65-0711 恥じ入る事

  • 伝道者:ウィリアム・ブランハム
  • アメリカ合衆国 インディアナ州 ジェファーソンビル
  • 録音番号:65-0711
  • 年:1965
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おはよう、友よ、今朝皆さんと一緒に居られてうれしいです。ネビル兄弟の時間を取っていますね。彼は後ろに座っています。彼のテキストを準備していると思います。私が入ってきて、彼はテキストを折って、言いました、「えっと、
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それは数年前、黒人のスミス兄弟とクロス姉妹がここに居たのを思い出させました。彼等はとても良い友人達でした。そして私が夜に建物に入ると、その年配の兄弟が居て、彼は以前、白いひげがあったのです。彼の事を誰かが覚えているかは分かりません。そして彼は演台によく昇っていました、そしていつも歌っていたのです。「天国へのハイウェイ」そしてスミス兄弟はこんな感じで座っていました。私が後ろのドアから入ると小さな女の子が居ましたある意味ちょっと色黒で、角に座っていました。彼女は手を叩き始めて、「主を引き上げよ」と皆さんの知っている歌ですね、彼等はそれに自分のメロディーをつけていました。そして次のコーナーに行くと誰かがまた来て「主を引き上げよ」そんな感じで私がドアに入る時に歌っていたのです。それらのグループの人達が大好きです。そして年配のスミス兄弟はそこに座っていましたある意味ちょっとおとなしいタイプの人でした。彼は「長老、入って、帽子を休ませて、ゆっくり休んで、ではなく、帽子を休ませて、「長老、帽子を休ませて」立ってきていましたそして私は彼がどこから始めたかが分かるので、そこから始めたのです。彼は「さて、子供達、分かるね」彼は「私はここに座って考えていた、主が何を下さるのかのでしょうか?と言って(私の方に頭を振りつづけていました) 何も私は上げない と ここにブラナム兄弟が入ってくるのが見える「さて主よ、覚えているのですが、そこに入っていきましょう。
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ジョージライト兄弟、お元気ですか?神の祝福がありますように、ライト兄弟。間違いなく、オーそうではないですか?リジペリー兄弟、彼は戻ってきてくださいと言いました。あなたはどこに居ますか、リジ兄弟。彼には長く会っていませんでした。何てことでしょう。さて、ここで本当の会合をするはずでした。リジペリー ジョージライトと他のオールドタイマー何人かがあなたが手でシャッターを持っていなければならなかったときにここに居ましたね。風が吹いて。見な会えてうれしいです。ライト姉妹は一緒にいますか?ライト姉妹はここにいますか?彼女も後ろにいますね。はい。 さて、 私はペリー姉妹、皆さんが見えました。さて、本当に素晴らしい。ここに居てうれしいです。これらの場所に座れること一緒に居られるのは良い事ですね。
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私は戻ってくることに関して重荷が心に強くありました。皆さんご存知の様に、アフリカから戻って来たばかりです。そしてそこに言った時、限定されたビザを持っていたので説教伝道をさせてもらえませんでした、あまりにも沢山の人々が集まっていたからです。彼等はいつでもそこで戦いが起こる事を予測していました、だから彼等は説教をさせないようにしていました。既にあまりい沢山の人々が集まっていました。唯一私にできたのは、いくつかの組織で政府によって代表されている所ー政府の中でー私をそこに招待して、自動的に、政府が保護を送ってくれるようになりました。さて、彼等はただ、戦いになるjことを恐れていたのですが、すべては正しい手の内に在ったのです。政府の人が前回彼がここに居て、彼は25万人位の人々と一緒に居た。と言っていました。そして彼は、「そして分かる様に、共産主義者が期待しているのはその敵対の戦いだけだから」そして私が説教は出来なくて、それらの人々はそこに立って、手を振って泣いていました。「私の母の事を覚えて下さい」「兄が死にかかっているのです覚えて下さい「などなど」鉄格子の後ろから、有刺鉄線ーそしてそれはとても気分が悪くさせられました。
そして私は家に戻ってきました。
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そして考えていたのです、「さて、私の息子ジョセフがそこに戻ってきて、縛らsく座って読んでいて、彼は、、彼は合格しました、でももう一度やり直さなければなりませんでした、彼の読みが足らなかったのです。そして思ったのです「少しの間家に居続けることになる」そして「もし家に居続けるならば、子供達の休日が台無しになる」さて、ただそれを延期して彼を8月の別の時に、戻ってきて2、3週間ここに戻って来よう。
私は言いました「そこに戻っている間に、会合を開こうと思う。ここで学校の行動を使って、28日から1日まで、学校の行動で会合を開こう。7つの最後の災害についての話を説教したいと思っている。そして先に電話をして、少しがっかりしました。彼等はこれらの学校をもう使わせてくれないというのです。それは会衆の数が多すぎるから。我々は他のどこでも集まる事が出来ません。そして、ここに戻ってきている間に、代わりに、、、私は決めたのです。
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我々はもし広告すると、全ての人に入ってもらえません。だからすべての人々をここのタバナクルに言えれようとしたら我々にはできません。そして私はただ、ここでの5日間はひどくなる。。。と。そしてなビル兄弟とウッド兄弟と話していました。これをするかどうかを決める事に関してでした、もしできないなら、、、代わりに、5回の礼拝をしよう。それは28日、29日 30日、31日そして1日。。さて、もし我々が次の日曜日から始めて、そこで2回の礼拝、日曜の朝と、日曜の夜、それが18日、そして25日、日曜の朝と、日曜の夜。(それで4回の礼拝
そして8月1日に日曜の朝と、日曜の夜、(6回の礼拝となります)そしてそうすれば、それほど滅茶苦茶込み合う事にはならないと。そして考えたのです、、、全員が集まって、すごく混んでいてた方が良いのでしょうか?それとm、ただ、2回の礼拝でそれをしてしまうしかしある意味皆が引っ張り合う形になる。5日間連続はそれはかなりきつくなります。
さて、ここのトラスティーと長老達にも私がここにいる間に会いたいです。
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このことはどこでも成り得るのです。我々はこの終わりの時に生きているのです、福音はそうあるべき程に重要になっておらず、又持つべき程の権利も持っていないのです、それは政治などが全ての種まきをまるで、組合の様にしているからです。そしてそれが終に来るのです、獣の印は組合によって来るしかないのです、我々はそれが分かっています。。だから、、、ボイコットでだれも売る事も買う事もできないのです、彼をスくには獣の印を持たなければならないのです。
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そして今、その長老たちを通して、見つけたいのです、、、導かれているのを感じます。。。今以上に神様に対して心からの飢え渇きを持ったことはありません。私自身のテントや物を主が与えて下さった幻の様に得たいのです、そしてその時は今凄く近くに来ていると信じています。そして私はここにいる間に、なぜ幕屋をえられないのかを知りたいのです。そして、その時、我々が行くとき、ここジェファーソンビルに来た時の様に、一日、二日、あるいは、三日、四日だけで会う代わりに、このテントを建てて、2,3週間(分かりますね?)ここから出かけていたいのです、ただ、誰もそれについて何も言わない所へです。我々はボールパークを取るか、もし彼等が使わせてくれるならば、牧場主が牧場を使わせてくれるでしょう。我々はその牧場を借りてそこにテントを建てるのです。我々がしなければならない唯一の事は、建物を建てて、我々の利便の為に、そしてそれは簡単にできるでしょう。そして我あれはその様にして礼拝を始めたいのです、と言うのも主からのビジョンによるのです、その方法でやる様にと言う事なのです。
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そして昨日来て、見つけたのは、ご存知の様に、これで通りに上がって行って、私の良い友人が、来て言ったのです。「こんにちは、ビリー」私は彼を見て、雪の様に白い髪の毛で、おなかが出て来ていました、そしてその人は私と同じ年齢!我々は子供の時に一緒に走り回りました(ハンサムな若い人)。少しおかしな気分になりました。
私の小さい息子のジョセフが言いました「何でパパなの?:」
オー私は言いました。「説明は出来ないよ、ジョセフ。君に言えないんだ」と
そしてそこに座っているリジペリーとペリー不振を見ました。まるで彼等が小さな黒髪のご夫婦で僕らの隣に住んでいたのは昨日のようです、我々が夜の間に持っていたワフー舟で河を下って釣りをしていた時のことがです。^二人とも白髪になっていますね。ご存知の様に、一つの事が言えるのです、「小さなブザーが鳴りました」「あなたにはもうあまり時間がない!」と言う事です。
さて、私の人生の毎日が神に数えられるものでありたいのです。私が残したもの、ある時間、私はそれを使ってどこかで何かを成し遂げたい。それは通りの角に立って、神の栄光と栄誉を語る事以上の何事でもないのです。そしてその目的の為にここにいるのです。
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そして、ここグリーンミル インディアナ州の小さな秘密の場所をえました。今それは街ではなく、荒野になっています。そしてある人達がそれを取り上げてあなたには入らせてもくれませんが彼が私が入ったら決して見つける事の出来ない洞穴に入るのです。私は夜の時間に入りまして、彼は私が入ったり出たりした時を彼は知る事はありません。そして彼はその洞穴があるのかは知りません、そしてそれがどこにあろうとも入れないのです。そして私は主にしばらく話したかったのです、それが必要だと感じているのです。
その妻、彼女は来たいのです、戻りたいのと訪問したいのですそしてリベカとサラとそして彼等の友人と一緒に、そして我々は3週間たったら主のご意志によって帰ってくる予定です。
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そしてここタバナクルで人々を皆一緒に牛ぎゅう詰めにする代わりに(これは我々の物―つまり主の物ー主が我あれに与えて下さり、エアコンが効いて居ます)我々は日曜の朝の礼拝と夜の礼拝をしたいと思っています。そして人々は家に帰って又、次の週が来るまで待ってもらうのです。
公的にその最後の怒りをぶちまけるわけにはいかないのと分かっていますというのは、それはとてもとても重要なメッセージがそこに入っているからです。しかし病人の為に祈ったりそういった事は出来たのです、主が彼等に私に与えたメッセージを教会のために持っていました。その州を通して、荒野からここに出て来て、どこかで学んで日曜の朝に戻ってきて日曜の朝の礼拝とゆるの礼拝をする事になります。
我々の最も尊い牧師であるネビル兄弟、彼にもしそれで満足かどうかを尋ねました。そして彼の礼拝をとってもいいかと、しかし彼は非常に喜んでそれを投げ出してくれました。
私は、だから、
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カップス兄弟は多分熱を出していると思います、そして彼とヒュームス兄弟も去ったと思います。そして主はここに万兄弟を置いておられ、その場所を取ってくれています。主がなさる方法は素晴らしくないですか?彼はいつも正しい時間に全ての事を正しくなさるのです。
私はやってきて、誰かが説教しているのを聞きました、そして言いました「それは、、、「私はカップス兄弟がツーソンに来たと思う、そして凄く速く約摂氏43℃くらいになっていました。彼はその事に会いたくなかったので、離れて出かけて行きました、彼とヒュームス兄弟そしてフェニックスに行きました(もちろんそこは45℃くらいの気温でした)
それがまだ酷くて、彼はその後テキサスに行ったと思います。彼は場所を見つけようとしています。しかし誰もアリゾナにこの時期行きたくはないですよね。
それは先日(先週の金曜日)50℉以上になっていました。パーカーででした。それはここの教会に住んでいるクレイグ教会の出身地です。そして卵を割ると土につく前に卵が焼けるという状態です。あなたが唾を吐いたり水をしてもすぐに消えてしまいます。それはただ。本当に湿度が全くないのです。本当にこの時期オーブンの中にいるような感じです。しかし11月くらいから12月、1月は素晴らしいです、然し3月4月になったら、もし窒息死したくないなら、離れたほうが賢いです。
そして又、カップス兄弟と彼等がその時期に来るので、彼等を逃がしたのだと思います。多分主がその目的を持っておられたのです。このことを信じています。主は義人の行き先を整えられます。
時々それは厳しく見えます。
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今回の先日のアフリカへの旅のようです。私は神の御心の中で動いていると確信していましたと言うのも、数年前に南アフリカでシリーズの会合を開いていたのです、又彼等は組織から来ていると思っていました。そして「クリスチャンビジネスマンを通してくることが出来るけど我々はそれについて何もできない」と言っていました。
さて、彼等を捨てる事はしたくなかったのです、反対派を作る事もしたくなかった。私はおたがいに良い気分になって欲しいのです。さて、私はただ言ったのです「さて、(彼等に手紙を書きました)私は言いました「覚えていてください。。。」
私はアフリカに数年間再び行こうとしていました。私のアフリカでの御仕事は終わってないと感じていました。私は、、、なぜアフリカにい兼ねればならないのか、アメリカに6,7百もの年がある時に?カナダ、メキシコあるいはこれらの場所を離れても。なぜそこに私は行きたいのだろう?しかしそれは、私の心の中にアフリカへ引っ張られる様に感じたのです。それらの人々を私が愛する理由があるのです、黒人の人達の所だけに行きたいのです、何かがあるのです、彼等の内の多くは、多くの指導者が、彼等は私がすべきであるようには感じないのです。私は黒人の友人の所に行きたいのです。主が呼ばれた場所だからです。そして彼等は必要がある人達です。これあrの人の多くはです。白人の人達は医者もいるし全ての物を持っていますが、貧しい現地に住む人たちは、腐った状態になっているのですが、彼等は受け入れている様に感じたのです。彼等が神の子供達である事。何かがあるのです。
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ある場所に着いたとき、あなたが全ての事を知っていてすごく賢いと、神はあなたの為に何もできないのです。しかしもしあなたがある場所に行って、何でも喜んで聞いて学ぼうとするならば、その時神が動きあなたに話しかけてくれる時となるのです。
そして、私が彼等に手紙を書いて告げたのです、、、私は「覚えていますね、裁きの日には、骨の様な手が煙草に手を伸ばしたならば、それがあなたを有罪にします。彼等の血はあなたにしかし私には来ませんと言うのは10年前にそのことを話し試したからです。
そして私がその手紙を郵送して、戻ってきて、何かが私に告げたのです「見てごらん、シドニージャクソンは狩猟の旅に出ている」同じと城井主がシドニージャクソンに語られたのです「黄色い雄のライオン ブラナム兄弟がダーバンでキャンピング、大きな会合」
彼はここにきていました、彼はあなたがと話しました。ところで、我々は洗礼をしました。彼はイエスキリストの名での洗礼をかなり強く拒みましたそして彼の妻は彼よりもひどくて、ただ去っていきました。私が話しているのは、私は誰よりも献身的な人々を見たという事です。彼等は150人位のミニスターを連れて来てイエスキリストの名で洗礼をしていました、そして彼等は国全体を霊的に燃やしていたのです。そのメッセージはアフリカ全体に拡がり、沢山の飛行家や偉大な人バイトが来てイエスキリストの名で洗礼を受けたのでした。
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そして、私はお子に行き始めた時、あなた方に言いました、そこに行く以上に人生の中で大きな問題が会った事は無かったのです。そしてその時、最後の最後まで、私のビザを書いてもらうのに「宗教的な会合に参加することは出来ない、狩猟のみ」とされていました。
さて、それが状況でしたが、「悪魔が何をしようと気にしない、私はジャクソン兄弟が言った黄色い雄のライオンがなどなど、など、私は餌にはならない。しかし神がシドニージャクソンに会って狩りに行く事を言われた」そして私は言った「行きます」とそして時々、素晴らしい旅行の内の一度に、問題が起こる事が分かる。
さて、私は10月について考えた、御心において、私は戻って、会合や全て完全な協力など全てそれ以外、アフリカにあったもの。そしてそのどこに何があるか何がその目的なのかを理解した。
ここに書いているにあたり、これを言ったり、そして何かを得て何かを言う、これは、、最善の事は、自分自身が出かける事そして問題はどこにありそしてその理由が何かを見る事でした。多くの人々が集まるのでその政府が私にさせなかったのです。
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さて、もしクリスチャンビジネスマンあるいは組織が我々をいれてくれて、そして政府が自動的に、その組織が政府の代表として、政府は軍部の保護を送ってくれるのです。
もし、一つの宗派教団から25人いて他のは25人まだ彼らは受け入れない。この組織のトップとクリスチャンビジネスマンは分派していない組織で全ての教会を代表しています。-サイモン博士、彼等はそこのトップで、とても素敵な人です。彼と会えて、彼と話しましたーそして彼等はミーティングをそして全ての残りの教会が一緒になります、そして我々はアフリカでは最高のミーティングを持つことになると信じています。
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しかし私のポイントはこれです。正しい事をしようとしている時あなたは分っています、最初に、もしあなたが何かに導かれていると感じているならば、御言葉とチェックして、御言葉との間で正しいのであれば、何もあなたを止める物はないのです。悪魔がどれだけ沢山のタイヤをその道の途中に投げたとしても、その上を動くだけの事です。
私は妻に言いました、そしてウッド兄弟にもここに着いたときに、そして昨日私があったナンニンかの友人にも、ここで5年位の間何をするのかあまり分かっていませんでした。精神的に苦しかったです、分かりますか、リバイバル自体が教会の数々の中ではそれが死んでしまっています、皆さんそのことをご存知です。あなた方はこのタバナクルでそれを感じています、どこでもかしこでもです。「落ち込み」があるのですー死んだような感覚です。何かが正しくないのです;それはリバイバルの情熱が人々からなくなってしまっているからです。教会に行ってください、そこに座っていて、牧師もメッセージに悩み、あるメッセージから次へ、そして初めの事は、パーティか何か彼らたしようとしている音に対してもう熱がないのです。だから死んだ「落ち込み」状態がどこにでもかしこにでもみえるのです。
ビリーグラハムも気が付いています。オーラルロバーツも、アレン氏も問題がありますご存知の様に。オーラルロバーツは5億5千万ドルのビルをえましたなどなど、彼は学校も持っています。そして今宣教の畑には誰もいません。
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主が私にしてほしい事を見たいと思ってここを離れてツーソンに行きました。彼が私にあってほしい人が居たからです、主は7つの封印を開くために戻ってくるように告げられ7人の御使いが創られて、、彼がここでされると言われた事でした。それがその通りに起こったのです。
主は、ある日ウッド兄弟と一緒に彼がそこを出た時に、同じ場所に石を投げに言ったのです:それは落ちてきました。
主は「一日と一晩のうちに、あなたは、何か(その言葉が何だったかは忘れました)あなたは神の栄光を見ることになる」そしてその次の日に空につむじ風が来て、我々は皆その後何が起こったかは知っています。それが上がって行った時、彼等はそれが何かと尋ねました。私は言いました「それは3つの言葉で語られた、3つの大きな神風」その人々はただ陣風を聞いただけでした。私はそれが何を言っていたかを悟っていました「裁きが西海岸に及ぶ」その二日後アラスカの一部が沈んだのです。その周りに嵐が吹き荒れ、地震など全ての事が起こりました。彼等を見てみてください。毎日地震があの辺りの至る所で揺れています。
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私の最後の会合をしてから、これがそれ以来初めて語るメッセージとなります。ロサンジェルスでビルトモア講堂で男性が自分自身で妻を選ぶことについて話していました。そのテープを多分皆さんは得たことでしょう。私は彼の静謐や大使が男性が女性を選ぶときに反映するという事を言いました。彼が若い女の子を妻にする時、そして彼が近代のリケッタタイプの女性を妻にする時、それは彼が誰なのかを示します。。もし彼がビューティークイーンとかセックスクイーン何でもそういう事をであればその人がどんな人なのかをはっきりと示すことになります。
しかしクリスチャンは女性の性格を探すのです、と言うのは、彼はその女性との将来の家庭を計画するからです。彼は家を整える女性と一緒になるのです。そして私は「そしてキリストも、彼の御言葉によると、我々の将来の家とはどうなるかを告げておられるのです。彼がどのような妻を選ぶかによって?宗派教団の遊女?いいえ違います!彼は神尾御言葉によって性格をあらわされている女性を選ばれるのです、それが花嫁となるのです。
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そしてそこにいる間に私の心に来たのは、その時30分間ぐらい全く何も分かりませんでした。初めて預言が来たのです。最初に、覚えているのは、モーセリー兄弟とビリー、私は通りに出て歩いていました。そして「かぺな産む、あなた方は天使と自分自身を呼ぶけれども(それはロサンジェルス、天使の街ーその御使いを見て下さい)天にまで引き上げたようにして地獄に落とされるであろう、その力強い業がソドムでなされたようにそれはあなたにも及ぶであろう。この時代迄
それは立ってきたが」そしてそれは私の中では意識がなかった時に語られました。
そして私がキリストを宣べ伝え、引き上げている時、そして教会に「女性達にどれ程これらの事を敵対して私説教しても、そして男性達あなた方説教師が全ての時間でだましているとしたら、ただ同じことをしていたとしたら、あなたは神の御言葉何でもないかのように、歩き回っている」と言ったのです。
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その事を理解した時、行って私は言いました「どこかにそのことについての聖句があります」そしてそこに行って見つけたのです、イエスがカペナウムを海沿いの街を叱責していたのです。その夜、その聖句を見て、家に戻り、歴史の本を見て、そしてソドムとゴモラも以前は凄く成功していた街だったこと、異邦人の世界の本部だったことを見つけました。そしてその町は地震によって死海の中にもぐってしまったのです。そしてイエス様は立ち上がって行っているのです「ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。」そして彼の預言の200年か300年後に全ての海沿いの街がまだしっかり立っていましたがカペナウムは海の底に沈んだのです。一つの自信によってそれは海の底に沈んでいきました。
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そして、預言を受け取りました。「ロサンジェルスは海の底に沈むであろう」そして家に戻ってきてからアフリカに行きました、そしてアフリカにいる間に、彼等は地震があり、科学者たちが、、皆さんもそれを見たでしょう。それは大きな素敵な家やモテル(ロサンゼルスの)などなどが、倒れていたのが報道されていました。そして今、その地震以来、3インチか4インチの日々が地震で出来て来て、アラスカでも始まり、アリューシャ海峡の島々のも150マイルあるいは200マイル先の膿の中で出て来ているそうです。そしてサンディエゴに戻っているそうです。さてカリフォルニアに、あるいロサンゼルスそして再び出て来ても、カリフォルニアの北側の人々が居て、小さな場所ならばサンジョゼの様な。サンディエゴに戻ってカリフォルニアで取るかロサンジェルスともう一度出て来て、カリフォルニアの北部の下側の小さなサンノゼと呼ばれる所で。
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そしてこの科学者がインタビューに答えて話していました(テレビで見ました)そして彼は行っていました「下にあるのはただ、燃えて攪拌された溶岩です」そして言いました「ある部分は壊れて緩くなっています」そしてそれが
そしてこの人―科学者はこのチーフの科学者にインタビューをして彼に言っていました。「と言う事は全部が沈む可能性もあるという事ですか?」
彼は「可能性?そうなるしかない」
として「はい、もちろん、それは何年も何年も先です」
彼は「これから5分後である可能性もあるし、5年後かもしれない」5年としか
しかし私が立っていて霊感の下で、裁きが西海岸に下り、その後ロサンジェルスが沈む事。その通りです。それは起こります。いつですか?それは分かりません。
しかしオーもう起こったのか?今我々は6大陸しかありませ、いぜんは7たいりくあったのです。それはアフリカとアメリカの間で歴史的に沈んだことが分かっています。ご存知ですよね。
さて、それが起こったのであれば、その時を注意してみていてほしいです。
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これはある説教で私が話していたでしたーーリジペリー兄弟がここの教会でその時執事(ディーコン)をしていたかもしれないと思います、それが私が知っている全てです。でも、それは「その時は来る(未来形)知㎜プトン夫人が私に先日その説教を持ってきてくれるまで、知りませんでした。そして小さな本が書かれていました)それは裁くで、その海が砂漠に向って泣いていました。」それは30年前の事でした。そしてもちろん、サルトン海は海抜200フィートくらい以下
ですし、もし大きな燃えた攪拌があったら、、地球はその様に何百マイル平方で飲み込まれて、何百も何百平方マイルが地球に飲み込まれて沈む訳です、アリゾナ迄津波の様にして飲み込まれるのです。間違いなくそうなりました。
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オー、我々は終末に生きているのです。栄光の時!主イエスが顕れる時です。 主は言われました「いろいろな場所に自信が起こるだろう、国と国の間に戦いが起こり、人の心は怖れに見舞われるーそしてこれらの事が始まった時、あなたの頭をあげなさい、あなたの贖いの日が近いから」何と素晴らしい!
国々は破れていく
イスラエルは目を覚ます
預言者が先に告げていた印が起こり
異邦人の日々は数えられ
恐れの時が迫り
世界中に散らばった者たちは戻りなさい。
(間違いなくそうしなさい)
贖いの日は近い
人の心は怖れによって砕かれている
神の御霊によって満たされなさい
あなたのランプに火を点けられるようにし
クリアにしなさい
上をみて、あなたの贖いは近い(その通りです)
偽預言者は嘘をつく
神の真理を彼等は否定する
イエスキリストが我々の神である事を、、、
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先日の写真を見ましたか?その絵を脇に置くことが出来るのでしょうか?7人の御使いが引き上げられているのです、右手の側に向いて、そして主イエスが地上を再び見下げている顔がありました。
覚えていますか?私が7つの教会時代について説教していた時、私はイエスがそこに立って彼の頭の上が白いのか理解できませんでした。彼は若い人でした。それを聖書に持っていきました。そしてそれは「彼は古代の時代に来た、人の神は羊毛の様に白かった」イエス様が十字架にかけられた時 33歳半でした。
ジャックモア兄弟 神学者を呼びました。彼は言いました「ブラナム兄弟、イエス様は栄光化されていました。
「彼の死後、埋葬して蘇り、彼はそのようになれました。」神学者にとっては全てが良いようでしたが、それは上手くは行きませんでした、何かにあたる事はありませんでした。
私はそこに上がって行き、初代協会の時代が始まったのです、そこに聖霊が顕れたのでした。(あなたの教会時代を得たのです。まもなく本が出版されるはずです。そのすべての詳細に関して)そしてそれはイエス様が裁判官であることをあらわしています。
白い鬘を彼等は以前被っていました、かつらを裁判官として被っていたのです。イギリスでは今もそうしています。あなたが最高裁の主権を得た時、 そして、この絵の脇に戻るので彼はそこにいますー彼は黒い髪をしていました(彼のひげの側で分かるでしょう)そして白い鬘。彼は主権の最後、彼は最高裁の主権なのです。神ご自身に言われていました。彼は私の愛する子、、、彼に聞け
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彼は御使いと共に居ました、メッセージと、それは7番目でした、その7つの封印を開いてサーパントの種を明らかにしてくれて、全てこれらの事を、、そして彼がまさにカバーリングで、彼は最高裁の主権者なのです。彼はかつらをかぶっていて主権を持っているのです。聖書は彼は彼の見かけが変わったと。エンモーフェ (En Morphe)。その言葉はギリシャ語のEn Morpheをから来ているのです、その意味は「ギリシャの俳優で沢山の役割をする」今日彼は一つの物であり、そして次の鼓動をして何か別物である。彼は神である父として、彼は神である御子として、そして神である聖霊として、、つまりその通りなのです。彼の言葉は今でも最高の力の主権を持っているのです。我々は終末の時を生きているのです。
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先日、アフリカから戻ってきて、 ある意味、疲れていました。そこでは今、夜なのです、そしてあなたは戻らなければならないのです。そしてその時、時間が戻ったり来たり再びするのです。我々は素晴らしい旅をしてきました(狩猟の旅)人生の中で最高の物の一つでした。ビリーが写真を撮りました。多分、時間があれば、いつかその旅行の写真をどこかで見せますね。
私は夢を見ました。私はいつも、公共サービスの会社に何とか戻りたいと夢見ていたのです。そして私はある意味その仕事に乗り切っていました。そうだったと思います。彼等はただ私のやり方をやらせてくれていました。そして出かけたり、そのラインを歩く或いはその料金を集めたり、やるべきことをやっていました、私がただ言ったのは「さて、私自身が自分のボスである」ただ及びに行ったり、そしてそこに行って服を脱いで水泳の服装に着替えました。自分一人だったので、「これがダメだというなら、その会社が」これは日中だから、会社がこの時間は支払いをしている」と考えて、「それはおかしい」そしてその後、「その時点で私が集めたお金」、、「ガソリン代もそしてそのルートでのお金も一緒にしていて、」「私が集めたお金で、何かをやっている、ここを回って、チケットは全部なくなって集めたお金と自分のお金が一緒になってしまった。さて、誰がその料金を払ったかが分かるのだろう?と思ってただ注意をしていなかったから、それは良くない自分がしなければいけない事は上司の元に戻って彼に言う事(それはドンウィルス)
私は「ドンさん、チケットを無くしてしまいました、ここに私が得た全てのお金があります、そしてこれが彼等のお金です、ここにキャッシャーの所においておきます、そして人々が来た時、彼等はそれに対しての領収書を得ることになります。
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多分ここに座っている人々―私は彼等からその時集めたことを覚えているのでそういう人がいます、私は領収書を渡しました。10%だけが超えていたとしても多分1ドル50セントか15セント超えていたでしょうね。彼等の多くの人々が住んでいた場所で、我々は集まったり話すのが好きでした、そして彼等は料金を払って、戻って話をしばらくしていました。
15セント与えてただ座ってしばらく話して彼等の料金を集めていました。そのランクに行って沢山の料金を集める事が出来ませんでした。さて、それ以外にやる方法はないと思っていました、そして目が覚めたのでした。
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我々が住んでいた場所、ラルソン姉妹、(彼女がここにいるかは分かりません、とても良くしてくださっていて、そういう事を言うのを彼女はあまり好んでいませんが、彼女はとても素晴らしい女性です)そして我々は彼女の部屋に住んでいました。彼女は二つアパートを持っていました(小さいアパート二つ)その両方を借りていました。そして妻と私はもう一つのアパートで寝ていました、ある意味人々が私が出来る時に訪問する場所です。そこには二つの小さなツインのベッドがありました。彼女は迄起きていませんでした。そしてしばらくして彼女が起きて、彼女に手を振ったら、後ろを見て、目を開いていました「よく眠れましたか?」と私が言ったら
彼女は「あんまり」と
そして私が「とんでもない夢を見た。又公共サービスの会社に戻っていた」「私は何をしたのだろう?」
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小さい男の子だったか若い時のことを覚えています、インディアナ州のサレムのそのラインの全てをあるいていたか、違うかな、朝食を買いに出ていたのです、多分オートミール一杯。太陽が光って全てが、ただ朝食を食べると病気になった感じでした。自分で小口現金から10セントを持って朝食を買ったのです。上司が来て言いました「ミーティングで彼らた言った事を知っていますね。誰が朝食の為に小口現金から10セントを取ったんだ?と「その人は少なくとも15セント戻さなければ」と言いました。「さて、その時代で15セントを朝食にするのは大金だとここにいる人達は知っていると思います)
そして私は「私はそれほど食べていません」
彼は「他の人達は15セント入れた、だから君もそうすべきだ」
私は「でもそれだけ使っていません」
「とにかく戻すんだ」(それが私の上司でした)
さて、思ったのは、「どうしたらいいの?10セントしか食べていないのに、15セント補充するのか?」通りに出て行って、朝食をまだ食べていない子供達の為に40セント分の朝食をえました。
そして思ったのです「さて、出来るのは、多分、彼が私に敵対するだろうから」
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それほぼ前の事ではなかったので覚えているのですが、彼等がパトロールが来て、裏庭を破ってきて言いました。「あなたの料金を支払え」彼等はパトロールする権利があります、しかし彼等が壊れた者に対しては支払わなければいけません。彼等に書いて言いました、「あなた方は何も負債はないです」私が思ったのは「彼等に40セントを払う事になる、多分私は20か30ドルその時使って、子供達にあげたから、多分、、、」夢を見続けていました。
そして、子供達が遊んでいた大きな樹の下で、そこにはパトロールが居て、、、さて彼等はヘリコプターでパトロールをしていました。そして彼は来て言ったのです。「ビリーこの機を着るのはどうだい?」
私は「切らないでください、我々が刈込をします」私は「ウッド兄弟と私が刈込をします」と言いました
彼は「誰かに行かせて刈り込ませる」
そして私は「切らないでください」
彼は「切りませんよ」と言いました。
旅から戻ってみたらその木は切られていました。そして裁判をと考えて、
「さて主よ、これではっきりします」そして大丈夫、そのままに任せよう。
さて、まだ夢を見ていました。
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先日の朝起きた時、私は「さて。。」朝起きて最初にすることは、一緒に祈る事、夜寝るま時にも祈る事。そしてその時、彼女が行って子供達の朝ごはんを準備して、私は祈り始めました。「主よ、私はひどい人間であったに違いありません、私が人生でしてきたこと、その公共サービスの会社から出られないようなことをしたのでしょうか?」ベッドがから出て、お風呂に入り、戻って出て、何か私が言ったのは、「多分、神の仕事にも問題を起こしている」私は「ここに5年位いて、何もしていないただ神に仕えて待っているだけだ」と
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そこに先日立っていて彼等はそこに新しい家を私達のためイ建てましたそしてモゼリー兄弟が来て、それについて話していました)そして言ったのです「それはただ私の父(神様)からの小さな贈り物です」と彼は泣き始めました。「分かりますね、家や土地や父や母や子を離れるならば、家や土地や父や母や家を100倍この人生でまた永遠の命で得るであろう」と聖書が言っていると言いました。「だから凄く愛しているタバナクルを離れなけらばならない、主が我々に永遠の命を与得てくだった家ーそれを離れる必要がある。彼はただこの一つを返してくださったから」私は「神は素晴らしいですね、」そして彼は泣き始めました。
さて、私は「ここから出る必要がある、そして私自身から離れる櫃があるーこの砂漠に来ることによって」そして思ったのです「主はなぜ砂漠に私を連れてこられたのか、サソリやギラモンスターしかいない場所に?」と思っていたのです。
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そこはただの砂漠ではないのですー暑いのですか?ーしかしそれは霊的な砂漠だったのです。何という事!それは全く霊的な生活ではありません。教会が敵対しています、、、そのようなことを理解する事はあなたの人生ではないでしょう。行くべき教会さえもなかったのです。そしてその時、人々は霊的にさばかれていました。人々がそこを出てくることに気が付き又その違いにも、彼等を見ていたのです。神の御霊の下に居続けるならば、人生は優しく柔らかく、水がこの草や柔らかい種の様になるのです。このアリゾナに草が成長しないならば、これらの木は皆サボテンとなります。彼等はただ上に伸びて棘の様なものを残すだけなのです。
それが今の教会の周りで乾いてしまった時に起こる事なのです。皆がお互いにくっつくわけですね。そして柔らかくなるために柔らかい雨の水で旅人や寄留者の為に場所を作る必要があるのです。
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そして何かが私に語りました「多分神の仕事をする事になっている」だからその幻の為に祈りました。そしてメダが新名らしい聖書を得てくれて、オハイオのブラウン兄弟も私に新しい聖書を得てくれましたー両方とも同じ時期に、クリスマスの時でした。「私は行って新しい聖書を一つ得ました、そして主に言ったのです、「時が過ぎていく中、あなたにはウリムとトンミムがいました」
さて聴いて下さい、これを言わせてください、もちろん彼等は今はいません、これもないのです、このミーティングをテープに残しています。その理由を私が尋ねているのはーさて言わせてください、それは良くないですが、言います「主よ、夢見人が夢を見る時、いぜんは、彼等はウリムとトンミムのも音に連れていかれて話されていたのです、そしてウリムとトンミムが光を戻されるならば(超自然的な光)その夢は事実です」と私は「でも祭司としてウリムとトンミムがしたことがあります。あなたの聖書が今ウリムとトンミムなのです。主よ、これを再びすることがないようにしてください。そして私はあなたに尋ね祈りました、この夢を見ている理由を語ってくださるあるいは幻を下さる様に。何を私がしたのでしたか?もし誰を傷つけているのか、世の中で誰かを傷つけているならば教えて下さい。正しくしたいのです。もし公共サービスの会社に負債があるならば、私が間違った事を誰かにそこの誰かにしたならば、教えて下さい。正しくしたいのです。今正しくさせて下さい、先延ばしにはしたくないのです、遅くなりすぎない前に今させてください。
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そして私は言いました、「この神の御言葉の創世記から黙示録にいたるまでに間違いなく、私の質問となる同じ基本的なことにあなたが扱ってこられた人物がいるはずです。もし誰かがしたことであなたがそのことについてされたならその場所を聖書の中で示してください。そしてもし誰かが、あるいは彼等がなんでもしたことで、私が自分のやり方をしようとしているならば、私がしたことで過去に間違った事があり、何かしてほしい事あるいはしてほしくなかったことがあるならば、聖書の人物の中でそのようなことを見せて下さい」と、そして目を閉じて、聖書が開かれるに任せ、指をその上に置いたらば、創世記24章7節、アブラハムの忠実な僕エリエゼル、聖書の僕のモデル、イサクの花嫁を探す為に送られた方の所に指が置かれていました。体全体にドキドキが走りました。
間違いなくそれは、それが私で、私のメッセージの残りに常に正しくして、早嫁を引き出す事。神は言われました。「これらから花嫁を引き出すことはないと誓うが、私自身の人々の所に行きなさい」
彼は言われました。「女性がもし私についてこなかったら?」
彼は言いました。「この誓願から自由となる」彼は言われました「そして天の神が彼の御使いを直接あなたの前に送られるであろう」彼はそこからまっすぐ行って、祈り始めました、そして彼は美しいリベカにイサクの花嫁になる人に出会ったのです。
御言葉に戻るための完璧になメッセージです「花嫁を得に出掛けなさい」それが仕事なのです;そのために私はここにいるのです。それが私がしようとしている事です、花嫁を読みだすことです。
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カリフォルニアでの花嫁のインタビューを覚えていますね、プレビュー(私はここに持っていました)どのように初めに花嫁が出て来て、彼女に会って行ったから、そしてここにミスアメリカ、ミスアジア、そしてすべてが、オーとてもひどい見かけの物、、そして同じ花嫁が再び通っていきました。彼等の内の一人が、一歩だあして、そのステップを取って私は戻りました。(彼等の内の二人だった)そしてそれが私がすべきことだったのです、花嫁を正しい道に置き、それを捕まえる、
私は「神様、家に戻って、再びあなたへの誓願を新たにして新しく始めます」と言いました。だからそれが私達がすることにしている事です、そのために私はここにいるのです。
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もしこれをしていたら良かったと思ったのです、次の日曜日の朝18日に始めて、次の日曜の夜、そして次の日曜日、そしてその次の日曜日にも。それは良い事だと思う人は何人いますか?ありがとう。
さて、私の為にしてほしい事があります。28日の会合に行く予定で知らせた方は、再びお知らせください、出来ませんか?他の人に手紙でもなんでも、人々が来て会堂に来られなくてがっかりするようなことがない異様にしたいのです。分かりますね、そこを使う事が出来ません。そして前回の会合で沢山いていろいろな事があったので、それがどれ程公共になっていたかをご存知です、そして彼等は、、、さて、終わりの時に生きているわけですそれだけの事なのです。そして彼等は人々が来ると学校の邪魔になると言っています、そして彼等はあまりに速く来るから、彼等はこれをしたあれをして、、、などなど、場所が混みあっていて、消防士がこれをしたりあれをしたり、、、分かりますよね。だからこれらの警告やラッパを鳴らしセットアップしなければなりません。私はそれらを置きたいのです、私はすると言いました。彼等は他の事の理由でそこに来ますので、ラッパの音の上での災害が降るでしょう、しかし我々はそのすべてのコースをまっすぐに通して、それをしっかりと結びつけて持っていきたいのです。
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何人がバイル兄弟の私の文法を正して書き直してくださったものを読みましたか?その部分でもいくらかは読みましたか?そうですか?あなた方の内の2人。素晴らしい良い仕事をバイル兄弟がしてくださったと思います。バイル姉妹がしたと思います、あなたはただ書いて、彼女が、、、分かりますね。私は女性にいつも反対していませんよね?バイル姉妹?
さて、今、これからの15分か20分ここで聖句を取り上げていきます。そしてここで小さな本を得て、それはバイル兄弟だったか後は誰か別でしたか?ロイボーダーさんでした。バイル兄弟がその本を買ってくれました。小さなテキストを作りたいと思います。
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私がノートと呼ぶものを見たことがあるならば、明けの明星について説教したいとして、私は星を書き、そしてそれについて説教したいのです、、、ここに全てを印を作ります、もともとから、誰もそれが何かを知る事は出来ません。
さて、私が出て、何かを考えている時、自動車に乗っている時、時々、車が上に上がったり下がったりして、この下やうえで除っとして小さな印を見て橋を渡ったり全ての事に関して。星が降る事について説教したいとして、ピラミッドを置いてここにそれを書いて、五芒星ダビデの星を書き、そこから降りてくるのです、そして私はその様にして聖句に入っていく場所が分かります。そしてモーゼは間違いなく彼がした事です、、、小さなトルコのトラックの様なものを作ったのです。私はここにそれらの幾つかを持っていました、今朝戻ってきてこの問題についてここで数分話したいのです。ノート上において(多分20分くらいかかるかもしれません)
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そして、その時、今晩ネビル兄弟の礼拝を取るつもりはありません。今晩は休んで彼の礼拝を聞くつもりです、そして主のご意志ならば、次の日曜日の朝、その礼拝を始めます。そして皆さん私を助けて下さい、我々は祈ります、と言うのは私の心で試していた事なのです。
彼等は言いました。「ルイズビルに行く事も出来た、ニューアルバニーにも行けた」しかしその会合はジェファーソンビルであるべきである。別の時にルイスビルとニューアルバニーに行く事にしようしかしこれはここジェファーソンビルで行われることになっているのです。
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さて、頭を垂れて、1分だけ祈りましょう。30分くらい皆さんにここで話してきたから、神様に時間を差し出し話ましょう。
主なるイエス様、我々は間違いなく我々が考える以上に理解する以上に恵まれた人々です、我々の中に、他の国々からの人々やある意味外交官やら、そのような人々が我々の周りにいるのは素晴らしい事です。しかし今日、我々は天の神が我々の周りにいるだけでなく、我々の中に居て一緒に寸われていて、私達の中を通して彼の命が生きているのです、このことのゆえにすよ本当に感謝しています。我々の理解を勿論超えています。
しかし、今礼拝について話しています、アフリカに行く事としてこれらの数日ここインディアナ州でアレンジしようとしていることなどです。そして何とかあるいは他の様に、主よ、あなたは我々を幕屋に連れて行かれます、そのビジョンを与えて成就されるのです。だからあなたの御心がなされるのです、この様にして我あれはそれをあなたの御手に委ねます、我々の最善の理解の内にです。さて、我々は主よ祈ります、あなたの御心に反する事か何でもあるならば、知らせて下さい、我々があなたの完全な御心を知る事が出来るからです。
さて、この数分の間に祝福してください。あなたの御言葉を通して我々に語り下さい、あなたの御言葉は真理だからです。イエスキリストの御名によっておたずねします。アーメン。
それではマルコ書の8章を開きましょう。
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[ブラナム兄弟が演壇上の誰かに話している] さて、ここでは御言葉に関する小さな短いメッセージを話すことが出来ます、そこで話した後でです。マルコ8章34節から章の最後まで、、彼が言っていることを読みたいですと言うのは、それが真理だと分かっているからです。 さて:
それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。
人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。
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そこから小さなテキストを取りたいのです。(そう呼ぶとしたらば)
「恥じ入る事」と呼ぶとして、ご存知の様に「誰でも私の言葉のゆえに私を恥じるならば、彼の事を恥じるであろう」
さて、恥じ入るという言葉は、「辱しめる」と言う意味でも訳されることが出来ます。あなた方の何かであることをご存知です。何かについて辱しめられることに面するというのはー恥じ入る事なのです。
他の事で恥じ入るという事については、それについて話したかは分かりませんが。もしあなたが話している事が正しいと分かっていて、誰にでもそれを話すことが出来る事であれば。あなたは恥じ入る事はありません。しかしもし突然位置に置かれはっきりしない場所に置かれたらどうでしょう。
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気が付いているでしょう、今日そのような事がたくさんあります、特に今私が話している御言葉を恥じ入るという課題に関して。
さて、神と御言葉は同じなのです:初めに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった。。。そして言葉が肉体を取って、我々と共に住まわれた。。昨日も今日もいつまでも変わることの無い方なのです。
さて「誰でも私と私の言葉を恥じる物は、(そして彼と彼の言葉は同じ一つの物で彼の言葉を恥じ入るこの罪深い現在の時代)私は彼を恥じ入るであろう。
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さて、我々がもし誰かが「あなたはクリスチャンですか?」という時、それはとても人気のある事です。「オー私はクリスチャンです」分かりますね。「神の御言葉が言うとおりにそれを信じますか。これらの印は信じる者には伴う? 」オー全ての聖職者の顔が真っ赤になりますね。あなた方はそれを恥じ入るのです、聖い神の癒しについて?全福音に関しては?あなたのペンテコステの経験を恥じ入りますか?それは御言葉を恥じ入っていることになるのです。それが彼の言葉こそがあなた方の内で肉体を取られたのです。
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さて、神の言葉はそれ自身が全ての世代の為に生きていなければならないのです。モーゼの時代にはそれ自身が生きていました。なぜならばその時代、聖書はへブルの第1章に「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、」と書かれている、教会がそれを全てこれらの預言者を捻じ曲げて、神の愛するメッセンジャーは教会もなく宗派も、組織も何もない形で送られて、王や王国や教会やすべての物に逆らっていたのです。
祭司が御前に出されたとき、彼等は祭司の前に出されて、彼等は恥じ入らせられたのですと言うのは、彼等は直接「主が仰せられると」と言うメッセージを持っていたのです。もし気が付いているならば、旧約聖書での完成としてその預言者は、彼が「主がこう仰せになられる「と言った時、良く見て下さい、彼は神の位置を取ってそのフレーズを正しく持って行っていたのです、彼は神のみ前に置かれて「主がこう仰せになられる」と彼は神の中に入ってk、神としてその行動をして、神のメッセージを与え、神は彼を通して「主がこう仰せになると:語っていたのです。
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旧約聖書の預言者達がメッセージを携えて語る時、王を恥じ入らせ、人々が不快に感じたと思いますー祭司でさえも。彼等は宗教的なリーダーであるはずでありながら神の御言葉がそのような形で来るとき彼等を暴露する事になり、彼等は恥じ入り辱しめられた様に感じたと、思います。
そして何度も、我々はそれを見てきました、こんにちはそれほど多くはないでしょう。そして あなたは「私はクリスチャンです」と言いましたね「聖霊を信じた時から受け入れていますか?」
「オー アーlハ!」
ほらね、彼等はそれを恥じていたのです。
誰かが、「あなたはその叫んだり神の癒しとかを信じているグループに属しているのですか?」と言うと多くの時クリスチャン達は、下がります。彼等は彼等が宗派を持っていることを通知したいのです。「私はバプテストです」「私は長老派です」「ルターはです」彼等はそれを恥じ入らないのです。
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しかし、クリスチャンになる事によると、神の言葉をそのままとる事が必要なのです、そして彼等は恥じ入る事になります。
「私はどの宗派にも所属していません」分かりますね。彼等はそういうのを恥じているのです。彼等は世の物と同じようになりたいのです、ある組織を代表したいのです。
さて、それはただ近日そうなってきました。ルターの時代に、ルターに従いルター派と言う事を言う問いのは、カトリック教会から殺されることにほど近かったのです。ウェズリーの時代に、アングリカンの教会に敵対する事に掘ってメソジストであるという事は死を意味しました。ペンテコステ派の時代にはペンテコステであるという事は恥を意味しましたと言うのは、ホーリーロラーあるいは異言を語るものと数えられたからです。さて、彼等は組織化されて他のグループと一緒になりました。
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さて、他のものに属さないという形で呼び出されるときになり、「私はペンテコステ派である」とか「私は長老派である」「ルター派である」と言うのはとても人気があるようになりました。しかし、御言葉に立つ為にそこから出て来て立ち上がる時が来るのです。何かに属している事は「それはある意味恥じ入る事なのです。
マルコ8章38節 ルカ9章26節で「 邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」とイエス様は言われました。
さてもし私が「この小さな子は私の息子である」と言って
彼がひっくり返って、「誰?僕があなたの息子?私を誰だと思っているの?」と言ったら
それは私を恥じ入らせます、それはあなたの息子ですから。そしてそれが今日のキリスト教と呼ばれるものがしている事です。もし宗派の名前によって名乗ったとして、彼等が宗派が父であることを受け取るのでしょう。しかし神の御言葉が父である事、キリストに関しては違うのです。彼等はそれを恥じ入るのです、彼等は「はい、私は異言を語ります」はい、幻を見ました、はい聖い神の癒しを信じています。主を賛美します。全ての組織から自由で、どこにも属していません。私はキリストの僕です」と言う事を恥じるのです。そうさせることは彼等を滅茶苦茶な気分にさせてしまうのです。
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先日の夜、シカゴの全福音ビジネスマンの集会の中で素晴らしいスピーカーが居ました。一分だけここで止まっていいでしょうか、(許してください)しかし多くの場合にあなた方は私もそうすると思います、我々は聖書の真理について話しているのです、人々の方に行かないのですが、そうなる事もあります。時々、彼等はそれに反対するのですが、彼等はそれを本当に意味しないのです。彼等はどこにあなたが立っているかを見つけようとしているのです。
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その話は酔っ払いがいっぱいいてキリスト教なんてないとえいう事を話していた事でした、一人の人は「私は一人知っているそれが妻だ」と言いました
「さて、私はそれは信じない」と言いました
「我々は本当に酔っぱらっている様に行動しようぜ」と言ったのです
その家に行って、出来ることをすべてやって、彼等は卵を料理して、彼はそれらを床に投げつけて言いました、「私の卵をもっと上手にこうすれば出来るってわかっているだろう」-その家に続けて行って。そして彼等は他の部屋に入って行って、椅子に腰かけて、彼等は誰かが泣いているのを聞きました、言葉は何も言っていませんでしたが、彼女が自分にこの歌を歌っていました。
ーイエス様は十字架を一人で追わなければならなかった
そして全世界が自由時なるために?
すべての人に十字架がある。
そして私にも十字架がある。
これが私が負わなければならない決められた十字架、
死によって私が自由時なるまで
そして家に入って冠を受けるまで
その年寄の酔っ払いは言いました「私はあなたに何を言った?」彼女はクリスチャンだと分かりますね?彼等は彼女を試していただけでした。そして時々世は、あなた方を試そうとすることに気が付かされています。
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さて、これが起こるとは考えていませんでしたが、先週の土曜日の夜、だったと信じていますあるいは日曜日の夜、素晴らしいスピーカーが、、、人々の名前を呼ぶ事にはなっていないのですが、彼は反対に働くように努力をしていました。私は彼等がエキュメニカルの活動から教会を離れさせるようにして来たのですが、この人はそこに入らせようとしていたのです。さて、彼はクリスチャンビジネスマンの為に話していました(シカゴでその会議を持つ要諦だったのですが、私はアフリカにその時いると思っていて、その位置を取らなかったのです。)この人は言いました、、上がってきて、「最高の活動、地上で最高の事が今起こっている、全ての教会がエキュメニカルの活動によってカトリック教会に戻っていて、カトリックが聖霊を受け取る事になるであろう。
何という悪魔の罠でしょう!
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そしてこのリーダー シャカリアン兄弟、インターナショナルビジネスマンの代表が立ち上がって言いました、その人が話して座った後にでした、「我々はそのようには聞いて居ない」「ブラナム兄弟は我々に、エキュメニカル活動は人々に獣の印を受けさせるようになると教えてくれた」と言いました(そしてその演壇に座っていた人が)言ったのです。「それは獣の印の方向に動くだろう」そして言ったのです。「我々は彼が言った事が真理だと信じさせられている、我々の方向に来なさい」又彼は「あなた方の内の何人がブラナム兄弟が来て本当の側の、、、立ち上がりについて聞きたいですか?そして5千人かくらいの人々が叫び泣いて「一日で一から、、、来てください」
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カールウィリアムズ兄弟が私を呼んで、「ブラナム兄弟、その会衆を抜けて出て来て、彼等が私の手に数百ドルのドル札が積まれて持っていて、あなたにここからの往復の航空券を得る様にと。」さて、一日だけのために!分かりますね。これらの人々、その御言葉は我々が知らない場所に時々入っているのです。しかし、分かりますね、あなた方が本当に、どうあれどれほどヨガ敵対しても、それほど宗派が敵対してもそれが真理だと神が証明するのです。
その素晴らしい時代が終に来るとき、物事が起こる時そのことを我々は思っていなかったことになるでしょう。
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はい、それがあなたが恥じ入っていたかどうかがはっきりとはわからないのです。さてその問題について話し合いたくないでしょう、もしそのことを恥じ入るのであれば、それについて話し合わずに持っていたい。
しかし聖霊に満たされた人が、神の力に満たされた人が、彼の心の中に神の愛を持っている人が、数分、その愛を人々に告げないでいる事が出来るのでしょうか?何かが起こる時あなた他には止める事は出来ないのです。これこそがイエス様が言われた悪しき日に違いないでしょう。人々が神の御霊と神の言葉が彼等の内で動かれていることを恥じているのですから。しかし真理が人々に単純にされるとき、神はご自身を御言葉を通して顕かにされるのです。
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さて、これらの時代において我々がいかなる人がいかなる種類の要求を起こす事が出来るならば、そこには多くの酷い要求がある事になるでしょう。しかしご存知の様に、そこに真理があるならばそれは御言葉によるものでなければなりませんと言うのは、彼等は何でもいろいろなことを持って行っているのです、油が人々の中に流れるとか、彼等の手から血が出るとか、女性が彼等の後ろに居て彼等の靴から血が流れたり、彼等の靴を持ち上げるとそこに油が出て来て蛙が飛び上がって、演壇の下に行ったり、そのようないろいろなことをする訳です。そんなことは聖書の中にはありません。そのような約束は聖書にはないのです。ただ聖書が言っているのは「終わりの時には、いろいろな偽預言者や霊が起こって出来れば選民をも惑わそうとする」と言っているだけです。しかし前の様な事は聖句にはありません。
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しかし純粋な汚されていない神の御言葉に来るとき、それは神によって確信されるのです、それは他の急進的な側のグループの人々を辱しめる様にも見えます。そこには端があるのです、然しそれは人間にとって男でも女でも性根でも少女でも、本当のクリスチャンならば、それについて恥にはなりません。
神が聖霊のバプテスマの約束をしたとき、そしてそれをあなたが受け取った時、あなたの中でその場所をとる他の物は何もないのです。人が神に会った時、感情的な動きは無くても、情熱的でなくてもあるいは宗教的な教義や教理問答(カテキズム)あるいは信条やドグマを彼自身の為に受け入れたことは慰めにはなりませんが、モーゼが砂漠の裏側に居たように、彼が本当にその場に来た時には、全能の神と顔と顔を合わせてみたのです、そして御言葉とその時代の約束を声として語られるのが分かります。それこそが何かあなたに起こる事なのです。あなたはそれを恥じてはいません。それはあなたに何かを起こすのです。
さて、次の15分間で見てみる事にしましょう。
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ある人々はある経験を受け取る事があります。そして今日あなたに話したように、教会としてではなくあるいは宗派としてではなく、私は個人としてあなたに話しているのです、あなたがこのタバナクルに来たからでもなく、ただあなたを私が愛していてあなたが私を愛しているから、それでもないです。あなたに死にかけた肉を持つ者として、アナ氏をさせて下さい、いつか、この人生に終わりが来る日が来ます、そして私はその時そこにいないかもしれません、そして他の説教師もそこにはいないかもしれませんが、そこであなたに会う方が一人おられます、そしてそれが神なのです、そしてそれをあなたは聞いて居るのです、「私の妻は良いクリスチャンである」あるいは「私の夫は良いクリスチャンである」と言うどちらでもなく、「私は神と会って正しいか?」神にその様に出会っていたか?」私の牧師が神に会ったあるいは私の教会の執事が神に会ったからでもなく、「私は神に会った事があるか?」私が叫んだからでもなく、私が異言で語ったからでもなく、私が神に直接であったからでもなく、そうならば、あなたはそれを決して恥とすることはない殻なのです。
何か途轍もなく完璧で純粋で真実なものがあるのです。
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そして覚えていてください、神の様に動く御霊に会った事があるかもしれません。これやあれやその他をする御霊に、神の御言葉と比べてちょっと従っていて。。あなたは、救われているいい気分を与えてくれるという御霊に出会っているかもしれませんそして、あなたは叫んで、そしてそれが御言葉を否定するとなると、、、聖霊が彼自身の言葉を否定する事があり得るでしょうか?その霊は神の約束の全てとどこも違うところがなく沿っていなければならないのです。「アーメン」もしそうでないならば、あなたは神にあっていません、あなたが会っているのは欺きの霊です、そして今日の世はそれに満たされています。
しかし神が下りてくるのを見る時、彼がなさる特定の事に関して声明文を起こされそして次から次へ戻って来られて、そしてあなたは純粋な神の御霊を得るのです。どのようにして霊が人の上に置かれるのでしょうか?ー聖霊が聖書を書いたのです。そしてそれを否定するのでしょうか?それは正しくないですね。そういう事が起こったのでしたか?神は言われました「その約束はあなたにそしてあなたの子供とそれ以降も主なる我が神が呼ばれる限りそうである」(それが使徒行伝2章38の約束なのです)神の者からそれ以外の霊を受け入れる事が出来るでしょうか?へブル人への手紙13章8では、イエスキリストは昨日も今日もいつまでも変わる事がない。と書かれています。
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もし誰かが、「彼が哲学者だったと信じている、良い人で、預言者だった、然し彼の権力に関しては、、、」
私は先日ジョージスミスと言う少年私の娘リベカと一緒に話していました。よい青年で、彼はここタバナクルで歌っていました、バプテスト派の子でした。「私の名前をそれから取ってください、それとはもう何もしたくない」そして若い情勢が居ました。彼等はある丘の上に有るバプテスト教会でコンフェレンスを行っていて、彼等は強く私に敵対していました、そこにいた彼ら全員がでした。そして彼等は私に敵対するものは何もありません、この御言葉に敵対していたのです。私を人として、彼等は何も私に敵対しては言えませんでした、何も彼等を傷つけた事は無かったのですが、彼等が怖れていたのは御言葉だったのです。分かりますね。
さて今我々は、、、
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彼等はそこでこのミーティングをしていたというか、彼等は一人宣教師が居て3日間この素晴らしいコンフェレンスを素敵な丘の上でしていました。この宣教師は立ち上がって、マルコ16章について話し、彼は言ったのです。「今日、神の癒しを信じていない人がたくさんいる」「私はインドに居て、私はインド人です、そしてインドに居た時、ある人がアメリカから来ていて、その名前はブラナム兄弟だった」(その牧師は動き始めました)そして言いました。
「私の妻はガンで死にかけている:私は盲目だ(あるいはそのような事)。彼は我々の一人の為にそして他の人の為に祈りました、彼は会衆から人を呼び出して、我々の言語を知らないにもかかわらず、神の力によって語りました。そして行ったのです。「あなたは癒された」と
さて、彼等は彼を黙らせようとしましたが、出来ませんでした。分かりますね、彼等自身のコンフェレンスで起こったのです。そして彼等は全ての事を否定していました。そしてその人々の何人か、この少年の姉。。。彼等はそのグランドに居て何もいう事が出来ませんでした。彼等は、もし彼女がある意味彼等とつながっているかを知りたかったのです。
一人の女性が言いました。「私はそれを信じます」
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リベカとジョージがこの女性に会いに行きました。彼女は行って、ある少女、ある意味知恵遅れっぽい感じで苦しんでいる子を連れてきました。そして彼等はそこに行ってその女の子に先日の夜に会いに行ったのです。そしてそこに私が言って、その小さな女性はそこに座っていて、私は言いました。あなたは信仰者ですね?
そして彼女は「私はそうなのかそうでないのか分かりません」さて、彼女は知恵遅れではなく、悪魔の霊を持っていたのですが、彼等は認識していませんでした。そしてそれは、知るか知らないかによるのです。それは暴力さえも克服します。それを彼等は知りません。
女性はここから歩いて出て、この短パンの様なものを履いていました、彼等は認識していません。彼等は証明するか誓うかもしれません、彼等は何も彼等の夫に敵対して何も悪い事はしていないと、でも彼等のここrでは認識していないのです、然し悪魔の霊が彼等に乗り移っていたのです。彼等はそれに乗り移られていたのです。女性が男性の前で服を脱ぎたいと思うのはどういう事でしょうか?聖書の中でそれをしたのは一人だけで、その人は狂っていたのです。他の人は自分を隠そうとしました。彼等は認識していませんでした、それが詐欺であり、欺きであることにでした。あなた方はしっかり見て御言葉と共に自分自身を図る必要がありますどこに自分が立っているかをです。
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この若い女性は言いました「オー彼等は私は子供の時に洗礼をしたと言いました」でも「私はそのようなことを信じるか信じないかはわから荷のです」
私は「あなたはイエスキリストを信じていないのですか?」
そして彼女は「私は信じているのかいないのか分かりません」と言いました。「呪術だのまじないだのとかいう物は信じません」と言いました。
私は「もちろん、あなたはそんなまじないなんて信じていませんね」私は「彼が神の御子だとは信じていますね?」
「オー」と言い「彼はそうだった可能性がある」と
私は「彼は昨日も今日も変わる事がなく、神があなた救うと信じますか?」
彼女は「その奇跡とかそういった事があるのですか?そうい事は一切信じません」と言いました。
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そして私は「もし会合に座っていて、あなたが神、聖霊を見たらどうしますか?-神は唯一な方で人々の間で働かれているのです。神は父として、火の柱として、預言者の名kに、神は彼の御子の中に住まわれ、そして神は彼お人々の中にいるのですよ?それが神の属性なのですーたった一人の偉大な神ー永遠をお持ちの方」私は「もし彼を彼の人々の中に見たらどうでしょうー盲目の人が見える様になり、耳しいが聞こえる様になり、人々の中から何がその人に問題があるとして、彼が地上におられた時の様に。
彼女は「それは信じます、星座みたいな感じですね」
私は「あなたは私が思ったよりもひどい状態にありますね。もし狂っていたならその方がよかった、そうすれば責任がないから。しかし私は言いました「あなたは悪い例に取りつかれているだけです」私は言いました「イエスが井戸のそばで彼女の夫たちついて女性に話した時、彼は人々の中の彼等の思いが分かりました、それがあなたが呼ぶところの星座でしょうか?分かりますね、ルター派と呼ばれる宗派に巻き込まれて、全ての事が間違っているのです。さて、神様は人々に神の言葉によって包まれてほしいのです。それと反対の事は間違っているのです。
イエス様は言われました。「すべて人の言葉は嘘となり私の物だけが真理となる」
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非常に科学的な時代にノアと言う名の人が居ました。彼は神の言葉を恥じてはいませんでした。神は彼にあったのです。彼は彼と語っていて、それが神だと彼は知っていました。そして彼は言いました。「雨になるだろう」雨が降ったことは決してなかったのですが、彼は雨が降る様になる事を信じたのです。そしてその信仰を彼は持っていたので、それを実行することについて恥じてはいませんでした。彼は120年かかって箱舟を作りました、世は彼に敵対していました。彼は彼の時代において神の言葉を恥じる事がなかったのです。神は彼と彼の家族をそれゆえに救われたのでした。
それはある意味他の人々には馬鹿馬鹿しく見えたかもしれませんが、彼にはそうではありませんでした、彼は神に会っていたからです。どれ程科学はそれに反対していようが、それが起こるわけがないと言おうが、それが起こりうるわけがないと言おうが彼は神に会っていたのでした!それだけが真実なのです、あなたが彼に話している時。
誰かが、世の中に少ない人々しか真理だという事を信じていない時、それは馬鹿馬鹿しい事だとあなたは考えるかもしれません。ここに立って、主がこう仰せになられる、私はアリゾナに行きます。7人の御使いにそこkで会うのです」そこに立っているグループの人々がそれを見たのです。そしてそれは起こります。
先日の夜、「ロサンゼルスが海に落ちる」と言っていました。しかしあなたが神に会う時、神は失敗されません、彼が言われた事は必ず起こるのです。彼はいつもされるのです、そのことをあなたは恥としません。後ろに下がってそれを恥じ入る必要はないのです。それを世界中に告げるのです。人が神に会う時、彼と話すのですそして神が彼と彼の心になるのですそうすると彼はそれを恥じる事は無くなるのです。
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ノアは恥じていませんでした。世の残りの人々には馬鹿馬鹿しく見えたでしょうしかし彼にはそうではなかったのです。
モーゼがファラオの前に居た時、彼はパロにこれらの特定の事が起こったことを告げるのを恥じていませんでした、と言うのは彼は神にあったからです。神は彼に燃える藪の中で語られたのです。「私は「私は、、どもっていました。彼はそのような人で、言葉はしっかりしていませんでした。
彼は言いました。「アーロンが来た、彼にとってあなたは神である、彼はそうなる。
彼は預言者になる。彼は良く話せるのを知っているしかし私はあなたの口になる。誰が人を語らせるのか?アーメン。私もその様です。それは神なのです。誰が人をに耳しいやおしにするのでしょうあるいは誰が人に話させるのでしょうか?神がされるのです。
彼は「主よ私にあなたの栄光を見せて下さい!」と言いました
「あなたの手の内にあるそれは何か?」と神は言われました。
彼は「杖です」と言いました。
それを地に投げなさい。それが蛇に変わったのです。そして彼は「もう一度取りなさい」それは杖に戻りました。アーメン!彼は神なのです。「ああなたの手をあなたの無絵に置きなさい」彼はそれを出して、手がライ病になっていたのです」彼は「それをもう一度戻して、もう一度引っ張りなさい」そしてそれはもう一つの手の様になったのです。「私は神である」
そして彼はパロの前に歩み出て、言いました。「この様になるだろう」と、砂を拾い上げて、空中に投げなさい「主がこう仰せになる、地上が蚤でいっぱいになる」そして蚤がやってきました。水を取って、川に入り込みました。そして「主がこう仰せになる」そしてすべ手の川全体とすべての物が地になったのでした。
天から雹が降る様に呼ばれました。
69
終わりの時には、災害が再び繰り返されるのはご存知ですね。そして覚えておいてください、聖書の時代の姦淫を行う物は石打によって死刑になりましたそして不信仰な教会は雹の石によって撃ち殺されることになるでしょう。それは神の裁きのほうほうの一つでしょう。彼は不信仰な世を姦淫する世代として石打されるでしょう。彼は天から重たい百ポンド物意志を落とされることでしょう。その姦淫している教会、そしてその姦淫している世は神の裁きの下に死ぬのです、はじめと同じように石打によって。
神と正しい関係を得ましょう。教会の皆! それが私達全員がしなければならない事です、神に立ち返るのです!
70
その年寄のしわだらけの白髪の口ひげがあり、禿げ頭で細い腕の80歳のエリヤが荒野に座って人々の罪を見つけようとしていました。神が彼にある朝話しかけたのです。「行ってアハブ王にもし祈り求めるまで、天から一切雨が降らなくなると告げよ」と言われたのです。彼の小さな年を取った目と白いひげと手を挙げて、まるで16歳の男の子の様に歩いて行った光景が目に浮かびます。王の近くに行き言ったのです。「天から私が呼び求めるまで、雨の一滴も降らなくなるであろう」彼は神と神の言葉を恥じていなかったのです。彼は王あるいは他の誰にも告げました。彼は恥じ入っていなかったのです。だからそれを言う事を隠したりする必要はありませんでした。「アハブ王、あなたは、、、
71
それは私に我々自身の様な思いの何かに感じさせられます。人々に「ある場所に行く、信仰がもっと必要だ」と言いました。だから今私は家に帰ってきて新しいはじける信仰を得たいからです。まるで、人々に祈る時、あなた方は誤っている様です。「悪魔様、そこからちょっと動いていただけませんか、、、」もってのほか!信仰の筋肉と毛を胸に得るのです。それが語る時、全てが閉じるのです。「悪魔様入らないでください、出て下さい、ここから出て行け、私は神の子供だ、神からの命令だ、彼等から今すぐ立ち去れ」そうすれば動きます。
悪魔に謝る必要は一切ありません、彼とすることは何もないのです、神の言葉を恥じない事、その命令を恥じない事、そして我々が誰であるかを恥じない事。唯一恥じる事は私の地上での生まれであるブラナムであるという事。私の失敗を恥じてはいますが、神の僕として恥じる事はありません。神の御言葉を恥じてもいません、宗派に対しても王に対しても、主権者や何に対したとしても、神がそこに呼ばれたならただ答えを与える準備が出来ているのです。
72
パロの前にモーゼが出て行ったときも、彼に告げる事を恥じてはいませんでした、彼等は妥協はしませんでしたそして彼を何日も荒野に出したのです。彼は「子供と女性達は出て行かない様に」と言いました。
「いいえ、全員が行きます。一つの輪っかすらも残しては行きません。我々の牛も全て連れて行くのです」彼は恥じていませんでした。どうして?彼は解放の光の中に入っていたからです。
それが理由で、男性でも女性でも一度神のご臨在の中に入って、神が癒されたと知ると、解放の光の中に入ったことになるのです。あなたはもう何にも妥協しないのです。彼の心が神に出会ったので解放されて神が言われたことを聞いたのです。「私はアブラハムの神、アブラハムに約束を与えたものである、贖いの時、解放の時は近い。私はあなたを送って彼等を解放してほしい」それを謝る理由はどこにもありませんね?
73
パロが彼を殺す可能性はありました:彼は人間にすぎませんでした。彼は奴隷でした。パロが彼を殺すこともできたでしょうが、モーゼは、神の言葉を恥じていませんでした。彼はパロに膝まづいて命乞いをしたりは一切しませんでした。彼は言ったのです「私は彼等を連れにやってきた」と
パロは「いやお前は彼等を連れてはいけない」と言いました。
モーゼは「分かりました、それではあなたの所の土地にぶよを撒くでしょう。その様になります。
パロは「モーゼよ、彼等を連れて行きなさい」
彼は言いました「分かりました、あなたは悔い改めましたか?」
行った「あなた方は数日間荒野に行く事が出来る」
彼は「ぶよが来ることになります」アーメン!「暗闇がやってきます」それは暗くて他の物を見る事が出来なかった。
そして終に市がやってきた。パロから僕にその家族の年長の子供の死であった。誰にも謝る必要はなかった。彼はアブラハムの子供であった、神の御霊の内に生まれ神から命令を受けていた、神のメッセージを携えて降りていき神の人々を連れ出す事であった。
さて、神は同じことがこの時代に教会から花嫁を連れ出すことが出来ないのですか?
さて、ダニエルは、、、
74
ダビデの方ですね、彼はサウロの前で全く怖れませんでした。皆がゴリアテを恐れていた時に、彼は歩んで上がって行き言いました、「あなたの僕」小さな子供の様な人が言った、「あなたの僕は彼の父が寝ていた時に、熊を石投げで殺しました。獅子が来た時にも(ライオンです)羊を取って荒野に走り去ろうとしたときも、その獅子をこの石投げで倒し。彼が立ち上がった時、彼を殺したのです」彼は言いました。「そして神は、、、」その背教していた王はそこに立っていて、怖れていた兵士たちに天の神に仕えているという、そして割礼を受けていないぺレステ人が生きる神の軍隊に敵対している者について言いました。「あなたの僕は彼をも殺します。神は獅子と熊から解放して下さった方ですから割礼を受けていないぺレステ人からも解放してくださいます。」彼ははっきりと話していた、「多分そうなる」とか言っていたのではなく、彼は「それはなされる!全く恥じていませんでした。
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ダニエルは、王の前で、彼が出した命令に反対する事を恐れていませんでした、その命令は彼以外に対して祈ってはならないという物でした。彼は彼の窓を開けて、サッシユを投げて一日に3回祈っていました。彼は怖れていませんでした。
シャデラク、ミシャク。アベネデゴもその高熱の火を恐れていませんでした。「我々の神は我々はを解放する事が出来る、神は解放でいるが、もしそうされなくても、あなたの像を拝むことはしない」と言ったのです。彼等はそれを恥じていなかったのです。何もでしたはい!彼等は間違いなく、それを恥じていませんでした、何故なら彼等は知っていたからです。
サムソンはぺレステ人の前で恥じてはいませんでした。千人が彼の前に走ってきましたが、ろばのあご骨をもって山また山を築き、ろばのあご骨をもって一千人を打ち殺したのです。そしてヘルメットは6センチほどの銅の暑さでした。彼はろばの顎骨でもって1千人を打倒したわけです。彼は恥じていませんでした。彼はそれを彼の手で拾い、それに働かせたのです。彼は神の御霊が彼の上に有る事を知っていたのです。彼はナザレ人として生まれたことを知っていたのです。彼は何物も彼を邪魔する事が出来ない事、神の僕として知っていたのです。彼が神の御心の内にいるならば、彼の道を立ちふさげるものはないのです、どれ程沢山の王様であろうがぺレステ人であろうが何でもです。その通りです。
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ヨハネは神の言葉を恥じていませんでした、それは荒野で彼に来て、水で洗礼をする様に告げたのです。彼は、「見よ神の子羊、世から罪を取り去るもの」と言う事を恥じてはいなかったのです。神の御霊が彼の上に有ったのです。彼は祭司たちの前に行く事も恥じていませんでした。彼は神の御言葉を恥じていなかったのでヘロデ王の前に出て行きました。ピリピの妻がヘロデと一緒に住んでいました。王の真ん前に歩み行き、この白いひげをした男が荒野から出て来て教育も何もなかったのですが、ヘロデの前に行って言ったのです。「彼女とと一緒にいるのは神の前にも律法敵のも正しくない!」彼は神の御言葉を恥じてはいませんでした。間違いなく。全くそれを恥じてはいなかったのです。
ステファン、彼は神の言葉を恥じていませんでした。
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初めに、その五旬節の日に人々はそこに上の部屋に集まっていた時に、聖霊が神の約束によって下ってきたのです。ルカ24章49節にかかれています。
見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都(エルサレム)にとどまっていなさい」
その神の言葉が彼等に約束されていて、「見よ、わたしの父が約束されたものをあなた方に送る、然しそこで待っていなさい(神学や教育やその他の物をうけるな)あなたがその力を受けるまで待っていなさい」そしてその力が天から来るとき、まるで強い風の様に来る、彼等は福音を恥とはしなくなる。ペテロは立ち上がり、言いました。「全ての者よ、悔い改めよ。あなた方の悪い手で平和の君を十字架にかけた、そしてその方は死から蘇られた、そして我々はその商人である、これはヨエル書にかかれている様に終わりの時に来ることになっている「私は私の霊を全ての肉に注ごう」彼は福音を恥じていませんでした。
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小さなステファンは、数分前に話しましたが、彼が出て行くときまるでトルネードのようでした。彼は説教師ではなく、執事にすぎませんでしたが、その復活について全てを語ったのです。彼は神に会っていたのです。そしてそれはまるで、、、、彼を止めようとしましたか?さて、家を置くような感じでした、、、燃えている家、風邪の日に乾いた状態の所に火を置いた状態のようでした。なぜでしょう?毎回風が吹くと別の火が付いたのです。
彼等はユダヤ人の最高法院(サンヘドリン集会)の前に彼を連れ出したのです。それが何だか分かりますか?それはまるでエキュメニカル会議の様なものです。全ての宗教がエキュメニカル会議に頭をそろえています。その時彼等は皆、サンヘドリン会議(ユダヤ人の最高法院)に頭をそろえていました。パリサイ人も、サドカイ人も、ヘロデ達も、彼等が何であれ、彼等はその会議に来る必要があったのです。そして彼等は彼を捕まえて、一つの組織だけでなく、大きな会議が彼を連れてきたのです。「我々が彼を怖がらせてやろうではないか」
彼が朝、そこに上がって来た時、聖書では、彼の顔はまるで天使の様であったと書かれています。彼は言いました。「人々よ、兄弟達よ、話をさせて下さい。我々の父たちは、カランに彼等が来る前にメソポタミアに住んでいました」祖そして、、彼は行って聖句を与えました。そして彼が傷を負った時、霊が彼に下ってきたのです。彼は言いました。「心の頑なな、心と耳に割礼を受けていない者たちは、いつも聖霊を受け入れない、まるであなた方の父親がそうだったようにあなた方もそうである」彼は福音を恥とはしていませんでした。御言葉を恥じていなかったのです。サンヒドリン集会(最高法院)の前でさえも恥じてはいませんでした。全く恥じていなかったのです。
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パウロはアグリッパ王の前で言いました。。。ユダヤ人として、ガマリエル(偉大な教師でした)の下で学んだものでしたが。ある言いダマスカスへの道で、彼は神のご臨在の下に会い神と出会ったのです。一人の天使が天から火の柱として降りて来て、彼の場所に光を落としたのです。彼は立ち上がり言いました「主よあなたはどなたですか?」
そして彼は言ったのです。「私はイエスである」と
アグリッパの前に立ち、その話を繰り返しました。彼は言ったのです。「私はイエスキリストの福音を恥とはしない、信じる者全てに園かにの力である救いを下さるのであるから」間違いないです。
80
さて、友よ、私達はその時代の(我々には過去の)人々についてみてきましたが、このことを言わせてください。人が神とつながると、それは御言葉ですが、御言葉が単純に彼に顕されるのです。それについて恥じる者は何もないのです。あなたは辱しめられてはいません。私は神の全ての言葉を信じているという事において恥じ入る事は何もないのです。主が何かを言う様に言われたとき辱しめに会う事はありません。ただ行ってそれを言うだけなのです。それを言う事において恥じ入る事はありません。私は聖霊に満たされているからです。私が他の異言で語ったとしてもそれは私を辱しめません。我が主が私に幻を見せられたという時恥じる事ではありません。彼は昨日も今日もいつまでも変わることの無い方ですという時、恥じる事はありません。
「私の名のゆえにあなた方が王や主権者の前にあなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、あなた方の内にいる父が語られるのである。誰でも私と私の名をこの時代に恥じる者を、私は彼を父と聖なる天使たちの前で恥じるであろう」神hが我々を恥じる事が無いように助けて下さり、生きる証となる様に助けて下さいますように。
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旧約聖書にいる全ての人達、、、預言者が来た時、彼等は生きる御言葉となっていました。彼等が御言葉だったのです。イエスは言われました。「彼等は神々(小さい神)と呼ばれた、彼等はそうだったのです、神の御言葉が彼等に来ていたからです。彼等は言いました「それを主が仰せられる」そしてキリストの弟子たちは贖いの中で彼とつながりを持って居る物は、彼の心に救いが来て神を持つ者となるのです。何という種類の人生を我々は生きるべきなのでしょうか、どのように歩み、どのように神が我々の死すべき体を通して表されるとき生きるべきなのでしょうか?それを恥じる事が出来る人がいるでしょうか?
私はジェファーソンビルで警察隊に居た時にある場所に来ました、通りを全権者達と歩いていました、私はその町を恥じていませんでした、私はその町の一部だからです。私は警察になり、町の状態や仕切りを保つことをしていました。もし人が赤信号で走ったら、彼が間違った事をしていると言いチケットを渡す事を恥ずかしくは思いませんでした、それが私の仕事であり、その事によって市が私に給料を払ってくれるのですから、私は市によって生活を建てているわけです、その市の主権を得ているわけです。たとえ彼が酒を飲んで酔っ払っていようがどうあれ、彼等は私を助けてくれるわけです。しっかりと立っているのです、と言うのは私は警察官としてそれをする様に指示されここに置かれ主権を与えられてこれをしているわけです。だからあなた方は法律と権利を知って正しい事をする事を理解する必要があります。
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そしてもし、私がクリスチャンで聖霊に満たされていてイエスキリストの復活を証を着ているならば、彼は昨日も今日も永遠に変わる事がないのですから、どんな悪魔がやってきて「これをやるなそれをやるな」と言っても、神が与えられた力によってあなたはそれをするのです。私達には権力はありません。その警察官は車を止める権力は持っていません。それは時々、3から4百馬力もあります。それについて彼にできる事はありますか?しかし彼は主権を持っているのです。
それが神の教会なのです:我々はイエス木リスtの復活の主権と彼の約束された御言葉によって主権を持っているのです。ハレルヤ!「私のすることをあなた方はするであろう、それ以上にするであろうなぜならば私は父の所に行くからである」
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この時代ー罪深く、まがったこの地球上最後の世代であるこの時代に彼(神)を恥じないでください。この罪深く、不義な腐りきった時代において。全てまともだったことが元も出なくなっている。国の政治、汚れ、国々は砕けている。アフリカのジャングルに戻って、サファリのハンターの様に、彼等は高力のラジオでエルビスプレスリー、パットボーンの様なロックンロールやらツイストの音楽を聴いている。そして、原住民はそれを字まねして、頭をゆすりその様にしていて立ち上がって彼を見ている。しかし彼等はアメリカ人のパットボーンやエルビスプレスリーやリッキーネルソンの様ではなく、そしてその人達は。彼等はユダ族ではないのですが、彼等は、、、それは霊でありその例はアメリカだけではなく、世界中に広がって、アルマゲドンの戦いの時まで彼等に拡がっていくのです。彼等はその様に講堂して、彼等がそうであれ、どの国からであろうと(アフリカ、インドどこであろうとも)その俗悪で下品な物事た一人の人によって始められて拡がっていくのです。
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そして福音の持つ全能の神の力も世界に拡がってきました。そして今その別れの時が来ているのです、神が花嫁を読み出し、悪魔がある一つの教会を呼びました。花嫁の一部にならせてください。さて祈りましょう。
親愛なる神様、私たちは、主が壁に手書きされた者理解しました、我々は終わりの時にあります。我々は、大きな事が先にある事が分かっていますがまだどこかここでこの滅茶苦茶になっている地上にも正直な定められている命があるのです。一人や二人の人ですることは不可能ですが、神様ならば、我々を全て一緒にして、福音の良い知らせを世界の隅々にイエス様が再び来られることを、拡げさせてください、小さなパンと小さな言葉を共に。どこでも鷲が居るのです、彼等はその食べ物を追って来るでしょう。テープであれ何であれ、言葉か証殻何であれ、わしはその本部にやって来るのです。それは書かれている通りです。「死体(食べ物)があるところには鷲が集まるのである」
親愛なるイエス様、我々は、我々が食べるべき食べ物を示されたのです。それが御言葉です、その御言葉は新鮮で、我々の中にいるのです。祈ります、神様、我々が御言葉を撒くと、本物のわしはそれを見つけるでしょう。人々の、悪い人であれ、異なる人であれ、宗教な人でも何であっても、人々の前に立つとき、恥じることの無いようにしてください。パウロがテモテに言った様に、御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
神様、我々はその時代に生きています。あなたは、それが起こるのを見るまで私を生きさせてください、このタバナクルのかしら石にそれを書きました、33年前の事でした。
85
ここにいる一人一人を神様が祝福しますように。ここにあなたにまだ会う準備出ない人が拾利いたら那波、彼等があなたの御言葉に合意できなかったらならば、彼等はあなたに顔と顔を合わせて会う事がないのです、ある意味のある受け入れやすい信条やそのようなもので行動しているかもしれませんが、良きる神には出会っていないのです、そしてもし彼等がこれをしていないならば、主よ、彼等が今すぐ来られるようにして下さい。私はこの時代が近くなっていると信じています。私は彼等が誰なのかは知りません。彼等がまだここにいるかすら分かりませんが、そのことを祈る事をただ導かれたのです。人々が私の事を聞くのではなく、そうすると私は偽善者になってしまいます。神様、それとは違います、私は偽善者にはなりたくありません。しかし、心から誠実に祈りたいのです、主よ、誰でも男性でも女性でも、あなたが今朝話しかけ、彼等が謙虚になり、彼等の心の奥底からあなたを受け入れ、御言葉に従い、恥じることの無いように、そして今晩来て、イエスキリストの名によって洗礼を受けて、全ての言葉に従う様になりますように。彼等が違った形での洗礼、あるいは適礼とか注がれたとか、覚えて下さい主よ。あなたは言われました、「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、受け又、命の書から取り除かれる」彼等がその本に彼の名前を載せようと努力をしてもそれは上手く行かない。誠実で謙虚にさせて下さい。彼等はあなたの手の内にあります、主よ。そしてもし彼等があなたの者であるならば、その様にしてください。イエスキリスト、神の御子の聖名によって祈ります。
86
さてしばらく、頭を垂れて、祈る間、本当に今こそ誠実になって欲しいのです。初めに15分遅れたことを許してください。さて、ハミングをしたいです、そして心の中で今考えて下さい。「私は本当に神に出会った事があるだろうか?」本当に誠実に考えて下さい。今まで多分、そんなに多くそれをした事は無いでしょう、今が最後になるかもしれません。主が帰って来られる前に一緒に会える日の。それは友よ本当に近いのです。全ての聖句がそうしています、それは間もなく成就しようとしています。それはあなたあるいは私の為かもしれません。これは我々の最後のチャンスかもしれません。我々はもしかしたら夜の来る前に旅立つかもしれません。
、、、私は彼と共に行く、彼と最後まで、
私の救い主が呼ぶ声が聞こえる。
(私と私の御言葉を恥じるのか?)
私の救い主が呼ぶ声が聞こえる。
(今自分が死の床にあると想像してみてください。)
私の救い主の声が聞こえる。
(そして遅すぎるかもしれませんが、今はそうではありません)
「あなたの十字架を取って、(今犠牲を払う必要があるのかもしれません)
従ってきなさい」
今、あなたの心の中でこれに答えなさい。
私は園を彼と共に通る、
私は園を彼と共に通る、
私は園を彼と共に通る、
彼と共に最後まで行く
さて、頭を垂れて、手を挙げてこう言いましょう。
彼と共に裁きを通りに行きます
(今それが起こっている事です、神が我々を裁かれているのです。)
私は共に行く(主よ、私の罪を見つけられますか?そうならばお許しください。)
裁きの間に、
(今朝、私をさばかれるのですか主よ?)
彼と共に裁きを通ります。(私を試してください、主よ、
何か私の中にきたないものがあるかを)
彼と共に、彼と共に最後まで。
87
父よ、この朝を心から感謝します、これらの全ての手を感謝します。手を挙げなかった手はありませんでした。すよ心から感謝します。私もあなたに信頼します。誰も手を挙げていない人はいませんでしたから、あなたの裁きを通る準備が出来ているのです。さばいて下さい主よ、そしてもし我々の中に間違った事があるならば、それをお許しください。父よ。あなたの憐れみを与えて下さい、憐れみのない状態であなたの裁きに会いたくはありません。今は憐れみがある事を知り祈ります、神様、我々を裁き、あなたの御言葉と約束の通りに我々の罪を許してくださいそしてあなたの為に残りの人生の全てを生きさせてください、福音を恥じる事がありませんように。
さて、父よ、もしあなたの御心ならば、3週間連続の日曜日に今日から、ミーティングをします。私達の心をそのために準備してください、主よ。私を整えて下さい。神様、わたしこそが深くあなたを必要とする者として立っているのです。これらの日々に私が言うべきことを言えるように導いて下さい。私達の尊いネビル兄弟を導いて下さい、素晴らしいあなたの僕です、そして又マン兄弟も、そしてその教会の執事たちも、トラスティ―そしてここに集まる会衆の全ての人々を導いてください。
88
我々を整えて下さい、主よ、罪びとたちを本当のクリスチャンの道に導くことが出来ますようにつまりはあなたに、教会のメンバー達ば我々が個人的に神を知る様に神を知り、個人的にあなたに会い、彼等自身の神にあなたが成りますように。
さて、父よ、これを私達にすることは出来ません。彼等をそこに送ることは出来ませんが、あなたが、聖霊を人々の上に動かし、教会のメンバーの上に。そして小さな経験として、先日の朝、私があなたと持ったように、「私の息子に花嫁を得るために行きなさい。人々の中から、各協会の中から、花嫁を引き出してきなさい」祈りの内において下さい主よ。リベカをあなたは送られました、私はエリエゼルになる様にします。どうか忠実な僕となれるように助けて下さい、そして天の神が私の前に天使を送られますように、我々の前に、我々が正しい事を行い、あなたが選ばれた花嫁を選ぶためにです。イエスの名でお願いします。アーメン。
89
少し遅くなっていることを許してください。25分越えてしまいました。25分前にここを出ているべきでした。その古い歌が好きですか?「イエスの名前を共に?」美しくないですか?さてこれを解散の歌として33年間、歌ってきました、水の洗礼の時「オーヨルダンの嵐の河原に私は立つ」この曲はとても美しいと思います。
「どこに行くときもただその名を持っていきなさい」
尊い名、何と素晴らしい。
地の希望(誰かと握手をしましょう)
尊い名 何と素晴らしい。
地上の希望、天の喜び。
今今晩の礼拝を覚えておいてください、7時半です、今晩7時半、さて、この説を歌いましょう。
イエスの名を持っていきましょう。
すべての罠を守る盾、
誘惑が来るとき(あなたはそうしたらどうするのですか?)
深く息し祈りの内にその聖なる名を思う。
尊い名、何と素晴らしい
地の希望、天の喜び。
尊い名、 何と素晴らしい!
地の希望、天の喜び。
90
この礼拝の後で洗礼を受けに来た方が居ますか?もしそうならば手を挙げて下さい。洗礼を受ける方も?大丈夫ですね。すぐにこの礼拝の後すぐに洗礼をしましょう。そしてそれ以外の方で洗礼を受けたい方が居ますか?これらの礼拝の後、毎回洗礼をする事になっています。唯一あなたがしなければならない事は、尋ねる事だけです。我々は洗礼をする準備が出来ています。主イエスキリストの名によってあなたを洗礼する事は私達の仕事なのです。それは私達の仕事なのです。そして喜んでいつでもそうさせていただきます。洗礼を受ける方は、この礼拝の後即座に部屋に行ってください。水の洗礼があります。誰でも、彼等に続きたい方々は、私達はここにいます。あなたの罪を悔い改め、イエスキリストを救い主として受け入れて、何年のもないだクリスチャンでありながら光を見たことがなく、解放の光は今来るのです。女性は、花嫁はその名前をとる必要があります。イエスは言われました、「私は父の名で来たのに、あなた方は私を受け入れなかった、然し彼自身の名前で来るものがあるあなた方は彼を受け入れるであろう、(それがあなたの宗派教団です。誰でも息子は彼の父の名で来るのです。私は父の名によってきました。そして彼の名前は何でしたか?彼の父の名前は?イエス!)「私は父の名前で来たのに、あなた方は私を受け入れなかった」さて、彼の花嫁は彼の名を持っています、もちろん。ブロイと言う名の女性を取りましたそして彼女は、ブラナムになったのです。彼は花嫁の為にやってきます。だから覚えていなければなりません、そのプールに来るときに。
さて、頭を垂れて今祈りましょう。
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バイル兄弟は、我々の知らない人ではありません。彼はとても尊い兄弟です、沢山のミーティングを私と共にしてきました。彼と彼の妻がです。そして彼は又、これらの説教の著者でもあり、本の形にしています。バイル兄弟、解散の為に私達が頭を垂れている間に祈って
92
(テープ終了)