です。私は聖霊に命じられる事をしなければなりません。従って、それをお断りしました。聖霊の言う事は何でも自由にしたいからです。そういうわけで、狭いですが礼拝堂でもう1日我慢して行うことにしました。今朝は涼しいです。主が我々に晴れた日をお与え下さったことにとても感謝しています。
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さて私は、7つの教会時代と7つの封印との啓示を解いた後に、ヨハネの黙示録に書かれている最後の7つの鉢・7つのラッパ・7つの雷をお教えするためにここに来ました。それらをまとめて、我々が生きている時代との関係を明らかにするつもりです。しかし、それをするのに十分大きい場所を見付けることができませんでした。間もなくこの町かルイヴィル(Louisville)あるいはニューオールバニー (New Albany) で良い場所を見つけたいと思います。あるいはテントを張り、主が我々を導く限りそこにとどまることもできます。
ここでこの機会を捉え、私が確信し信じている神の存在についてお話し、それから我々が生きている時代について明らかにしていきたいと思います。それはある特定の人や信条などに向けたものではなく、神の御言葉について私が見たことに向けたものです。この前の日曜日の説教には聖霊が強く注がれました。それが非常に長い時間でした。そんなに長く説教するつもりはなかったのですが、もしかしてこれが最後の出会いとなり、次に会えるとは限りませんからね。昔のパウロのように、こう言いたいのです。「神のみ旨をみなあますところなく、あなたがたに伝えておいたからである」。イエス様は弟子たちに、隠しておいた事は何もなかったと言われました。私は聖霊に導かれてこの時代のメッセージを悟るのに忙しくて、外に出て、キリストの僕・聖職者としての義務を果たしそびれた事が時々あります。しかし、ありがたいことに、そんな私を手伝ってくれる何人かの聖職者たちがいます。
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さて、私はみなさんを引き留めようとするつもりはありません。全国でメッセージを聞いているあなた方が、今朝この教会のあらゆる所、側廊や子供部屋、屋外やラジオで聞いている人、バスの中やトレーラーの中、自動車の中等を見ることができたなら、問題が分かるでしょう。車の中で、あるいは電話で教会の礼拝を聞いている人が多いのです。なぜなら彼らは礼拝堂の中に入ることができないからです。人々が楽に座れるように、もっと広い場所が必要です。私がきわめて重要であると思うメッセージを伝える時には、皆さんはゆったり座り、メモをとる鉛筆や用紙やノートや聖書などを準備して、説教を聞いていただいた方が良いと思いますからね。さて、我々が生きている時代とこれから遭遇するであろう出来事について話を戻しましょう。みなさんには、この話が必要ですから。
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私あるいはどんな聖職者でも、今日もしくはどんな日でも、預言された時が近づいているこの時代に(私はその時を信じているのですが)、我々のような死にかけている人々にメッセージを伝えようとするためにここに来て、神の御言葉に反しているが、あなたがたを満足させることができるもの、あるいは聴衆を集めるなどのためのものを説教しようとしたら、私は偽善者になります。私はそうすることができません、私がここに来てそうするつもりはありません、なぜなら私はキリストの伝道師なのです。あなたがたに極めて重要であると思う事を伝えたいのです。それは自分の知識を見せびらかすことではなく、今日私が死んでも、明日はあなたがたの魂に結び付けられ、神に仕える続けられることを確固とするためです。
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さて、何か起きようとしています。私にはそれが分かります。アリゾナ州に行く少し前にジュニア・ジャクソン兄弟(BrotherJunior Jackson)が私の家にきて、彼の見た夢について話した事を覚えている方は多いでしょう。不思議な事でしたね。覚えていますか?主は我々にその意味を教えて下さいました。そして、それは文字通り起りました。ジュニア・ジャクソン兄弟は最近また別の夢を見ました。
次の話も不思議な事です。 先日オレゴン州からある人がここに来ました。彼は私をあまり知りませんでした。しかしジュニア・ジャクソン兄弟のように同じ夢を見て、それを私に話しにきてくれたのです。私はその夢の意味を解き明かすことができません。主をお待ちしています。それは神からの啓示であるからです。 それを覚えておいてください。 主はこう言われます。それは神からのものです。意味は分かりませんが、非常に印象的なものです。率直に言うと、あの2人の夢によれば…彼らの1人はバプテストあるいは長老派会員 (Presbyterian)であるかもしれません。今朝ここにいるかどうか分かりませんが、 彼は先日ここにいました。生憎、どこの人であるか知りません。
彼は泣きながらその夢を教えてくれました。彼はその夢で動揺しました。それを言うためにはるばるオレゴン州からここにやって来ました。ジャクソン兄弟も同様の目的で今朝ここに来ました。2人はこれまで会ったことはありません。離れた所に住んでいるにもかかわらず、彼らの夢の内容は同じでした。聖霊がまだその意味を知らせて下さらないので、私も彼に何も言う事ができません。けれども神は、何かをするおつもりでいらっしゃるのです。それは我々にとって素晴らしい事となるでしょう。
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さて、今朝のメッセージに当たっては、ガラテヤ人への手紙を読みたいと思います。これは説教ではありません。日曜学校の話です。 壁際に立っている方々と、立っている人をしばらく座らせてあげようとしている人は交替して大丈夫です。私はうるさく思いませんが、ただ敬虔にしてください。また子供たちが泣いたら、お母さんたちがあやせるように、どなたか子供部屋を出て隙間を作ってほしいのです。
さて、聖書の言葉をいくつか読みますから、書き取れるように鉛筆や聖書などを準備して下さい。これは強制ではありません。自由に話を聞いてほしいのです。私と意見が合わなくてもかまいません。私は、主イエスがこの時代のメッセージを私に与えられたと信じている人に対して、今何が起きていて、その起きている事が聖書でどのように示されているかを明かすため、今朝こうやって全国にむけて話をしているだけです。
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この前の日曜日に「最後の日における油を注がれた者」について説教しました。テープの聴取者であるなら、録音されたテープを入手して下さい。我々はテープを売ることが目的ではありません。メッセージを広めたいのです。 分かりますよね。 テープレコーダーを持つ人がいるなら、たくさんの人を集めてよくテープを聞いてください。
「油を注がれた者たち」 あなたは人々が起き上がってこう言うのを聞きます、「まあ、聖書によれば 『最後の日に偽預言者が起きて、大いなるしるしを行う』のよ」(それはまさしく聖書にあります)。ところで、それはどこに適用されるのですか。それは正確に適用されなければなりません。主のみこころであれば、今晩「御自分の御言葉の中で明らかにされる神」についてお話をしたいと思います。それは耳が適用される所に目は適用されないということです。分かりますか。例えば聖書全体を描くと、それ全体に描かれているのはイエス・キリストということと同様です。主のみこころであれば、今晩それについてお話をしたいと思います。そうでなければ後日にでも話しましょう。
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今、ガラテヤ人への手紙1章1~4節とコリント人への第二の手紙4章1~6節まで読みたいと思います。まず、ガラテヤ人への手紙1章1~4節:
「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、(すぐに止めて、ここに注意して下さい。使徒というのは“遣わされた者あるいは伝道師”を意味します)、
ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。」
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次に、コリント人への第二の手紙4章1~6節:
「こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。
それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。(これは運命についてのお話でなければ、何についての話なのかがよく分かりません。)。
その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです(エデンの園と同様です。アダムとエバが命の木に触れないように、彼らを園から追い出しました)。
私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。
『光が、やみの中から輝き出よ。』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」(アーメン!その通りです)
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さて、今朝は「この邪悪な時代の神」というテーマでお話したいと思います。 聖書を読んだ通り、この世の神、この邪悪な時代の神… このメッセージはこの邪悪な時代の悪事を指摘し、またこの邪悪な時代について預言された事に合致しています。私は、聖書にはあらゆる時代の信者に対して、各時代の問題への解答があると信じています。我々が必要としているすべての事は聖書の中に書かれており、ただ聖霊によって解釈される必要があるだけだと信じています。どんな人であっても神の御言葉に自分の解釈を加える権利はないと信じています。神はその御言葉を解釈する者を必要としません。神ご自身が御言葉を解釈します。神が何か成すであろうと約束するなら、神は当然それを成就します。
私は何回も言いましたが、神は「見よ、おとめが身ごもるだろう」と、言われました。神は預言者の口を通してそれを語りました。そしておとめは妊娠しました。 誰もそれを解釈しなくてよいのです。初めに主は、「光あれ」と言われました。すると光がありました。誰もそれを解釈しなくてよいのです。神は終わりの時その霊をすべての人に注ぐであろうと言いましたが、その通り行いました。それは解釈を必要としません。 また神は最後の日に我々が見ているこれらの事件が起きると言われました。それは何の解釈をも必要とせず、すでに解釈されています。
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御言葉を勉強するとき、よく注意してください、我々が生きているこの邪悪な時代の神。 神が御名を負う民(主の花嫁)を選び出されているこの恵みの時代が、この邪悪な時代は同時に悪事の時代と呼ばれているのは非常に奇妙な事のように思われるかもしれません。神がその恵みによって御名を負う民を選び出されているまさのこの時代が、邪悪な時代と呼ばれています。主が話されていた時代がまさにこの時代であることを、聖書によって証明されるでしょう。
このような邪悪な時代に神がその花嫁を選び出されることは、考えても非常に不思議な事です。神は教会ではなく、民を選び出されるという事に気付いていましたか?なぜですか?彼らは教会とも呼ばれているが、主は彼らを民とお呼ばれになります。 教会は異なった性質の人々によって構成されますが、神は個人としての人を選び出されます。主は「メソジスト教会やバプテスト教会やペンテコステ教会などを選び出すであろう」とはおっしゃいませんでした。神は民を召すであろうと言われました。 何のために?御名を負うためです(分かりますね?)。民ですね。 それはメソジスト教会の1人、バプテスト教会の1人、カトリック教会の1人、ルター派の教会の1人という事です。主は集団としての教会ではなく、運命により御名を受け入れ、御名のために従事し、神と結婚しようと神の一部となろうと思う、御名を負う個人を選び出されています。男性が自分と結び合うために運命づけられた適切な妻を娶るように、キリストの花嫁は主と結び合うためにあらかじめ定められたものなのです。分かりましたか?まあ、聖書はそれほど中身が濃くて、蜂蜜に満ちています。
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注意することは、誰かが言ったからとか呼んだからではなく、最後の時代に人々を召されるということは、天地が造られる前から神がお決めになっているという事なのです。つまり組織ではなく、御名を負う人々を選ばれるということです。神はこの邪悪で惑わしの時代にそれを実行しているのです。
先週お話したマタイによる福音書24章によれば、それは最も惑わす時代です。エデンの園から今日まで、他にこのように惑わす時代はありません。にせ預言者たちは起こり、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば選民をも惑わそうとするのです。選民は決して、人間が作った神学を基とする冷たく形式的でこわばった教会には注意を払わないでしょう。しかし、それは本物とたいへんよく似ています。ただちょっとした言葉を無視しただけです。神様はこの時代にとても素晴らしい時を約束されました。キリスト教徒たちよ、どこにいても自分たちが生きている時代には気を付けなさい。メモを取ったり聖書を読んだりしながら、よく聞いてください。
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なぜ神はこの邪悪な時代から御名を負う人々を選び出されるのでしょうか?その理由は、主は花嫁に試練を受けさせになるためです。花嫁が現れる時には、悪魔に試みられ、苦しみの試練を受けるでしょう。証明され、悪魔に証明されます。初めにあったように、最後の日にも同様な事が起るのです。
種は始め地に播かれ、芽を出して茎を伸ばして成長していきますが、最後は始めのように地に播かれた種となってしまいます。迷いの種も始めエデンの園にまかれたように、最後の日には、同じように惑いの種になってしまいます。福音がローマのニカイアで宗派として設立されたように、終わりの日には巨大な組織になってしまいます。主の教会の種も、しるしとわざとを行い、また生けるキリストが彼らと共にいたことで始まったように、最後の日にマラキ書4章の聖職に導かれて、かつて伝えられた最初の信仰に戻るでしょう。
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さて、この邪悪な時代は、花嫁がエバのような女性ではないことを悪魔に証明するときだと私たちは分かっています。花嫁は神の御言葉によって試されるでしょう。 アダムの妻も御言葉によって試みられました。アダムの妻は御言葉をすべて信じていましたが、1つの約束だけ(『主は昨日も、今日も、いつまでも変わることがないこと』)を混同してしまいました。エバは敵の誘惑に乗って、この1つの約束を間違えて捉えてしまったのです。さて、神の御名を負う人々はもちろん主の花嫁です。この花嫁は、宗派の真理などではなく神のあらゆる御言葉によって、同様の試しに会うことになります。
聖書の初めに、人は神の御言葉で生きるものです。しかし、後でサーパントと呼ばれた動物にいた悪魔と呼ばれた人によって、誤った解釈をされてしまいました。この動物にいた悪魔がエバに話かけ、彼女に御言葉を誤って解釈し、そしてエバは堕落してしまいました。すべて聖書どおりの御言葉でなければならないのです。
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聖書の真ん中で、イエスが来ました、悪魔に試みられたイエスは、「人はパンだけで生きるものではなく、神の一つ一つの言で生きるものである」と言いました。神は、最後の日にこの世の神が起きると我々に教えて下さっています。御言葉に書き加える者、あるいはそれを取り除く者がいれば、その人の受くべき分は命の書から取り除かれます。どうか、神が我々を哀れみますように。頑固でえばりくさり、高慢なうえに知ったかぶりをすることは止めましょう。かつて我々も神様に不服従でしたから。恵みと哀れみと心の中の神に対する愛をもって、謙遜に恵みの御座の前に来ましょう。
不思議ですね。福音が伝えられてからおよそ1900年が経つ今日の世界の体制は、主がここにいらした時代よりさらに邪悪になっています。世界の体制はさらに邪悪になってしまいました。世界はクライマックスに向かっています。皆さんはわかっていますね。主はその御言葉をすべての方面で成就しているのです。
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昨日私は立っていました...その小さな相棒がしないように願います...彼はしないでしょう。昨日妻とウッド夫人と、ここのどこかに座っているロイ・ロバーソン兄弟とウッド兄弟と一緒に、ウッド姉妹の小包を受け取るため、ここのヤングスタウンショッピングセンター(Youngstown Shopping Center)に立ち寄りました。我々がそこに立っていると、知らない若者が私のところへきて自己紹介を始めました。また、もう1人の若者が寄って来て、彼らは2人ともアラバマ州から来たと言いました。ジョージア州だと思います。なぜなら私は彼らがウェルチ・エヴァンス兄弟(Welch Evans) を知っているか尋ねましたから。 我々は数分話をしました。そして私が去ろうとすると、この若者が私を見ました。もう一人の若者はその小さい息子と共に歩いて立ち去ったとき、この若者が私を見て、「一つお話したい事があるのです」と言うので、私は「君は信者ですか、キリスト教徒ですか」と尋ねました。彼は「違います」と答えました。彼は言いました...
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彼が言った言葉を正しく引用しないかもしれませんが、彼は少し懐疑論者であると思います。 主の使いが現れることについて彼に質問すると、彼はそれについて聞いてはいたが、教会に行ったことがない、この教会に行ったことがないと言いました。私は「君はそれを信じますか?」と尋ねました。
彼は、「はい。 私は今までずっと何かのことに注意を払っていました。人が預言について私に話してくれましたし、あなたがカリフォルニア州が割れるであろうと預言したテープを聞きました。私は新聞でそれを見た時に信じるようになりました。だから今日か明日(それは今日です)初めて教会に行きます」と言いました。
私は「主は君を祝福しますように」と言って、そして彼の手を取り握手しました。
彼は、「しかしあなたにお話したい事があります。私は救いようの無い者なのです。 砂丘に落ちたコインのように自分を見失ってしまいました」と言うのです。
私は、「けれども君はその状態にいなくてもよいのです。 君の用意ができたら、君を見つけ出し救うことができる者がここにいます」と伝えました
彼が、「用意ができました」と表明したので、私は「頭を垂れてください」と言いました。
彼は「私は恥じていない」と言いました。それだけではなく、彼は駐車場の人々の前で跪きました。通りかかった人々が彼を見ていくなか、彼はその心を神に捧げるまで私と一緒に祈りました。 彼は罪人として来ましたが、神の子として戻って行きました。死人として車の横に歩いて来ましたが、生きている者として戻ったのです。
私は「明日、洗礼槽の用意ができるでしょう」と伝えました。
とうときいずみあり、そのうちより
エマヌエルの血ぞあふれながる、
つみになやむものくぐりいらば
けがれはあらわれしみはけされん;
私は、「立ち上がり御名を称え、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。神は君に聖霊を満たし、これらの大きなことをお与え下さいます。そして君はそれを分かることができます」と話ました。
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それは何でしょうか? 世界はクライマックスに向かっています。なぜでしょうか? 聖書に書かれたように、無法で道徳の乱れた科学的な宗教の霊が、世界をあらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつにしたからです。ヨハネの黙示録18章でそれを読みましょう。このポイントを話す前に、ヨハネの黙示録18章1~5節を読みましょう。もうすでにマークしてあると思いますが。
この後、私は、もうひとりの御使いが、大きな権威を帯びて、天から下って来るのを見た。地はその栄光のために明るくなった。
彼は力強い声で叫んで言った(「さあ、 夢を見た人たちよ…)。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。
それは、すべての国々の民が、彼女(教会!)の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行ない、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」
それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。
なぜなら、彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられるからです。
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これはなんという警報でしょう.それは実に教会を黙示録3章14節に書かれたラオデキヤ教会時代に戻らせています。その教会は無法でとても信心深い、しかし無法なのです。「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身があわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない」。これは完璧にこの時代に当てはまるのです。これはダニエルの時代のためではなく、ノアの時代のためでもなく、しかしこの最後の邪悪な時代についての事です。
ここで注意してください。『あなたは裸な者である』!この事を心に深く染み込ませてください。この考えについて私と意見を異にする人たちがたくさんいると思います。しかしこの時代、キリスト教徒は、「肌を露出した女性たち」に満ちた邪悪な時代に入らずに外出することは難しいまで事態は進行したのです。
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女性たち、これから言いますので、これから言うことを聞いてほしいのです。そして男性も女性も、私と意見が違うかもしれませんが、私はこのことを言うのに導かれていると感じるのです。裸に近い服を着ている女性は、健全な精神状態ではないことをご存知でしたか?彼女がそれを信じるかどうか、思っているかどうかに関係なく、彼女は売春婦だとご存知ですか。女性は神の前にその手を上げ、夫以外の男性に触れられたことがないと誓うかもしれません。またそれは率直な真実であるかもしれません。しかし、それでも彼女は売春婦です。イエスは、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」と言いました。多分女性は…
見てください、聖書によれば、彼女は裸であるが、そのことに気づいていません。彼女にこのような事をさせる霊は悪霊・売春婦の霊です。彼女の表面、身体、肉体は清らかかもしれません。彼女は姦淫を行わないと神に誓って、また彼女は姦淫を行わなかったかもしれませんが、彼女の霊は売春婦の霊なのです。彼女はこのファッション界の神に盲目にされ、挑発な服を着て外に出てきたのです。
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先日、私はウッド兄弟と一緒に川でボートを漕いでいました。川は家からほんの数分のところにあります。ところが行く所どこでも、いわゆる「ビキニ」か何かの小さい布をつけた女性たちがいました。何と恥辱なことでしょう!正気の女性ならだれもそのようなものを着ないでしょう。彼女は売春婦の霊に取り付かれています。さてご婦人方、あなた方は神と共にそれを解決しなければなりません。なぜなら、あなた方はいつかそれが真実であると分かるからです。
ご婦人方、あなた方はあなたの体が神聖であることをご存知なのに、なぜ道路を歩いている好色で罪深い悪魔たちに肌を見せるのですか?すべての神の子たちが今も神の子であるなら、またあなたの夫が神の子であるなら、彼はあなたがきちんとした服を着るように言うか、あるいはあなたと別れるでしょう。また、少年が神の子であるなら、決してこのような女性と結婚はしないでしょう。ほらね。あなたは、「何てうそのことを…」と言うかもしれません。いいえ、私はあなたに真実を話しています。 いつかあなたにも分かる日が来るでしょう。 裸な者、姦婦であることに気がついていないのです。
「ええ、私は夫に立てた誓願を、決して破らなかったことを誓います」あなたがそれをしたなら、夫はあなたを裁くでしょう。しかし、神はあなたの内にある霊によってあなたを裁くでしょう。 あなたの肉体ではなく、しかしあなたの霊、その内なる人によってあなたを裁くでしょう。
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外なる人とは6つの感覚、というよりは五感に支配された物理的なものです。内なる人は、良心や愛といった5つの感覚に支配される霊的な存在です。外なる人は、視覚・味覚・触覚・嗅覚・聴覚に支配されています。しかし霊の内には魂があり、それはある一つのもの、あなたの自由意志に支配されます。あなたは悪魔が言うことを受け入れるか、あるいは神が言うことを受け入れるか選択ができます。どちらを選ぶかで、あなたの内にどんな霊がいるかを決めるでしょう。それが神の御霊であるなら、世にあるものではなく神から与えられたもので養われるでしょう。イエスは言いました。「世と世にあるものとを愛する者があれば、神の愛が彼の内に入ってさえいない」。悪魔はあなたを騙した。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」
注意して御覧なさい。彼女が裸な者、淫らな者、そしてヌードであることが分かります。
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世界は今まで最も悪い時代にいるようです。ノアの大洪水の直前、世界が滅びる前を除いたどんな時代においても、決して女性はこのように振る舞いませんでした。イエスはそれについて言及しました。それについては、後で話しをしましょう。
神は支配することができなくなったのでしょうか、それとも他の者が支配することを許しているのでしょうか。よく分かりません。この質問に適する答えは…私の考えですが、今日世界には相反する2つの霊が存在し、それらが作用しているのです。 2つ以上の支配者がいるはずはありません。1つは聖霊の働きです。もう1つは悪魔の霊がこの最後の日で欺いています。ここで、私はこの事に基づいて我々の残りのテーマ・メッセージを話すつもりです。
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2つの霊が存在します。1つは神の聖霊で、もう1つは騙している悪魔の霊です。 地球の人々は今その選択をしています。 聖霊はここにいて、キリストのための花嫁を呼んでいます。聖霊は、彼女にこの時代の約束された御言葉を証明することによって、それはキリストであることを示し、呼んでいるのです。指がこの時代に動くことになっているなら、指は動くでしょう。足がこの時代に動くことになっているなら、足は動くでしょう。 目がこの時代に見ることになっているなら、目は見るでしょう。分かりますね。 神の御霊は神の完全な像にまで大きくなったとき…我々が生きているこの時代、聖霊はここにいらして、この時代のメッセージを証明し、神を信じている人々がこの混乱から呼び出されるように動いています。悪魔の不道徳な霊は、始めにしたように神の御言葉を悪用し、いつものように誤りによって、その教会を選び出しています。もう一度種子の時代へ戻っているのがわかりますか。エデンから、もう一度ここにきています。
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さて、昔に戻って、他の時代に生きていた時、あなたがたは宗派信者でした。 あなたがたはどれかの宗派信者でした。 宗派の茎は一体どうしたのでしょう。それは枯れてしまいました。御霊はそれをずっと離れ続け、種をつけるまで前へ進みます。
見てください、双方の頭ともに試みをうけ、初めの頃の試みと一緒です。注意してください。決して、決して、決して、決して、忘れてはいけません。ヨハネ第一の手紙4章5、6節で、それは「偽りの霊」と呼ばれています。エバがただ立ち去り、「神を信じないわ」などと故意には言いませんでした。いいえ、彼女が信じたのは偽りの方でした。
悪魔は決して出てきて、「まあ、それは神の御言葉ではない」とは言いません。彼はそれが神の御言葉であると認めますが、神はそれをしないようにはっきりと言われましたことに、彼独自の解釈をそれに加えました。この事がいかなる結果をもたらすでしょうか。それは人々に偽りを信じさせて罰せられさせるような惑わす力を作り出します。読みたいのであれば、それは、テサロニケ第二の手紙2章11節に書いてあります。ここにたくさんの聖書の言葉がありますが、すべてを読むことはできないでしょう。時々1つを取り上げ、それらをあなたたちに与えましょう。
あなたがたがそれを不思議に思ったり、疑問に思ったりなどしたら、私たちはそれを書き留めて、あなた方が読みやすいようにしましょう。
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聖書の言う通り(テサロニケ人への第二の手紙2章1~12節)、惑わす力を作り出す、この滅びの子は現れ、自ら神の宮に座して自分は神だと宣言し、そして、惑わす力で人々に偽りを信じこませ、人々を地獄に落し込めるのです。それは彼がエバにしたと同様の事です。彼は決して御言葉は正しくないと言いませんでしたが、惑わす力を与えたので彼女は偽りを信じてしまいました。
惑わす霊は悪魔のものです。 悪魔は不従順の子らの中に今も働いています。 何に対して不従順なのか。今日の子らは何に対して従わないのか。初めにエバがしたと同様に、神の御言葉に対してです。そうです。それを読みたいなら、エペソ人への手紙2章までめくってください。読んだほうが良いと思いますので。あなたがたが急がないなら私はここで止めて読んでみましょう。エペソ人への手紙2章1~2節。
あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。(分かりましたか。不従順の子ら…)
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反キリストが当時不従順の幼児の中から始まったのであれば、それが反キリストという人間を率いる時、どうなるのでしょうか?それはなんと上手く人々を惑わすことでしょう。大人のほうが子供よりも、ずっと大きく世界を惑わすことができるのです。聖書が言うには、「不従順の子らの中に今も働いている迷いの霊」です。御言葉に従いません。.
注意してください。不従順の子たち・子供についてもう少し話しをしたいと思います。ご存知でしょうか、私は神の御言葉によって、ここにいる人は誰でも、以前はあなたの曾祖父の中に生きていたと証明することができます。そして、あなたの祖父、それからあなたの父親に移り、それからあなたが生まれました。聖書によれば(ヘブル人への手紙7章だと思います)、メルキゼデクは…アブラハムは王たちを撃破して帰った時、メルキゼデクにすべての略奪品の十分の一を与えました。しかしパウロは言いました。十分の一を受けるべきレビでさえも、十分の一を納めました。なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを迎えた時には、レビはすでにこの父祖の腰の中にいたからです[2]。アブラハムが何かをしたのであれば、レビは曽祖父であるアブラハムの中にそれをしたのです。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブは族長たち、レビの父となりました。ここで予定という完璧な絵が見えてきましたね。
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これらのメッセージで、すでにあなたたちに教えたことの中に強調したいことがあります。このメッセージは神が地上に来る夕暮れの光という事です。
注意してください、その人、つまりその獣は、地上に来て、世の初めから殺された小羊の命の書に、その名をしるされていない者を惑わすでしょう。
神ご自身のお考えでは…神という偉大な御霊は、最初が始まる前から神でした。 その時、あなたは神の中にいたことを知っていますか。あなたが今キリスト教徒であるなら、世が始まる前から神の中におりました。そのときがそうだったならば、すべての神性がイエス・キリストにまるごとかたちをとって宿っておりました。イエスが十字架で死んだ時、私は彼と共に死にました。なぜなら私はその時彼の中にいたからです。彼ははっきり現れた満ちみちている御言葉であり、我々が後ではっきり現れることを知っていました。我々は彼と共にカルバリにいて、彼と共に墓に葬られ、復活の際に彼と共によみがえり、主の御霊によって恵みの御座へ昇り、キリスト・イエスの中にいて、共に天上で永遠に座っています。
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自然生命の根源が伝えられ、父親から父親へ伝えられるように、キリストの命も同様に伝えられました。それは神が預言者エリヤの霊を5度お使いになった理由です。 それは何か? それは「遺伝」です。
ちょうどあなたの自然の命と特徴が父親の自然の受精から伝えられるように、天地が造られる前から、あらかじめ運命づけられた神の御霊も同様に伝えられるのです。そして、神の御言葉の全体が完全にイエス・キリストと呼ばれる人間の体に宿った時、その中で神は私の罪の報いを支払わせました[3]。それから復活の際、神は私を主イエスと共によみがえらせました。今、すべての悪霊を制する力と権威とを受けて、主と共に座につかせていただいています。ああ、神がお与え下さったものをただ信じることができたらどんなに良いのでしょう。しかし、そこの席についていなければ、あなたはそれを持っていません。また、そこで席についていても、それを信ぜず、行動することも怖がっているのなら、あなたは決してそれを使えないでしょう。けれどもそこに座っているのであれば、あなたはそれを使えるのです。なぜならあなたが行う事はあらかじめ定められているのです。
一方、聖書によれば、パロが立てられたのは、パロになるためです。[4]イスカリオテのユダは、滅びの子になるために立てられました[5]。
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さあ、我々が取りかかっているこれらの素晴らしい真理に注目してください。教会は神の御言葉が彼らを治めることを受け入れず、その代わりにバラバを受け入れたということが分かります。それはマタイ27章15~23節に書いてあります。この事はどんな結果をもたらしたのか。どんな立場に追い込んだのか。それをよく考えてください。教会界は彼らが公正で聖人と思っているもので組織化された生命の中にいて、人々の目にもそう映ったとき、彼らはイエスをはりつけにして、「この人に我々を治めさせてはいけない」と言いました。けれどもイエスは満ちみちた神の御言葉でした。ヨハネの第一の手紙に書いてあります。彼らは「この神の御言葉は我々を治めてはいけないだろう」と言いました。主イエスは御言葉でしたが、彼らは盲目で、その事実に気がつきませんでした。主イエスは彼の身の上で成就するはずだった各預言の直接の応答でした。今、我々は皆それを信じます。なぜなら私たちは過去を振り返ってそれが起こるのを見たからです。しかしもし、今のこの世界、今のこの邪悪な時代が過去のあの時に戻ったならば、人々も今と同様の事をするでしょう。なぜならそれはこの時代のためにはっきり現れている同じ御言葉であるからです。人々は同じ事をするでしょう。ほかのことをするはずがありません。 彼らは不従順の子であり、偽りを信じ、その事によって裁かれように惑わす力を与えられています。
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その頃、教会界は神の御言葉の表れであるイエスを受け入れませんでした。なぜでしょう。彼らは別の解釈の仕方があるからです。しかし、イエスはするであろうと神が言われたすべての事を行ったので、教会界は彼が御言葉であることを知って当然でした。イエスは彼らにこう言われました。「この時について、聖書の中に調べなさい。私が行うであろうと言われたことを行う資格がなければ、私を信じないでください。」
彼らは「我々はモーセを信じる」と言いました。
イエスは言われました。「あなたがたがモーセを信じたならば、私を信じたであろう。彼は、私について語ったのである」。彼らはそれでも理解できませんでした。天の神が十字架の上で死にかけた時に、彼が言うであろうと預言者が予告したと同じ言葉を語りましたが、人々はそれでも分かりませんでした。彼らはイエスとは違う種類なのでした。彼らは御言葉ではありませんでした。非常に信心深い人たちでしたが、御言葉ではありませんでした。なぜなら御言葉であれば、その時代に関するその位置を理解したでしょうから。
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聖書の言葉は、あらゆる時代で美しくつながっているのに注意してください。今注意してください。教会界は神の御言葉によって治められることを拒絶し、殺人犯バラバを受け入れました。それは何をもたらしましたか。この邪悪な時代の神なるサタンを、彼がずっと望んでいた地位に昇格させてしまったのです。聞いて下さい。サタンは、この時代以外、他のいかなる時代においても、神だなどと言われませんでした。彼はノア時代の神だと言われませんでした。モーセやエリヤなどの時代でも神だと言われませんでした。彼はこの邪悪な時代の、見損なってはいけません、彼はこの邪悪な時代の神です。何百万何十億という人々に拝まれていますが、拝んでいる人々はその事に気がついていません。
しかし今朝、聖書が彼の正体を暴くのです。さあ、見てみましょう。そうすれば、あなたがたは分かるでしょう。人の心中を識別する集会の時に聖霊が御言葉を通じて、ある人を呼び出し、そして言いました。「君はこの他人の妻と住む権利はない。何てことをした。10年前、あなたは他人の妻と駆け落ちしたのである。」それと同様に聖書を読んでみましょう。聖霊は何の目的でそんな事をするのでしょうか。悪魔の正体を暴くためです。その男性や他人の夫と同棲していた女性にかかっていたサタンや彼らが犯した罪や行った事は何でも暴露するのです。それは何をもたらすのでしょうか。サタンの正体を暴くのです。
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医者たちは器具を使い、どこが悪いか見つけだそうとします。 彼らは見つけだすことができません。 我々は教えられません。しかし、聖霊がやって来て明らかにし、サタンを暴露します。これが神の御言葉のなさることです。神の御言葉はやみの中に輝く光です。部屋で物音がすると、それは神秘に聞こえますね。たくさんのものが動いているようなのですが、あなたにはわからず、電気をつけます。すぐにコオロギやゴキブリが出てきました。これらは闇の子です。光が輝くとそれらは四散します。「彼らは私たちから出て行った。なぜなら、彼らは私たちに属する者ではなかったからである。」と聖書は言われます[6]。 分かりますか。彼らは、世の光の中で生きることができません。なぜなら、天の神は、御自分の子たちが闇の中を歩いてつまずかず、イエス・キリストの輝く光の中を歩いていけるようにと、その子の道を照らす、この最後の日に光をお送りくださったからです。イエス・キリストは、昨日も今日もいつまでも変ることがありません。アーメン。
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77注意してください、サタンは、この時代以外、他のいかなる時代においても、神だなどと呼ばれませんでした。彼は初めから神のようになりたいという野望を持っていました。それを読んでみましょう。時間をかけてみましょう。戻って見てみましょう。私は書き留めてありました、イザヤ書14章です。イザヤ書14章を開け、サタンが何を行ったかについて神が言われたことを見るようにしましょう。イザヤ書14章12と14節。注意してください。
 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々(神の子たちですね)のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
神のように礼拝されることはサタンの野心でした。彼は天の星の3分の2を連れて、それらの星の上に上り、それらに説教をして、そしてそれらの3分の2をだましました。分かりますか?大丈夫ですね。注意してください、それは彼の野心です。彼は今、彼自分の知識によって注意深く選ばれ、教育された花嫁を用いて(ほらね?)、全世界をだまして神になる(それは彼がすでに行った事です)用意ができました。彼の惑わしでできた大きな建物や宗派を飾り立て、飾り立てられた知識や神学、利口で、聡明な、そして教育された者。このすべては、反キリストという人物に集中しています。彼は、世俗を愛し科学的な花嫁によって、すでに神の代理人にとしてつかせられ、すべてが華やかな知性や神学教育に飾られました。また、彼女は悪魔と同じように敬虔で、悪魔はイブにしたように、また、悪魔の子カインもしたように、神の御言葉に対して独自の解釈をして、彼女を惑わしました。
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あなたは「悪魔の子ですか?」と訊きましたね。聖書の中でカインがアダムの子と呼ばれる所があれば、私に見せてください。逆に聖書によれば、カインは悪しき者から出ました[7]。彼はサーパントの子孫でした。みなさん、今真実を隠していたふたは開けられました。啓示が示しているようにピラミッドは開かれました。
彼が行う事や彼の考えに注意してください。 彼は神が世俗的な美の中に住んでいると思いました。 彼は天でそれを実行しました。罪はエデンの園で始まったわけではありません。それは、天で始まりました。黎明の子ルシファー(Lucifer悪魔) が美を求め、ミカエル (Michael) よりももっと美しい王国を欲した時に、天で始まりました。彼は神が美の中に住んでいると思ったのです。
カインの事に注意してください。 彼は血を伴ういけにえを奉げることはやりたくありませんでした。そこで、彼の祭壇の上に果物あるいは田畑の美しい物を供え物としました。非常に敬虔でした、彼はちょうどアベルのようにすべての事を行いました。彼は犠牲を奉げ、神の前に跪いて礼拝し、あらゆる点で従順であり、しかし御言葉の啓示を持っていませんでした。御言葉は最初から、神のご計画でした。神は、それが正しいということを証明なさったことを啓示によって明らかにされました。それは、単に宗教、祭壇、教会に属すること、犠牲を奉げること、誠実であることによるものではなく、神の御言葉からの啓示によるのです。神は彼に、彼の母親がヘビからリンゴをもらったことではなく、彼女が獣の形をとった悪魔と性的関係を持ったことを明かしました。その獣は、は虫類の動物ではなく、野原の生き物のうちで、最も賢くて最も狡猾の生き物でした[8]。それは人間のかたちをし、その種だけが人間のそれと結びつけられるのです。今、科学は彼を見いだそうとしています。しかし、科学者たちは決して彼を見つけられないでしょう、なぜなら、彼の体にあるすべての骨が変えられたからです。 聖書によればまさにその通りなのです[9]。
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今、この者がする事に気をつけてください。彼は自ら神の宮なる教会に座して、自分は神だと示すでしょう。もし読みたいのであれば、テサロニケ人への第二の手紙2章3~4節とヨハネの黙示録13章4、11と12節をご覧下さい。そこでヨハネとパウロという2人の預言者は、彼が最後の日にどうなるかについて語っています。さて…ここにメモしましたがので、みなさんは後でそれを読んでください、時間を節約したいので。
聖書の中で、我々が生きている日は「人間の日々」、人の日と呼ばれています。これは神の日ではありません。神はこの地球の神ではありません。聖書によれば、そうではありません。彼は天の神です。 けれどもこれは神の日ではありません。 これは選択の日です。今日のために生きて死ぬか、それとも神を選んで生きなさい。神は御言葉です。また御言葉というのは、現在とこの日のために明らかにされた御言葉です。
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注意してください、人間の日々。もし書き留めたいのであれば読みます、コリント人への第一の手紙4章1~5節にあります、コリント人への第一の手紙4章1~5節、すみません、コリント人への第一の手紙4章1~5節です。そこでパウロは、人間の日々において人間に裁かれることを語っています。
その日…「なぜそれを人の日と呼んでいるのですか?」とあなたがたは言うでしょう。それは人間の知識による業績が称賛される日です。共産主義者たちのすべての自慢を見てください。誰かが月に人間を行かせようとしています。 神は天国に人間を連れて行こうとしています。ほらね?彼らは無駄な仕事に何百万、何十億、何兆ドルまでも費やしています。彼らがそこに達する時、何も見いださないでしょう。彼らはどうしたのでしょう?私は別に月に行きたいとは思いません。私はもはや月が見えないぐらいにあっという間に月を通り越し、もっと高く昇りたいのです。銀河系を通り越し、上に昇り続け、昇り続けたいのです。そうなのです。
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今日の世界は悪魔に植え付けられた知識に、自分たちを捧げています。人の日は、神の御言葉によるものではなく、人間が蓄積した知識によって称賛されています。それを考えて、心に刻んで下さい。このテープを再び再生する時は、ここでしばらく停止してよく考えてください。人間の業績は神の御言葉と明らかにされた業績よりも高く掲げられています。それは始めに悪魔がエバに与えた知恵… ここを聞きのがさないように注意してください。人の中で、悪魔の知識のほうが、今日のために証された神の御言葉よりも高く持ち上げられて崇められています。教会は、その神学校や様々な学校の授業などを通して、彼らが思うに、そこで神の御言葉よりもっと学ぶことあるのを証明しています。また、某博士や某教師や某教授などは、彼らの前で明らかにされた神の約束より、自分の知識―いわゆる悪魔からの真理を高く持ち上げて称賛しています。人々はなんとそれを受け入れてしまったのです。
彼の科学的業績は神の御言葉が間違っていることを示そうとしています…ちょっと考えてください。彼の神学は、人々に神の御言葉を説明し、イエスが地球に現れた教会宗派時代にしたように御言葉を無効にしています。イエスは言われました。「偽善者たちよ、こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって(それは彼らの自分の解釈です)、神のことばを空文にしています。」[10]。 彼らは今日も同じ事をしています。御言葉は彼らに対して全く効果がありません。
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注意してください。人々は、神と呼ばれるもののすべての上に彼を位置付けました。テサロニケ人第二の手紙で、人々がそれをするだろうと言いませんでしたか?またある宗派の教会の権威では、人々は神よりも宗派のことを信じています。神は御言葉です。彼らは言葉より宗派の教義を信じるでしょう。こうして、すべて神と呼ばれるものの上に彼を位置付けるのです。神はただ1人しか存在しません。その神は御言葉です。すべて神と呼ばれるもの… 彼はまるで神のように、神の教会に座して、自分が神だと宣言しています。なぜなら彼は自分を礼拝してくれる人々を得たからです。神は御言葉です。彼は、すべて神と呼ばれるものの上に自分を持ち上げました。神はただ1人しか存在しません。あの神は御言葉です。分かりましたか?すべて神と呼ばれるものは…この時代の神は、証明された本当の神の御言葉(それはヨハネの第一の手紙を御覧なさい)-や、すべて神と呼ばれるものの上に自分を置き、権威をもって神の宮に座しています(ほら!)。また彼はそのために称賛されます。ああ!神よ、人々がその惑わしに気がつきますように。邪悪な時代の人々はそのために彼を称賛し、彼を真剣に信じています。 さて、この邪悪な時代の神とそのしもべについてお分かりになりましたか?
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それが成就されることに用心しましょう。彼は、無に帰することがない神の御言葉ではなく、自分の知識によって、人々が住むべきより良い世界を造っていると言います。彼は、宗派・信条・知性・科学等を合わせて、人々が住むべきより良い世界を作り、そして住むのに適した唯一の時が至福千年[11]であるという神の約束を無視しています。あなたがたの知っているように、私の意見からすると、彼は住むというより、罪を犯すのにより良い世界を造ったと言えるでしょう。
注意してください。彼がそれをしたのですか?彼は罪を合法化しました。飲酒・喫煙を合法化しました。それから、教会も、女性たちが髪を短く切っても、[12]教会に属することを合法化してしまいました。 今、このことについてちょっと話したいと思います。
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女性たちが、ショートパンツを着て化粧しても、教会に属することができます。この事は神の御言葉にまったく反します[13]。しかし、彼は大丈夫と言います。 彼の知識が分かりますね? 「それは女性とどんな関係があるのですか」。それは食べてはいけない禁断の実もしくは禁断でない実を食べることと同様です。そういうことです。神はそれをすることを禁じましたが、彼はそれをしました。
女性は彼を信じています。また、それゆえ彼を愛しています。 彼女は神がひどく嫌いです。 彼女自身の行いがこの事実を証明しています。彼女は神を愛していると言いますが、実際に彼女が愛しているのは悪魔です。流行やこの世界の神やハリウッド(Hollywood) の女神などを崇拝します。悪魔を愛し、神の本当の御言葉をひどく嫌うが、しかしそれは唯一の真実の神です。悪魔が罪を合法化して言った、「それは教会に害がないわ。私たち女性はこれをすることができる、あれをすることができる。」。しかし、彼女が悔い改めないのであれば、生ける神の御前に来ることも許されません。
わかりますね、悪魔は世俗的な美の神です。そうです。 彼女はきれいに見えるようになりたいのです。そして、悪魔は初めから美の神なのです。科学や物質的な知識によって、この彼の邪悪な現代のために美を造ることができるのです。美を造ったのです。
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注意してください。注意に値することです。始めにセツ (Seth) と彼の子供たちは全く科学の道に走りませんでした[14]。 今からしばらく科学についてお話をするつもりです。これを言う理由は、私の無知を弁明することではなく、しかしながら神様の御言葉を否定する者は皆無知な人です。確かに、それは重要なことです。注意してください。セツの子供たちは決して科学の道に走りませんでした。彼らは謙虚な牧夫や農民などでした。しかしカインの子どもたちは科学の道に走りました。なぜですか?彼らの父である悪魔から霊感を得たからです。 カインは彼の父、悪魔から霊感を得て、霊感を得たものは皆その種子から伝わってきた者です。
神の種子が時代の流れの中で歩んできた有様や、今日の動きに注意してください。本物のキリスト教徒は皆、科学的な研究などに従事していません。いいえ、もう少ししたらそれについてお話をしましょう。しかし、カインは彼の父なる悪魔の天性を受けて、世俗的な知識・美・科学等に満ちていました。カインの子供たちは科学的であり、教養のある人たちでした。彼らは、楽器の演奏者(現在のエルビス・プレスリー (ElvisPresley) のようなものです。教育委員会が毎週土曜日の夜、ここの小道でやらせているような事です)・都市建築家・個人の性的欲求のために自分を美化する女性たちでした[15]。たとえば、悪魔は女性たちに化粧品を与え、彼女らにその髪をショートヘアにさせたりショートパンツを着させたりしました。彼女らは… 悪魔自身の猥褻な欲望のためです。断然そうです。他になんと言ってよいかわかりません。
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さて、悪魔の福音が科学と進歩の福音であることが分かります。エデンの園にそれを説いた者は神ではなく、彼でした。 科学と進歩は悪魔の福音です。 彼が今日その福音でどこに我々を導いてきたのかを見てごらんなさい。分かりますね。
彼がエデンの園でそれを説いた相手は誰でしょう?アダムの花嫁に説いて、そして彼女はそれを受け入れました。 彼は神の御言葉の一つに疑いをかけることによって、彼女をだましました。 彼が言っただろう事を仮定して見ましょう。彼は「この神聖な教会で死ぬなんて、科学的ではないよ」あるいは、「君は学校に行き教育を受けるでしょう、死のような不合理な事を信じるな。神様の御言葉がそう言われたかどうかなんてかまわないよ。不合理だよ。」と言ったかもしれません。
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さあ、今日の彼を見てください。「神は恵みふかいよ。君は神の神聖な教会に属しているよ。もちろん、君は死ぬことなんてできないよ。」けれども神はあなたが死ぬと言いました。それで話は解決です。今日の彼が分かりましたか?「さあ、ただ教会に属しなさいね。君はこれを、あれを、なにをしてもかまわない、ただ教会に来て、そして良き会員になってね。髪を切ってはいけない?そんなのナンセンスだよ。ショートパンツを着たり、化粧をしたり、ダンスをしに行ったり、時々ビールを飲んだりしてもいいよ。ただ飲みすぎなければね。正直に言うと、君の子供たちもそれが好きかどうかわかるために、お酒を飲んでみてほしいよ」。これが彼です。この時代、邪悪な時代の神ですね。
「神は恵みふかいよ」これはうんざりするほど聞いています。神は同時に正義の神です。神は、やさしくてもうろくで、人に振り回されることができ、そして孫は何の罪もないと思っているお爺さんではありません。彼は正義で聖なる神です。彼はエデンの園でその最初の子供たちを通して、それを証明しました。 神の御言葉の境界を越えてしまうと死んでしまいます。今日も同じです。
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そして注意してください。悪魔はエバに、科学的で社会的な上に教養もあり進歩的な福音を説き、アダムの花嫁はそれを信じました。 そして彼は同じ論拠で、いわゆるキリストの花嫁という第二のアダム[16]の教会をうまく信じさせました。まったくその通りです。
「おやまあ、それは神の事ではないよ。 神は恵みふかいので、そんな事はしないよ。ただ教会に行ってね。信じるなら…」。悪魔は信じるふりをせずに実際に信じています。しかし彼は救われません。「信じるなら…」。
彼は第一のアダムの花嫁に言ったように、第二のアダムの花嫁にも同じようなことを言っています、「祈祷による癒しなんてないよ。それは証明できる。証明された例はこれまで一つもないよ。そしてイエスの名による洗礼については、私が教会の権威であることをしらないの?」また、「我々はローマ帝国のニカイア[17]で洗礼の問題を解決済みだよ」とも言っています。そして、そのとき、三つの汚れた霊が龍の口から、にせ預言者の口から出てきました[18]。「我々は三位一体の神を信じます」。お願いですから、それはもう極端な異教徒です。このようなものとともに神の御前に来て、そして神の御前で立てられるのだと思わないでください。
「まあ、父と子と聖霊の題目によって洗礼を受けてもかまわないよ。どこが違うの?」
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それはまったくの大違いです。パウロでさえ一群れのバプテストたちに、彼らが聖霊を受ける前にもう一度イエス・キリストの名によって洗礼を受けるように命じました[19]。またそのために、あの使徒は「天からの御使が、福音に反することを宣べ伝えるなら、その御使は呪われるべきです」[20]と大声で言いました。もちろん、それは違います。何ということでしょうか!
「最近は聖霊による洗礼なんてないよ。それは使徒たちだけに授けられた事だもの。それは昔の事だ。預言者のようなもの?聞いたこともないよ。奇跡?そんなの非科学的なものだよ。マラキ書4章?他の時代のための預言だよ。ヨハネによる福音14章12節?イエスは実際にはそんな事を指して言われなかったよ。ルカによる福音17章12節? まあ、 それはただの作り話だよ。(ほらね?)それは誤解だ。 原書には書かれていないよ」。こんなたわごと!全能の神が我々に降りていらして、証明されています!神は、イエス・キリストが昨日も今日もいつまでも変ることがないと言われ、それが正しいことを証明されました。私はだれがそれを疑おうと平気です。神は御自身の御言葉を解釈されます。神は最後の日にこの事を行うと言われました。「夕暮れ時に、光がある。」[21]。それで神の子が現れるための光があります。
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東に昇る太陽は西に沈む太陽と同じです。預言者は「これはただ一つの日であって、昼も夜もない。」[22]と言いました。それは陰うつな日です。雲は太陽を遮りました。また「夕暮れ時に、光がある。」と言いました。彼は、同じ神の子であり、アルファとオメガです。東に立ち上がった子は、最後の日、ちょうど昼間の終わりが来る前に、再び西から立ち上がると預言されています。人々がどういうふうにそれを解釈するかわかりませんが、神が御自身の御言葉を解釈されます。彼はそれを証明します。夕暮になりました。
残念ながら、確かに彼女はまただまされました。キリストの花嫁はだまされ、神の純粋な、証明された御言葉を信じる代わりに、何人かの神学校説教師の知的な知識を受け入れました。
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さて全国の聖職者たちよ、あなたたちはこのことに賛成しないかもしれませんが、私はあなたたちの感情を害するつもりはありません。 ただ、…私は自分の聴衆たちに話をしているだけです。ほら、ほらね?私はただ…もちろんあなたたちがここに入って、聞いてくれたら嬉しいです。そして、耳を貸してくださいね。私は、彼らが見た事は正しいと神が証明していることを、彼らに示したいのです。ほらね、その時が来ました。神はそれを解釈する人間を必要としません。あなたたちの世俗的な知識は何ら関係がありません。文学士(B.A)や神学博士(D.D)や人文学修士(A.D)などの称号をお持ちかもしれませんが、何の意味もないのです。神は自ら自分の御言葉を明らかにされます。彼はそれを約束され、そしてそれがこれです。
しかし、神学校の知識や宗派の説教によって、全世界はその異教徒からローマ教皇となった致命的な傷を癒した獣に驚き従いました[23]。彼女がどうなったかわかりますか? 彼女はそれを信じました。 悪魔が彼女に与えた知識を信じたのです。
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注意しなさい!双方の婚約中の花嫁は、神の御言葉に反して悪魔の知識を信じたのです。 アダムの花嫁も神の御言葉に反して悪魔の知識を信じ、そして、キリストの花嫁も神の御言葉に反して、この知的な邪悪な時代における悪魔の知識を信じてしまいました。実のエバがそれを信じた結果、人類全体を死に陥れてしまったことに気づいてください[24]。実在(natural)の花嫁です。アダムという実在な(natural)地球に属する人の花嫁です。その花嫁が妻となる前に、彼女は人類をすべて死に陥れてしまいました。それが科学的であろうとなかろうと、我々は皆死んでしまいます。なぜなら神は我々が死ぬであろうと言われたからです[25]。あなたたちは神聖なエデンや神聖な教会や神聖な宗派やいかなるものに属していても、神の御言葉があなたたちに立証され、証明される時に、それを一つでも真理ではないと疑うなら、まさしくその日に死ぬでしょう。それはあなたたちが神から離れてしまう日です。神の御言葉全部ではなく、たった一つの単語を疑うだけでもそうです。 一つの言葉を加えたり除いたりする者は、正しくその日に死ぬでしょう[26]。
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注意してください。アダムの花嫁は彼女の種である人類に自然の死を起こし、また第二のアダム、キリストの婚約した花嫁も、全ての教会を宗派の死に陥れてしまい、科学、知性、大宗派によって獣の刻印を押されてしまいました[27]。「我々はバプテスト派だ」、「我々は長老派教会」、「我々はペンテコステ派だよ」などなど。「我々はこれを得て、さらに多くの財産を所有しているよ。政府に重視され、世界のあちこちにいるよ」などといいます。「そして一番良いの…市長などなどは我々の教会に来るよ。大統領も我々と一緒にミサを奉げるために来るよ。私たちはこれがある、あれがある。」。全世界の全ての教会は霊的な、宗派的な死に至ってしまいました。教会は死んでしまったのです。
あなたたちは「あなたが責めることが多すぎるよ。」と言うかもしれません。
イエスは言われました。「人の子の現れるのも、ちょうど8名だけが救われたノアの時代や、3名だけがソドムから導き出されたロトの時代のようであろう。その日には…」。すでに外にいる集団があったことを忘れないでください。人の子が現れる時にも同様な事が起るでしょう。我々が生きている時代を見定めてください。
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現在、彼女 [悪魔の花嫁 ― 編集者注] は教会の名のもと、悪魔に与えられた教育プログラムである科学を主体とする指導を全世界に受け入れさせました。教育的科学的な内容の指導です。私はみなさんにこの世の神の事を描写しています。エバのように、彼女はその手に神の満ち満ちた御言葉を持っていた…神の御言葉を受け入れることができたはずだが、彼女はそれに対してなにをしたのですか?聖霊による洗礼を待つ代わりに、彼女は科学に聖霊が弟子たちだけのものであると証明してもらいました。彼女は本来、死人をよみがえらせて素晴らしい奇跡を行うはずだったのですが、神様の癒しを続けさせる代わりに、彼女は、悪魔が指導した信仰深い人たちに、神の御言葉をもって、それが他の時代のためのものであると言うようにさせました。そして彼女はそれを信じてしまいました。
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けれども聖書によればあなたたちは私のわざを行うのであろう[28]とあり、また、イエスは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と言われました。我々は今もなお創られたものです。「信じる者には、このようなしるしが伴う」[29]。 彼女はこの事をすべて拒絶しています。
彼女はあらゆる超自然のものを拒絶し、悪魔の聖書に対する理論的概念と取り替えました。そこで牧師、いわゆる神父や司教、大司教、地方長老、総監督などが聖書に自分の解釈を加えました。そして神は、彼らが真夜中の12時のようにそこで死なせてしまいました。最後の日に残された事は、音楽と一緒に息切れするほど叫び、床を行ったり来たり、異言を語り、大声で叫び、信心深い様子をしながら御言葉を否定するペンテコステ派の仲間です。彼らにイエス・キリストの名によって洗礼を受けなさいと言って見れば、彼らは面と向かってあなたを嘲るでしょう。しかしそれは…神はそれでもまったく同じことをなさり、御自分の御言葉がいつまでも同じであることを証明され続けています。
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注意してください。悪魔がエバに取って食べさせたのは善悪を知る木でしたね[30]。 それは混合した木でした。さて、我々が生きている時代を見てください。悪魔は花嫁を選び出している時に、善をしていると主張しながら神の御言葉を否定する邪悪な教会を得ました。混合した木ですね。「彼らの社会は素晴らしいね。いろいろ手伝いをしてくれているね。赤十字社も彼らの事を支持しているし。またすべての学校もね、彼らは…」。見てください。それはどんなに知的で良い事であっても、たった一つの単語を否定すれば死んでしまうのです。イエスは「ほんの少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませる」と言われました[31]。ほんの少しのパン種があれば、それだけでパン全体が駄目になります。 神の御言葉の一つが違っただけでも、全体は台無しになるでしょう。私の腕が足のある所にあればどうですか?耳が手の場所にあればどうなるでしょう?ほんの少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませます。
「それが正しいとどうして分かるの?」と聞くかもしれませんね。神がそれを正しいと証明されます。彼がそれを立証されます。 彼は御言葉の中でそれを話され、そして次にそれを証明します。それが正しいかどうか分かる方法です。ただ一つだけでも神の御言葉を違えると、死んでしまいます。それは、人類全体に身体の死をもたらしたように、この邪悪な時代に霊的な死という結果をもたらします。
61
悪魔がいかにノアのいた科学的な時代の人々に彼ら自身の知識に頼らせたかに注意しなさい。箴言によれば、「自分の悟りにたよるな。」[32]。 また、「すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。」[33]。しかし悪魔は、初めからエデンの園で自分の知識を使って人々に彼らの知識に頼らせました。そして彼は、昔から持っていた素晴らしいマックス・ファクター (MaxFactor) を通して女性たちを美しく飾りたてました。その結果、人の子たち、というよりは神の子たちは罪を犯し、その女性たちと結婚してしまいました[34]。そのとおりです。彼は…女性たちは非常に美しく、非常にきれいでした。
さて、それでは今日の街の普通の女性たちを取り上げましょう。たいていの人がこの話を知っているでしょう。聞いたことがない人もいるかもしれません、なぜならこれは私が生まれる前の事であるからです。パール・オブライエン(PearlO'Brien)を知っている人はいますか? もちろんです、彼女は世界で最も美しい女性だといわれました。今日の学校に通う女の子たちは皆、パール・オブライエンより2倍きれいです。それはなぜか?女性たちの美しさは最後の日に起きるはずです。彼女らはその髪を切り、小さな女の子のようなスカートを着て、ショートパンツやビキニ、あなたたちがそれを何と呼ぼうと、などをつけています。彼女らは別人になるように、顔を塗ったり、口紅をつけたり、そしてすべてのこの類のものをつけていますね。科学知識によって彼女たちはこのことを成し遂げることができました。アメリカの女性は、化粧品代に食費の2倍や3倍以上かけていることをご存知ですか?化粧品に関しては証明されていますね。全くそのとおりですね。
62
神の子たちは、人の娘たち、神の娘たちではなく人の娘たちの美しいのを見て、それに惑わされ、そしてこのような女性を妻に娶ってしまいました。その結果、ソドム時代にあったように、また、今日とまったく同じように、売春の時代を引き起こしました。そして今日そうであると預言されたように、この日の男女は簡単に妻を交換します。彼らが妻を気に入らないなら、ネバダ州のリーノー(Reno)[35]に行って、もう一回結婚し、たった15分間でその妻と離婚し、別の女性と結婚します。女性たちはあまりにもきれいなので彼らはほとんど誘惑に打ち勝てないですね。それが何なのでしょう? 悪魔ですね。悪魔がいまだに美しさの中に潜んでいるのがわかります。
注意してください!注意してください!その罪により決して彼らは許されませんでした[36]。神が地のおもてから拭い去った非常に邪悪な時代は、まさにその科学的で美しい時代でした[37]。その科学的で美しい時代なのです。イエスはちょうど人の子が来られる前に、同様な事が起きるであろうと言われました[38]。その通りですね。
注意してください。イエスは言われました、「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。」。人々は娶ろうとしていた時…神の子たちは人のきれいな娘たちと結婚しましたが、神は決してそれを許しはしませんでした。
63
バラムの教えと同じように、色っぽい目に口紅やおしろいや香水などをつけた、きれいで理知的で科学的なモアブの女性たちが、神の子たちを誘惑して、その妻たちに嫌気を持たせました[39]。彼らの妻たちは化粧もしないで、その手にタコを作ってまで一生懸命働いていました。それで、「私たちは同じ人間じゃない。だから結婚しましょうよ」と、誘惑しました。それはうそでした。それは神の子たちに人間の娘たちと結婚させようと悪魔がなした嘘、そして仕業でした。それは、にせ預言者バラムがモーセに対抗して種を混ぜ合わせるために悪魔がついた嘘でした。そして言いました。「まあ、我々は同じ神を信じているし、同じ献金を捧げていて、同じ犠牲を捧げているね。やりかたもすべて似たものだ。」それはできることであれば選民をも惑わすほど類似したものです。分かりましたか。民よ、彼女 [悪魔の花嫁 ― 編集者注] から離れなさい。あなたたちは彼女とは何の関係もありません。
64
神が御自分の御言葉をカインの邪悪な末裔に解釈しそうにないことに注意してください。神は彼らにその御言葉を説明しないでしょう。注意してください…(テープに空白あり―編者注)神は世界をこのようにきれいで、科学的、そして罪深くなるようにお造りになって、そしてさらにそれを破壊なさらなければならないのでしょうか?神は世界をそれほどきれいにするのでしょうか?見てください、神は御自分の娘をとてもきれいにお造りになって、挑発的な服を着させて、そしてそのせいで御自分の息子たちは彼女たちに情欲をいだいて姦淫を行うのでしょうか。なに?神はそのようなことをするでしょうか?この裸で服を着ないラオデキヤの人々、その倫理や教育、賢明さや美しさを通してこの世の神を礼拝している者…「この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。」と聖書に書かれています[40]。ある日、神は空から1粒が百ポンドもある巨大なあられを雨のように降らせ、神の御言葉や律法が言うとおり、石でもって彼女を滅ぼされます。もし神がそのようなことをして、そのような人々に彼の御言葉を明らかにするのであれば、彼はご自分の目的を駄目にしてしまうでしょう。神は愚か者ではありません。 彼はあらゆる知恵の源です。ということであれば、その話がどこから出たかわかりますね?それは悪魔から来て、相変わらず悪魔に属するものです。教会はそれを信じてしまいました。
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女性たちよ、私はできるだけあなたたちに神の御言葉を説明しようとしています。聖書によれば、髪を切る女性は、そのかしらなる夫をはずかしめる者です。その夫は神と共に女性のかしらです。そういうわけで彼女は神とその夫とをはずかしめます[41]。
さて、これは誰がこの世の教会組織の頭であるか示しています。それは誰が頭であるか示しますね。 その頭は、理知的、莫大な知識を持つ超人の姿をした悪魔です。彼はほかのすべての人よりも多くのことを知っています。御言葉が何と言おうとも、彼はそれに自分の説明を加えます。この邪悪な時代のための解釈ですね。
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彼はキリスト教を統合するという名目のもとに、全世界が獣である彼を礼拝するように、究極の宗派教会、世界教会協議会 (WorldCouncil of Churches) を作ることを考えています。聖書でどこに書いてあるか読みたいですか? 黙示録13章6~8節です。それは現代のバベルの塔[42]です。
どのようにニムロデ、あの偽善者がこの大きい塔を建てて、そしてすべての他の小さい町に貢ぎ物を納めさせたか覚えていますか[43]? バッベル(Babble)とバベル(Babel)とは同じものです。 それは時がたつにつれてただ名前が変わっただけです。今のローマはバビロンです[44]。全世界は世界教会協議会によってバビロンの中に連れられて、バビロンにひれ伏させられるのです。あなたは自分が何をやっているのかをも知らずに獣の刻印を受けてしまいました、なぜなら…[45]。しかし、選民たちは御言葉を聞き、そこから離れ去るでしょう。
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宗派は神の御言葉とまるで反対です。神は宗派を持ったり、ある宗派に介入したり、宗派に関係したことがありません。歴史家のどなたかに、預言者が宗派から出て来たことがあれば、私に証明してほしいです。教会が組織化してから、神に祝福された教会があれば私に証明してください。このような宗派は棚上げされて、そのリーダーによってもたらした悪魔からの知恵とともに死んでしまい、キリストの完璧な身体まで成長した神の御言葉を拒絶しました。今、それは頭まで来ました。なんと正反対のものでしょう。夕暮の光の子らよ、あの不信心なエバから離れ去りなさい。
サタン、この時代の神は、その知識によって善悪を混合した木の実を人々に食べさせています。注意してください。サタンはその知識によってこの邪悪な時代の人々に彼の善悪を知る木の実を食べさせています。彼はその善悪の知識によってより素晴らしいキリスト教文明を造っていると言います。より素晴らしいキリスト教文明をですね。しかしキリストの一群れの清らかな御言葉である花嫁はサタンの知識を求めません。彼女はサタンから遠ざかています。それは何でしょうか?
さて、彼女についてちょっと話をしましょう。彼女は彼女の主を待っています、御言葉の花婿との至福千年の新婚旅行を待っています。そうです。なぜなら彼女は御言葉の花嫁だからです。
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知識や文明と本当のキリスト教には共通するところが何もありません。文明と本当のキリスト教には共通なところが何もないのです。 文明は知識から出たものです。 皆さんもそのことを知っています。そして知識はエデンから始まり、サタンがあそこで説教した事によって証明されました。知識は死を起こします。そのとおりですね。エデンの園で死を起こしたものは何ですか?知識です。 それは神のものであるはずがなく、悪魔のものです。なんということでしょう! 知識・科学・教育は神が今までに直面している最大の障害です。それは悪魔のものです。こう言うといくつかの手紙をいただくことを知っています。それを待っています。
文化が今我々をどんな状態に巻き込んでいるかごらんなさい。分かりますか。文化が何を起こしたかごらんなさい。 我々はどこにいるのですか?私たちの知識を使い、私たちの科学を用いるため、私たちはこれらのことに依存しなければならなくなっています。「神はどうなっているか。彼が無知であると思うの?」と言われますね。まあ、そんなことありません。神が地球の支配権を得たとき、神ご自身の文明を設立するでしょう。これは悪魔の世界です。彼は今その世俗的で科学的な知識の神です。 しかし、神は御自分自身の文明を設立するのです。それはこのような文明ではありません。これを覚えておいてください。それは今日のような文明ではないのです。違います。それは神の御言葉と目的とに従うものです。なぜならこの現在の邪悪な時代の神とその王国は共に破壊されるでしょう。
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知識を愛するこのモダン時代は、悪魔という神の御言葉もっとも優れた先導者を持っています。彼は昔エデンの園でしたように、神の御言葉を捻じ曲げる者です。宗教的な人は自分自身の知識に頼っています。箴言3章5節によれば、「自分の悟りにたよるな。」彼らは人間ですから神を持たなければなりません。ですから悪魔は彼らの願う通り神を作ってあげました。人間であれば、いつまでも人間です。ここにきて、インディアン偶像やら太陽やらでさえ拝んでいる所を見ました。一人の人間として、彼らは神を持たなければなりません。つまり、この偉大な知識時代は神を持たなければなりません。それは知識や宗派や科学といった神です。だからこの世界の神は知識や宗派や科学になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者なのです。
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彼らの神は、彼らに彼らの欲するものを与えます。彼らが肉欲におぼれます。そしてそれが悪魔が彼らに与えるものです。「彼女らがビキニを着たいなら着せてあげようよ。(ほらね?)やりたいことがあればそれを許してね。悪いことは何もないよ。彼女らは教会に行っているし、その母親はメソジスト教徒・バプテスト・ペンテコステ派・長老派教会等だよ。(ほらね?)彼女たちがやりたいようにやらせなさい。」。それはこの時代の神です。利口で、賢く、科学的であり、信仰を必要としません。何も証明しなくてよいのです。彼らの知識によってすでに証明されているからです。「ほら!我々の教会は町で一番大きいよ」。彼らの知識…「我々の牧師は神学博士号や哲学博士号を持ってるよ。」 分かりますか。 信仰を必要とせず、知識に頼っています。 彼らはその宗派と信条によって悪魔を礼拝する限り、どんな生活を送ってもかまいません。これは大変みっともないことです。しかし見てください、神の御言葉をあざ笑い、御言葉に反することを言い、彼らの知識によって御言葉が正しくないことを科学的に証明しようとします。おお、我々が生きている時代は何ということでしょう。 この時代の神が見えますか?
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注意してください。しかし神は、これら近代のエモリ人の悪が満ちるまで[46]、待っています。 心配しないでください。神はその時、彼のモーセを用意するのでしょう。いつか約束の地(Promised Land) への出エジプトがあるでしょう。一人のモーセが人々を呼び出し、子供たちの信仰をその父に向けさせる[47]ように現れるでしょう。それはいつか起きるでしょう。「まあ、我々が進歩しているのを見て下さい」と言われるかもしれません。もちろん、エモリ人の悪がまだ満ちていません。いつかそれは起きるでしょう。彼らに彼ら自身を破壊させましょう。
文明や知識は神の御言葉を曲解させ、自分たちの好みに合うよう
にしています。 すべての宗派が同様のことをします。悪魔は自分の教会で彼自身の知識の福音を説教します。
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新約聖書によれば、ただ二種類の人々が存在するということです。神の子と悪魔の子です。そのことをご存知ですか?それを書き留めたいですか?その聖書の言葉を書き留めたいならば、それはヨハネの第一の手紙3章10節にあります。私はちょうどここで読みましたので、書いておきました。はい。大丈夫です。
エペソ人への手紙2章2節によれば、彼らは不従順の子と呼ばれ、エバがそうであったように、神の御言葉に従いません。 従順の子と不従順の子には共通なところが何もありません。それにしても、1人は不従順であり、もう1人は従順であるのに、1人は御言葉であって、もう1人は曲解された御言葉であるのに、どうしてキリストの花嫁は宗派と連合することができるのでしょう?どうして売春婦は正常な女性と心を一つにし、一緒に歩けるのでしょうか?彼女らはできないはずです。 彼女らは交流することができません。その中から出なさい。それは悪魔のものです。それは獣の刻印です[48]。 すべての宗派はちょうど今それを受けるところです。どの宗派であろうと関係ありません。神は宗派ではなく、自分の御名のために一群れの民を選び出されています[49]。宗派はこれらの真理を受け入れないでしょう。 神様は一群れの個人をお召しになり、彼らは神を見たり、その御言葉を理解し信じ、組織に属せず、彼らは神のために生きているのです。ある司教が自分の知識や知恵を使って管理している組織のためではなく、そして彼が教えたことのためでもありません。そうです。
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不従順の子と従順の子には共通なところが何もありません。1人は日の光の者で、もう1人は夜そして闇、邪悪な時代、この暗黒な邪悪な時代の者です。ナイトクラブへ行き、ダンスをし、それなのに教会に属しています。彼らの神にとってこれらのことは全然大丈夫なのです。彼らはそのことで気が咎めることもなく、罪悪感を感じることもありません。「もちろんよ、髪を切って気が咎めることなんてないわ」とある女性は言いました。「私の良心を傷つけないでよ」。彼女はヘビに腰がないと同じく良心を持っていません。そうです。 確かに持っていません。 彼女は良心がどんなものであるか知りません。 良心とはどんなものであるかわからないまでに、彼女の良心はひどく硬く焼けてしまったのです。そうです。間違いありません。
神の御言葉から回り道をし、「あら!それは時代遅れよ。あそこに行っちゃだめ。とにかく、ただ煩くてばかげた事よ」と言っています。彼らは、ホッテントット族(Hottentots) がエジプトの騎士について知らないように、神について何も知りません。そうです。本当です。見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。まさにこのような人たちが、人の家にもぐりこみ、そして、愚かな女性どもをとりこにしています[50]。「おやおや!君はこれをするべきだよ。 君の時代遅れの牧師がね、・・・。ビキニ(もしくはこのように呼ばれているもの)が似合ってかわいいよ」。「君はいろいろするなら…あら!タバコを少し吸っても誰をも害しないのだよ。私は教会に属しているし、そこは他のところと同じようにすごく尊敬されているってご存知よね」。あの化粧したうそつきを信じないでください。彼女はあなたにうそをついています。そうです。そうですとも。
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彼らの神にとって、問題は無いのです。 素晴らしいとすら思っているでしょう。 そのために彼らは彼を愛しています。 まあ!彼らはあなたと論じ合うでしょう。彼らは立ち上がり、そのことについてあなたに向かって騒ぎ立てるでしょう。悪魔は御言葉なるイエス・キリストの前で立ち上がり、そして「聖書にはこう書かれている」と言おうとしました[51]。彼は証明された神の御言葉です。「サタンよ、退け」と言われました。そして立ち去られ、御自分がされようとすることをなされ続けました。
以前、ある人が私に「さて、聖霊の洗礼が正しいと信じ、またそれを受けたと信じるなら、僕の目を見えなくしてください」と言いました。彼は説教師であって、「僕の目を見えなくしてください。パウロはある人を盲目にした[52]からです。」と言ったのです。
私は「あなたがすでに盲目であるのに、あなたの目を見えなくすることができるでしょうか。あなたがすでに死んでいるのに、あなたを殺すことができるでしょうか」と言いました。
彼は「僕の目は20―20だよ」というので、私は「それはあなたの肉体です。しかし、それでもあなたは盲目です」と言いました。
「それはありえない!聖書はこれらのことを解釈しないものだ。 我々は、聖書が語るものはその通りに話をし、聖書にないものは何も語らない。」。
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私は話しました。「いいですよ。エリシャがドタン(Dothan)にいた時、スリア軍は町を囲んでいた。そしてエリシャの召使いが駆け寄ってきて『ああ、わが父よ、ああ、わが父よ、スリア軍が我々を囲んでしまいました』と報告した。エリシャは目をこすって目を覚まし、『我々と共にいる者は彼らと共にいる者よりも多い』と教えた。召使いが『誰もいません』と言うので、エリシャが『主よ、どうぞ、彼の目を開いて見せてあげてください』と祈ると、召使はつい先まで盲目であったが、年老いた預言者の周りを見渡すと、彼が見たものは、天使と火の馬と火の戦車が山の上に満ちている有様だった。エリシャは外に出て、聖書によれば彼はスリア人の目を打って盲目にした。何に対して見えなくしたのか?エリシャに対してです。彼は歩き出て尋ねた。『エリシャを探しているの?』。『ええ、彼を探しているよ』。『じゃあ僕についてきなさい。彼の所へ連れて行こう』と言って、エリシャは彼らをエリシャの所へ連れて行った。盲目である...」[53]。私は言いました。「私があなたに何を言おうとしているかわかりますか? ちょうど私の主があなたがたの父に言われた事です。出て行きなさい。」ハッハッハッハッハッハッハッハッハ。
76
注意してください。従順の子らと不従順の子らには共通なところが何もありません. 不従順の子らは彼らの神を礼拝します。「ああ、我々は聖書を信じるよ」と言います。確かにそうだが、それは混合した木です。彼らはそれに世間と知識を加えます。悪魔の木です。混合した木です。見てください、彼女は悪魔の善悪を知る木から取って食べました。「もちろん、我々は御言葉を信じるが、すべてじゃない」。エバも御言葉を信じましたが、悪魔に彼の木を使って少し捻じ曲げることを許しました。そういう事です。「これに書き加える者またはこれを取り除く者があれば…」。主は、昨日も、今日も、いつまでも、同じです[54]。
77
注意してください。この邪悪な時代は闇のものであり、それなのに教会に属します。彼らの神、彼らは彼を愛している、なぜなら彼は何でも彼らにさせるからです。彼らは気が咎めていません。教会に属する限り彼らは罪悪感を感じることもありません。バラムは教会に同じことを教えました。「統合しよう。我々は1つの民だよ」。それは最後のたくらみでした。神は決して彼らがこのような嘘を信じたことを許しませんでした[55]。
神の御言葉が真理として証明された後、どんな人でもそれに自分の説明を加えることで容赦できない罪が3度あったことを忘れないでください。エデンの園で(そうですね?)― エデンの園で加えられた1つの単語が死を起こしました。バラムが「我々は一つの民である」という言葉を加えた時、彼らは...神は決してイスラエルを許しませんでした。神が救い出された3人以外は全員が荒野で死亡しました[56]。イエスは「彼らは皆死にました」と言われました[57]。それは永遠に引き離されることです。彼らは決して許されないで死んでしまいました。それは許されない罪であって、決して彼らは許されません。どうぞ、夕暮の光(EveningLight)の子らよ、それから逃げなさい。
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さて、誰がこの現代的で信仰深い邪悪な時代のリーダーであるか分かりますか? それは、その善悪の木を外に置き(注意しなさい!)、結婚式のために美しい花嫁なる教会を世界教会会議(ecumenicalcouncil)に連れて来たりしている悪魔です。彼のきれいで科学的な教会を、手に入られる全ての称号とキリスト教会からの哲学博士号とバプテスト派・長老派教会・ペンテコステ派からの博士号とをもって、彼らの華美な服装と装飾品や大きい教会をも一緒に世界教会会議に連れて来ます― 「我々は一つの民だ」と。決して彼らは許されないでしょう。宗派は…宗派の名称を身に着けることは獣の刻印をつけることです。私たちはここでそれについてすべて述べました。ですから、逃げなさい、子供たちよ、逃げなさい。分かりますか? きれいな大きい教会は彼の刻印を受け、ショートパンツや世俗的な服を着て、挑発的で、化粧し、世界キリスト教会の結婚式へ行きます。本当に悪魔の愛弟子たちです、彼らは神の子たちを捕まえ、生まれの良い少年と結婚し、そのように神に見放されるようにさせてしまうのです。そうです。何ということか。
79
彼は「髪を切ることは、関係ないじゃない?」と言いました。兄弟よ、ちょっとここで聞いてください。誰かがそれに憤慨していると感じます。電話で説教を聞いている方かもしれません。よく聞いて下さい!髪の毛は女性にとってはナジル人となる誓願です[58]。髪の毛はサムソン (Samson) にとってはナジル人となる誓願でした[59]。女性がその髪を切るということは、キリストの花嫁であるというナジル人となる誓願をきっぱり否定することになります。なぜなら彼女はそうすると、第一に、図面全体をだめにするからです。まったくです。ナジルびととは「ある目的のために聖別された者」です。そうでしょうね。サムソンはある時代にある目的で神にささげられました。それ故に、彼は長い髪がありました。
神の子である女性が、自分をすべて神の御言葉に捧げることを示すために、その髪を伸ばします[60]。彼女が髪を切るということは、どんなに踊り、聖歌隊員で歌っても、異言を語り、あちこち走り回っても、あらゆる種類の援助団体に参加していても、彼女は死んだ者です。それは「主はこう仰せられます」です。神の御言葉であるコリント人14章です。分かりましたか。 彼女はそのナジル人となる誓願を拒否し、自分をこの現代の神に売りました。そうです。ご婦人方よ、みっともないです。
昔イエスが「ノアの時にあったように(女性たちが美しく、神の子たちは自分の好む者を妻に娶り始めました)、人の子の来臨する時にもちょうどそれと同様であろう」と言われたように、彼女らは本当に神の子息子たちを惑わす者です。彼女らの神はそれが素晴らしくて、きれいで、科学的であると思っています。
知識やハリウッドのファッションは彼自身の店で(そうです。)作られました。あでやかで見せかけのものばかりです。
80
彼女、彼の教会はただそれを愛します。「私が君に教えてあげる。私はメソジスト教徒だよ。私は長老教会派だよ。 我々の牧師は分別があるからそんなことを言わないよ」。それはつまり、彼は本当の分別が不十分なので神が言われた事を言えないのです。 お分かりですね。
彼女や教会はただそれを礼拝します。それが好きです。ちょうど彼女が欲しかったものです。兄弟よ、神様の花嫁はそこに入りたがらないし、この現代のイゼベル[61]とまったく違う事をするでしょう。なぜならそれは彼女の本性だからです。どうしてある本性を持つのに…「誰が、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。」[62]。身長の5フィート[63]になるために生まれたなら、6フィートにならないでしょう。 ブース・クリッボーン(Booth Clibborn)の引き伸ばす機械のように…
81
それから、リッキーズたち(bunch of Rickys)よ、聞きなさい! 男になるために生まれたなら、男として行動をしてください。前髪を顔に垂れたり、また異性の気を引こうと思って髪をカールさせたりしていますが、どうしたのですか。邪道に陥ったヘビの世代よ、いずれにしても君たちはどうしたのでしょうか?いつか我が神はこの国[64]を火で裁くでしょう。彼はそれを海の下に沈めるでしょう。神の裁き時は近づきました。世界全体は破壊されるでしょう。
     宗教の逸脱!人間の逸脱!男性たちも女性たちも自分がどんな性別に属するかが分からなくなりました。女性は男性の仕事着や小さいショートパンツをはいたり、体の線がはっきりわかる服を着て自分のスタイルを見せても、自分はキリスト教徒だと言います。彼女はキリスト教徒であることはおろか、淑女でもありません。彼女は、神の子たちを地獄に行かせるために悪魔に使われて鼓舞された街娼です。それはイエス・キリストが起きるであろうと言われた御言葉を成就させるためです。私はそれを言うつもりはありませんでしたが、主はいずれにしてもそれを言いました。この信仰深い霊が、実は混合した木から出て来たことを分かりましたか?
82
「どうしてスラックスを着てはいけないですか。」彼らはそれを何と呼んでいるのですか。女性用スラックスですか。何でしょう。聖書によれば、女性は男性の衣服を着ると神に忌み嫌われます[65]。それは「聖書はこう仰せられる」です。また髪を切る女性は、そのかしらを辱めるのです。女性がお祈りをする時に短い髪であったり、また人前で祈りをする時に頭におおいをかけないなら、それは罪深い行為です。聖書にはそう書いてあります[66]。
    「私は帽子をかぶっているわ」というのですか。 あなた偽善者です。聖書には人が作った帽子ではなく、長い髪がおおいの代わりに女性に与えられていると書かれてあるのです。それは聖書が言われたことです。私には責任がありません。真理を言うことだけは責任があります。不正直であってはなりません。聖書が言われたように、リッキターズ(Rickettas)が満足するために神の御言葉を曲げてはいけません[67]。
83
ここに“邪悪”(evil)という単語を書きました。その代わりに“エルビス”(Elvis)と書きましょう。大体同じです。ハッハッハッハッハ。「エルビス」という単語は「猫」を意味して、そして「リッキー」は「ねずみ」を意味します。「ちびちゃんリッキー」と呼ぶ時、「小ねずみ」を意味します。皆さんは呼ばれるとおりのものになるのです。あなたの子供がそのように呼ばれているのなら、福音のために早く変えてください。名付けないでください...聖書時代には、あるいはどんな時代にもそのような名前はありませんでした。我々のこの時代だけです。今まで堕落した「ねずみ」と「猫」とは存在したことがありません。存在するのは我々のこの時代だけです。
あらゆる百万ドルのディスクプレーヤー、また最近、外を歩いている子供たちは…必ずそのポケットに小型トランジスターラジオを入れ、その耳にヘッドホンをつけ、「ブーンブーン」と鳴る喧しい音楽を聞きながら学校へ行きます。ある人たちが我が家に来ました…私の家にペンキを塗ろうとしていた人でした。私たちは言いました。「それをどこかにしまいなさい。それを聞けずに働くことができないのなら、仕事を止めなさい!私はいらいらするので我慢できません。この場所は神に捧げたところです。この最後の日のようなくだらない“ブギウギ”(boogie-woogie)は嫌いです。」。私は「それを止めるか、仕事をやめなさい」と言いました。
注意してください。信仰深いことには確かで、教会にも行っていますが、玄関で立ってブギウギを聞いているんですよ。
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注意してください。キリストの御言葉なる花嫁が前に進んでいます、同じように私たちは反キリストがどこに向かっているのかも見ることができます。原初から始まり、今頂点のところに来ています。世界教会協議会はそれを教会の頂点に置くでしょう。小さな教会も、キリストの御言葉なる花嫁も時代を通って頂点に達しつつあります。花嫁なる教会をもう一度その配偶者と結びつけるのです。ちょうど教会とあらゆる事が最終的に一体化するようにです。カインとアベルのように、小麦と毒麦は最初の形へ戻らなければなりません。御言葉なる花嫁は、神の御言葉へ進んで行きます。神は我々が生きているこの邪悪な時代にあらわられたのです。花嫁がどこへ向かって進んでいるか分かりましたか?
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間もなく悪魔はその理知的な花嫁を連れて行き、反キリストという偉大な人物(すなわち教階制度)を高め、そして彼をある王座につかせるでしょう。そして、全世界の人々は彼を不思議に思うでしょう。それからキリストがいらっしゃいます。 2人が同時期に君臨することはありません。悪魔の王国は取り上げられるでしょう。彼は滅ぼされて、そして神の御言葉なるキリストは…女は男の体の一部です。 彼らは2人ではなく、1人なのです。御名を負うためにあちこちから呼び出された民、すなわち花嫁・御言葉なる教会(ChurchWord)はイエス・キリストの中で連合するでしょう。反キリストの王国は奪取されて滅ぼされるでしょう[68]。それからキリストは王となってその父、ダビデの座につき、千年の間地上を支配するのです[69]。それでキリストは、染みや傷などのない姿の教会を神に供えるでしょう[70]。そうです。
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彼女の長い髪は、御言葉に対してナジル人となる誓願です。今キリストの花嫁のことを描写したいと思います。反キリストの花嫁は信心深くて科学的などと描写しました。キリストの花嫁は控えめでただ御言葉を信じます。誰であろうと、それは個人です。ここに参列している方や私の話をラジオで聴いている方の中にたくさんいると願っていますし、また、そうであることを確信します。皆さんも私もその花嫁の一部であると願っています[71]。私は多くの方がそうであると願っています。花嫁の一部になることを運命された者はそうなるでしょう。なぜならそれが彼らの生まれつきのものだからです。彼らは…ほらね、御言葉は御言葉しか認識することができません。それは宗派や逸脱を認識することができません。それは御言葉であるので良く分かっているのです。分かりますか。 それは別のものを認識することができません…小麦は小麦であるほかにないのです。 それは最初に小麦であり、最後にも小麦になるのです。雑草は、同じ油で注がれても、決して小麦になりえません。先日私が話した異なった枝で接ぎ木した木のように、雑草は小麦ではありません。
87
彼女の長い髪が示すナジルびととなる誓願は、彼女が神に対する誓いを示します。自分が生きている時代のための約束された神の御言葉をガウンとして巻き付けていることは、彼女が主と一緒にいて、イエス・キリストが昨日も今日もいつまでも変らないというヘブル人13章8節を証明しています。彼女は御言葉なる花婿 (Word Groom) の一部なので、どの点においても彼に忠実です…
さて、ほらね。女性がある男性と結婚しているのに、他の男性と関係して自分の夫の所に戻ってきたら、夫は妻を蹴り出すでしょう。そうでしょう。彼女は彼に誓約したのですから、夫に忠実でなければなりません。キリストの花嫁もキリストに誓約しました。彼は御言葉です。女性はとなりにまばたいでもいけないし、他の男にもながしめをするべきではありません。彼女は別の男に向かってながしめをしたり、感情を表に出したりするべきではありません。なぜなら彼女は完全に1人の花婿の花嫁であるからです。我々はあなた方の混合した木や宗派のいずれも欲しません。御言葉であるキリストに忠実であってください。 彼はそれが正しいことを証明するでしょう。
違います!彼に求愛したり、いかなる感情をも示してはいけません。彼の仲間になったり、彼に保護されたり、あるいは彼の世話になってはいけません。彼にあれやこれやと話しさせてはいけません。あなたはただ1つの声だけを聞きなさい。「私の羊は私の声を知っている、知らない人にはついて行かない…」[72]。主の声とは何でしょうか?主の声とは彼が話された御言葉です。聖書は主の声です。それに一文字も書き加えたり、または一文字も取り除いてはいけません。ただその声について行きなさい。彼らは(主の羊-編集者注)見知らぬ人という宗派の後について行かないでしょう。
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彼女は花婿の一部で、どんな点においても彼に忠実であり、結婚式、結合することを待っています。世界教会会議ではなく、空中での披露宴です。彼女に(これは我々自身の教会のためです)明らかにされた聖書の7つの封印された奥義が与えられました。彼女は惑わす者の愚かさが見えます。それは選民をあと少しで騙すところである、真理に非常に類似したものです。彼女はそれが分かります。
彼女...この邪悪な時代は、2つの相反する霊が作用していることが分かりましたか?あなたはそれがわかりますか? それぞれ非常に信仰深くて、 カインとアベルのようです。それらの霊はもう一度彼らの頭に来ています。初めにそうであったように今日も変わりません。一つは美、知識、教育、科学、そして倫理学で礼拝しているものであり、もう一つは神の御言葉の啓示に対する信仰によって礼拝しているものです。それらの霊は両方とも今朝まさにこの建物の中にいます。そうです。
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主の御言葉に対する啓示あるいは信仰は知識を要求しません。本当のキリスト教徒は…「博士の学位を持っている?」と言いますが、それを要求しません。「私は主の御言葉を信じる」。分かりましたか?何も要求しません。教育されることを要求しません。どのような宗派や党や分派などにも属しません。それはキリストに属するのです。それは教会の妻ではなく、主の妻です。教会の妻は売春婦です。聖書によれば、彼女は売春婦であってまた淫婦たちの母でした[73]。そして教会界は同一の売春婦を成すために集まります。 その種類の女性は浮気をしている女性であり、宗派に属しながらキリストが彼女の夫だと主張しています。ばかばかしい!あなたたちはキリストに属しなさい。
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けれども従順であるため、この信仰のある女性は信仰によってに生きています。そしてここから何人か、そこから何人か、何か他の教会から何人か、何か他の宗派などから何人かが花嫁を成しています。神の御言葉を信じ、従順に、愛を持ってこの時代の約束が確証されるのを待っています。 彼女はそれを待っています。 彼女はその御言葉の一部であり、また彼女の命がその御言葉を現すことを待っています。兄弟たちよ、見えますか?あなたたちがそれを見落とさないことを祈ります。この体は御言葉であり、霊である命が確証されるもしくは生き生きと蘇えるのを待っています[74]。 それは彼女が待っているものです。 ほかの命は彼女のうちに働かないでしょう。彼女は他のいかなる方法でも命を得ることができません。しかしそれでも彼女はそれが[75]近づいているのを感じ、またそれが起きようとしていることを知っています。そして、それは起き、彼女は目覚めます。神は「それがあれ」と言われました。そして彼女は、最初のものがしたように[76]現れるでしょう。
91
不従順の子らの意味は…「不従順」というのは「反乱」を意味します。確かにそれを辞書で調べました。 反乱ですね。 何に対して反乱を起こしているのか? 明らかにされた神の御言葉にです。カインは、アベルに与えられた・彼が義なる者であると神に証明された啓示に対して反乱を起こしました[77]。 カインはそれに対して反乱を起こし、そして彼の兄弟を殺しました。神の御言葉について、彼ら独自の宗派的知識をもっているパリサイ人は、人を厳選して、イエス・キリストというその時代のために現れ、証明された神の御言葉に対して反乱を起こし、彼を殺しました。そのとおりですね。不従順の子らがすることは神の御言葉に対する反乱なのです。今彼らはどこにいるのでしょうか?「さあ、奇跡の時代は過去のことだよ」、「イエス・キリストはいつまでもおなじではないよ。」…「聖霊の洗礼なんてないよ。それはばかげたことだ。」と言っています。分かりましたか?反乱です。彼らは2つの事を言う必要はありません。ただ1つだけで十分です。それだけです。そうするともう反乱です。「君は目を持たなくて良い、耳を持たなくて良い」と言えません。体全体、御言葉全体が必要です。分かりましたか。
聖霊は、彼女の中から出なさい、「その宗派的教義をあずからないようにせよ」と呼びかかけています。悪魔がこの時代のために与えられた神の御言葉をあざ笑ったり軽蔑したりするからです。なぜなら神は侮られるような方ではありません。覚えておいてください。彼女はそれを受けるでしょう。心配しないでください。 彼女はそれを受けるでしょう。聖書のエペソ人への手紙4章30節、書き留めたいのであれば、聖書のエペソ人への手紙4章30節(ブランハム兄弟は言い間違えました。)によれば、「神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」[78]。彼らはあざ笑うことは出来ません。からかったりこのような事を言ったりすれば、自分に返ってくるのです。 それは、水の上に投げられたパンのように戻ってくるでしょう[79]。
92
彼女は、あなたたちをだまそうと、この現在の邪悪な時代の敬虔で罪を愛する知識に包まれた悪魔の花嫁です。全派閥や宗派は科学的知識そして現代的な文明のような人を惑わす霊を使って、あなたたちが住むべき素晴らしい世界を造っていると主張しています(もうすぐ終えるつもりです。全部やり終えることができませんので、やめなければなりません)。彼女はその文明によって、神の御言葉無しで素晴らしい教会や大学・学校・病院・図書館・人間のために一時役立つものを建てたと主張します。彼女はそれをしました。彼女はそれをすることができたと証明しました。 そして人々はそれを受け止めました。 そうです。学校、宗派、文化、りっぱな服を着た人々、良いものを食べた人々などですね…私は1日3回フライドチキンを食べて売春婦の類に属するよりは、むしろ非常に貧しい食事をしても神とともにいたいです。
93
刻印が来るであろう時は近づいています。それを覚えていてください。あなたはそれを受けるか受けないかどちらかでしょう。それは盗人が夜くるようにやって来ます。それはすぐにあなたを捕まえてしまいます。その時はもう逃げることはできません。もう逃げ道はないのです。すでにそれを受けてしまいました。離れなさい。素晴らしく輝く顔をした御使いが天から降りて来て、人々へ地を震わす力強い声で叫んで言いました、「わたしの民よ、バビロンから離れ去って、その災害に巻き込まれないようにせよ。なぜなら彼女は倒れたからなのだ」[80]。彼女から離れ去りなさい。離れ去りなさい。我々は少し前に聖書でそれを読みませんでしたか? 御使いは降りて来る使者です。聖霊が言っている事に気がつきなさい、「彼女から離れ去って、その災害に巻き込まれないようにせよ」。
94
今、彼女はこれらすべてのものを造りました。素晴らしい教会を建てました。大学と学校を建て、人々を連れてきて、いわゆるより良いの文明の教育を施しました。人々は、現代的な文明教育の知識によって教え込まれ、神とその御言葉から遠く離れ、自ら死の穴の中に入ってしまいました。あなたたちは全てのたくらみが分かりますか? その教会が見えますか?放送で聞いている人たちよ、ご自分の集会でその事を見たら「アーメン」と言ってください。そうすれば他の人はあなたたちの考えが分かるでしょう。
彼女はそれをしました。 彼女は…それはこの地の神です。彼女は人間を一時的に助けるために学校、大学、病院、図書館などを建てました。 人々が御言葉から離れるように、彼らをだましているだけです。彼女は人々をどこへ導いているのでしょうか?教会界は死に陥れられました。 なぜなら神は消えることの無い火で、淫婦とその子らを燃やすであろうと言ったからです。 人々よ、そこから離れ去りなさい。 そこに閉じ込められないようにしなさい。なるべく早くそこから逃げなさい。彼女は(ご注意ください!)その科学的知識によって、神の御言葉無しで、これをすることができるのです。
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神は決して我々に学校を作りに行けとは命じませんでした。 決して言われませんでした。主は決して我々に病院を建てるように言われませんでした。けれども病院は役立つものです。主は決して我々に図書館を建てるようにとは言われませんでした。そうです。決して言われませんでした。 主は「福音を伝えよ」と言われました[81]。福音は聖霊の力を表わしたり証明したりする事です。パウロはこう言いました、「福音が我々に伝えられた時、それは言葉だけによらず、力と聖霊とによったからである」[82]。また「あなたがたの所に行った時、私は何とか博士による知恵にあふれた言葉を用いなかったが、力と聖霊の証明によってあなたがたに宣教した。それは、あなたがたの信仰がこの地の人たちの知恵・知識によらないで、イエス・キリストの復活の力によるものとなるためであった。なぜなら主は、昨日も、今日も、いつまでも、生きている」[83]。神は我々が同じことを信じるように助けてくださっています。そして、神はいつものとおり、同様の事を立証しているのです。
96
悪魔は、彼の学校・図書館・文学・病院等によって、あなたが御言葉の真の啓示及び信仰が、今日明らかにされ証明されているのを見ないようにしています。分かりますか。彼はそれをあなたから隠しています。彼はファラオにしたように今も解釈しています。あなたが夕暮の光の中で、この約束された時代への立証され証明された御言葉の意味を分からないようにです。彼はその知識や学校や教養のある人々、倫理等を使って、あなたがそれを見ないようにしようとしています。彼は、あなたがそれを見て、イエス・キリストであるのが分からないようなら何でもします。どのようにしたら、それがイエス・キリストであることが分かるでしょうか?主は御言葉であり、この時代に対しての御言葉です。この事がこの時代に起きるであろうと言われましたが、今それは起きていますね。分かりますか。彼は全力を尽くしてあなたがそれを見ないようにしています。彼は、できるだけ汚れた名をそれに付加するでしょう。分かりますか。彼はそれをホリローラース(holyrollers[84])などと呼ぶでしょう。 また彼は主イエスをベルゼブル(Beelzebub) と呼びました。家の主人がベルゼブルと言われるなら、その弟子たちならなおさらでしょう。分かりますね?
97
あなたが御言葉の真の意味を分からないようにしようとしています…見てください、彼は御言葉を解釈し、それがこれの意味だと言っています。神は、「最後の日にマラキ書4章[85]をあなたがたに遣わすであろうと約束しました」と言われました。 それは解釈されなくてもよいのです。神はそれをしました。また神は、「ロトの時にあったように、世はソドムの状態であろう。ちょうどその時に、私は人の子を現すであろう」と言われました[86]。今日それに対するあらゆる種類の偽者が出て来ましたが、本物はあります。分かりますね。神はそれをすると言われました。また反キリストが起って、できれば選民をも惑わそうとすると言われました。しかし「彼をそのままにしておけ。彼らが先へ進んで行くようにせよ。その愚かさは知れてくるであろう」と言われました。なぜか? 御言葉の試しはそれがどんなものであるかを明らかにするからです。あなたがその御言葉をきくと、「それは昔の話だよ… さあ、僕はサーパントの子孫とか、あれやこれやなんて信じないよ」と言われます。あなたには決してその御言葉は明らかにされていません。決してです。
おや、兄弟たち見てください。もう12時ですから、終了しなければなりません。
98
悪魔はこの夕暮の光の時代に、あなたが解釈されたその御言葉の意味が分からないようにしようとしています。 それはどういう意味か?それは出エジプトをする(exodus)時が近づいており、神が確かに花嫁を迎えに来ているということを示します。
   今、あなたがたに質問をしたいと思います… もう12時ですが、あと5分下さい。続きは今晩話すつもりです。この時代の神が見えますか?それを信じますか?どのように見えますか?知性的そして科学的の教会です。全ての宗派の世界はそれに属しています(そうですね)。「僕はキリスト教徒です。 君は何の宗派に属していますか?」とあなたは言います。まあ、私が宗派に属したなら、キリスト教徒ではないと思います。重く言いましたが、それはそのとおりです。私はただこのことをはっきり言いたいのです、知識や科学とキリスト教には共通なところが何もないのです。1つは悪魔のもので、もう1つは神のものです。神の御言葉を否定しているものが何であろうと、それから離れなさい!分かりましたか?
違いますよ。聖書は最後の日にクリスチャンたちに、あの淫婦から、善悪を知る木から離れなさいと呼びかけています。
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彼女が何か良いものを持っているのは確かです。誰が病院の悪口を言えますか。言えませんね。誰が図書館の悪口を言えますか。言えませんね。誰が教育の悪口を言えますか。言えませんね。けれども、それらの事は人々にこれらの物を与えるが、御言葉を与えません。なんと惑わされやすいものでしょう。人々に行くべき教会や崇拝するべきものや王位にある神などを与えています。聖書はそれを預言しました。
今、あなたがこれらの身体の1つに属しているなら…地上には今までずっと、主イエスが来臨するまでも、2つの身体だけが存在しています。それらの1つは破壊されます。あなたはどちらか1つの身体に属しています。1つの方には加入できますが、もう1つの方はその中に生まれます。その中の1つに生まれたので、その一部であるのです。その一部でなければなりません。私は自分が腕があることを否定することができますか?それと同様に神のいかなる御言葉をも否定することができません。私が神の一部であれば、ウィリアム・ブランハムの一部であれば、私がその中にいるならば、各部分は私の一部です。それですべての神の御言葉は私の霊や魂や生活にぴったり合わなければなりません。それは私の考えにぴったり合わなければなりません。私の考えがそれと反しているなら、神の御霊は私のうちに宿っていません。そうです。私はその単語の1つたりとも否定することはできません。
100
あなたはどちらかの身体に属しています。そうでなければなりません、絶対そうなのです。それは御言葉による神の身体であるか、教会による悪魔の身体であるかのどちらかです。また全世界の人はある教会に属さなければなりません。ある神を礼拝しなければなりません。知識の神を礼拝して、知識によって聞いた事などに頼るか、これに頼るか、あれに頼るか、もしくは信仰をもって神の御言葉に頼り、神がこの御言葉は真実であると立証するのを見上げるかです。神の真の教会は、
その輝かしい至福千年(Millennium)が来るのを待っている、その時、我々の祝福されるべき主はその花嫁を天に連れて行くために来られる。
ああ!私の心は携挙でいっぱいになり、いつも警戒し、祈る。
なぜなら我々の主が地上に戻って来るからのである。
ああ!我々の主は地上に戻って来る
悪魔は千年の間繋がれる。
主イエスが地上に戻って来てから、我々は試みを受けない。
101
さあ!今このメッセージを聞いているアメリカの人々よ、我々が住んでいるこの知識に満ちた科学的な時代から全力を尽くして逃げ出しなさい。神の御言葉に避難しなさい。あなたも、私も、御言葉をよく知っている人は誰もいません。それを証明できる人は誰もいません。神は御自分で証明するされるのです。誰もそれを解釈する権利を持っていません。私も誰も権利がありません。神は御自分で解釈されます。 神は最後の日にこの事をなさると約束されました。また最後の日でも、この邪悪な時代の神は、善悪を知る混合の木にある彼の理知的な知識で人々の目をくらまし、人々に与えています。ここにあるのです、そのことは発展し続けています、暗黒時代 (DarkAges)[87]そしてその前から、宗派は超人である悪魔に向かって進んでいます。彼はこう言いました、「私の王座を高く神の子たちの上におく。彼らは私の言うことを傾聴するであろう。」[88]彼は神のように神の宮に座り、また神の子たちはそれにだまされるでしょう。
102
神の子は「まあ、私の妻は違うよ…彼女はとても良い…」と言います。どうぞお話しください。「まあ、彼は神の子と言ったし」と言われるのですね。そうです。男性は誰でも神の栄光のために神の形に造られました。女性は、神ではなく、男の副産物です[89]。そうです。神の子たちは人の娘たちの美しさを見た時、自分の好む者を妻に娶りました。「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。」[90]。ほら!教会がどんな段階にあるか知りたいなら、女性たちのいる段階を見てください。なぜなら女性は教会を象徴しているからです。彼女が何をしているのかをよく見てください。ほら。この邪悪な売春婦の時代の中で...
この世の中でナザレほど卑劣で邪悪で低級な不潔な都市は他にありませんでしたが、神はナザレから処女を選びました。ナザレから何か良いものが出るだろう。[91] そうです。この邪悪な時代の中で、悪魔はその教義や宗派で人々の目をくらましています。まさにこの時代の中から、神は御自分の御名のために民を選び出されています。
ここで無視され、侮られるけれども、
ある日主はその選民を
門のうちに連れて来るであろう
それは何よりも価値がある。
それから我々は歌ったり、叫んだり、
踊ったりするであろう。
小羊は我々の涙を拭き取って下さるであろう。
我々は一週間のうれしい帰郷があるのであろう、
最初の1万年の間(そうですね)。
御名を負う素晴らしい民は、
主の花嫁と呼ばれる(そうではありませんか?)。
無視され、侮られるけれども、
ある日主はその選民を
門のうちに連れて来るであろう(出エジプトの時)
それは私にとって何よりも価値がある。
103
私は年を取っています。人生が次第に薄れ始めています。視力がぼんやりとしてきました。命の炎が次第に弱くなり始めました。 私は闇を恐れません。なぜならパウロと共に次のことを言いたいのです、「私はキリストとその復活の力を知る」。私がどこに葬られても、海に溺死しても、火あぶりに処されても、ライオンに食べられても、主は私の名前を呼ぶでしょう。そして、私は主に答えて言うでしょう。アーメン。お祈りしましょう。
ここにいるみなさん、放送でメッセージを聞いている全国のみなさん、教会や集会に参列しているみなさん、私に説得させてください、福音の伝道師としてお願いさせてください、イエス・キリストの名によってお願いさせてください。この邪悪な時代に対しての激怒から逃げなさい。この邪悪な時代の神に仕えないでください。「それはけっこうだよ、大丈夫だよ」と言っていることを知っています。そのとおり、混合した木です。知識を神の御言葉とごちゃ混ぜにすることはできません。御言葉は知識によってではなく、信仰によって信じられなければなりません。理解するのではなく、ただ受け入れるだけでいいのです。あなたはそれが正しいと言って、後はそれに従って生活を送るだけです。主があなたにしてもらいたい事はそれだけです。我々の集会に出席している人々(スペースがないので祭壇まで来るのを求めて呼ぶことができません。)、ラジオや電話で聞いている人々の中に主を知らない者がいるなら…
104
女性たちよ、今朝あなたたちをしかりました。私ではなく、私はただ御言葉を引用しただけです。髪を切ったり、短い衣服や挑発的に見えるように着けたりするのは、あなたたちはその霊に気づきませんでしたか…親愛なる姉妹よ、あなたの体に関しては清潔であるかもしれませんが、魂の面であなたを操っているものが何かわかりませんか。神は、ご自身の子をだまし、その子が情欲をいだいて女性を見るためにその娘を性的魅力のある女性にしたてあげ、双方に姦通の責任を負わせるでしょうか?姉妹よ、主はそれをするでしょうか?ご自身に訊いてみてください。 神は絶対にしません。 神にその責任を負わせないでください。
兄弟よ、神はあなたにこの世の霊を与え、それが誤ったことであるのを理解できなくさせられるのでしょうか?神はあなたが教会や宗派、信条などの倫理にしか気づかず、神がその御言葉を証明したり、成就したりしているのが見えないようにあなたを盲目にさせられるのでしょうか?あなたの仕事・上司・妻・子供たち・教会などは、命の唯一の源である神の御言葉からあなたを引き離してしまいましたか?私の兄弟よ、そこから逃げてください。私は神の愛であなたを愛しています。あなたより家の兄弟たちを尊敬することは全くありません。もし、そうしたならば、私は人々をえこひいきしたことになります[92]。 これらのことを言っているのは、あなたを怒らせるためではありません。神の御言葉であるからお伝えしているのです。私は神のしもべとして心の中に神の愛をもって、あなたが見えるようになり、理解できるようになるためにあなたに伝えているのです。私があなたに話さなかったなら、あなたは知らなかったかもしれません。今日そこから逃げてくださいますか? さて、全国の皆さん、頭を垂れましょう。
105
親愛な神よ、ハンカチが私の前に置いてあります。病気にかかっている人々がいます。あなたが彼らを癒すために、これらのハンカチに私の手を置いています。主よ、今晩偉大な礼拝があり、神の力がここにあることを確信します。
この前開かれた2つの集会では、わたしたちが聞いたように、素晴らしいしるしや奇跡が起こりました。これらの出来事を見たのはなんと素晴らしいことでしょう。親愛なる神よ、願わくは今晩2倍の聖霊を我々にお与えくださいますように。 私は誠実な心でお祈り致します。なぜなら、主よ、あなたと御言葉とこれらの人々とを愛しているからです。親愛なる神よ、それをならしめ給え。
ここでも、国中でも、病気の人や苦しんでいる人々、また今晩出かけなければならない人、ここに来られない人、もしくは自分たちの教会や集会所に行けられない人、あなたが彼らを癒してくださいますようにお願いいたします。主よ、 しかしこのすべての癒しの中でもっとも偉大な癒しをです、彼らのがんや結核や肺炎等を癒しても、彼等が長生きをしたら、間違いなく、また病気になるでしょう。 なぜなら彼らの肉体はまだ罪によって押さえられており、呪われているからです。ゆえに真の神による癒しである魂の癒しを彼らにお与え下さい。それは死者を生き返らせ、全く新しく生れ変るものです。彼らの魂が贖われた後に、この古い幕屋で体が贖われることを待つでしょう[93]。 主よ、それをならしめ給え。
彼らが宗派や信条から逃げられますように。神よ、外の宗派や信条にいる人の中には、私は今まで出会った中でもっとも良い兄弟たちもいます。彼らが御言葉を見えるようになり、そして理解できるように、どのように言えばよいのでしょうか?このことで私は悩みますが、あなたが「父が引きよせて下さらなければ、どんなに良くおとなしく優しい人であってもわたしに来ることはできない。また父がわたしに与えて下さった者は皆、わたしに来るであろう」[94]とおっしゃったことを存じています。主よ、私は真理を告げることがひとえに私の責任であると思います、パウロが言ったように、神の御言葉を偽りをもって扱い、善と悪の混合の木のように宗派の教条をその中に混ぜ込むのではなく、開けた心と聖霊によって扱います。主よ、それをならしめ給え。すべての方をお救い下さいますように。
106
どうぞ頭を垂れ、目を閉じて下さい。私に対してではありません。私は「あなたがそれをするか否か私には関係がありません」と言うことができません。私には関係があるのです。私はあなたがたを愛しています。私が厳しく話さなければならないためにあなたがたを愛していないのだと思わないでください。パウロが言ったように、「今あなたがたといっしょにいることができたら、そしてこんな語調でなく話せたらと思います。」[95]。パウロは彼らが嫌いだからではありません。彼は彼らを愛していました。主イエスも人々を叱り付けましたが、彼らのためにその命を捧げました。ほらね?「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」[96]。 考えてみてください、人間は正しくありたいと願い、正しい事をしようとしていますが、しかし見て、それは悪魔がやったことです、私はまさに彼に反対しています。悪魔は人々の目を盲目にしてしまいました。
107
この最後の日に、この国は神の栄光で輝いているべきなのに、起きている事を見ると…なぜこれらの信仰復興はこれらの国に影響しなかったのでしょうか?ここは西海岸です。あなたが行くことができるもっとも西の場所です。
罪の障壁は雷のように地球の地盤に響き渡りました。それは沈んでいます。ロサンゼルス(Los Angeles) とハリウッド (Hollywood) のある場所は1時間毎に数インチ沈んでいます。それを止める方法はありません。我々はいつも神から呼びかけられているのです。あなたがそのことを知っているなら、あちこち見ないでください。心からこの事を知っているかどうか、私はあなたに尋ねます。神が明らかにしないと、私はあなたの心の中を知ることができません。しかし、もしあなたは心の中で自分が今いる位置を分かっていて、自分はまだ神とともにいないし、神の御言葉を信じていないなら、神に手を上げ、そして「主よ、私をお助けください」と言ってください。神よ、 このひどく込んでいる教会から、ひどく込んでいる壁の内側と外側から、何百という手、多分2百の手が上げられました。あなたがたの誠実に感謝します。
108
親愛なる主イエスよ、彼らが一人も滅ぼされませんように。生者と死者の間に立ち、神の御言葉に指差して彼らを向けさせているあなたの僕として、私は彼らを救えません。けれども主よ、彼らは救われたいのです。父よ、 私が何度も言いましたように、太陽が朝になると昇り、地球を回って大地を照らしているのは、穀物を育て、生きとし生くるものに食物を用意するために、神が遣わされたものです。しかし神よ、あなたは「わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。」と言われました[97]。 神の御言葉である義の太陽が人々の心の中に上り、その御言葉にあります信仰の癒し光線が不従順な者を治療し、そして、彼らを神の娘・息子の豊かさに導きますように。主よ、彼らはあなたのものです。イエス・キリストの名によって、彼らの魂が救われるために、ここに出席している人および放送で聞いている人の中で手を上げた者をあなたに捧げます。アーメン。
天つ憩いに(どこですか?この祭壇)
入るときまで(信仰によって行っている所を見る)
我は誇らん
ただ十字架を(御言葉が掛っている所)
天つ憩いに 
入るときまで
イエスよ、この身を
行かせ給え(それはイエス様と共にはりつけられること。世のものを何も欲しない。私がはりつけられる状態にいさせてください)
愛のしたたる
十字架さして
我は誇らん(手を上げましょう。)
ただ十字架を
天つ憩いに
入るときまで
109
「慕いまつる主の」。誰かに手を伸ばして握手してください。そして「キリスト教徒よ、あなたに神の恵みがありますように」と言ってください。[ブランハム兄弟が演奏者たちと話しています―編集者注.]「慕いまつる主の」。主がいっらしゃることを感じていますか?電話で聞いている人もお互いに握手し、「キリスト教徒よ、あなたに神の恵みがありますように」と言ってください。
110
ご存知の通り、後ろには洗礼槽があります。主は御名を負っている民を選び出されています。罪の許しを得るために、イエス・キリストの御名によってバプテスマをまだ受けていないなら、ここに洗礼槽とローブがあります。また洗礼する人も待機しております。あなたが本当にイエス様を自分の救い主として受け入れ、そしてそれが真理であると信じるなら、歓迎されます。
覚えて下さい、カトリック教会が設立される前、聖書にはイエス・キリストの名によっての以外のバプテスマを受けた人はだれもいませんでした。聖書や歴史の中から、父と子と聖霊との御名によってバプテスマを受けることで生ける神の教会に入った人を見つけることはできません。それは聖書の教えではなく、カトリック教会の教義です。
111
ある司祭と面会した時、彼にそれを尋ねました。彼は「それは真実事実ですが、我々は教会です。従って何でも変更することができます。荘厳さは教会にあります。神はその教会の中におられます。」と言いました。
「神はその御言葉の中におられます。しかしもし教会が...」私は答えて言いました、「神は御言葉です。教会が御言葉に反するなら、私は教会を信じません」。私はあらゆる人の言うこと、司祭やローマ法王などであっても偽りとし、神の御言葉を真実なものとします[98]。パウロはすべての人に、その人がどのようにバプテスマを受けたのか関係なく、もしイエス・キリストの名によってバプテスマを受けなかったならば、その人にもう一度バプテスマを受けさせました[99]。
そして何人かの人がすでに聖霊を受けた後、ペテロは「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。(使徒の働き10章47節)」と言い、そして「聖霊を受けたが、この場所を去る前にイエス・キリストの御名によってバプテスマを受けなさい」と彼らに命じました。なぜならペテロには天国への鍵が授けられていたからです…
「何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれる」と言われました[100]。かぎは何のために必要なのですか?それは何かの錠を開ける、奥義の錠を開けるのです。
112
またイエス様が「あなたがたは行って、彼らを父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けなさい。」と言われたのは、不信心者の目をくらませるためです。注意してください。なぜペテロは言ったとおりにそれを実行しなかったのか?彼はそうしなければなりませんでした。誰でも父と子と聖霊との御名によって洗礼を受けるなら、彼はまったく洗礼を受けていないことになります。彼は御名で受けていないのです。父と言うのは名ではありません。子と言うのは名ではありません。また聖霊と言うのは名でもありません。私が人間であるように、聖霊は神様御自身であるのです。それは聖霊です。父というのは呼称です。私はお父さんです。子と言うのは呼称です。私は息子です。人間と言うのは呼称です。私は一人の人間です。けれども私の名前はウィリアム・ブランハム(WilliamBranham)です。つまり父と子と聖霊の御名はイエス・キリストの御名です。イエス様は言われました。「わたしはわたしの父の名によって来ました」[101]。父の名とは何でしょうか?どんな息子でもその父親の名で名前をつけます。それで父の名はイエス・キリストです。分かりますか。私が言っている意味が分かりますか?
113
私があなたに、市長の名によってカウンターで何かを取ってもらいたいと言ったなら、市長が誰であるかご存知の方は何人いらっしゃいますか。 私のよき友人、リッチ・ヴィッシング(RichVissing)です。 あなたはそこに行って「市長の名によって」ではなく、しかし「リチャード・ヴィッシングの名によって」と言いますね。あなたがたジェファソンヴィルの人々は彼をよくご存じです。 それは主が父と子と聖霊と言った理由です。主にこそ、神・満ちみちたいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っております。主は「父と子と聖霊のこの御名によって彼らにバプテスマを授けなさい。」と言われました。
ペテロはそこに立ち、イエスとは誰なのかの黙示、つまり教会を建てるいしずえの黙示をもって言いました、「悔い改めなさい。そしてイエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。」天と地上の鍵は開かれました。「天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」[102]。
114
なぜイエス・キリストの名によって洗礼を施すのですか?罪の許しを得るためです。「あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦される」[103] 。分かりましたか。けれども洗礼を受けるのに値する人、適した人と思わないなら、彼にバプテスマを施さないでください。 なぜならそれをすると、彼の罪が許されてしまうからです。分かりますか。私が言っている意味が分かりますか?
したいまつる主の、(御言葉です)
みまねき(私に下って墓に行くように呼んでいます。)あるいま、(「私とともに復活するために、私とともに死にますか。」)      
十字架にないゆかん、(世間が何を言うつもりですか?)
あいする主のあとを。
(さて、もしあなたはまだ...)いずく(彼は御言葉です)までもゆかん、(洗礼槽があります)
いずくまでもゆかん、
いずくまでもゆかん、
あいする主のあとを。
頭を垂れましょう
115
親愛なる神よ、洗礼槽の用意ができました。主よ、今どうぞ人々の心に話しかけてくださいませ。彼らは、御言葉であるキリストが彼らを呼んでいるのを聞き、そしていつまでも主について行きますように。「私は彼とともに庭を通り、彼とともに洗礼槽に行きます。彼の御名を負います。主がその御名を負うために選び出されている民の1人になりたいです。彼の御言葉を信じます。主に従います。決してこの世とふざけたりしません。忠実な婚約者になります。主の御言葉の文字や要求を少しも取り除きません。忠実な花嫁になります。主が私に何を要求しようと、それをします。私の将来の夫が私に髪を伸ばしてほしいなら、それをします。主が私にこれらの化粧のすべてを落としてほしいなら、それをします。もし主が私がこれらの挑発的な服を着るのは悪霊の仕業、邪悪な者に属するものと言うならば、私はそれを着ません、それらを脱ぎます。他人の言うことを気にしません、私はそのような服を脱ぎます。彼が私に私が入っていた不信心者のグループから離れてほしいというなら、そうします。貧しい食事の生活やその他の生活を送ろうと、主が決して私を見捨てたり置き去りにしないと私に約束されたので、私は-私はそれをします。ずっと主とともにいます。主が私にその御名によって洗礼を受けてほしいなら、それをします」。主よ、 あなたは聖書の中でそれをすることを約束しました。それはあなたがお望みのものです。主よ、イエス様の名によってすべての人がそれを理解し、気持ちよく謙虚にそれに従いますようにイエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン。
116
あなたがたは神のものです。神が私のとぎれとぎれの言葉をあなたがたにもたらし、あなたがたにとって真実でありますように、神に心からお祈り申し上げます。水槽の用意ができているでしょう。お受けになりたい方はどなたでも、こちらへどうぞ― 牧師が後でお知らせします。罪悔い改め、イエス・キリストの名によって洗礼を受けたい方は誰でも、こちらへどうぞ。用意はすべてできています。あらゆるものの用意ができています。我々は、あなたがたが神のために生きるようにお手伝いできることをここですべていたします。神がみなさんを祝福されますように。
今、立ち上がりましょう。 皆さんが「主を愛する、主を愛する。なぜなら主は最初に私を愛されたから。」という短い歌を歌いましょう
主を愛する、 (それを歌う時に手を上げましょう)
主を愛する、
なぜなら主は最初に私を愛されたから、
私の救いをあがない取られた
カルバリーの木の上に。
頭と心とを垂れて、主にハミングして歌いましょう[ブランハム兄弟はハミングしたり祈ったりし始めます― 編集者注]。主を愛する、…
我々の父なる神よ、我々かわいそうな者を哀れんでください、主よ。この先にある仕事をするために我々を強くしてください。私をお助けください!ああ、神よ、私をお助けください!父よ、何かがここに置かれていると感じます。ああ、神よ、真理が分かるのをお助けください。 親愛なる神よ、この人々を祝福してください。どうか彼らを導いてくださいませ。イエスの御名によってお祈り申し上げます。
さて、頭を垂れる時、牧師であり、我々の大切なネヴィル兄弟(BrotherNeville)にここにきてもらって、洗礼について詳細を話していただくつもりです。もうそのことを知らせたかもしれません。水槽が開いていると思います。