65-0718M 御心なしに神の御仕事をしようとする事

  • 伝道者:ウィリアム・ブランハム
  • ジェファーソンビル インディアナ州 アメリカ合衆国
  • 録音番号:65-0718M
  • 年:1965
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しばらく祈る間立ち続けましょう。頭を垂れましょう。
主よ、今朝、再び礼拝をすることが出来る様に神の家に戻れてとてもうれしいです。そして神様、今朝私達の間違いの全てをただしてくださるように祈ります。我々が歩くべき道を示してください。そしてあなたの恵みと愛を与えて下さい、その道にしたい全身全霊で従えるように、その日キリストにあって、潔白である事が見つけられますように、そして主よ、あなたの帰られる日は近いと信じています。
我々は全てのイエス様が再び来られるときに示された印が成就しているその時代が来ている事が見えています。そして喜びの内にその瞬間を待っているのです。古(いにしえ)のアブラハムが約束の子を待っていたように、これらの終わりの時の神の印が地上に来ることを。そしてその息子が来るのはそれほど遠くない事を彼は知っていました。そして今、我々はそれを再び来る返しておられるのが分かります。イエス様は、我々に、それらの事が起こり始めたら頭をあげなさい、あなた方の贖いの日は近いと言われました、その時、混乱があり、国々の間に戦争が起こり、いろいろな場所で地震が起こり、海が鳴り轟、又人の心は怖れにより苦しむ。
我々はその時代に居ると認識しています、国々は何をしたらよいのかわからないのです。又別の戦争が起こっています、その様です。なんてひどい事でしょう。地球は分れています、科学者は何か酷い事が近く起こりそう打と言っています。我々は聖書がこのことを語っていることを見る事が出来ます。そして主よ、我々がこの矯正の家に立つことが今日出来る様に助けて下さい、このくらい時代に明るい光として輝き前に進める様に、今が最後の機会かもしれません。我々はこれをイエスの名前によって、彼の名のゆえにおたずねします。アーメン。 おかけください。
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今朝ここタバナクルにいる事を間違いなく大きな特権だと考えています。そして、席が十分にない事を許してください。場所はいっぱいで、外にもどこもかしこも立っている人々が居ます。外に今いる人達は、これをラジオで聞くことが出来ます。忘れていました。(ネビル兄弟がブラナム兄弟に、それを聞ける周波数を伝える)55から57です。外に立っている人と駐車場や通りにいる人達、これをラジオの55と57の周波数であなたのラジオのダイアルを回すと聞くことが出来ます。
さて、我々は努力しました、戻って来たのです、10日間の会合で7つの最後の小瓶について話す事を、この小瓶とはラッパです。そして7つのラッパについて説教するつもりだった時、災害を共に話すことにしました。そしてそれは良い時だと思いました、私はちょうどアフリカから戻った所です。そして子供達は、休暇を取っていませんでした。私の小さな息子、ジョセフは彼の読みに関して数週間勉強をする必要がある意味ありました。彼は何とか合格はしましたが、標準に行っていませんでした、だから彼をツーソンに私がアフリカに行っている間、残していました。そして彼の学校の勉強の読みに追いつくことを続けていたのです。そして我々が帰ってきました。そして子供達が休日を取っている間、ここで人々とこのことについてを説教するために小さな会合を持とうと考えたのです。しかしここに我々が着いた時、学校の講堂を借りられない事が分かったのです。
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このタバナクルでは人々がちゃんと座って私がこのメッセージを分け合っている時に快適な状況にならない事は分っていました、それ故、異なるアレンジメントをする必要がありました。10日間元々計画建てていたようにする代わりに。日曜日に2回の礼拝をする事の五しました。今週、次の週、その翌週、2回の礼拝をしました。そして我々はそのことをまったく広告はしませんでした。そして誰かがある方法で、ミーティングが28番の学校の行動で始まるという事を聞いたなら、神のお許しによって、さて、もし誰か友人がそのモテルにもし予約をして居たらならば、私はキャンセルします。と言うのは、その利便を得る事が出来ないのです、彼等は学校の講堂をとれなかったのです。
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そして今、話したいのです、日曜の朝の、伝道的な礼拝に関して話したいのです。そして日曜の夜、病人の為に祈りたいです。そして神があなた方の内の病気の人の必要にあってくださると信頼しています。ビリーがどのように皆さんをお世話するかは分かりません、多分、祈りのカードを配るか何とかして会衆をコントロールする事だと思います。しかし、我々は出来る限りの事をしてこれから3週間の間の礼拝の中で、もし主の御心であれば全ての人の為に祈る事が出来るでしょう。
そしてそれから、多くの場合、個人的なインタビューがあり、誰かが一分かそのくらいそのことについて会いたいと思うでしょう。私達は、、、ここにいる何人が個人的なインタビューをしたいですか、手を数えさせてください。ワォ!したくない人はいますか?
だから、我々はある意味、それらをすべてするのは難しいのです、だからあなたのリクエストを書いてそれらを送ってください、、、ビリーに渡してください。そうするとそこから私の手に渡ります。そして今、彼がそのことについてアナウンスしますー祈りのカード、いつでもそれらが配られるときには。
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我々の聖職者の兄弟達が今朝ここに何人いますか?そのことを聞く機会がありませんでした、、考えなかったから。。。
誰かを認識しましたか?今朝何人の聖職者たちが居ますか?手を挙げるか立ち上がっていただけませんか?何人が今朝この会衆の中に聖職者が居るでしょう。さて、素晴らしい!主にこれらの男性達を感謝します。彼等全員を認識する時間が欲しいですが、皆さん彼等が分かると確信していますし神が彼等をそして彼等の御仕事を知っています。そして我々は、神が彼等を豊かに祝福されるように祈ります。間違いなく彼等の内の多くが、彼等自身の礼拝を閉めてここにきている事でしょう。ジュニアジャクソン兄弟と私が思う意、ドンラデル兄弟。そしてこの放送が彼等の教会に行っています。そしてそれから、ニューヨーク全体と他の国全体に、これは個人的な電話を通して各教会に今朝繋がっているのです。
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今朝リチャードブレア兄弟がここに座っているのを見るのはうれしい事です。神がそこの人々の間で素晴らしい事を行われたという手紙をちょうど読んだところです。先日、その様に理解したのですが、(もしかしたら間違っているかもしれません、もしそうならブレア兄弟、私の言った事を直してください)彼は働いていて、トレーラーのワイヤーか何かをする人を助けていました。そうだったと信じます。(手紙を読みました)そして彼等が何かを予約していたか何かで、小さな男の子が居た所にその水流が流れて行ってしまったのです。(そのトレーラーを持っていた一人の男性の、彼の小さな男の子、小さな少年)そしてそれが小さな男の子を殺してしまったのです。そして彼の胃が腫れて、、、我々は電気ショックを知っています、、、彼等が死んだとき、それが起こりました。その小さな目を閉じて、歯も一緒に行ってしまったのです。
その兄弟はとても怖かったのです。ブレア兄弟が言うには、彼は私をどこかで捕まえてそのために祈ってもらえるはずだと考えたと言っていました。しかしそれは「どこでも二人三人が私の名のもとに集まっているところには私はその中にいる」を覚えていたのです。そしてその小さな男の子の父親が、彼の指を綺麗にして、小さな男の子の口に指を入れて無理やり開けようとしました。そして彼等は膝まづいてその小さな男の子の上で祈り始めたのです、そして彼の命が戻ってきました。
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それは本当でしたか?ブレア兄弟?我々の忠実な兄弟の一人がここにいます。オーその小さな男の子もここにいます。我々は主に感謝します。それは素晴らしい。あなたに立ち上がってほしいです。少年! さて、我々は親愛なる主に子の為に感謝します。それは小さな少年のお父さんでsか?あなたがお父さんですか?そうですね。そしてここにリチャードbレア兄弟が居ます。我々の神は何でもすることが出来る方です。その通りです。彼はその約束をされました。我々は偉大で栄光の天の父の聖なるご臨在の中に生きているのです。そしてもし我々がただそれを信じる事が出来るならば全ての事は可能なのです。
何がされたかが分かりますね、人の命を信じることによって。。?彼の小さな少年が救われました。さて神は彼の忠実な僕をそこに置かれていました、、ブレア兄弟。。そしてその小さな男の子の為に彼がその状態にあった時に祈ったのです。はい。何かが起こる時なんであっても、あなたは生きる神の子供たちなのです覚えておいてください。「二人三人が私の名のもとに集まるならば、私はそこにいる」そして再び書かれています。「悩める時のいと近き助けである。」そしてもしもしその小さな少年がそこで電気ショックによって倒れて死んだ横たわっている問題があったならば。我々は今朝、心から、この奇跡を我々の為に神が行ってくださったゆえに感謝する事が出来るのです。
これらの忠実な人々を又神が祝福しますように。緊急の時、それこそが神を見上げる時であり、神を見上げ、緊急事態が起こる前に彼と友情を結んでおきましょう。我々はこのことを知っています。「もし神が我々の味方であるならば、何でも彼に尋ねる事が出来るのです。他の友人と同じように。そして神は悩める時のいと近き助けなのです。
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昨日通りで、ジョンマーティン兄弟の妹に会いました。私は、、誰かが通りで私を止めようとして、誰かが通りかかって、手を振りました。家に帰ってきたら、ご存知の様に、人々が至る所で止まっていて、手を前後に振っているのです。そしてこの女性を覚えていました、彼等は最近彼女を後ろから車の中でぶつけたこと所で私に電話してきたのでした。彼女の骨盤から何からがつぶれていたのです。彼女は彼女の人生これからずっと麻痺する事になっていました。彼女は今朝このミーティングで座って、神のご臨在を楽しんでいます。私は園部屋で彼女と話していました、もう一度彼女の為に祈りたいのです、そして彼女は、、、ここのどこかにいます。もしかしたら入れなかったのかもしれません。しかし、ここに間違いなく、私達の側に座っています。その通りです。ちょっとだけ立っていただけますか姉妹、人々が?医者が数日前もう二度と歩く事は出来ない、骨盤が壊れていて全てがダメになっていたのです。そしてそこに彼女は完全になって立っています。ご存知ですね、聖書には、「そして彼等はそれに敵対して言う事は何もできなかったなぜならばその人は彼等の間に立っていたから。」その通りです。ここに小さな男の子が死から生き返ったのです、そしてここにいる女性は骨盤が崩れて壊れていたのに今我々の只中で立っているのです。それは既になされた事なのです。そして彼は昨日も今日もいつまでも変わる事が無い方なのです。主の御名をほめ歌え。彼のご臨在の中に生きている我々は今どれだけ幸せであるべきでしょう、彼は悩みの時のいと近き助けなのです。
バイル兄弟、マーティン兄弟、そして今朝沢山の兄弟達に会えてうれしいです。そして主が兄弟達をみな豊かに祝福されますように。 さて、それは、、、
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ここにいる全ての混雑状態で決してここが涼しくない事が分かっていますが、私が先日ツーソンをでたとき、華氏104℉か105℉くらいでした、そして夜中は93℉でしただからこれは私にはかなり良いのです。そしてパーカーでは我々が出発する前の金曜日は140℉だったと言っていました。どれ程暑いか皆さん想像できますね。もちろんそこは砂漠ですから。
そして、今今週から3週間毎週日曜日、今日、15日、だとおもいます、ですよね。16日ですか?15日、ですね?
18日。そして28日、それから8月1日。それでいいですか?25日、18日、25日、そして1日。。タバナクルで礼拝があります。外にあまり出ないほうが良いですね。ここでしっかりと見て行かないと、物事はもっと悪く成るだけですから。もしできるならば戻ってきてください。
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そして、それから、ここのトラスティに集まってもらいたいのです。ミーティングを開きたいと導かれたときに場所がそれをさせてくれない状態があるのです。だから彼等に、どこかにテントを得て貼って、そこにいる事が出来たらどうか尋ねたいのです。ここのボールパークあるいは牧場かどこかの場所で主が導かれるところで。そしてそれを主がなさるだろうと感じています。そのことに関するビジョンがあるのを知っていますね。そしてだからこのことが起こっているのではないかと思っています。さて、ある時何か特定の事が起こるとひどいと思う事が良くありますが、(ご存知の様に)それは神がこれらの事に導いているからかもしれまsね。神が言う時、神はなさいますから。
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数日前の夜、あなた方の多くが、、、約1か月前くらいにアフリカに行く前ですが、、あなた方の多くは多分、テープを持っていますね(それらのテープを得たはずです)ー花嫁の選びーに関するテープ、カリフォルニアで話した者です。そのテープの最後の数分に、そこにいたことをはっきりとは覚えていないのですがー神の御霊が、そのような方法で。彼等の生活方法やしていることを、福音を宣べ伝え彼等に沢山の事を宣言した後での生活を私が、強く非難してい明日。そして突然、聖霊が語り始めたのです。「カペナウム(分かりますね)その街は天使の名前だと呼ぶが(ロサンゼルスの事です)天に迄も上り詰めたつもりでいるが、地獄に落とされる」分かりますね。そしてその時、それが終わって、なぜか私は外に居たのです。そしてモゼリー兄弟とビリーは私と一緒に居ました、そして彼等が言ったのです、戻ってみてください、床全体に人々がいっぱいで、聖職者たちが泣いています。
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そして私は行って、その時聖句を得て、言ったのです。「聖書にはそれについて何かを語っている」そしてそれはイエス様がカペナウムを叱責していたのです。それは彼が訪問した海沿いの街々全てでした。彼が言ったのは、「 ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムやゴモラでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。」そしてその時には、ソドムとゴモラは海の底に落とされていました。そしてちょうどその後、イエス様の預言の100年位後に、彼が訪問した唯一の海沿いの街であるカペナウムは海に落ちたのです。それがカリフォルニアーロサンゼルスに対する、直接的な答えでした。
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そしてその後、先日ツーソンに、戻った時、そこで(カリフォルニアに)大きな地震が起こっていたのでした。そして科学者たちはテレビで話していました。それは新聞にもあり、その自信は、アリューシャン列島から離れて、あるいはアラスカからアリューシャン列島の周り約200マイル海の外でサンディエゴに戻って、ロサンゼルスのあたりからサンディエゴに来ていたのでした。そして数インチが引っ張られて、家々がひっくり返ったりしていました。モテルもその様でした。そしてこのパネルセッションに居た科学者たちは尋ねられていました。「いつかこれは海に落ちるのでしょうか?」
彼「可能性?間違いなく」と言っていました。そして彼は科学的な名前を使ってラバがどうなったとか。。。これらのサンディエゴの周りからその下側に起こっている地震の原因がそれであるとか、そこに空洞の場所があるという事を言っていました。そして今、それらすべては砂の様に壊れ始めているのです。そしてそれはクズの様なもので数インチhっパラレルと、壊れるのです。彼等はレーダーなどを使う事もできたでしょうしそのクラックに従ってそれがどこにあるかを見て印をつける事も出来ました。そしてそれが数インチ多分、2日3インチ先日又引っ張られているのです、ちょうど預言が与えられた直後でした。
そして、インタビューを受けた科学者が行っていました。「私達の時代ではないかもしれない」
彼は「でも5分後か5年後かわからないが必ず落ちるだろう」と言っていました。
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シンプソン夫人、彼女が今日我々と一緒にいるとは思いませんあるいは、フレッド兄弟がここに座っているのが見えますが、シンプソン夫人がどこに居るのかは知りません。彼女は、1935年位かその時期に私が作った「時が来る」と言っていた(それはある本のどこかにかかれていました)彼女は出て行って預言を受け取っていたのです、そして海が砂漠に入っていくために泣いている」何が起こっているかを見ていきましょう。もし1平方マイルが地球のラバの中に落ちたとしたら、一度に何百万もの人々が死ぬことになります。そしてそれは津波の原因となります。覚えておいてください、サルトン海(死海)は海抜よりも百か2百フィートも低いのです。その水は多分そこに津波が来たらツーソンに来ることでしょう。そしてその海は砂漠に入っていくから泣くことになります。
国々は分れている。
イスラエルが目を覚ます。
その印は我々の預言者に先に告げられている。
異邦人の日々は数えられている。
恐れが邪魔をしている。
戻りなさい、ちりじりになった我々自身の者たち。
我々は終末を生きている。さて、主があなた方を豊かに祝福されます。そこから始めたところで時間を忘れています。いずれ間もなく凄く速くとにかく永遠へと消えていくのです。
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さて、これから、マルコの7章の7節からこの議題についてそして歴代誌上13章から読んだところですーここからテキストを作ります、まずマルコ7章7節を読みたいです。
人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。
さて、主が私に与えられたメッセージ以外に何も知りません。そしてそれが私が話せる全てなのです。
そして今、今朝良いと思ったのである議題について話していきます。そして今晩、「その季節に会う肉」と言う議題について語りたいと思っています。もし神の御心ならば。「その時にあう霊的な食物」そしてそれをどのように受け取るのか」「御心になることなしに、神の御仕事をしようとする事」
神は主権者なのです。そして歴代誌上13の聖句を読み事で聖句の中でダビデがここで何をしたかが分かります。そして彼は、彼の動機は良かったのです。しかし神は良い動機の上に我々にメリットを与えてはくれません。神に仕えるには一つしか方法はないのです、神の命令の中に彼の御心がありそれを行う事、主権者になるという事で、誰も彼にこれをせよだのそれをこの様にせよとかを言う事はいないのです、彼がその方法で行われます。彼がそれをなす正しい方法を知っておられるのです。そしてそれは私を気分よくさせます。そして我々全員の気分を良くするはずですそして私は間違いなくそうです。人はこの方法でやり、もう一人はその方法で、他の人は別の方法。
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しかし一つ神について素晴らしい事を再び言うとなると、彼は我々を離れた事は無いのです、真理が何でどうするべきかを知らずには。彼は我々がどうされるべきあ分からずに、そして何かで失敗するとしても我々を叱られません。そんな神ではないのです。神は語られた言葉を彼の子供達が信じる事を期待されるのです。そしてそれ故、彼は何が最善でいつそれをするのかどのようにするのかを知っておられます。我々にはアイデアがありますが、そのことも神はご存知です。
そしてその時、もし彼がある体制を設定して、神がそのことをされようとしていて何が起こるかどのように起こるかを告げなければ、そして我々がそのことで使えてしまったならば、我々の失敗や何かをしようと試したことで義化され、お互いにみんなが義化されるでしょう。しかしそこには一つの方法しかないのです、それは神の言葉にあるのです。
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そして、もう一つの事、ここでのダビデ、我々は彼が心の中で何をしたがって居たかそしてそれがよいものであったことが分かります。彼には悪い動機や悪い目的はありませんでしたが、その家あるいは主の箱舟はその人々から離れていました。そして彼は神の箱舟をその場所に齎したかったのです、だからその人々は神と彼等がしたかったことについて相談したかったのです。
そのことを行かせる代わりに、我々は、 もしブレア兄弟とこの小さな少年のお父さんが、「ひどすぎる、子供はひどく傷ついて死んでし又、それが起こったことですね?」と言ったとしたら、然し彼等は神のもとに急いで行ったのでした。
この小さな女性と彼女の夫ー福音の聖職者がー数晩前に、あるいは数日前に、彼女が今ちょうど立っていた女性ですが、彼女の腰椎が壊れた時に。?医者は、「彼女は一生涯麻痺した状態になるだろう」と言いました。もしその夫が、。。彼女が言った様に「ねえ、あなた、我々で何とかしませんか?」と言っていたら・・しかし彼等はそれについて急いで物事をしたのです、彼等は神のもとに行ったのでした。どれ程の回数、聖書の中で人々が問題に陥った時に、神に行った事を見つける事ができますか?
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さて、彼等の時代において、彼等は、神に出会える場所は、契約の箱のある場所で血の下だけでした。それが唯一神に会える場所、血の下での事でした。その憐れみの御座は礼拝者に憐れみをくれていたのです、あるいは神の許しを尋ねに来るものに対してでした。そして神には特別なやり方がありました、その方法をあなたも取らなければなりません。そして彼はそれ以外の者は受け入れません。彼は他の方法で受け取る事は無いのです、神ご自身が決められた方法だけです。
最近、あるメッセージを説教しました(ここにいる多くの人が知っています)そして神が崇拝者に会う唯一の場所を提供されました、神は言われました、その場所に「私の名をつける」もし我々が教会で彼の名前を持っているならばそこが我々が得た場所なのです。彼は言われました。「全ての門を祝福する事はしない、私の名のついた文だけに入りなさい」一つの場所だけにその名を置く、そしてそこであなたは私と会ったのです。そしてそこが唯一私があなた方と会う事になる場所です。」そしてそこで彼の名前を置かれたその場所を見つけることになります。そして唯一神が崇拝者に会う場所なのです、そして彼の名前はイエスキリストです。神の名前はイエスキリストなのです。
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イエス様は、「私は父の名によって来た」と言われました、全ての息子は彼の父親の名によってきます。そして、彼は父の名によって来たのです。そして他の名は天の下に与えられていないのです。メソジスト、バプテスト、長老派、キリストの教会のどれもそれは違うのですー神が人に会う唯一の場所は、彼がイエスキリストの内にある時だけそれが唯一の場所なのです。そしてすべてのこれらの古の事は旧約聖書の形の下に置かれています。それを皆さんにはっきりと理解してほしいのです。さて、それは日曜学校の学びです。いくつかの聖句を得ましたそしてここにノートしておきました。そしてこれは皆さんが理解するのを助けるだろうと思いましたと言うのは古に起こった全てのことは我々の為に見本となるからです。
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さて、我々は、神がする方法は一つである事を見出しましたが、ダビデヘア神に祝福されていました彼は王にならなければならなかったのです、何とかして神の為に何かをしなければならないと考えていました。そして彼は一度も正しい方法ですることが出来なかったのです。
我々は、神が彼自身のあらかじめ定められたときの中で彼の御言葉を顕されることに、気が付かされます。さて、マルチンルターがどのようにして今日のメッセージについて知る事が出来たでしょう?長老派が、マルチンやカトリック教会がどのようにしてマルチンのメッセージを知れたのでしょうか?どのようにしてジョンウェズリーがルターのメッセージを知ったのでしょうか?ウェズリーがペンテコステ派のメッセージを知ったのでしょうか?あるいはどのようにしてペンテコステ派がこのメッセージを知ったのでしょうか?分かりますね、彼はそれを彼の時に顕かにされるのです。と言うのは、それが種であり(子孫)でありそれが成長して成熟するからです。それによって彼は彼自身を顕かにされるのです。
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ある意味太陽の熱が開かれるように。若くて柔らかい種が地を引き上げて、そして葉っぱが伸びて来て、他の太陽の段階の中に入ります。その熱い太陽は、その種が熟するときにその時間に種を殺してしまいます。だから彼は太陽を調整して、彼の御言葉に見合う様に養うのです。彼は教会を調整し、又あらかじめ定められたもの、花嫁に、彼等が生きている時代でその時期に会う様にされるのです。
たとえ、自然自身が我々に今日そのことを突得たとして、その国々が壊れていく事が分かり、地上が沈みその壁にかかれた手書きの物が分かるようになるのです。我々は教会と国々がその中に在るのが見えます。我々は花嫁とその状態で彼女がいる場所が分かります。そして我々は自然によって、教会が離れる準備をしている事が分かるのです。何という栄光の時でしょう。それは全ての預言者が夢見て居た時なのです。それこそがこの時代なのです。
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さて、神は彼の御言葉の中でのみ、その時期を明らかにされています。マルチンは私達と同じ聖書を読みました。ウェズリーもマルチンルターと同じ聖書を読みました。ペンテコステ派も我々が呼んでいる同じ聖書を読みます。イエス様はパリサイ人が読んでいた同じ聖書を読みましたしかし彼等は、、、、初期の時代に、それが熟している時期にその種が成長しようとしている間に、彼等の時代にそれを理解する事が出来ませんでした。
さて、ダビデはここで同じことをしていました。神はこの言葉をその時期に彼がそれを選んだ人に対して顕かにされるのです。神は彼が選んだ人だけにそれを顕かにされます。神は世の始まる前にそれを選ばれているのです。全て神のされている事はそれ以前に人には隠されているけれども神には先にご存知なのです、神はただ彼の御心としてそれらを顕かにされるだけの事です。それは神が選ばれた時期に彼の選ばれた個人にする事です。そして彼はグループやらセクトを選ばれることはありませんでした、それは一人の人でした。その様に彼はされているのです。
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誰が神様を正そうなどとするのでしょうか?そして言うのでしょうか?「さて主よ、この人をそのミニストリーにつけたのはあなたが間違われました。この人は我々が信じる様には信じていません。」などと言うのでしょう。誰が、神様に彼が間違っているなどと言うのでしょうか?彼にそのようなことを言うならば私よりももっとおかしな頭を持っている人じゃなければなりません。神は何をなさっているか分かっておられます。神は誰を選び誰を選んでいないかもご存知であり、何をすべきでいつすべきかもご存知です。どれだけ、我々が特定の仕事をするのに特定の人物が的確てあると思ったとしても、神はその時と季節において誰が資格があるかを又その時とその他ださいい時にするのかをご存知なのです。
そして本物の本当のクリスチャン、神を信じる本物の本当の信仰者は主を待ち望み、これらの事がをされることを待つのです。あなたのミニストリーをし続けるのです。もし召命を感じるならば、それが神の物かどうか確証してください。それが正しい物であるかを確認してください。あなたが行っている事がその時にかなっているかを確認してください。聖書は、(イザヤ40:31)「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」と言っています。
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気がついて下さい、イスラエルの王、ダビデは、ただ油注がれたのです。サムエルが彼にあ某らを注ぎました、彼は神がイスラエルの王として選ばれたのです。そしてダビデは主の契約の箱をダビデの街まで持っていくというこの啓示を得たのです。さて、何もそれは間違っていませんが、分かる様に、やり方を間違えたのです。
さて、もし人が啓示を得たとしてみると、神の選んだ王の様な偉大な人年て、(キリストを他にして地上に生きたもっと偉大な王はダビデだと思いますというのは、キリストはダビデの子と呼ばれていますから)。さて、最大の人、肉的に油注がれ、神のご臨在の中から来て、神ご自身から何か啓示を受け、神の為にそれをしたかったのですが、その啓示が間違っていました。さて、それは偉大な事でした。我々の議題と関係があるのです。神にする様にと呼ばれることなく、神の仕事をしようとする事。
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さて、ダビデはその啓示を受け取りました。そして気がついて下さい。それは預言者ナタナエルが受け取った啓示ではないのです。それは王としてのダビデが得た啓示でした。ナタナエルはそれについての相談も受けませんでした。彼はナタナエルに一切尋ねませんでした。しかし、歴代誌上を見ましたか?彼は何千も何百ものキャプテンたちと相談したのです。彼はナタナエルとは全く相談しませんでした。彼は人々と相談して、又、その時代の祭司や神学者達とも相談しました、それはその時代の律法学者や神学者達でした。ダビデが最初に相談していったのです。「これが神の物ならば、我々を行かせて我々の神の契約の箱をその街に持っていかせてください、そしてそれを行う前に神に相談させてください」と言ったのです。
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彼等は、サウロの時代には、彼等は神との相談を契約の箱によってしたと言った、そのくじ引きの様にしてそれを離れていた。そしてダビデは言った、「さて我々は神に戻ろう、皆で、正しい事を使用ではないか。降りて行って、その神の契約の箱をここに持って来よう、(神のご臨在を待ちもっ来ようという意味)。リバイバルを使用。人々を戻そう。しかし彼の得た啓示はよさそうに見えましたが、神の御心ではありませんでした。
元々に尋ねる代わりに、彼は将軍たちに尋ねたのですと言うのは彼は王になったばかりでしたので、その考え方の線に従っていて、彼の将軍のトップと彼の偉大な人々に聞いたのでした。
そして、彼は普通に教会に行って、リバイバルを持ってるかと尋ねたのです、その祭司、その律法学者、千人の長や百人の長に相談したのです。「これが主のご意志ですか?」彼等はそうだと言ったのです。しかし分かりますね、彼は神がいつも扱う方に尋ねるべき元に聞かなかったのです。だからそれを得られなかったのです。
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さて、彼の動機は良かったのです。彼の考え方もよかったのです。彼の目的もよかったのです、その街にリバイバルを齎す事、人々を神のもとに戻らせる事。しかし、その神が彼にせよと言った方法で相談を一度もしなかったのです。分かりますね。
すべての人が同意しようが、その祭司や王が正しくても。彼等がその契約の箱をその街の戻す必要はありました。さて、彼等には神のご臨在が必要だったのです。彼等にはリバイバルが必要でした。しかし神は、その時に人々に神の御言葉を明らかにすると約束されてはいませんでした。彼はその王にその時になったら表すとは約束されていませんでした。神は変更は一切されないのです。その約束をされていなかったからです。
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どれだけ誠実で、どれ程良い動機があろうとも、どれ程良い目的があり、人々がそのことを欲しがっていて、そしてその必要が分かっていても、神の御言葉はこれらの事の中で動かれるのです。
それが私自身をしっかりとさせたがさせる物となります。神の御霊があなた方に住んでいるならば、私はこれをしたいあなた方はそれが分かる必要があります。そしてそれが理由で、私はここに長くいるのです。あなた方の時間を長く電話につなげさせておきたいからではなくてそれを理解してほしいからです。時間が無くなったら、テープを得て下さい。そこに
どれ程それを必要していても、どれ程皆がそれが必要だと同意していても、どれ程それが真理だとしても、一つ分かっていなければいけない事があります:それが神の御心ですか?
さて、神は彼の王たちに神の秘密を明らかにすると約束された事はありません、彼は彼の秘密を彼の人々に顕かにされるのです。
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例えば、イムラ―の息子ミカヤの時代、、、、我々は離れていてテキストもないが、別の時には、これを持ってきて、あなたにそれを真実とします、本物として、見失う事は無くなるでしょう。
ミカヤの時代、彼は貧しい人でした、そして又貧しい家族の出身でした。しかしイスラエルの王、アハブは、神のもとにある国としていました。彼は学校を起き、選ばれたものを連れて来て預言者を選びました。ある学校には4百人の預言者が居ました。そして彼等は素晴らしい人達でした。彼等は偽預言者でなかっただけでなく。彼等はヘブライ人の預言者で、純粋な人々でした。そして彼等はこれらの人々によって神と相談をしていました。彼等は預言をしました。しかし分かる様に、本当の言葉始まると、彼等は神の御言葉と神のご意志から外れていたのです。
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ヨシャパテがエルサレムからアハブをに会うために来て、彼等は彼等の着物を来て文の所に座っていて、預言者を彼等の前に連れてきました。はじめに、アハブ王は、「我々はラモスーギルアドに場所を得た、それは実に我々の物なのです。さて、主が仰せられるのです」ヨシュアは人々を分けて彼等にそれを与えたしかしぺレステ人はそれ尾を取り押さえて行った。そして行ったのです。「ほら、我々の子供達はパンが必要だ、パンを育てるだけの十分な土地がない、我々の敵であるぺレステ人、子供達を養う事ー異邦人ーエホバの神が与えてくれたその土地の上で」それはかなりおかしなことだと言いました。「ここで我々は神の民なのです、私の必要のある子供達と一緒にここに座っています。そして我々の敵は神がエジプトから出る様に呼び出されたそこの土地で彼等の子供達を養っています。それが神学者を立ちあがるのですか?神は言われました。「我々は神が我々に下さった土地を取りに行きましょう?ヨシャパテは「そうしましょう、私があなたを助けましょう。我々は兄弟です。あなたはユダに居て私はエルサレムに居ました。(あるいは反対ですか?
信じているのは、それで正しいと思います。思うにヨシャパテは)しかしながらヨシャパテは良い人でした。義人で主を愛してたのです。アハブは生温い信仰者でした。だから彼等は彼等をそこに連れて行ったのです。その通りです。'あるいはその反対だったかも)申ジエいるのは、その通りではなかった。ヨシャパテは、良い人でした王でもありし義人でもあり、主を愛していました。アハブは生温い信仰者で、彼等が彼等を引き落とすことになります。ヨシャパテは言いました、「聴いて下さい、主と初めに相談しましょう。我々は初めにこれを見つけるべきですね」(分かりますね、もしダビデがヨシャパテがしたことをしていれば)彼は「これをすべきだろうか?」と言ったのです。
そして即座に、イスラエル人となって、アハブ王は言いました。「間違いなく、私は400人いる、我々の様にヘブライ人もー我々自身の組織のヘブライ人の預言者。そして私は彼らと相談する。彼等は預言者である。 さて、あなた方は分かりますね、ただ、、、
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あなた方は、「それが躓きになるのです、ブラナム兄弟、預言者?」オーそうですね!得れ美亜の時、彼等は2年間だけそこに行くと言った人が一人いました。主がエレミヤに行ったのです。70.
彼の首にくびきをかけて、預言者はそれによって倒れたのですーハナニアでした。しかし彼に何が起こったかは知っていますね。そうです。あなた方は御言葉と共に居続ける必要があります。
だからこれらの預言者達が来て、預言をしたのです。そして言いました。「登り続けなさい、主は共におられる。そして彼等の内の一人は、そうだと信じていますが、今彼の名前を忘れましたが、そのチーフ、ゼデキアだと思います。彼は二つの鉄の角をつけて言いました。「これによって主がこう仰せになられる」「さてその人は誠実でした」あなた方の敵を彼等の土地に戻し神に属していた物を取ったのです。それはあなたに与えられていたのです」彼が偽善者だったとは思いません。彼は良い人だったと信じています。彼等預言者は皆良い人だったと信じています。
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あなたは、「預言者達?」と言います。はい。覚えていてください。イエスキリストを殺すようにしたまさにその人は預言されていましたと言うのもそれが彼の場所だったからです。彼はその年の大祭司で又彼がその仕事を持ち、その場所を仕切っていて、彼に神の御霊が来たのでした。だとしてもそれが彼が救われていたと以下そういう意味ではないのです。彼は預言をした(カヤパ)と言うのは彼の場所がそうしたからです。
そしてこれらの預言者は預言者の場所に居た預言者となり、預言をしたのですそして神の御霊が彼等に下りました御霊の賜物と共にある人々でした。
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99%ペンテコステとして話していることに気が付きましたが、多くの場合ある人がその人々と神が取引する事が出来る場合、賜物を彼等に与えてるのです。そして人々はこれらの人々を握りしめるのです。もし彼等が完全に証明を受けて神から送られていないのであれば、彼は神の御心でない何かを男性や女性に言わせる可能性があります、と言うのは人々は彼等にそうするように矯正するからです。
ここに我々自身の小さな牧師を捕まえなければならない事もありました。ある朝、森の中で朝の3時くらいでしたが言いました。「ネビル兄弟に言いに行きなさい」あなたの所に行きませんでしたか?ネビル兄弟?
皆は「ネビル兄弟が私について預言をしてこれやあれを言った」と分かりますね?彼に何か起こらないようなことをあなた方は言わせたかもしれません。彼等は主が何をさせたいかを見つけるのに待つ必要があるのです。
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そしてこれらの人は自然な感覚で「それは私達の物である」と見做すのです。でも分かりますね、彼等は神の御言葉と御心を見つけてはいませんでした。
そしてミカヤが下りて来て、彼は幻がありました。(預言)彼は初めに調べたのです気が付いていましたか?「待ってください、今日一晩私に下さい、明日になったら応えられるかもしれません」と言ったのです。すぐに彼は「主が仰せになられる」とは言わなかったのです、他の預言者と同様です。彼は「神が言われた事だけを話すでしょう」と言ったのです。そして翌日、我々は、神が彼に言われた事が起こったことが分かります。そしてそれは絶対的に他の物とは反対だったのです。学校全体で、それは反対でした。そしてたとえ彼等の内の一人が、歩み寄ってきて、彼に面して彼を馬鹿にしても。でも、彼は待っていたのでした。そして彼がそうした時、彼の預言や幻と書かれた言葉と比べていたのですそして、それは御言葉と叶っていました。
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誰かが、彼等が父と子と聖霊の名前によって人々を洗礼するという啓示を得たと言ったら、それは御言葉にかなっていません。誰もそんなことをした人は聖書な中にはいなかったのです。彼等が「オーこれとあれともうひとつを送るだろう」と言った時、そしてそれ以上にそれは御言葉に反しています。彼等がサーパントの子孫(種)を信じないと言った時、それは御言葉と反対になっています。全てのこれらの他の事も、御言葉とは違うのです。時がよくても悪くても御言葉にかなっていなければなりません。
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さて、もしダビデがそれだけをしていたら、その神の契約の箱は来たでしょうしかしその時ではなかったのです。その場所はその時にはありませんでした。
気がついて下さい、神の契約の箱を取りに彼等が行った時、すべてのお偉方は言いました。「それがダビデがする事なんだ。神に栄光!我々にはリバイバルが必要だ」と。それが今日のペンテコステですーバプテスト派、長老派。「ダビデ、あなたは我々の王である。あなた方は皆、何某の長、何某大臣、何某大将があなたの会合に来る、なぜ、彼等はただすることを言うだけだ、ダビデ。国全体があなたの後ろ盾だから。」それが今日の問題なのです。私は国などいりません。神が欲しいだえです、誰も一緒に私と立たなかったとしてもです。
ダビデは全ての大将たちが一緒に居ました。彼は軍隊の協力がありました。彼は全ての宗派教団そして全ての神学者の協力があり彼に全員が同意していました。だからアハブもでいsたそして聖句の他の中にも、然し彼には神はいなかったのです、彼は御心のから外れていたからです。ここのところが分かっていただけたと望みます。
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気がついて下さい、彼等は全ての出来る宗教的な事をしました。彼等は多分、広告を貼りだして、皆「素晴らしいリバイバル、神の契約の箱を戻そうとしている。我々はリバイバルを持つことになる。このことを我々がすることになる」
気がついて下さい。彼は歌い手を送り出しました。彼は竪琴やラッパを持った人々を送りそして彼等はどの様にやるかを知っている宗教的な全ての事をしましたが、そこには神はいませんでした。どういうわけか我々もそれを繰り返していませんか?
彼等は歌い手を全員連れて行きました。彼等は竪琴の奏者、ラッパの演奏者、女性達、男性達でだれでも歌う物をそこへ連れて行きました。そして彼等は全ての宗教的な動きをしたのでした。こうは言いたくはないのですが、言わなくてはなりません。と言うのは:今日のこれらの宗派も同じなのです。ペンテコステ派と全ては歌や叫ぶという宗教的な動きをやっているだけです
さて、ダビデは彼の全身で叫び声をあげ、跳び、すべての宗教的な動きをしました、でも神はそこにはいませんでした。そして彼の動機と目標と全て正しかったのですが、彼は間違った方法で行ったのですね。彼は全ての宗教的活動をし、叫び歌い、特別な歌手、特別な叫びなど全ての事をしました。彼等は霊の内で踊っていました。宗教的に出来る全てをしていました。
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それはある意味、我々の時代の大きな十字軍の様な感じです。彼等はキリストに世を勝ち取りたいのです。そんなものはありません。大きな地滑りのリバイバル、大きな事は起ってはいます:もし彼等がただ認識するならば、その時代は終わったのです。彼女の運命は終わったのです。それでも彼等は十字軍の様なクルセードを作り、組織を建てその他全ての事をしていますが、その結果はちょうどダビデの時の様なものです。それは上手くは行かないのです。
我々は行ってリバイバルを持ちます。我々の素晴らしい、何人かの我々の素晴らしい伝道師が、、彼等は6週間で3万人の改宗者を得たと言います、そして一年後そこに戻ると30人も見つける事が出来ないのです。それは何かが間違っています。それはダビデがしたのと同じ事なのです。素晴らしいお偉方、素晴らしい人々、偉大な説教師、偉大な学校、大きな主権者しかしまだ彼等は古い宗派教団と相談していて、神の御言葉に目を向けていないのです。
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さて、何が起こったか見てみましょう。彼等の宗教的な動きなどは大きく、彼等の動機は素晴らしく、クルセード―も大きく、歌mお素晴らしくてダンスも素敵で、叫びも音楽も素晴らしく、彼等は神の契約の箱も持ってはいました。神なしで契約の箱があっても何か良い事がありましょうか?ただの木の箱です、そこに2枚の石の契約書が入っているだけの事です。それは聖餐式をするのや、洗礼を受けるのと似ています。もし初めに悔い改めていないならばその洗礼には何の意味があるのでしょうか?聖餐式をしてもどういう意味があるのでしょうか?もし神の言葉の全てを信じてそのような人生を生きていないならば偽善者となるわけです。そこだけ取って他の所は取らないというのは何か間違った事がある事を示しているわけです。
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さて、このことが全て起こった時、神と彼の時代と彼の時だと見做されない時にはただ人のアイデアである時に何が起こったか見ていきましょう。
多くの人々は私に言います。「どうしてここに来て、ミーティングを開いてくれないのですか?電話もしたし、これに署名したりあれにも、、」待ってください!あなたはそうしたいかもしれませんが、神はそれについて何といわれているのですか?多くの人々は、私に「招待状があります、インタビューしましたー個人的にそして、、、一年も待っています。待ってください!
どうやって私が神様が何かを言う様にと言われるまで何を言ったらいいのか分かるのでしょうか?
待たなければならないのです。それが理由で、「書いておいてください、神様が何と言われるか私にわからせてください」と言います。分かりますね。待つのです。「主を待ち望む物は、力を得る」そうではないですか?
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さて、彼等はその時代の祭司にー神学者、宗派教団にだけ相談していたのです、気がついて下さい。そして、そうすることによって、祭司と又会衆と人々と相談する事によってー彼等のしたことはまちがっています。
気がついて下さい。契約の箱は御言葉でした。それが正しかったことは知っています、と言うのは、その契約の箱はキリストで、キリストは御言葉だからです。契約の箱あるいは御言葉は初めから選ばれておかれてはいなかったのです。。。はじめに指定された位置。オーこれをしっかり理解してください。教会のみんな!全ては完璧でした、そしてすべてよく見えたのです、ちょうど素晴らしいリバイバルが来ようとしている様に、然し彼等は正しい人と相談する事を忘れたから、、、彼等は祭司やお偉方や神学者や歌い手やら一つの事によって軍部の組織やらなんやらと相談して、国を進めて全てが素晴らしいミーティングでハーモニーの中に居たのですが、神に相談する事を忘れたのです。アハブもそして他の人々も。何という時でしょう!
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さて、これを見逃さないでください。彼等はそれを得られなかったのですと言うのは彼らは神に相談しなかったから。そして祭司や神学者や軍部がしようとすることによってして、その時代の為に神が送ったネイサンのことなど一切考えもしませんでした、彼等はそこを間違ったのです。彼等は箱を取りに行って、新しいカートに載せて、(あるいは新しい宗派が始まろうとしている)神が定めた方法でそれを閉じなかったのです。それはレビ人達の方に載せて運ぶことが定められていました。しかしお分かりになる様に、初めを間違えると、ずっと間違え続けるのです。
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もし弾丸が的を直接に抜くとして、ここから千分の一のバレルを百ヤードの所から、引くとして、4-5インチずれることになります。それで初めから間違っているのです。オー神様、このことを知るのを助けて下さい、このことを始めるのを間違っている事、この偉大なその時代のいわゆるクルセードと呼ばれるもの。
神はそのことについて相談を受けませんでした。祭司たちと宗教的な人々が相談していました。組織が相談していました。「さて、これとこれを持ったらいいんじゃない?皆が一緒に集まれたらと信じている」ただ人を皆集めてはいけません。ただ、神の言葉を得るのです。
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そして我々は彼らたそうするとき、彼等は何をしたのですか?彼等は継続的に彼等の同じ宗教プログラムを続けて御言葉や御言葉からは外れていたのです。それらは何年もなえに死んでいて、何年も前にそれらは乾ききっていたのです。
それは主イエスの時代に乾ききっていました。彼等は知らなかったのです。彼は言いました。「もしモーゼを知っていたら私の事を知っていたでしょう、モーゼは私が来ることを話していました。」
「我々の父祖は荒野でマナを食べた」と言いました
「彼等は皆盲目のまま死んだ」と言いました。彼は彼等を宗教的指導者パリサイ人と呼びました。「あなた方が私を神であると信じないならば、罪の内に死ぬであろう」しかし彼等は信じませんでした。彼等のは凄く彼等の道が正しいと信じ込んでいたのです。彼等は彼等の道を行かざるを得ませんでした。
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それがダビデがした方法でした。彼は彼のやり方でやったのです、ただ言ったのは「私がすることが分かっているかい?我々は前に進んでいる」彼は啓示を持っていました。「我々は動いているそして新しい方法をしている。奇跡の時代は終わった、我々はただ新しい組織を作るのだ。新しい建物を建てて、新しい事を始めたことを見せるのだ」何という偽預言でしょう。あなた方は神が言われたように元のやり方に戻らなければならないのです。
彼等はレビ人の方を押しましたそしてそれは心を超えていたのです。その神の契約の箱、御言葉は新しい宗派教団には運ばれませんでした、人の考えの上にのせられましたが心には入らなかったのです。神の言葉は教団宗派によっては取り扱われません、それは神がそこに来て神ご自身が表される人の心によって扱われるのです。そしてもし彼が御言葉によってそれを顕かにするならばそれは神なのです。そうでなければ神の物ではありません。そしてそれがその時代の言葉となります。
間違いなく、パリサイ人は「これやあれやを我々が出来ないと誰が言ったのか?モーゼがこれらの物を我あれに与えた」と言うかもしれません。しかしモーゼもこう語っていました。。
サタンは言った「それは書かれている、彼は彼の、、、物を与える
「そして又書かれている」イエス様は言われました。
その時代において、「もしあなた方がモーゼを知っていたならば、自分自身を責めたであろう。もしモーゼを知っていたらば、私の事も知っていたはずである」と言いました。「モーゼは私の事を書いたのだから;主であるあなたはあなた方の兄弟から預言者を建てる、彼から聞くように」「もし彼等がモーゼを知っていたらば、彼等は彼の知っていたはずである。」
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さて、しっかり聞いて下さい。ここは絶対に聞き逃さないように。分かりますね、まず彼等は祭司と相談し、お偉方と相談し、軍部と相談し全ての会衆と相談し、隣人全体がこの大きな会合が来るために集まりました。彼等は正しくやる事に失敗しました。彼等は神と相談しなかったのです、そしてそうすることによって、戻ってしまいました、それがどういう時代だったか見てみましょう。
オー兄弟達聴いて下さい。我々はどんな時代に生きているのですか?どんな時ですか?どんな時代に我々はいるのでしょう?彼等が話しているこれらの時代ではないのです。もうそれは終わりました。裁きは既に怒っています。それが壊れているのが分かります。山の上に在った岩の事を覚えていますね?裁きの時。啓示あるいは花嫁の預言を覚えていますか?彼女の段階に居続けましょう。そこから離れることの無いように。
気が付いて下さい。祭司たちの肩の上には、、、
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そしてダビデと全ての祭司たちは本当はもっと良く知っているべきでしたが、それはどうなったのでしたか?祭司たちはより良く知っているべきでした。律法学者、神学者は御言葉がそう言っていないのだからもっとよく知っているべきでした。
そして今日、彼等が言いたかった時、「オーイエスキリストは昨日も今日もいつまでも変わる事がない。その精神、神顕体。それがこのことです。それか他なのか」彼等は神の約束を見落としました。「オーその日は過ぎていく」
ダビデは言いました「得tt、ちょっと待ってくれ、祭司の肩にのせるのはモーゼが戻って来た時の事である、我々は新しい台車がある。私は啓示を得た」
そして祭司は「アーメン、ダビデ」と言ったのです。ね
新しいエキュメニカル協会の影響で皆一緒になりこの方法あの方法でやるべきと言うので、その祭司たちは苦労していたのです。彼等は正しい人と相談しませんでした。彼等はそこではそうしませんでした。だから問題に陥ったのです。はい!
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今日多くの事に悩まされています。。。素晴らしい教師、ペンテコステ派の最大の人が宗教グループの前に先日の夜シカゴで立ち上がりました。私はビジネスマンたちとそのミーテイングに出る予定でしたが、その時アフリカに居ると思っていましたがそれが始まる直前のその日に戻っていました。そして彼等ある有名なペンテコステの知性派を選んで、彼は立ち上がり、彼等にこのエキュメニカルの活動は神の物だと話したのでした。そして彼等が皆戻ってきて、カトリックの教会でさえも元の状態に戻るそして全ての人々が異言をその証明っとして語り始めるなどなどと言ったのです。そしてそれが悪魔の罠だと知らないででした。
そしてある人が、私は知らなかったのですが、時々、あなたがは種を蒔いているのです。何が起こるかは知らないでしょう。しかし全福音ビジネスマンの代表者が、その有名なスピーカーが座るや否や、彼は言いました。「私は我々のスピーカーに反対する事をしない様にしてきたが、これについてはそうではない。ブラナム兄弟は、それが起こるだろうと言っていた。しかし彼は彼はそれは悪魔の印に導くと言っていた」
彼は「しかしブラナム兄弟は彼の話している事を知らない」と言った
しかし彼等は「我々は彼はそれを知っていると信じている」と言ったのです。
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そしてシカゴで、彼等は言いましたここにいる何人が私に上がってきて私の話をしてほしいですか?彼等は叫び声を上げ始めました。分かりますね、あなたは種を蒔いているのです。何が起こるかは分かりませんが、引き続き種を蒔き続けましょう、時が来ると、、、
トマスの様に、彼が最後に主を見た人でしたが、彼は彼を見るまで信じる事が出来ませんでした、分かりますね。彼等がそれが起こっているのを見る時、トマスが来ましたが彼は少し遅かったのです。
さて、彼等がそのことを見た時、それは予見されていて「主がそう仰せられる」と言い、そして彼等は
「我々に油を少し分けて下さい」と言うのです、分かりますね?
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しかし今、気がついて下さい。影響。、、時々、偉い人々は集まります。あなたは有名な何某と有名な何某が、我々の素晴らしい、、何とかが言っているなどと聞きます。そういう事はしないでください。我々の中に偉大な者など一人もいません。唯一偉大な方はがおられますそれは神様です。我々は兄弟姉妹です。あなたが今日教会の牧師でそこに5人しか人がいなかろうが、気にしません、自分を過小評価しないでください。それがあなたを兄弟にするのです。もし神の言葉に真実であるならばです。どれ程小さかろうが、気にしません。神は大きな子供も小さな子供もいません。彼にとって全ての子供は同じなのです。
気がついて下さい。神ご自身は栄光のある象牙のお城から来られ我々の一人になられたのです。誰が大きい人でしょうか?ここに来て祭司の形をとって来らましたが、彼自身が作られたその土を洗われたのです、彼の使徒の足から、、、さて誰が偉大な方ですか?
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しかし人々は影響されていたのです。彼等は理解していませんでした。彼等は何か神が言われていない事でも何か新しい事が起こると考えたのです。彼等は間違った道に行ったのです。それが全てのだいぶ前にあってその距離戻ったこの情熱的な全てもそうでした。各宗派教団は神の癒し人を持たなければなりませんでした。各教団はこれやそれやあれやを持たなければなりませんでした。各宗派教団は小さなダビデを持つ必要があったのです。各人はあれやこれやそのほかも持たなければなりませんでした。何が起こったか分かりますね?ここでも同じことがなされました。同じ事。 影響、、、
その御言葉はその時の物でした、、その時彼等は生きていた時、、、無視されました。
気がついて下さい。レビ人の肩にのせる事は神がこのことについて与えた元々の方法でした。神の契約の箱をレビ人の肩に乗せて運ぶ事。それ以外の事は間違いだったのです。神が言った事は、神がそれを意味されたのです。神は変えることは出来ません。だから神の言葉に留まる必要があるのです。
歴代誌上15章15節を得ました。もしそうしたければ書いておいてください。歴代誌上15:15 レビびとたちはモーセが主の言葉にしたがって命じたように、神の箱(神の契約の箱)をさおをもって肩にになった。
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気がついて下さい。今、しっかりと。神に従う事がその中に在ります。さて、このことをある意味しっかりと頭の中に刻んでおいてほしいのです。神の命令を守る事。神にとって何でも正しい事をする事、正しく仕える事、神に正しく仕える為にしなければならない事が5つあります。
さて、ダビデは神に仕える仕事をしていました。彼は知っていること神を脇に置いてしまうこと以外全ての事をしていました。彼は正しい事をしていました、人々にとって良い事、教会にとって良い事。
でも、5つの絶対事項があります:これらの事を覚えておいてほしいのです。人がどれ程誠実であろうと、神に仕えるのにあたって、これらの5つの事をやらなければならないのです。
はじめに、それは彼の時代にやるべきであることをする事。
もしモーゼが来て、こういっていたら、「我々はノアがした様にナイル川に浮かぶために箱舟を建てよう?」としたら—-ノアの時代は良かったのですが、モーゼの時代には正しくありませんでした。
もしイエス様が来て、「さて、我々がすることを今から言おう。我々はモーゼがした様に山に登って、新しい律法を宣言しよう?」と言ったとしたら。分かりますね。あらまあ!彼自身が律法ですから。彼の時に居なければなりません。彼が指定した時にです。分かりますね?
彼の時間の中に。彼の時、時代とその季節でなければならないのです。
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そして語られた御言葉によらなければなりません。。それはぜっったいです。
どれ程あなたが上手くいえようがどれ程良い人であろうがこれやあれやがどうであろうが。気にしません。それは神の御言葉により、神の時でその時期である必要があり、又神が選ばれたその人に与えられたものでなければならないのです。
どれ程お歴々の偉い人であろうが関係ありません。ダビデ王も彼等と変わらず偉大でした。彼はその国を持っていた王でした。しかし彼は自分のやり方を持っていました、彼等に彼がどうするか。。しかし彼等は神に従わなかったので失敗したのです。
神の御言葉によらなければなりません。神の時であり、神のプログラムである必要があります。
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そして彼が選びそれを与えた人である必要があります。
モーゼは一度逃げようとしました。「誰かほかの人を選んでください!」しかし神はモーゼがそれをス量に選んだのです。彼等の多く、、、パウロもそこから逃げようとしました。他にも、然し神が選んだ人がそれをやる必要があるのです。そして預言者に始めに来る必要があります。神の言葉は彼の預言者達に来る(アモス3章7節)7 まことに主なる神は/そのしもべである預言者にその隠れた事を/示さないでは、何事をもなされない。
そして預言者は神の御言葉に指定されていなければなりません。
あなた方の5つの絶対事項があります。その方法、神の時、神の季節(それをする様に神が仰せになられたとき)そして神が選んだ人であり、まず預言者に来なければならない。そしてその預言者は神に指定された預言者でなければならない。我々は聖書の中で、神に指定されていない預言者を沢山見つける事が出来ます。我々の預言者はイエスキリストなのです。
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さて今気がついて下さい。さて、神は彼の与えた方法日よって物事を顕されるのです。ダビデのやり方を彼等は受け入れました。彼等は祭司の方法を受け入れたのです。彼等は律法学者のやり方を受け入れ、神学者のやり方を受け入れましたが神の方法は拒んだのです。ナタナエルは、その時代の預言者でした。その後ナタナエルは彼等にどのようにすべきか言いました。しかし彼等はナタナエルに相談をしていませんでした。一言もナタナエルは相談を受けていなかったのです。全ての影響、すごい事が起こっている事。そして今その歌を思い出しました。
どうか引き続き主よ、心に火がついている時こそお助け下さい。
私の自尊心を謙虚にしてください。(残りの人達と一緒に行けるように)
あなたの名前だけを呼び続けます。
他の人に頼る事の無いように教えて下さい。
祈りの内にあなたからの答えを待てますように。
それこそが道です。正しい方法でそして信じられている形でそのことが起こるのを見る事が
出来ますように。
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さて、神はダビデに彼等にそのことを明らかにしました、そして大臣たちそして人々そして千人の長や百人の長によってではなく「主がこう仰せになられる」というナタナエルによってでした。そして主が言われたのは、神はその時代の預言者に始めにどうするかを言うまで何もしない。彼等がしたことを見てみてください?
彼等は御言葉から外れて、神の契約の箱を新しい荷車に乗せました。そして彼等は神の与えた方法から神の命令から離れたのです。そしてそれが今日起こっている事です、友よ。だから沢山の大きなクルセードだとかいろいろあるけれども結果がないのです。もっと不信仰、より多くの罪、などもっともっと。お話ししたいのは、この国はもうだめになってきています、この国だけでなく他の国々もです。この国は、イギリスの他の時代のようです。残りの国々全ての遊女(大淫婦)の様になっています。
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モザンビークの文明社会から480マイルもはなれたところ、ジャングルの中のビート族の子供達がエルビスプレスリーを聞きながら一晩中ローデシアをエルビスプレスリーに千マイルを引っ張ってもらうかの如くセットして一晩中頭を売りながら上下左右に揺れているのです。そして彼等は言うのす「彼はとても宗教的で献身的です、そしてパットブーンなど」なぜでしょう。それはユダの時代そしてそれを知らないからです。それは悪いところです。彼等は彼等が正しいと信じています。イエス様はこう言われませんでしたか?このラオデキア教会の時代は「実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。」気が付いていない。知らない!
さて、アフリカのペンテコステ派の子供達とその周りにいる人達も言います。「さてエルビスプレスリーは未だかつて聞いたことがないほど美しく歌う」疑いなくダビデもそうでした、その歌い手たちがしたことは疑いはないのですがそれが死をキャンプに起こした原因なのです。我々は今日どこに居るのでしょうか?友たちよ!
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レビ人達の肩に負わせるのが神の元々のやり方でした、そして彼等は新しい荷車にそれを置きました。さて、それは上手く行きません。彼等は正しい方法で相談しなかったのです。彼等がやろうとしたことそしてそれは間違った道に行ったのですしてそれがまさに今の時代に起こっているのです。
人がどれ程誠実であっても神の示された明らかにされた方法以外のやり方をしようとする時、滅茶苦茶にいつもされるのです。
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バラムの時代のバラムの様なものです。神はバラムに告げました。彼は預言者だったのです。預言者バラム。そして御言葉は彼に来ました。「そこには行くな、それは私が選んだものである。それは私の選びである」と言われたのです。
そしてバラムはお偉方、軍人、説教師、影響を持つ人の所に行って言ったのです。「さて、私は王に言います。その王は、、、」ちょうどダビデの日と同じ様なパターンであり、今日も同じなのです。全てが一つの形式をとっているのです、そしてあなたはそれが分かります。それを見て、「アーメン」と言いますね。分かりますか?今とちょうど同じなのです。
しかし政治家も祭司も、律法学者も、神学者も言いました、「これがその方法で、その様にすることになっている」しかしそうではなかったのです。そしてそれはそうではなかったと証明されました。
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そして神はバラムに告げたのです。-彼は初めに預言者だったのでー神は彼に告げたのです。「そちらにはいくな!」
しかしこれらの他の人々の影響が彼を神が言われた事と反対の事をさせる原因になったのです、そしてそれがリバイバルの代りに呪いとなったのです。オーその通り、彼はそこに行きましたそして人々に行ったのです。「今は、待ってください!分かりますね?」と言ったのです。「我々はモアブ人です。覚えていますね。ロトの娘は我々の女王です。彼女は我々から出た者です。我々は一つの血流から皆出ているのです。我われは皆同じです。我々皆全ての宗派教団は同じです。」一緒に混ざらない様に。そのような者から離れていなさい。分かりますね。そして彼は言いました「我々は皆同じです、あなた方は私達の民と同じようなものです。我々はお互いの中で結婚をしましょうそうすれば本当のエキュメニカル協会になります。我々は皆一緒になって初めの事に再び戻る事が出来るのです」神はそのことを呪われます。その罪はイスラエルを決して許されませんでした。彼等の時代彼等は罪の内の留まる事になりました。それは許されなかったのです。彼等は荒野で裁かれたのです。(その通りです)と言うのは彼等は神のやり方で神の支持されあt方法で物事を行わなかったからです。
気がついて下さい。このことは彼等がイスラエルを荒野での死に導く原因となりましたそしてイエス様は言われました「彼等は皆死んでいなくなった」モーゼの隣に立ちそこに行ったのは誰だったかを見て下さい。-ヨシュアとカレブープログラムの中に在りました。
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さて、再びしっかり見て下さい。ここでダビデが何をしたかについて。そして彼がいつしたか、何をしたんでしたか?誠実な人を死なせる原因となりました。そして思うに我々はまだ捕まっていると思いますそしてその地にいる人々に聞いてほしいのです。このダビデがなしたことは全くナタナエルに相談されていませんでしたそしてそのために主からの言葉を得ていなかったのです、だからそれが誠実な人を死なせる原因を作ったわけです。はい、彼の手がそうさせたのです、その神の契約の箱のある場所に生きておられ、彼の家から出てきたのです。そしてその牛が倒れて神の契約の箱は落ちました。
彼等はもうすでに間違っていました、二つの事で鵜s。まず初めに、ナタナエルに全く相談しなかったこと。次には彼等は神の御言葉を見ようともせずに進んでいったのです、その時代にサムエルが神から受け取っていた物です。そして彼等は決して主の御言葉に相談しませんでしたそして彼等がそうした時は、神の言葉と反対の事をしたのでした。そしてこの良い人が居ました、世話人でした。彼はその時の監督の一人でした。と思います「さてここで、私は神が引き下ろされてほしくはない」だから彼はその契約の箱に手を置いたのでした、彼はレビ人ではありませんでした。彼は死にましたー三つ目の事です。
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さてしっかりと考えて下さい、今日の宗派教団がしたことを見て下さい。彼等はそれを貶めて偽教義と呼ぶのです。彼等が居る場所を見て下さい。彼等はエキュメニカル協会にいるわけです。それは精神的診療と呼ぶのです、神ご自身が真理として指定してそれが真理だと証明した物をです。「オー彼等はちょっと狂った人々が居る」彼等は言います。「彼等が話している事は知らなくよい」それは良いでしょう。我々は知りません。しかし我々は神の御言葉を告げているだけですそして神は何を話しているかをご存知です。私にはそれを説明できませんし他の誰にもできないのですが彼はそれを証明されます。
さて気がついて下さい。沢山の誠実な信仰者がキリストに来て、誠心誠意来たくて来るのですが、霊的に同じ方法で殺されています。多くの誠実な人々がカトリック教会に行き、クリスチャンになりたいと又、メソジスト、バプテスト、キリストの教会、又ペンテコステ派でさえも、クリスチャンになりたいと、彼等はそこ牡にいき彼等に加わるのです。
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そしてダビデがこのことが起こったのを見た時、彼は目が覚めたのです。そこで起きるのが遅くなりすぎないように兄弟達。彼は死がそこを打ったことに気が付いてたのです。その結果を見せて下さい。この何某のリバイバルがその国の教会に人々を戻している。。信仰者の体?それはただ新しい組織と宗派教団を作り上げたにすぎませんそれだけの事です。その国がより良くなりましたか?
彼等はそうなると言っています。アメリカ! 「アメリカがが神を祝福します。それは国です。クリスチャン国です」それは何百万マイルもクリスチャン国からは離れています。私は園為に祈る事さえしません。どうやって祈れるのでしょうか、神の力強い働きの前にさえも悔い改めずそして否定して扉を閉じるのですそして去ってしまうのですから?私は神に経験しています。そして彼女(アメリカの教会)は遠くに離れて今に沈んでいくでしょう。しっかり見て下さい何が起こるかを。
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沢山の誠実な人々が組織あるいはグループあるいはカルトなどに加わるのですそしてそこで彼等は霊的に死に至るのです。彼等に言えることは何もないのです。彼等は物事を言われ続けるわけです。「これらの司教がこれを言ったこれもこれもだ」あなたがここで神の御言葉を見せてそれが「主がこう仰せになられる」と言っても「でも私の牧師は、、」私はあなたの牧師が何を言おうと気にしません、私が言う事も誰かほかの人が言う事ももしそれが神が指定されたその時代のその時の御言葉に反するものであるならそのメッセージに敵対するものなら忘れてしまいなさい!そこから離れるのです!そして裁きの日にここにいる皆さん一人一人の前に立たなければなりません。そしてそのことを皆さんご存知です。そして少ししか知りません、でも今私は年を取りました。神が全てをご存知ですが私は何かを知っているという事ではないのです。私は神が言われることにただ従うだけです。
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今日大きなクルセードがその土地に拡がっているのを見て下さい、それは無駄になると証明されています。そして、イエス様がここマルコ書の7章7節で言われていませんか?マルコ7:7 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。(ダビデが神の契約の箱を運んだのも無駄、アハブが彼等を預言者として訓練したのも無駄、バラムがそのお金を取ったのも無駄)神の戒めを数えるのです。どれ程大変でも。。。
「人々は本当に誠実です」すごくよくそのことを聞くのです。「彼等は凄く誠実です」それは何の意味もありません。エホバの証人、セブンスディーアドベンチスト(SDA)そして全てのこれらのカルトの人々はここで通りに出て我々の一人もしない事をします。カトリックも街角に立ってお金を求めたりします。これらの人々はそのような形で、何億回も何億ドルものお金を今も尋ねているのです。誠実、疑いもないでしょう。教会は出かけていき説教をしたりして、聖職者たちは演壇に立ち彼等の教会に新しいメンバーを得るために何でもしますでもそれが新しい箱舟なのです。一つしか神の契約の箱はありませんそれは神の御言葉です。それに反対しているのはその神の契約の箱からはなれるのですそれは新しい荷車に乗っていて神の肩にはありません。その通りです。そういう事からは離れていなさい。それと共に何もしない様に。
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我々の大きなクルセードで何億人も何百万人も告白をしました。そして疑っているのは、そのうちの百人が残っているかどうかなのです。それは何の意味もありません。そして御言葉の約束を見て下さい。
それは失敗だと思うでしょうそして、それは失敗だと我々は分っています。我々はその土地で今日行われた最大のリバイバルを大なった人の何人かは、すごい勢いで失敗をしたのです。教会はそれが失敗だと分かっています。皆それが失敗だったと分かっています。さて、どうしてでしょう?なぜそれは失敗したのですか?それは良い目的の為でした。それは人々を神のご臨在に連れてくることで、素晴らしいクルセードでした。そして何百万もの人々があkレ等のお金を使って偉大なクルセードを起こしそしてそれらの教会は皆一緒になり大きな講堂や凄い事をして場所を使いました。なぜ失敗したのでしたか?それはその時彼等が生きている時代を分かっていなかったからです。イエス様が立って、彼の心が泣き、彼が涙を流されたかが分かります。彼は言われました。(ルカ13:34口語訳) ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」しかし今お前たちの時は来た。」
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聖霊があなた方に向って叫んでいるのを感じませんか?「オーアメリカ、そして世界よ、何dも何dも私はあなた方を集めようとしたが、あなた方は応じなかった。今あなたの時は来た。あなたの神は快楽と汚れである、あなたのソドムとゴモラの神があなた方の中にいる」小さな子供達でさえ、ビートルズの髪型にして彼等の顔全体にいろいろなものをつけて小さな変態的行為を始めている。我々の女性達は贖いを超えて行ってしまった。男性達は皆大きな弱虫になり、小さな短パンを履いて小さな女の子の様に行動して髪の毛を首まで伸ばして、、そして我々はソドマイト(ホモ)で、その日と神の怒りが我々にかかるのを待っているのです。
ご存知ですね彼がどのように殺し、彼がそれをどのように破壊するかを。彼はいつも同じようにしたのです。ある淫婦が何か間違った事をしたとき、彼女は石打で殺されたのです。彼等はその女性が売春をしている時に石打にしようとしました。その様にして神は教会をつぶされるのです。聖書は言っています。彼は天からまた一タラントの重さほどの大きな音が、天から人々の上に降ってきた。人々は、この音の災害のゆえに神をのろった。その災害が、非常に大きかったからである。とあります。誰が神を止める事が出来るのですか?科学者はそれは出来ないであろうと言っていますか?ノアを安全に箱舟を作らせて浮かばせたのと同じようにそうされます。彼は彼の教会の為に再び守られます。そして彼自身の律法と彼自身の方法で、彼はその大淫婦、王や百人の長や千人の長達と姦淫を行っている者に石を落とされるでしょう。彼自身のやり方で彼自身の律法により彼女を死に葬るために石を落とされます。誰が彼には石を落とすことが出来ないなどと言えるのでしょうか?
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誰かに雨はどの様に始まるか聞いて下さい、そして一つの輪を作って、特定の重さになるまで回って戻って落ちるようにするには。彼は神で天に持ち上げる時に引力さえも彼をとどめておくことが出来ませんでした。神ご自身が引力を創られたのですから、石を100ポンド以上の重さの石を揺らす事も十分におできになるのです。彼はそうされると言われましたからなさいます。誰が彼にそれをするなと言う事が出来るのでしょう、彼はすると言われたらするのですから。
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我々は終わりの時にいるのです。まもなく裁きの時に生きているのです。なぜでしょうか?彼等は50年以上も前の古いマナを食べようとしているのです。ペンテコステ派の教会です。ホーリネス派の教会は200年以上も前の物、ルター派は300年以上も前の物を、数百年前。。。彼等は古いマナを食べようとしているのです。オー兄弟達、それらはもうよどんでいて、くさっているのです。いつも言うのは、「ウジ虫の中にいるしっぽ」の様なものだと。それをもし食べるとあなたは死ぬのです。
ダビデかか彼等の残りの人々がその時代のパンと相談していたらと言う事を見つけてみてください。もし祭司や預言者そして説教師や神学者や学校や宗派教団だけとしていたら、しかし今彼等はもうよくないのです。もう動きがないのです。もう助けられません。彼女はもう行ってしまっています。彼女は5年以上前にその線を越えました、悔い改めと裁きと憐れみの間での事です。
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気がついて下さい、それはどうなるのでしょう、何が出来るのでしょうか?何をすることが出来るでしょう。預言者と聖書我々が加えたり取り除いたりできない所に相談するのです。もしそうするならば、神が我々を命の書から、、、聖書のマラキ書の4章で、今日起こる事を言っているのです。黙示録10章にどのように7つの封印が解かれこれらの奥義がすべて明らかになりこれらの改革者たちに隠されていた物が解かれるかも書かれています。彼はどの様になされるかを聖書の中に置かれたのです。「主がこう仰せになられる」なのです。神は完全で真理を印や天からそして空からの奇跡で指示されますそして全ての事が33年間で顕されたのでした。彼等がそれを聞くと思いますか?いいえ、彼等は死んでいます。彼等は彼等の手を何か全て殺す場所に置いてしまっていたのです。だから彼等は聞かないのです。もう何も。
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これはダビデが見た時に起こったことでした。神様はダビデを我々に送り、彼はそこに立っていました。神の約束を守るために、、彼はその様に今日の為になさったのです。神はそれはここで神の言葉の中で彼がすると言われた事だったのです。
神はマラキに行ったのです。4百人の自邸された預言者達の前で彼の預言(幻)を調べたのです。彼はそれが正しいかどうかが分かったのです。その預言者が彼の前で見たことを振り返り何が起こったのかを理解したのです。彼は振り返り、そこにエリヤが立っているのを見たのですそして言いました。「アハブ、その犬はあなたの血も舐めるだろう」さて、彼はその幻が神の御言葉通りである事が分かったので、それを発表したのですそして彼は正しかったのです。その通りです。どれ程他の人達が言おうとも、彼は神の御言葉に正しくとどまっていたのでした。
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さて、今日我々が持っているそのビジョンを見てみましょう。教会の建物のを建てる事ですか?それは新しい事ですか?それは素晴らしい事が起こる事でしょうかそれとも裁きですか?今日の神の約束を戻ってみてください。どんな時代に我々が生きているかを理解するために。
あなた方は、「神があなたを祝福しますように、兄弟、私は誠実です。教会にも入っています。大学の学位も取りました。私はこれらの事をしたのです。」それは大丈夫です。いい事です、何もそれに敵対はしません。それはダビデも同じでした、その時代の祭司達も神学者もいましたがそれは神の言葉とは敵対していたのです。神が今日どのようにされると言われたか、全ての事を復活させる、又同じことをすると言われました。彼は復活する事を約束されたのです。その通りです。ヨエル2:25で神が約束されたのです。彼は復活させると。(25 わたしがあなたがたに送った大軍、すなわち群がるいなご、とびいなご、滅ぼすいなご、かみ食らういなごの食った年を/わたしはあなたがたに償う)彼等は得たのです。その同じ虫、それは人生の異なる段階でのことです。そしてカトリックが食べ始めた時、そしてルター派、メソジスト教会とペンテコステ派も全てがそうなったのです。神は言われました。「初めの時と同様に、一つの教会を全て償い戻すと」
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先日の夜の幻について話します。同じ花よ雨がこちら側に居てこちら側に来ました。彼等のガウンを淫婦がパスした後で、彼等の古いものがこちらに来てロックンロールでダンスしていながら彼等は自分たち自身を教会だと読んでいました。あなた方は「さて、我々はそんなことはしない」と負います。その様に神があなた方を見ているのです。それは自分自身が見ている見方ではなく、神があなたを見ている味方なのです。彼も彼自身が間違っているとみる事は無いのエス。神の御言葉の中の鏡に睦してみた時だけです。そこであなたが間違っているかどうかを言う事が出来るのです。もしダビデがその様にしていたら彼は彼の間違いに気が付いたでしょう。もしアハブもそうしていたら、あるいは預言者達がそうしていたら彼等自身の間違いが分かったはずです。
指定されていた預言者が、アハブ王に犬たちが彼の血をなめて彼は死ぬと言いました。そして彼の預言はその通りになったのです。彼は彼が正しい事を知っていたのです。ヨシャパテでさえ、それを見て知っているべきでした。ミカヤがその幻を見た時、彼はその時代の人々と一緒にはいませんでしたが、彼は「主がこう仰せになられる」と言う事を持っていたので、彼は正しかったのです。
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気を付けておいてください、このことをこの時代に我々が生きようとしている凄い時代に見ている事を持ってきているのです。気がついて下さい。ダビデもそれを試そうとしていました。私はここに小さなノートを持っていました。彼はダビデも街の神の契約の箱を持って来ようとしていました、彼自身の宗派においてでした。
少し張られて後ろを振り返りましょう、主が初めにここの川の上で話されたとき、「洗礼者ヨハネは、前走者として先に来た」兄弟達、週会社たちはそこに立つことは出来ませんでした、又彼ら全てが団結もしていませんでした。彼等はどこかで一つ持っていなければなりませんでした。アー、彼等はそれを全て持っていなければならなかったのです。その通りでした。彼等全員が彼等自身の家にそれを持っていかなければなりませんでした。
ダビデの街にそれを持っていきたかったのはなぜ?そこに準備された場所はありませんでした。そしてそれが理由で、あなた方はメッセージを宗派教団に持っていく事は出来ないのです。その御言葉、神の契約の箱、キリストは、昨日も今日もいつまでも変わる事がないのです。そしてそれが彼の認証です。あなたの組織にそれを持っていくことは不可能なのです。彼等はそれを絶対に信じませんと言うのは彼等にはそのスペースがないのです。齊瀬は彼はラオデキア時代の教会の外に居て入ろうとしていると書いてありませんでしたか?ダビデの街には場所はありませんでした、どれだけ彼等が中性子ていようが、どれ程それが素晴らしいだろうが関係ないのです。そこはそのための場所ではなかったのです、それはエルサレムに行くべきものだったのです。それがのちにそこに行き、預言者が彼等に告げた時に、それで何が出来たかが分かります。だからダビデは彼自身の街に持っていきたかったけれども。その為の場所は用意されていませんでした。
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キリストは我々の神の契約の箱ですそして彼等はそれを受け入れないでしょう。キリストは御言葉です。彼等はそれを受け入れないのです。彼等は彼等の身上、宗派教団、新しい契約の箱、新しい荷車が欲しいのです。宗派教団に彼等はそれを担いでほしいのです、新しい契約の箱をです。覚えておいてください、キリストが我々の契約の箱です。あなたはキリストが御言葉だと信じますね?それはその契約の箱なのです。そうですよね?分かりますね、キリストはいかなる宗派教団の台車によってはただ試合位置で運ばれることは不可能なのです。彼は一人の人と契約を結ばれるのですそしてグループとではないのです。彼はグループと何かを取引した事はありません、いつも一人の人です、彼が言う時、もし彼がしたならば、彼は御言葉を逆手に見ていることになります。(アモス3:7 まことに主なる神は/そのしもべである預言者にその隠れた事を/示さないでは、何事をもなされない。)そしてあなたは嘘をつくことは出来ないのです。出来ません。それは真理です。
しかし彼等はそうしよとしました。その神の契約の箱は組織によって運ばれることは出来ません、それにはあまりにも沢山の人々が居すぎます。分かりますね。それはなされないのです。神はそれはしないしされないと、約束されました。彼は「そうすると約束したある他の方法である時、彼はその約束の下にあるので彼はなさらない・」「彼らの考えを考えない事、それを感じます)
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だから、彼は特定のやり方で彼がすると約束した時、何かそれに反対する事を彼はなさいません。しかしアモス3章7で言われたように、その通りにオリジナルの方法によって、彼は動かれるのです。そして揃えは間違いなく支持されており正しいと証明されたものでなければなりません。さて、彼が予測されたことをご存知です。そして今日神がそれをなさっています。だからそれは神が言い、神が告げたことで、彼はこれらの7つの封印を開けて、彼がした全ての事を、そこでその時の奥義を明らかにされるのです、これらの洗礼やらその他の教義はごちゃごちゃになっていました。そしてここで彼のご臨在の中にいるのです。科学がそれを証明します。天国が宣言しているのです。人が立っている事、正しそうに見える事そしてそれが起こっている事です。彼が言った事でなにも真実にならなかったものはないのです。だからこそ我々が今今日どこに立っているかが分かるのです。
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さて、誰でも彼の霊を持つならば、神の霊が彼の上に在る事をこれが真理であることが分かるのです、神の御霊は御言葉の反対の事を語ったりはしないからです。いいえそれは御言葉にかなっているのです。「私は聖霊を持っていて叫ぶ、異言で語る、霊の内に踊る」と言います。それは一つも神の物だという事を意味しません。ダビデはその時ほどんど全く同じ事に等しい事を実際にしました。彼等は全力を持って歌い力の限りに叫び、その他諸々しましたそして死に歩んでいったのです。その通りです。それとは何も関係ないのです。
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それは御言葉だけなのです、主の御言葉。主を待ち望む者たち。肺の通りです。分かりますね。彼等は今日の為の約束を見て神の御霊を持っていて、彼等がそれを見て「それだ」と言うまで、待っていたのです。神はそれを彼等に明らかにされました。
ナタナエルの様に、ピリピはナタナエルを差が居に行って、そしてナタナエルは言いました「一分待ってください、その約束を知っています、でもちょっと見させてください」と言って。彼が見た時に彼は「それだ」と言いました。
その女性は言いました「今、私は知っている、全種類の神学者から聞き、これやあれやをやった。そして自分自身で聖書を読んでいた、そしてメシアが来るときこれらの事が起こる事を知っているだから、あなたは彼の預言者に違いない」と言ったのです。
彼は言いました。「私がそれです」
彼女は言いました。「来てある人に会ってください。これだけです」彼女は神の御言葉によって認識されるメシアを見るまでマッチました。そして行ったのです。「それが我々が400年待っていた方です。我々にはその間預言者も何もいませんでした。ここに彼がおられるのです、彼自身がその斧だと言われました。さて、(テープが空白になっている)出て来てその人に会ってください、私がしたことを何もかもあてた方です」でも祭司は彼を殺したかったのです、そして彼等は終にそうしました。でも彼等は今日も彼の御霊を殺すことは出来ません。その通りです。いいえ彼はそれを殺せはしないのです。それが我々がそこに会いるための物ですだから我々は感謝しています。気がついて下さいどれ程素晴らしい神であるか、どれ程素晴らしい神の技があるか、神は決して失敗されません。
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さて、神は物事をする為の元々の方法を与えられていました、そして決してそれに反する事はなさいません。
さて、神は終わりの時に彼がすることを約束されました。彼は我々にメッセージを送るこのメッセージはエリヤが持っていたのと同じ人格を又エリシャ保っていた物と洗礼者ヨハネが持っていた物と同じメッセージを送るとの事でした。そしてそれが人々の心を燃えさせる、宗派教団ではなくて、元々の道に戻る事、使徒を始めた信仰の父たち。御言葉に戻る事。これらの事がしっかりと位置付けられていました。どうしてそれが終末の天使の音なのか?(黙示録10章)7人目の天使の奥義が開かれる日々に落ちて、不思議なメソジスト、そしてパブテスト、そしてキリストの教会そしてエホバの証人、その他諸々そして、終わりの時に7人の御使いが来られるときにその奥義が開かれるであろうと。彼がこのことでスタートアウトをしている場所です。彼はメッセージの音が始まって居た時で、これらの事をし始めた時。何ね物準備があったわけではなく、彼はメッセージの音が始まった時にこれらの奥義が開かれたのです。そしてここに彼等が居るのです、知らないのですが、あなた方はそれの証人なのです。
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そしてその時、その大きな観測所の中で、世の人々は皆疑いにある事でしょう。彼等はまだ何が起こったのかがわからないのです。
ツーソンで大きな観測所でそこの空での写真をとっても何が起こっているのかまだ不思議に思っているのです。それは何なのか?彼等はそれを新聞まだ新聞に載せています。「これについて何だかわかる人はいますか?どうしてそれが起こったのか?」そこには煙もなく、そして空気もなく、その上湿度もなくて、空中に30マイルの高さだったのです。何てことでしょう!それは間違いなく天からの印だったのです。そしてこれらの事が起こる時、地震が沢山の場所に起こり天から人の子の印が顕れる」その日〔ルカ)人の子が彼自身が再び表されるのです。蘇飛手世は、ソドムとゴモラの様になっています。オー兄弟達、これらの霊的なことに無知になってはいけません。分かりますね。聖句を調べて、あなた方が永遠の命を持っていると信じるならば、それらが御言葉の中で顕して証明しているのです。それらは真理を顕したのです。神がこの時代になさっている事なのです。
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そして今、気を付けて下さい。彼等は神の御霊を持つ者はこれらの事を待っています。そしてこれらのことを見る時、彼等はそれを信じるのです。イエスは言われました。「 わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。彼等は私の所に来るであろう。(彼は御言葉です)彼等は私に来るであろう」
私はかなり今朝きついですね。彼等は主を待ち望んでいます。彼等がする時に彼等は今日の約束指示されていた物が分かりますそして神の御言葉によって彼等の信仰が新たにされるのですと言うのも彼がその約束をされてここで神はそうされているのです。そしてそれには疑いはありません。神が話される時、御言葉が話されそしてその御霊がそれを御言葉がかあったように齎されるのです。偽の、我々の時代には沢山のまねっこが居ます。これからも沢山来るでしょう、誠実な人々の心をこの方法あの方法で物事をしようとするでしょうしかし何が起こるかを気を付けてみてください。人々を彼等の手に置くならば彼等は死ぬのです。
気を付けて下さい。
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人の作り上げた宗派教団の計画は上手く行く事はありません。彼等自身の作った宗派の神の契約の箱と思われるもの為のメンバーを増やす事。神は決して宗派は持っていませんでした。彼は決して宗派を持つこともないでしょう。そしてそれは人工の物なのです。
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さて今日、もし我々皆が大きなリバイバルやらクルセードを描いているとしたら、我あれはそのメソジストやバプテストや長老派の箱をいっぱいにはしてきていません。キリストの箱は御言葉はどうでしょうか?そしてもし花嫁が御言葉になり、そして彼女がキリストの花嫁になって花婿tの一部になるとしたら。彼女は御言葉を得ていなければならないのです。その御言葉は彼の時の物ではなく、この時代の為にこの時代の為に約束されたものである必要があるのです。彼は彼の御言葉を彼の花嫁を作り替え作るために送ると言われていました。私達がそれを理解する事を望んでいます。あなた自身のアイデアを得てはいけません、そして又他の人のアイデアを取る事も無いように。ここにある聖書の指定された御言葉を取るのです。それはこう言っています。
神は神の御言葉の中でこの終わりの時に彼の花嫁を選ぶと約束されていました。ご存知でしたか?彼はそれを約束されたのですどのようにされるのでしょうそして彼の元々のキリストを選ぶ計画その時、季節どのように彼は彼の花嫁を見逃すことは出来ませんと言うのは彼女は御言葉の一部だからです。それを特定の宗派から選ぶことは出来ません、彼がキリストを宗派によって選ばなかったからです。キリストは宗派に来ましたか?宗派によってきましたか?いいえ!彼等は彼を拒否したのです。さて、それが宗派が統治した事ですそして彼が花嫁を選ぶとき彼は他の方法が出来るでしょうか?キリストをここにどのように連れてこられましたか?預言者の言葉によってそうではないですか?ここに神は彼の花嫁をどのように連れて来られるのでしょうか?預言者の言葉によって。彼が来た時どのように彼を認定するのでしょうか?エリヤの霊を持って荒野から出てくる人によって。彼はどのように彼の花嫁を認定するのでしょうか?彼はマラキ書4章で同じように、彼が地球を破壊するまでにそれはソドムの時の様になると約束されていました。
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覚えていますね、ソドムは焼かれました。そうではなかったですか?さて、この世も焼かれるのです。イエス様がそういわれました。そしてその時はルカの17章の29、30節で言っている様に、29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。30 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。そして人の子が現れるのです。そしてそれから何が起こったのでしたか?マラキ書によると、再び、彼は地上を焼き、悪しき人々の灰を外れて至福千年に義人たちは歩き去っていく。そうでしたか?我々は本当に終わりの時にいるのです。まもなく主が帰って来られるから扉に座って待っているのです。
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気がついて下さい。神は御言葉の中で彼のやり方で彼が花婿を選ぶように彼の花嫁を選ぶと約束されています。彼は預言者に送られた預言者を認識できるように先に言われていたのです。その預言者は、ヨルダン川の川岸に座っていたと言っていました。見よ!
彼等は言いました。「あなたは救い主ですよね?」
彼は「いいえ、私は救い主ではない。」
「あなたは救い主に違いない」
「しかし私は彼ではないのですしかし、彼はあなた方の中に立っておられます。そして私は彼の靴紐を解く価値もありません。彼が彼自身をお知らせになられるとき」そして今日、聖霊の人として我々の中に立っておられ、彼自身をもっともっと表しておられるのです、彼の教会の中に入り、彼自身を知られるように、彼と彼の花嫁としてその花婿として、同じように彼自身を知らせようとされているからです。そしてある日、あなたは、あなたの心に彼の認識が理解でき、それが自分の前に個人的な物となるのを感じる出h層。そしてあなたと彼は一つになるのです。あなたは御言葉と一つになり、御子とがは初めから、それは初めに戻るのですそれが神だからです。
そしてその日あなたは私が父であり、父が私の中に居て、私があなたの中に居て、あなたが私の中にいる事を知るのです」ハレルヤ!我々はここにいます。ハレルヤ! 我々の中で神ご自身が表されて下さり、その御言葉の約束を理解させて下さっている事を嬉しく感じています。誰かの感情や、歌やジャンプやダンスではなくただ御言葉によって、(アーメン)彼は彼自身を知らせるのです。
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彼等が、その宮を建ててそこに神の契約の箱を持ってきたとき。彼は火の柱となってそこに入られたのです。アーメン。それがダビデが飛んで叫んだことになりました。それは全ての歌い手や祭司たちが彼等が御心から外れた時でした。しかし神が彼の場所と位置に神の契約の箱が会うrことを認識した時、彼等がそこにその箱を置くことが出来る前の事でした。火の柱は、彼の休む場所で、ケルビムの羽の上で導かれたのですそれは至聖所の後ろでした。そして神の栄光はそこに在り、彼等はどの様に扱われるかを見る事は出来ませんでした。ア^メン。全ての神学者の目は彼が花嫁を迎えに来るとき閉じられるでしょう。彼女は真夜中に取り去られるのです。その様でした。彼等は彼女が居なくなったことを気づきもしませんでした。オー神に賛美を!
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気がついて下さい。神は彼が花嫁を連れて行くと約束されました、彼がなさることです。そこには子孫が居て、夜の時にそこに光があるのです、彼はこれら全ての事をされるのですその通りです、その神が計画された旧約聖書と新約聖書にある通りにですそれは宗派教団を通してではありません。それは我々の今日使っている体制を使う事もありません。我々はただ死をもたらしていただけです。人々はその中に手を入れるとそこから死にいるのです。分かりますね。
88
御言葉。。。夜のメッセージは夜の結果を産む必要があるのです。夜のメッセージは夜の種にまかれなければならないのです。朝の種ではなく夜の種です。そうですね?昼間の状態。。。その種は宗派に戻っているのです。そして死に殺されました。しかし夜の時のメッセージは夜の光が見えるのですそして夜の時の結果が魅せられるのです。夜の時代のメッセージ、イエスの時、昼のメッセージは昼に見せられ昼の結果をえました。はじめのメッセージは初めの結果をえて、創造が生まれたのです。彼は彼自身の姿に似せて彼の息子を作りましたそれは昼の事でした。夜の時に彼は花嫁をそのために創られたのです。何によって?神の言葉によって。地球をどのように創られたのでしたか?それを話すことによってどのように存在させたのでしたか?彼の言葉によってでした!彼の御子は誰でしたか?御言葉でした!彼はどの様に花嫁を連れて行くのでしょうか?御言葉によって、荷車でもなく、幾人かの神学者のアイデアでもなく、彼の御言葉によって、彼は彼女を認識するのです。一つの事をつけたり一つの事をとったりしないでください。そのままにしておくように。
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夜の時代、彼は明らかにすることを約束されていました。その7つの封印を開いてその前の教会はそれを見る事は出来なかったのです。黙示録10章、マラキ書4章、ルカ書17:307彼はそうすると言われていました。そして今、まぜこぜにするのはやめましょう。そのままにしておくのです。
さて、閉めさせてください。まもなくですが後15分で12時になります。閉めるときにこのことを言わせてください。友よ、主イエスの名によって聴いて下さい。これらの事はあなた他方にとって信じない事はあり得ないほど単純な事です。分かりえない事があり得ないほど単純な事です。間違いなく理解する事が出来ます。間違いなく世も理解できたはずです。しかし、これらの彼等が今日得ている新しいおかしなことに影響されないでください。どれ程彼等がよい人なのかどれ程誠実なのか気にしません。もし彼等が律法や預言者や聖書に基づいて話していないならば、彼等の中に命はないのです。
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ダビデは正しかったと思っていました;彼は誠実だったのです。又祭司達も正しいと思っていました、彼等は誠実でした。しかし彼等は主と相談する事を怠ったのでした。そして彼等がどのように物事したのでしたか?多分彼等は「我々は祈りました」と言ったでしょう。しかしそれは神の方法ではなかったのです。神は彼の僕である預言者に示さないでは何もなさらないと約束されているのです。そしてそこにはナタナエルが彼等の中に居たのですそして彼等は全く彼と相談しませんでした。
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さて、次に歴代誌から幾つかの賞を読みましょうそしてダビデがその家に座って居た時に言っていた事を見出すでしょう。「 王は預言者ナタンに言った、「見よ、今わたしは、香柏の家に住んでいるが、神の箱はなお幕屋のうちにある」。
そして彼は間違った事をした。神は「私の僕ダビデに言いなさい、私は彼を愛してる、地上で重要なものとしての名前を与えたが彼がする事はさせられない。彼は私に従わなかった。彼のしている事をさせられない。彼の息子は神の永遠の家を建てようとする」そしてもちろんダビデでした。ソロモンがそれをなぞったのですが、彼は失敗しました。全ての火とは何か間違いをするののです。神だけが失敗されない方です。神は失敗することは出来ないのです。神様にできない唯一の事は失敗する事です。そして神は御言葉です。そしてその言葉はどうあれ、どう見えていても、こちら側に来て、御言葉言っている通りになるのです。
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さて覚えておいてください、その季節、その時代に(分かりますね)従う必要があります。そしてあなたのいる季節、その時代に指定されていたのですその真理はその物なのです。
さて、これらの絶対事項を全て守る必要があるのです、全ての御言葉、形式、そして物事そしてあなたが今立っている場所を見る必要があります。我々が生きている時代を考えて下さい。ほとんど10分の1の地球が落ちる様になっていますね。科学者がそう言っています。彼等はその時計を見ているのです。数年前、夜中まで後3分だ」と言っていました。今はもしかしたら1分かもしれません、ある意味30秒かもしれません。
彼等は「我々の世代で起こらないだろう」と言っていました。
「5分後に起こるかもしれない」そして次にいう事は「5年」私は今までそんなことを言った事はありません。彼が科学者が言ったのです。カリフォルニアから跳んでいくまるでハエの様に。ロトの時代がソドムから出て行きその同じ日に地上に火の雨が降ったのです。神が我々のメッセージを取られるとこれからの時代のある日に、我々はここを去る事になります。絶対に何かが起こるのです、その時その教会、彼の体であり、彼の花嫁はいなくなっているのです。
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さて、ある聖句を読みたいのです。そして一緒に読んでほしいのです。申命記4章を開いてほしいのです。最後の所です。多分十分言ったと思うのでお分かりになると思います。申命記4章。私はここから2つの場所を読みます。そしてこの教会に、そしてテープの皆さんに、テープを聞いて居る人々やこの国の別の場所で聞いて居る人たち、このことをしっかり聞いてほしいのですそして失敗しないでください。これは申命記の4章にあります。最初の節から恥じます。はじめの節を呼んで、それから25節と26節を読みます。家に戻ったら皆さんもう一度読めますしかし時間を守るためにと言うのは今晩主の御心ならばここに戻ってくる予定です。この預言者が語る事を聴いて下さい。彼は神のご臨在の中に居たのです。彼は彼が話していたことを知っていました。聴いて下さい。
イスラエルよ、いま、わたしがあなたがたに教える定めと、おきてとを聞いて、これを行いなさい。そうすれば、あなたがたは生きることができ、あなたがたの先祖の神、主が賜わる地にはいって、それを自分のものとすることができよう。(これは我々の至福千年を意味します)
わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、主の命令を守ることのできるためである。
あなたがたの目は、主がバアル・ペオルで行われたことを見た。ペオルのバアルに従った人々は、あなたの神、主がことごとく、あなたのうちから滅ぼしつくされたのである。(さて、あなた方は彼等つまり宗派教団から離れているのである分かるね)
しかし、あなたがたの神、主につき従ったあなたがたは皆、きょう、生きながらえている。(宗派教団と一緒に死にませんでした、あなたは今も生き神のご臨在の中にいるのです。近くにそこから離れない様に)
25節 彼等がその地に入る時です、さて何が起こったかしっかり見ていきましょう。
あなたがたが子を生み、孫を得、長くその地におるうちに、道を誤って、すべて何かの形に刻んだ像を造り、(それが起こったのです)あなたの神、主の目の前に悪をなして、その憤りを引き起すことがあれば、(しっかり聞いておいてください)
わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対してあかしとする。あなたがたはヨルダンを渡って行って獲る地から、たちまち全滅するであろう。あなたがたはその所で長く命を保つことができず、全く滅ぼされるであろう。
94
これはモーゼがイスラエルに神から火の柱によって知らされ指示され彼が神の僕であり彼等を導き出すものであることを証明された事が分かった後で語ったのです。そして彼等が地に入る前で、彼等はまだ入っていません。モーゼは言いました。「さて私が語ったその言葉で、天と地を呼んであなた方に敵対した証しとする。もし何か一つの事を加えたりのぞいたりするならば、神が与えたその土地に居続ける事は無いであろう」そして私は主イエスキリストの名において、言います。何も足したり自分自身のアイデアを加えたりしないでください。そのテープで言った事だけを言うのです。主である神がそういわれたのですから。加えないでください。
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神は今までずっと、彼の約束を我々に守って来られました。彼の下全ての約束を、守られたのです。彼が言い割れたことで起こると言われて起こったことがありましたか?天と地をあなたの前に連れて来て挑戦したいのです。神が何かすると言われて神がされると約束されたことで成就しなかったことがありますか?常にその様にすると言われた通りにされていますね?そうではないでしょうか。だから神はそれを引き続き続得られるのです。だから絶対にそれに加えないでください。又取り去らない事です。それを信じ、主であるあなたの神のみ前に謙虚に歩むのです、我々はその地に近づいて行く為にです。そしてあなた方は戻る事は無いのです。この様なタイプの人生を再び歩むために戻る事はありません。あなたは死ぬべき体に戻る事は無いのです。罪がそうしたならばそして悪魔とつながっているならば戻る事になります。そして千年間この地上に住んで主であるあなたの神が与えて下さった地に住むのです。「柔和な人たちは地を受け継ぐであろう」「神の戒めを全て守るものは幸いである、彼は天に入る権利を持つかもしれない、犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている」彼等は贖われた者たちだけで神の戒めの中を歩む者たちなのです。
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新しいものを取らないでください。彼等はどこもかしこもに飛んでいます、それはもっとたくさん来るでしょう。しかしこれらの新しいものを取らないでください。主であるあなたの神はあなたに真理を宣言しました・主であるあなたの神は彼の言葉と御霊によって真理を指定したのです。「権勢によらず、能力によらず、私の霊によるのである」そしてその御霊、、、
神が彼を御霊と真理によって礼拝する者たちを探されているのです。「あなたの言葉は真理です」そして彼はしっかりと指定されました。イエスキリストは昨日も今日もいつまでも変わる事がない。彼はその夜の種をあなたに見せたのです。御言葉の中であなたにそれを顕かにされたのです。彼は御霊によってそれを証明されました。
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だから新しい組織を作り始めようとしないでください。何か別の物の上に建てようとしないでください、主であるあなたの神の御前に謙虚で居続けて下さい、まもなく約束の地への門が開きそうだからです。そして本当の喜びの歌を歌ながら、花嫁と花婿がその御座を取る時に入りましょう。
謙虚に、愛情深く、愛し合いながら行きましょう。何もお互いの中で取り合ってはいけません。何かが心に誰かに敵対した物が上がって来たならば、それをすぐに取り去りなさい。サタンが入ってきてあなた方の中で彼の最善をするからです。そのような事が起こらないの様にしなさい。誰か口先三寸の人がやってきてあなたをそこから連れ去ろうとさせないように。モーゼを神の臨在の中から取り去る事が出来ると彼等が話すことが出来ると思いますか、彼はそこにいてそれを見たのです。いいえそれはないです。我々は曽於から取ったり足したりしないのです。主が言われたようにそのままにするのです。宗派教団は欲しくありません。組織も欲しくありません。悪意や戦いは欲しくないのです。我々は神が欲しいのですそしてそれは御言葉です。さて、頭を下げて祈りましょう。
98
オー神様、霊的な目を持って見回しています。何かが起こっているのを見ようとしています。あなたの御言葉を見て、それが指定されて証明されたものであることを理解しています。33年前からここの川に消て、あなたは言われました。ちょうどここで33年後、そしてあなたはあなたの言われたことをなさっています。言われた通りの事を主よあなたはなさっています、我々が少し小さくあるいは大きくしようとしたこととは全く離れています。主がされたあなたがされた方法のまま保たれています。謙虚に歩みあなたに従っているのです。
これらは主よ、あなたがそのミニストリーに与えられたもので全てがその国全体と世界中に渡っているものが眠っているのです。その墓はここにもあり、多くの人々は待っています、祝福された聖徒達がです。しかしそういわれた通りに、我々は生きていてその寝ている人達を邪魔してはいけないのです。ラッパの音が鳴り、死人が先に蘇り、我々はその後に続き、神の栄光が地に来るとき、教会は世から隠されて見えなくなるのですその時には。
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父なる神よ、これらの人々をあなたの手の内に置き続けて下さい。彼等はあなたの物です。祈ります、神よ、我々はいつもあなたのみ前に謙虚に歩きますように。どれ程の期間かは分かりません。その期間を知りたいとも思いませんそれは私達には関係のない事だからです。それはあなたの技です。それは私達の石としてあなたが来られるときを知りたいと思いません、私達の望みはあなたが来られるまであなたと共に歩み謙虚に居続けられるようにと言う事です。私達の望みはあなたがあなた自身を知らしめてくださることです、主よ私達の中でまだあなたと歩んでいる事を知る事です。
我々の過去の罪を許してください。全ての将来的な悪魔からの罠から我々を守り導いて下さい。我々を導いて下さい、オー神よわが父よ。我々の罪を許し、あなたのここも出あり続けられるように助けて下さい。我々は貧しい者たちです。世からは見逃されている者たちであり、教会の宗派からもです。我々は終わりの時を見て、そしてあなたに霊的な目で御言葉をその終わりの時を理解する力を頂いている事を感謝しています。これら全ての事は来なければならないのです、天からの大きな石打。。。主よ我々を助けて下さい、ここにその日いない様に、あなたのご臨在の中に行けるように。あなたの御胸の中に飛べるように助けて下さい。
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病人や苦しんでいる者たちを主よ癒してください。今晩我々は祈ります、素晴らしい礼拝を与えて下さいますように、あなたのご臨在のゆえに誰も病気の物が居なくなりますように、主よ。我々の心があなたに引き続き置かれていますように。そして主よ、お金や資産や世的な物は意味がなく維持知的であることを知っています。それらすべての物はなくならなくてはならないのです。我々の仕事、我々の場所、友人、すべての物が去らなければならないのです。どれ程金持ちであろうが、貧乏であろうが、人気があろうが、不人気であろうが、皆行くしかないのです。しかし我々がここにいるにあたってたった一つ、中心にしなければならに物がありますそれがイエスキリストなのです。そして神様、それ以外の二番目にあたる事は全て脇に置いて主につかまらせてください、彼こそが御言葉です。(受け入れて下さい主よ)そしてその時代の為の指定された御言葉なのです。
モーゼの日の指定された御言葉はイエスでした。イザヤ、エリヤ、ヨハネら全ての指定されていた御言葉はイエスでした。そして今日の指定された御言葉はイエスなのです、昨日も今日もいつまでも変わることの無い方。どうか主よ私達が信じ分かりそれを歩むように助けて下さい。イエスの名によってお願いいたします。
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頭を垂れたままで、誰かここで完全に素晴らしい事を本当に決めていない誰かが居るのではないかと感じています。信じているけれどもそれだけでは十分ではありません。私は妻は良い少女だったと信じています。彼女の父親も母親も知っています。彼女の事を何年も何年も知っています。彼女はまっすぐな人生を歩んできました。彼女は良い女性だと信じていますが、それが彼女を私の妻にはしませんでした。彼女を私が受け入れて初めて彼女は私の妻となったのです。さて、イエス様はあなたを受け入れたいのです。あなたは彼を受け入れませんか?彼の御言葉の一部になりませんか?まだそうしていないならば、頭を垂れ心も垂れて、、、信頼しています。
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ここでは祭壇に読み出す場所が十分にありまん。とにかくその事に重きを置いてはいません。神はあなたがいるその場所にいらして下さると信じています。ただ手を挙げて行ってください。「ブラナム兄弟、あなたの祈りの内に私を覚えて下さい。そうしたいです」神があなたを祝福されます。神があなたを祝福されますように。わー手がどこもかしこも出上がっています。「私もその様になりたい」神があなたを祝福しますように兄弟、神の祝福がありますように兄弟、ここにいる皆さん。」「私もその様になりたい」神のしゅくふkがありますように、「本当にその様になりたい」分かります。さて今、友よ見て下さい。何か小さなことがあるかもしれません。もしあなたがそうでないならば、それ以外に何か注進にしている者があるのです、それに近いのです、それを見ている。あなたは分っている、成長している中で動きながら何年もそれを見てきた。成熟してきているのが分かっている。その意味が我々にとって全てでないのあならば、それは続きませんが、頭を回して周りを見て主を中心に置きましょう、それこそがすべて人生の中心で、ここの後全てが彼の物だからです。一緒に祈りませんか?
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親愛なる神様、男性、女性、少年、少女、聖職者達ですら野手が上がっています。彼等は主イエスを中心にして生きたいと言いたいのですそして彼等はそれが出来ない様に見えています、彼等をあちらこちらに引っ張る何かがあるのです。それは宗派か溶断かもしれません、人かもしれません、あるいは罪かもしれません、何か彼等の心の中に隠しているものかもしれません。私には分かりません。あなたはご存知です。それが何であれ、今すぐ、主よ他の人々があなたの襲名に答え、あなたが彼等を呼ばれたのであれば彼等はあなたの物です。そしてあなたが我々を呼び彼等の絡みつく罪をかなぐり捨て、聖書が言う様に「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。」何を見るのですか?我々の仕事?我々の宗派教団?我々の問題?我々の協議会?いいえ、キリストを
我々の信仰の導き手であり、完成者である、キリストを、我々は彼の内にいるのです。父よ、今日私達の為になさってください。我々は彼の聖名によって神の栄光の為に求めます。
さて、彼等はあなたの者たちです、主よ、彼等と共にあなたが会う様になさってください。我々と共にあなたが会う様になさってください、我々はあなたの物です。イエスの聖名で、アーメン。
愛してます。愛してますイエス様
彼が最初に愛して下さったから
そして私の救いをカルバリーの木の上で
買ってくださった。
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夕食の事を忘れていましたか?子供達は外化車の中に居て大丈夫かとかも忘れていましたか?過去の事はすべて忘れて、今の気持ちを認識していますか?それは毎日の生活に顕されているのです。それを何でもする時の中心にしてください。全ての事はなくなり、それらはとにかく消え去るのですから。オーだからただ神に従い続けるのです。エリシャがエリヤに従ったように、神に慕いましょう。我々もそれを取らなければなrな愛のですいつの日か。我々は彼がその墓から出た時の火の車を見ました。今そのことを我々の中で感じています。
いつの日か、彼はその馬達を藪から取って、、、我々も上がって行くのです。彼を愛しませんか?
——-
そして私の救いをカルバリーの木の上で
買ってくださった。
それでは、皆さん、目を閉じて、彼が近くにいるのが
分かりませんか。
愛しています(他の誰を愛せましょうか?)
愛しています イエス様。
彼が最初に愛して下さったから。
そして私の救いをカルバリーの木の上で
買ってくださった(歌ですがこれでは歌えません;日本語)
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毎回家に帰る時、誰かが出かけています。私も数か月出かけます、そして帰ってくると誰かが居ないのです。毎回来るたびに悲しいのです。先日ある少年が一緒に学校に行っていた子が、その通りに来て、彼は「ビリーこんにちわ」と言いました。
彼を見たのです。彼は小さなハンサムな少年でした、黒い輝く神で後ろにくしを入れていました。今、それは雪の様に白くて、まっすぐだったお腹もこんな感じでした。私は「こんにちは、ジム」と言い。彼を見ました。私の心で思っていました。「神様、その少年と私、その人と私は同じ年だ」そして私の生きる時間は数えられていると気が付いたのです。それほど長くはない事は分かります。
私は周りを見渡して、考えたのです。「主よ何が出来るのでしょうか?助けて下さい。あなたの前に行きたくはありません。あなたの真後ろについていきたいのです。導いて下さい。そして見て考えたのです「56歳、もうそれほど長くはない」と
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そして下を見ていて、私の良い友である、ビルダッチがそこに座っていました、72歳か73歳です。
周りを見渡して、これらの子供達が彼等は「さて、ブラナム兄弟位の年になるまで待てる、それから考える」と思うのが分かります。さあ、疑わしいです。その時が来るかどうか。でもただ考えて下さい。もしビルダッチ兄弟がこの時代まで生きているなら、115歳か16歳まで生きるかもしれない。彼等は毎時間死んでいます。だから違いはあなたの年齢によるのですか?その時代あなたの生きている時代について何をしていますか?今の時代にイエス様の為に何をしていますか?オー私は主に会いたいのです。その時全ての子の古いからだが転換するのを見て目配せする瞬間に代わるのです。もしそうでないならば、我々は世界で最も愚かな人間たちです、食べて、飲んで、明日あなたが死ぬのですから楽しみなさい。分かりますね?あなたはただの動物のようです、もし死んでただ灰になるなら、それだけあなr場。しかしそれは死すべき体です。あなたの中の死なない魂は生き続けるのです、兄弟。天国から聞くことは終わりました。その証明を見ました。我々は彼が彼を熱心に求める物に報いて下さる方であることを知っています。
さて、キリストの体の人々、我々は再び歌っている間、座っているままで握手をしてください。再び歌っている間です。
愛している(兄弟姉妹に挨拶しましょう)
愛しているイエス様。
何故なら彼が最初に愛して下さったから(リチャード!)
そしてカルバリーの木の上で
私の救いを
買ってくださった。
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彼を愛していますね。「アーメン」と言いましょう。彼の御言葉を愛していますか「アーメン」と言いましょう。彼の目的を愛していますか、「アーメン」と言いましょう。彼の体(教会)を愛していますか。「アーメン」と言いましょう。そしてお互いに愛し合いましょう。アーメン!その通りです。「これによって全ての人々があなた方を私の弟子と知るであろう、あなた方が互いに愛し合う事によって」
さて、私の手をこれらのハンカチの上に置きました。もし夜の前に持っていく必要があるならば、、
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神が彼の祈りに答えられた、兄弟リチャードブレアが来ることになっています、彼とその兄弟、先日この小さな男の子が我々の間に今日座っています。それは生きる証ですと言うのは神への彼等の信仰の故なのです。そして今、私は祈りの言葉によって間もなく解散しますが彼と一緒にいる予定ですそして今晩一緒に帰ってきます。今12時5分過ぎです。そして今晩皆さんに戻ってきてほしいですもしできるならば、もしこの辺りにいるならば、家に戻らなければならないならば、神があなたの道で彼のスピードで行かせて下さり助けられますように守られますように。ここに居られるならばどうぞ居て下さい、神が今あなたと共におられます。
また逢う日まで、 また逢う日まで
又(手をあげましょう)
イエスの御許で
また逢う日まで
神の守り、また逢う日まで、
(ブラナム兄弟は同じ曲をハミングし始めました)それが神の家を離れるやり方です:祈り深く、謙虚に、今晩又会えることを主に信頼して。もしそうできないならば、神があなた方と共におられますように)また逢う日まで。
頭を下げましょう。 ブレア兄弟。