63-0323 第6の封印

  • 伝道者:ウィリアム・ブランハム
  • アメリカ合衆国ジェファーソンビル インディアナ州
  • 録音番号:63-0323
  • 年:1963
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少しのあいだ頭を下げましょう。主よ、礼拝のために集まりました。主の祝福を求めてシロに集った昔のように、今夜、あなたのみことばを聞くためにここにやって来ました。
子羊だけが唯一、この封印を解くことができるというこの特別な聖句箇所を検分してきましたが、今晩、この大いなる第六の封印について考えるにあたり、子羊が第六の封印を開いて明らかにしてくださるように、天の父に祈ります。わたしたちはそれを理解するためにここにいます。そして天にも地にも、それを明らかにする能力のあるものはいないのです。ただ子羊だけがそうするにふさわしいものとされたのです。
その唯一ふさわしいお方が、わたしたちのところに来てこの封印を解き、時の帳を超えて垣間見せてくださいますように。そうすることが、父よ、非常に暗く罪深い現代を生きているわたしたちの助けとなり励ましとなることを信じます。わたしたちは、あなたから恵みを受けていることを信じます。みことばとともに、あなたにわたしたち自身を捧げます。イエス・キリストの御名によって、アーメン。
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みなさん、こんばんは。今夜もここに来て主に奉仕することができて嬉しいです。少し遅刻してしまいました。危篤の男性のもとに行っていたのです。この教会の人です。彼のお母さんがここに来たのです。そして彼らがその彼が今にも死にそうだというので、行ってみると、わたしと同年代の人が死にかけてベッドに横たわっていました。すると一瞬のうちに、彼は立ち上がって主をほめたたえました。
そういうわけで、神は・・・我々が喜んで自分の罪を告白し、正しいことを行い、神を呼び求めて哀れみを願うなら、神は喜んで願いを聞いてくださるのです。それを神は待っておられるのです。
今夜ここは暑いですね。でもヒーターは消されているはずですよね。封印の解き明かしのために調べものをして、神に祈り求めながら、明かりなしで(ただ電灯だけで)過ごす日々が、昨日か今日だったかが7日目であることに気づきました。
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そして昨日多くの人が質問を書いてくれましたが、それらの多くは質問ではありませんでした。月曜日も集会を開いて癒しの祈りをしてほしいという願いでした。それならわたしは・・・もしそれがみんなの願いであるなら、そうすることもできないことはありませんが、もう一度よく考えて知らせてください。・・・もし癒しの祈りのためにここにきた人がいるなら、それよりわたしは、この時間を完全に封印のためだけに費やし、封印以外のことは遮断してきたのです。ですから、もう一度考えて祈り、それから知らせてください。
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もし主がそれを望まれるのなら、わたしはそうします。次の予定のニューメキシコのアルバカーキまでには数日あります。でも家に帰ってから、アリゾナの集会に備えてしなければならない仕事があります。ですから、それが主の望まれることか祈ってください、わたしも祈ります。そうすればはっきりわかるでしょう。
それで察するところ・・・病気のことを話せば病気がやってきます。そちらに座っている女性は、助けがなければ、あと少ししかここにとどまることはできないでしょう。ですから神に祈って・・・それがあなたがここに来た理由ですね。遠いところからここまでやって来ました。ね、聖霊はすべてのことをご存知だということがわかったでしょう。でもわたしはこの時間を封印のために限定して来たのです。そのために準備して来たのですから。でも、もし・・・
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どれだけの人が癒しの祈りを必要としてここに来られましたか?手を上げてください。おや、まあ、あっちにもこっちにも。どれだけの人が、月曜日の夜に癒しの祈りをすることが主の望みだと考えていますか? 月曜日の夜に癒しの祈りをすることを望みますか? それは可能ですか? それでは、主の望みであるなら、そうしましょう。水曜日・・いえ日曜日の夜、・・いえ月曜日の夜に病人の癒しの集会をしましょう。
そうすることで、アリゾナ集会に備えるために一緒に帰る人たちに支障がなければいいのですが。ノーマン兄弟はいますか? ノーマン兄弟、あなたの予定に支障がおきませんか?フレッド兄弟や他の人たちも、それで大丈夫ですか? オーケー。それでは、主が望まれるなら、月曜日の夜に、癒しの祈りをしましょう。一晩だけ、病人の祈りのためだけの集会をします。その時は、封印の話はしません。主が封印を開いてくださるなら、月曜日の夜は、癒しの祈りをします。
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さて・・・封印を解く作業のため、主に仕えることをわたしはとてつもなく楽しんでいます。みなさんは楽しんでいますか? さて、第6の封印については、第6章の12節から17節まで記されています。なかなか長い封印で、さまざまなことが起こります。
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ところで昨夜の繰り返しになります、毎回少し復習をしておきましょう、伝えておきたいことがあります。あの箱の中から、四つか五つの、とても大切な事項が書かれたメモを見つけたと言われました。心からおわびしたいと思います。(テープは始まっていますか?)ミニスターの兄弟達とここにいるみなさんに、お詫びします。
わたしは先日の夜エリヤについて話していたとき、エリヤが、携挙に行ったのがあるいは救われたのは自分一人だけだと思っていたというところで、7000人と言う代わりに700人が救われたと言ってしまいました。そうですね? みなさん、本当にごめんなさい。そう言ったつもりはなかったのです。ただの言い間違いです。自分では7000人と言ったつもりだったのですが、間違ってしまいました。ごめんなさい。ご理解を感謝します。
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わたしが言うことに注意していてくれて嬉しいです。7000人が正しいです。このことを知らせてくれたメモが2〜3ありました。「ブラナム兄弟、あなたは言い間違いをしたと思います。」「あれは700人ではなくて7000人ではないでしょうか。」
それでわたしはこう思いました、「もちろんです。わたしは700人とは言いませんでしたよ。」でもビリーが・・・それから次のメモにも、「ブラナム兄弟、あなたは700人と言ったと思いますが。」と書いてありました。
ある人は、「ブラナム兄弟、あれはそうなるという型を示した霊的まぼろしですか?あなたは700という数字で型を示していたのですか?」と書いてよこしました。人にこんなことを考えさせてしまうようでは、神経がまいります。もうたくさんです。わたしも神経がまいってしまいます。
今日、この封印が明らかになったとき、何かが起きました。それで庭に出て歩き回らなければなりませんでした。しばらくの間、ただ庭を歩いていました。そうです。息が止まりそうになったからです。そのくらい緊張するのです。本当にもう。それからもう一つ、わたしが言うことに、誰かが何かを補足したとしても、神は、わたしが言うことだけに責任を負われます。だからわたしは、これらのことについて正確さの上に正確を重ねて、まさしく正確でなければならないのです。わたしたちが生きている今という時は、とてつもない時なのです。
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わたしは月曜日の夜に癒しの集会をしようと考えているのですが、ネヴィル兄弟、差し支えありませんか? 大切なネヴィル兄弟。彼らがそうしてしまったのです。型破りなことをしてしまったようですね。兄弟はわたしの腹心の友です。
今の会堂には、日曜学校の部屋があります。全てがきちんと整っています。ジェファーソンビルのあたりに住んでいる人で、教会を探している人は、ここに来れば素敵な場所が見つかります。日曜学校の部屋と素晴らしい教師達がいます。ネヴィル兄弟は大人のクラスを教えています。彼は本物の牧師です。彼へのはなむけの言葉としていうのではありません。彼が亡くなった時に花輪を送るのではなく、わたしは今彼に賞賛のバラを送りたいのです。ネヴィル兄弟のことは、子供の頃から知っています。彼はずっと変わりません。彼は前からずっとオーマン・ネヴィルであり続けています。
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彼が、この町のメソジスト教会の説教師であった時でさえ、わたしに説教を依頼してくれました。クラークスビルには、彼の素晴らしい会衆がいました。あれはハワードパーク ハリソン・アヴェニュー・メソジスト教会でしたね。そこで彼は、ネヴィル姉妹と出会ったのですよね。彼女はメソジストでしたから。
わたしはここの教会に戻ってきてからこう言ったのでした、「あれは、こよなく素晴らしい男の一人です。いつの日かイエス・キリストの御名によって彼に洗礼を授けるつもりです。」そのとおりになりました。そして彼は今ここにいます。今、彼はわたしの親友であり、わたしを支えてくれる尊敬すべき立派な人物です。彼はいつでもわたしをしっかり支えてくれます。わたしが何を言おうと、わたしの側に立ってくれ、とどまってくれます。彼が初めてやって来た時でさえ・・・。彼はメッセージを理解していませんでしたが、それでも信じ、とどまってくれました。尊敬すべきことです。立派なことです。このような兄弟に、ふさわしい言葉を言いつくすことはできません。主が彼を祝福してくださいます。
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それでは、昨晩の第5の封印開封のおさらいをしましょう。今晩は、さかのぼっておさらいをせずに、第の封印のところまでで十分でしょう。
さて、馬に乗っている騎士が反キリストであることがわかりましたね。そして彼が、うまく取り入ってこれまでの三つの力を一つに結集し、青白い馬に乗り、死という名前をもち、出処である底なしの淵、地獄に向かって行きましたね。それから・・・敵が洪水のように押し寄せると、神の霊は、対抗する力をパワーアップさせたことを聖書から学びました。
それから、昨晩、聖書が完璧に証明していることを確認しましたが、四つの生き物が、現れ出た四つの馬に乗る騎手達にそれぞれ対応するのを見ました。この騎手は毎回異なる馬に乗って登場しました。最初は白い馬、次が赤い馬、それから黒い馬、そして青白い(まだらの)馬です。そしてその色の正体と、それが何をしたかを見ました。それから、それらのことと教会時代と照らし合わせて、実際に何が起こったのかを見ました。まさに完璧に一致しました。
ですから、神のことばとことばが合致したなら、その事がらは正しいことを意味します。神のことばと合致することは、常に「アーメン」であると、わたしは確信します。
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ある人がまぼろしを見たと言い、それが・・・。それを強力にはっきり見たので、主からのものだと言ったとしても、まぼろしを見るのは悪いことではありませんが、もしそれがみことばに矛盾するなら、正しいものではありません。
さて、ここにもモルモン教の兄弟姉妹がいるかもしれません、あるいはテープを聞くかもしれません。さてわたしは悪く受けとられるようなことを言いたくないのですが・・・彼らはよい人たちです。会いたいと思う人はモルモン教の信者の中に多くいます。とてもよい人たちです。彼らの預言者ジョセフ・スミスは、旅の途中、イリノイ州でメソジスト派の人たちから殺されました。あのよい人が・・・。それから彼の見たまぼろしですが、彼がまぼろしを見たことをわたしは少しも疑いません。彼は誠実な人でしたから。でもそのまぼろしは聖書と異なっていました。だからモルモン教の聖書を作らなければならなかったのです。わたしにとっては、これこそが聖書です。これこそがみことばです。それだけなのです。
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ある時、外国から来たあるミニスターが女性(妻ではない)を同乗させて車を乗り回しているところを見かけました。彼らは一緒に集会にやって来ました。彼らは二人だけで2、3日車に乗り、そして集会にやって来たのでした。その女性は3、4回結婚したことがありました。このミニスターが、わたしが滞在していたホテルのロビーにやって来て、わたしと会って握手を求めたので、握手をしました。そして彼に話しかけました。
「あなたが自由な時間に、ちょっとわたしの部屋で、お話をしてもいいですか?」
「もちろんいいですとも、ブラナム兄弟。」
そこでわたしは彼をわたしの部屋に連れて行き、言いました、「失礼ですが、あなたは、この国のことには不慣れなのですよね。」「あなたと一緒にいる女性は、評判が芳しくないのですよ。」「あなたはこれこれの場所から、これこれの場所に来られたのですよね?」
「はい、そうです。」
わたしは言いました、「あなたは、なんていうか・・・恐れないのですか?あなたを疑うわけではありませんが、あなたのミニスターとしての評判に傷がつくのではないかと考えたりしないのですか? もっと人の模範となるような行動をとるべきと思いませんか?」
「ええ、あの女性は聖人です。」
「ええ、そうでしょうとも。でも兄弟、考えてもみてください。あなた以外の誰もが、彼女のことを聖人とはみなしていませんよ。彼らは、あなたたちがしていることを見ています。あなたは行動に気をつけるべきだと思います。兄弟としてお話ししているんですよ。あの女性は4、5回結婚したことがあるのです。」
彼は言いました、「ええ、知っていますよ。」
「そういうことをあなたの国の教会では教えないでしょうね、兄弟。」
「ええ、でもそのことについて、わたしはまぼろしを見たのですよ。ブラナム兄弟。」
「ああ、そうですか、それは良かった。」
彼は言いました、「聞いていただいてもいいでしょうか? そのことに関するあなたの教えを少し正すことができると思うのです。」
「いいでしょう。喜んで聞かせていただきます。」
彼は言いました、「ええっと、そのまぼろしでは、わたしは眠っていました。」
「そうですか。」(それがまぼろしではなく、夢を見たのだということがわかりました。)
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「わたしの妻が、」彼は言いました、「別の男と生活をしてきました。それからわたしのところに駆け込んできて、言いました。『ああ、あなた、わたしを許して!どうか許して!こんなことをしてごめんなさい。これからは真面目になります。』「もちろんわたしは彼女をとても愛していますから、彼女を許し、『もう大丈夫だよ』と言いました。」「それから、わたしはこのまぼろしの解釈をしました。それはあの女性なのです。確かに彼女は何回も結婚しました。でもそれでいいのです。主が彼女のことをとても愛しておられるので、彼女が何回結婚してもいいのです。」
わたしは言いました、「あなたのまぼろしは、とても甘美ですね。でも、常道から外れていますよ。」「それは間違いです。そんなことをしてはいけません。」
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そういうわけで・・・。でも聖句が別の聖句とピッタリ当てはまって内容を深めていくなら・・・。つまりある聖句と別の聖句がピッタリ当てはまると、全体像が浮かび上がるのです。ジグゾーパズルをするようなものです。そのピースはある特定の場所にしか当てはまらないのです。そうやってピースを当てはめていくと、絵が完成します。それを完成させることができるのは、子羊だけです。だからわたしたちは、子羊を待ち望んでいるのです。
わたしたちは、馬に乗る者が、それぞれの馬に乗りこなしているのを見ました。そして彼を追いかけて、彼が何をしたかすべてを見ました。それから教会時代と照らし合わせて、彼が実際に行なったことを確かめました。
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それから騎手が馬に乗って出て行って事を起こす度に、それと戦ういきものが遣わされたのを見ました。最初の時代に遣わされたのは獅子でした。それはみことばであり、もちろんキリストのことでした。次は牛で、教会が組織化してみことばの代わりに教義を受け入れた暗黒時代に遣わされました。
一連のことは、異なる二つの事にもとづいていることを思い出してください。反キリストとキリストです。今日でも、同じです。半分だけクリスチャンというのは存在しません。酔っ払いのしらふというのも存在しませんし、白黒の鳥もいません。いいえ!罪深い聖人なんてとんでもない。罪人であるか、聖人であるかどちらかしかありません。中間はないのです。
生まれ変わったか、生まれ変わっていないか、どちらかしかありません。聖霊に満たされているか、聖霊に満たされていないか、どちらかしかありません。どんなに感覚的な体験をしたとしても、聖霊に満たされていないのであれば、聖霊に満たされたことにはならないのです。もし聖霊に満たされているのなら、その人の生き方にそれが現れます。はっきりとわかりますから、誰かから教えられる必要はありません。ただわかるのですそれが封印だからなのです。
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さて、これらの馬が、各時代にどのように乗ったかも知りました。政治力を駆使して宗教界と政界を一つに結合したものがありました。すると神がそれと戦ういきものを送られたのが分かりました。それからそれがどの教会時代に当てはまるのかをさかのぼって調べ、まさにそのとおりに当てはまったのを見ました。
それから次の時代が始まり、敵が宗教の名、キリストの名、教会の名を用いて反キリストを送ってきたのが分かりました。そうです。教会の名のもとに、反キリストを送ったのです。「これが本当の教会です。」敵は言いました。反キリストはロシアではありません。反キリストはそれではなく、非常にキリスト教に似かよっているので、前もって定められた者以外はすべて騙されてしまうと聖書が教えています。
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終わりの日には、あらかじめ定められている者以外は、すべて騙されると、聖書が語っています。『選民』です。『選ばれた者』という言葉の意味を、聖書の欄外の注で調べてみると、『選ばれた者、あらかじめ定められた者』とあります。世が創られる前から、子羊の書に名前が記されていない者は、みな騙されるのです。
子羊が屠られたときに、その書に名前が記されました。今夜、子羊は、仲介者として聖なる場所に栄光に包まれて立ち、その書に名前が記された者、一人ひとりのためにとりなしをしてくださっています。彼以外誰も、どんな名前が記されているのか知りません。その書は彼の手中にあるのです。最後の一人が救われたら、彼のとりなしの日々は終了します。すると彼は、ご自分がとりなした者を受け取るために顕現されます。今は、近親者の贖いの役割をしておられますが、ご自分のものを受け取るために顕現されます。
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ああ、だからすべてのクリスチャンは自分の内面を探るべきです。そして神の前に手を上げて、こう言うのです、「主よ、わたしを清めてください。わたしの人生を調べ、どこが悪いかわからせてください。そして速やかに正しい道に戻ることができるようにしてください。正しい者がようやく救われるのなら、罪びとや不信心な者はどうなることでしょう。」今は自分自身を確かめる時なのです。
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そして、このことを示す御言葉を知りたいのなら・・・。(このことに関してわたしに質問しないでください。もしそうしたら、わたしは別の課題に取り組まなければならなくなってしまいます・・・つまり、質問状のことを言っているのです。と言っても、もう質問は終わっていると思いますが。)今は、取り調べと裁きのときです。そうです。そのことについては、主が示してくださって最後のラッパ、あるいは怒りの鉢について話すときに説明します。取り調べと裁きについては、・・あの大艱難が起きる前にわかるでしょう。それが真実であることがわかります。ご存知ですよねそして地を打って、「災いだ、災いだ、災いだ、地に住むものたちは。」と3人の天使が叫ぶのです。
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そしてわたしたちは今、とんでもない時期に生きているのです。わたしたちが今学んでいる事柄は、教会が上げられてから起こることです。これらのことは大患難の時に起こるのです。そして信者が、みな心から納得していなければならないと思うのは、(真の)教会は大患難期を体験しないということです。(真の)教会が大患難に会うことはないのです。いわゆる教会は大患難に会いますが、花嫁は違います。
そのとき花嫁は連れ去られます。彼女には罪のかけらも見られないのです。神の恵みが彼女を覆っているからです。神の漂白剤が彼女のあらゆる罪を消し去ったので、しみの痕跡も見当たらなくなるのです。純白になり、神のご臨在の前に、完全な姿となります。ああ、そこまで神がしてくださるとは!花嫁は膝を折って神に叫びたくなるはずです。
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ちょっとしたお話があるのですが、肝心のことをお話しする前に、みなさんの時間をあまり多く費やしてしまっていないといいのですが。しかしこれには目的があるのです。話しても良いと霊が許可してくれるのを待っているのです。これは神聖なことですから。いったい誰がこのことを知っているでしょう。神の他は誰も知りません。そしてこの日まで、そのことはずっと秘められてきました。聖書も、この日までそれが明らかにされないということを記しています。それは本当です。いろいろな人が推測してきましたが、今、わたしたちは紛れもない真実を知ることになるのです。それは証明された真実です。
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さて、西部に住む少女の話です。彼女に恋をした青年に、彼女が恋をしたお話です。彼は牛のバイヤーで、アーマー会社という大きな会社のボスの息子でした。あるとき、彼がシカゴからやってきました。当然のように人々は西部開拓時代の格好をしていました。少女たちは着飾りました。誰もがこの青年を射止めようとしました。何と言っても彼は大会社のボスの息子ですから。それでみな西部開拓時代のドレスに身を包みました。
西部では今でもそうしています。
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いろいろある逸話の中に、マクガイヤー兄弟の逸話があります。(彼はここのどこかに座っていると思いますが、)彼がダウンタウンを歩いているときに、西部開拓時代の服装をしていないという理由で逮捕され、牢屋に入れられました。彼は吊し上げられ、罰金を払わされ、釈放されると同時に、西部開拓時代の服装を買わされました。誰もが長い拳銃を腰にぶら下げて歩いているのを見たことがあります。そこでは誰もが現地の人たちのように振舞っていました。人々は過ぎ去りし古き時代に戻って暮らしているのです。
そしてケンタッキーでは、レンフロ・バレーなどに引込んで、東部の過ぎ去りし日々の暮らしをしようとします。古き時代に戻りたがっているのです。古き時代には、何か惹かれるものがあるのですね。でも、初めの福音に戻るということになると、話は違います。そうはしたくないのです。現代的な方を好みます。それはどうしてかというと・・・。
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何が人に悪いことをさせるのでしょう? どうして男は飲んだり騒いだりしたいのでしょう、あるいは女は間違ったことをするのでしょう?それはその人のうちに何か飢え渇いているものがあるからです。その聖なる飢え渇きをこの世的なことで満たそうとするのです。本当は神こそがその飢え渇きを満たすことができるのに。神が飢え渇きを与えておられるのです。だから人は何かに飢え渇いています。神が人をそのように造られたので、人は神に立ち返ることでその聖なる飢え渇きを満たすことができるのです。でも聖なる飢え渇きを満たそうと・・・。何かに飢え渇いてそれをこの世に向けて、この世的なことで飢え渇きを満たそうとする・・・いったい誰にそんなことができるでしょう? 誰にもできません。満たすことができるのは、ただおひとり、神だけです。神は人をそのように造られたのです。
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さてこの少女たちは、この青年のために、西部劇に出てくるようなドレスで着飾りました。彼女たちの誰もが、自分こそこの青年を射とめるのだと思っていました。
その農園にいとこの少女がいました。彼女は孤児でした。他の少女たちが美しい爪を汚したがらないので、彼女がすべての労働をしていました。少女たちは手荒れが嫌で、皿洗いなどしたくありませんでしたから、彼女が辛い労働を一手に引き受けていたのです。
そしてとうとう青年がやってきました。皆が4輪荷馬車で出かけて行って、古い西部スタイルで彼を迎えました。彼らは拳銃を打ち鳴らし、うかれて一騒ぎしました。
その晩は盛大なダンスパーティが開かれ、牧場主たちが集まってきて、懐かしいダンスが繰り広げられました。そしてこの祝祭は2〜3日続きました。
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そしてある夜、この青年はダンスで疲れた足を休めるために、少女たちを離れて、外に出ました。ふと柵の囲いに目をやると、そこに一人の少女がいました。彼女はみすぼらしい服を着て、水をいっぱい入れた洗い桶を持っていました。彼女は皿洗いをしていたのです。青年は思いました。「彼女は今まで見たことがないぞ。いったいどこから来たのだろう。」それで彼は飯場の横を回り下って行き、柵囲いのところに戻って来て、彼女に会いました。
彼女は裸足でした。彼女は立ち止まってうつむきました。彼が誰だかわかっていたのです。彼女はとても内気でした。彼女は・・・この偉大な人物を知っていました。でも彼女は、他の少女たちの従姉妹でしかありません。彼女たちの父は、アーマー会社の支部長でした。彼女はずっとうつむいていました。自分が裸足であることが恥ずかしかったのです。
彼は訪ねました、「君の名前は?」彼女が答えると、彼は、「どうして君は他の娘たちと一緒にいないの?」と聞きましたので、彼女は言い訳をしました。
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そして次の夜、彼は彼女を観察しました。他の人たちははしゃぎ騒いでいましたが、彼は抜け出して囲いの柵の上に座り、彼女が洗い水を捨てにやってくるのを見ていました。彼女が来ると彼は言いました、「僕がここに来た本当の目的を知っている?」
彼女は「いいえ、知りません。」と答えました。
彼は言いました。「僕がここに来た目的は、妻を得るためなんだ。君には他の娘たちにない性質があるのがわかった。」(ここで教会のことを念頭に置いています)「僕と結婚してくれませんか?」
「わたしが?このわたしがですか? とてもそんなこと、思いもよらないことです。こんなわたしが?」彼は本社の親方の息子なのです。彼は国中あちこちに会社や農場を持っているのです。彼に無いものはないのです。
「そう。シカゴには妻にふさわしい娘がいなかった。僕は本物の妻を求めているんだ。心もちの良い妻をね。わたしが求めているものを君のうちに発見したんだ。」「僕と結婚してくれませんか?」
「それは・・・・」彼女はびっくりして戸惑いましたが、「はい」と答えました。
彼は言いました、「それでは・・・」(彼はまた戻ってくると伝えました)「君は支度を整えていてください。今日から一年後に、君を迎えるために僕は戻って来ます。僕は君をここから連れ出します。君は、もう二度とこんな仕事をしなくていいようになる。僕は君をシカゴに連れて行きます。そして君が見たこともないような家を、君のために建てます。」
彼女は言いました、「わたしには、家なんてありませんでした。孤児ですから。」
「僕が、君のためにほんものの家庭となる家を建てます。」「また戻って来ます。」
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彼はその期間ずっとそれを実行していました。
彼女は、ウエディングドレスを買うために、一生懸命に働いて、毎日一ドルづつ、あるいは稼いだ分を貯めました。これは教会の姿の完全な型です。彼女はふさわしい装いを整えました。
言わずと知れて、彼女がウエディングドレスを披露したとき、いとこたちは言いました、「まあ、なんてかわいそうな愚かな娘なんでしょう。あのような方が、あなたなんかに本気で心を寄せたと思っているの?」
彼女は答えました、「でもわたしに約束してくれたんですもの。」「彼の約束をわたしは信じています。」
「でも、そんなのはほんの戯れのつもりだったんでしょうよ。本当に花嫁を見つけるつもりなら、わたしたちの誰かに求婚したはずよ。」
彼女は言いました、「でも、わたしに約束してくれたんです。だから、彼を待っているのです。」(わたしもです。)
それから時が過ぎて行き、とうとう約束の日になりました。彼女はウエディングドレスを来て、彼が来る時刻を待ちました。彼からの便りは、ずっとありませんでしたが、それでも、彼女は彼の到来を信じていました。だからウエディングドレスを来て準備を整えたのです。それで従兄弟たちは笑いました。だって、彼の父であるボスが彼女たちの父のところに来ていましたが、彼女たちは何の音沙汰もなかったからです。だから彼女たちにとっては、まったく謎に包まれたことだったのです。
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これも同じことです。でもこの少女は、彼女を迎えに戻って来ると言った彼の言葉にすべてをかけていました。いとこたちは笑い、手をつないで彼女の周りを踊って回りました。「あはははは、かわいそうな愚かな娘。」(こんなふう笑いながら、)
少女は、ただ立ち尽くしていました。でも、少しも恥ずかしさを感じていませんでした。彼女は花束を持ち、ウエディングドレスはきちんと整っていました。彼女は苦労していたのです。(彼の花嫁は、自身で準備を整えます。)彼女は花束を握って待ち続けました。いとこたちが言いました、「ほら、言ったとおりでしょう。彼はやって来っこないわ。」
少女は答えました、「でもまだあと5分あるわ。彼は必ずやって来ます。」
どれほどいとこたちが笑ったことでしょう。しかしその最後の5分が過ぎる時刻を古時計が知らせる前に、馬が駆け、砂利が車輪に砕ける音がして来ました。そして4輪馬車が家の前で止まりました。
少女はいとこたちの間から飛び出し、彼は馬車から飛び降り、彼女は彼の腕の中に飛び込みました。彼は言いました、「愛しい人、もうすべてが解決したよ。」ポカンとしているいとこたち(教団)を残して、彼らはシカゴの新居に去って行きました。
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わたしはまた別の、このような素晴らしい約束を知っています。「わたしは行って、あなたがたのために場所を用意する。そして戻って来て、あなたたちを迎える。」そんなことを信じるなど気がしれないと、人々は言うでしょう。でも兄弟のみなさん、わたしにとっては、今このようにして、超自然的に封印が解き明かされている状況においては、時計の針が、今にも永遠に突入する時刻を知らせそうな感じがするのです。
7人目の御使いがメッセージを伝えた後、あの天使が立って、「もはや時がない」と言うのが聞こえて来るようです。イエスが父の家に迎えてくださるときが来たら、忠実な花嫁は、飛び去ってイエスの腕の中に飛び込むのです。これからは、このことに思いを馳せましょう。
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獅子によるミニストリーを知りましょう。みことばです。それから牛、いけにえの苦役を負いました。それから改革者によるごまかし時代、それから鷲の時代が到来しました。神秘とされて来たことを明らかにし、人々に知らせるときです。
そして昨晩の集会では、第5の封印が解かれて、大きな謎とされてきたことが明らかになりました。こうではないかと、前にわたしが推測していたこととは、真反対の事実がわかりました。
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わたしは、祭壇の下にいた魂が、初代教会時代に殉教したクリスチャンだと思っていたのです。でも昨晩、主なる神が封印を解いてくださったとき、そういうことは有りえないとはっきりわかりました。クリスチャンではなかったのです。彼らは栄光のうちにまっすぐ彼の地に上げられたのですから。すると彼らが誰かというと・・
彼らはユダヤ人でした。・・・144,000人が呼ばれたと有り、そのことは今夜か明日お話ししますが、第六と第七の
封印の間に144,000人が呼ばれるのです。祭壇の下の魂は殉教者でしたが、まだ白い衣を身につけていませんでした。でも彼らの名前は、子羊の命の書に書き記されていました。それから、彼ら一人ひとりに、白い衣が与えられました。
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この世に、患難期の前を通ってきたユダヤ人たちのように、ひどい目にあったものはなかったろうと思います。第2次世界大戦の時には、・・・彼らはあらゆる人々から憎まれました。ドイツのアイヒマンらが(彼の公判が開かれましたね。)何百万という無実のユダヤ人を殺しました。他ならぬ、ただユダヤ人だという理由でユダヤ人が殺害されたのです。
聖書は、彼らが神の証のために・・神のことばと彼らの証のために殺されたと記しています。花嫁は、神のことばとイエス・キリストの証を持っていますが、彼らはイエス・キリストの証を持っていません。そして聖書は、前もって定められていた、すべてのイスラエルが救われる(ローマ11)と記しています。知っていますね。それで彼らの魂は・・・
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さて、近づいてきました。なぜ以前はわからなかったのでしょう。それは、以前には起こらなかったからです。でも今はわかります。時と時代を経て起こる、これらのことを見通しておられる偉大なる聖霊が、今や、そのことを明らかにしてくださっているのです。それで、見て確かめて、それが真実であることがわかりました。
ですから、彼らは患難時代の前の患難期にアイヒマンから迫害を受けた殉教者たちでした。彼らは、第六と第七の封印のところで登場する144,000人の殉教者の型です。ところで、第七の封印というのはたった一つのことです。「天に半時間ばかり静けさがあった。」それだけです。ですから、神にしか、このことを解き明かしできません。象徴の形式でもどこにも記されていません。明日の晩の課題です。わたしのために祈ってください。
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さて、第6の封印のところで気づくことは・・・どうか天の父がこの第6の封印に取り組むのを助けてくださいますように。さて、第6章の第12節からです。 
又、小羊が第6の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、
天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。
天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。
地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。
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そこに注目してください。これらの有力者たちの様子を見てください。彼らは、いったい何をしたのでしょう?ふしだらな女との淫らな行いに対する怒りの葡萄酒を受けたのです。彼女の葡萄酒を飲んだのと同じ部類の人たちです。
そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。
御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。
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なんてすごい文で始まる節でしょう・・・その騎手分かりますね、この時までには、馬に乗る者(騎手達)も馬も四つの生き物も消えたのです。そしてわたしたちは上げられていました。祭壇の下にいる殉教者を見ます。これらの殉教者は、宗教のために死んだ正統派のユダヤ人です。彼らはキリスト者ではあり得ませんでした。神が、彼らの目を見えなくさせられたからです。彼らの目は、異邦人の教会が上げられるまでの長い間、盲目の状態にされているのです。神はユダヤ人と異邦人を同時に救うことができないのです。それでは神のことばに矛盾してしまいますから。
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覚えていてください。神は、イスラエルを一つの国民として救われます。それがイスラエルの国です。対して異邦人は個人的に救われます。それが異邦人の中から取り出された人々です。異邦人は、世界中の人々の中から取り集められます。時々、ユダヤ人もその中に混じりますが。アラブ人やアイルランド人やインド人といったように、世界中のあらゆる人々が集まって、このブライダルブーケを構成するのです。
でも、ユダヤ人を取り扱う場合には、70週の後半部分のことですが、神は彼らを一つの国民とみなされます。異邦人の時代は終了します。その時は、間もなくやってきます。神が、異邦人からきっぱり手を引かれるのは、今晩かもしれません。そうです。神はこう言われました、「異邦人の時代が終わるまで、彼らはエルサレムの城壁を踏みにじるであろう。」時は終了します。そうです。それからは、「汚れた者は汚れたままにしておけ、義なるものは義しいままにしておけ」ということになります。
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もはや聖所には、一滴の血も残っていません。祭壇には、もはや血はありません。祭壇は無くなり、もはやそこにあるのは、煙と雷鳴と裁きだけです。まさしくそれが、今夜注がれるのです!
子羊は、とりなしの働きから離れました。御座におけるとりなしの働きは終了しました。いけにえは、(彼はまさに、贖いの近親者、現れた血だらけの子羊、屠られた子羊、殺害されて、血だらけ、傷だらけのものの典型です。)現れ出て、神の御手から書を受け取りました。時が終了したのです。今や、彼はご自分で贖われた者を受け取るために来られます。アーメン!わたしのうちから、何かが出ていくのを感じました。
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今読んだように、ヨハネは、「小羊が第6の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起った」と記しています。それからあらゆる自然に異変が起きました。神は病を癒され、盲目の目を見えるようにされるなど偉大なみ業をされてきました。でも、これから自然はつまづくのです。すべての自然がです。
何が起こったか見てみましょう。地震が起こり、太陽は黒くなり、月は光を放たず、星はふるい落とされます。第6の封印の開封とともに、何もかもが起きます。これらの殉教者が発表されると、時を隔てずこれらのことが起こります。それまでに、殉教者達は終わっています。
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さて、わたしたちはその時刻に接近しつつあります。教会は飛び立つばかりに準備を整えているので、そのことがいつ起こってもいい状態です。でも覚えていてください。これらのことが起こった時、花嫁はここに残っていません。覚えていてください。花嫁は立ち去っているのです。花嫁は、これらの出来事の一つも経験する必要はないのです。これは教会の浄化のための患難の時なのですから。教会にのしかかってくる時であって、花嫁が経験しなければならない時ではないのです。神は愛しい人をその場から逃れさせてくださいます。そうです!彼女はすでに贖われているのです。これは神ご自身の選択です。男性が皆自分の花嫁を選ぶのと同じです。
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さて、地震ですが・・・聖句を比べて読んでみましょうか。鉛筆と紙を持っていますか? みなさんに、ちょっとやってほしいことがあるのです。もし書き留めたかったら、そうしてください・・・テープを聞き直すのでなかったら。
さて、わたしと一緒に読んでもらいたいのです。贖いの書の、第6の封印に収められた偉大な神秘、このおそるべき出来事の箇所を比べてみましょう。これらが、隠された神秘であることを覚えていてください。6つの封印はひっくるめて一つの書なのです。6つの書が巻かれて一つの書となっているのです。そして贖いの書全体が解かれるのです。そのようにして地球全体が贖われます。
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だからヨハネは泣いたのです。もし誰もその書を手にすることができなければ、すべての被造物が、何もかも消滅してしまい、原子や分子や宇宙光の状態に戻ってしまい、人はもとより、創造のかけらもなくなるからです。それは、アダムがその書の所有権を失ったからです。彼は妻の言葉に従ったので、その権利を剥奪されたのです。そして彼女は神のことばに従うのでなく、サタンの理屈を聞いてしまったのでした。
その書の所有権は剥奪されました。しかし、彼女をそそのかして道から外れさせたサタンの汚い手に、それが移ることはあり得ません。それで、難解な権利証書の取り扱いと同様に、元の所有者の手に戻りました。それは元の所有者の手に戻ったのです。その所有者とは、それを造った創造主なる神です。今は神が、それを手にしているのです。
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その書には代価がありますそしてそれは贖いなのです。それを贖うための代価が必要です。でもそれを贖うことができる人が誰もいません。それで神は言われました・・・神は法を制定され、ご自身の作られた法によって、近親者が身代金を払って贖うことにされました。
それでもそれができる人は誰もいませんでした。人は皆、性交によって生まれました。性欲による産物です。人はサタンとエバの犯した原罪を背負っています。だから、身代金を払うことができないのです。その価値がないのです。神聖なる教皇も、神学博士も、誰であっても、その資格がありません。天使も駄目です。それは近親者でなければならないので、人でなければならないのです。それで神ご自身が、処女から生まれることによって人間の肉体を身につけて近親者となってくださいました。
そして神がご自分の血を流されたのです。
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それはユダヤ人の血ではありませんでした。もちろん異邦人の血でもありません。それは神の血でした。聖書は、わたしたちが神の血によって救われたと記しています。子は父親の血を引き継ぎます。知っていますね。オスがヘモグロビンを作るのです。だから・・・
めんどりが卵を産むのと同じです。めんどりは卵を産みますが、おんどりがいなければ、卵は孵化しません。そうでないと有精卵にならないのです。女性はただ卵子を持つ孵卵器です。胚は男性から産出されます。この場合は、男性は神ご自身でした!
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だからわたしは、上昇は下降であると、大は小であると言うのです。神はとてつもなく偉大なので、ちっぽけなものになることができるのです。それで小さな胚になって処女の胎に入ることができました。そこから神は細胞分裂して血を形成されました。それから地上に生まれ、成長されました。このようにして生まれたので、不純物の混じりがなく、性欲の関わりが一切ない状態で・・・
そして血を与えてくださいました。神がわたしたちの近親者となってくださったからです。彼が近親者としてわたしたちに代わって身代金を払ってくださったのです。そして自ら進んで血を流してくださいました。そうする必要はなかったのですが、自ら進んで贖ってくださったのです。そして神が贖いの書を手にしておられる間、彼は神の祭壇に上って、そこで待機しておられます。血にまみれた子羊が犠牲の祭壇に立っておられるのです。とりなしをして罪を贖う子羊がおられます。
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それなら、マリアやヨゼフやその他の人間に、どうしてとりなしの役目ができると言うのでしょう。血を伴わなければ、とりなしをすることはできません。神と人との仲介者は、ただお一人、イエス・キリストだけです。聖書がそう記しています。最後の一人の魂があがなわれるまで、彼はそこにとどまっておられるのです。それから、ご自分があがなわれたものを受け取るために、立ち上がられます。
ああ、神はなんと偉大な父なのでしょう。覚えていてください、わたしは常に、「2人か3人の証言によって、すべての言葉は確証されなければならない」と言ってきました。聖書から一つの聖句を取り出しても、それと整合する他の箇所の裏付けがなければ、成り立たないということです。「ユダは出て行って首をつった。」という聖句を取り上げ、別の箇所から「あなたも行って同じようにしなさい。」という句を取り上げます。でもこの二つが一つの文章として成り立たないことは、聖書の他の文脈から見て明白です。
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それから・・・第6の封印を聖霊が開封してくださったので、わたしはその中身を見ることができました。それで、今夜は何かちがった趣旨のことをするのも悪くないなと思いました。ずっとわたしの話を聞いているだけではみなさんが疲れてしまうので、今夜は何か別のことをしようと思ったのです。
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さて、聞いてください。この偉大な出来事は、贖いの神秘の書の中に封印されていたのです。今や子羊の手に移り、彼が開封しようとされています。さあ、マタイの24章を読みましょう。子羊ご自身が語っておられるのです。ところで、それに関する限り、キリストがこの書全体の作者であることをご存知ですね。でもここでは彼が語っておられるのです。彼がユダヤ人に説教しているのです。
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さてみなさん、聖書をこのように持って、マタイ24章と黙示録6章が開けるようにして、両者を比較して見ましょう。よく注意してください。そうすればどうなっているのかわかるようになります。ここでは、子羊が語る言葉は象徴の形になっています。まさしく象徴的な言葉で語っています。そこで語られているのはすべてそうです。彼が語り、それがここで起こっています。まさに完全な証明です。
さて、聖マタイの24章と黙示録6章を見て比べましょう。すべての学者、すべてこれに関わる人が、この章は患難期のことを語っているということで一致しています。マタイの第24章から出て・・・
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もしそうなら、・・・
第6の封印は、裁きの封印であることがわかっています。まさしく裁きの封印です。さて、これまでに反キリストの騎手を見、教会が去るのを見ました。教会は完成し、上げられました。それからユダヤ人の殉教者が、祭壇の下にいるのを見ました。さて、ここで人々への裁きが開始され・・・この患難期の裁きによって144,000人の贖われたユダヤ人が現れます。彼らが異邦人ではなくてユダヤ人であることを証明することができます。彼らは花嫁とは全く関係のない人たちです。花嫁は・・・。花嫁はすでに地上を去りました。彼らを地上に置くことはできません。彼らは使徒行伝(黙示録のこと?)第19章まで戻ってきません。
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さて、注意してください。第6の封印は、みことばの裁きの封印です。さあ、マタイによる福音書第24章を読みましょう。発見したことをみなさんにも教えたいのです。まずマタイ書の1節から3節までを読みましょう。
イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。
そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。
またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。
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ここまでにしましょう。これら3節は実際に紀元後30年の4月4日(火)に起こりました。初めの2節は、紀元後30年の4月4日の午後の出来事で、3節は同日の夕方の出来事です。
彼らは神殿のところに来たとき、イエスにこれらのことを尋ねました。「これはどうなっているのですか?これはどうなっているのですか?この壮大な神殿をご覧ください。素晴らしいじゃありませんか。」
イエスは言われました、「その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう。」
それから山に登って座り、彼が話し始めました・・・これが午後の出来事です。それから彼らが、「わたしたちには知りたいことがあります。」と言って、彼に質問しました。
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さてここに注目してください。三つの質問が、イエスの弟子であるユダヤ人から発せられました。三つの質問です。まず第一に、「これらのことは(その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるということ)いつ起こるのですか?」第二の質問は、「あなたが来られるしるしは何ですか?」それから「世の終わりは?」とうものです。
これらが三つの質問です。多くの人たちがここで間違うのです。彼らはこれらの出来事をある時代のことと考えているのです。でも、よく読んでみれば、イエスは三つの質問に答えているのです。見事な回答に注目しましょう。
第3節です。第3節の最後の句です。「いつ、そんなことが起るのでしょうか・・・」まず彼らはイエスを個人的にオリーブ山に呼びました。「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。」これが第一の質問です。「あなたがまたおいでになる時は、どんな前兆がありますか。」これが第二の質問です。「世の終りには、どんな前兆がありますか」。 これが第三の質問です。このように、三つの個別の質問がなされたのです。
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さて、これらのことについてイエスがどのように語っておられるか、ページをめくって調べましょう。ああ、見事に合っています。これを知ってわたしは・・・。先日の夜、どんな表現を使いましたっけ?啓示によって触発された興奮です!
注意して聞いてください。この書の第一の封印と初めの質問とを比べてみましょう。そして各質問をそれぞれ比較して、他の箇所が教会時代の記述とはっきり一致したのをみてきたように、連携していないか調べましょう。その時、封印は完全に開封されたのです。
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さて、今これから読みます、初めに「そして彼らに答えて言われた。。。」そしてその時彼は今答えようとされたのです。封印と比べたかったのです。さて見てください。その第一の封印は黙示‬録6:1と2です。 今6:1と2を読みます。
小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。
そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
乗っている者とは誰のことでしたか? 反キリストです。今度はマタイ24:4と5です。
そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。」
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そうですね? 反キリストです。これが封印のことです。イエスはここでそのことを語り、封印が解かれ、反キリストが登場しました。間違いありません。
さて、第2の封印です。マタイ24:6と黙示録6:3と4です。注意してください。まずマタイ24:6です。
また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
それでは次は第2の封印です。黙示録6:3と4を読みます。
小羊が第2の封印を解いた時、二つ目の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。
すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。
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見事に一致しています。聖書自らに回答をもらいたいじゃありませんか。聖書は聖霊によって書かれたので、聖霊は明確にすることができるのです。
さあ、第3の封印に注目しましょう。これは飢饉のことです。マタイ24:7と8を読みましょう。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
さあ、ここまでやってきました。次に黙示録6です。さて今第3の封印を開けます。それは黙示録6:5と6に記されています。
また、第3の封印を解いた時、第3の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。
すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。
飢饉です。まさしくイエスが言われたことと同一の封印です。
それでは、第4の封印、これは疫病と死です。マタイ24の8節を読みます。7節と8節が、第4の封印に当たると思います。あれ、どこを読みましたっけ?違うところを読みましたか?印をつけておいたのですが。ああ、大丈夫です。続けましょう。
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さて、7節から始めましょう。第4の封印です。それから黙示録の6節7節8節を読みます。まず、マタイ24章の7節8節です。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
さて第4の封印です。第4の封印は黙示録7節と8節に記されています。
小羊が第4の封印を解いた時、第4の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。
そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。・・・
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ちょっと待ってください。間違って記してしまったようです。ちょっと待って、7節と8節はというと、マタイ24章の7節と8節は、第3の封印の開示でしたね。マタイ24:7と8は、ごめんなさい、これは飢饉の始まりでした。
それでは、疫病と死のことは・・・ああ、やっとわかりました。7節と8節は第4の封印です。さあ、第4の封印のところから調べましょう。「小羊が第4の封印を解いた時、・・・」そうです。死という名の青白い馬に乗る者が出てきたのです。
そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。
さあ、これが死です。
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さて第5の封印です。マタイ24:9〜13のところです。ちゃんとあっているか確かめましょう。
そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
さて、これが昨晩話した第2の封印のところです。彼らは苦しみにあったり、互いに裏切りあったりするのです。
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では第5の封印のところを読みます。黙示録6:9〜11です。
小羊が第5の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。
彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。
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おわかりのように、第5の封印は殉教です。そしてマタイ24:9から13までに殉教のことが記されています。「そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。」などなど。同じ封印のことを言っているのがわかります。
さて、第6の封印が今から始まります。マタイ24:29と30・・・。さあ、24:29と30です。それから黙示録の6:12から17までです。その箇所をまさに読もうとしています。
さあ、聞いてください。マタイ24:29と30でイエスが語られたことです。
しかし、その時に起る患難の後(ここでいう患難とは、彼らが経験することになった前駆患難のことです)、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
65
65 それでは、今日のテーマである、黙示録の第六の封印のところを読みましょう。
小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、 天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。
天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。
地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。
そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。
御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。
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まさにぴったりと一致します。もう一度戻って、イエスがマタイ24 :29で言われたところを聞いてください。(アイヒマンの裁判などの後です。)
しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。(さあ、注目して!)
そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
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見事に一致します。イエスがマタイ24章で語られたことと黙示録の啓示者が開示した第6の封印のこととを比べてみるとまさにぴったりなのです。イエスが語っておられるのは患難期のことだったのです。
弟子たちはまず、いつ神殿が取り去られるのか尋ねました。イエスがそれに答えられました。次に彼らが尋ねたのは、殉教の時代がいつ来るのかということです。彼らはいつこのことが起き、いつ反キリストが現れて、いつ反キリストが神殿を取り去るのかを尋ねました。
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ダニエル書です。ダニエル書に記された、かの君が現れて・・という箇所を引き合いに出すことができます。あなた方読者はその事をご存知です。かの君は何をするでしょう?彼は、日々のいけにえとそのときに行われてきた諸々のことを廃止するのです。
イエスは、ここでそのことを語り、強調して下線を引きました。「預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、・・・」それはどういうことですか? 彼らが神殿を焼き払ったとき、オマールのモスクが神殿の場所に建っていたのです。「そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。 」わかりましたか?これからどんどん事が進んでいき、裏付けられ、この第6の封印が開示されると、これらのことがすべて起こるのです。
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さて、気づいてほしいのですが、イエスは第7の封印に関する教えを故意に省かれました。これについては、明日話します。聖書には(第7の封印について)書かれていません。第7の封印の後すぐにたとえに話題を移しています。ヨハネも第7の封印の記述を省きました。第七の封印は偉大な出来事となるのです。それに関してひと言も書かれていません。両者とも第七の封印を省来ました。神は言われました・・・。ヨハネは、天に沈黙があったと語りました。イエスはそれについてひと言も語りませんでした。
12節に戻って考えてみましょう。第6の封印が開かれた事が記されている12節ですが、獣に似た生き物はここにも登場しません。第5の封印のときと同じです。なぜでしょう? これが起こったのが福音の時代の別側であり、それが患難期の出来事だからです。
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第6の封印は患難期のことです。それがそのときに起こるのです。花嫁は連れ去られています。わかりますか? もはや生き物もおらず、何か物言うものもありません。そこにはただ・・・・。神はもはや教会を救われません。教会は連れ去られましたから。神はイスラエルを救われるのです。これは別側の出来事です。このときに、イスラエルは、黙示録11に記された、御国のメッセンジャーである二人の預言者を受け入れるのです。
覚えていてください。イスラエルは国家です。神の僕である国家です。イスラエルに取り組むとき、それは国家単位の出来事となるのです。御国の時代にイスラエルでは、ダビデが・・・ダビデの子が御座につかれるのです。
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あの婦人が「あなたはダビデの子」と叫んだのはそういう理由です。ダビデの子、神はダビデに、彼の子から永遠に絶えない王座を立てると誓われました。その王座には終わりがありません。ソロモンが神殿において、その典型となりました。ここでイエスは、石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなるであろうと言われました。しかし、いったい何を弟子たちに伝えたかったのでしょう? 彼が戻って来られるということです。
「あなたはいつ戻って来られるのですか?」
「これらのことは、わたしがが戻ってくる前に起きる。」そしてこうなりました。
そして患難のときが始まったのです。覚えていてください。地上に御国が立てられると・・・。これはちょっとショッキングかも知れません。もし質問があればしてください。質問状を出したければまだ受け付けています。もしまだ知らないのであれば。千年期には、イスラエルは一つの国家となります。12部族が国家を構成します。でも花嫁は宮殿にいます。そのとき彼女は王妃になっています。彼女は嫁いだのです。そして地上のすべての国がエルサレムという都に栄光を携えてやってきます。都の門が夜に閉じられることはありません。夜が存在しなくなるからです。都の門は常に開け放たれています。地上の王たちは(黙示録22)栄光を携えてこの都にやってきます。でも花嫁は子羊のかたわらにいます。
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ああ、わかりますか? そのときには、花嫁はぶどう畑で労働することはないのです。ありません!彼女は花嫁です。彼女は王妃なのです。外で労働するのは他の人たちです。花嫁ではありません。アーメン。
さて、これらのメッセンジャー達ですが・・・黙示録12に記されたメッセンジャーである二人の預言者は、「御国が間近に来る」と、天の御国の到来を説教します。その時は、神の民であるユダヤ人に約束されたダニエルの70週の、最後の3年半です。
覚えていてください。これはダニエルの70週の最後の部分の時なのです。(明日これについて質問に答えます。)さて、70週が約束されていました。それは7年のことです。そして7週の真ん中で、メシアがいけにえとして生命を奪われます。それでイスラエルには、まだ3年半の時が定められているのです。
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それからメシア(救い主)が断たれた時・・・ユダヤ人は盲目にされてメシアを見ることができませんでした。メシアが断たれると、福音と神の恵みの時代とが、異邦人のところにやってきました。それらがやってくると、神はここから一人、あちらから一人、こことあちらから一人と、その時代のメッセンジャーによって、確保されました。神はまず第一のメッセンジャーを送られ、彼が説教し、ラッパの音が鳴り響きました。(あとでこのことも取り上げます)それからラッパが、戦いを告げ知らせました。
ラッパの音は、戦いを意味します。御使いであるメッセンジャーは、それはその時代のメッセンジャーのことですが、地上にやってきます。メッセンジャーとは、ルターなど、これまでお話しした人たちのことです。彼は何をしますか?彼はやってきます。そして一つの封印が開かれます。一つのラッパの音が響いて戦いが告知されます。そして彼らは戦いに赴きます。それから、メッセンジャーが亡くなり、神はそのメッセージを受け入れた人たちを封じられます。彼らが確保されたあと、メッセージを拒否したものたちを疫病が襲います。それが続きます。それから彼らは組織化して新たな組織を作ります。(こういうことを、わたしたちは経験してきたのです。)
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それから彼らは、また別の力を持って登場します。別の力が別の教会時代に現れて、別の働きをするのです。メッセンジャーが、神の力を受けて働きをすると、反キリストが現れて、彼の働きをします。反というのは、反対することです。彼らは並行して働きます。ちょっと気づいてほしいことがあります。カインが地上に現れた頃、アベルも地上に現れていました。このことを心に留めてください。キリストが地上に現れた頃、ユダも地上に現れました。キリストが地上を去った頃、ユダも地上を去りました。聖霊が降った頃、反キリストの霊も降って来ました。終わりの時に聖霊がご自身を現される頃、反キリストも政治などを通して本性を現します。そして反キリストが正体を現して、堂々と登場する頃、神はご自身を完全に現されて、わたしたちをあがなってくださいます。
彼らは並行して同時に働くのです。カインとアベル、箱舟のカラスと鳩、ユダとキリストなどなど・・続くわけです。その様に
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モアブとイスラエルがありました。モアブは異教徒の国ではありませんでした。彼らはイスラエルと同じいけにえを捧げました。同じ神に祈りを捧げました。まったくそのとおりです。モアブは、ロトの娘が父親と寝て得た子で、その子がモアブと呼ばれたのです。彼からモアブ人が出、モアブの国ができました。贖われた兄弟であるイスラエルがやってくるのを見て、彼らは・・・
彼らは原理主義者でした。大きな教団でした。イスラエルには教団がありませんでした。どこに行くにもテントで寝泊まりしていたのです。でもモアブには王をはじめとする高官がおり、偽預言者のバラムがいました。彼らにはなんでも揃っていました。そこに、約束を受けて約束の土地に向かっていた弟が通りかかったので、彼らは呪いをかけようとしたのです。
イスラエルは彼らに頼みました。「あなたの土地を横切らせてもらえないでしょうか? もしわたしの牛が水を飲んだら、その分を支払います。草を食んだら、その分を支払います。」
モアブは言いました、「だめだ。あのようなリバイバルをここら一帯で開くことは許さない。」そうです。「あんなことは一切、ここでやってはいけない。」
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そして何をしたでしょう? イザベルの形をとって戻ってきたのです。あの偽預言者を通して、神の子らに過ちを犯させました。イスラエルはモアブの女と結婚して、姦淫を犯すことになったのです。
そして彼は、わたしたちが向かっている約束の土地への途上で、同じことを同じ年代にしました。彼がしたのはなんですか? 偽預言者がやってきて婚姻関係を結びました。そしてプロテスタント教会を招いて教団を作らせました。まさに同じことをさせたのです。
でも、イスラエルの小さな群れは同じく進んでいきました。しばらくの間荒野を進み、そこで老兵士は死に絶えました。それでも約束の土地に向かって、イスラエルは進んで行きました。彼らがヨルダン川を渡る前、皆武装していた様子をご覧なさい。いいですね。さて、これからそういう時代に入ろうとしています。
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注意して聞いてください。その期間について、わたしはダニエルの70週の3年半と言いました。これについてちょっと細かく説明させてください。というのは、常に注視している人がここにいることを知っているからです。誤解されないようはっきりとさせたいと努力しているのです。教師ですから。70週が始まった時。ダニエルが、来たるべき時とユダヤ人の終末の幻を見た時・・・。彼は70週(7年のこと)が定められていると言いました。定められた時の真ん中で、メシアがいけにえとして生命を奪われることになっています。
そのことは、まさしく起こりました。それから神は異邦人を、御名のために人々を連れ出すときまで、手がけられます。異邦人の教会がつれ去らせると・・・神は教会を連れ出して、それが済むと、今度は愚かな処女たち、教会それ自体を・・・。花嫁は上げられ、教会それ自体は外の暗闇に入れられます。そこで人々は泣き、嘆き悲しみ、歯噛みをするのです。
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その人たちに患難が臨むのと時を同じくして、その患難の間、黙示録11章の二人の預言者が現れて、ユダヤ人に説教します。彼らは1,130 日の間説教します。実際のカレンダーのように1ヶ月を30日とすると、まさにそれは3年半の期間です。それがダニエルの70週の最後の部分です。
わかりますか、ここでは神は、イスラエルを取り扱われないのです。先ごろある兄弟が、「行くべきでしょうか・・・」とわたしに尋ねました。この教会の大切な兄弟です。彼はこう言ったのです。「わたしはイスラエルに行きたいです。そこで覚醒が起きると信じます。」
誰かがわたしに言いました、「ブラナム兄弟、直ちに今、あなたはイスラエルに行くべきです。彼らにはわかります。」でもそれは無理なのです。わたしはそこでよく考えました・・・。
ユダヤ人はこう言います、「もしイエスがメシアなら、預言者としてのしるしを見せてもらおう。我々は同胞の預言者なら信じる。(何故なら、それが彼らのなすべきことですから。)
わたしは思いました、「こんなに準備が整っているなら行こう。」近くまで行った時、つまり、わたしはカイロにいたのです。そしてイスラエル行きの飛行機の切符を手にしていました。「彼らが頼むなら、行ってみよう。彼らが預言者のしるしをわかって、キリストを受け入れるか、みてみよう。」
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ストックホルム教会のルイ・ペトラスは百万冊の聖書を彼らに送りました。そのユダヤ人が、・・・帰ってきているのです。映像を見たでしょう? そのフィルムをわたしは持っています。「真夜中まであと3分」という映画です。ユダヤ人が世界中あちこちからやって、そこに集まり始めているのです。
アレンビー大佐の時イギリスがそこにやってきた後、・・・(『世界大戦の衰退』という本の第2巻に載っていたと思うのですが)トルコが降参しました。彼らがイスラエルを手放したので、イスラエルは国家として成長していきました。そして今イスラエルは完全な国家です。独自の通貨、独自の旗、軍隊、それになんでも揃っています。
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そしてこれらのユダヤ人がホームランドに戻ってきているのです・・・。まず第一に、彼らがイランに行った時、彼らは願いました・・・彼らはイスラエルに戻してほしいと願ったのです。彼らは自分たちの土地、パレスチナにいるべきなのです。覚えていてください、イスラエルがあの土地から離れている限り、彼らは神のみ心から外れているのです。神からその土地を与えられたアブラハムのように。彼らは飛行機に乗りたがりませんでした。今まで見たことがなかったからです。ある老ラバイが進み出て言いました、「我々の預言者は、我々がイスラエルが故郷に帰るとき、鷲の翼に乗せられるだろうと語った。」それで飛行機に乗って彼らは故郷に向かいました。
今やイスラエルが建国し、イチジクの木が命をふきかえし、アーメン、元のダビデの星の旗がはためいています。「異邦人のときが終わりを迎え、恐怖で足がすくみ・・・」
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患難の時期が始まろうとしています。今、封印が解かれつつあります。選ばれた教会は上空に挙げられる準備を整えます。それから患難が始まります。そして神が現れて144,000人を取り去られます。アーメン!
ああ、完璧です。今、封印のどこがとり出されて開かれているかわかりますか? これは彼らにとって最後の3年半です。気づいていただければ、これは神が144,000人を呼び出す最後の3年半でもあるのです。神はまだ彼らに手がけておられないのです。彼らにはまだ預言者が与えられていません。彼らは預言者以外を信じないのです。彼らを騙すことはできません。彼らは預言者の言葉に耳を傾けるようになります。そうです。初めに神が、彼らに、預言者のもとにとどまるように命じられたのです。
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モーゼは言いました、「あなたがたの神、主があなたがたのうちからわたしのような預言者をお立てになる。その人の言葉を聞かなければならない。もし預言者の言葉を聞かない者があれば、その者は民の中から絶たれる。」そうです。わかりますか? 彼らの目は見えなくされなければならなかったのです。そうでなければ、彼らは神を認めたでしょう。でもそうなるかわりに・・・。彼らは目が見えなくなったので、サタンに隙を与えてしまいました。それで彼らはこう言ったのです、「あれは占い師だ、ベルゼバブだ。彼の血は我々にかかれ。彼には何の価値も見出せないことがわかっている。」哀れな彼らは目が見えなくなっていたのです。
だから、アイヒマンやら虐殺のグループは、彼らに手をかけることができたのです。彼らの父なる神が、彼らの目を見えなくされたので、わたしたちが神の者とされることができるようになったのです。聖書の中で最も痛ましいと言えるほどの出来事です。ちょっと考えてみてください・・・ユダヤ人は、彼らの父なる神の血を求めて、十字架にかけ、血を流させたのです・・・。
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聞いてください。聖書は、「そこで、彼らは、彼を十字架にかけた」と語っています。もっとも重要な4つの単語です。そこでとは、エルサレムのことです。世界でもっとも神聖な都です。彼らとは、世界でもっとも神聖な人々です。十字架にかけたとは、世界でもっともむごたらしい処刑です。彼とは、世界でもっとも重要な人です。
なぜでしょう。世界でもっとも偉大な宗教、唯一真理を説く宗教を奉ずる人々が、登場を聖書に記された、まさにその神を十字架につけたのです。なぜわからなかったのでしょう? 聖書は、神が彼らを盲目にしたので、見えなくなったと記しています。
「あなたがたの誰が、わたしに罪があると責めることができるか?」イエスは言われました。言い換えれば、「もしわたしが、前もって言われていたとおりのわざをしなかったというなら、それを指摘しなさい。」ということです。罪とは信じないことです。イエスは神に命じられたことをそのとおりになさいました。しかし彼らにはそれがわかりませんでした。
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さて、人々に話しても、アヒルの背中に水を注ぐようなものです。言っている意味がわかりますか? 残念なことです。この国と人々のさまを見るとき、堅苦しくて、宗教的で・・・。でも聖霊は彼らのことをこう言っていなかったでしょうか? 彼らは強情で、気位が高く、神よりも享楽を愛し、偽の訴えをし、不節制で、善を見下すようになると。彼らは信心を装っていながら、福音の力を否定すると。聖書は語ります、「そのような者から遠ざかりなさい。」
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さてそうなのです。これらの教団はねじ曲がっています。彼らは栄光と力と地位を使徒の上に置いていますが、後のことは千年期に追いやっています。前に話した人と同じようです。人は、神がかつてなされたわざをたたえ、将来神がなされるわざを待ち望みますが、神が現在なされているわざを無視します。そうです。人とはそんなものです。
ユダヤ人たちが立ち止まって言いました、「神に栄光。(聖ヨハネの6章ですが、)我々の先祖は荒れ野でマナを食べました。」
また、イエスは言われました、「彼らは皆死んでしまった。」
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彼らは荒れ野の岩から水を飲みました。イエスは言われました、「わたしがその岩である。」「わたしは天の神のもとから下った命のパンである。遥か昔、彼らが食べなかった命の木である。もし人がこのパンを食べるなら、その人は死なない。終わりの日にわたしがその人をよみがえらせる。」そうです。
メシアご自身が、彼らの心の中の言葉を言い当て、ご自分がメシアであることを示されたのです。メシアはそういうことをすることになっていましたから。しかし彼らはふんぞり返って立っていました。「まさか。そんなことはありえない。彼は正しい筋の出ではない。ベトレヘム出身ではないか。それに婚外子ではないか。悪魔のせいであんなことをしているのだ。狂っている。気狂いだ。悪魔に取り憑かれている。」
実際、彼らの目は見えなくなっていたのです。
でも、彼らは預言者を待ち望んでいます。そして受け入れるでしょう。彼らは二人の預言者を受け入れることになります。そうです。
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さて、また注意してみてください。このユダヤ人たちが・・・別の例を使って、携挙の別の側に置かれたユダヤ人のことがわかるようにしましょう。何が起こるか注意してみてください。これも象徴的なもので、いわゆるヤコブの患難です。(時間をとらせないつもりです。もうあと時間がないですから。)
さて、注意してください。このユダヤ人たちは・・・ああ、ここで時間を使ってしまいそうです。でもこのようなことを飛ばしてしまうのは、わたしの神経に良くないです。
注意して聞いてください。神がわからせてくださるでしょう。そう信じます。いいですか? ヤコブには長子の権がありました。そうですね?でもそれを得るのにいかさまをしました。彼は父を騙し、兄を騙しました。なんでもしました。でも法的に長子の権は彼のものです。エサウが彼に売り渡したのですから。
しかし彼が彼の義父のところで働いていた時、牛を孕ませるためにポプラの枝を水に入れたりして斑点のついた子牛を産ませました。彼はそのようなことを他にもして、お金を儲けました。
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さて、注意してください。彼は同胞達から追放されました。これが今のユダヤ人の型です。彼はお金をくすねます。どのような方法を使っても彼はお金を得るのです。お金を得るために生皮を剥ぐようなことさえします。なぜなら、ご存知のように彼はいかさま師の気があるのです。彼と取引をしてはいけません。痛い目にあいます。そうです。そのような霊が彼を支配しているからです。
改革派のような人たちにこのことばの意味がわからなかったのは、彼らに送られたのが人の霊だったからです。今は鷲の時代なので、みことばと啓示を理解し明らかにすることができます。悟る事ができた人は手をあげてください。・・・それは、良かった。素晴らしい。
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さて、もしこれらの封印に戻るならば、・・・。それらの封印が開封されると、神がなさっていること、なさったこと、これからなさることを正確にわかる様になります。まさにそうです。人がそのように行動するのは、予想されていたとおり、その時代の霊によるからです。彼らにはどうしようもありませんでした。何もできなかったのです・・
ヨハネやパウロ達には、獅子の霊がついていました。みことばそのものです。パウロはみことばに従って言いました、「あなたがたのうちから、偽の兄弟が現れることが、わたしにはわかっています。彼らは現れて(教団や何やらを)作ります。彼らがすることがわたしにはわかります。彼らは終わりの日まで活動を続け、そのときはひどい時になるでしょう。」彼は預言者でしたから、みことばが彼のうちにとどまっていたのです。どのような終末になるか、「あなたがたのうちから偽の兄弟が現れ、弟子である兄弟を(真理から)引き離すために論じます。それはまさに反キリストです。まさしくそうなりました。
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ご存知のようにそれから患難の暗黒時代になりました、どうなりましたか? 彼等にできることは何もありませんでした。ローマが宗教の権力を持ち、政治も掌握しました。彼らにできることは、ただ生きたまま苦役を背負い、自身を捧げものとすることだけでした。それは牛の時代でした。彼らにできることはそれだけでした。それが彼らに与えられていた霊です。そのとき神から与えられた霊は、牛でした。
その後、改革者達が現れました。人の上に立つ人、賢い知者の時代です。マルチン・ルターやジョン・ウェスレー、カルビン、フィニー、ノックスらが登場しました。彼らは改革者でした。彼らが現れて、改革をし、人々を解放しました。それから元来たところに戻っていってしまいました。教団組織に舞い戻ってしまったのです。まさにそのとおりです。聖書がそう語ります。彼女は淫婦であり、彼女にはふしだらな娘たちがいるのです。そのとおりです。
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そして神は言われました、「わたしは彼女に悔い改めの機会を与えたが、彼女はそうしなかった。それゆえ、わたしは彼女と彼女の娘を取り、彼らの属する場所に放り出す。」そのとおり。それが・・・神がその封印の中で言われことです。さあ、彼女はそうなりました。神はそうしておられますし、これからもそうされます。彼らはもろともその道を進んでいます。
しかし、いのちの書に名前が記された者はみな、神から呼びかけられ、その声を聞きます。イエスは言われました、「わたしの羊はわたしの声を聞く。」わたしたちがしなければならない唯一のことは、羊の鳴き声です。「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。」ヤギはそれを知りません。
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でも、あなたは羊の鳴き声を知っていますね。「わたしの羊はわたしの声に聴き従う。」なぜでしょう。どんな声なのでしょう? その声の正体を教えましょう。その声とは、霊的しるしのことです。
神はモーゼに言われました、「もし、彼らが第一のしるしの声を聞かないのであれば、第2のしるしの声を聞くであろう。わたしの羊はわたしの声に聴き従う。」
終わりの日に起こることになっている、これらのことが起こったなら、神の羊はそれを認識します。彼らにはわかります。「わたしの羊はわたしを知っており、彼らは他の人には付いていかない。」彼らは知らない者には従いません。その時代にふさわしい、神に認証されたしるしが伴わなければなりません。それを彼らは認知するのです。
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さてお分かりですねヤコブですが、彼はやってきて、まずどこに行くことを切望したでしょうか? 故郷に帰ることです。ああ、まさにそれをイスラエルはしたのです!それがイスラエルです。ヤコブはイスラエルです。彼は名前が変わったのでしたよね。彼は、所持金を出来る限り全部持って、そこを出て行きました。何をしてでも、親戚から、あるいは他の人からでも、取れるものは取りました。騙してでも、盗んででも、嘘をついてでも、とにかく取りました。そうやってお金を取ったのです。分かりますね?
それで彼が故郷に戻り始めたとき、彼は心に望郷の念を抱きました。でも、故郷を目指す途中で、彼は神に出会いました。そのとき、彼の名前が変わったのです。でもこの時、彼の心には不安がつのっていました。エサウが彼をつけて来ないか心配だったからです。そしてお金に、お金で相談したことに注意しましょう。ユダヤ人がお金の相談でローマと契約を結ぶようになるのと同じことです。
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気づいてください。エサウはヤコブのお金など必要としていませんでした。ローマも同様です。世界中の富を手にしているのですから。でも、成果はありませんでした。イスラエルに患難がのしかかる時、ヤコブがヤコブであった時、彼が戦っていた何かは事実でした。
上から降りてきた人がいました。ヤコブは彼に腕を巻きつけたので、彼はそこに止まりました。そしてその人が言いました、「わたしはもう行かなければならない。夜が開けようとしている。」ああ、夜が開けるのです!「日の出が始まろうとしているのです。」
でもヤコブは言いました、「あなたを行かせるわけにはいかない。だめだ。あなたと一緒にとどまるつもりだ。ここで事態が変わらなければどうしようもないから。」それがあの144,00人、金策に走ったりいろいろする人たちです。彼らは目が開けて、正真正銘の実体を得るのです。モーゼとエリアが現れるからです。アーメン!彼らは、イスラエル部族の144,00人が呼び出されるまで、神と取っ組み合いをすることになります。
それが患難期のちょっと前です。ああ、なんと素晴らしい!それがヤコブの困難の時でもあるのです。この時に144,00人が呼び出されます。二人の預言者が、洗礼者ヨハネがしたように説教します。「天の王国が近づいた。イスラエルよ、悔い改めよ!」何を悔い改めるのですか? 「罪を改悛するのです。信じないことをやめて、神にたち返りなさい。」
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さて、ここで何かを思い出しましょう。12節に記されている自然界に起こる大きな出来事は、以前起こったことがあります。太陽は毛織の荒布のように黒くなったとありますが、これを比べてみましょう・・・この出来事は異邦人にではなく、イスラエルに起こるのだということを覚えていてください。
さあ、みてください。144,00人が呼び出されると言いました。それがこの時です。それが患難が起こる時です。この患難の時に何が起こるかを教えているのです。
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さて、出エジプト記の10:21-23を開きましょう。出エジプトとは、もちろん、イスラエルが解放され、連れ出された時です。出エジプト10章の21から23節です。これを書き留めた時、とても興奮して声をあげました。時々混乱するかもしれませんが。そうです。出エジプト10:21-23。さあ、いきますよ。
主はまたモーセに言われた、「天にむかってあなたの手をさし伸べ、エジプトの国に、くらやみをこさせなさい。そのくらやみは、さわれるほどである」。
モーセが天にむかって手をさし伸べたので、濃い暗闇が、エジプト全国に臨み三日に及んだ。
三日の間、人々は互に見ることもできず、まただれもその所から立つ者もなかった。しかし、イスラエルの人々には、みな、その住む所に光があった。
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気づいてください。。「・・・太陽は毛織の荒布のように黒くなった・・・」これら自然界の出来事は同じことです。どういうことでしょう? このようなことが起こると、またはすでに起こった時、神がイスラエルを呼び出されているのです。神はイスラエルを敵の手から解放しようとされました。当時はエジプトの手から。今、神は、彼らと契約を結んだローマの手から彼らを解放しようとされます。
同じことが起こりました。疫病です。疫病がはびこる時、疫病は異邦人を襲います。もし時間があったならば、異邦人の教会に何が起こるかをお話しできるのですが。聖書は、サタンである龍が女(ユダヤ人、イスラエル)に対して怒りを発し、口から水(濃厚さと大衆)を川のように吐き出した。そして女の子孫(黙示録13)と戦うために出て行った。さて、わかりましたか? ローマが軍隊を、女の子孫に向けて派遣してくるのです。
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さて気を付けてください。はじめの時は、彼らは敵の手中にありました。神が彼らを解放された時、太陽は毛織の荒布のように黒くなりました。さて、今度は2回目の時ですが、それは患難期の最後の時です。
ダニエル書の12章、時間がないので読みませんが、ダニエルは12章で、書に記されている者は救われると語っています。
ダニエルは、これらのことが起こることになっているイスラエルが救われる時、70週の最後の時のことを語っているのです。その時イスラエルは救われることになっているのです。ダニエル書12を開きましょう。
その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。
さて、これをイエスがマタイ24章で語られたことと比べてみましょう。その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。 第6の封印を見てください。同じことが書かれているでしょう。患難の時です。
また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます(第7番目の年の最後の部分のことです)。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。
前もって定められてるのです。子羊の書に名前が記された者はその時に救われるのです。
また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。
賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。
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それからダニエルはその書を閉じるように命じられました。彼は終わりの時まで憩いに入ることになっていたからです。 さて、生きていようが死のうが、大して違いはないのです。よみがえるのですから。クリスチャンにとって死ぬことはなんでもありません。どうせ死なないのです。
さて、ダニエル12で、その書に名が記された者は皆救われると記されています。神は第二子であるイスラエルを患難の後に救われます。イスラエルは2回目に・・・イスラエルは神の息子です。知っていますね。イスラエルは神の子です。神は、エジプトでなされたのと同じ方法で、患難期に彼を救われます。
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さて、ここまでにして、別のことを話しましょう。家に持ち帰るところですから、さてここでこの二人の預言者を見ていきましょう。彼らがすることに注目しましょう。モーゼとエリヤが当時したのと同じことです。「それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、・・・」(黙示録11:3です。)
そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう。
彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木(ゼルバベルたちが神殿を再建することになていたのを思い出してください)、また、二つの燭台である。
もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から(キリストの口から、つるぎが出ていたのを思い出してください。それはみことばのことです)火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。
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さて、この火のことを知っていますね。19章に出てくるキリストの口から出るつるぎです。それはみことばのことです。そうですよね? みことばです。明日の晩の封印のために、この素材を蓄えてくれたらと思います。みことばは神が敵を打ち倒すためのものです。
さて、この二人の預言者が預言しているとき、もし誰かが彼らを迫害したり、傷つけたりするなら、彼らの口から火が出るのです。それは聖霊の炎、みことばです。みことばは神です。みことばは火です。みことばは霊です。彼らの口から火が出て、 」
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モーゼを見てください。彼の口から何が出たか見ましょう。エジプトはユダヤ人を迫害しました。パロはユダヤ人を解放しませんでした。神はモーゼの口に言葉を置きました。いいですか、神の思いがモーゼの心の中に入ったのです。モーゼはそれを言葉にするために出て行きました。そして、それがみことばになりました。手を伸ばして「ハエよ、現れよ。」と言うと、ハエが発生しました。さてここで、「もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。」と記されています。彼らが、言いたいことを口にすると、その通りになるのです。アーメン!「もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。」
兄弟よ、神はこの場面に登場していますよ。彼らには天を閉じる力が与えられるたので、彼らが預言している間雨が降りません。 エリヤはこの方法を知っています。前にやったことがあるからです。アーメン!モーゼもその方法を知っています。前にやったことがあるからです。そういう理由で、彼らは留め置かれていたのです。アーメン!
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今、とっておきの素晴らしいことを言ってもいいのですが、明日の晩にとっておいた方がいいでしょう。「さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。 」どういうことでしょう? みことば以外にこのようなことができるものがあるでしょうか? 彼らは自然に対して好きなようにあしらうことができるのです。
これです。彼らこそが第六の封印を引き起こす者です。彼らが、封印を開いて明らかにするのです。自然界に介入するのは神の力です。
わかりましたか? それが封印の中身です。誰がするのですか? 携挙の別側で活躍する二人の預言者です。神の力を帯びて、神のみことばによって、彼らは自然を懲らしめます。地震を起こしたり、月を血に変えたり、太陽を沈ませたり、なんでも命令したとおりになります。アーメン!
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そうです。そうなんです。教会時代の封印はどのように開かれたでしょうか? 殉教者たちはどのように現れたでしょうか? そして今ここに、二人の預言者が、自然界を思うように扱うための神のことばを帯びて立っており、地上に震撼をもたらします。そしてそれを行うのが誰なのかが示されました。モーゼとエリヤです。二人が行なった働きが再現されるからです。第6の封印が何であるか、わかってきましたか? それはこの二人の預言者です。
さて、注意して聞いてください。呼吸困難にならないように。何がこの封印を解いたのかに注意してください。それは二人の預言者です。アーメン!そうです。わたしたちは、鷲の時代を生きているのですよ。そしてそれはわたしたちの間にあるのです。彼らが第6の封印を解きました。彼らにはその力があるのです!アーメン!これが、これから開かれようとしている第6の封印です。
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さて、遡ってみると、イエスがそれが起こると語られました。旧約時代にまで遡ってみると、エゼキエルが、旧約時代の預言者たちが、それが起こると語りました。そして今、第六の封印が解かれて、「これは謎だ。何のことだ?」と彼らは言います。ここに第六の封印の秘密があります。その秘密は二人の預言者です。聖書がそう語っています。彼らには、いつでも思うように自然を扱うことができるのです。彼らがそうするのは以前同じことをしたからです。だからやり方を知っているのです。アーメン!素晴らしい!
このことを知った時、椅子から飛び起きて、床を行ったり来たりしました。「主よ、どれだけ感謝しても、し足りないことでしょう、天の父よ。」と思いながら。そうです。そうなんです。彼らが第六の封印を開いたのです。アーメン!
彼らに注目しましょう。もし誰かが、彼らに危害を加えるなら、彼らの口から火がですのです。それはみことばのことです。聖霊が弟子たちに降りましたね。すると彼らの口から火が出たのです。
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さて、黙示録19章を見てましょう。同じことが書かれています分かりますね。彼の口から鋭いつるぎが出て(みことばのことです。キリストが来られます)それを用いて敵を打ち倒すのです。そうですね? キリストは戻って来られる途上にあります。彼の動向に注目していてください。
預言者らは預言している間、天を閉じて雨を降らせない力を帯びています。なんとすごい、自然界への干渉です!さて、エリヤは何日間天を閉じましたか? そうです、まさにそのとおり!ダニエルの70週の最後の期間は? そうです、まさにそのとおり!
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モーゼは何をしましたか? 彼は水を血に変え、このような奇跡をすべて行いました。第六の封印で起こると予言されてたのと同じことをしたのです。そして黙示録11章で彼らが登場し、同じことをします。アーメン!聖書の3箇所に、このことに関する記述があり、お互いに補足しあっています。これが第6の封印の開封です。アーメン!素晴らしい!
さて、注目してください。彼らには預言している間、天を閉じて雨を降らさなかったり、水を血に変えたり、思うままに地を打って疫病をはびこらせる力がありました。なんとすごい。疫病をはびこらせることもできるのです。第6の封印が開かれると、あらゆる自然が干渉を受けます。
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さて、神はご自分の子であるイスラエルを、かつて行ったのと同じように患難を通して救おうとされています。神はモーゼを遣わしてイスラエルを解放されました。そうですね? それでモーゼは、これらと全く同じことをしたのです。
神はエリヤをアハブのもとに遣わしました。すると7,000人が神のもとに来ました。そうですね? 神は彼らを再度、患難期に遣わして、144,000人を神のもとに呼びます。さて、黙示録の第6章、第6の封印と第7の封印の間に、第7章があります。数字的に整っています。
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アメリカが数字の13であるのと同様です。アメリカは13州から始まり、国旗に13の星をいただき、13の植民地、13の横線があります。何もかも13、13です。そしてアメリカは黙示録13章に登場します。そうです。アメリカは13で、女として表されています。
さて、神が独り子を救おうとされた時のことです。(神が唯一もうけられた子のこと。ヤコブは息子ですが、この場合はひとり子のことです)
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マタイ27章を開いて神が何をなされたか調べましょう。マタイ27章です。さて、神の子は打たれ、苦しみを受け、嘲りを受け、その後、聖金曜日の午後3時に十字架にかかっていたことを思い出してください。まさに起ころうとしています。マタイ27章45節だと思います。
さて、昼の十二時から地上全体が暗くなって、三時に及んだ。
神はここで、前と全く同じことをされたのです。
小羊が第6の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになった。
漆黒、暗黒、エジプト。漆黒、暗黒をもって、神は十字架からイエスを救われました。神がイエスを復活させるちょっと前のことです。まず暗黒がありました。昼の真っ最中に太陽が沈み、星が輝きを失せたのです。それから2日後、神は大いなる勝利を持ってイエスをよみがえらせました。太陽、月、星、そしてエジプトのあらゆる災いの後、すべてのことが起こった後に、神はイスラエルを約束の土地に向かって解放されました。
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ここで患難期には、二人の預言者がいます。彼らは神から受けたみことばを制御するのです。神がみことばを彼らに与えられたので、彼らはただそれを発するだけでした。
ところで、彼らは神々ではありません。が、一時的には彼らは未熟ながら神々になります。というのは、イエスがこう言われたからです、「神のことばが臨んだ者を、あなたがたは神々と呼んでいる。」
そのような者に、神はみことばを託されるのです。預言者が語ると、そのとおりのことが起きます。それだけです。彼は神から、いつでも好きな時に地を打つようにという任務を受けて、ここにいるのです。なんとまあ、天を止めるのですよ!それを彼は実行します。どうなっているのです? 144,000人を贖うために連れ出そうとしているのです。第6の封印で、贖いの封印に閉じ込められていた贖いの書から連れ出すのです。親愛なる友の皆さん、こういうことだったのです。これが、長い間謎とされてきた第6の封印なのです。
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ちょっとの間・・・あと10分残っていますが、ちょっと時間をとりましょう。あとだいたい2、3ページ残っています。ご存知のように、わたしが思うに・・・。それだけに取りかかれる分が15ページくらい残っているのです。
ああ、それだけの分でなんとたくさんあることでしょう。このままあちこち移動していくこともできるのですが、あまりとりとめもなくなると皆さんを混乱させてしまいます。・・・うまくまとめなければいけないのですが、なかなかそうできないのです。
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イザヤ書を見てみましょう。預言者イザヤはこの第6の封印が開かれるのを見て、それを語りました。それが重要なことかどうか、わかりますか。贖いの計画全体が、第六の封印にあるのです。贖いの書全体が第六の封印の中にあるのです。
覚えていますか? イエスもそれを見ましたね。そうですイエスも見たのです。それから他の人たちも見ました。ヤコブの記述の中にその型を見ました。エジプトの記述の中にもその型を見ました。十字架上にもその型を見ました。
さて、イザヤ書に戻りましょう。もっと他の預言書も書き留めてあるのですが。イザヤのここが好きです。イザヤ書に戻りましょう。イザヤ書13章です。
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イザヤ書は、それ自体で完成された聖書です。ご存知でしたか? イザヤ書は創造から始まり、中間部分でヨハネが登場し、終わりの部分で千年紀が記されています。聖書には66の書がありますが、イザヤ書は66章あります。それ自体が完成した百科事典です。
イザヤ書の13章、6節から読みましょう。
あなたがたは泣き叫べ。主の日が近づき、滅びが全能者から来るからだ。
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第6の封印が開かれる様子に注目しましょう。キリストが現れる713年前のことです。キリストが来られてから2,000年ですから、約2,700年前にイザヤはこの封印が吊るされているのを見たのです。そうです。
それゆえ、すべての手は弱り、すべての人の心は溶け去る。
イエスはなんと言いましたか?「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える・・・人の心は恐怖のため弱まるだろう。」海がとどろき、人の心は衰弱するのです。
彼らは恐れおののき、苦しみと悩みに捕えられ、子を産まんとする女のようにもだえ苦しみ、互に驚き、顔を見あわせ、その顔は恥で覆われる。
ここに注目してください。彼らの顔は恥で覆われるのです。もう少ししたら、そのことをお話ししましょう。ちょっと待っていてください。
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見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒し、その中から罪びとを断ち滅ぼすために来る。 (この地、それがすべてです。留意してください。)-(イザヤ13:9)
天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない。
わたしはその悪のために世を罰し、その不義のために悪い者を罰し、高ぶる者の誇をとどめ、あらぶる者の高慢を低くする。
まさしく同じです。イザヤは、イエスが語られたのと同じことを見たのです。それは第七の(第6の)封印が開封された時の様子です。それは神がその地を患難をもって浄化される時です。それが患難期であり、第6の封印です。そうです。彼は預言者でした。神のことばが彼に臨んでそれをわからせたのです。それは2,700年前のことでした。
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このことは言っておきたいのですが、まさしく、世界中が、イザヤが言うように、「子を産まんとする女のようにもだえ苦しみ・・・」全創造物が産みの苦しみを経験するのです。このような苦しみや陣痛はなんのためでしょう? 女性が母親になるように、地球そのもの、自然界が・・・
わたしたちの町を例にとって見ましょう。他の町と同様、ビヤホールや売春や汚れやゴミだらけで・・・。神は、この町の1,000年前の様子を見る方が、幸福だったと思います。オハイオ川がとうとうと流れ、その頃は逆流や洪水はなかったでしょう。谷に罪は存在しませんでした。バッファローが群れをなし、チェロキーインディアンが狩りをして慎ましく生活をしていました。問題が起きることはありませんでした。でもそこに人がやってきたのです。それとともに罪もやってきました。人が地上に増え始めると、罪と暴力もはびこりました。そうです。いつも問題は人なのです。恥ずかしいことだと思います。
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先日、居住地にいて、今はアリゾナに住んでいますが・・・子どもの頃読んだのはジェロニモや、コーチーやアパッチについてでした・・・。わたしはそこで彼らに説教したので知っているのですが、彼らは良い人たちです。知り合いになりたいと思う素晴らしい人たちのうちに、アパッチェインディアンがいます。それから、トゥームストーン(墓石)という、戦争の古い遺品などがある場所に行きました。それらを見て・・・。人々はジェロニモのことを悪党と決めつけます。しかしわたしにしてみれば、彼は血の通ったアメリカ人です。まったくそのとおりです!彼は、誰もがするように、自分の権利のために戦ったのです。彼は自分の土地が汚染されるのを嫌いました。それが今どうなっていますか? 彼の子や・・・彼の娘達は売春婦にされ、その他いろいろひどい目にあっています。それは白人がやってきたからです。白人はならず者です!
インディアンは保守的でした。彼らは大地の保護主義者でした。狩に行ってバッファローを仕留め、部族全体で全部食べました。皮は衣やテントなどに使いました。しかし白人がやってきて、バッファローを射撃の的にしました。破廉恥なひどいことです。
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アフリカで、新聞の記事で読みましたが、狩猟対象が豊かなあの広い大地に、連中(アーサー・ゴッドフレイたち)がやってきて、ヘリコプターの上から象や他の動物を撃ちました。雌の象が息をひきとろうとしているとき、その目から涙が出ていて、2頭の象が彼女を支えようとしている写真が・・・これは罪悪です!こんなものは狩りではありません!
どこかの原野で狩をしていたときのこと、白人のハンターがやってきて鹿を撃ち、後部を切り取るのを見ました。ある時は8頭か10頭の雌鹿を撃って、そのまま放置していきました。子鹿が母親を探して走り回っていました。こんなことがスポーツマンシップと言えますか?わたしの書によれば、 それは残忍な殺害行為です!
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わたしが生きている限りは、カナダがあのならず者アメリカ人に道を閉ざし続けますように。そうです。生きている間で、あんなにひどいスポーツを見たことがありません。彼らがみんな悪いのではありません。中には正真正銘の紳士もいます。でもそんな人を見つけるのは1000人に1人の割合でしょう。撃てるものはなんでも、どんな手段ででも撃つのです。そういうのは殺害というのです。そうです。心ない連中です。狩の季節以外でも撃つのです。
アラスカでガイドと一緒にいた時、彼が言いました、「わたしが行った時、大きなエルク(いえ、エルクではなくてヘラジカでした)が、群れごとが横たわっているのを見ました。50カリバーのマシンガンの弾が彼らの角を貫いていたのです。アメリカ人のパイロットがアラスカに来て、飛行機の上からマシンガンで彼らを撃ったのです。」ヘラジカの群れをですよ。こんなのは殺害行為です!
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彼らは、バッファローを殺せば、インディアンを懲らしめることができることを知っていました。そうすればインディアンは飢え死にします。そういう理由で、コーチーインディアンは降参しました。酋長の娘も子どもも、部族の誰もが飢え死にしかけていました。彼らは出かけて行って・・・彼らの大きな積荷・・・。バッファロービルや平原の住民はすべてのバッファローを撃ち落としました。半日で40頭も50頭も撃ったのです。彼らは、バッファローを排除すれば、インディアンを排除できると知っていたのです。なんとひどい。彼らのインディアンに対する仕打ちは国旗への汚れ染みなのです。そうです。でも覚えていてください。聖書は、大地を滅ぼす者を滅ぼす時が来ると語っています。そして世界全体が・・・!
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この谷をご覧なさい。この前、フェニックスで、高いところから谷間を眺めていました。サウス山に登ったのです。妻と二人で座ってフェニックスの谷を眺めていました。わたしは言いました、「ひどいものじゃないか。」
妻は答えました、「ひどいって、どういうこと?」
わたしは言いました、「罪悪のことだよ。どれだけの不貞、飲酒、呪いの言葉、そして主の名を虚しく唱えることがこの盆地にはびこっていることだろう。そこには140,000人、いや、150,000人、あるいは200,000人が暮らしているのだ。」「500年前、あるいは1000年前にはそこにあるのはサボテンやメスキートの灌木くらいのもので、コヨーテが、打ち寄せるサンドリバーを行ったり来たりしていたんだ。」「神はそのように造られたのに、人間が入ってきて、どうなったかとう言うと、大地に汚物を浸みこませたんだ。町はくだらないもので溢れている。下水や川は、汚物で汚染されている。」もはや・・・その水は飲まないほうがいい。中に何かが入っているから。
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見てみなさい。ここだけではありません。世界中が汚染されています。世界が、自然界が・・・。神よ、哀れんでください!世界全体が産みの苦しみに入りました。世界は・・・イザヤが言ったように、産みの苦しみをしています。どうなっているのでしょう?  世界は千年紀に向かって、あらゆる罪が浄化された新しい世界を生み出そうとしているのです。罪を犯さず、大地を汚染しない新しい人々のための新しい世界を生みだそうとしているのです。そうです。世界は陣痛に入っています。
わたしたちが陣痛状態に入っているのにはわけがあります。それはキリストです。キリストの花嫁を生み出すためです。あらゆるものが産みの苦しみをして呻いています。何かが起ころうとしているのです。この第六の災いが彼女を出て行かせるのです。
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兄弟よ、地震(複数)が突然起こって、諸々の星が揺り動かされます。火山が立ち上がり、地球が自ら刷新し始めます。地球の核からどろどろの溶岩が湧きあがります。地球が引き伸ばされ、どこもかしこも四方八方が砕け散ります。
いいですか、ある朝、イエスと花嫁が地球に戻ってくると、そこは神の楽園になっていて・・・ああ!戦いを戦いぬいた兵士たちは、友や愛する人たちとともにその地を歩くのです。そして天使の群れと一緒に捧げる賛美が、天空を満たします。「よくやった。忠実な良い僕よ。さあ、あなたのために準備されていた主の喜びの中に入りなさい。それは、イヴが始めた連綿たる罪が起こる前に、あなたが受けるはずであった状態である。」アーメン!ひゅう。
そうです。第六の封印は何かを起こします。そうです。間違いなく世界全体が呻いて、至福千年に向けての痛みを感じています。
125
今の地球は、ひどく汚染されているのです。
前にここで説教したように、確か、この会堂で『世界の崩壊』(The World Falling Apart)という説教をしました。そうです。世界で何が崩壊しているのですか? 何もかもが崩壊しています。そうです。それは崩壊しなければならないのです。そうです。御覧なさい、・・・そうしなければならない理由を教えましょう。この世界の枠組みが、鉄や鉛や地中上の材料でなっており、その枠組みを戦争や業界が引き出してその準備をするところまで
さて、この国のこの部分では、先日まで地震など起きたことがありませんでした。ところが先日、セントルイスやその周辺でありました。地球はやせ細ってきています。人間が地球から何もかも搾取するからです。政治は堕落して、その中に誠実な人はほとんどいません。システムがそうさせているのです。政治家のモラルは低いというか、ないに等しい。そんな具合です。確かなことです。宗教は癌に侵されています。そうです。
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第6の封印が開封されるときは、ごく近いです。そうなると、(ああ、)終了です!花嫁はすでに去っています。王妃は自分の座に着くため去っています。第6の封印が開封される頃には、彼女は王と結婚しています。そしてイスラエルに残された人たちは封印され、去る準備をします。それから自然と共に行きましょう。ああ、なんという時でしょう!
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第6の封印開封の最後の節に注目してください。みことばの説教を嘲った人たちがいます。生ける神からの確かなみことば、預言者らが太陽を隠したり、いろいろな奇跡を世代にわたって行ってきましたが、それを笑った人たちは、岩や山に向かって、自分を匿ってくれと叫びました。自分たちが嘲ったみことばに匿ってくれと叫んだのです。彼がやって来られるのを見たからです。「さあ、われわれをおおって、子羊の怒りから、匿ってくれ。」彼はみことばです。いいですね?
彼らはみことばを嘲ったのです。そしてみことばが人となってここに現れました。それなのに彼らは馬鹿にし、嘲ったのです。そこへみことばが人となられた方が、ぽんと現れたのです。どうして彼らは悔い改めなかったのでしょう? できなかったのです。その時には、あまりにもかけ離れていました。彼らは知っていました。懲らしめが・・・。彼らは聞いていたのです。彼らはこのような集会に出て、聞いてはいたのです。そしてこれらの預言者が予言していたことが自分たちの目前に迫っているのを知りました。
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彼らが拒否したことというのは、最後通牒が出た時に、彼らが神の哀れみを退けたのです。神の哀れみを退けた後に残っているのは、裁きでしかありません。もし神の哀れみを退けるなら・・・考えてもみてください。
それで彼らですが、彼らにはどこにも逃げる場所がありませんでした。逃れ場がなかったのです。聖書が語ります、「そして、山と岩とにむかって言った、『さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、匿ってくれ。』」彼らは悔い改めを試みましたが、子羊はすでに、ご自分に属するものを手に入れた後でした。それで彼らは岩や山に向かって叫び、祈りましたが、その祈りはすでに時遅しでした。
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兄弟姉妹のみなさん、イスラエルの目が盲目にされている間は、異邦人に神の愛と哀れみがあります。2000年くらいの間、私たちに悔い改めの機会が与えられているのです。神の哀れみを退けましたか? 拒否したことがありますか? あなたはいったい、なにものですか? あなたはどこから来て、どこに行くのですか? 博士に尋ねても教えてくれません。この世の誰も教えてくれません。あなたがどこから来て、どこに行くのかを教えてくれるのは、世界中の書物の中で、この本聖書だけです。
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さて、あなたの身代わりをしてくれる子羊の血なしで、どこに向かうかわかっていますね。神があなたのためにそれをしてくださったのですから、私たちにできることは、神がしてくださったことを受け入れることだけです。それが私たちに要求されていることです。そしてこの基本は・・・
もっと話を進めるなら、災いのことに話を持っていかなければならなくなります。でもそれは明日の集会の内容なので、今は話すことができません。ここに印をして、ばってん、ここでおしまいと記します。だから明日まで待たなければなりません。
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さて、ちょっとの間、頭を下げましょう。大切な友のみなさん、あなたがもし、これまで話してきたこの神の愛を受け入れたことがないのなら、・・・(しっかり聞いてください)もし神の愛と哀れみを受け入れていないのなら、あなたは神の裁きと怒りの前に立たされることになります。
あなたは今夜、エデンの園でのアダムとイブと同じ立場に立っています。あなたには自由意志が与えられています。命の木のところに行くか、裁きの座に行くかのどちらか選ぶことができます。でも、あなたが賢明で、まじめで、立って受け入れるだけの体力があるなら、もしまだ受け入れていないのなら、今そうしませんか?
ここにまだ受け入れていない人はいますか? もしいたら、手を上げて、「ブラナム兄弟、わたしのために祈ってください。受け入れたいです。裁きの座に行きたくありません。」と言いませんか?
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さて、友のみなさん、覚えていてください・・・(主の祝福がありますように。それはよかった)これらのことはわたしの考えではないのです。わたしが考えていたことではないのです。これは全て・・・わたしから・・・。だから助けてください。聖霊がご存知です。
もし主がお望みなら、明日の晩まで待ってください。この集会でずっと話してきた、ある神秘を明かしたいと思います。何が起こったのか、それを皆さんが知っているかいないか、とても疑わしく思います。それは何か、あなたたちの前にずっとあったものなのですが、わたしは毎晩それが昇るのを見ていました、それは誰かが、それを見て「わたしにはそれが見える」というためです。
どうかお願いします。退けないでください。もしあなたがクリスチャンでないなら、もしあなたが血のもとにいないのなら、もしあなたが生まれ変わっていないのなら、聖霊に満たされていないのなら、もしあなたがイエス・キリストをおおやけに告白し、その名によって洗礼を受け、彼の死と埋葬と復活の証人となっていないのなら、水の用意はできています。ローブは用意されてますし、すべて整っています。キリストは両手を広げてあなたを受け入れる体制でおられます。
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もう一時間も経てば、恵みのときが終了するかもしれません。あなたは最終的にに拒否するかもしれません。そうなったら、あなたの心は頑なになるでしょう。可能なうちに、可能なうちに、受け入れませんか?
普通だったら、祭壇に人々を呼び寄せる段取りが取られるでしょう。わたしたちもそうしています。それは勿論素晴らしいことです。でも今回はあまりにも混雑しているので、祭壇の周りに集まることができません。でもこれは言っておきたいのですが、使徒たちの時代には、「信じた人々は皆洗礼を受けた。」とあります。もし本当に心から・・・。
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1こういうことです。それは感情ではありません。感情がともないはしますが。わたしが言ったように、喫煙や飲酒が罪なのではありません。それは罪の結果です。そういうことをするのが、信じていない証拠になるのです。でももし心から本当に信じるなら、あなたが席についていて心からそれを受け入れるなら、何かが起こることがわかります。必ず何かが起こります。そうしたら、何かが起こったと証しをすることができます。
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そうしたら、水に向かって行き、こう言うのです。「わたしは会衆に知らせたい。証明したい。わたしは花嫁の座につくと、はっきり証しを立てたい。わたしは確かに今、洗礼を受ける。」
世界には多くの女性がいます。素晴らしい女性達です。でもわたしは、一人の女性に会いたくてひどく寂しい。彼女達の中にはわたしの妻がいるのです。彼女はわたしと一緒に家に帰ります。彼女は最初からわたしの妻であったわけではありません。どうなってわたしの妻になったかというと、わたしの名を名乗るようになったからです。
キリストは来られます。世界には多くの女性(教会)がいます。でもキリストはご自分の妻のところに来られます。彼女はキリストの名で呼ばれます。キリストのうちにある者を、神がキリストとともに連れて行かれます。どのようにして?「ひとつの霊によって、わたしたちはみな、ひとつの体になるように洗礼を受けます。」
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さて祈っている間、あなたもしっかり祈ってください。屋内に大勢の人がいますし、屋外で立っている人、道通りに立っている人も大勢います。でも今・・・みなさんを祭壇のところに呼ぶわけにはいかないのです。だからあなたの心を祭壇にしてください。心の中でこう言ってください。「主イエスよ、わたしは信じます。」「わたしはこの夜空に立っていました。」「わたしはこの小さな部屋でぎゅうぎゅう詰めになっていました。」「わたしはこれらの人々の間に座っていました。」「わたしはこの機会を逃すわけにはいきません。」
すべてのことが・・・。昨晩もお話ししたことですが、だから助けてください、主はわたしが真実を話していることをご存知です。パウロが言ったように、「わたしは嘘を言いません。」あのまぼろし、あるいはそれがなんであれ、わたしはしっかりそれを見て、行ってしまったあれらの人々に手を触れたのです。ここに立っているのと同じくらい現実味がありました。
かわいそうな兄弟姉妹、この機会を逃さないでください。どうかお願いです。あなたは説教を聞きました。これを聞いたし、話を聞きました。でもただわたしから聞いたのです。これは・・・真実であることを知っています。これ以上はっきりと話すことはできません。だから機会を逃さないで!すべてあなたのものです。さて、祈りましょう。
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主イエスよ、ここにハンカチの箱が置いてあります。これは病気の人を代表するものです。これらのために、手を置いて祈ります。聖書がこう語っているからです。「パウロの体から手ぬぐいと前掛けを取って置くと、人々から汚れた霊が離れて行った。」彼らはパウロを見、彼のうちに神の霊が宿っていることを知っていたので、驚くべきしるしが行われました。パウロがみことばについて話す内容が、普通の人と違うことを彼らは知っていました。彼は古いヘブル教会に行って、そこに命を吹き込み、キリストを植え付けました。人々は、神がこの男に宿っていることを知っていました。それで彼によって、神が尋常でない、驚くべきわざをなされるのを見たのです。予言したことがその通りになりました。それで彼らは、彼が神の僕であることを知りました。
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主よ、これらの人々はみことばを尊びましたから、彼らを褒め、イエスのために彼らを癒してください。ここにいる会衆は、主よ、ペンテコステの日に使徒ペトロの話を聞いた会衆と同じです。ペトロはみことばにたち帰って、みことばを得ました。そして言いました、「ヨエルは、終わりの日にこれらのことが起こると言いましたが、これこそ、そのことです。」すると3000人が信じて洗礼を受けました。
父よ、あなたの恵みによって、私たちはここにいます。ここにいる人々が特別だからではなく、ライオンの時代、牛の時代、人の時代のように今が鷲の時だからです。今が油注ぎの時だからです。それが、わたしたちが生きているこの時です。聖霊がこの特別な時に働いておられるのです。それは、イエスが生きておられること、夕べの光が消える直前にイエスがなさると語られたわざを証しするためです。
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そしてわたしたたちは、キリストがそれをなさるのを見てきました。
科学的調査によって、そして、イスラエルの子らを導き、途上でパウロに出会った偉大なる火の柱が写真に写ることに寄って、その存在を確認しました。荒野でモーゼを導いたのも同じ火の柱であったことを知っています・・その同じ火の柱によって、モーゼは聖書を記しました。彼がみことばで油注がれていたからです。
この火の柱は、ダマスカスに向かう途中のパウロに出会いました。パウロは、神のことばと呼ばれる聖書の多くの書を書きました。そして今、主よ、みことばの証明と科学的調査によって、同じ火の柱が、主のことばを明らかにしてくださっているのをここで見ています。
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神よ、人々をすぐに目覚めさせてください。主よ、すぐにです。命の書に名前が記されている者たちが、途上でこのきらめきを見たとき、あの井戸端の悪名高き女のように、すぐに気づきますように。彼女はすぐに、それが聖書に記されたとおりであることを気づきました。
父よ、今回、心にあなたを心に受け入れる人みなが、この時、永遠に罪と決別する決意をしますように。彼らが立ち上がって、罪を赦されるためにイエス・キリストの名によって洗礼を受ける準備をしますように。それは彼らが、神から許されたと信じたことを示すためです。そして彼らが、イエス・キリストの名を引き継ぎますように。
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それから父よ、聖霊の油を彼らに注いでください。主なる神の働きに加わることができますように。彼らがこの邪悪な終わりの日に働き人となりますように。残っている時が少ないのを知っています。教会はいつ連れて行かれてもおかしくありません。
子羊は、いつ聖所、というか、いけにえの御座を後にしてもおかしくありません。いけにえが捧げられている神の御座から現れ出て来られるのです。すると終了します。世界には、もはや希望は無くなります。世は終わります。それから地震の激しい発作が起き、ひどく揺れます。あの復活時にあったのと同じです。
キリストが墓からよみがえられた時、聖人がよみがえった時、同じことが起きました。主よ、そのようなことが数分のうちに起こるかもしれません。わたしたちはその嬉しい日が訪れることを注目しています。父よ、あなたの子らをあなたの腕の中にかくまってください。小さな羊たちをあなたの胸に引き寄せてください。どうぞ祈りを聞き入れてください。彼らが力を得てあなたに奉仕できるようになるまで、みことばで養ってください。
142
主よ、彼らをあなたに託します。この祈りに答えてください。父よ、あなたはマルコ11章でこう言われました、「立って祈るとき、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」これらのことを何年にもわたって明らかにしてくださり、今週はこれらの封印を明らかにしてくださっている主に、心から信じて祈ります。主なる神よ、あなたが来られる時が間近に迫っていること、わたしたちが思っているよりずっと迫っていることを信じます。
どうぞわたしの祈りに答えてください。ここにいて、わたしの声を聞いている、あるいはテープを聞く、神に呼ばれたあらゆる神の子が、その時・・・。これが解き明かされたみことばであるという認識をもとに、神の御国のために、彼らを要求します。父よ、夕べの光が輝きますように。イエスの御名によって、彼らをあなたに託します。アーメン。
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さて、信じている人で、屋内にいる人も屋外にいる人も、まだおおやけに罪との決別を告白していない人は、神の哀れみを求めて、イエス・キリストを受け入れたのなら、プールが・・・。誰でも洗礼を受けたい人は、洗礼の用意を整えます。今日でも明日でも、あるいは今すぐにでも、いつでもかまいません。
第6の封印を堪能しましたか? 今どこで開封されたかわかりましたか? 信じましたか? 聖書はこう言っています、「誰が我々の知らせを信じたか? 主の御腕は誰に向かって明らかにされたか?」もしあなたがこの知らせを信じるなら、主の御腕が明らかになります。御腕とは、神のみことばです。
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主が望まれるなら、明日の朝、これらの質問にできる限りを尽くして答えます。これからの時間、ほとんどをそれらのために祈ることで使います。夜は1時間から3時間かけます。調べ物をしていて、昨晩は一つわかるまでベッドに入りませんでした。3時には調べ物をしていて書斎にいました。わたしはどうしてもこれに回答しなければならないのです。そうです。全てにおいて、近づき過ぎでいるのです・・・どんな愚かなことにも、あるいはどんな差し出がましいことにも、あるいは中途半端なことにも。まず確かめてみなければなりません。そして確かめたなら、みことばにあっているか確かめなければなりません。今までのところ、神の恵みによって、完全に・・・。ご存知のように、初めから終わりまでずっとそうやってきました。そしてちょうどうまくまとまったのです。
それは「主が仰せられる」ことでなければなりません。わたしが言っているだけではないからです。わたしは自分のことがわかっています。主のことばは、「主が仰せられる」ことでなければならないのです。ここで語ったみことばは、主がわたしに与えてくださり、それをまとめて知らせているのです。みなさんが自分自身でこれが「主が仰せられる」ことであるとわかるためです。
145
みことばがそう語っているのす。そして又、主が与えてくださった啓示が、それは私たちが考えていたこととはちがっていましたいたの・・・。なぜなのか。わたしが考えていたのとは違っていました。わたしはそんなふうにはとらえたことがなかったのです。でも今、それがすとんとあてはまったのがわかりました。どういうことですか? これこそ、「主が仰せられる」ことなのです。間違いなくそのとおりなのです。それは開封され、この時まで保たれていました。そして主が来られて、あのように明るみに押し出してくださいました。だから今明らかになったのです。主のおかげです。ああ、主を愛します。心から愛します。
さて、覚えていてください。祭壇に呼ぶことができませんでしたが、(何人かが手を挙げていますね)お分かりになるように、これはあなたがたの個人的な関係で起こる事なのです。なんでもしたいことをすることができますが、時間は押し迫っています。自分からいっしょうけんめい求めるべきです。強要されるのではなくて。入るためにしつこく求めなさい。「主よ、わたしを追い出さないでください。主よ、わたしをおいて行かないでください。扉が閉まろうとしています。もし入ることができたら・・・」
146
神はいつか扉を閉じられます。ノアの時そうされ、人々はドアを叩きました。そうですね? さて、覚えていてください。聖書はこう語ります。7番目の見張りのとき・・・。そうですね? 1番目、2番目、3番目、4番目、5番目、6番目の見張りのとき、ある者は眠っていました。でも7番目の見張りが、声をあげて宣言したとき、「花婿が来た。出迎えなさい。」
愚かな乙女は言いました、「ねえ、今、油が少し欲しいのだけれど。」
花嫁が言いました、「自分の分だけしか持ち合わせていないの。わたしにじゅうぶんなだけ。欲しいなら、祈り求めなさい。」
愚かな処女がわかりませんか? 監督教会員や長老派やルター派やらをご覧なさい。みんな試みて・・・。問題は、聖霊を受けようとする代わりに、異言を求めていることです。彼らの多くが、異言を話しますが、この教会に来て祈りを求めることを恥とします。彼らはわたしを家に呼んで、祈りを求めます。そういうことが聖霊の現れと言えますか? それは聖霊なしの異言というものです。
147
聖霊が異言を語ることを、わたしは信じます。わたしがそう信じていることを、知っていますね。でも、まがい物の異言もあるのです。そうです!霊の実がその正体を明かします。木の実によって、何の木か、わかります。外側からはわかりません。実によってわかるのです。
ところで、最後になって・・・。彼らはやって来て、言いました、「さて私は信じている、やっと受けたようだ。そうだ、受けた。受けているんだ。」
148
これは、誤解を招くから言わないほうがいいでしょう。先日、携挙のことを、それがどのように起こるか話したら・・・。まあ、もしあなたが受けたと言うのなら、それでいいでしょう。それはあなた次第です。愚かな処女が、しっかり祈ったと思って戻ってくると、花嫁は去った後でした。
携挙は終わり、彼女はそれを知りませんでした。真夜中に泥棒が忍び込むのと同じです。それで彼女は扉を叩き始めました。そしてどうなりましたか? 何が起こりましたか? 彼女は患難期に投げ込まれたのです。
聖書は、彼らがすすり泣いたり、泣き叫んだり、歯噛みしたりすると語っています。そうですね?
149
いつそれが起こるのですか? 兄弟姉妹よ、わたしにはわかりません。でも・・・わたしだけかもしれません。これはわたしの考えですが、その時が差し迫っていると信じます・・・毎日を・・わたしはできるだけ静かに穏やかに過ごすよう努めています。今日何かが起こりましたね。そしてわたしは何かがやってくるのを見たのです。・・息が止まりそうになりました。ここにおられたのですよ。ここに立っておられたのです。あの光がここに立っておられたのです。これは真実です。
わたしは思いました、「神よ、わたしには言えません。とてもわたしにはそれを言うことができません。」それから部屋を出て、外に行き、行ったり来たりしました。「ああ、わたしに何ができるのでしょう。」と思いながら。釣りに行かなければならないし、あれもこれもしなければならないし・・主よ、わたしにはとても話せません。
150
素晴らしい時間を過ごせましたね。主をほめたたえます!アーメン。今はとてつもない時なのです。だから・・。わたしの心は幸せと喜びで溢れています。でも世界のことと何千という失われた魂のことを思う時、そこには黒い影がかかっています、心から血が出るようです。何ができるというのでしょう? いったいなにが・・・?
心の中で聖霊が叫んでいるのを感じます。主がエルサレムとご自分の民を眺めておられた時と同じです。「エルサレム、エルサレム、めんどりがひなを集めるように、何度おまえを集めようとしたことか。しかしおまえは応じようとしなかった。」
151
友のみなさん、わたしたちは大事な時に立っています。それがどんなことか、神がご存知です。神以外、誰もいつそれが起こるのか知りません。秘密です。誰もいつそれが起こるのか知りません。でもイエスは言われました、「これらのことが起こったなら・・・」これらの事すべてが、・・・第6の封印とマタイ24章でイエスが言われたことを対照して・・・j。さて、イエスが言われたのは、「これらのことが・・・起こり始めたなら、その時が間近に迫っているのだ。」
その次の説に注目してください。30節と31節です。それから32節と33節です。「彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに到るまで、四方からその選民をよび集めるであろう。」そうですね?「いちじくの木から・・・」
152
さて、覚えておいてください、そこでイエスは話を止めました。第6の封印を語った後、話を続けずにやめました。第7の封印については一言も語りませんでした。彼は第1、第2、第3、第4、第5、第6の封印について話しましたが、そこでやめました。(第七に)ついては一言も語りませんでした・・・。
イエスが次に口にしたのは、「たとえ話から学びなさい。」という言葉でした。そしてたとえ話を始めたのです。「これらのことは・・こうなる。」イエスは、「これらのしるしはどうなりますか? あなたが来られる時のしるしは何ですか? この世が終わる時のしるしは何ですか?」という、弟子たちの質問に答えました。第六の封印はこの世の終わりのことです。そして第七の御使いが、手を上げて、永遠におられるお方に誓って「時がもうない」と声を発しました。
153
大地は新しく生まれようとしています。もう終わりなのです。そういう時に、わたしたちはきているのです。間近に迫っています。ああ、震えがきます。主よ、わたしは何をすればいいのでしょう? 他に何ができるというのでしょう? あの場所を見、それからこれらの尊い人々に思いを寄せる時。
わたしは自分を見て立っていました。「ああ、神よ、・・・彼らがこの機会を逃すなんてことは・・・彼らを強いてでも招くべきです。会衆の中に入っていって彼らをとらえ、強いてでも・・・。」でもそれはできないのです。わたしの父が引き寄せてくださらなければ、誰もわたしのところに来ることはできないとあるとおりです。
でも慰めがあります。「父が与えてくださった者は、すべてわたしのもとに来る」のです。でも、その他の人たち、あのように組織に属することで安心する者たちには・・・。敵は、地上に生きて暮らしている者で、世が始まる前に屠られた子羊の命の書に名前が記されていない者をすべて騙します。
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だから、辛いことなのです。ただみことばにとどまり、注意して神が言われることを何でもすることしかできません。何であれ、神が言われることをそのとおりするのです。注意して見ると、「ああ、何と!」彼らはこれや荒れをします。「ああ、何と・・・。これがどれほど神経を使うことか!」
このことを言っておきます。今、テープは録音されていない状態ですね。多くの人がこう言います、「ブラナム兄弟、このようなミニストリーをして・・・」(わたしは慎重にならなければいけません。というのは、テープから部分部分を取り上げて引き合いに出す人がいるからです。)「ブラナム兄弟、わたしたちもミニストリーができたらいいのに・・」という人たちがいますが、わかっていないのです。正直言って、兄弟姉妹よ、これをすることで受けなければならない代償がわかっていないのです。ああ、そして、語った内容に人々が依存するという、その責任の重さ・・・。
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もし間違ったことを教えたなら、神はその手に血を要求されます。考えてもみてください。恐ろしいことです。
だからいい子にしていましょう。心からイエスを愛しましょう。あれこれ自分で考えようとせず、神の御前で素直でいなさい。何かを理解しようとすると、かえって神から遠ざかるからです。ただ素直に神を信じなさい。
「いつキリストが来られるのだろう?」今日キリストが来られるなら、いいでしょう。20年後に来られるとしても、それでもいいでしょう。主に従いながら、いつもと変わらず生活するだけです。主よ、どこかでわたしをお用いになるのでしたら、お使いください。わたしはここにいます。もし今日から100年後だとしても、もしわたしの孫の孫の孫の孫がまだ生きていて来臨を見ることになるとしても、・・・主よ、わたしにはその時がいつかわかりませんが、どうか今日をあなたと共に正しく生きることができますように。・・・その日が来たら、あたかも昼寝から寝覚めたように、わたしは起き上がるでしょう。
156
その栄光の宮に、神の王国に行くのです。そこでは、老人もすべて若者になり、白い衣を身につけ、男も女も変えられて美しくなり、芸術的に容姿の整った男、愛らしい女になり、あらゆる美をまとい、若々しい男女となり、決して老いることなく、罪を犯すことなく、嫉妬や憎しみなどを抱くことが無くなります。ああ!
157
テープは録音状態になっていませんね。ちょっと3、4分話したいことがあるのですが、いいですか?
さてこれは個人的なことです。明日はとてつもない日になりそうなので、今のうちに言っておいたほうがいいと思います。これはここだけの話です。ご存知のようにわたしには愛すべき妻がいます。メーダです。最初の妻への愛があるために、わたしは彼女と結婚することはなかったはずでした。それでもとても彼女のことを思っていたので。神がそうするように言われなかったら、わたしは彼女と結婚しなかったでしょう。
みなさんその話は知っていますね。彼女が祈ったこと、わたしがどのようにしたかということをです。神がどのようにすべきかはっきり指示してくださり、わたしは彼女と結婚しました。彼女は愛すべき女性で、今夜、わたしのために祈ってくれています。そして今、家の方では8時ですから、祈ってくれていると思います。
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さて、ある日、彼女がこう言いました、「ビル、天国のことについてちょっと聞きたいのだけれど。」
「いいよ、メーダ。どんなこと?」
「あなたを愛しているのは知っているわね。」
「そうだね。」ここでのことが起こる前のことでした。
「ホープもあなたのことを愛しているわね。」
「そうだね。」
彼女は言いました、「それで、わたしは嫉妬しないと思うけれど、ホープは、」「わたしたちが天国に行くとき・・・あなたは天国で彼女を見たと言ったわね。」
「彼女は天国にいたよ。この目で見たんだ。2度も。彼女はそこでわたしが行くのを待ってくれている。シャロンもね。君を見ているのと同じくらいはっきりと見たんだ。彼女が天国にいるのを。」
「それで、わたしたちが天国に行ったとき、どちらがあなたの妻になるの?」
「両方ともさ。他の誰でもない、君たち二人ともさ。」
「理解できないわ。」
「ねえ、ここに座って説明させてくれないか。君が僕を愛してくれているのはわかっている。そして僕も尊敬と敬意をもって君を愛している。でも例えば、僕がおしゃれしてダウンタウンに行き、綺麗な商売女性に会い、彼女が僕に腕を回して『まあ、ブラナム兄弟、もちろん愛しているわ。」なんて言って、腕を回して抱きついたら、どんな気持ちになるかな?」
「いい気持ちがするわけないわ。」
「もう一つ聞きたいことがある。もし、どちらを最も愛しているか決着つけなければならないとしたら、僕と主イエスとどちらを選ぶ?」(これは家庭内の話です。)
「主イエスを選ぶわ。」「そうよ、ビル、あなたのことをとても愛しているけれど、イエスを諦めるよりは、あなたを諦めるわ。」
「ありがとう、メーダ。そう言ってくれて嬉しいよ。」「さて、さっきの同じ女性が、イエスのところに行って両手を回してイエスに、『イエスさま、愛しています。』と言ったら、どう思う?」
「それは嬉しいと思うわ。」
そういうことなのです。フィレオの愛からアガペの愛に変わるのです。それは至高の愛です。そこでは、夫と妻が子供を育てるようなことはないのです・・・すべて過ぎ去るのです。
159
女も男もなくなるのです。みな同じになるのです。性別は無くなります。性腺はまったく存在しなくなるのです。ただ・・・性腺のない状態を想像してみてください。地上に子孫を増やすためにそれが備わっているのですが、天国では必要ありません。天国には男性腺も女性腺もありません。そんなものは無くなります。そこにあるのは神の芸術作品だけです。間違いありません。わたしたちは正真正銘の本物になるのです。フィレオの愛は無くなり、アガペの愛だけになります。
だから、妻は単に愛すべき存在のひとつになります。そして妻は・・・お互いに似た者同士となりますが、夫と妻のような関係はもはや存在しません。
フィレオの愛の部分はまったく存在しなくなります。だから嫉妬のようなものは有りえなくなります。嫉妬する対象物が存在しないからです。そのようなものは天国には存在しないのです。そんなものはまったく知らないものとなります。そこにいるのは、生きている愛すべき若々しい男女・・・
そのあと、彼女が言いました、「わかったわ、ビル。」
「よかった。」
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ちょっと、起こったことをお話ししたいと思います。これは夢でみたことです。わたしは眠っていました。これは一度もおおやけに発表したことのないことです。ただ数人にだけ話しましたが、覚えている限り、おおやけにはまだ言ったことがありません。
1カ月ほど前に夢を見ました。ある日わたしは立ったまま偉大な時を見ていました。裁きではありません。教会は花嫁は裁きに会うことはないと信じています。王冠が受け渡されるとき、そこに居合わせたのです。
とてつもなく大きな王座が設けられました。イエスと記録係の天使たちがそこに立っていました。そこにはこのように降りてくる白い象牙の階段がありました。円を描いて降りてきて、このようにパノラマ的に展開していました。そこにいるおびただしい軍勢がみな、何が起こっているのか見ることができました。
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わたしは後ろの方に立っていました。片方のずっと後ろの方です。わたしはただ立っているだけで、階段を登ろうという考えは少しもありませんでした。ただ立っていたのです。すると記録係の天使が名前を呼ぶのが見えました。その名前に聞き覚えがありました。ずっと後ろの方で見ていると、一人の兄弟が、いえ、姉妹が歩いてきました。こんな感じで歩いてきました。そこには記録係の天使がキリストの横に立って見つめていました。(これは夢です。)もし彼らの名前がそこに書かれていたら、命の書のことですが、キリストが彼らを見て、こう言うのです、「よくやった、忠実で良いわたしの僕よ。さあ、入りなさい。」
わたしは後ろの方で様子を見ていました。そこには新しい世界と喜びがありました。「主の喜びの中に入りなさい。それはこの世が創られる前から・・・。」
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わたしは思いました、「彼らはそこを通って、お互いに出会うんだ」と。喜びながら山々を越え、はるかに広い場所に行きました。わたしは、「なんて素晴らしいんだ。万歳!ハレルヤ!」と思いながら、飛び跳ねました。
すると別の名前が呼ばれました。「ああ、彼を知っているぞ。彼を知っている。彼がやって来るぞ。」こう思いながら、彼を見ていました。
「主の喜びの中に入りなさい。わたしの良い・・・」
「ああ、主をほめたたえます!主をほめたたえます!」わたしは言いました。
彼らが「オーマン・ネヴィル」と言うようなものです。それからわたしは言いました、「ああ、ネヴィル兄弟、彼が来るぞ。」
彼は群衆の中から出てきて、上って行きました。
わたしはキリストが、「主の喜びの中に入りなさい。そこは世の基礎が置かれる前からおまえのために用意されていた場所である。さあ、入りなさい。」と言うのを聞きました。
ネヴィル兄弟は変容して、叫び、雄叫びの声をあげました。なんと、わたしも、「神に栄光!」と叫びながら、嬉しい時を過ごし、兄弟が入っていくのを、一人で立って見つめていました。
それから記録係の天使が立って言いました、「ウィリアム・ブラナム」
わたしが歩いていかなければならないとは、思いもよりませんでした。するとなんだか怖くなりました。「ああ、わたしもそうしなければならないのかな?」と思いました。それで歩いていくと、みながわたしの肩を叩いてくれ、「やあ、ブラナム兄弟」「主の祝福を、ブラナム兄弟」と声をかけてくれました。人の大群衆が、わたしが通っていく中、わたしを叩いて励ましてくれ、みんなが手を伸ばして、こんなふうに叩いてくれ、「主の祝福を、ブラナム兄弟」「主の祝福を、ブラナム兄弟」と声をかけてくれました。
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わたしは歩いて行きながら、「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と、どこかの集会から出てくるときのようにお礼を言っていました。それから今度は、あの大きな象牙の階段を登るところまで行きました。
登ろうとしてはじめの一歩を踏み出しました。そこで立ち止まって、こう思いました・・・。彼の顔を見てこう思いました、「このようにしてよく彼の顔が見えるようにしたい。」そして立ち止まりました。両手をこのようにしていたのですが、何かがわたしの腕にすり込んでくるのを感じました。それは誰かの腕でした。わたしが振り返ると、そこにホープが、黒い大きな目をして黒髪を垂らして立っていました。彼女は白い衣を着、わたしを見上げていました。
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わたしは「ホープ」と、声をかけました。すると片方の腕に何かを感じ、振り返ると、あの黒い瞳で見上げているメーダがいました。彼女は黒髪を垂らし、白い衣を来ていました。わたしは「メーダ」と、声をかけました。二人はお互いに、こんなふうに見つめ合っていました。わたしは彼らと腕を組んで一緒に歩いて行きました。
ああ、そして目が覚めたのです。目覚めて起き上がり、椅子に座って泣きました。「ああ、神よ、このようになりますように。」二人ともわたしの人生の連れ合いであり、子供を産んでくれたりしたのです。そしてわたしたちは新しい世に入って行きます。そこは完全な世界であり、あらゆるものが満ちており、欠けたところがなくて・・・。
素晴らしいことが待っているのです。それを逃してはいけません!逃してはいけません!神の恵みにたよって、自分にできることを一生懸命し、あとは神にお任せしなさい。それから、
愛します。愛します。
初めに彼がわたしを愛してくれたから
わたしの救いを買い取ってくださった
カルバリの木の上で
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愛します。愛します。
初めに彼がわたしを愛してくれたから
わたしの救いを買い取ってくださった
カルバリの木の上で
愛します。愛します。
初めに彼がわたしを愛してくれたから
わたしの救いを買い取ってくださった
カルバリの木の上で
(ブラナム兄弟が壇上を降りて会衆の中に入って行き、車椅子の女性のために祈る)
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もういいでしょう。この女性は、集会中に亡くなってもおかしくない状態でした。そうです。今彼女は、両手を高く上げて神をほめたたえています。このために、わたしは話を長引かせていたのです。わたしが何をしていたか教えましょう。わたしはメーダたちの話をしながら注意して見ていたのです・・・あの光が回転しながら行ったり来たりしているのに気づいていました。その光が入って彼女の上空でとどまったのです。それで、「これがそうだ。」と思いました。ああ、神は素晴らしいではありませんか!
愛します。愛します。
初めに彼がわたしを愛してくれたから
わたしの救いを買い取ってくださった
カルバリの木の上で
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今度は心を込めて。ただ神のすばらしさとやさしさに想いを寄せて。
(ブラナム兄弟がハミングで“I love Him”を歌う。)
アーメン!ね、この方がいいでしょう?アーメン!よくなるって、そのことだけを思うのです。神の恵みがあなたに現れましたから。ああ、神に栄光!