55-0117 天使が私を訪れたときの様子と彼の任務

  • 伝道者:ウィリアム・ブランハム
  • アメリカイリノイ州シカゴ市
  • 録音番号:55-0117
  • 年:1955
1
この会場にいくつかテープレコーダーが置かれているのが見えますが、それで、私がこうしてお話ししていることが、もちろん、録音されているわけです。聖霊があなたがたに、いったい何を言われたかを知りたいときには、いつでも、これらのレコーダーをもっている兄弟の誰かにに頼めば、すぐに再生装置のボタンを押してくれて、あなたが知りたいことを明確にしてくれるでしょう。そして、同じことが、まったく聖霊が言われたとおりに、あなたにも起こるかどうか、よく気をつけていればよいのです。あなたが、「主はこのようにおっしゃっている」とか、あることがらについて、「これはこのとおりなのです」と語る声を耳にするとき、あるいは、それは本当だろうかと思うとき、ただ良く調べてみればよいのです。いいですか。いつでもそうなのです。
2
ここでちょっと裏話を申し上げますが、、、まあ、私は今晩楽しい気分であります。と言いますのは、ここにいるのは、ごく少数の私たちの仲間だけだからです。私達は、ただの家庭的な人間であります。違いますか。みんなお互いに顔見知りの間柄です。私たちは...ちょっと、いまケンタッキー方言で言うと、まさにぴったり私の気持ちが言えるのですが、なぜかというと、私達は—私達はただ...まあケンタッキーの話で皆さんを戸惑わせるつもりはありませんが、もしかして、この会場にケンタッキーの方がいらっしゃると、ちょっと、ここにケンタッキーからいらっしゃった方が居られますか。手を上げてみて下さい。これは、これは。これで私はまったく気楽にしていいわけですよね。たいへん結構なことです。
 私の母親は、いぜん下宿屋をやっておりました。ある日私が訪ねていきますと、、、そこには大勢の男性の下宿人がいて、長い、大きな食卓がありました。そこで私は聞きました。「ケンタッキー出身の方は何人居られますか、立ってみて下さい。」すると全員が立ち上がりました。それから、その晩私は教会、私の教会へ行って聞きました。「ケンタッキーから来られた方は何人いらっしゃいますか。」全員が立ち上がりました。「はい、たいへん結構です。」と私は言ったんです。伝道師の方たちが立派な仕事をしてくれたのですね、—それは、それで、ありがたいことであります。
3
さて、ロマ書の11章、28節にこうあります。読みますので注意深くお聞きください。
福音について言えば、彼らは、あなたがたのゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である。神の賜物と召しとは、変えられることがない 
 お祈りをいたしましょう。主よ、お助けください。今宵このように、私たちは敬虔に、心を込めて、誠実に、この課題に取りかかろうとしております。私の言葉は、すべて主の栄光を称えるためのものであります。主よ、私をお助けください。私に、ここで何を言うべきか、どれだけのことを言うべきか、お教えください。主がお言葉を述べられるときには、私に沈黙をお命じ下さい。私は、私の話を聞いて居られる皆さんの中の病気の方や貧しい方のために、すべての人々がこれらのことを受け入れるようお願いします。なぜなら、私は、それをイエスキリストの御名のもとにお願いするからであります。アーメン。
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さて、私は、参会者の数がまだ少ないうちに、この課題を取り上げたいと思います。そして、まあ、手短に申し上げます。ここに、私の時計を置きまして、できるだけ早く終えて、皆さんが明日の晩お戻りになれるようにしたいと思います。では、お祈りをしましょう。ボーイがカードを配っていないかもしれませんね。私は、彼に聞きませんでしたが、配ったのか、配らなかったのか、どっちでも構わないのですが。いずれにせよ、もし必要なら、ここにもカードが何枚かあります。それで、もし配られていなかったら、だだもう、聖霊が何といわれるか聞いてみるだけのことであります。
 それでは、注意深くお聞きください。これは、もしかすると、、、私が、何ですから、、、これは、ごく少数の仲間の集まりですから、このことをお話しするには好都合かもしれません。なぜかと申しますと、これは—これは、私個人に関する事柄だからであります。私がさきほど読みました聖書の箇所も、実はこのことに関係があるのであります、つまり天賦の才能とか神のお召しとかは、決して、誰もがそれに値するは限らないということを知っていただけたらと思うのであります。
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パウロは、こう言っています。「ユダヤ人は、私たちのために、福音の立場から見れば、めくらとなり神から離れた。」しかし、彼は、そのすぐ前の節で、「すべてのイスラエルは救われる。」と述べています。すべてのイスラエルは救われるでしょう。選びの見地からすれば、父なる神は、彼等を愛し、そして盲目にしたのです。それは、私たち異邦人には悔い改める機会を与え、また、アブラハムの子孫たちは神の言葉通りに、世界のすべてを祝福し、神の権力がどのようなもであるかを知らせるためでした。神の言葉はまさにその通りでなくてはなりません。神はそれ以外の何ものでもありえません。そして今、私たちが、、、神は私たちを選びました。神はユダヤ人を選びました。そして神は、、、
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これらのことは、すべて神の予知されていることです。神がこれらのことについて将来どうなると語られたとき、神はすでに知っておられたのです。ところで、神は、神であるゆえに、初めから終についても知っていなくてはなりません。そうでなくては、無限の神とは言えないでしょう。神には何ものをも滅ぼす意図はありません。絶対ありません。神は何ものが滅びることも望まないのです。
 しかし、この世の始まりのとき、世界、神は正確に誰が救われ、誰が救われないかを知っていました。神は、人々が滅んでしまうことを欲しません。「誰が滅びることも神の意図ではありません。むしろ誰でも救うのが神の意図です。」しかし神は最初から誰が滅び誰が滅びないかを知っていました。それだからこそ、神は、「このことが起こるだろう。」とか、「あのことが起こるだろう。」とか「これはこのようになる。」とか、「この人はこのようになるだろう。」と予知することができるのです。おわかりですか。
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神が予知できるのは、神が無限だからです。そのことの意味がおわかりですか。それはまさに、「神の知らないことは何もない。」ということにほかなりません。でしょう?神は知っています。えっとですね、時間より前のこと、そして時間のあとのことをご存知です。でしょう?神は今だにすべてのことを知っています。すべてのことは神の御心のなかにあるのです。そうであるなら、ロマ書八章と九章でパウロが言ったように、「それならなぜ神は、なおも人を責められるのか。」私たちはそう思うのです。しかし神は、、、
 福音書について説教しているときなど、誰かが「ブラザー・ブレナム、あなたはこのようなことを信じているのですか。」と聞かれたことがあります。
 「いいですか。」と私は言いました。
 「あなたは、カルビン主義者に違いない。」とその人が言いました。
 「カルビニストとが聖書に存在する限り、私はカルビン主義者です。」と私は言いました。
 いいですか。あの木には枝がありますね。あれはカルビン主義なのです。しかしその木には、ほかにも枝があります。木には1本以上の枝があるものです。木はただ枝をあのように維持して永遠の保障に到達しようとするのです。このように見ていけば、やがて普遍救済説に至り着くでしょう。そして、そのうちまたどこかに寄り着きます。もうきりがありません。でも、あなたは、カルビン主義を卒業したら、また戻って、アルミニウス派の教義を始めます。いいですか、その木には、もう一本の枝があるのです。どんどん続けて下さい。その全部が集まって木になるのです。というわけで、私は、カルビン主義が聖書に基づいている限り、それを信じます。
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また私は信じます。神は、この世界を作られる前に、神の教会をキリストの名の下に選び、そしてこの世界を作られる前にキリストが殺されることを知っておられた。聖書にこう述べられています。「彼はこの世界の始まりから殺されることが分かっていた神の子羊である。」いいですか。またイエスは、主はこの世界を作られる前から私たちを知っていたと言われました。パウロは言いました。「神は、私たちのことを知り、イエスキリストの養子として縁付けることを、すでにこの世界の創造以前に定められた。」それが神です。それが私たちの父です。わかりますか。
 ですから、なにも心配することはありません。物事はすべて正常に運行しているのです。すべてのことが順調に進んでいます。ただその運行に乗りさえすればよいのです。それは—そこがいいところですが、運行に乗っていれば、自分がどう働けばよいかわかります。
 さて、ここで気付いていただきたいのですが、私は主が私に天職を授かれた聖書に基づいて「悔い改めることなしに授かる神の賜と召し」としか説明できません。私は今夜ここにおられる皆さんに、友人としてこのことを理解していただけ、私が個人的なことを言っているのではないとわかって下さると信じます。そして、皆さんがまさに主が御自分はなにをなさるのかを言われたことを知って理解し、何か動くものを見つけ、それについていくと信じます。
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さて、初めに、私が覚えている最初の出来事は、一つの幻影です。私が思い出せる最初の記憶は、主が私に下された幻影です。これはずっとずっと昔のことです。私は小さな子供でした。私は手に石ころを持っていました。
 ちょっと恐れ入りますが、私は、自分が長いドレスを着ていたときのことを思い出すことができますが、皆さんのなかで、子供たちが長いドレスを着ていたころのことを覚えているほどの年配の方がいらっしゃいますか。ここで何名の方が小さな男の子たちが長い、そう、長いドレスを着ていたのを覚えていますか。とにかく、私は覚えているのですが。私は、私たちが住んでいた古い小さな小屋のような家で、床の上を這っていました。その時誰かが—誰だか私にはわかりませんでしたが—入ってきました。それで、母が、私のドレスに、小さな、小さなリボンを縫いつけてありました。私は、やっと歩き始めたころでした。私はそのとき這っていました。それで、私は、その人—その人は暖炉の側に立って暖まっていた—の足に残っていた雪のなかに指を突っ込み、その雪を口のなかに入れました。母が私をぐいと引っ張り上げていたのを覚えています。
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次に私が覚えていることは、それから2年ほど経ったあとのことに違いありません。私は小さな石を持っていました。そのことからすれば、私はきっと3歳ぐらいだったのでしょう。そして弟がまだ2歳にもなっていなかったと思います。私たちは、裏庭に出ていました。そこに古い木切り場がありました。木を持ってきて切るところです。どれだけの方が裏庭に木を引っぱってきて切っていたころのことを覚えておいでですか。いやっ、私は今晩ネクタイなど締めてきましたが、必要なかったですね。まったく楽な気分です。
 それから、彼等が、、、そこの古い木切り場に、泉の方から小さい流れが伸びてきていました。泉には、古い瓢箪の柄杓が置いてあり、私たちはそこで水を汲んでバケツ—杉の木で作ったバケツ—に入れ、家に運んでいたものです。
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私は、年とったおばあちゃんに、彼女が亡くなる前に、最後に会ったときのことを覚えています。彼女は110歳でした。彼女が亡くなったとき、息を引き取る間際に、私は彼女を抱き上げ、このように抱えていました。彼女は手を私の首に回して言いました。「いとうし孫よ、おまえの魂に、今も将来も神の御恵がありますように。」祖母は、一生の間、自分の靴というものを1足も所有しなかったと思います。私が若者であったときでさえ、訪ねていくと、彼女は毎朝起きて雪の上を裸足であの泉まで行きバケツに水を汲んできたものです。彼女の足は頑丈で痛むことはありません。彼女は110歳まで長生きしました。本当に彼女は頑丈な人でした。
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あるとき祖母が、父が子供のころ遊んだというビー玉を私に見せてくれることになりました。「かわいそうなおばあちゃん、どうやって屋根裏に上っていくんだろう。」と私は思いました。小さい、二部屋しかない掘っ立て小屋に屋根裏がついていました。そこに二本の若木を切って梯子にしたものがかかっていました。私は、、、気の毒に思いました、、、彼女が言いました。「じゃ、夕ご飯がすんだらお父さんのビー玉を見せて話を聞かせてあげるからね。」
 「ああ、いいよ。」と私は言いました。
 そういうわけで、おばあさんは、昔の人がしたように屋根裏のトランクの中にしまっているビー玉を見せようというのです。「あの年とったおばあちゃんがどうやってあの梯子を上るのだろう。」と私は思いました。それでそこへ行って言いました。「おばあちゃん、ちょっと待って、私が先に上がって手を貸してあげよう。」
 「退いて。」と彼女は言ったかと思うと、するするとまるでリスのように梯子を上り、「さあ上がっておいで。」と言いました。
 「はい、おばあちゃん。」と私は言いました。
 「驚いた。自分もあのようにできるだろうか、あんなに力があって、しかも110歳の年で!」と私は舌を巻きました。
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そのほかに、この小さな泉について思い出すことですが、あるとき私は、泥の中に石を投げていました。弟に自分の力を自慢するためでした。近くの木で小鳥がしきりに鳴いて飛び回っていました。ロビンか何かであったのでしょう。ふとその小さなロビンが私に話かけているように思えて、私は振り向いて耳を傾けました。すると鳥は飛び去ってしまいましたが、私の耳に声が聞こえました。「あなたは、ニューアルバニーという町の近くで、生涯の大半を過ごすようになるだろう。」
 そこは、私の育った所から3マイルのところです。約1年後、私はそこへ行きました。そんなことになるとは夢にも思わなかったのですが。ニューアルバニー。私の人生の中で、こんなことがあろうとは、、、
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ここで申し上げたいのですが、私の両親は、宗教的な人ではありませんでした。父も母も教会へ行きませんでした。以前はカソリックでした。
 私の若い甥が今晩ここにいるはずですが、よく分かりません。彼は軍人です。私は彼のために祈ります。彼もカソリックです。今もカソリックです。今度彼がここに来て私と会ったときに、彼は神の行いを見ました。彼はちょうどこの演壇の上に立っていました。そこに立ったまま彼は言いました。「ビル叔父さん。」と彼は言いました。彼はこれまで長い間海外にいました。「私がそれを見たとき、、、」と彼は言いました。「それ、、、そんなことはカソリック教会では起こりません。」と言いました。「それ、、、私は、、、ビル叔父さん、私は、あなたが正しいのだと思いますよ。」
  それで私は言いました。「あのね、正しいのは私じゃないんだよ。正しいのは神さ。(わかりますか)神が正しいのさ。」そして彼は言いました、、、彼は、、、私は続けました。「いや、メルビン、私は君に何かをしなさいと言っているんじゃないんだよ。ただ、主イエス・キリストに心から仕えなさいと言っているんだよ。どこへ行ってもいいのさ。大事なことは、心の中で、イエス・キリストが新しくお生まれになったと確信することだよ。(わかりますか)そうすれば、そのあとどの教会へ行こうと同じことさ。」
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さてしかし、私の家は、代々はカソリックでした。私の父はアイルランド系で母もアイルランド系でした。アイルランド人の血筋を引いていないのは祖母だけで、彼女はチェロキーインデアンでした。母はちょうど半分半分の混血ということになります。ですから私は、、、私にとっては、私の、、、私たちの世代、3代経つともうおしまいで、消え去っていしまいます。しかし、そこの所だけが血統の破れ目になっていて、あとは純粋のアイルランド人の家系です。名前は、ハービーとブレナムですが、ライアンという、これもアイルランド系の名にもつながりがあります。この人達はすべてカソリックです。しかし、私自身は、子供のころ宗教的な訓練とか教育を受けたことは一切ありません。
 しかし、私の賜—幻影のことですが—私がその頃見た幻影は今見るのと同じです。そうです、それは、賜とお召しは悔い改めなく授かるものだからです。それは神の予見です。神が何かをなさるのです。私は今までずっとそのことに触れることを恐れていました。
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皆さんは、小著「イエスキリストは昨日、今日、未来にかけて変わり給わず」で私の話をお読み下さったと思いますが。それは、他のいくつかの本にも出ていると思いますが、ジーンさん、違いますか。それはこの、この正規の本—今読んでいる本—にも出ていますか。そうですか?「自叙伝」?確かそうです。では、私たち、私たちは、、、ちょっと、これはひどい話ですね。私自身の本、それを本人が読んだことがないのですから。だれか他の人が書くのです。集会でいくつかのことを書き留めたのでしょう。私は、もうそれらのことを経験しました。いつも何か他のことが起こることを期待しています。まあ、それらはいい本です。私は機会があれば、あちらこちら拾い読みしております。
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さて、とにかく、小さい子供のとき、幻影が私に話しかけたときの様子ですが、私は7歳ぐらいでした。神がこう言われたのです。「酒を飲んだり、たばこをすったり、または体を汚すような一切の行為を慎みなさい。あなたが大きくなったときやってもらう仕事がある。」この話を、あなたたちは本で読んだことがあるでしょう。その通りなのです。それはずっと起こり続けているのです。
 私が牧師になったとき、そのときから、それは本当に始終起こるようになりました。
 そして、ある夜私たちの主イエスを見ました。私がこの話をするのは、聖霊から許しを得た上のことです。主が遣わされる天使は、主イエスではないのです。幻影の中で、天使は主と同じには見えません。というのは、私に現われた幻影の中の主は小さい方でした。主は決して、、、私は野に出てわたしの父のために祈っていました。それから家に帰って寝床に入りました。その夜私は父を見ました。私は、「おお神よ、父を救い給え!」と言いました。
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母はすでに救われていました。私は彼女に洗礼を施しました。そのとき私は、「ああ!」父は酒を飲みすぎた。「もし父に主イエスを受け入れさせることができたら!」と私は思ったのでした。私は出て行って、表の部屋の扉の近くにあった小さな古いわら布団の上にひれ伏しました。
 すると、「立ちなさい。」という声が聞こえました。私は、立ち上がり、歩きだしました。そして私の背後にあった野原に戻りました。そこは荒れたヤマヨモギの原でした。
 そこに、私から10フィート(編注:3メートル)と離れていないところに、一人の男の人が立っていました。白い衣服をまとった、小男でした。腕をこのように組んで、どちらかといえば短い髭をはやし、髪は肩まで垂れていました。その顔は横を向いていました。このように。穏やかな容貌でした。しかし、私は理解できませんでした。どのようにして、彼は片足を前に出して。風が吹いていました。衣服は動いていました。ヤマヨモギに風が吹いていました。
 「ちょっと待てよ。」と私は思いました。私は自分を噛んで見ました。「夢をみているのではない。」と私は言いました。私は、小さなヤマヨモギの茎をちぎって、それを、こう、つまようじのようにして、口にくわえました。私は振り返って家のほうを見ました。「いや、私は家の中にいて父のために祈っていたのだ。そのとき、どこからか声が聞こえてここに来るように言われた。そしたら、ここにこの男の人が立っていたのだ。」
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「このかたは主イエスに似ている。」と私は思いました。「本当にそうだろうか。」その人は正確に、今私たちの家がたっている方角に顔を向けていました。それで私は、こちらの方に回ってよくその顔を見ようとしました。それでもまだ同じ横顔しか見えません。しかしその人は、、、私は、ずっとこちらに回って、見ようとしました。「うむ!」と私はうなりました。彼はまったく動きません。「呼びかけてみよう。」と私は思いました。「イエス様。」すると主は、このように振り向かれました。これが私が記憶していることのすべてです。主は私に御手を差し伸べられたのです。
 主の御姿、御顔の性格を描ける芸術家は世界に一人たりともいません。ホフマンの「33才のキリストの顔」が私がみた限りでは最高のものです。私は、それをすべての文献、私が使うすべてのものに利用しています。なぜなら、それはまさにそっくりに見えるからです。まあかなり近い、ぎりぎりの近さまで行っていると思います。
 主の姿は人間のように見えました。もし主が話されたら、世界の終わりが来るような姿をされておられましたが、愛と慈しみに満ちておられ、あなたがた—あなた、、、私はただ倒れこみました。太陽の光の中で私は意識が戻り、ちょうど夜が明けるころでしたが、パジャマのシャツは涙でびしょ濡れになり、それから我にかえって、ヤマヨモギの原を通って家へ戻りました。
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私は、そのことを、友人の牧師に話しました。彼は「ビリー、それはあなたの気を狂わせますよ。」と言いました。「それは悪魔だよ。」と言いました。「決してそんなことに関わりあって馬鹿をみちゃいけないよ。」当時私は、バプテスト教会の牧師でした。
 さて、私は、もう一人の古い友達のところへ行きました。私は腰を下ろすと、その話を彼にしました。「それで、あなたはそのことについてどう思う?」と彼に聞きました。
 「そうだな、ビリー、私はこう思うよ。」と彼は切り出しました。「君がちゃんと生きていこうと思うなら、聖書に書いてあることだけを説教していればいいんだよ。神の御恵ととか、そのようなことをね。私はそこからそれて、そのような空想的なことを追いかけることはしないな。」
 「兄弟、私は、何も空想的なことを追いかけようとしてるんじゃないんだよ。」と私は言いました。「私は、ただ、その正体を知りたいと思っているだけだよ。」
 「ビリー、昔は教会でそういうことがよくあったんだよ。しかし、使徒が亡くなったらそれらの出来事もいっしょに止んでしまった。」と彼は続けました。「今では、そのような出来事があれば、、すべてそのような目撃談は、心霊論者か悪魔だよ。」
  「ああ、ブラザー・マッキンニー、あなたは本気でそんなことを」
 「もちろん、本気だとも。」と彼は言いました。
 「ああ、神様よ、私を憐れみたまえ」と私は言いました。
 「わたしは、わたしは、、、ああ、ブラザー・マッキンニー、いっしょに神に祈ってくださいませんか。私にこのようなことがもう二度と起こりませんように。私は神を愛しています。このようなことで間違いを起こしたくありません。」と私は言いました。「私といっしょに祈ってください。」
 「ブラザー・ビリー、祈りましょう。」私たちはその場で、牧師館の中で祈りました。
 私は数人の牧師たちに聞きました。いつも同じような答えが返ってきました。そのうち聞くのが怖くなりました。人々が私を悪魔と思うかもしれないからです。私は—私はそんなことになっては困ります。私は自分の心の中で何かが起こったことを感じました。ただそれだけのことです。心の中で何かが起こったのです。もう再びそんなようにはなりたくなかったです。決して!
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それから、数年経った後、当時私が属していた第一バプテスト教会で、わたしは、誰かがこう言っているのを耳にしました。「あなた、昨夜のホーリーローラーズは聞いておくべきでしたよ。」
 「ホーリーローラーズ?」私は気になりました。低音歌手である友人のウオルト・ジョンソンでした。
私は「ブラザー・ウオルト、それ、なんですか。」と聞きました。
 「あのペンテコステの連中さ。」
 「なに?」
 「ペンテコステだよ!」と彼は言いました。「見たことないのかい。彼等は床の上をごろごろ転がり、飛び上がったりするんだ。彼等が言うには、ああやって未知の言葉でガヤガヤ言っていないと救われないのだそうだ。」
 「それはどこだ。」と私は聞きました。
 「なに、例の小さなテント張りの集会所さ。ルイビルの向こうの。もちろん黒人の連中だよ。」
 「そうか。」と私は言いました。
 「そこには白人も大勢いるよ。」
 「彼等も同じようにやっているのかい。」と私は聞きました。
 「そうそう、やっている。」
 「変なことをするんだね。なぜそんなまねをするのかな。まあ、そういうことも起こることになっているのだろうなあ。」それは、日曜日の朝のことでした。今でもはっきり覚えています。彼は消化不良のため、乾燥したオレンジピールを食べていました。昨日のことのように思い出されます。「ペチャクチャ、ペチャクチャ、飛んだり跳ねたり。次はどんな宗教が起こるのだろう。」と私は考えていました。
22
それからしばらくして、私は一人の老人にある教会で会いました。多分そのとき、あるいは前から教会に来ていたのかもしれません。ジョン・ライアンという名でした。その人に私はあるところで会いました、、、年とった、髭も髪も長くした、今ここにいらっしゃるかもしれないが、たしか、ベントン・ハーバーにあるハウスオブデイビッドから来たひとだと思いましたが。
 それで、ルイビルに施設がありまして、私はあるグループ、予言者の学校とそのグループは呼ばれていましたが、私はそこへ行ってそこがどんな所か見たいと思ったのでした。それで行きましたが、床の上を転がる人など、一人もいませんでした。しかし、彼等は奇妙な教義を持っていました。そこで私はこの年取った男の人に会ったのです。彼は私を自分の所に来るように誘いました。
 私は休暇でそこへ行きました。ある日、私は彼の家を訪ねました。彼は留守でした。インデアナポリスのどこかへ行ってしまったというのです。「主がお呼びになったのです。」と彼の妻が言いました。
 「あなたは、そう簡単に彼を家から出て行かせたのですか。」と私は言いました。
 「なに、あの人は神のしもべなんですよ。」と彼の妻は言いました。この老婦人は、かわいそうに、数週間前に死んだと言うニュースを聞かされました。彼女は心から彼に尽くしていました。妻を持つなら彼女のような人にすべきです。そうです。正しかろうと、間違っていようと。結局彼は正しかった!と私は思いました、、、とにかく、私は知っていた。彼等は、、、
23
さて、彼、、、ブラザー・ライアン、あなたはここにいますか。彼はここにいません。先日はいたのです。そうでしたよね。皆さん?
 ところで、彼等は、ただ手元にあるものを喰いつないで生きていました。しかし、家の中に食べるものはなにもありませんでした。本当です。それで、私は、ミシガンの池や、湖へ行って魚を釣ってきたのです。しかし魚を釣って持ってきても、家のなかには、それを料理するラードやオイルすらないのです。「あなたの夫は家に何もないままで出て行ったのか。」と私は聞きました。
 「ああ、ブラザー・ビル、でも、あの人は神のしもべなんですから。かれは、、、」
 私は心の中で言いました。「なんとすばらしい心がけだ。私はあなたの味方になるよ。」そうとも。「あなたは、それほど夫のことを思っている。私は喜んで、あなたの味方になって助けて上げよう。」今日、私たちは、もっと彼女のような女性、そのように妻を思う男性を必要としています。そうとも。もし夫婦がこの二人のように結び合えば、アメリカはもっと良くなるでしょう。正しかろうと、間違っていようと一緒に生活します。離婚も少なくなるでしょう。
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そこで私たちは—私たちは話し続けました。それから私は旅を続けました。そして帰路、奇妙な出来事に出会いました。私は、ミショーカという町を通りかかっていました。ふと見ると、道に小さな古い車が停めてあり、それらに大きなサインがかけてあって、それは、「イエスのみ」とありました。「あれは何だ?『イエスのみ』とは何のことだ?きっと宗教的なものには違いないが。」私はそう思って、そこへ行ってみました。そこに自転車が置かれていて、それに「イエスのみ」のサインがありました。そのほか、キャデラック、T型フォード、ありとあらゆるものに「イエスのみ」とあるではありませんか。「いったい何だろう。」と私は思いました。
 そこで私は、そのあたりを探し回って、ついに見つけしました。それは宗教的な集まりでした。1500人から2000人ほどの人がいました。そこで全部の人達が叫び声を上げ、飛び跳ねていました。「ここにいたんだ、ホーリーローラーズという人達は。」と私は思いました。
 あなたたちの知っている通り、私は古いフォードを持っていました。時速30マイルは出すと私が言い張っていた代物なんです。15マイルは前の方へ、15マイルは上下の方にですがね。道の側に場所を見つけてその車を停め、歩いて道を戻っていきました。入っていって覗きました。人がびっしり立っているので、その頭越しにしか見えません。人々は、喚き、飛び跳ね、転げるといった動作を続けていました。「何という人達だ、これは!」と私は思いました。
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しかし、そうして立っているうちに、私はだんだん、気分がよくなりました。「なかなかいいじゃないか。とにかく、この人達は何も間違ったことをしているわけじゃない。彼等は気違いじゃない。」彼らの中の何人かをつかまえて話を聞いてみました。そうしたら、彼等は—彼等は立派な人達だと私は思いました、、、
 まあ、それで、その集会に出席して、夜通しそこにいて、その翌日もまた行きました。そのことは、すでに皆さんに、私の生涯の話をしたときに、お話ししたことがあります。私は、150名から200名のあるいはそれ以上の牧師と一緒に演壇に上がっていました。そこで一人一人立ち上がって出身地を述べることになったので、私は、「福音伝道者ウイリアム・ブレナム、ジェファソンビル。」と言って腰を降ろしました。「バプテスト。」と言って腰を降ろしました。みんながそれぞれ出身地を言いました。
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それで、翌朝私が入っていったとき、、、私は前の晩野宿をして、ズボンをフォードの二つの座席の間に寝敷きをしていて、ね、それで、私—私は、、、古びたシアサッカー(編者著:青・白の縞模様のある亜麻・綿の織物)のズボンとTシャツ、あなたたちの知っているように。それで翌朝集会に行ったとき、Tシャツを着てね。行ったんです。
 私は、懐に3ドルしか持っていませんでした。それで家に帰るガソリンを買わなくてはなりません。それに私—私はロールパンも買ったのです。あなたたちの知っているように、あのような少し古くなったのをね。しかし私は、大丈夫でした。それで、水道栓へ行って、水をコップの一杯汲んできてね。かなり良かったです。それで、パンを水にたっぷり浸して朝食を食べました。
 やがて、私は、彼等と一緒に食事ができたのですが、一日2回の食事でした。しかし私は献金をする金がなかったので、居候になるのは止めようと思いました。
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それで、私—私はある朝そこへ行って言いました、、、ここのところはぜひお話ししなくてはならないのですが。それで、その朝そこへ行くと、そこにいた男の人が言いました。「私たちは、ウイリアム・ブレナムという若い福音伝道師を探しています、昨夜演壇にいた、バプテストの方ですが、、、」男は続けました。「彼に今朝の集まりで福音を述べてもらいたいと思っています。」私は、これはひどい目に会うぞ。こちらはバプテストだし、こんな大勢の人の前で、と思いました。それで、ひたすら椅子の上でちぢこまっていました。私は、シアサッカーのズボンとTシャツといった格好で、それに、みんなは牧師服を着けているのです。それで、、、私は、椅子にこんな格好で小さくなっていました。男の声のアナウンスは、2回か3回繰り返されました。私は、一人の黒人のブラザーの側に座っていました。
 彼等が自分たちの集会を北部で開いたのは、当時南部では差別を受けていたため、南部で彼等の集会を開くことができなったからでした。
 それで、私は、この「イエスのみ」とは何のことのだろうと思ったのです。「イエスと言っている限り、間違いはないだろう。何であろうと、それがイエス様であるかぎり構わないじゃないか。」と私は思いました。
28
それで私は、しばらく座ったまま様子を見ていました。それからまた2、3回アナウンスがありました。すると、私の隣の黒人のブラザーが私を覗いて、「知っている?」と聞きました。私—私—私、、、さあ、大詰めを迫られました。彼にうそをつくわけにはいきません。またうそをつく気もありませんでした。
 「兄弟。はい、私は彼を知っている。」
 「じゃあ、呼んでこいよ。」
 「それが、実はね、それは私なんだよ。だけどね、何しろこの格好なんだ。シアサッカーズボンで。」
 「行きなさいよ。」
 「いや、行けない。こんなシアサッカーズボンじゃ。」
 「ここには、他人の格好を気にする人などいないよ。」
 「いいから、もうなにも言わないでくれ。とにかく、このシアサッカーズボンじゃ出ていく気にはなれないよ。」
 「だれかウイリアム・ブレナムさんを見かけた人はいませんか。」とまたアナウンスがありました。
 「ここにいるよ。ここにいるよ。」と隣の男が言いました。
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これは困った。私は顔が真っ赤になりました。ネクタイ一本しめてないんですからね。何しろこの古いTシャツ姿で、こんな小さな袖のある。私は会場を歩いて前に出ましたが、耳がほてっていました。これまでマイクの近くに立ったことなどなかったのです。
 というわけで、私はそこで説教をする羽目になりました。私は説教の題目を取り上げました。私は決して忘れません。「その金持ちは、地獄のなかで上を見た。そして泣き出した。」というものでした。私が、ふだんやりつけている説教は、三つの簡単な題目のものでした。たとえば、「来りて、一人の人を見よ。」とか、「汝これを信ずべし。」とか、「そして彼は泣いた。」とか言ったものです。そして、私は話し続けました。「そこには、花がありませんでした。それで彼は泣きました。そこには祈りの集会がありませんでした。それで彼は泣きました。そこには子供がいませんでした。それで彼は泣きました。そこには歌声がありませんでした。それで彼は泣きました。」そう言って、私は泣きました。
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私の話が終わったとき、私はまったく驚きました。みんなが、周りから、やってきて、自分たちのところへ来て集りをもってくれと頼むのです。「これじゃ、自分もホーリーローラーの一員ということだわい。」と私は思いました。わかりますか。そこで私は、思ったのです。「たぶん、、。」お分かりでしょう、その人達は立派なひとたちでしたよ。
 私はそこから出ました。そこにカウボーイブーツをはき、大きなカウボーイハットをかぶった男がいました。「あなたはだれですか、」と私は聞きました。
 「私は、テキサスから来た長老だれそれです。」
 私は心中「この格好はまるで、、、」と思いました。
 こんどは、ニッカーボッカーのズボン─そう昔ゴルフのときに、ジャージーのセーターなどとの取り合わせではいていた─の男が近づいてきて言いました。「私はフロリダから来た、だれそれ牧師です。今度私たちのところへ来て、、、」
 「ここでは何の気がねもいらないんだ。こんなシアサッカーやTシャツを着ても。良いんだ。」と私は思いました。
31
この辺の話は、すでに皆さん知っていらっしゃると思いますので、これだけにして、今日は一つ、今まで申し上げたことのないお話をしたいと思います。その前に一つお願いがあります、、、私は、じつは、今日その話をしようとは思っていなかったのですが、私はこのことは、今までだれにもお話ししたことはありません。皆さん、お約束していただけますか。この話をお聞きになったあとも、話を聞かれる前と同様に、私を愛して下さる、愛するように努められると。手を上げてください。よろしい。ではお約束ですよ。責任をもってくださいね。
 その晩集会に出席すると、みんなが手をたたきながら歌っていました。彼等は、「私は、、、」あの歌「私は知っている。それは主の血。私は知っている、それは主の血。」という歌を歌っていました。そしてみんな、通路を走って行ったり来たり、様々な仕草をしながら、喚いたり、主を誉めたたえたりしていました。「これは何と素晴しい響だ。」と私は思いました。
32
彼等は、絶えず使徒行伝を口にしました。使徒行伝2章4節、2章38節、10章49節が絶えず引き合いに出されました。「これは聖書じゃないか!こんなことには、これまで一度も出会ったたことがなかった。」と私は思いました。私は心が燃え立つようでした。「すばらしい!」最初私は、彼等のことをホーリーローラーの一味というふうに考えていました。今や、彼等は「天使」の一味となりました。という具合に、私は、たちまち心変わりがしたのです。
 それで、主の恵でこのような素晴しい集会を持てた翌日の朝、私は、「よし、この連中と一緒にやっていこう!これは昔『叫ぶメソジスト』と呼ばれていたのと同じものに違いない。今は少し極端化しているだけで。」と思いました。「おそらくそうなんでしょう。」それでこう思ったのです。「とにかく、私は彼等が気に入った。どこか心がひかれるところがある。控え目で、人がよくて。」
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ここで、一つだけ私に理解できなかったのは、彼等が異言で話していることです。これには困りました。それで私、、、例えば、人がここに一人、その隣に一人座っています。彼等はリーダーです。その一人が立ち上がって異言で話し始めます。すると、もう一人がそれを訳して、会合についてのことなどといった内容を知らせるという具合です。「私はそのことを理解できなくちゃ!」と私は思いました。また逆に。こちらの人が始めたのが、今度はあちらの人に戻って渡されます。そしてお互いに相手の異言を訳するのです。教会の、他の人達も異言を話すのですが、この二人の場合のように訳が行われているようには見えません。この二人は、互いに寄り添って座っていました。「彼等は、きっと天使に違いない!」と私は思いました。それで、そこに座っている間に、、、
 何か全く訳の分からないことが私に起こるとき、神が私の心に浮かびます。そんなとき、私は—もし主が私にそれを分からせようと思し召すなら—それを知る方法があるのです。そうです。しかし、私は決して、、、今まで一度もそのことを公の場所で話したことがないのはこういうわけです。もし私が何か本当に知りたいと思うことがあったら、たいてい主がそのことについて教えて下さるのです。これが、主が私に下さった賜なのです。分かりますか。ですから、それを平気で公衆の前に投げ出すわけにはいきません。そんなことをすれば、まるで豚に真珠をやるようなものです。これは畏れ多い神聖なものです。そういうことは慎まなければなりません。神は、私に責任をとらせます。兄弟たちと話すときなど、私は兄弟のあら捜しをするようなまねはしないことのように。
34
ある日、ある男の人と同じテーブルに座っていると、彼は私に腕を回して言いました。「ブラザー・ブレナム、私はあなたを愛しています。」私はさっきから何かが動いている感じがしていました。私は彼を見ました。彼にそんなことが言えるはずはありません。彼にそのつもりがないことは明白でした。なぜなら、彼は完璧な偽善者—もしそんな人が存在するなら—だからです。それが、私の体に腕を回しているのです。
 「そうですか。結構です。」と言って私は立ち去りました。私はそのことで、あれこれ詮索したくありません。私にとって、彼は、これまで通りの、兄弟として知っていたときのままの彼でよいのです。あとは神にお任せするだけです。分かりますか。私は、そんなことなど、、、知らないし、知りたいとも思いません。
 それから、こんなことがよく起こります。教会では起こりませんが。私が自分の部屋とかレストランで座っていますと、聖霊が私にこれから何が起こるか告げるのです。ここにおられる皆さんはこれが真実であることを知っていらっしゃると思います。私が家にいるとき、周りの人に言います。「気をつけていてね、やがてここに車が来ます。その人はこうこういう人です。私のところに案内してください。主が私に彼が来ることをお告げになりましたから。」また、「道を歩いているとき、何か事故が起こりそうだ。向こうの横断歩道では注意しなさい。あなたは危うく車にひかれそうになる。」それは、「ただ、、、?、、、私だけにそういうことが分かるのです。そうです。いつでもまさに完璧にです。ですから、あまりそのことに深入りしてはなりません。なぜなら、人は、それを、、、それは、、、利用することができるからです。それは神の賜です。それで何をするか気をつけなければなりません。神があなたに責任を負わせているからです。
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モーゼを見てみましょう。モーゼは神が遣わした人です。(それを信じますか)神に予定され、神に運命づけられて、預言者となった人です。神が彼を遣わされるとき言われました。「行って岩に話しかけなさい。」モーゼが岩を強く打ち当てると、神は言われました。「岩に話しかけなさい。すると水が出てくるであろう。」
 しかし、モーゼは怒って、出ていって、岩を打ちつけました。水は出ません。彼は再び岩を強打しました。「おまえら、裏切り者め!おまえらのためにこの岩から水を出す必要があろうか?」
 そこで、神はどうなされたでしょうか。水は出ました。しかし神はモーゼに言われました。「モーゼよ、ここに上がってきなさい。」これが最後でした。いいですか。自分の行為、神から授けられた賜物を使うに当たっては慎重でなければならないのです。
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牧師の場合も全く同様です。立派な、強力な牧師は出ていって、説教を行い、寄付や献金を集めますが、神は彼に責任を負わせます。
 そうです。天賦の才能を使うに当たっては気をつけなければなりません。自分の教会や自分自身のために威信や名声を求めたりしてはなりません。私は、むしろ二晩あるいは三晩、集会を開いて、地道な仕事をして、いばらず、腰を低くしていたいと思います。皆さんは私の申し上げていることがお分かりでしょう。そうですとも。皆さんは、神の御手が届くところにおられるよう心がけてください。このことは中にある神の命です。覚えてください。
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さて、それで、その日のことですが、私は考えました。「よし、一つ歩き回って見よう。」私は、まあ、その人たちに本当にびっくりさせられました。「どんな人達か確かめて見よう。」そう思って、礼拝のあと庭に出て、探し回りました。するとあの二人のうちの一人が見つかりました。「初めまして。」と私は丁重に挨拶しました。
 「初めまして。今朝説教をした若い牧師はあなたかね。」と彼は聞きました。
 私は「はい、そうです。」と礼儀正しく答えました。当時私は23歳でした。
 「何という名だね。」
 「ブレナムです。あなたさまは?」
 彼は自分の名前を言いました。私は、「さて、ここで、うまく彼の霊と接触できたらなあ。」と思いました。私は、心中、別にこれといっためどもなしに会話を続けました。「あなたたちは、私にはない何かを持っていらっしゃる。」
 「あなたは入信して以来聖霊を授ったことがあるかね?」と彼は聞きました。
 「でも、私はバプテストですが。」
 「入信して以来聖霊を受けたことがあるかね?」
 「どうも、ブラザー、おっしゃることの意味がよく分かりませんが。」「私、、、あなたがたは皆、何か私にはないものをが持っている。それは分かります。何か強力なものをあなたがたは持っていらっしゃるように見えるから、、、」
 「異言で話したことがあるかね。」
 「いいえ、ありません。」
 「それじゃ言おう。あなたは、聖霊を受けていないよ。」
 「でも、もし私、、、もし聖霊を得るためにはそれが必要と言われても、私にはそんな経験がないのです。」
 「もし異言で話したことがなければ、まだ聖霊を受けていないよ。」
38
こんな会話を続けているうち私は尋ねました。「では、それはどこで授ることができるのですか。」
 「あそこの部屋へ行って、聖霊を求めなさい。」
 そこで、私は、注意して見ていました。彼は私が何をしているのか知らないようでしたが、変に思っていたに違いありません。と言うのは、私を見るときの彼の目が少しどんよりしてきたからです。そして彼は、、、でも彼は本当のクリスチャンでした。見るからに、100パーセント完璧なクリスチャンでした。本当に。「神様をほめたたえます、さあ、あの祈念所をどこかで見つけなくちゃ。」と私は考えました。
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「もう一人の人を見つけよう。」と考えて、私はいたるところを探し回りました。やっと彼を見つけて、私は丁重に話しかけました。「始めまして、」
 「あなたの教会はどこかね?バプテストだということだが。」
 「そうです。」
 「あなたはまだ聖霊を受けていないようだね。どうだね?」
 「さあ、分かりません。」
 「異言で話したことがないんだね。」
 「はい、ありません。」
 「あなたは聖霊を受けていないよ。」
 「それは分かっています。あなたがたにはあって、私にはないことは知っています。しかし、ブラザー、私もそれがほしいのです。本当に。」
 「よし、プールはすでに準備されているんだよ。」
 「私は洗礼を受けています。しかし、私にはまだ、あなたがたが授かっているもので、私に授かっていないものがあります。あなたがたは、 私が本当にほしがっている何かをお持ちなのです。」
 「それはけっこうなことだ。」と彼は答えました。
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私は、何とかして彼をつかまえてやろうと考えました。もし私が、、、やっと彼(と言うのは、もう一人の男の人のことですが)の霊と接触しました。この人は、もし私がこれまで会った最低の偽善者は誰かといえば、まちがいなくそのうちの一人に数えられる人なのです。彼の生活、、、彼の妻は黒い髪の毛の人でしたが、彼は金髪の女と同棲して彼女に二人の子供を生ませていました。酒を飲み、人を罵り、酒屋に入り浸たり、あらゆる悪行をつくしていました。にもかかわらず、彼はいくつもの異言を話し、預言を行っていたのです。
 それで私は、「主よ、お許しください。」と言って、家に帰りました。そうです。「私はただ、、、私には理解できません。神聖なるべき聖霊があの偽善者に宿るなどということは。ありえないことです、絶対ありえないことです。」
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あのとき私は長い間、研究し、涙を流し、何とかこの難題を克服し、いったいそれが何を意味するのか理解しようと努めました。ここに二人いて、一人は、純粋のクリスチャン、いま一人は、根っからの偽善者。「これはどう解釈すべきだろうか。」と私は考えました。「神よ、おそらくは、おそらくは、どこか私の考えに間違いがあるに違いありません。」根本的キリスト教信者である私は、「これはきっと聖書にあることに違いない。きっとある。」と考えました。
 私にとって、すべてこの世で通用する事柄は聖書に由来し、そうでないものは間違ったことなのです。すべてのものごとの出所はここなのです。すべては聖書によって証明されなければなりません。それも、ただ一か所だけではなく、聖書のすべての箇所にかなったものでなくてはならないのです。私は絶対にそう信じています。聖書のすべての章句とぴったり合致するのでなければ、私は信じません。パウロは「もし天から遣わされた天使で、何か他の福音を説くものがあるなら、その天使は呪われよ。」と言いました。それで、私は聖書を信じます。
 しかし、私は「このようなことは聖書のどこを探しても見つかるまい。」と思いました。
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二年後、私は妻を失い、すべてのものを失ったあと、私にとってなじみの深いグリーンズミルという場所に行ってお祈りをしていました。私がそこにある私の小さな洞穴に来て二、三日して、いや二日後、少し外の空気を吸おうと洞穴を出ました。外へ出たとき、私の聖書が外の丸太の端のほうに置かれていました。すぐ出口の横に。この丸太というのは、風で倒れた古い木で、幹が二股になったところがありました。で、私は、、、木は地面に倒れて、股はこのように持ち上がっていました。夜になると、私は、丸太にまたがって仰向けに体を倒して、空を見上げ、手をこのように置いて、時には、お祈りをすると、そのまま寝入ってしまうこともありました。そこに数日間いて、食事を絶ち、水を絶って、祈りに明け暮れる生活をしました。それで、私は、外の新鮮な空気を吸いに洞穴を出たのです。洞穴の中は、冷たく、湿っていました。
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それで、出てくると、そこに私が前の日に置いたままにしていた聖書がありました。開かれていたページは、ヘブル人への手紙の第六章でした。私はそのページを読み始めました。「わたしたちは、、、をあとにして、完成を目指して進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔い改めと神への信仰、、、」云々とあり、「いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、、、となった者たちが、、、ことは不可能である。」云々。「しかし、拒絶さるべきいばらやあざみは、ついには、、、水、、、土地が、その上にたびたび降る雨を吸い込んで、拒絶さるべきいばらやあざみを生えさせるなら、ついには焼かれてしまう。」
 そのとき、「ヒューッ」という音がしました。
 私は、「さあ来たぞ、ついにいま、私はお知らせを聞くのだ。それが何であろうと、、、神は私を目覚めさせ、私にいま幻を与えようとなされているのだ。」それで、私は、あの丸太の端で待っていました。私は立ち上がって、丸太に沿って、行ったり来たり、丸太から遠ざかったり、戻ってきたりしました。何事も起こりません。洞穴に戻ってみました。何事も起こりません。「さて、これはどういうことだろう。」と私は思いました。
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私は聖書のあるところに戻りました。すると、なんと、また同じことが初めから繰り返されたのです。私は聖書を取り上げて、「主は私に何を読み取れと言われるのだろう。」私は読んでいきました。「神への悔い改め、信仰」云々。さらに読み進んで、「土地が、その上にたびたび降る雨を吸い込んで、その目的に役立つ作物を育てるなら、、、しかし、拒絶さるべきいばらやあざみを生えさせるなら、ついには焼かれてしまう。」というところまで来ました。すると、ここのところで、何となしに、私の心はゆさぶられるのです。
 「主よ、ここで私に幻覚を与えて下さるのですか。」私は、そこで神に何か他のことを尋ねようとしました。
 すると、突然私の眼前に、起伏した土地の世界が現われました。その土地は、見渡す限りきれいに耕されていました。そこに、一人の白い服の男が向こうの方へ向かって、頭を上げてこのように種を蒔きながら歩いていきました。そして、こんどは、丘の向こうからこちらに向かって、行ったときと同じように、歩いてきます。すると、その後ろから、黒い服を着た男が、頭を垂れて、種を蒔きながら歩いてきました。やがて、芽を出した良い種は麦でした。悪い種は雑草でした。
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それから、この地球に大干ばつが訪れました。麦は穂先を垂れ、水不足でいまにも枯れそうになりました。降雨を願って、すべての人々が手を上げて神に祈っている光景が見えました。それから、雑草が、水不足で頭を垂れて、おじぎをしている様子が見られました。ちょうどそのとき、大きな雲がやってきて、激しい雨が降りました。すると雨の中で、地面に倒れていた麦がすっくと立ち上がりました。また、すぐ横にいた雑草もすっくと起き上がりました。
 「おや、これはどういうことだ」と私は思いました。
 そのとき私にひらめいたものがあります。これだ。雨は麦を育てる。しかし同じ雨が雑草も育てるのです。同じ聖霊がさまざまの人達の上に降りることができるのです。偽善者にも、ほかの人達と同じように神の恵は訪れるのです。イエスは言われました。「ものの善し悪しは、その果実によって決められる。」人が叫ぼうと、有頂天になろうと関係ありません。その人の価値は、彼がどういう果実であるかによって決まるのです。
 「そういうことだったのですね!主よ、分かりました。」と私は申しました。「これこそ真実に違いありません。」この男、、、人は、神を知らずとも、主の賜物を授かることができるのです。
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それなら、私は、、、私は、異言を話すということに少し批判的になりすぎたような気がします。わかりますか?しかし、ある日、神がそのことを私にまざまざと正当化してくださったのです!
 私はオハイオ川で私の最初の改宗者の人たちに洗礼を施していました。17人目の人に洗礼を施し始めたとき私は祈りました。「父よ、私はこの者を水で洗礼いたします。主はこの者を聖霊で洗礼してください。」私は、彼を水に浸そうとしました。
 すると、ちょうどそのとき、頭上の天に一つの渦が現われ、そこからきらきらと光が差してきました。それは、6月の日の午後ちょうど2時のことで、土手には、何百人もの人々がいました。その光は、ちょうど私の頭上に来て停止しました。そこから話しかけてくる声が聞こえてきました。「洗礼者ヨハネがキリストの第一の来臨の先駆者であったように、あなたは、キリストの第二の来臨を予告する神託を持っている。」私は、それを聞いて死ぬほどびっくりしました。
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私が戻って行くと、そこの土手に様々な人たち—鋳物工場の職人とか、そういった人たち、、薬剤師とか、そういった人たちがいました。私は、その日の午後、200人から300人ほどの人に洗礼を施しました。人々が来て私を水から引き上げてくれたとき、教会の役員などがやってきて、「あの光は何を意味するのか。」と尋ねました。 そこに大勢の黒人の人たち—近くのギリアドエイジ・バプテスト教会とローンスター教会から来た人たちでしたが—その人たちがその出来事を見て、高い叫び声を上げたり、なかには失神する人たちもいました。
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ボートの中に水着を着た若い女性が座っていました。教会の日曜学校の先生でした。「マーギー、出ておいでよ。」私は彼女に声をかけました。
 「ビリー、私、出る必要なんてないわ。」
 「そう。その必要はないよ。でも、福音書に敬意を払って、私が洗礼を施している場所から出てくるべきだと思うよ。」
 「そんな必要ないわ。」
 彼女は、そこに腰掛けたまま、洗礼を施している私を小ばかにしたように笑っていました。彼女は洗礼は必要のないことだと思っていたのです。そして、主の使いの天使が下ってきたとき、彼女は、ボートの中で前に倒れてしまいました。今彼女は精神病院にいます。このことは、誰も、神をかるがるしく考えてはいけないということです。そうですね?さて、その後のことになりますが、一人の美しい女性が、酒場に飲みにいったんですね。そこで顔にビールびんをぶっつけられて、顔をズタズタに切られました。そして何ともひどい容貌になってしまいました。そういうことが実際に起こったのです。
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それで、私は、ずうっと、これまでの生涯を通じて、幻、オハイオ川の光、聖霊の動きを体験してきました。そういうことが起こるときの様子を見て来ました。そのうち、私は、そういう出来事に悩み続けました。人々は、それは間違ったことだと言いました。私は、いつも何かの時に、こもってお祈りをする場所がありましたので、そこへ行きました。そこで私は、、、どんなに私が、一生懸命それが起こらないように祈っても、それは起こるのです。それだから、私は、もう、、、私は—私はインディアナ州の猟区管理官でした。私が入っていきますと、そこに一人の男が腰掛けていました。彼は、私の教会のピアニストの弟でした。「ビリー、今日の午後僕といっしょにマジソンまで車で行ってくれないかな。」
 「それはできないな。私は森林へ行かなくちゃならないんだ。」
 そう言って、私は、、、家のほうへ廻っていきながら、ベルト、ガンベルトなどをはずし、腕まくりをしました。私たちは、小さな二部屋の家に住んでいました。食事の前に手を洗おうと思っていたのです。手を洗って、家の横の大きな楓の木の下を歩いてくると、突然「ヒューッ」と何かが通り過ぎました。私は危うく気絶するところでした。私は、あたりを見回しました。また例の事が始まったなと私は思いました。
 私は入り口の階段に腰を降ろしました。彼は車の中から飛びだしてきました。「ビリー、大丈夫か。気分が悪いのかい?」
 「大丈夫でだよ。」
 「どこか悪いのか、ビリー?」
 「分からない。でも、いいから先に行っていて。ぼくは大丈夫さ。ありがとうよ。」
 妻が、ピッチャーに水を入れて持ってきました。「ハニー、どうかしたの?」
 「どうもしないよ。ハニー。」
 「じゃ、入りましょうよ。食事の支度ができているわ。」彼女は私に腕を回して、中に入れようとしました。
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「ハニー、ちょっと話したいことがあるんだ。事務所に電話して、今日の午後は休むと断わってくれないか。」それから私は妻に言いました。「ミーダ、聞いておくれ。私は、心からイエスキリストを愛している。私は死から生へと転換した。しかし私は悪魔と関わりあうのはまっぴらだ。私はこれ以上今の状態に耐えることはできない。私は囚人だ。いつも、こんな出来事や、幻や、あれやこれや、わけの分からないことが起こり続けている」。実際にそういうことが起こるのです。(私には、それが幻覚かどうか分かりません。私はそれを幻とは見ていませんでした。)「また、あの神がかりのような状態。私にはわけが分からない。それで、ハニー、私、私、私、私は、そんなことを放置し続けているわけにはいかない。人はそれを悪魔の仕業と言っている。私はイエスキリストを愛しているのに。」
 「ビリー、他人の言うことなど耳を貸すことなくってよ。」
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「でも、ハニー、ほかの牧師たちを見てごらんよ。」と私は言いました。「私、私はもういやだ。私はこれから、いつもの森の祈祷所へ行く。ここに15ドルほどある。君はビリー坊やの世話をしていておくれ。」ビリーは、当時まだ小さい、小さい子供でした。「君、君に万事任せたい、、、これだけあれば、しばらく二人が暮らすのに十分だろう。私の事務所の連中に電話して、私は、、、私は、たぶん明日戻るつもりだ、しかし、もう決して戻れないかもしれない。もし五日経っても戻らなかったら、だれか他の人を私の替りに入れるようにと言っておくれ。」と私は、妻に頼みました。「ミーダ、私は、神がこんな出来事を私から取り除いて、もう再び起こさせないとお約束するまで、森から出ないつもりだ。」とも言いました。私は、何とあさはかな人間だったのでしょう!
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私は、その晩家を出て、例の森の中の小さな小屋に入りました。翌日のことです。夜もかなり更けていました。私は、次の日、さらに山の、まあ森なんですが、その奥へ分け入って、私がよくキャンプ場にしている場所へ移るつもりでした。その場所は、たとえFBIといえども見つけられないでしょう。それで、この小屋で、、、その日の午後ずっと、暗くなるまでお祈りをして過ごしました。お祈りをしては聖書を読んでいましたが、そこに「預言者の霊は、預言者に従う。」と書かれていました。私はその意味が理解できませんでした。小屋の中は、もうすっかり暗くなっていました。
 ここは、私が子供のころ、猟のために、あちらこちら罠を仕掛けたりしたところで、ときには釣りに来て、夜を過ごしたこともありました。ごく小さな、あれ果てた小屋が立っていました。それは、昔からそこにありました。今のような状態になる前は、人が住んでいたこともあったかもしれません。
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それで、私—私はそこでただ待っていました。「さて。」と私は、待ちました。1時、2時、3時と夜が更けていきました。私は部屋の中を行ったり、来たり、同じところを行ったり、来たりしました。私は、そこにあった椅子、椅子ではなく、何かの箱に腰掛けて、考えていました。「神よ、なぜ私をこのような目に合わせるのですか。」「父よ、私があなたを愛していることはご存じです。あなたを愛していることはご存じです。私—私—私は悪魔に乗り移られたくありません。これまでのようなことが私に起こってほしくありません。神よ、もうこれ以上、このようなことが決して起こらないようにしてください。」
 「私—私は、あなたを愛しています。私は、地獄へ行きたくありません。もし私が正しくなければ、私が説教をし、努力をすることに、何の意味があるのでしょう。それは、私自身を地獄に導くだけではなく、何千人という他の人々をも惑わすことになるのです。」その当時は、何百人といったところだったのでしょうが。私は言いました、、、私は大勢の信者に奉仕していました。「私は、もうこれ以上このようなことが起こることを望みません。」
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私は、例の腰掛けに腰を降ろして、じーっとしていました。まあ、こんな格好で、こういうふうに。すると突然、部屋のなかで光が揺らいだのです。誰かが懐中電灯を照らしながら入ってきたのかと私は思いました。私は辺りを見回しました。「はて、、、」すると、私の眼前に現われたものがあります。板敷きの床の上に、私の眼前に、現われたものがあります。部屋の隅には、ドラム缶でできたストーブがあり、上のほうが切り取られていました。そして、ちょうどそこに、床の上に明りがありました。「はて、なぜこんなところに?まさか、また例のものが起こるのでは、、、」
  私は、あたりを見ました。私の頭の上に、まったく同様な明りが、ちょうど私の上に、このように宙に浮いていました。火のようにくるくる円をつくって回っていました。エメラルド色の火は、頭上で「ヒューッ、ヒューッ、ヒューッ」と音を立てました。私はそれを見ながら「これは何だろう。」といぶかりました。私は、恐ろしくなりました。
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誰かがやってくる足音がしました。[ 編注—ここでブラザー・ブレナムは人が歩く仕草をした。]それは裸足の人のものでした。やがて入ってくる人の足が見えました。部屋の中は暗く、ただ例の光が足元を照らしているだけでした。入ってくる男の足が見えました。つかつかと入っていたその人は、体重が90キロほどの人でした。彼は、手をこのように組んでいました。私は、これまでその形をつむじ風の中で見たことがありますし、私に話しかけるその声を聞いたことも、また、その形を光として見たこともあります。しかし、その姿を見たのは初めてのことでした。それは私のすぐ近くまでやってきました。  
   誠実なる皆さん、私—私は心臓が止まるかと思いました。私、、、考えても見て下さい。皆さんがもしそこにいらっしゃったら、どんなだったでしょうか。私と同じ思いをしたと思います。ひょっとしたら皆さんは、私より先輩かもしれません。私より長いクリスチャン歴をもっていらっしゃるかもしれません。しかし、同じ気持ちを味わったに違いありません。なぜなら、これまで、私は、何百回となく神の訪れを受けた経験がありますが、それでも、主が身近に来られるとき、私の体は、麻痺してしまいます。ときには、そのために、私は、、、ほとんど失神状態になり、演壇を降りるときにはすべての力が抜けきったような状態になることがしばしばあります。もしそれが長いこと続けば、私は、完全に人事不省に陥ってしまいます。長時間車に乗って回って、自分がどこにいるのか分からないことがあります。私はそれが何なのか説明できません。手もとの聖書を読めば説明が得られます。それが何なのか分かります。聖書にそうあるのです!
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それで、私は、座って、彼を見ていました。私—私は、手をこのように上げていました。彼はまっすぐ私の方を見ていました。実によい感じでした。その声は非常に低く、こう言われました。「恐れるな。私は、万能の神の御前から遣わされたものだ。」その話しかける声、その声はまさしく私が2歳だったとき以来ずっと話しかけられる声です。私はそれが彼の声であることを知っていました。私は、「今だ、、、」と思いました。
 では、聞いて下さい。そこで行われた問答をお聞きください。思い出せる限りお伝えします。記憶の中から一語一語、と言うのは、私は、ほとんど覚えていませんので。
 彼は、、、私は言いました、、、私は彼をこのように見ておりました。「恐れるな。」と彼は静かに言いました。「私は、万能の神の御前から遣わされたものだ。あなたの出生が特殊なものであるということを告げるためだ。」私の出生については、皆さんご存知のように、私が生まれたときあの同じ光が私の頭上にかかっていたのです。「あなたの特殊な出生と誤解に包まれたあなたの生涯は、あなたがこれから世界のすべての土地を訪れ、病気の人々のために祈るようになることを示すものだ。」「富める人のためにも、貧しい人のためにも。」そして、(何事も私の審判者である神のみが御存知のことです。)彼は「癌」を指定しました。「いかなることも、、、もし人々があなたを信じるなら、そして誠実に祈るなら、あなたの祈りを妨げるものはなにもない。たとえ癌といえども。」いいですか。「もし人々があなたを信じるなら。」と言われたのです。
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私に分かったことは、彼は、私の—私の敵ではないということでした。彼は私の味方でした。私は、彼が私にこのように現われたとき、自分が死ぬことになるのか、それとも何かが起きるか分かりませんでした。私は、言いました。「恐れ入りますが、私にどれだけいやしや、そういったことについて知識があるというのでしょう。私は貧しい人間です。私はここに住む人々の一人です。私はこれらの貧しい人々とともに暮らしています。私は教育を受けていません。私—私—私には、そんなことは、彼等は決して—私を理解しないでしょう。彼等は—彼等は決して—決して私の言うことを聞かないでしょう。」
 彼は言いました。「預言者モーゼに、彼の職務を正当かするために、二つの賜物、むしろ、しるしが与えられたように、あなたにも、あなたの職務を正当かする二つの賜物が与えられる。その一つは、あなたがある人のためにお祈りをしているとき、左手を出してその人の右手を取りなさい。そしてそのまま静かに立っていなさい。するとやがてある身体的な結果があなたの体に現われます。そのときお祈りをしなさい。それでその状態が止めば、その人の病気は直ったのです。もし止まなければ、ただ祝福をお願いして、その場から立ち去りなさい。」
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「でも、人々は私を受け入れないかもしれません。」と私は言いました。
 「それなら、第二のものがある。先の賜物に耳をかさなかった人々も、これに耳をかすであろう。それは、あなたに、人の心の中の秘密そのものを知ることが出来るようになるということである。これで人々はあなたに従うようになるだろう。」
 「実は、私が今晩ここに参ったのは、まさにこのことに関わりがあるのです。私の接する聖職者たちは、私に起こるこのような出来事は、間違ったことだと言うのです。」
 「あなたは、この目的を果たすためにこの世に生まれてきたのです。」と彼は言いました。(確かに、「神の賜物と召しとは悔い改めなく授かるもの」なのです。)[KJV,Roman11:29の訳]「あなたは、その目的を果たすためにこの世に生まれてきたのです。」と彼は言いました。
 私は言いました。「でも、私のところの聖職者たちは、それは—悪魔の霊だと言っております。彼等は、、、それだから私は、ここに来てお祈りをしているのです。」
 彼は次のような例えで答えました。彼は私を主イエスの第一の来臨に結び付けました。それで私は言いました、、、
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皆さん、不思議なことに、、、えっとですね、ここでちょっと立ち止まって、話をあとに戻しましょう。私がいちばん怖い思いをしたのは、占い師たちが私を見る度に、何かが起こったといい当てることでした。それは、まさに、、、それで私は、死ぬような思いをしました。 例えば、ある日、私は、二人のいとこといっしょに、カーニバルの祭に行ったことがありました。三人は、普通の少年たちと同じように、どんどん歩いていきました。すると会場のテントの一つに一人の占師が陣取っていました。若い、美しい女性でした。彼女が座っている前を私たちは、ぞろぞろと歩いていきました。「ちょっと、あなた。こっちに来てごらん。」三人の少年は振り向きました。「あなた、しまのセーターを着た子。」(それは私でした。)
 「はい。」と私は答えました。私にコーラか何かを買ってきてくれるように頼みたいのだろうと私は思いました。彼女—若い、20代前半の女性は、そこに座っていました。私は近寄って「はい、何でしょうか。」と問いました。
 彼女は言いました。「あんた、知っているの?あんたに—後光が射しているわよ。あんたは特別なしるしの下で生まれたのね。」
 「それはどういうことですか。」
 「つまり、あんたは特別なしるしの下で生まれたのよ。あんたに後光が射している。あんたは神のお召しで生まれたんだわ。」
 「どっかに行け、この女。」
 私はその場を離れました。母が、つねづね、あれは悪魔の仕業だと言っていたからです。母が言っていたとおりだ。私は恐ろしくなりました。
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これは、私が狩猟監督官をしていたころのことですが、ある日、バスを利用したことがありました。バスに乗ると、いつでも霊が私につきまとっているように思われました。私は、立っていましたが、私の後ろに水兵が立っていました。そのとき私は巡回に出ることになっていて、目的地ヘンリービル森林行きのバスに乗っていました。私はさきほどからある不思議な感じに襲われていました。私は、あたりを見回しました。バスの中に、巨大な体格の女性が座っていました。きれいな身なりをしていました。「こんにちは。」と彼女が言いました。
「こんにちは。」と私は挨拶を返しました。
 私は、その人を、単におしゃべり好きな女性と思ったにすぎませんでした。それで私は、敬遠して、、、その人が言いました。「あなたにちょっとお話ししたいことがあるんだけど。」
 「はい、何でしょうか。」と私は振り返りました。
 「あなたは、あるしるしの下で生まれたのです。そのことを知っていますか。」
 私は、「また、おかしな女性が一人現われた。」と思い、よそを見ていました。一言も言わず。ただ、ずっと、、、
 「ちょっとお話ししていただけません?」と彼女は言いました。私はただ、、、「そんな態度は止めてください。」と彼女は言いました。
61
私は、前方を見つめたまま、内心「これは紳士らしからぬふるまいだ。」と考えていました。
 「ちょっとお話ししてもいいですか。」と彼女が言いました。
 私は、前の方を見たまま、彼女に注意を向けまいと思っていましたが、「彼女が他の人達と同じことを言うかどうか試してみよう。」私は振り向きました。「これは!」私は思わず震えました。またそのことを考えるのがいやでたまらなかったからです。私は、振り向きました。
 「まあ、自分のことを先に説明すべきだったわね。私は占星術師よ。」と彼女は言いました。
 「たぶん、そんなことだろうと思っていました。」と私は答えました。
 「私はシカゴへ行く途中です。そこでバプテストの牧師をしている息子に会うためです。」
 「そうですか。」
 「あなたは、あるしるしの下に生まれたと誰かに言われたことがありますか。」
 「いいえ、ありません。」と私はうそをつきました。そして言いました、、、彼女が何を言うか試してみようと思ったのです。彼女は、、、私は、だから「いいえ、ありません。」と言ったのです。
 「牧師さんは、誰もあなたにそう言わない、、、言わなかったのですか。」
 「私は、牧師さんたちとは何の関係もありません。」
 「なるほど。」と彼女はうなずきました。
 私は言いました、、、彼女—彼女は、私に言いました、、、私は、「それで、、、」と言いました。
 「もし私があなたの生年月日をぴたり当てることができたら、あなたは私を信じますか。」
 「いいえ、信じません。」
 「じゃ、あなたの生年月日を言いますよ。」
 「そんなこと出来るはずないでしょう。」
 「あなたは、1909年4月6日午前5時に出生しました。」
 「そのとおりです。しかし、どうしてそれが分かったのですか。この水兵さんの生年月日を言ってみてください。」
 「それは出来ません。」
 「なぜ?じゃ、どうして分かるのですか。」
62
「じゃ、ちょっと、聞いてください。」彼女は、天文学のことを語り始めました。「何年かに一度、、、あの明けの明星のことを知っているでしょう。賢者たちをイエスキリストへ導いた星です。」
 私は知らぬふりをしようと思いました。「私は、宗教のことなど何も知りません。」
 「あなたは、イエスを訪れた賢人たちのことを知っているでしょう。」
 「はい。」
 「では、賢人とは何ですか。」
 「さあ、それは賢い人たちのことです。私が知っているのはそれだけです。」
 「賢人とは何かといえば。それは私と同じような占星術者なのです。人々に『星の観察者』と呼ばれています。神がこの地上で何かをなさるときには、必ずそのことを天上で宣言なさるのです。それから地上でなさいます。」
 「知りませんでした。」と私は答えました。
63
「そうね、、、」と彼女は言ってから、二三の星の名を言いました。火星とか、木星とか金星とかのような。それらの星ではなかったのですが。そして続けました。「これらの星はたがいに出会い、一緒になって、、、そのとき3人の賢者たちが主イエスに会いにきました。3人の賢者たちの一人は、ハムの子孫、一人はセムの子孫、あと一人は、ヤペテの子孫でした。彼等がベツレハムで出会ったとき、3人を導いてきた三つの星、、、地球上のすべての人々は、すべて星に関係があるのです。あの水兵さんに聞いてごらんなさい。月が沈んでも潮はいっしょに引かずに満ちてくる。」
 「そんなことは、聞かなくても分かっています。」
 「あなたの誕生も天の星に関係があるのですよ。」
 「それは、私は知りません。」
64
「さて、3人の賢者たちがやってきて、」と彼女は続けました。「そして3つの星が、彼らが、、、彼らはそれぞれ別々の場所から来て、ベツレヘムでいっしょになったのでした。彼らは会って話し合ったとき、自分たちがノアの息子、ハム、セム、ヤペテの子孫であることを知りました。3人は行って主イエス・キリストを拝しました。そして、主の前に贈物を捧げて立ち去りました。
 彼女は言いました。「イエス・キリストは、聖職にあられたとき、この福音が世界中の人々(ハム、セム、ヤペテの子孫)に説かれたとき、再び訪れるであろうと言われました。さて、あの星たち、聖なる星たちは、運行しているうちに、、、別れ別れになってしまい、あれ以来ついに一度も地球に姿を見せたことがありません。しかし、数百年ごとに、このように周期が合ってお互いに巡り会うのです。」(もしその場に天文学者でも居合わせたら、彼女の言っていることの意味が分かったかも知れませんが、私には分かりませんでした)彼女は話を続け、、、「3つの星は、神がみ子を人類に授けたこの上ない贈物を記念して、このように出会ったのでしたが、この機会に、神はもう一つの贈物を地球に授けられたのです。あなたは、まさにこの出合いのときに生まれたのです。これが私が知っている、あなたの出生の理由です。」
 そのとき私は言いました。「私は、第一、そんなことなど信じません。私は宗教心など持っていませんし、もうこれ以上こんな話はご免です。」私は彼女にこれ以上言わさず、その場を立ち去りました。
65
いつでも、だれか、、、このような人と出くわすときには、こんなことになるのです。「なぜ悪魔は私をこんな目にあわせるのだ?」と私は思いました。
 説教師たちは、「それは悪魔だ!それは悪魔だ!」と言うので、私もそう信じました。
 そして、あの夜のことですが、私が、、、天使がそのことに言及したとき、私は尋ねました。「どうして、あの霊媒たちや悪魔に乗り移られた人々がいつも私にあのようなことを告げるのですか。また司祭や私の同僚の牧師たちが私にあれは悪霊の仕業と言うのですか。」
  では、天使が答えた言葉をお聞きください。彼は言いました。「あそこの絵の中に見えている光をごらん。あの時代も今も同じなのです。」そして、天使は、私のことについて次のように説明しました。「主イエス・キリストが聖職に就かれたとき、司祭たちは、彼のことをベルゼブル(魔王)と呼びました。そして逆に、悪魔たちは、彼を『神の子、イスラエルの救世主』と呼んだのです。また、パウロやバルナバが説教を始めたときのことを考えてごらんなさい。聖職者たちは『この人たちは、世界を逆さまにする。彼らは有害だ。魔王だ。』と言いました。町角のみすぼらしい占師がパウロとバルナバを神の使徒と認めました。『この人たちは、神の使徒だ。正しい生き方を我々に教えてくれる人たちだ。』と言ったのです。そうでしょう?心霊論者や易者は悪魔に取り付かれた人たち、、、」
66
私たちは、神学にかぶれて、とうとう、本当の霊が何であるのか全く見失ってしまったのです。私は、皆さんがこのあとも、なお私を愛して下さることを願っております。しかし、これが事実なのです。ペンテコストについても同様です。ただ叫び声をあげ、踊り回るだけで、霊のことが分かるのでは決してありません。必要なのは、個人的な、神様と一対一の出合いです。神が期待なされている新しい教会は、このような教会です。そこに人々が集まり、霊において力をあわせて一体化するのです。
 それについて、天使は、当時の聖職者たちがいかに間違った考え方をしていたかを私に語りました。聖職者たちが間違っていたのだと、私に明言しました。彼は、私に一切を話し、いかにイエスが、、、
67
私は尋ねました。「では、私の場合は、私に起こっているあの様々のできごとは、どういうことなのですか。」
 するとですね、天使はこう言ったのです。「それは、今後ますます増えるでしょう、そして増えれば増えるほど偉大なものになります。」彼は、私のことをイエスを引き合いにして説明しました。イエスがいかに振舞われたか、いかにして物事を予知する力を身につけるようになったか、そして井戸端の女の心の秘密を明かし、また自分はヒーラーではなく、自分は父なる神の指図に従っただけだと言われたことなどについてです。[ヨハネ5:19-20]
 私は、「それはどんな霊でしょうか。」と問いました。
 「聖霊でした。」と彼は答えました。
 そのとき、私の中で何かが起こりました。私はやっと、自分がこれまで背を向けてきたこと、まさにそのために、神が私をここに召されたのだと悟りました。
そして、これまで私が聞いた御言葉は、すべて本当のことだったのだと分かりました。あのパリサイ人たちは御言葉を間違って解釈したみたいに、かれらは私に御言葉を間違って解釈してくれたのです。それ以来、御言葉、聖霊の言われたことは自分で解釈しました。
 「では、私は行きます。」と私は言いました。
 「私は君と共にいます。」と天使は言いました。
68
天使は、再び光の中に入りました。すると光は、クルクルと回りだし、クルクル、クルクル、クルクル、クルクル回り続けました。天使の足は光の中を歩み、建物の外へ出ていきました。
 私は、新しい人間になって家に帰りました。
 私は、教会へ行ってそのことを人々に話しました、、、日曜日の夜のことでした。
 そして、水曜日の夜、一人の女の人が私のところへ連れてこられました。一度メイヨー病院の看護婦の一人で、癌で死にかかっており、全く生気がありませんでした。私が歩み寄って手を取ると、彼女の前に幻が現れました。それは彼女が看護婦として元気に働いている姿でした。彼女はルイビルの病院で、それまで何年もの間「死にかけている患者」名簿に名前を連ねていたのでした。それがいま、同じ病院で、看護婦として何年も働いていたように働いてる様子なのです。私が上を見上げたらその幻が見えたのです。彼女が初めて私のところに連れてこられ、床の上に横たえられたとき、私は、くるりと向きをかえ、自分が今何をしているのかもほとんど意識せず、そこに立ったまま震えていました。看護婦たちが周りに立ち、いろいろな物が置かれている中で、彼女は横になっていましたが、その顔には生気がなく、目はすっかり落ちくぼんでいました。
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マージー・モルガンさんです。彼女の住所は、インディアナ州ジェファソンビル市ノブロック通り411です。彼女にお便りしたい方は、この住所かインディアナ州ジェファソンビル市のクラーク郡病院宛になさるとよいでしょう。彼女にお聞きになれば、私の話が本当のことだと分かります。
 私は、彼女を見下ろしました。私の最初の患者です。私は、そこに出現した幻を見ていました。その中で、彼女は、りっぱに、元気よく立ち働いていました。私は、「あなたは生きます。死ぬことはありません。これは、主のみ言葉です。」と言いました。
 彼女の夫は、世間的地位の非常に高い人でしたが、疑わし気な目で私の方を見ました。「御心配無用です。奥様は大丈夫です。」と私は、言いました。
 夫は、私を外に連れ出しました。そして、、、二三名の医者を呼び入れました。「この方たちを御存じでしょう?」と彼は言いました。「ええ。」と私は答えました。
 「最近ゴルフで彼といっしょでしたが、そのときに彼は、『彼女の腸は、すっかり癌に包み込まれていて、浣腸もできない状態だ。』と言っていましたが。」
 「彼女が何の病気であろうと、私には興味がありません。私は、あそこで幻を見たのです。そして私は、私が会った天使から、見たとおりのことを言いなさい、するとそのとおりのことが起こるだろうと言われました。私は彼の言葉を信じます。」
 神を讃えましょう。そのあと二三日すると、彼女は、洗濯をしたり、用事で歩き回ったりするようになりました。彼女は現在、体重が165ポンド(67キログラム)健康そのものです。
70
私が、そのことを認めると、すぐ噂が広まりました。そして、ロバート・ドハティさんが私に電話をしてきました。それでそのことがテキサスから世界中に知れ渡ったのです。
 ある夜、確か4回か5回、、、、(私は異言は理解できないのですが、私は、聖霊の洗礼を信じておりますので、人は異言で話せると信じていました。)その夜私がテキサス州サンアントニオの大教会に向かって歩いていましたら、小さな男の人が座っていて、私を見ると、まるでショットガンか機関銃のような早さで異言で話し始めました。ずっと、ずっと後ろの方で一人の男が立ち上がって、「神がかく仰せられた!いま階段を上って歩いているその男の人は、全能の神によって聖職を仰せつかった者である。そして、洗礼者ヨハネがイエスキリスト御来臨の第一の使者として遣わされたように、この人も主イエスキリストの第二の御来臨のための神のメッセージを配るのだ。」私は、穴があったら入りたいような気がしました。私は、顔を上げて聞きました。「あの男を知っていますか。」
 「いいえ。」
 「彼を知っていますか。」
 「いいえ。」
 「私を知っていますか。」
 「いいえ。」
 「あなたは、ここで何をしているのですか。」
 「私は、新聞で読んで来たのです」普通なら、、、これがミーティングの最初の晩のことでした。
 私は、あちらの方を見て尋ねました。「あなたたちは、どうしてここへ来たのですか。」 「ある人たちが、『神力のヒーラー(信仰でいやす人)』あなたが今日ここへくると教えてくれました。それで私は、ここに来ました。」
 「あなたたちは、みんなお互いに知り合いなのですか。」
 「いいえ。」
71
これは驚いた。私は、聖霊の力をまざまざと見た思いがしました。かつての一時期、私が間違ったことだと思い、そして自分が、、、その同じ天使があの出来事に関わった人たちとつながっていたのです。彼らに、どこかうさん臭いところ、とんちんかんなところ、また悪徳めいた派手さなどがあったのは事実ですが、一つ本物の教えもあったのです。私は、それを見ました。真実を見たのです。
 数年たちました。集まりの中で、人々は幻などを見るようになりました。
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あるとき、ある写真家が、私がアーカンソー州のどこかで立っているところを写した写真に、天使を捕らえたことがありました。それは、確か、このような集まりの席でした。会場も、このようなものでした。私は立って天使についてお話をしていました。聴衆は、メソジスト、バプティスト、プレズビテリアンなどでしたが、いつものように、座って耳を傾けていました。たまたま私が入り口の方に目を向けたとき、ちょうど天使が入ってきたのです。ヒュー、ヒューと音がしました。
 「私は、これ以上何も申し上げません。なぜなら、天使が自らここに現れたからです。」と私は、言いました。天使は近づいてきました。人々は、叫び声を上げ、私のいた場所に集まり、周りに座ってじっとしていました。
 ちょうど天使が適当な場所へ来て立ち止まったとき、牧師が駈けつけてきて言いました。「ちょっと、私にあれが見えますよ!」彼は全く目が眩んで、後ろによろめきました。これがその写真です。この本に載っています。頭を、このように垂れて、背後によろめいているところです。見て下さい。
 天使はそこに立っいたのです。そのとき新聞カメラマンが天使を捕らえました。しかし、主は、まだその用意をなされていませんでした。
73
それから、テキサス州ヒューストンでのこと、ある晩、そうですね、何千何万もの人々、、、私たちは、800、、、8000人の人々を、その何とかいう、音楽堂に、広大なサム・ヒューストン・コロシアムに集まってもらったことがあります。
 そのときの討論会で、バプティスト派の牧師が私を非難して、「この人は、程度の低い偽善者、ぺてん師、宗教的ぺてん師に過ぎません。この人を街から追い出すべきです。」と言い、彼がその仕事を引き受けると言いました。
 ブラザー・ボスワースが言いました。「ブラザー・ブレナム、このようなことがお出来ですか。たとえば、彼の手の内を読むとか。」
 「いいえ。私は、空騒ぎを起こす気などありません。福音書は、空騒ぎのためにあるのではありません。それは、生きるためのものです。」と私は言って、さらに続けました。「あなたがいかに彼を説得しても、彼は、そのやり方を改めないでしょう。神も、、、彼を変えようとは思われないでしょう。もし神が彼の心にはなしかけることができないなら、どうして私などが彼の心にはなしかけられますか。そんなことは、出来ません。」
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翌日、彼が来て言いました。「ヒューストン新聞」にこのような掲載していた、「これは、彼らの作りを示すものだ。自分たちが言っていることを実行しようとしない人たちだ。」
 ブラザー・ボスワースが私のところに来て、彼は、70歳をとうに超した年令で、人のいい老人でしたが、私に手を回して「ブラザー・ブレナム、あなたは、そのことを問題にしないと言うのですか。」
 「はい、ブラザー・ボスワース、そのとおりです。私はそのことを取り上げようとは思いません。取り上げたからといって、何の為にもならないからです。ただ私たちが演壇を下りるときに空騒ぎを起こすだけです。私は、これから集まりがあります。いま、こんなごたごたに巻き込まれたくはありません。ただ彼のしたい通りにさせればよいのです。それだけです。彼はただ騒ぎ立てているだけです。前もこのようなことがありました。彼らと話し合っても何の役にも立ちません。彼らは、自分たちの言い分を主張して、さっさとやってしまうでしょう。聖書は、もし人が真実の知識を授かって、なお神を受け入れないなら、その者は、境界線を越えた者であり、この世においても、また来るべき世においても決して許されないであろう、と言っています。彼らは神を悪魔と呼んでいます。彼らは、どうしようもありません。彼らには、悪魔の宗教的霊が乗り移っているのです。」 
皆さん、悪魔の霊もまた宗教的なものであるということを御存知ですか。本当です。根本的にそうなのです。「根本的」と私が言ったのは、適切ではないかも知れませんが、しかしそれは本当です。「神的な形を持ち、神を否定する」ものです。いいですか。しるしと奇跡こそが常に神の証なのです。神は、それは終末の日にも変わることはないと言われました。注意して御覧になって下さい。
75
老齢のブラザー・ボスワース、私は、、、彼は、私といっしょに出かけることにしていました。彼は日本から帰ってきたばかりで、疲れ気味に見えました。でも、これから私といっしょにラブックまで行こうというのです。彼は、そのつもりで、、、彼はちょっと風邪をこじらせていて、出かけるのは無理なようでした。それで彼も奥さんも、それで、、、
 かれは、まるでカレブのように、そこに立っていて、私に話しかけました。
 「では、ブラザー・ブレナム、(その姿は全く威厳に満ちていましたよ。)私にそれをやらせて下さい。あなたが反対なのは知っていますが。」
 「いいえ、ブラザー・ボスワース、それは、よして下さい。騒ぎのもとになりますから。」
 「騒ぎを起こすようなことは、一言も言いません。」
 さて、この話を終わる前に、皆さん、聞いて下さい。彼は、そこへ行ったのです。私は言いました。「いいですか。騒ぎを起こすようなことは、なしですよ。」
 「約束します。騒ぎは起こしません。」
76
その晩、約3万人の人々がスタジアムに集まりました。ここにおられるブラザー・ウッドもその晩会場にいらっしゃいました。私は、、、
 息子だか、家内が、「集会には行かないんですね。」と聞きました。
 「ああ行かない。行ってつまらない騒ぎなど聞くのは、真っ平だよ。」
 しかし、始まる直前になって、何かが私に、「出席しなさい。」告げるのです。
 私は、兄弟、家内、子どもたちを連れて、タクシーで出かけました。私は、ずっと上の、30番バルコニーあたりに席を見つけて腰をおろしました。
77
老ブラザー・ボスワースは、まるで外交官のような風貌で演壇へ歩みました。彼は、写し、、、聖書から600もの聖書の約束の章句(それぞれ別の約束)を写し取ったものを用意して持ってきていました。彼は、始めました。「さて、ベスト博士、ここへ来て、これらの約束の中から、一つでも、聖書の名において、否定できるものを指摘できますか。これらの約束は、すべて聖書に書かれているもので、今日イエス・キリストが病める人たちに施すいやしに関するものです。もしあなたが、このうちの一つでも、聖書に矛盾すると聖書の名において指摘できるなら、私は、あなたの前にきて、あなたの手を握り、「あなたが正しかった。」と言いましょう。
 ベスト博士は、「私が、壇上に上がったとき決着をつけてやろう。」と言って、機会を待ってました。だから、最後に出ていって、ブラザー・ボスワースをこてんぱんにやっつけてやろうと目論んでいたのです。
78
そこで、ブラザー・ボスワースは、言いました。「どうですか、ブラザー・ベスト。それでは、私が一つ質問をしましょう。それに『はい』か『いいえ』で答えて下さい。それで私たちの論争に、この場で決着がつけられます。」
 「私に任せて下さい。」とかれは、言いました。
 彼は、司会者に、相手に質問する許可を求めました。「よろしい。」との答えでした。
 「ブラザー・ベスト、贖罪を表すヤハウェの名前がキリストにもあてはまりますか。『はい』ですか、『いいえ』ですか。」
 これで決着がつきました。それだけです。正直なところ、私は、体の中を何かが駆け抜けたのを感じました。自分では、そんなことを思いもつきませんでしたね。「これには、彼は答えられまい。これで封じ込めだな。」と私は思いました。
 「どうしました。ブラザー・ベスト。私は−これは驚きですね。」
 そして、言いました。「私が片をつけますよ。」
 また言いました。「驚きましたね。あなたが、私の一番やさしい質問にもお答えできないとは。」彼はこの上もなく冷静な態度で言いました。彼は、自分の立場をよく承知していました。彼は、聖書を手にして、悠然と腰掛けていました。
 「30分程よく考えて下さい。そのあと私がお答えしましょう。」
79
ブラザー・ボスワースは、腰掛けたまま聖書を用いて相手を追い詰め、相手は顔がまっかになり、マッチをすったら燃えだすのではないかと思われるほどでした。
 彼は、怒って席を立ち、書類を床の上に投げ捨てて、演壇に上がり、キャンブル風な説教を始めました。私はバプティストでしたので、彼らが何を信じているか知っていました。彼は、決して、、、彼は、復活について説教していました。「『死すべき人間が永遠の命を授かるとき』、そのとき私たちは、神のいやしを受けるのです。」これは驚いた。永遠の命を授かった後で、なぜ神のいやしが必要なのだ。(「死すべき人間が永遠の命を授かるとき」、つまり死者が蘇ったときに?)彼は、イエスがラザラスに施した奇跡さえ疑っているのです。「彼は再び死にました。それは一時的なことでしかありませんでした。」とね。
80
彼は、この調子で話し終ると、「その神のヒーラーをここへ呼んで、そのいやしを私の目の前でやってもらおうじゃありませんか。」
 二人の間にちょっとしたやり取りがありました。ブラザー・ボスワースが言いました。「ブラザー・ベスト、あなたには驚かされますよ。私の質問には、何一つ答えていないではありませんか。」
 すると、相手は、ますます興奮して叫びました。「その神のヒーラーをここへ呼んで、そのいやしを私の目の前でやってもらおうじゃありませんか。」
 「ブラザー・ベスト、あなたは、人が救われることを信じますか。」
 「もちろん。」
 「あなたは、聖なる救世主と呼ばれたいですか。」
 「いや、断じて。」
 「だから、あなたが魂の救済を説いたからと言って、あなたを聖なる救世主とは呼べないわけですよね。」
 「もちろん呼べないね。」
 「ブラザー・ブレナムの場合も同じことです。彼は神のいやしを人々に説いているだけです。彼は聖なるヒーラーではありません。彼はただ人々をイエス・キリストのもとに導いているだけです。」
 「その神のヒーラーをここへ呼んで、そのいやしを私の目の前でやってもらおうじゃありませんか。そして今日治した人々を見せてもらおうじゃありませんか。その上で、私が信じるかどうか答えましょう。」
 「ブラザー・ベスト、これでは、まるでカルバリの丘の再現ではありませんか。十字架から下りておいでなさい。私たちは、あなたを信じますよ。」[マタイ27:41-43]とブラザー・ボスワースが言いました。
81
これで、彼は、いよいよ手がつけられなくなりました。「その男の実演を見ようではないか。その男の実演を見ようではないか。」司会者が着席を命じ、彼は、席の方に歩いていきました。すると、そこにペンテコスタルの伝導者が立っていて、ピシャ、ピシャと彼をたたいて舞台の端から端まで追いつめました。人々が出ていってそれを止めました。(ブラザー・ボスワースは、「これ、これ、止めないか、止めなさい。」と言いました。司会者が彼に着席を命じました。
 レイモンド・リッキーが立ち上がって言いました。「これが南部バプティスト大会の態度なんですか。あなた方バプティスト牧師の皆さん、南部バプティスト大会がこの人を呼んだのですか。それとも、彼が自分で来たのですか。」誰も答えません。「答えて下さい。」彼は、彼らの一人一人を知っていました。
 「彼は、自分で来たのです。」と人々は言いました。私もまた、バプティストが神のいやしを信じていることを知っていましたので。それで、彼は言いました。「彼は、自分で来たのです。」
82
85-5 その後のなりゆきは次のとおりです。まず、ブラザー・ボスワースが言いました。「ブラザー・ブレナムが会場におられるはずです。どうぞ前に出て、聴衆を解散させてくれませんか。」
 「ここにじっとしていなさい。」とハワードが私に言いました。
 「じっとしているよ。」
 ちょうどそのときのことです。何かがやってきて渦のように回りはじめました。主の天使でした。「立ち上がりなさい。」
 約500人の人たちが、このように手をつないで、通路を作ってくれ、演壇までやってきました。
 「皆さん、私は、神のヒーラーなどではありません。私は、あなたたちの兄弟です。ブラザー・ベスト、決して、、、ブラザー・ベスト、兄弟であるあなたを、軽視するつもりは、全くありません。あなたには、私と同様、自分の信念を主張する権利がお有りです。私にも有ります。あなたは、ブラザー・ボスワースに対して、自分の主張を立証出来ませんでしたが、おそらく、聖書に通じた人、物事を知り尽くしている人は、誰も、あなたの言うことを納得しないでしょう。いやしのことに限って言えば、私には人をいやすことは出来ません。でも、ブラザー・ベスト、私は、毎晩ここに来ております。もし、神が行なわれる奇跡を御覧になりたいとおっしゃるなら、どうぞおいで下さい。神の奇跡は、毎晩起こっています。」
 「私はあなたのいやしをこの目で確かめたいのだ。あなたは、人を催眠術にかけるのかもしれぬ。これから1年の後それを確かめたいと思う。」
 「あなたは、それを確かめる権利が有りますよ、ブラザー・ベスト。」
83
「お前たちホーリーローラのような阿呆の連中でなければ、誰がそんな下らないことを信じるものか。バプティストは、そんなナンセンスなど信じないよ。」
 「ちょっと待った。」とブラザー・ボスワースが声を上げました。「この二週間、この会議に出席なさっている皆さん、このヒューストンの立派な教会の正式のメンバーの皆さんのの中で、ブラザー・ブレナムが来られて以来全能の神によって、病気を治されたと立証できる方が何人いらっしゃいますか。」約300人が立ち上がりました。「どうですか。」
 「この人たちは、バプティストではない。誰でも、どんなことでも、証言しようと思えばできる。証言したから本当ということにはならない。」
 「神の御言葉は、それをよしとされている。あなたは、それにあらがうことはできない。また人々は、それを正しいと言っている。あなたは、それを退けることはできない。さあ、これをどうしようと言うのですか。」と、このような成り行きになったのです。
84
私は、言いました。「ブラザー・ベスト、私は、ただ真実を述べているだけです。もし私の言っていることが真実なら、神は、必ずそれを支持して下さるでしょう。もしそうでなければ、、、もし神が真実を支持してくれなければ、それは神ではありません。私は、人々をいやすことはできません。私は、生まれつき、ある特別な才能—ものを見る、物事を予知する才能を持っているのです。私は、人々に誤解されていることを知っています。しかし、私は、自分の信念を実行する以外には何をすることもできません。私は、イエスキリストが死から蘇ったと信じています。もし、聖霊が来て幻を見せたりすることを、もしそれを疑うのでしたら、来て自分の目で見て下さい。それだけです。しかし、私自身のことでは、自分のためになることは、いっさい出来ません。私が真実を述べるとき、神は、必ず、それが真実であることを示して下さいます。」
 このとき、「ヒュー」という音がしました。また来たのです。あの天使がまっすぐ下りてきました。そこにテキサス州ヒューストン市にあるアメリカ写真家協会が大きなカメラを据え付けていて、(撮影は禁じられていました。)その写真をとりました。
85
写真家たちは、ベスト氏の写真をとるために来ていました。彼—彼は言いました。私がその場に着く前のことでしたが。彼は言いました。「ちょっと待って下さい!まだ6枚残っています。はい、今です。私の写真を撮って下さい。」彼は、自分の成人ぶった顔を指差しました。このように。「ほら、今だ!」写真家たちは、シャッターを押しました。それから、彼はこぶしを引き寄せ、持ち上げて「今だ。シャッター!」写真家たちは、シャッターを押しました。それから、彼は、このように、ポーズをとって、「私の雑誌に載る写真は、これだな。」などと言いました。
 ブラザー・ボスワースはそこに立ったまま一言も言いませんでした。写真家たちは、その様子も、そのまま写真に撮りました。
86
その夜、家へ帰る途中、(カトリックの青年がその場の写真を撮っていました。)彼は、他の青年に話しかけました。「あれ、どう思う?」
 「僕は、彼を批判したけど、あの女の人の咽からとれた甲状腺腫、あれは彼が女を催眠術にかけたのだと言って。しかし、あれは、僕が間違っていたのかも。」
 「あの写真のこと、どう思う?」
 「分からない。」
  彼は写真を現像液に浸けました。ここに彼の写真があります。なんでしたら、彼に問い合わせてもよいですよ。彼らは家に帰りました。彼は、寛いで煙草に火をつけました。それから、暗室に入ってブラザー・ボスワースの写真を1枚引き上げてみました。何も写っていませんでした。2枚、3枚、4枚、5枚、6枚と引き上げてみましたが、どれも空白な画面だけでした。神は、聖人のような、御自身の老しもべが、あの、自分の鼻先の方に、手やこぶしを向けて振っている偽善者の傍らに立って一緒に写真に撮られることを許されなかったのです。
 彼らは、次の1枚を引き上げました。そこに写っていたのは、天使でした。その男は、その夜心臓マヒを起こしたということです。
 彼らは、そのネガを首都ワシントンへおくり、著作権を取得しました。
87
その鑑定に当たったのは、その道で世界的権威と言われるジョージ・j・レイシーF.B.I.指紋、文献鑑定部長ですが、彼は、2日間をかけて、カメラ、ライト、その他のあらゆる点を調べていました。私たちがその日の午後彼を訪れたとき、彼は、私に言いました。「ブレナム先生、これまで、私もあなたに批判的でした。私はそれを心理的なものだと言い、人によっては、あの光線を見たとか、いろいろ言っていました。あの老偽善者は(例の信じない人のこと)『あの周辺の像、キリストや聖者の周りのあの後光、あれは、単に心理的なものにすぎない。』と常々言っていました。しかし、ブレナム先生、カメラの機械的な目は、心理学を写せません!光がレンズに当たり、感光版に当たりました。それだけです。」彼は、さらに言葉を続けて、、、
 私は、ただ彼らの言うことを聞いていました。彼が言いました。「いったい、これがどんな価値があるのか、先生、御存知ですか。」
 「いや、これは、私には関係がありません。私には、関係がありません。」と私が言うと、彼は、、、
 もちろん、私たちが生きている間にその効果が現れるとは思いませんが、今後文明が進み、キリスト教が残るなら、そのことで何かが起こるでしょう。
88
それで、皆さん、もし今晩のこの集会が、この地球上での最後のものとなるにせよ、あなたたちも私も、全能の神と席を同じくしたのです。私の証言は、真実です。それを述べるには、何巻もの書物が必要ですが、すべて本当なことだと皆さんに知っていただきたいのです。
 皆さんのうち何人の方々が、私の説教している場所に光が立っているのを目撃なさったこと(写真でではなく)がありますか。手を上げて下さい。この建物の中におられるすべての皆さん、どなたでも、もしその経験がお有りなら手を上げて下さい。はい、ここにおられる8人から10人の方々が手を上げられました。
 「人は、私がその光を見ていなくても、それを見ることが出来るのですか」って?もちろんです。
 あの—あの、賢者たちが従っていった星は、すべての天文台の上を通っていったのでしたが、賢者たち以外は、誰もそれに気付きませんでした。聖なる星を見たのは、彼らだけでした。
89
エリヤは、外に立って、戦車の群れが燃えている様子を見ていましたし、ゲハジは、あたりを見回しましたが、どこにもそれが見られませんでした。神は、「彼の眼を開けて、見えるようにせよ。」と仰せられました[2列王記6:17]。すると彼は、それを見ることが出来ました。彼は、善良な青年でしたが、そこに立って、あたりを見回していても、それを見ることが出来なかったのです。確かに、見える能力を授けられた人と、そうでない人がいます。それは本当のことです。
 しかしですね。まあ、これまで一度もそれを見たことがない方は、一度も見たことがないわけです。また、実際に肉眼で見たことはあっても、写真を見たことはない方もいます。しかし、写真を見た方々のほうが肉眼で見た方々より強い実証性があると言えます。なぜなら、肉眼で見たものには、誤りがあるかもしれません。目の錯覚ということもあります。そうではありませんか。でも、あれは錯覚などではありません。真実なのです。科学的に証明できる真実なのです。主イエスが行われたことなのです。
90
「では、それは何だと思うのか」と私に聞かれるのですか。
 私は、それは、イスラエルの子孫たちをエジプトからパレスチナへ導いた、あの火の柱と同じものだと思っています。私は、あれもこれも、同じ光の天使—牢の中にいた聖ピーターのところへやってきて、その肩にふれ、彼を導いて、牢の扉を開けて外に出した、あの天使だと思います。私は、それは、昨日も、今日も、未来永遠に、変わることのない、同じイエス・キリストだと思います。アーメン。キリストは、今日在らせられるごとく、昨日も在らせられました。未来永遠に同じイエスで在らせられます。
 こうして、私がそのことについてお話している間も、写真に写ったのと同じ光が、私が今立っている場所から2フィート(編注:60センチ)と離れていないところに、ちょうど今、立っています。本当です。私自身は、自分の目でそれを見ることは出来ませんが、それでも、光が立っていることは、知っています。私のすぐそばに、ちょうど今立っていることを知っています。ああ、もし皆さんに、全能の神の力が働くときにどんな変化が生じるか、物事がどんなに違って見えるか、それを知っていただくことが出来たらと思います。
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それは、どなたにとってもチャレンジであります。私は、病人のためにお祈りをしようとしたのではありません。私は、一つの誓約を立てようとしたのでした。しかし、幻が人々の上に見えます。そうなんです。神は、それを御存知ですよ。私は、お祈りの列は作らず、私は、ただ皆さんに、そこに座っていていただくだけです。お祈りカードをお持ちでない方が何人いらっしゃいますか。ちょっと手を上げて下さい。お祈りカードをお持ちでない方、お祈りカードを持っていらっしゃらない方。
 そこに座っていらっしゃる黒人の御婦人、手を上げていらっしゃいますね。そうですね?ちょっとお立ち願います。ちょっとあなたのことを取り上げさせていただきましょう。聖霊が何を言うか私には分かりませんが、あなたは、非常に真剣に私のほうを見ていらっしゃいます。お祈りカードは、持っていらっしゃらないんですね。もし全能の神が私にあなたのトラブルが何であるのかお告げになれば、、、私は、こうして準備をはじめます。始めるための用意でです。あなたは、私を信じますか。あなたは、私には別に何も、、、私には、何一つ利点はありません。もしあなたが結婚していらっしゃる方なら、私は貴方のご主人と一緒、私は、ただの男に過ぎません。しかし、イエス・キリストは、神の御子です。神と神の霊がこのことを実証なさいます。
 もし神が私に、あなたの病が何であるのかお告げになれば(私があなたにコンタクトしたことはまったくありません)、それを心から信じますか。[シスターが質問に答える—編註]あなたに神のお恵みがありますように。では、あなたの高血圧はなおりました。それがあなたの病気でした。そうですね。では、おすわり下さい。
 一度それを信じるだけのことです。私は、どなたにも、神を信じなさいとチャレンジします。
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いいですか。ちょっと聞いて下さい。マーサが主イエスのもとへやってきました。その賜物は、決して発揮されることがなかったかも知れません、、、しかし、父なる神は、すでに主イエスに何をするか示されていたのです。それは、決して発揮されなかったかも知れません。彼女は、言いました。「主よ、私は、、、もし主がここにおられたら、私の兄弟は、死ななかったでしょう。しかし、いまでも、神は、主が望まれることは、すべてかなえて下さることを、私は、知っています。」
 主は、言われました。「私は、復活であり、命である。私を信じる者は、たとえ死者でも生命がある。生きて私を信じる者は、決して死ぬことはない。このことを信ぜよ。」
 彼女が言った言葉を聞いて下さい。「はい、主よ、私は、主の述べられたことは、すべて真実だと信じてきました。私は、主が神のみ子であり、この世界に来臨なされることを信じています。」これが彼女の敬虔な態度です。
 どうですか、そこの女性の方、変わった気分になったでしょう。そう、その通りですよ。
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そこの御婦人、あなたのすぐ隣の方、あなたも、関節炎と婦人病にお悩みですね。違いますか。ちょっと立ち上がって下さい。赤いドレスの方。幻があなたに来ました。関節炎と婦人病ですね。それから、あなたの人生に何かあります。(自分で—まっすぐ自分自身を見て下さい。)生きていくうえの、多くの心配ごと、多くの問題を抱えていらっしゃる。あなたの問題の根は、あなたの愛する夫です。彼は大酒飲みで、教会へ行きません。そうではありませんか。もしその通りなら、手を上げて下さい。あなたに神のお恵みがありますように。家にお帰りになって、神のお恵みを受けて下さい。あなたの病気は治り、あなたの周りは明るくなりました。
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そこの、すぐ隣の男性の方、そうあなたです。あなたは心の底から信じていますか。あなたは、五感の一つに欠陥がありますね。失われた感覚は嗅覚です。違いますか。もし当たっていたら、手を振って下さい。手をこのように口に当て、言って下さい。「主イエス、私は、心の底からあなたを信じます。」[ブラザーは、「主イエス、私は、心の底からあなたを信じます。」と言いました。—編註]神のお恵みをあなたに。それでは、あなたの癒しを受け取ってください。
 神を信じて下さい。皆さん、神をどうお考えですか。後の席の方々は、どうですか。信じていらっしゃいますか。敬虔であって下さい。
 そこの、後ろのほう、角のほうに座っていらっしゃる御婦人、光がその方にまつわりついています。その光りでしか、私は、事情を知ることが出来ません。この光は、御婦人の頭上にかかっています。たぶん、ちょっと待って下さい。何のことか見てみましょう。御婦人は、苦しんでいます。原因は、、、心臓病です。彼女は、まっすぐ私のほうを見ています。
 彼女の夫が彼女の横に座っています。夫も病気にかかっています。これまで病気、不調、病気の状態が続いています。その通りですね。当たっていたら、手を上げて下さい。そう、あなたのことですよ、そこの、スカーフの方。それで、御主人、当たっていませんか。今日はちょっと不調気味ではありませんか。胃の具合が悪いのではありませんか。その男性の方。そう、あなた。
 あなたたちは、二人とも、心の底から信じますか。神を受け入れますか。御主人(手を上げていらっしゃる)あなたも、喫煙の習慣をお持ちですね。あなたは、シガーを吸うんですね。それはいけません。それが病気のもとです。違いますか。当たっていたら、このように手を振って下さい。あなたの不調は、それが原因です。神経がやられています。捨てなさい、その、、、下らないものを。今後決して手を出してはなりません。そうすれば、あなたは、勝って、病気は治ります。奥さんのトラブルも消えます。それ信じますか。当たっていませんか。私には、こちらからあなたが見えませんが、その通りですよね。でもあなたは、シガーを持っていらっしゃる。どこかと言えば、、、ポケットの中—前のポケットの中です。そうです。それを取り出して前に並べて下さい。そして、あなたの手を奥さんの上に置き、神に約束して下さい。もう決してこんなものに手を出しませんと。これで、あなたは、元気になって家に帰れます。あなたも、奥さんも病気が治ります。主イエスの御名が讃えられますように!
 皆さん、心の底から信じますか。
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ここに座って、私を見ていらっしゃる小柄な御婦人。あなた、そこの、一番前の席の方。小柄な御婦人、、、私を見ていらっしゃる、そこにお座りの。あなたは、持っていらっしゃらない、、、持っていらっしゃいますか。お祈りカードを、今ここに?お祈りカードは、なにも持っていらっしゃらない。あなたは、心の底から信じますか。あなたは、イエス・キリストがあなたの病気をよくすることができると信じますか。
 あなたは、神のことをどう思いますか、お隣の方?お祈りカードをお持ちですか。持っていらっしゃらない?あなたも病気を治したい?胃の病気を治して、またもとのように食べたいと思いませんか。あなたは、今、イエス・キリストがあなたを治すことができると信じますか。もしそう信じるなら、立ち上がって下さい。あなたは、胃潰瘍がありましたね。それは神経症から来たものです。あなたは長い間神経質でした。特に酸など、つまり酸が作られ、それが、げっぷで食べ物が口に戻るとき歯を冒し、しみるようになります。本当のことです。全く。それは胃液による潰瘍で、胃の底部にあり、食後、特にバター付きトーストを食べた後に焼けるような痛みを起こすことがあります。違いますか。私は、何もあなたの心の中を読んでいるわけではありません。しかし、聖霊は、絶対間違うことがありません。あなたの病気は、もう治りました。お家に帰って、元気にお過ごし下さい。
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この方向の後部におられる方、どうですか。そちらで、お祈りカードをお持ちでない方、手を上げて下さい。どなたかお祈りカードを持っていらっしゃらない方、はい、それでは、敬虔になりましょう。心の底から信じましょう。バルコニーのほうはいかがですか。神を信じましょう。
 私は、これを自分ですることは出来ません。これは、ひとえに、神の恩恵であります。信じますか。私は、ただ神がお示しになることを口にするだけです。皆さんの信仰については、、、私は、これを、皆さんの信仰心を揺さぶって、どの方向に神が私をお導きになるか確かめるために言っているのです。このことが御理解できますか—ここにいるのは、皆さんのブラザーではないのですよ。皆さんは、神のみ前にいるのです。ここでこれをやっているのは、私ではないのです。神を動かしているのは、皆さんの信仰なのです。私が動かすことは出来ません。皆さんの信仰がそれを行っているのです。私には、全く神を動かす手段がありません。ちょっと待って下さい。
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この隅のほう。そこに黒人の方がいらっしゃいます。年とった、眼鏡をかけた方。お祈りカードをお持ちですか。どうぞ、ちょっと立ち上がって下さい。あなたは、心の底から、私が神のしもべであると信じますか。あなたは、誰か他の人のことを考えていますね。もし当っていたら、手を振って下さい。私のためにではないのですよ。ところで、あなたは、お祈りカードを持っていらっしゃらないんですね。だから、あなたが列に並ぶ余地は全然ないわけですよね。お祈りカードを持っていらっしゃらないんですから。ちょっと、皆さんのうちで、お祈りカードを持っていらっしゃる方は、決して—決して—決して手を上げないで下さい。列に並ぶ機会があります。
 しかし、この男性の方の頭上に光がただよっています。まだ幻にまではなっていませんが。私には、あなたを治すことができません。私には、出来ないのです。神だけが出来るのです。しかし、あなた—あなた—あなたには信仰心がある。あなたは、信じていらっしゃる。あなたの中に、何か—病気を起こしているものがある。
 もし全能の神が、この人に何が悪いのかお告げ下さるなら、他の皆さんもいやしを受けますか。ここに、私のところから10、15ヤード(編注:10メートル)ほど離れたところに、一人の男性が立っています。私は、今まで一度もこの人を見たことはありません。この人は、ただそこに立っている一人の人にすぎません。もし全能の神が、この人のどこが悪いのか明かにして下さるなら、ここにおられるすべての皆さんも健康な体になってここからお帰りになれます。神に、これ以上何が出来るでしょうか。そうですよね。
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今お立ちになっている方、あなたには、何も悪いところはありません。元気がありませんね。ちょっと夜何度も起きるとか、前立腺とか、そういったことがありますが、しかし、それが今あなたを悩ませている問題ではありませんね。あなたの問題は、息子さんに関することです。息子さんは、州のある種の施設に収容されているんですね。彼は、二重人格の持ち主です。当っていませんか。合っていたら手を振って下さい。はい、それでいいです。
 それでは、今何名の方が、神のみ子イエス・キリストがここに立っておられると思いますか。皆さん起立して、神を讃え、いやしをお受けしましょう。 
 全能の神、生命の創造主、すべてのよき贈物の贈り主、あなたは、今ここにおられる。あなたは、昨日、今日、そして永遠に同じであります。
 そして、悪魔よ、おまえは、この善良な人々を、こんなに長く脅かしてきた。この人たちから離れよ。私は、なんじに、今ここに火の柱の形をとって出現されておられる生ける神によって厳命する。この人たちから離れよ。イエス・キリストの御名において命じる。この人たちから出ていけ!
 皆さん、手を挙げて神を讃えましょう。そして、それぞれの癒しを授かりましょう、一人残らず。[会衆、神を讃える—編]